西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

09/01/31(土)

[]感激の群馬の会 22:54 感激の群馬の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 感激の群馬の会 - 西川純のメモ 感激の群馬の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先ほど群馬から帰ってきました。感激です。今回のキーワードは、保護者・子ども・教師の三位一体です。本当に素晴らしかった!今後の『学び合い』の会に大きな影響を与えることは間違いありません。詳細は、他の人に譲りますが、会場の後ろでウルウルしていました。

 色々な同志にあり、色々な話をしました。いっぱい、良い悪巧みをしました。幸せでした!

[]本当に大事なこと 22:54 本当に大事なこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本当に大事なこと - 西川純のメモ 本当に大事なこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 群馬の会の懇親会の最初の挨拶で話したことをアップします。

 本日の朝一番に、ある方からメールを頂きました。その中で、その方の市はある教育論を市としての取り組みを決めたそうです。しかし、その中で先進的に取り組んでいる学校の先生の評判が悪く、異動希望があるそうです。愕然としました。その教育論は考え方は違うものの共感できる部分も多いので残念に思います。

 私は今から2年前に、「あと5年もたてば『学び合い』はブレイクする」と豪語しました。まあ、言った当初は希望的観測が7割でした。がこの数年の広がりを考えると、リアリティがあると思います。さて、そんなことを考えているときに、最初に書いたメールを読みました。

 今は『学び合い』は迫害を受けています。(あはははは)しかし、このような状況の中でも『学び合い』に取り組んでいる人は本物です。本気で学ぼうとしている人です。ですので、『学び合い』を理解し、実践することができます。ところが広がってくると、今度は迫害する側になることが予想されます。(あはははは)そうなると、本当は『学び合い』をしたくないのに、やらざるを得ないという人が生まれます。そういう人は、「できない理由、失敗する理由」を探しますが、やろうとは思いません。当然、『学び合い』を実践できません。が、その人は『学び合い』をやったが酷かった、と自己合理化します。そういう人が噂を広めます。でも、その人が本当は悪いわけではありません。本当の原因は、その人を含めて「みんな」を徹底できない我々の問題です。「みんな」を徹底できないならば、もう一回り化けることができません。しかし、逆に言えば、ここで「みんな」を徹底できれば、本当に大化けします。

 でも、他に比べて『学び合い』は大きな有利な点があります。それは、我々は「みんな」の大事さを知っています。少なくとも、我々は子どもにそれを語っているはずです。それは、あらゆる意味でも本当なのです。『学び合い』の考え方は、常に不変です。

 やりましょう!

[]発進 06:51 発進 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 発進 - 西川純のメモ 発進 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もうすぐ群馬の会に発進します。今からでも、遅くないですよ!お待ちしています。

小野浩司小野浩司2009/01/31 08:10昨日は東京の情報教育系の授業研究会に参加しました。
これから東京から群馬に出発します。
西川先生のお話をまた聞けるのが楽しみです。
どうぞよろしくお願いいたします。

jun24kawajun24kawa2009/01/31 22:18ご苦労様でした。
参加して良かったでしょ!

take1_No12take1_No122009/02/01 01:01本日は大変お世話になりました。群馬の会2回目も無事終えることができました。
先生のお話のあと、保護者の方からありがたい言葉をかけていただきました。私たちの志、確かに伝わったようです。

daitouirukadaitouiruka2009/02/01 05:19「違い」を認めなくなった人たちの末路については、いつも頭においておかなければなりませんね。

jun24kawajun24kawa2009/02/01 07:36takeさんへ
 もっと、もっと、を願わないと腐りますよ。あはははは
daitouirukaさんへ
 はい。同時に、ちゃんと議論し続ける二枚腰は大事です。

gkgkgkgkgkgkgkgkgkgk2009/02/01 11:27西川先生、初めまして。
初めてメールを出します。
昨日の群馬の会で先生を2回見ることができました。(1回目は宮城の会で2年生のかけ算九九のことについて話した者です。)

先生の講演で「無理」の部分が印象に残っています。
例えばの部分が笑ってしまいました。(中学生の理科の分子の例が男と女の関係で話していたのが微笑ましく、そういえば自分が学生時代でもやっていたなぁってなつかしくもありました。)
私は先生の話を聞いて発見したことは、①学び合いの考え方を教員が理解することは人によっては大変であること②どんなことをしても1人の教員が30人程度の学級集団を見ることはほぼ不可能であるということ③教員が設定した目標と結果(評価)を示せば方法は子どもたちが選ぶこと④教員は子どもたちの活動を信じること⑤学び合いの最中の教員の行動は子どもたちの行動にアンテナをはって記録することの5点です。

昨日の講演でも刺激を頂きました、頑張ろうと気合いが入りました。
ありがとうございました。
どうぞよろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2009/02/01 17:01かけたお金と時間の元は取っていただけたようですね。今度は御県で開いてください。期待していますよ。

小野浩司小野浩司2009/02/01 22:25はい!とっても刺激的でした。
前日は情報教育系の授業研究会に行ってきました。テーマは自律協調学習。やっていることは少し違っても、求めていることは同じなんだと思いました。
そして、群馬の会、それぞれの発表もとても刺激的でしたが、発表したお子さんに直接話を聞いたこと、おもしろかったです。なかなか聞けない本音をちょっと聞けました。大収穫でした!
あと、フリートークって、発表者の方とオーディエンスがトークするもの…と思っていましたが、「『学び合い』やっていますか?」と声をかけられ、その方にぼくのやっている範囲での成果、考えていることなどを話してしまいました。話をしたことで、自分の考え、方向性、これから何をやっていかなくてはいけないのかが、自分なりにはっきりしてきました。(これも『学び合い』の成果ですね^^)

残念だったことが、今回も懇親会に参加できなかったこと。この次は参加したいと思います。^^

jun24kawajun24kawa2009/02/01 22:29あなたのような人、そして、あなたに声をかけた人、その人が『学び合い』を創り上げます。懇親会では、もっと楽しいですよ。

09/01/30(金)

[]長 22:49 長 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 長 - 西川純のメモ 長 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近の話題です。ある時、私が「長」というものから必死に逃げていることを話したことがあります。今のところ、私はコース長ですが、私の上には専攻長がいます。その方ができた方なので、ありとあらゆる会議は、その方が出席します。ということで、コース長として出席を拘束される機会は、年間に2、3回しかありません。あと、日本理科教育学会の学会誌編集委員長を務めていますが、非常に有能な事務局長がいるので事務的仕事は全くありません。人間的にもできた方々が編集委員を務めているので、ゴタゴタの処理の必要はありません。私の仕事は年間に2回程度会議に行き、「つつがなく編集が行われています」と言うだけです。私が勤めている「長」はこの二つです。

 私がいかにして「長」から逃れているかを気安い人たちに、面白おかしく馬鹿話をしました。そこで、何故、そんなにしてまで「長」から逃れているのかを質問されました。そこで、「逆に聞くけど、長になると良いこと何かある?」と聞きました。そこで、ある人が「他の人に、何かを命令できる」と言いましたが、言い終わらないうちにその人および同席の人たちがニヤニヤし、やがて笑い出しました。曰く、「西川先生は、長でなくても、人にはばんばんと求める」です。そうです。私は肩書きで人に求めることはしませんし、第一、そんなことは無意味だと思っています。長であろうと、なかろうと、そのことがその人にとって意味があり、みんなのために意味があると思えば、そのことをちゃんと語れば良いだけのことです。

 ちなみに、別の機会にある人に「子どもに学ぶ教師の会」には会長がいないことを言ったらビックリしていました。その方は私が会長だとかってに思っていました。しかし、私はそれを公言したことはありません。まあ、会の後援でどうしても必要な書類にはそのように書いた文章もあったかもしれませんが、それは一般に見えるものじゃないですよね。第一、会長どころか、ありとあらゆるものが無いのです。あるのは趣意書のみ。このことは意図的なんです。

 組織は組織を作ることによって堕落する危険性を持ちます。組織を作れば、その組織の維持することを目的になりがちです。そして、それが堕落の始まりです。ありとあらゆる教団もそうです。共産党も訳の分からぬ細胞組織が共産党というしっかりした組織になったとたんに、レーニンは共産党員用の特権を認めてしまいました。

 逆の危険性もあります。町内会長の最大の仕事は、次の町内会長を見つけることです。何故かと言えば、誰もやりたがらないからです。何故やりたがらないかと言えば、町内会の仕事は町内会長「だけ」に集中するからです。町内の人たちは首をすくめてだれかに仕事が行くよう願っています。子どもの学びも同じです。よくある教師が教え役を定めるミニティーチャより、『学び合い』の中で流動的になんとなく教え役が決まり、そして、それが流動しつつける方が、健全ですよね。

 このことは私は意図的ですが、おそらく、日本全国の会も同じだと思います。きっちり決まった組織ではなく、勝手連のような集団ができて、その時の世話役みたいに長が決まる、そんなものだと思います。何の組織もなく、でも、ちゃんと動く組織が最高だと思います。そんなことが成り立つ、高い志!それがあると信じているから、趣意書のみなんです。

 明日は群馬の会です。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080825/1219615370

[]クイズ 21:43 クイズ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - クイズ - 西川純のメモ クイズ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、3年生のゼミ生と個人ゼミをしました。その際、分からない授業の話が出てました。その流れの中で良い授業の話が出ました。そこで、彼に、「良い授業は何か?と聞かれたら、『学び合い』を分かる人は何と答えるか?」というクイズをしました。彼は、ごくごく一般の先生方の答えそうなことを挙げました。

 「そんなの分からない」というのが答えです。

 多くの先生方は、子どもの多様性を理解していません。だから、一通りの良い授業があると思っています。ところが、一人一人、そして、その時その時の違いを分かれば、教師ができる一通りの良い授業なんてあり得るわけありません。

 金太郎飴みたいな子どもを想定しているから、そんな問いがあり得るのです。一人一人の多様性が分かれば、一人一人、その時その時の無限の授業を「分かるわけない」と答えるはずです。

[]クイズ2 21:43 クイズ2 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - クイズ2 - 西川純のメモ クイズ2 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 コンピュータに「クイズ」と打ち込んだところで、息子と風呂に入りました。その際、息子がコンピュータの画面を覗いてから風呂に入りました。風呂から上がって体を拭いているとき、息子が「クイズってどんなクイズ?」と聞きました?え!?と驚きましたが、むげに流すことはしませんでした。そこで「あのね、今からクイズを言うけど、とても難しいし、説明しても分からないから聞かないでね」と前置きをしたあとに、「良い授業は何?というクイズだよ」と言いました。そうしたら、息子は「クラスがしっかりしていて、勉強も分かる授業」と言いました。思わず、息をのみました。誓って言いますが、我が家では殆ど仕事のことは話しません。従って、『学び合い』のことも話しません。そして、息子の前では、全く『学び合い』のことは話しません。というのは息子の学級は良い学級ですが、『学び合い』ではないからです。しかし、授業のことを聞いて、「勉強」の前に「クラス」のことを言いました。凄いと思います。

 きっと息子の担任は、授業を通してクラス作りをする人だと思いました。

szeidzsiszeidzsi2009/02/01 00:01インフォーマルな組織でい続けようとするのも結構大変というのが個人的経験からの感想です。(とくに、善意のある人とそれについてやりとりすると、自分が心の狭い悪人に思えてきたりもします。)

jun24kawajun24kawa2009/02/01 07:23そう思わせないようなネットワークでありたいと思います。

09/01/29(木)

[]鼎 22:07 鼎 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 鼎 - 西川純のメモ 鼎 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 晩酌をしているとき、息子が「おとうさん、教育って何?」と質問しました。ビックリしました。そこで、「じゃあ、●は何だとおもうの?」と聞きました。彼は「勉強すること」と応えました。そこで、「安心して学校で勉強できることも大事だよ」と言いました。そうしたら「おとうさん、分かっているんだね」と言われました。鼎の軽重を問われた思いです。

