西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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09/09/15(火)

[]年齢 22:15 年齢 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 年齢 - 西川純のメモ 年齢 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が二十年以上お仕えしている、敬愛するある先生の姿を久しぶりに見ました。ビックリしたのは、会議で怒っていることが分かるのです。以前は、居並ぶ参加者の中で、私以外には気付かないと確信していました。極めて人徳のある方で、愛嬌のある方です。ですので、怒ってもわかりにくいのです。ところが、今日は、それが分かりやすい形で出ました。でも、どれほど怒っているかは、私ぐらいしか分からないと思います。おそらく、大多数の人は、「あれ?」と思う程度だと思います。あれだけの大人物でもああなるのですから、私などは気をつけねばと思いました。

tontan2tontan22009/09/15 12:49上記を読むとなんか言葉尻の問題になってきているような気がします。
「AはBを含む。BはCでない。だからAもCではない。」と言われてるような感じがします。私に「論点のずれ」があるようなので、最初に戻します。

私の最初のコメントです。
小学校の先生ならば分かるように、授業をしてもしなくても国語のテストの点数は「ほぼ変わりません」それを目標にすべきでしょうか? また、ほとんどのテストの内容は観点別にされていますが、その8割が「知識」です。指導要領の目標の到達を評価できるようなテストは1社もありません。それで「~点が目標」というのは、危険です。ならば指導要領の到達目標を子供に示した方が確かです。
 
確かに、「小学校の先生なら分かるように授業をしてもしなくても国語のテストの点数は「ほぼ変わりません」」これは「私の」勝手な見方です。でもどうでしょ? 大事なのは文法だの漢字だのではなく、多くの先生が国語のテストをどう見ているか? です。本当に私だけの勝手な見方でしょうか? それならば潔く取り消します。
 
> 元々の「何故」の主張は、評価が甘いと手続き文化になるという部分です。残念ながら、トンタンさんは評価基準を明確にする必要性を感じられていないようですね。
 
最初のコメントに「ならば指導要領の到達目標を子供に示した方が確かです。」と書きました。そこを読み飛ばしています。判断しなくてもよいというのは、適正でないテストで判断しなくてもよいということです。

最後に。
「私は」やはり初期段階でもテストの点数を課題にするのは危険だと思います。指導要領とテストの内容が一致していればかまいません。点数を強調するならばなおさらです。そうなれば必ずしも学習内容と一致しないいくつかの教科の学習では「テストに合わせて」授業することになるでしょう。そうした危惧を書いたつもりです。

jun24kawajun24kawa2009/09/15 12:58このジャンルの議論はやめにしましょう。
これ以上は、実りがない。
前提が違うのですから。

それとシビアな議論をする場合、一つ一つの言葉・文章の確認があってもしょうがありません。それで表現が適切でなければ、それを確認して、訂正し議論するしかありません。書く度に、別の書き方を出されたのでは、議論のしようがありません。

tontan2tontan22009/09/15 13:14力が足りなくて失礼しました。
ありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2009/09/15 14:36いえいえ、こちらこそ
言うまでもないことだけど、tontanさんが私の言っていることを分かっていることは理解しています。同時に、私がtontanさんの言っていることが分かっているとtontanさんが理解されていると思います。ようは軽重のかけ方なのですから、それは一人一人違って良いと思います。ね。

ghjalghjal2009/09/15 22:34トンタンさんとjun24kawaさんの誤解を恐れず表現するならば、このバトル?は自分にとってとても参考になりました。

『学び合い』の実践者や、セミナー、研究会?の共通した土俵にある、お互いの水平さ、平等さ、忌憚のなさ。こうしたスタイルは、考えてみれば当然なのだけれども、これまで自分が体験してきたものではありませんでした。

だって、大学の先生と、そこの学生と、実践する各地の先生と、(ここまでならあるのかもしれませんが)子供たちと保護者たちが、一線にならんで互いの考え思いをぶつけ?合う。上下なく。そこに『学び合い』のスタイルの真髄を見る気がするのです。

自分が『学び合い』に飛び込んだ、信頼することができた最大の理由がここにあります。スタイルです。研究実践の進め方のスタイルに確信を持てるからこそ、飛び込めているのです。

ありがとうございます。

jun24kawajun24kawa2009/09/15 22:37こちらこそ
ありがとう同志
互いに同志だと思えるからこそ、安易に合意せず、議論できるのだと思います。