西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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10/08/15(日)

[]補足 20:57 補足 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 補足 - 西川純のメモ 補足 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 古典を現代文にしても、分からないことはあります。その当時の常識、そして風俗が分からないと意味不明なところがあります。実は古典の専門家は、そこが勝負だと私は思うのです。

橋本@dhfutures橋本@dhfutures2010/08/15 07:12学習指導要領解説編は,完成するまでに,全国各地からたくさんの研究者や専門家,指導主事や教諭が集まって,毎週のように丸1日(2日)缶詰になって,3年程度かけて議論を重ねて作成されたものです。

特に今回は,子どもたちに指導する先生にとって参考になるように,まさに解説してあります。

教育学者は,各自いろいろな主義主張があるので,批判的なコメントがあることは当然です。

でも,現場の教師は,先ず読んで,どういう意図をもって,どのように指導事項を系統立てて,どのような方法で学習していけばよいのか知って欲しいと思います。

そして,書かれていることをやってみてから,批判して欲しいと思います。

西川先生の先日のメモにも,「学習指導要領を使って説明したら,指導主事の話と同じだと思われるかも」と書かれていましたが,指導要領に目を向けるという自然な姿にもどるのも,『学び合い』のよさだと感じました。

(長文失礼しました)

jun24kawajun24kawa2010/08/15 08:01ありがとうございました。
学習指導要領もそうですが、そのもととなる審議会の答申は素晴らしいものが多いと思います。残念ながら、文部科学省→都道府県→市→学校の伝言ゲームの中で精神が落ちて、枝葉末節の形だけが残るために、残念な結果になっていると思います。

hideki55hideki552010/08/15 08:37橋本@dhfutures さんのコメントで、指導要領解説編が、3年程度時間をかけて作成されているという裏話、大変興味深く読ませていただきました。
ただ、どうしても自分の専門教科である『国語』の指導要領の内容については、何を教えるべきなのかの具体的内容が乏しいと私は思います。野口芳宏先生は、何を教えるのかはっきりさせていない国語の授業は、子どもたちに国語の力をつけられないのだと主張なさり、野口先生が考えた教えるべき内容を子どもたちに教え、子どもたちに力をつけています。しかしながら、例えば野口先生が国語で教えるべき内容だとしている内容を、どれだけ学習指導要領の解説編で取り上げているかというと、ごくわずかなのです。国語の達人の野口先生レベルであれば、学習指導要領で設定している指導事項をもとに、さらに具体的な教えるべき内容に変えて子どもたちに教えることも可能でしょうが、私にはそれはかなり難しいことなのです。
また、文法教育に関しては、これまで教科書文法では子どもたちに日本語のしくみを学ばせることはできないと、批判され続けてきているのですが、全くその批判を受け入れず現在の指導要領でも改良されてはいません。
外国人に、日本人が、日本語のしくみはこうなっているのですよと、教えることのできる基礎的な日本語文法の学習をさせていないのが、学習指導要領なのです。例えば、形容詞と形容動詞に二つに教科書文法では品詞を区別していますが、実際の形容詞と形容動詞の文の中での働きを見てみると、「物や人の様子を表す」という点で共通で、ただ活用の形式が違うだけなのです。ですので、形容動詞と形容詞と二つに分ける必要はなく、どちらも形容詞でひとくくりできるというシンプルな批判も指導要領は受け入れていません。

jun24kawajun24kawa2010/08/15 16:04こんにちは西川です。コメントありがとうございます。今移動中です。とても大事な内容なので、コメント欄ではなくメモ欄に時間をかけて書きたいと思います。