[]広がる 09:23 広がる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 広がる - 西川純のメモ 広がる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日はK閣下と話しました。それによれば、地元校長のバックアップとS大学のM先生の支援によって、飯田市を中心とした長野南部に『学び合い』が確実に広がっているそうです。既に、2校の中学校が『学び合い』を学校の取り組みとすることが決まっているそうで、今後も広がる方向だそうです。頼もしく感じます。

 群馬のY小学校の校長がおいでになり、地元学校での異学年を一緒に参観しました。当日は自由参観の日です。授業後、校長先生が急遽、参観した保護者を前に熱く説明しました。そして、急に私もその説明に参加することになりました。

 その後、Y小学校の校長先生と、良い悪巧みの相談をいっぱいしました。

09/01/28(水)

[]神と悪魔 16:45 神と悪魔 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 神と悪魔 - 西川純のメモ 神と悪魔 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ふと、神と悪魔はつるんでいるのではないか?と思い始めました。多くの宗教には、神に真反対の存在があり、歴史は両者の絶え間ない闘争のように語られます。でも、神は絶対的な存在で、我々を超越しているならば、我々がそれを理解するなんて不遜とも思えます。そうなれば、神としては分かりやすくするために、色々な立場の見方を経験させ、その葛藤の中で本当に伝えたいことを実現するのではないかな~っと思います。

 何でそう思ったのかというと、『学び合い』に関して私と違うことを言う人がいると、その人は私と仲が悪いのではないか?と考える方がおられます。でも、まずそんなことはありません。というのは、本当に仲が悪い場合、それを察せられるような行動をしないのが大人のルールです。もし、それを超えて本当に仲が悪く、そして、それが公的にあらわになる状態というのは、本当に闘争になります。そして、それがどちらかが潰れるまで続けます。

 大人の世界って、そうじゃありません?だから、私は意見の相違をあえてだすとしたら、そりゃ、その人を信頼しきっているからですよ。信頼しきっていなければ、意見の相違を議論することを避けます。

 本日、ある方から「先生と仲が悪いと思われたかも知れません」と言われたので、二人とも大笑いしました。達成したい目的が同じならば、「方法」に多様性がある方が良いに決まっています。

[]話しましょう 10:47 話しましょう - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 話しましょう - 西川純のメモ 話しましょう - 西川純のメモ のブックマークコメント

 週末から、かなり出張が立て込んでいます。メルマガでご案内しているように、お誘いします。

 まず、今週末は群馬の会が高崎があります。キーワードは保護者です。楽しみにしています。

 2月3日は、新山口で飲みます。西川という生物を見たい人は連絡ください。

 2月4日は、大分県別府南小学校で研究発表会があります。おそらく、西日本で最初に開催される、学校としての『学び合い』の会です。ご参集ください。この仕掛け人が、坂本龍馬のような超大物です。

 2月5日は佐賀にいます。飲みたい人、どうぞ。

 2月6日は高知にいます。飲みたい人、どうぞ。

 2月7日は高知大学附属小学校の理科部に呼ばれています。話す時間を頂きました。

 2月13日は大阪に泊まります。14日に博士課程の口述試験があるための前泊です。異学年の実践で本にも紹介したK閣下、また、『学び合い』で教科書づくりをされたKanさんが現在博士課程にいます。その3人で飲みます。両方とも中学校の先生ですが、Kanさんは某国立大の附属小学校に勤務された方です。わたしなんぞと話すよりためになると思いますよ。

 2月14日は兵庫の西脇にいます。

 2月15日は博士課程の試験で兵庫教育大学におり、終わり次第、東京に移動します。到着は深夜だと思います。

 2月16日は埼玉県本庄の学校に参ります。そのことは以下のメモに書きます。

 以上、色々とお誘いいたします。

[]超光栄なお申し出 10:47 超光栄なお申し出 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 超光栄なお申し出 - 西川純のメモ 超光栄なお申し出 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 2月16日は埼玉県本庄の学校に行きます。理由は、生涯で初めての光栄なお申し出によるものです。

 そこには、『学び合い』の同志がいます。クラス最低点が100点という驚異的な結果を連続して出した同志です。つまり、誰一人としてミスがないということです。クラス最低点90点というのは十分に可能ですが、最低点100点というのは驚異的です。ここまでいくと、燃えるクラブのノリがないと不可能です。

 その同志の子どもたちが、自分たちのやっている『学び合い』を最初に言い出した先生の顔を見たいと希望されたそうです。そこで、出張の関係で途中下車できる日時を指定して、その日なればと日時を設定し、ご了解いただきました。

 商品モニターでもっとも辛辣なことを言うのは子どもです。子どもは正直に言いますから。日本全国の人に、おおいに自慢します。日本中にあまたいる教育研究者の中で、「自分たちの今やっている学習の提唱者に会いたい」と言われる人が何人いるでしょう!研究者冥利に尽きます!

[]自戒 09:06 自戒 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自戒 - 西川純のメモ 自戒 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志のブログ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/makine45/20090126)に「『学び合い』の恐ろしいところは、教師の気のゆるみがすぐに子どもに表れるところです。」というのがありました。グサリと刺さります。

 偉そうに色々なことを書きますが、私も悩める教師の一人です。いっぱい、いっぱい、失敗します。失敗の原因は、「課題がまずかった」のレベルではなく、気のゆるみが一番です。そして、気のゆるみがおこって失敗した、その現場に、その同志もいたことがあります。

 『学び合い』が成立すると、本当になんにもしなくてもうまくいくようになります。それが1日、2日、いや1週間レベルでも問題はなくなるほどのクラスを創ることは可能です。そうなると、気がゆるみます。そうなると、どうしようもなくなるほどのレベルの問題が発生します。

 何度も書きましたが、『学び合い』が何故うまくいくかと言えば、『学び合い』を理解しリード出来る子どもはクラスには4、5人以上は必ずいるからです。その子が目配せをして動くから、どんなクラスでもうまくいくんです。そして、教師の「みんな」という課題設定によって4、5人が7、8人になり、クラス全員に広がります。でも、クラスの中には、教師がいくら言っても、ちょいとでも隙があれば遊び出す子がいます。そして、クラスの過半数は、教師が気を抜けば、その日のうちにだらける子です。だって、楽したいのは当然ですから。しかし、そういう子どもがいるのに、教師が1週間レベルで気を抜いても大丈夫なのは、先に述べた4、5人が踏ん張っているからです。でも、その子でさえも、教師が気を抜けばだんだんと気を抜き始めます。そうなると、クラス全体にその歪みがたまっていき、あるとき教師が気づき愕然とします。

 4、5人が気を抜くというのは本当は正確ではありません。気を抜くしかないのです。だって、同じ同級生に対して、『学び合い』で求めている負担を求めることがその子たちに可能なのは、教師がそれを求めているからです。これって、研究主任と校長の関係に似ていると思います。教師の意志が見えづらくなると、同じ同級生に言いづらくなります。そして、無意識に気を抜きます。

 『学び合い』で重大な問題が起こるとき、それは教師のゆるみが原因です。そして、それは、問題が起こる以前からずっと前からゆるんでいます。子どもを信頼するという美名のもと、放任になっているためです。放任と信頼の違いは、課題を求め評価するか、それが無いかです。もっと、もっとを求めないと言うことは、気がゆるんでいることであり、放任していることです。

 私のゼミで重大な問題が起こったことがあります。その際、あるゼミ生とのメールのやりとりです。(一部、ちょいと改変しています)

こんにちは 上越教育大学大学の●●です。●くんの●のことはショックでした。最近は自分のこと(論文)ばかりで●くんと話す機会もありませんでした。なので,●のことも彼らがやっているから任せておけばいいやという感じでした。●くんも悩んだ末に出した結論だと思うのですが,相談にのってやれなかったこと,いや,それ以前に相談しに来られなかった雰囲気(環境)を出していたと思うと,●くんにとても申し訳ないと思います。さらに,学び合える環境をつくっていただきながら,このような結果を出してしまい,先生に対しても申し訳ない気持ちです。本当にすみませんでした。集団が高まるようにしていかなければならないのに,自分のことしか考えていない行動をとってしまい,『学び合い』を伝えるどころか,自分自身もう一度考え直さなければならないと思いました。先生もお聞きになったと思いますが,●月●日(●)●:00からみんなで話し合います。そこでどのような話が出てくるかわかりませんが,なんとか前向きに考えていけるような話し合いにしたいと思います。

こんにちは西川です。いえいえ、全ては管理者たる私の責任です。でも、●さんには、その管理者の立場で他山の石としていただきたいと思います。一つ思うのは、私は高い目標を与えています。●さんに関しても、●県を変えろ、と本気で言っています。でも、私も●さんも、基本は自分なんです。その自分と高い志が一致するということが分からないといけないんだな~、と思いました。じゃあ、どうするか?それは私には分かりません。だから、皆さんにお願いする次第です。よろしくお願いします。

こんにちは 上越教育大学大学の●です。西川先生の目標の設定の仕方は間違っていないと思います。しかし,「その自分と高い志が一致するということが分からないといけないんだな~」の部分はちがうと思います。管理者は高い目標を掲げます。しかしその目標を全ての学習者が理解できるとは限りません。一方で,その目標を理解できる学習者がいることも確かです。つまり,学習者は多様なのです。例えば,1対1でつながるならば,「自分と高い志が一致する」ことがわからないといけないと思います。しかし,集団へつながるならば常に高い志が必要となります。そうでなければ集団のレベルが下がってしまいます。「自分と同じ高い志が一致する」ことをわかることが大切なのではなくて,自分と同じ高い志をもっているかどうかわかろうとすることが大切なのだと思います。そして,その集団には,自分と同じ高い志をもっているものがいると信じることが大切なのだと思います。これからどうしていくか,とにかくみんなで考えていきます。

こんにちは西川です。よく分かっていますよ。自分自身で背負えるほど、自分はスーパーマンではないことはよく分かっています。あははは。でも、その結論は、周りの人に厳しいことを求めているのです。『学び合い』の基本は、つねに一貫しています。本当に恐ろしいぐらい。つまり、私はその基本をゼミ生に伝えきれなかったことを悔やんでいます。そして、その他の同志にも、どれだけ伝えられたか・・・を恐れています。

追伸 この後にゼミ生集団の出した結論に、感謝と感激で大泣きしたことを覚えています。いまも、思い出してウルウルしています。上記のレベルのゼミ生がいて、そして、それでも気がゆるむ。そして、その原因は私なんです。

[]教科の力 09:06 教科の力 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教科の力 - 西川純のメモ 教科の力 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が若かったとき、ある学会に参加しました。そこでのシンポジウムで文部省の教科調査官が指導要領の改訂を説明していました。その後、質疑がありました。フロアーの一人の教師が、指導要領改訂によって自分が今までやっていたことができなくなった、と教科調査官を責めました。その調査官は、その人に、いったい誰の判断でそれをやるべきだと考えたのかを問いました。そして、その考えは子ども、保護者等の意見をくんでやったのかを聞きました。結局、その人が良いと思って、やっていることをあらわにしました。その後、指導要領の決める過程を説明しながら、ちゃんとした法的プロセスによって決まっていることを語り、一方、その人の言っていることは、その人の思いこみであることを明らかにしました。ドキドキしながら聞きましたが、教科調査官の発言の圧勝と私は判断しました。

 最近、ある人が『学び合い』の実践をつまらん実践だと評しました。つまり、我々の実践では「業者テストで80点以上をとりなさい」のような課題を与えます。その人は、「単なる点数を上げるための授業にすぎない。社会科の先生は、そんなことを願っているわけではない」とのことです。言わんとすることは分かるし、その人は個人的に大好きな人です。しかし、「あ~・・・、しょうがないな~・・」と思います。

