西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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09/08/12(水)

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 今までの教師像の場合、もっと多くの時間を教育に捧げ、もっと多くの指導法を学び、というのが素晴らしい教師でした。ところが『学び合い』は学校観と子ども観に尽きます。「もっと子どもは凄いことをやれる。」と「もっと」を求め続けられる。「もっと」を信じられる。それが『学び合い』における教師の職能です。これは、「今までは絶対に出来ないことを出来るはずだ」と「この子ども達だったら、ゴチャゴチャ教えなくても出来る」と信じ求め続けることです。これが出来るには、そのことを信じ、求めた結果として、子ども達がそれを乗り越えることを目のあたりにすることです。それらを実現するには、魔法は必要もなく、普通の子どもの普通の行動が蓄積するだけで実現できる、ただし、全員の知恵と力が必要である、ということを学ぶしかありません。だから、『学び合い』を経験した教師は、普通の教師がクレージーと思えることを信じ、求めます。

 ところがです。途中で止まる落とし穴があります。

 『学び合い』を実践すると、今までは考えられないレベルの達成度が実現します。そこで「最高の到達点」だと思ってしまい、「もっと」を求めなくなります。一度実現したことは、速やかにテクニックやノウハウに陥ります。つまり、それを実現した子どもの姿を見てしまうと、「ここで、ああやると子ども達はこうなって・・・、そこで、こうやると・・・」という風に分かります。そして、次には、そうなるように、そうなるようにし向けてしまいます。そうなると、直ぐにテクニックやノウハウに陥ります。

 このようなテクニックやノウハウだと、子どもは頭を使わなくなります。使わなくなると、易きに流れます。つまり、固定的な集団になり、『学び合い』が崩れ始めます。それが決定的にならないと気づきにくいものです。崩れてもテクニックやノウハウがあるのでそこそこが実現できるのです。これは『学び合い』的なテクニックを使った従前の授業に過ぎません。困ったことに、教材の力がある教師の場合は、そこそこが実現できるので、本当に問題が見えにくいのです。

 想像して下さい。いろいろなことを知っている校長が、いろいろなことを職員に教えれば、その校長の想定の範囲内のことは出来るかも知れません。でも、その校長の想定を超えることは起こりません。というのは、想定を超える行動を無意識に校長は押さえるからです。

 『学び合い』における素晴らしい校長は、意識的に指示しません。そこに立っているだけです。立っているだけで、体全体で管下の職員に対する願いや信頼を発します。ホモサピエンスはそういう生物です。そうしようとしなくてもそうなります。逆に、信頼しているふりをしても、直ぐにばれてしまいます。

 いや、校長の信頼や願いが集団の中に内在化すれば、そこに常にいる必要はありません。ポイントポイントに、易きに流れやすい集団に対して、巌のように求め続けるだけで結構です。

 『学び合い』においては管理職は、「もっと」を求め、管下の職員(つまり子ども)はそれを実現できる存在であることを信じるしかありません。簡単なようで、本当に求め、信頼するには『学び合い』を実践し、求め続けるしかあり得ません。では、もし、子ども達が出来なかったとき、教師は何をすべきでしょうか?それは、良い方法を指し示すというのが従来の教師です。『学び合い』では、方法を示しません。しかし、より多くの、より多様な集団と関わらせられる場を確保することが仕事です。また、それを実現できるための上位の社会の承認と金を確保することです。それこそが管理職の仕事です。校長を思い浮かべれば、そうでしょ?

 「もっと」を忘れ、教師が方法を与える、これは典型的な落とし穴です。「どうするか」なんて忘れ、「もっと」を求めること、これがどれほど徹底できるかが教師の職能です。自らに「足す」のではなく、ぎりぎりまでそぎ落として下さい。

iku-nakaiku-naka2009/08/13 16:02「もっと」を求めるためには、自分の『学び合い』の方向が『学び合い』における「子供観」「学校間」「授業観」に沿っているかどうかを検証する必要があると思います。しかし、例えば実践者が学校に一人だと、自分の実践が果たして『学び合い』の実践と言えるのかどうかを判断することがなかなか難しいと思います。典型的な「落とし穴」に落っこちてしまう可能性も大です(もちろん、私もそうです)。また、実践に「手応え」がないと『学び合い』を継続して行う事も難しいと思います。まあ、私のように、誰かに何かを言われてもあまり気にしない「変わり者」にとっては問題ありませんが・・・。
このような状況を防ぐには、はやり多くの方とつながる、それもできるだけ近くの先生方と「考え方」や「資料」を基にした交流が必要なんだと最近つくづく難じています。本県にはM先生、kiri先生、kan66さん等、交流の場を作って下さる方がたくさんいらっしゃいます。有り難いことです。しかし、いつまでも、おんぶにだっこではいけないので、大きな「山」を動かず努力をしなくてはいけないと思いました。

jun24kawajun24kawa2009/08/13 16:07あなただけではなく、私もそうです。
自戒です。