西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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09/06/23(火)

[]判別 09:30 判別 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 判別 - 西川純のメモ 判別 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ネットサーフィンをしていたら、私は『学び合い』とは認めないが、とうような趣旨が書かれていました。ニコニコしてしまいます。私はそんな人ではないですよ。あははは

 どうも、スタイルに注目しているようです。でも、私は教師の発言が5分以下とか、たち歩きをしているか・・で判断しているわけではありません。『学び合い』の考え方で判断しています。『学び合い』の考え方を推し進めると、「教師の発言が5分以下とか、たち歩きをしているか・・」になる可能性が高いですが、必ずしもそうとは限りません。「教師の発言が5分以下とか、たち歩きをしている」が、『学び合い』ではないな・・・と私が感じる授業もあります。従来の授業に極めて近く、これが『学び合い』?と言う人もいても、『学び合い』だな~っと感じる授業もあります。まあ、いくらでも分析的に記載して、その判別法を言えますが、そんなことより、感じます。

 ま、最も確かな方法は、「学校は、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」と考えた場合、この授業をどのように考えられているのですか?と質問して、何を言うかで分かります。上記はさておいても、教科の●●を教えなければ、と言い始めれば、違うな~っと感じます。もちろん、教科の●●の価値を否定するわけではありません。ただ、上記の学校観が教科の●●を学ぶことと矛盾すると考えるところが違うな~と思うのです。そういう考えをするということは、学校観として捉えているのではなく、有効で効率の良い授業法と捉えているからです。『学び合い』の学校観はホモサピエンスはどんな存在であるかという考え方です。

 また、「子どもたちは有能である」という考えから言って、本日の先生の手だては何故必要だったんでしょう(もしくは、何故、子どもたちに任せなかったんでしょう)?と聞いたとき、子どもの能力の限界を云々したら、違うな~っと思います。一方、「自分の願いが不十分でだめなんです」とか「管理職の命令で・・」とかだったら、『学び合い』だと私は思います。まあ、「こんなことは子どもは駄目だ」と思うのは残念ですが、それを乗り越えて子どもに任せられる実践者はいます。任せられる教師と、任せられない教師のいずれが優れているか、論を待ちません。

 世の中には、『学び合い』をストレートに実践できない人もいます。特に、新任教員やお堅い管理職の学校ではそうでしょうね。でも、そんな人でも出来る、従来の授業と見まがう『学び合い』は比較的簡単に実現可能です。というのは、従来の授業の人は、スタイルを見て、願いを重視しません。ところがスタイルは、いくらでも「ふり」は出来ますから。

 ま、結局、私がどう思うなんて、ちっぽけなことです。

[]テストの点 05:34 テストの点 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - テストの点 - 西川純のメモ テストの点 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 テストの点はどうでもいいと思う教師がいても良いと思います。ただし、子ども、保護者、管理職を「テストの点数なんてどうでも良い」と説得する説明責任があります。これはかなり困難だと思います。仮に、それが出来たとしても、テストの点数に拘る意味があります。それが馬鹿馬鹿しいと分かっていても。それは、テストの点数、特に、最低点はクラスの有り様を端的に分かる指標として、もの凄く優れていると考えるからです。

 学び合っているふりはいくらでもできます。特に、安心してしまうと。そうなって欲しいと思うように、物事を都合良く認知するように人間の頭はなっています。私もそうです。そして、何度も失敗します。でも、テストの点数はふりは出来ません。だから、テストの点数はどうでもいいことは分かっていても、私はそれに拘ります。

 昨日のメモに続いて、悩んでいる、ある同志へのメッセージです。

tontan2tontan22009/06/23 19:49私にも誤解されてる方が多いかもしれませんので。
 
ちなみに、私もテストの点数は、もちろんのこと、全員100点は目指します(そうなりませんが)
でも、それが「学びの目標」ではないということです。
失礼しました!

jun24kawajun24kawa2009/06/23 23:12はい、了解していますよ。
レトリックです。ふぉふぉふぉ

twoyoshitwoyoshi2009/06/24 00:13「人格の完成を目指しているから、数字くらい簡単に出ますよ。」ってことですよね。

ghjalghjal2009/06/24 00:58違うな~。本当に最近頭によぎることが多いです。
テストの最低点。ここにこだわりたいですね。

jun24kawajun24kawa2009/06/24 05:45twoyoshiさんへ、ghjalさんへ
結果を出しましょう!点数は分かりやすい結果ですから。

ジョンジョン2009/06/25 19:41「テストの点は,いちデータにしかすぎまでん」
学び合いは,もっとすごいのです。
テストの点でしか,保護者に説明できないようでしたら,
山のようなプリントが,効果的では?

jun24kawajun24kawa2009/06/25 22:09あははは
山のようなプリントより点数と思っている保護者や管理職もいるということです。

ジョンジョン2009/06/26 21:42近年,各業者が,テスト結果を入力すると,
保護者説明用資料を作成するソフトを付けています。
個別懇談会で活用している学校も多いはずです。
データは,どう使うか。によって,まったく違う者になるは
ずです。
子どもたちや,教室が変わる瞬間を
授業参観等(いつでも見に来てください)で示すことを
お勧めします。
早くても○○日,教師が変わるまでには,
時間がかかるとのこと・・・。
これは,研究によるデータだそうです。