 その人の言う「社会科の先生の願っていること」って何でしょう。これは社会科を国語にしたって、理科にしたって同じです。おそらく、多くの社会科の先生は、それがあると思いこんでいます。しかし、私は無いと思います。他教科はいざしらず、理科はないと思います。私は、理科教育関係で3つの学会・団体から5つの学会の賞を頂いています。そのうちの理科教育学会賞は、学会五十数年の歴史の中で8人しか頂いていない賞です。その私が断言します。例えば、「科学的概念の形成」という言葉があります。しかし、科学的概念がいかなるものであるかなんて、確定したものはありません。また、「自然を愛護する気持ち」というもがありますが、いかなるものによって評価するかなんて確定していません。十人の理科教師がいたら、十通り、いや百通り(つまり、一人の中でもぶれがある)の解釈があります。理科教師が「科学的概念の形成」や「自然を愛護する気持ち」を語っているときは、一人一人は別のことを言い合って、「大事だよね~」と合意しているにすぎません。他教科に関しては、理科教育に比べて強く言えるだけの業績はありませんが、自然科学を背景とする理科でもこの程度なのですから、他教科の場合の定義はさらに困難であることは容易に推論できます。だから、「社会科の先生の願っているのは違う」等の意見が出ると、「じゃあ、それは何かを明確に定義し、それらが何らかの合意を受けている根拠を出してください」と私は言いたくなります。断言します。そりゃ無理です。つまり、社会科の先生の願っていることではなく、「その人」(まあ、せいぜい一部の人)がかってに願っていることなんです。

 一方、『学び合い』では、民主的に定まった法律に基づいた指導要領、それに基づき検定を受けた教科書、それに準拠した業者テストの点数を上げよと言っているのです。何が問題でしょうか?もちろん、「その人」の願っていることが無価値とは言いません。直感的にもいいだろうな~っとは思います。しかし、その人のクラスで、その人のバカにしている業者テストの点数の最低点が80点以上常にクリアーしているのでしょうか?もし、そんな程度の下らん基準さえもクリアーしていないとしたら、それを下らんと言う資格はないと思います。我々は「その人」が思っていることを達成することを求められて給料を頂いているのではありません。だれも、それが妥当であると保証していないのですから。まずはともかく、その人が下らんと思っていることをクリアーすべきだと思います。

 次に、『学び合い』で学んでいる教科の内容は、本当は下らなくありません。だって、前の担任がこの子は知的に障害があると思いこんでいた子が80点以上を実現するのです。その子と他の子の会話がいかに凄いことを語っているかは当然です。どうして、『学び合い』の際の子ども会話に耳を傾けられないのだろう、と情けなくなります。その程度の耳や目しか持ち合わせず、「何が教科の力か!」と思います。

 まあ、悪気がないのは分かります。でも、自分たちの言う「本当の教科の力」というのが根拠不足であることを自覚して欲しいな~っと思います。

iku-nakaiku-naka2009/01/28 10:37「教科の力」のお話、非常~によく分かります。
社会科の力とは、指導要領の社会科の目標をそれぞれの先生が解釈しているものなので(それを「研究の一部」と言っている学校が多いです)、それぞれになっていると思います。まあ、解釈はいろいろでも、向かっている方向は同じような気がしますが。
では、社会科の目標の根っこは何か?。この部分が非常に曖昧です。「木を見て森を見ず」のような先生が非常に多いなあ~と感じています。社会科の授業の目的が先ではなく、学校教育の目的がが先なんだけどなあ・・・。

jun24kawajun24kawa2009/01/28 10:55私もそう思います。大抵の先生は教科の内容を出発点に考えます。でも、それでは説明できません。まずは学校とは何かがあって、それを実現するために教科学習がある、という至極当然ことしか出来ないと思います。

なっつなっつ2009/01/28 12:41「教科の力」の話、今リアルタイムで感じています。
「○○(教科名)の先生になりたい!!」「○○(教科名)の楽しさを、生徒に伝えたい!!」という動機で教員になった方は、特に、教科に対する思いが強いのかもしれないなぁ~と思っています。

私は、「教員になりたい!」が先にあって、その上で教科を選んでいるので、他の方に比べると教科に対する情熱が薄いみたいで…。

>まずは学校とは何かがあって、それを実現するために教科学習がある、という至極当然ことしか出来ないと思います。

を、上記の先生方にわかってもらうのって、なかなか難しいです。
逆に、教科に対する情熱が足りない!!って思われてしまったり。

jun24kawajun24kawa2009/01/28 16:30底辺校や問題児と向き合えば気づくと思うのですがね。だって、教材では彼らに語れないですから。

daitouirukadaitouiruka2009/01/30 05:41そうですよね。「生き方」レベルの話でないと届きませんよね。
例えば「グラフが読めることがいかに大切か」などを「全員に」納得してもらうには大変な労力がいりそうです。それでも無理のような気がします。出来るとしても全国で何人の方ができるのか。
「点数のことをもっとも大事なことと思っているから、目標80点を掲げている」という誤解もでてきますよね。
私は子どもたちの中にもそういう誤解が起きないように、そのことについては繰り返し語っています。
私は、『学び合い』を知ってから、「テストは、みんながよりよくつながり、協力できているかどうかを見やすくするリトマス試験紙」のようにとらえるようになりました。
そうとらえた方が、教科の目的よりさらに上の教育の目的「人格の完成」に近付けるように思えるからです。

F-KatagiriF-Katagiri2009/01/30 06:13それでも「その人」のような人を取り込めるようになったら『学び合い』は大爆発を起こし、世界中に広まると思います。
以前、われわれがテストの点数をあまり重要視せず、「記憶の定着率」を重要視した時、「それでもテストの点数が……」という批判がありました。でもそれに対してはちゃんと答えを出せたわけですので、「その人」のような人に対しても応えられるんじゃないかな?と思います。むしろ「テストの点数」よりも簡単のような気がします。国語では例えば「話し合い活動がしたい」と思っている国語教員の不安(話し合わなかったら……)には『学び合い』で簡単に応えられます。

jun24kawajun24kawa2009/01/30 06:32daitouirukaさん、Kさんへ
 そのあたりを周りに伝えてくださいね。私はラディカル担当ですので。健全に伝えるのは、その才能のある方にお任せしたいと思います。あはははは

09/01/27(火)

[]口述試験 17:21 口述試験 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 口述試験 - 西川純のメモ 口述試験 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日はゼミ生の口述試験がありました。修士論文の内容をコンパクトにまとめて発表し、審査委員から質問を受けます。実に良い内容でした。誇らしかった。

追伸 ちなみに教職大学院では、上記はないので、今回が最後です。

[]あわてて補足 12:38 あわてて補足 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - あわてて補足 - 西川純のメモ あわてて補足 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 下のメモの補足をします。

 よく「まず一斉指導が出来るようになってから『学び合い』をすべきだ」という話があります。一部は正しいのですが、そういっている人の理由付けが私とは違います。たいてい、そのようなことを言う方は、一斉指導の土台の上に『学び合い』が出来るのだと考えています。いかにも『学び合い』をテクニック的に捉えている考え方だと思います。

 では、若い先生が必要な最低限の能力って何でしょうか?逆に経験した人の持っている最低限の能力って何でしょうか?実は、たいそうな能力とは私は思っていません。ごくごく一般的な人として持つべき能力の範囲内だと思います。つまり、周りの人と喧嘩しない、周りの人に教えてもらうなど。また、子どもに対しても、部活で経験できるようなこと、いや、クラスで経験できるようなものが基本です。そりゃ、若い人が最初に教壇に立てば、とまどいもあれば失敗もあるでしょう。でも、それは一斉指導の場合だってあります。私の初年(それも1学期)なんて悲惨なものでした。まあ、一つ注意すべきは、自分は『学び合い』を理解しておらず、つまり実践もしていないのにもかかわらず、『学び合い』は正しいのだから私は正しいと意固地になるとしたら、こりゃ問題です。でも、それって『学び合い』の問題と言うより、その人の問題のように私は思います。そういう人だったら、一斉指導だって困難を感じます。

 では、何故、私は『学び合い』とともに一斉指導をすべきと考えているかと言えば、そりゃ、周りの人の多くが一斉指導をやっているからです。新規採用者は貯金0で授業をしなければなりません。当然、先輩教師の貯金を頂いて初年度を乗り越えなければなりません。ところが先輩教師が持っているのが一斉指導のドル紙幣であれば、『学び合い』の授業ではあまり使えません。ところが一斉指導をしているならば、先輩のドル紙幣を使えるのです。

 もう一つは、抵抗が少ないからです。周りと同じことをしているならば、説明もいりませんし、政治も必要ありません。失敗したって、「私もそういうことあったわ」と理解されやすい。でも、違うことすれば説明も必要ですし、政治も必要です。しかし、これは初年の人には分かりづらい。何年も生活しているうちに、先輩教師がどう振る舞うかで学ぶことが多いからです。おそらく、『学び合い』が広がってきたとしたら、「まず『学び合い』が出来るようになってから一斉指導をすべきだ」となるはずです。

 以上を分かっているにもかかわらず、私は若い人に『学び合い』を伝えたいと思います。それは、どのようにして採用後の3年間の乗り越えたかで、その人の教員人生の基本形が出来上がると考えているからです。若い人にしたたかに生き抜いて欲しい。

 おじさんは、君ら、君らの後輩の苦労が少なくなるよう頑張っています。


[]一斉指導的 09:08 一斉指導的 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一斉指導的 - 西川純のメモ 一斉指導的 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は多くの先生方にはラディカルな授業を提案しています。一方、一斉指導的『学び合い』もあることは昨日のメモにも書きました。そして、そこでも書いたように、基本の考え方が分かっていれば、両者の違いは本質的ではありません。でも、多くの先生方にはラディカルと思われる授業を提案しています。いろいろ理由があります。その最大の理由は、ラディカルな授業の方が簡単だからです。

 え!?とお思いの方も多いですよね。最初の言い訳をしますが、考え方を変えるのは難しいと思います。しかし、それを乗り越えたならば、ラディカルな『学び合い』の方が簡単なんです。理由はあります。一斉指導は教師一人で引っ張らなくてはなりません。一定以上の話術や、授業研究が必要です。私は仕事柄多くの先生方の授業を見ますが、クラスの6割以上(9割といっているのではありませんよ)の子どもを引っ張るだけの話術や、多くの子どもに新たな見方を与えることの出来るレベルの教材の力のある先生は、日本の教師の中でそれほど多くはないと思います。これは、日本の教師の力をバカにしている分けではありません。無理だと思います。だって、6割の人を引っ張り、多く人に新たな見方を与える、これって、一流のダレントに求められる能力です。考えてください。日本人の6割以上に積極的に支持されているタレントって日本中に何人いると思いますか?そして、そのうち、来年までその命脈を繋いでいるタレントが何人いると思いますか。そのようなタレントの人を思い起こしてください。100%の人は、自分の話術で生きていないはずです。若いときはいざ知らず、今は、人の力で生きているはずです。その人たちは、年間に億単位の収入を得ています。日本にいる100万人以上の教師が、そのレベルの能力があるでしょうか?あるわけありません。それが普通です。でも、本当に一斉指導で授業を成り立たせるためには、それに準じた力量が必要となるんです。

 一斉指導では自分の授業のアラが見えづらい。特に、反抗できないような関係を築けば全く分からないようにすることが出来ます。しかし、本当は、一斉指導は非常に難しいものなんです。だから、生き続けるタレントは、人の力を使う側にシフトします。もちろん、日本には優れた教師は少なくない。そして、現在、『学び合い』を実践している人の多くは志も高く、力量もある人です。でも、その人が出来るからと言って、他の人も出来るかと言えば、否です。

 もちろん、考え方を変えるのは大変です。しかし、これの方は集団が出来ればごく簡単に実現することが出来ます。だって、日本人の多くは犬の肉を食べません。食べることを考えると嫌悪を感じるはずです。でも、中国では立派な食材なんです。犬の肉に対する嗜好を定めるに、それほど苦労はありません。犬の肉を食べない、嫌悪を感じる集団の中にいれば良いだけのことです。しかし、6割以上の子どもを引っ張るだけの話術や、多くの子どもに新たな見方を与えることの出来る人たちの中にいれば、自ずとその能力を得られるかと言えば、まあ、無理です。だって、それが成り立つのならば、芸能界という社会があるのですから、その才能を持つ人があふれるほどいるはずです。でも、そうではありません。我々は人の才能を自らに取り込むことは必ずしも出来ません。出来るのは、人の才能を利用できることが出来るのです。

 6割以上の子どもを引っ張るだけの話術や、多くの子どもに新たな見方を与えることの出来る優れた教師にとっては、一斉指導的『学び合い』の方が楽です。そうすると、他の人も楽だと考えがちです。しかし、優れた教師が一斉指導的『学び合い』で達するレベルに多くの教師が行くのはまあ無理です。もちろん、それを方便として利用することのメリットは理解できます。でも、へたくそな一斉指導と併用した『学び合い』もどきになるデメリットも非常に多いと思います。それでいいとなれば、そりゃ一斉指導的『学び合い』の方が圧倒的に簡単です。

 良い一斉指導をなりたたせるのは、本当はとてつもなく大変なんです!

