西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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09/12/30(水)

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 この前、ゼミの学生に説明したことを、アップします。

 『学び合い』が腑に落ちた先生は、あまり子どもに近づきません。従来型の先生から見ると「ボーッとたまに見ているだけ」のように見えます。従来型の先生は、コマネズミのように子どもたちの間を机間巡視し、子どものノートや会話を丹念に見よう聴こうとしています。たしかに、そのような姿に比べていると「ボーッと」しているように思えます。が、『学び合い』の先生から見ると、コマネズミのような先生は「何も見てはいないし、聴いてもいない」と思えます。『学び合い』の先生は、かつてはコマネズミを良しとしていたので、コマネズミのような先生を同情的に見られます。が、従来型の先生は『学び合い』の見方が分からないので批判的にしか見えないのでしょうね。

 たとえばです。精神的な病を負っている人であれば、その兆候は体の様々なところに現れます。胃液が過剰に出て、胃粘膜が弱くなり、胃潰瘍になるかもしれません。睡眠不足になり、食欲がなくなったり、逆に、食欲が過剰になったりします。当然、血液のバランスは目中クチャになります。その結果、体中のありとあらゆる臓器が悲鳴を上げます。

 そのような人の血液分析をして、足りない物質を点滴すれば直るでしょうか?胃カメラを飲み、カテーテルで潰瘍の部分を摘出すれば直るでしょうか?おそらく直らないでしょうね。それよりも、臓器ではなく、その人といっぱい話してあげることが大事なのではないでしょうか?そして、臓器ではなく、その人の悩みを解決する手助けをするべきではないでしょうか?もし、精神的な病を引き起こした原因が解決できたならば、その人の持つ自然治癒力によってありとあらゆる臓器がバランスよく治るのではないでしょうか?

 このたとえ話で言えば、一人一人の子どもたちは臓器です。そして、人とは集団です。『学び合い』では、一人一人の子どもに現れる問題は、集団に起因していると考えます。もちろん、一人一人が原因そのものの場合もあるかもしれません。でも、それを解決できるとしたら、それは集団を作るしか根治の仕方はないと考えます。だから、集団を見ることを大事にします。

 ボーッとしているようで、色々なところを見ます。例えば、子どもたちの作り出す小集団は固定的ではなく流動的だろうか?クラス全体の動きを、俯瞰している子どもはクラスの中で何割ぐらいだろうか?(サッカーで、絶えずグラウンド全体を俯瞰できる選手というのがあります、あれです)この数週間で見られなかった、あらたな組み合わせは生まれていないだろうか?子どもたちの会話は集団全体を意識しており、結果として心地よりざわめきだろうか?また、いつ、誰がやるかわからない、集団の動きを決定的に変えてしまう、一人の言動を見逃さずにいる。これらはみんな「ボーッと」集団を見るしか見とれません。これらのものは集団全体を見たときに初めて分かるもので、コマネズミのように視野の狭い個人を見ては絶対に見えません。こう書くと何か超能力者の話みたいですが、分かってみれば馬鹿馬鹿しいほど分かることです。例えば、「ルビンの壺」や「妻と義母」のだまし絵のように、見えない前は見えるはずはないと思えるのに、一度見えてしまえば、今までそれが見えなかったことが不思議に思えるほど見えるようになる、あれです(http://www.icoffice.co.jp/zukan/sh_design.htm)。また、別な説明ですが、印象派の点描画を30cmの距離で鑑賞したら、単なる点々の汚らしい集合にしか見えないでしょうね。

追伸 何かの事情で、個人に着目しなければならない状況に追い込まれると、集団が見えなくなり、個人が原因であり結果であるように思い込んでしまう負のスパイラルに陥ります。そのスパイラルに落ち込んでも解決策は見いだせず、集団に目を向けなければならないと思い直すには、私も一定時間かかります。

bunbun-hbunbun-h2009/12/30 19:27私自身が「ボーッ」としている人間だから、3年近くほとんど「みる」ことだけを飽きることなく続けられたのかとも思っていましたが、なるほど、そうばかりでもないのかもと思いました。

iwaseniwasen2009/12/30 20:21西川さん、ありがとうございます。「人として尊敬できればいいのではないでしょうか?具体的には、それぞれの会で、他の団体の会の案内を流し会う、参加し会う、それによって互いのメンバーが交流するということをやればいいのではないでしょうか?」

共感します!
その中から何かが生まれてくると感じています。
そして、実は同じところを目指しているというビジョンも共有できてくると思うのです。
未来に向かっての大きな矢印になっていくといいなあと思っています。ボクにできることでやっていきます。
この出会いに本当に感謝しています!

jun24kawajun24kawa2009/12/31 09:56bunbun-hさんへ
 ボーッと見ていると、本当に心地良いですね。
iwasenさんへ
 おそらく、もう少し立つと、具体的な道がハッキリ見えるはずです。

iwaseniwasen2009/12/31 22:39大同団結できるはずです。
来年もよろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2010/01/01 08:21期待しています。
おもしろいですね。