hideki55hideki552010/08/15 19:15西川先生、丁寧なご返信ありがとうございます。
西川先生が、国語で教えている内容について疑問を投げかけていらっしゃる「漢字の筆順」「古文の文法を学び、古文を読む必要性があるのか」という点について私も賛成いたします。例えば、奥の細道を勉強したとして教科書で取り上げた部分だけを丁寧に原文と口語訳で勉強するよりも、口語訳つきのテキストで芭蕉の旅の様子が分かる部分をたくさん同じ時間をかけるなら読んだほうが生徒にとって「奥の細道」を身近に感じさせられるというわけで、指導要領で押さえなければならないことを押さえつつ授業に取り組むこともあります。
現在の国語教育の一番の課題と思われるのは、国語の専門家でない方に、国語ではこういう内容を教える教科なのだと納得できる形で指導内容をわかりやすく説明できないところにあるという点です。例えば、国語以外の教科では、この単元ではどんなことを学ぶのか、分かりやすく、数学では例題などもあり、問題を解く課題なども載った教科書で勉強できます。
ところが、国語の教科書は、そういった学ぶ内容を明示したつくりにはなっていません。ある人は、指導要領のこの指導項目を指導するためにAという教材を使い、またある人は指導要領のこの指導項目を指導するために同じAという教材を使う。一応、指導書にはこの教材では、この指導項目を指導するということが書いてはあるのですが、指導要領の指導内容を指導することができれば、どのように教材を使っても法的には問題はないわけです。こういうことって、本当に公教育であってよいのか、というのが私の大いなる疑問なのです。
そういう問題意識を持ち始めると、私自身が行っている毎日の国語の授業が、果たして国語の授業として問題はないのかという不安がぬぐいされなくなるのです。困ったものです。
しかしながら、『学び合い』の授業ならば、読み・書き・話し・聞くという活動を自然に成立させることができると、私は感じて授業をしています。もっとも、話す・聞くの指導要領でとりあげるべきと指定されている指導内容とは合致していない点は多いのですが。
そして、読みの授業にしても書きの授業にしても、どのように読むのか、どのように書くのかといったスタンダードな理論が構築されていないというのが、その根本原因の一つだと私は、思います。
私のブログで、[国語]春の日 高田敏子 の教材分析についてということを書いているのですが、この詩をどう読むのかについてでさえ、難しさを感じるのです。
これこれこう書かれているから、こう読むのです。
あるいは、これこれこう書かれているから、こうも読めるのです。という、どの教師にも自信を持って説明できるスタンダードな理論が必要なのだと感じます。ごく常識的なレベルでの理論でよいのです。
文法に関して言えば、学校文法では、文節と単語のレベルで識別できないことには、動詞と助動詞の区別は難しいので、教えることが困難です。例えば、小学生に「笑った」を「笑っ」「た」と動詞と助動詞に分けさせようとするのは難しいです。なぜ、分ける必要があるのかというと「動詞」と「助動詞」とに分けて言葉をとらえようとするのが学校文法です。そうではなくて、「笑った」というのは「笑う」の過去形だよ、と教えることも可能です。ただし、学校文法ではそう教えていけないのです。「笑った」の打消しの言い方は「笑わなかった」だよと、教えれば、「笑わ」「なかっ」「た」と分解する必要もなく、小学生にも分かるのです。そうすれば、とりあえず外国人に、「笑う」の過去形は何?と聞かれれば、「笑う」を「笑っ」に変えて「た」をつければいいのですよと、説明できると思うのです。「笑う」の過去形で否定形は何?と聞かれれば「笑う」を「笑わ」に変えて「なかった」をつければいいのですよと、説明が小学生にもできると思われます。

bunbun-hbunbun-h2010/08/15 19:51PTA会誌の原稿を頼んでも、ほとんどの人が「いやー、作文はだめなんです」って言いますよね。
これは国語に限らず、数学、音楽、美術、歴史、地理、物理、生物、体育・・・のどれにも当てはまることだと思います。
(例外の人も当然ありますけど、その例外のものはそれぞれの専門化(専門家ではない)の教師が想像する以上の割合だと思います)
この現実って、教え方の問題なんでしょうか?
それから、国語の問題って、私のように日本語を母国後として、私のささやかな人生のなかで、日本語で話し、聞き、書き、読むということを愛する日本人としては、教育における国語の専門家などと言うものに対して、他の教科に対する以上の、愛憎を感じるようについさっき思いました。(以上、失礼しました。書きなぐりです)

jun24kawajun24kawa2010/08/15 20:16 『学び合い』の学校観は、私の高校教師の原体験によるものです。子どもたちは「何で勉強するんだよ~」と率直に言います。そして納得できないと、授業は成立しません。私がやったのは面白い授業、分かったつもりになる授業です。でも、それは嘘です。私は色々な人の「学ぶ意味」を読んだり聞いたとき、私の教え子を想定して吟味します。しかし、それらは常に、学ぶ構えが出来ている子どもには意味がありますが、私の教え子には無意味です。教科の内容では万人を納得させることは無理だと思います。
 Hideki55さんへ
 共感感謝です。『学び合い』であれば、「笑った」を「笑っ」「た」と動詞と助動詞に分けることが分からないと出来ない課題を全員達成せよと求めればいいだけです。そこでの子どもたちの会話を鑑賞すれば、色々と学べます。ちなみに、私のメモは国語を事例にしていますが、全教科みんな同じです。少なくとも、私の専門の理科は嫌われることに関しては全教科1番です。あははは
 Bunbunさんへ
 我々で変えましょうね。

F-KatagiriF-Katagiri2010/08/16 20:11国語教師または国語専門家でありながら、コミュニケーションがうまくとれないという人はたくさんおります。それほどきつく言わなくても、コミュニケーションはとれるかも知れないけれど、読み手を意識した作文が書けない(「文学的」な作文しか書けない)国語教師または国語専門家は多いです。

以前私が研究発表した某国語教育専門の学会では、相手に効率よく研究内容を相手に伝えるためにほとんどの学会で使っているプレゼンソフトの使用は不可でした。日本では、「国語」は「伝える」という要素が二の次にされ、「読み取る」ということが主眼に置かれていることがよく分かります。指導要領ではそこら辺に危機感がおかれ、改善されてきているのですが、現場では「習慣」がはびこり改善されていないのが現実です。

hideki55さんがコメントされているとおり、国語の教育指導要領(実は英語も!)では、子どもが身につけるべきことがあまり具体的に書かれていません。私はそれがいいところだと思っています。「いいところ」というのは、「私にとって都合がいい」という意味です。雑に言い換えれば「なんでもできる」というところです。古典は原文を暗唱させ、筆順についてもなぜか高校でやっております。

古典や筆順についての反論は、長くなりますので、私のブログで書きます。

jun24kawajun24kawa2010/08/16 20:15反論、期待しています。