ながたくながたく2009/01/28 01:52かつて、教育実践の賞を頂いた論文を読んでいました。
学び合うということは、会う、合う、そして愛だということを書いていました。その頃はまだ僕は初任で学び合いを知りませんでしたので、今読んで少し驚きました。

愛ですよね。愛・・・。

jun24kawajun24kawa2009/01/28 06:34愛は幸せのキーです。
その愛を広げることによって、多くの人から愛をいただけます。それが『学び合い』ともいえるでしょね。

09/01/26(月)

[]アンケート 21:45 アンケート - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - アンケート - 西川純のメモ アンケート - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』を経験すると何を学びますか?と良く聞かれます。しかし、私は「ありません」と言います。理由は二つです。

 第一は、それを聞く人の多くは学び合う能力は教えなければならないという考え方だからです。多くの教師は、そう思っています。だから、色々な指導をしなければならないと考えています。しかし、『学び合い』では学び合う能力は生得的だと考えています。すくなくともゴチャゴチャ教える必要はないと考えています。そのことを伝えるために「ありません」と言います。

 第二は、「あります」と言うと、「本当ですか?」とか、「それがなければ・・」という否定的な話に流れる危険性があります。だから、「そんなことがなくても良いじゃないですか、一生に1年間だけでも安心できる時間を経験できるだけでも意味があるでしょ」と言います。

 しかし、本当はあります。第一は、異質な人と関われると思えるようになれることです。そして、第二はその価値を理解している子ども集団を一人一人の子どもに与えることができます。

 本日、あるアンケート結果を得ました。昨年の5月から『学び合い』にトライし、1年間かけてクラスを創り上げた先生がいらっしゃいます。そのクラスの子どもが、卒業式に小学校の思い出を自由に語る場面がありました。そのクラスの大多数は『学び合い』を経験したことを述べました。これには、その先生も校長先生もビックリです。その先生は笑いながら、「あんなに苦労したんだから修学旅行のことでも言ってくれたら良かったのに~」とおっしゃっていました。でも、イベントを小学校の最高の思い出ではなく、毎日の普通の授業が小学校の最高の思い出である方が素晴らしいのは当然ですよね。そのクラスの子どもは中学校に進学しました。そのクラスの子どもの多くが進学した中学校があります。そこに進学した子ども達にアンケートをしました。卒業して、中学校での十ヶ月の経験をもとに小学校での『学び合い』を語ってもらいました。

 HPの「『学び合い』を学ぶコーナー」の「『学び合い』の玉手箱」にアップしました。是非お読み下さい。そして、小学校の同志は子ども達に読ませてください。もちろん、小学校の低学年もです。そして、煽ってください、尻をたたいてください。子ども達は、もっと凄いことをやらかしてくれます。

 ワクワクするでしょ!

[]面白い学校 21:45 面白い学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 面白い学校 - 西川純のメモ 面白い学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上越に『学び合い』を学校の取り組みとしている学校があります。これが非常に面白い学校です。ごく普通の教科授業を異学年で取り組んでいます。この居るだけの異学年の可能性は無限大です。今、日本全国の学校で抱えている問題を劇的に解決する起爆剤だと信じています。でも、普通に教科学習を異学年学習でやるって信じられます?でも、今、それをごく普通の営みとして、学校で実践している学校があります。

 これだけラディカルな学校なのですから、「『学び合い』は絶対賛成!」、「西川先生様~!」というかといえば、そうでないんです。『学び合い』は良いと思っているけど、だからといって全部・絶対とは思っていません。私は「良いことも言うけど、変なことも言うな~」と思っているようです。というのは、私が先生方の集まりでしゃべるときの先生方の表情で分かります。

 でも、凄いのは、職員集団全員が『学び合い』の良さを感じている点です。そりゃ、先生方の会話で分かります。『学び合い』をやめようというための発言は皆無です。止めようと思う人の発言は、大抵、あらを探したいという気持ちがありありです。同時に、『学び合い』に対して分からないところがある、ということも全員です。なんか非常に健全な教員集団だなと感じます。

 今は、『学び合い』の良さを分かり、そのことを一生懸命に学ぼうとしている少数の「変わり者」(あはははは)が中心になって進めています。でも、その同志が頑張れば、認知度が広がり、もう少し普通に広がるのではないかと思います。その時の学校の状態は、この学校の状態なんだろうな~っと感じます。この学校の先生方の来年の姿が、とても、とても楽しみです。きっと凄いことをやります。ご本人達はまだご理解していないですけど、凄いことを、今、普通にこなしているのですから。

[]寛容 09:58 寛容 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 寛容 - 西川純のメモ 寛容 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私のゼミに一人の学卒院生がいます。来年度からS県の小学校の先生になります。といえば、身内はだれかが分かりますが。あはははは。

 彼は「一人の子どもを捨てたくない」という高い志を持って我がゼミに入ってきました。研究では、2年間、ずっと『学び合い』を実践している地元の先生のクラスを観察しました。『学び合い』に関する彼の研究は素晴らしいものです。彼は学内の教育サークルに所属しています。私の方は気づきました。しかし、何も言いません。そのうちに、ゼミ生「たち」が彼がそのサークルに所属していることを白状しました(あははは)。私が、何でそれを隠したのと聞きましたが、どうやら、そのサークルが『学び合い』と対極にいると考えているため隠したようです。私は笑って説明しました。私自身はそのサークルを高く評価していることを述べました。そのサークルがなければ潰れた教師は多いことを説明しました。同時に、いくつかの限界があることも説明しました。でも、そりゃ人間が集まった集団なのですから、限界があり、失敗あるのは当然です。『学び合い』だってそうです。その後は隠すことなく、そしてずっとサークルに所属し、勉強しています。

 彼の教育実習を見ました。もちろん一斉指導のスタイルです。実に見事な授業です。サークルで学んだことが生かされています。おそらくテクニックを伝えるのではなく、何故そうなのかをちゃんと語り合ったためだと思います。同時に子どもへの語りと、視線の動きは『学び合い』の考え方がちゃんと理解していることが分かります。

 『学び合い』を実践している先生の一斉指導を見たことがいっぱいあります。大抵は、その先生は「いや、『学び合い』ではないんです・・」と一生懸命に私に弁明します。しかし、私はニコニコしてしまいます。というのは、『学び合い』になっているからです。だって、学校教育は何のためにあるかを知っているのです。だから、課題が専門家のコリコリ課題になっているのではなく、非常にシンプルになっています。そして、子どもは他の子どもがいかに有効かを知っています。だから、教師が一斉指導しようとしても、隙をねらって『学び合い』をし始めます。教師の方も、子どもが有能であり、まかせれば大丈夫だと知っているので、いつまでも縛り付けるようなことをしません。私は、何故、それを『学び合い』でないと思っているのか不思議です。おそらく、最後にまとめがあったり、5分以上しゃべると『学び合い』ではないと考えているのでしょう。ほほえましいと思います。まあ、そのうちに考えのレベルで理解していただけると思っています。

 いくら議論しても解ってもらえない人はいます。でも、話している中で、「この先生は良い先生だろうな~」と感じる方はいっぱいいます。そういう人を私は大好きです。好きな方に嫌われたくないので、議論を止めます。そして、心の中で「いつか解ってくれるさ」と思います。

 『学び合い』は基本的に人間の英知を信じています(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080914/1221399721)。それは子どもに対しても、大人、教師に対しても信じています。そして、多様性の価値を信じています。だから、「これしか認めない」ということはあり得ないと思います。でも、議論は大事です。その際には、検証可能な事実とシンプルな体系をもとに議論することは有益です(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080529/1212074150)。

 私の場合は、学校教育の目的をはっきり持たない人や、子どもの能力を低く見る人と話すとムカムカします。が、だからといってわざわざ否定するほどの暇人ではありません。あはははは。ただし、相手方がわざわざ否定したり、妨害をかけてくると一気に戦闘モードに入ります。基本的に研究者は短気で攻撃的です(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20010228/1173103810)。こればかりは年をとっても変わりありません。

追伸 あべたかさんのメモに刺激され、自戒のためメモります。

abematuabematu2009/01/28 04:28わたしのメモに刺激されたとのこと。
恐縮です。

jun24kawajun24kawa2009/01/28 06:36年を取るに従って、愚かになる人もいます。賢明で寛容な人になる人もいます。後者になりたいな~。そのためには人の言葉を聞ける人にならねば。多謝!

janglejapjanglejap2009/01/29 20:58「『学び合い』の玉手箱」アンケート拝見してきました!感動です。私の教え子たちもこんなふうに思ってくれていたらいいな~っと思いました。

jun24kawajun24kawa2009/01/29 22:04きっと、そうなっていますよ!

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/01/30 23:57ご無沙汰しています

遅くなりましたが、アンケート読みました

卒業間近の6年生には、特に良い刺激になりそうなアンケートです

私の口でも伝えようと思いますが、実際に子どもたちが書いた文章を見せるのは、とても効果がありそうです

もともと、私の学校の6年生は、男女の仲が良いのですが、これを見せたら、更に良くなってくてると思います

ありがとうございました

jun24kawajun24kawa2009/01/31 06:21活用してください。
そして、刺激を受けたその子たちのアンケートを活用しましょう。老舗のウナギのタレみたいなものです。つまり、継ぎ足し、継ぎ足し、です。

09/01/25(日)

[]行ってないところ 22:31 行ってないところ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 行ってないところ - 西川純のメモ 行ってないところ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、風呂で息子に聞かれたことに関連して、メモります。

 今まで、『学び合い』に限らず、講演・集中講義によばれたことのないところは、「山梨・岐阜・滋賀・三重・和歌山・奈良・岡山・広島・山口・徳島・愛媛・福岡・熊本・長崎・沖縄」の15、足を踏み入れていないところ(電車の通過を除く)は、「三重、和歌山、沖縄」の3。案外、色々なところに行ったと思います。

追伸 私は色々な学会に所属しています。そして、学会の大会に参加しています。学会の大会は47都道府県の大学が持ち回りです。私は、日本理科教育学会、日本科学教育学会、日本教科教育学会の大会事務局を行い、日本生物教育学会、日本地学教育学会の補助をやったことがあります。ということで、私は全ての学会の全ての大会に行ったわけではないことを考慮しても、学者生活を23年間もたつのですから、行ったことがないということは統計的には異常なのですが。どうやったら、大会開催から逃げられるのだろう。

[]小中一貫 07:32 小中一貫 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 小中一貫 - 西川純のメモ 小中一貫 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 お役所というのは、まず、金のことを考えます。他人様の金を預かっているのですから当然です。例えば、指導要領に「実験を通して」と書いたら、それが実現できるだけの予算処置をしなければなりません。だから、簡単には書けません。

 現在、中一ギャップ克服のために小中一貫学校が色々なところに作られています。でも、小中一貫で学習者集団を同じにするためには、小中の数が等しくならなくてはなりません。そうなると、小中一貫の学校と小学校だけの学校に分かれていくでしょう。そうなれば、小学校だけの学校は衰退していきますよね。それに、管理職の数が少なくなる。

 あれ、予算的には縮小するんだ・・・

ながたくながたく2009/01/26 18:48岐阜はないのですね。不思議です。
K先生がいるのに。
それともK先生がいるから来られないのかもしれませんね。

jun24kawajun24kawa2009/01/26 21:46あはははは
今、急激に広がっているんです。
期待していますよ。

09/01/24(土)

[]鬱予防 21:57 鬱予防 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 鬱予防 - 西川純のメモ 鬱予防 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ある方からブログを書くことは鬱の治療になることを教えてもらいました。なるほどと思います。自分の考えを表現し、それに対して返答を受ける。そりゃ、役に立ちますね。

[]リスク 06:43 リスク - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - リスク - 西川純のメモ リスク - 西川純のメモ のブックマークコメント

 色々な人から、「これこれは『学び合い』で大丈夫ですか?」と聞かれます。気持ちは分かります。今までと劇的に違いますから。しかし、私の対応の基本はほぼ同じです。「じゃあ、今までのままで大丈夫なんですか?」と聞きます。『学び合い』をやれば危険性がないかと言えば、そりゃ、あります。あるに決まっています。しかし、一斉指導に比べれば危険性は低いに決まっています。だって、クラスには三十人の子どもがいて、それぞれ対応を受ける必要性があり、一人の教師はそれに対応できないのは単純計算で分かります。だから、「あなた一人でできるんですか?」、「あなた一人で対応するために、三十人の子どもが対応する時間を奪って、それでいいんですか?」と聞きます。

 常に論破できます。ただし、納得させているか?といえば、大いに疑問です。納得は、理屈ではなく、人との関係で成り立つものですから。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/01/24 07:11ご無沙汰しています

1人でリスクをしょい込むのが教師の仕事と思っている方が多いように感じます

でも、私は学校で働きはじめて、ベテランの方が自分の家庭を犠牲にしている様子を見ていて、同じような道は歩みたくないなと『学び合い』を学びはじめました

その一方で初任のうちは、そういったベテランの先生に『学び合い』の良さを語ってまわるのはしない事にしました

(ベテランの先生方には、最初に講義がないスタイルは、耐えられない?ようなので、最初は講義の時間を作るようにしました。

彼らに、大学での研究で成果が出ていると話したり、仮に私が『学び合い』で成果を上げたとしても、ある意味、逆効果で、彼らはかえって意固地になって『学び合い』のあら探しを始めるように思います ← 一斉授業の方が、もっとあらが多いにも関わらず。。。。)

なので、少し考え方を変えました
 
最近は職員室内の雑用を積極的に引き受けるようにしています

そうやって私が真剣な事を周りに示せば、私がやっている実践に、そのうち周りの先生も興味を持つかな?と思っています

(そのうち『学び合い』の良さを解ってくれる先生も現れると思うので、そういった先生から徐々に、『学び合い』の良さを広めていきたいなと思っています)

初任者という立場もありますが、職員室においては、『学び合い』を勧めるよりは、職場内の雰囲気の向上に努めた方が『学び合い』っぽいのかな?と思っています

自分がその学校で古株になったり、後輩が出来た時は『学び合い』の考え方を後進に伝えたいと思います

一方で、校外では『学び合い』のセミナーの運営をすることで、『学び合い』を広めていきたいと思っています

まあ、いままでのスタイルでの指導法を勉強しつつ、『学び合い』も学ぶのは、大変ですが、忙しいなりに楽しく過ごしています

甲斐の国から甲斐の国から2009/01/24 13:09ご無沙汰しています。
そうなんですよ!最後は、人と人との関係なんです。私たちが育てようとしているのは、その関係を築くことができる人なんですよね!来年はがんばらなくてはいけないようです。

jun24kawajun24kawa2009/01/24 19:34お二人の活動が少しでも楽になるように、みんなで周りを固めます。そして、お二人の活動がみんなを固めてくれます。したたかにね。

甲斐の国から甲斐の国から2009/01/26 11:23ありがとうございます。がんばらなくてもいいといっていられない状況です。でも、先生のメモ「寛容」などを読んでいると自分の未熟さを感じます。強く同意しながら読んだのは、子どもの能力を過小評価することについてです。そして、自分の能力を過大評価なさるかたも同様です。
それから、山梨で講演をされたことがないとのことでしたが、私がいるうちにお願いするかもしれませんよぉ。上越からだと車で3時間~3時間半かかります。電車だと1日仕事です。上杉謙信の居城からのお越しになりますね!私が上越にいたといったら、年配の方に上杉のものか!といわれて笑ってしまいました。先生も忙しくなりすぎて、講演申込みの規定を読むとなかなか難しそうですが・・・
こちらの活動をブログでアップしていきますので、見守ってください!よろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2009/01/26 11:27あはははは
気づいている限り、暴走はしません。
大丈夫。
期待しています。

09/01/23(金)

[]正しいとは 12:37 正しいとは - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 正しいとは - 西川純のメモ 正しいとは - 西川純のメモ のブックマークコメント

 あることが正しいとか、確からしいとはどういう事でしょうか?既に見ていただいたように、それは実験・観察で直ちに検証することは出来ないのです。しかし、多くの理科人は、実験・観察で検証できると考えています。なぜなら、そう教えられからです。我々は科学というもの実験・観察に基づいて形成されていると教えられてきました。それは一面で正しく、一面で誤りです。誤っている点は、第一に理論の重要性を強調されていないことです。第二は、絶対に正しいことだと教えられている点です。それぞれを説明したいと思います。

 漫画的に科学の発見の姿を記述すると以下のようになります。自然現象に対して純粋な興味を持っている科学者が、何の偏見も持たずに、こつこつとデータを集め、それを分析します。そして、それを何年も積み上げていくうちに、「あ!!!そうか」と気づきます。有名なのはアルキメデスが浮力の法則を入浴中に発見したとき、素っ裸で「ユーレカ!(解ったぞ!)」と叫びながら町を走ったというのが典型です。

 しかし、偉人伝的には面白いですが、殆どの場合そのようなことはありません。本人がどれほど自覚しているか否かは別にして、「絶対にこうなるべきだ」という前提、つまり、偏見があります。これは当然です。考えてみてください。ある化学物質を合成する化学者が全く偏見を持たずに、実験室にある全ての薬品を手当たり次第に混ぜるということがあるでしょうか?あり得ません。「これこれになるはずだ」という仮説があり、それに基づいて実験計画を立てるはずです。仮説と偏見は紙一重です。その仮説が後の科学で正しいと認められたときには「仮説」と言われますが、後の科学で正しくないと否定された場合、それは「偏見」と言われるだけのことです。例えばです。ケプラーはティコ・ブラーエのデータを私心無く分析した結果をケプラーの法則を発見した、というのが漫画的な記載の仕方です。しかし、事実は違います。ティコ・ブラーエのデータと、ケプラーのデータは現在もちゃんと保存されているので両者を比べると、違いがあることが解ります。ケプラーは法則に合わないティコ・ブラーエのデータは「誤差」だと無視しているのです。ヨーロッパにはピタゴラス学派という科学者の宗教的秘密結社がありました。そこでは、円というのは「神の創りたもうた完全な形である」という教義があります。ピタゴラス学派の影響を受けたケプラーは、天体の動きは円以外にないと信じ切っており、それを証明したいと願っていました。そのために、ティコ・ブラーエのデータを選択的に無視したのです。さて、このケプラーの行為は偏見といえないでしょうか?

 観察の理論負荷性という考えがあります 。つまり、理論が先行しない観察はないという考え方です。別な言い方で、観察によって理論を崩すのは非常に難しいのです。これは大科学者であっても、小学校4年生であってもです。ところが、観察の理論負荷性を理解していない人は、実験・観察をすれば変わるはずだと思ってしまいます。

 実験・観察で理論の正しさが検証できないとしたら、何によって自然科学において正しい、正しくないかを検証しているのでしょうか?これを理解するには、自然科学における正しさと数学の正しさの違いを理解しなければなりません。数学の正しいは本当に正しい のですが、自然科学の正しさというのは「もっともらしい(かっこよく言えば蓋然性が高い)」ことを意味します。

 漫画的には、ある事実が明らかになったことによって、相矛盾する理論のどちらが正しいかが明らかになります。しかし、物事はそう単純ではありません。本当は、どんな事実も屁理屈・小理屈 をつければ、つじつまがあります 。それがために、天動説もフロギストン(燃素)説も、長い間命脈を保っていたのです。しかし、全く違ったアプローチからの様々な実験結果をつきあわせてみると、天動説やプロギストン説の説明は辛くなります。不可能ではないのですが、ものすごく無理をした説明になってしまうのです。例えば、「これこれの場合はこうで、これこれの場合はこうで」のように条件によって分けることをします。それが積み重なって、ものすごく複雑な説明をしなければならなくなってしまいます。そのうちに、「そんな複雑なの・・・」と感じる人が多くなり、そのことを信じる人が少なくなります。これが自然科学の検証の実際の姿です。その中には、主張する人の社会的ステータスという、科学とは直接関係のない人間的な要素が多く関わるという泥臭さがあります。つまり、非常にゴチャゴチャしながら決めます。そして、最後まで絶対というわけではないのです。例えば、天動説もフロギストン説も今度、復活する可能性は0ではありません。

 ところが、このことを専門外の人に説明するのは非常に難儀です。例えば、「こうなって、でも、こういうものがあって、でも、それに対して・・・・、でも、本当のところははっきりしないんだ」と説明したら聞く人が疲れます。そして、「何が何だか解らない」と思うでしょう。それ故、「こうなって、だから、こうなんだ」という単純な説明を後の人には説明するのです。しかし、それは方便であり、直裁に言えば、嘘なんです。ところが方便で教育されているため、最先端の科学研究をしていない科学者、つまり、誰かの枠組みの中で仕事をしている科学者ですら、あたかも予定調和的な科学発見を信じることになります。そして、教師も同じです。

 つまり、教科書で描いているような、一つの実験・観察からある理論が検証されるというののは、非科学的とも言えます。では、どうやって子どもたちの誤解を解消し、納得させればいいでしょうか?

[]納得する 12:37 納得する - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 納得する - 西川純のメモ 納得する - 西川純のメモ のブックマークコメント

 科学概念が変容するにはどのような条件が必要かを示すモデルにポズナーのモデルがあります 。それによれば概念変容するためには、以下の4つ条件が成り立つことが必要です。

・先行概念への不満が生じなければならない。

・理解可能な新しい考えが、利用可能なものでなければならない。

・新しい考え方は、もっともらしくなければならない。

・新しい考え方は、先行概念より生産的でなくてはならない。

 つまり、正しいから正しいんだというような単純なものではなく、その人がどのように評価するかが大事であるかを示しています。ただし、ここで問題なのは「不満」、「利用可能」、「もっともらしい」、「生産的」というのは一律に決まらないことです。例えば、年収1千万円の生活を貧しいと不満を持つ人もいれば、リッチだと思う人もいます。年収200万円の生活を貧しいと不満を持つ人もいれば、リッチだと思う人もいます。そして、どちらが誤りで、どちらが正しいわけではありません。このようなことを説得し、納得させるためには何が必要でしょうか?

 私の研究室で環境教育の調査を行いました 。方法を簡略して説明すると、中学生に「分別ゴミをすべきか?」と調査します。しばらくして「分別ゴミをしているか?」します。そして、実際に分別ゴミをしているためには何が必要かを調べました。その結果、「すべきかすべきでないか」の判断は、それに関する知識が関係するが、実際に行動するかには知識は影響しないという結果が出ました。そこで、実際に分別ゴミをしている人にインタビュー調査を行いました 。その結果、分別ゴミをしている人は、周りの人がやっているからやり始めたと答える人が多いのです。インタビュー調査と同時に、学生さんにアンケート調査を行いました。内容は、「あなたは分別ゴミをしているか?」と、「分別ゴミをしている学生は何パーセントぐらいか?」ということを聞きました。その結果、分別ゴミをしている学生さんは、多くの学生さんは分別ゴミをしていると答えていました。一方、分別ゴミをしていない学生さんは、多くの学生さんは分別ゴミをしていないと答えました。いずれにせよ、自分はマジョリティの一人であると認識しているのです。つまり、他者と同じ行動をするというのがきっかけであることを示しています。さて、先のインタビューでは、「なぜ、分別ゴミを今もやり続けているのか?」と聞きました。そうすると、多くの人が「熱く」環境問題を語り出したのです。この過程は、私にはわかりやすいものです。

私は27才まで東京の文化圏で生活していました。東京では、横断歩道の歩行者用信号が「赤」であっても、左右に車が来ていなければ横断して良いという文化です 。ところが27歳の時、縁あって新潟県上越市に移り住むことになりました。休日、町を歩くとビックリしました。望遠鏡で見ても車が来ないのにもかかわらず、歩行者はみんな待っているのです。私は心の中で「馬鹿馬鹿しい、時間の無駄じゃん。だから田舎は嫌なんだよな~」と罵りました。が、みんなが待っている中で渡ることは出来ず、じっとまっているしかありません。時間がたつと、横断歩道で待つことが苦にならなくなっています。さらに時間がたつと、たまに待てない高校生を見ると、「人の道に外れる奴」と怒りがわくようになります。

母親の近くで遊びに夢中になっている1歳児を、大きな音を立てるなど新奇な状態にさらすどうなると思いますか?ビックリして泣くと思うのではないでしょうか?しかし、実際は違います。ビックリした子どもは、まず母親の顔を見ます。そして、母親の顔が安心していると遊びに戻る。しかし、母親の顔の中に恐怖・動揺が見られると、遊びを中止し母親の元に近づき”だっこ”を求めるのです 。つまり、大人のやっていることは、母親の代わりに周りの人を判断基準にしているだけで、基本的には同じです。我々は理屈で納得するわけではありません。良い悪いを、六法全書を紐解いて決めるわけではありません。我々は周りの人の様子を見て、それをまねをします。そして、そのうちにそれが内在化するのです。これは子どもも大人も同じです。

上記は、一見、非合理なもののように思えるかも知れませんが、私にはホモサピエンスの英知が潜んでいると思います。多くの生物は極めて狭い環境の中でしか活きられません。例えば、蝶の幼虫の中には、たった1種類の植物の葉しか食べられない種類は少なくありません。しかし、その環境に適応すれば生きていけます。そうであるならば、その情報をDNAの中に取り込めば安定して次世代に伝えることが出来ます。ところがホモサピエンスはありとあらゆる環境に適応しています。それぞれの環境の中に活きられる情報をDNAの取り込もうとすればパンクしますし、矛盾が生じるでしょう。さらに言えば、ホモサピエンスは生まれた後の環境の変化にも対応しています。これはDNAには取り込めません。この問題を乗り越えるためにホモサピエンスは、「その環境で生き残っている同種の行動によって判断し、学べ」という極めてシンプルな情報を次世代に残したのだと思います。実に、素晴らしい情報です。

ホモサピエンスが以上のような生物であると考えるならば、教育も変わるべきです。理科が普通にやっているように、理屈でグイグイとねじ伏せる方法では限界があります。「まあ、そうなんだろうな~」とは思う段階までは進むかも知れませんが、実際に納得し行動するレベルには行かないと思います。それを乗り越えて、納得し行動するレベルに進むには、「みんながそうやっている」という認識を与え、そのように思っている集団の中で生活させる必要があると思います。例えば、川の水質汚染をこれこれの方法で正確に測定できるという学習では不十分で、むしろ、みんなが水質汚染を測定することが大事だと思っていると「思わせる」ことが大事です。

このようなことを大学の授業で話したとき、現職派遣の先生から「先生のお話は分かりますが、理科で教えるとしたら理科の特徴である科学的知識を大事にしなければならないのでは?」と質問されました。理科教師としては、しごく当然のご質問だと思います。それに対して私は以下のように応えました。

 『まず、理科があるのではなく、学校教育があり、その下に理科があるとおもいます。それでは学校教育において大事なのは、常識・規範を与えることと科学的知識を与えることのどちらでしょうか?原子炉の事故隠しをやった人は理学博士の学位を持っている人も少なくなかったと思います。常識が無くて、科学的知識がある人と、科学的知識がなくて、常識がある人、どちらを育てたいですか?』

 そして、続けて以下のように語りました。

 『科学的知識をいくら与えても環境を大事にする学習者集団は育てられませんが、環境を大事にする学習者集団が育てられれば、それに必要な科学的知識を彼らは学びますよ。』

 ポイントは人なのです。

もし、振り子の周期がおもりの重さによって周期が変わると思っている子がいたとします。おそらく、本当のところは納得しているか納得していないかは別として、振り子の周期がおもりの重さによって周期が変わらないという立場の子どもはかなりいます 。そして、その子たちが、理科の得意な子であるということはみんな知っています。その子たちに、「おもりの重さによって周期が変わらないことを、みんなが納得できる説明を考えよう」という課題を与え、関わる機会を与えれば解決します。少なくとも、実験で納得させるよりは良い結果は得られるはずです。

tontan2tontan22009/01/23 15:39くわしいご説明ありがとうございました。
現在、磁石の学習でN極、S極どちらの力が強いのかが分かったという子どもたちがおり(ちなみに上位の連中です)、かれらはS極が強いという理論をうち立て、実験を重ね、実証したとのことでしたので、どうするかなーと考えていたところです。
「同じじゃない?」という子どもたちとも議論していたようなので
さらに多くのの子どもとどうかみ合わせてみるか、考えてみます。
実験に関しては、漠然と感じていた問題点が論理的に説明されて非常にスッキリしました。ありがとうございました。
なお、横断歩道に関しては、私も東京都に住んでいたのですが、全く逆に感じてました。(東京の人はなんで横断歩道を守るんだろ打て) まあ、これも人の「見方」ですね。

jun24kawajun24kawa2009/01/23 17:17まあ、実験をする、しないのどちらかが固定的に良いと考えたら駄目なんですよね。結局、子どもが決めるでしょ、と方法のレベルは子どもに任すのが『学び合い』ですから。
あと、東京でも横断歩道を守る地域があるんですね。あはははは、これまた、発見です。感謝

09/01/22(木)

[]実験教 09:36 実験教 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 実験教 - 西川純のメモ 実験教 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が最初に書いた単著は「何故、理科は難しいと言われるのか?」です。しかし、残念ながら今は絶版です。今、何種類かの本の原稿を書きためています。その中に、理科の本を改めて書こうと思っています。その原稿のゲラの一部をブログにアップしようと思います。是非お読みいただき、「ここが分からないぞ~」とか、「そういえば、こんなことがあった」ということを教えてください。よろしくお願いします。さて、最初は「実験教」です。

 理科人は実験が大好きです。それが証拠に、理科の研究授業の9割以上は実験場面を設定します。後ろに居並ぶ先生方を前に、練りに練った導入の話、ひねりにひねった実験を行い、思った通りの子どもの実験結果を、魔法のようにまとめ上げる、というのが理科人のねらいだと思います。そして、そのような実験を行うと、子どもは自然に興味を持ち、分かると考えています。それ故、理科人は実験を多くすべきだと考えています。私は上記を、理科人特有の「実験教」という宗教だと思います。

 さて、理科嫌いの子どもたちは実験をどう思っているでしょうか?例えば、振り子の周期を考えてみましょう。

 振り子の周期は紐の長さには影響されます。紐が長くなれば、ゆっくりとふれ、短くなれば速くふれます。ところが、おもりの重さには影響されません 。従って、おもりが1トンでも100gでも変わりません。しかし、そんなことを信じられない子どもがいるのは当然です。理科人の教師だって、直感的には「え!?・・・」と思うのが当然ではないでしょうか?そこで実験です。方法はおもりの数を1個、2個、3個と増やし、それを10回振らせます。それをストップウオッチで測定させます。そして、その時間が変化しないことを確認するのです。でも、理科嫌いの子どもはどう思うでしょうか?

 子どもの実験ですので誤差は当然です。10回振らせた時間を各班に応えさせれば、19.2秒、19.3秒、19.2秒、19.4秒・・・・となります。教師はそれらを黒板に書いて、「ほーら変わらないでしょ」とまとめます。でも、理科嫌いな子どもは「ほーら変わるでしょ」ではないでしょうか?教師と理科嫌いの子どもの違いは、「振り子の周期は重さによって変わらないはずである」と考えているか、「振り子の周期は重さによって変わるはずだ」と思っているかの違いです。「振り子の周期は重さによって変わらないはずである」と思っている教師は、無意識にその前提に外れるデータは「誤差」と切り捨ててしまいます。しかし、そのようには理科嫌いの子はそうおもいません。従って、そのような子どもにとっては上記の実験は無力なのです。

 誤差が問題となると、理科人は誤差がないようにするにはどうしたらいいかに頭をひねります。これって、理科好きな理科人には楽しい時間なんです。おもりの空気抵抗を考慮したり、光センサーとコンピュータを繋いで正確に時間を測定したりします。さらには子どもの操作ミスを減らすために、おもりを離す位置や時間を正確にコントロールする機器を開発します。数ヶ月かけて、19.257秒、19.256秒、19.255秒・・・という結果を得られるようになったとします。しかし、ここまでやっても理科嫌いな子どもにとっては「ほーら変わるでしょ」と言うかも知れません。結局、実験には誤差はつきものです。そして、誤差を誤差と認識するためには、理論がなければなりません。そして、その理論を実験で証明しようとしているのですから、どうどう巡りです。

 そこで物理ではコンピュータシュミレーションが使われる場合があります。しかし、シミュレーションをすれば誤差を消すことは出来ますが、その結果として「実験には誤差がある」という自然科学にとっては重要な認識が消えてしまいます 。いずれにせよ、先の手の込んだ実験にせよ、シミュレーションにせよ、込み入ったことをやれば子どもたちにとってブラックボックスになります。なぜなら、ブラックボックスがブラックボックスにならないためには、そのことを理解していなければならないのですから。これまた、どうどう巡りになります。

 結論を言えば、実験は、そのことを理解している人(つまり実験をしなくてもいい人)にとっては楽しいかも知れません。しかし、そのことを理解してない人にとっては、あまり有効な手段ではありません。少なくとも、理科人が考えるほど有効ではないことは確かです。

[]保護者 07:01 保護者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 保護者 - 西川純のメモ 保護者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 何度も何度も書いたことを、再度書きます。

 『学び合い』という名称は、本当はしっくりきません。というのは、『学び合い』は学び合うことを目的としているのではなく、人としての生き方そのものですから。それも、学校教育という枠を超えたものです。最も合っていると思うのは、「人権教育」とか「民主主義教育」だと思うのですが、それだと社会科教育のごく一部を扱っているように取られてしまうと危惧されます。まあ、『学び合い』というような分かったようで、分からない言葉を使った方が良いのでは、と思っています。

 これまた何度も書きましたが、現状を打開する力を持っている味方は保護者です。保護者の方は気づいていない方が多いですが、保護者の方にはもの凄い「権力」があります。それを誤解して乱用しているのがモンスターペアレンツですが、たった一人であってもモンスターになれるほどの権力があるんです。ただし、モンスターは老練な教員には負けますし、学校体制が整えばどんな先生のクラスのモンスターもつぶされます。しかし、多くの保護者に理解され、多くの保護者の支持の元、正当な主張をする保護者集団は、たとえそれが1クラスの保護者集団であったとしても、県の教育長さえも動かすだけの権力を持っています。だって、モンスターではなく、正義の味方のウルトラマンが数十人集まったら、そりゃ強いに決まっています。

 我々は、民主社会においても不当に弾圧されている数千万人の子どもと保護者、そして、不当に圧力をかけられ職業の喜びを奪われている教師を救おうと思っています。そのためには保護者の協力が必要です。教師の同志は、学び合う保護者集団を創り上げて下さい。

 昨夜、『学び合い』グループの管理者の一人として、「はてな」からメールが届きました。保護者のある方が、「保護者」として入会してくれました。そのメールを読みながら、「やった!」とガッツポーズをしました。とても心豊かに眠ることができました。

追伸 個人的には、もっと多くの企業の経営者も同志になって欲しいと願っています。

tontan2tontan22009/01/22 20:24絶版の「何故~」を持っている私です^^
それは、おいといて質問です。
 
実験の件についてはまさしく私もそう思います。
ただ、実験は理科の基本でもあると考えます。
実験なしに教科書に書いてあることを
鵜呑みにすることは理科とは言えないと考えています。
もし、実験で「誤差」を勘違いして「分かった」と
言っている子どもにどのように対処すればよいでしょうか?

jun24kawajun24kawa2009/01/22 21:53実験で「誤差」を勘違いして「分かった」
というのが、具体的に、どういうことか分からないので、
補足お願いいたします。

tontan2tontan22009/01/23 04:24補足します。
振り子でも良いのですが、
「重さでやっぱり周期は変わるんだ」と勘違いした子どもには
どうすればよいかということです。
(これまでの経験だと2~3割は誤差を認められない子どもが
いると感じています)
それとも実験は無駄だからしなくてもよいと考えるのでしょうか?

cornucopia-kkcornucopia-kk2009/01/23 11:01西川先生、保護者へのメッセージをありがとうございます。
今回の記事で力を与えていただいたのは、
入会させていただいた私一個人だけではなく、
ブログを拝読している他の大勢の保護者の方も同じだと思います。

今、わが子の学校や親たちを見ていて、
「学び合う保護者集団」に到達するには、
いくつものステップがあると感じますが、決してあきらめずに
努力を重ねていきたいと思います。

jun24kawajun24kawa2009/01/23 12:39tontan2さんへ
午前中をかけて書いてみました。
crnucopia-kkさんへ
ようこそ、お待ちしていました。みんなに伝えてください。どんな社会も、直ぐには伝わらない人はいますが、直ぐに伝わる人も必ずいます。その人たちと広げてください。期待しています。

09/01/21(水)

[]多様な子どもを受け入れる 10:23 多様な子どもを受け入れる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 多様な子どもを受け入れる - 西川純のメモ 多様な子どもを受け入れる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私のゼミ生のOBのある方に、普通学級ではなく特別支援学級に行った方が良いと思われる子はどんな子かを聞きました。その中に、以下がありました。

『あらゆる関りをしても、クラスのマスコットとなりそこにいるだけとなってしまう。(感覚的なものです。みんなの勉強についてこれなくてもいい。しかし、教師としてその子の集中する姿や話を聞く姿をクラスの子にがんばっていると説明できないと苦しい。)』

 これは我がことのように分かります。私の実践の場は西川研究室(西川チーム)です。私のゼミは、驚異的な室の高さの論文を驚異的にコンスタントに出し続けている集団です。ある研究者は「軍団」と表現することさえあります。当然、遊びたい学生さんからは敬遠されます。さらに、ゼミ生もおもしろがって、「怖いぞ~」、「恐ろいぞ~」と過剰に脅かします。本当は脅してやらせる集団ではなく、自然とやるようになる集団(つまり『学び合い』の集団)なのですが、ゼミ生の過剰宣伝の結果、誤解されがちです。しかし、少なくとも遊びたい学生さんはまず来ません。いや、能力の高い、志の高い学生さんに恵まれています。

 が、どんなことにも例外があります。本人は「やろう!」と決意したのですが、その決意が続かない人もいます。本人は自分には高い能力があると考えていますが、それ程ではない人もいます。そうなると、我がゼミだと目立つのです。

長期的に見れば、本人のやる気は低くても、やる気のある集団の中にいれば伝染します。また、本人の能力よりも、他人の能力をどう活用するかが大事だと分かれば、かなりの能力を発揮します。が、先に述べたように初期段階では非常に目立ってしまいます。さらに言えば、障害者レベルの人となれば、最後まで駄目だということもありえます。そうなると、同志のごとく疲れてしまいます。少なくとも、その同志の人が我がゼミにいた頃の私は、同志と同じに悩みます。最終的には、他のゼミに異動することを勧めたり、そのような人が来ないように「怖いぞ~」、「恐ろいぞ~」と過剰に脅かすこともしました。しかし、今はそうしません。

上記の同志、そして、かっての私が間違っていたのは「クラスの子にがんばっていると説明できないと苦しい」という部分なんです。つまり、その子のことを説明し説得するのは教師の役目であると考えたことが問題なんです。本当は、その子のことに気にかけるのではなく、集団が健全であるか否かに気にかけるべきでした。「その子が出来る、出来ない」は教師の気にすることではありません。その子に関して言えば、集団がその子を切る集団になっているか、それとも折り合いをつけて細くでも、その子とつながり続ける集団になっているかを教師は気にかけるべきです。そのような集団であれば、少なくとも教師がどんなにやっても達成できないレベルを、その子に「も」実現できると今は信じています。

09/01/20(火)

[]上の次元で考えましょう 09:35 上の次元で考えましょう - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 上の次元で考えましょう - 西川純のメモ 上の次元で考えましょう - 西川純のメモ のブックマークコメント

 色々な職場で、色々な問題を抱えている同志は少なくないと思います。そして、その職場で袋小路に入っている同志もいるでしょう。その場合、その問題に一定以上とりくんで解決できないとしたら、とりあえずその問題を解決しようとすることは脇に置くんです。そして、上の次元の問題と捉え直してみるのです。

 例えば、ある同志が『学び合い』がうまくいかなかった場合、問題を下の次元で捉えがちです。例えば、1校時の20分程度に『学び合い』を限定するとか、発展的単元でやっていみるとかなどが典型的です。たしかに問題の原因が、授業のごく一部に原因がある場合は有効なときもあります。しかし、私の経験上、あまり良い方法ではありません。少なくとも以下で述べることを併用することが必要だと思います。それは、問題を上の次元で考えるのです。

 例えば、自分の授業に限界を感じたとき、学年や学校に広げることを考えます。自分に自信がないのに学校に広げるなんて無謀のようでしょ?でも、考えてください。『学び合い』はそういうことを子どもたちに求めているんです。そして、それによって子どもたちは自らの課題を解決しているのです。たどたどしく友達に伝えることによって会話が成立し、それによって自らの課題を解決している子どもって多いでしょ?逆に、自信満々で説明したけど、ちょっと聞かれたとたんに分からなくなり、自分の理解の限界を理解する子どもっているでしょ?それと同じなのです。学校が駄目だったら、地域でも良い、県でも良いんです。上の次元の課題にトライするのです。

 下の次元が簡単で、上の次元が難しいという図式は当てはまりません。だって、物理学が簡単で、化学はそれよりも難しく、有機化学、分子生物学、生態学がもっと難しいということないでしょ。あれと同じです。自分にあった次元のことをやればいいのです。

 じゃ、何故、上の次元をやる方が、下の次元をやるより良いか?そりゃ、気持ちの問題です。もっと上の次元にトライしている方が前進しているみたいで気持ちいいでしょ。それに上の次元で頭を使っていると、元々の課題が簡単に「見えて」しまいますよ。とにもかくにも、一定以上かけて解決できない問題は、別の次元で考えることを勧めます。

[]教員養成 09:35 教員養成 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教員養成 - 西川純のメモ 教員養成 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以下で書くことは大学教師以外には殆ど興味がないことです。

 昨日から教員養成系大学の目標は何なのかを考えてみました。するとすぐに行き詰まるのです。教員養成系大学の目標は、目的大学ですのではっきりしています。それは「良い教師」養成することです。ところが、「良い」ということがはっきりしません。十人の大学教師に聞けば、十通りの「良い」を言うと思います。ベクトルが一致している教職大学院のメンバーに限っても、やはり同じです。

 仮に、「良い」があったとしても、問題です。というのは採用試験(私学の試験をもちろん含めて)に受からない限り教員にはなれないのです。そして、残念ながら採用試験は「良い」教師をとるための試験ではありません。ある人事担当の人と飲んだときのことです。その県の採用試験に実践的な問題が減少し、クイズ的な問題が増加する傾向がありました。私と飲んだ人は、その問題作成の基本方針を定める役割の人でした。そこで、そのことを指摘すると、たしかにクイズ的な問題が増加していることを認め、さらに、意図的であることを述べました。驚いて、なんでそういう問題を増加し、実践的な問題を減らしたのかを聞きました。その結果、実践的な問題では「差がつかないから」という理由でした。私は正直びっくりし、その後、怒りを感じました。つまり、良い教師をとることが大事なのではなく、選抜できることが大事と言うことです。こんな担当者の県では、大学教師が一生懸命に学生を育てても、それが生かされません。が、しょうがありません。少なくとも公共機関の職員の採用は、公正であることが求められています。ポイントは「妥当」ではなく、「公正」が第一に優先されるのです。この傾向は、大分の事件後にいっそう強くなったと思われます。

 とにかく教員採用試験に合格することを目標として、手厚いサポートをする大学があります。中には大学ではなく、受験予備校だと揶揄される大学もいます。しかし、それはそれで一つの見識で、私自身は高く評価しています。ただし、うちの大学がその大学と同じ路線でやったとしても負けてしまうでしょう。

 最近は大量に採用する県があるため、各県の倍率は天と地ほどの差があります。そのため、教員採用率はその大学の置かれている場所に影響されます。しかし、それ以前の長きにわたって、上越教育大学は常に採用率はトップ10に入り続けていました。私の分析するところ、理由は二つです。第一は、上越教育大学が単科大学であることです。第二は、全国区の大学であるためです。

 総合大学の中にいる教員養成系学部(特に大都会にある大学)は、他学部の学生さんから影響され教員以外の進路を選びがちです。進路を選ばなくても、「教員一本!」という気持ちは薄れます。ご存じの通り、教員採用試験に出てくる教科の問題は大学入試レベル、もしくは高校入試レベルです。従って、まともに考えれば偏差値の高い大学の学生さんの合格率は高くなるはずです。ところがそうなりません。明らかに偏差値の高い大学出身の学生さんは集中力もあり、なによりも要領が良い。従って、本気に受験勉強したらかなりの高得点が期待できます。が、そうならないのは本気で受験していないからです。

 全国各地の受験の状況は天と地ほどの差があります。その県の採用担当者が「うちは名前を書けば合格します」と自嘲気味におっしゃることもあります。一方、殆ど現役合格は不可能で、臨時採用で数年経験した人を採るという県もあります。合格するか、合格しないかを一番影響する要因は、どこを受験するかだと思います。圧倒的大多数の教員養成系学部(大学)は、そこに所在する県の学生さんで殆どが占められます。そして、そこの学生さんは、その県を受験することになります。従って、その県の採用状況は、即、その大学(学部)の採用率に直結します。ところが上越教育大学は全国にもまれな全国区の教員養成系大学です。学生さんは北は北海道から、南は沖縄から来ます。結果として、出身県以外も受験することに対する抵抗感が相対的に低いという特徴があります。分かりやすい事例だと、自分の出身県とあと大学でつきあった相手の出身県を両方受験することはよくあることです。結果として、合格率が相対的に高くなります。

 と、長々考えて、私なりの結論は、私の目標は「採用される学生さんを養成する」です。そして、その方法は、何が何でも教員になりたいという学生さんを養成することです。それがあれば、本当に馬鹿馬鹿しい教員採用試験の受験勉強に向かえます。どうしても教員になりたいのであれば、他県で受験するということも可能性の一つとして間柄得ると思います。そのあたりが大学教師としての妥当な落としどころかな、と思いました。

[]ごちそうを食べよう! 06:45 ごちそうを食べよう! - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ごちそうを食べよう! - 西川純のメモ ごちそうを食べよう! - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先日、以下のメールを頂きました。みなさん、ごちそうを食べましょう!そして同時に、どんどん公開し、ごちそうを食べてもらってください。「いえいえ、私はまだまだです」なんて言わないで下さい。食べてもらうと、ごちそうになります。そんなところが『学び合い』の良いところです。我々はレストランの経営者であって、料理人ではありません。皆さんが不安にならなくても、子どもがちゃんとごちそうを作ってくれます。

『先日,16日にS県H市のS準一先生の授業を拝見させていただくことができました。授業の中でいつの間にか疑問が生まれ,それがみんなの力で解決されいくという何ともドラマチックで質の高い学びを創っている子どもの姿。そして,そういう子どもたちのことをうれしそうに語る準一先生にも感激しました。子どもたちはまさに本物の実力をつけていると実感できました。『学び合い』,素晴らしいです。準一先生の細かな配慮もまた素晴らしい。いただいた資料,お話,今までで一番中身の充実した研修でした。内容は膨大すぎて,ここには載せられませんが,やはり本物は観るべきだと思いました。おいしい料理を食べたことのない料理人に,おいしいものは作れませんからね。ぼくは本物には程遠かったです・・・・・(^^;)』

歌2009/01/20 20:23私もS準一先生の授業を見せていただいたとき、子供たちの姿に驚き、感動しました。そのときに見た子供たちの姿には及びませんが、私が担任するクラスでも子供たちの姿に驚き、感動することが増えてきました。
今月末に校内で研究授業をします。そのときに少しでも「子供たちは有能である」という考えを先生方と共有できたらと思います。

jun24kawajun24kawa2009/01/20 22:10期待しています。
わからん人もいますが、分かる人も必ずいます。

iku-nakaiku-naka2009/01/22 16:43S準一先生のお名前を聞き、2年前の授業参観を思い出しました。
授業の後、N先生に「まとめはしないんですか?」という質問した際「何で必要なんですか?。」と切り替えされた後、お得意(?)のマシンガントークが炸裂したこともよ~く覚えています(笑)。
今の私の授業はS先生に近づいているのだろうか・・・?。
置いて行かれている気がする・・・(大汗)。
ちょっと昔の、私の「原点」を思い出しました。

jun24kawajun24kawa2009/01/22 19:13あはははは
iku-nakaさんは自分の実践のことを考える必要はありません。上の次元で考えて下さい。期待しています。

09/01/19(月)

[]集団のサイズ 15:32 集団のサイズ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 集団のサイズ - 西川純のメモ 集団のサイズ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、異学年を参観するため同志がこられました。いつもながら、感激でウルウルしつつ参観しました。その時の議論に関連して以下をアップします。ただし、同志との議論の中心は、以下のサイズの問題ではなく、異質な集団とのつながり方ですので。さて、

 数十人のクラスでの『学び合い』を実践している人に、異学年の『学び合い』を勧めたとき躊躇される方が殆どです。その理由の一つに集団のサイズの問題です。「『学び合い』は集団が多様で多数であるほど良い」と分かっていても、「そりゃ、程度があるよ」と思っている方が大半です。そのため、私が「学校全員を体育館に集め、校長先生が「どうぞ」という異学年は素晴らしいですよ」と「本気」で言っても、まあ私のほら話としか受け止めていただけません。しかし、私は「本気」で思っています。

 先生方はクラスでの『学び合い』によって子ども集団の濃密な関係を知っています。しかし、集団のサイズが大きくなれば、集団全員の中に占める、ある子どもがその集団の中で話せる人の割合は下がります。そのため、関係が「スカスカ」となってしまい『学び合い』が成立しがたい、と思う先生方が大多数でしょう。しかし、大丈夫です。

 社会心理学者として有名なミルグラムは、スモールワールド実験というものを行いました。方法はアメリカのある地域に住む人を無作為に選び、遠く離れた地域に住む人に手紙を転送するよう依頼したのです(Milgram 1967, Travers & Milgram 1969)。ミルグラムが注目したのは、いったい何人の人を経由して届くかということです。その結果、平均6人の人を介して届くことを明らかにしました。このミルグラムの実験は様々な人によって検証され、「全世界の人は6人の人を介して全て繋がる」(スモールワールド仮説)という大胆な仮説となりました。

 実際にスモールワールド仮説が正しいか否かは別にして、世間は案外狭いというのは我々の実感です。ある会合でたまたま席の横になった人と話し合ったとき、共通の友人があり話が盛り上がったということはよくあることです。さて、なぜそのような現象が起こるのでしょうか?

 単純なモデルを描いてみましょう。私は年賀状を毎年200枚出します。私は比較的多いかも知れませんが、50枚ぐらいを出す人はいるでしょう。さて、仮にみんなは年賀状を出すような人が50人いたとします。送った50人の人にも50人の年賀状を出す人がいるのですから、2段階目で2500人となります。3段階目では125000人、4段階目では6250000人、5段階目では312500000人となり、6段階目では15625000000人となり世界人口の2倍以上の人数になります。となるとスモールワールド仮説はうなずけるな、となりますが、実際はそうはなりません。何故かと言えば、我々の人間関係はクローズする傾向があるからです。

アメリカの社会心理学者がある中学校の生徒の人間関係を調べました(Rapoport & Horvath 1961)。まず、各人に親友の名前を挙げさせ、親しさの度合いで順序づけてもらいました。さて、生徒集団の中から強く繋がっている10人の集団をピックアップしました。そして、その10人の最も親しい友達を先のリストから選びました。そして、その友達の最も親しい友達を先のリストから選びました。これを繰り返しました。ところが、先に述べたように強く繋がっている人同士で一つの集団を作り上げる傾向があるので、上記の集団は一定以上には広がらず、比較的狭い集団でクローズしてしまいました。これは我々の日常経験からも一致すると思います。

我々は狭い集団を形成する傾向があります。しかし、とんでもなく離れた人とも繋がることが出来ます。どうしでしょうか?これに対して単純で画期的な解答を与えてくれたのは、ワッツとストロガッツです(Watts & Strogatz, 1998)。彼らは、基本的に狭い集団「群」の中に、離れた集団を繋ぐリンクををごく少数でも入れただけで、劇的に変わることを明らかにしました。例えば、東京はJRや私鉄や地下鉄で密接に繋がり合った町で構成されています。札幌もそうです。しかし、東京と札幌を鉄道、特に在来線でしか繋げられないとしたならば、両者の交流はかなり困難です。ところが、札幌と東京を飛行機で結んだとたんに、両者の関係は激変します。札幌と千葉、札幌と埼玉、札幌と神奈川、小樽と東京、小樽と千葉・・・・という多くの航空路を開設しなくても、たった一つの札幌と東京の路線だけで関連する地域の関係は激変します。ワッツとストロガッツはそれを科学的に明確に示したのです。

つまり、異学年によってクラスという密接な関係を持つ集団が十や二十集まったとしても、ごく少数のリンクがあれば解決できるのです。例えば、3年生と4年生の全ての子どもたちが密接に繋がる必要はありません。3年生Aと4年生Bというようなリンクが4、5あれば、クラス集団レベルの関係をほぼ実現できるのです。それだったら簡単でしょ。

このことは我々の研究の結果と非常に一致します(水落、西川 2004)。この実験では5年生と6年生の異学年を観察しています。5年は5年同志、6年は6年同志で基本的に関わっています。たった1度だけ、6年生が5年生にイメージスキャナーの使い方を教えました。それによって瞬く間にイメージスキャナーは5年生全員が使えるようになりました。何故かと言えば、6年から5年に教えている場面で、それをのぞいている子がいるからです。そして、教えてもらった5年生が別な5年生に教え、その5年生が・・・というような5年生内部のネットワークを使っているからです。

長々、書きましたが、つまり、『学び合い』の人数の上限は事実上無限であることは理論的にも、実践的にも証明されています。だって、60億人が6人の介在で繋がっているとしたら、数百人レベルでおたおたする事なんて、な~んもないですから。あはははは

追伸 多くの人にはどうでもいいかもしれませんが、一応、学者なので補足です。スモールワールドを実現する方法は、上記の方法以外に、ハブによって実現できると言うことも証明されています。つまり、特定の人がものすごく多くの人とリンクを張るという方法です。しかし、少なくとも我々の教室での観察によればそれはあたりません。まあ、ごく初期の『学び合い』では相対的にはそうかもしれませんが、長続きしません。というのは、人と人とが教室でリンクを張るにはとても大きな負荷がかかるからです。例えば、一人の人が誰かを説明するとなると、一定時間かかります。例えば、ある人が10人の人とリンクを張ると言うことは時間的には無理です。そして、我々の観察では、多い人でも5、6人で、少ない人でも1、2人程度の差しかありません。スケールフリーと呼ばれるモデルは、リンクを形成することに負荷があまりない場合は成り立つモデルですが、リンク形成に負荷がかかる教室の場合はワッツとストロガッツのモデルの方が適していると思います。

 もう一つの補足は、現在のネットワーク分析で分析対象としているネットワークより、『学び合い』のネットワークは高度です。どこが高度かといえば、自発性と可逆性の高さです。例えば、『学び合い』では、出来上がったネットワークを子どもたちは、自分たちの判断で自分たちのリンクをスクラップアンドビルドしつづけます。『学び合い』では「ねえ、お試しでいっしょにやらない?」という発言を気軽にします。これって、現在のネットワーク分析では分析対象としているネットワークにはないものです。その意味で、最も優れたネットワークだと私は思っています。

Milgram,S., "The Small World Problem", Psychology Today, 60 – 67, 1967

水落芳明、西川純: 他の学習者の学習状況を見えやすくすることによるコンピュータリテラシーの間接的伝播と効果、相互作用を軸とした異学年学習の実践から、教育工学雑誌、日本教育工学会、27(Suppl.)、177-180、2004

Travers,J. and Milgram,S., "An experimental study of the small world problem", Sociometry 32, 425, 1969

Watts,D.,J.,& Strogatz,S.,H., ”Collective Dynamics of ‘Small-World! Networks”, Nature, 393, 440-442, 1998

o4o42009/01/19 19:16よい機会をつくっていただきありがとうございました。いい授業でした。いい学校でした。さらに話をさせていただき、もう頭がパンパンです。先生の期待が全力で伝わってきて、お腹いっぱい、消化不良で苦しい(笑)というのが正直なところですね。先生にやらされてる感をもっても・・・なので、ちょっと整理してから行動しますね。

jun24kawajun24kawa2009/01/19 19:25あははは
期待していますよ。

09/01/18(日)

[]異質は大事 22:20 異質は大事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 異質は大事 - 西川純のメモ 異質は大事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 勉強の得意な子が勉強の不得意な子を教え続けるのは何故でしょう。『学び合い』は滅私奉公では続きません。「勉強しなさい!を言わない授業」でも書きましたが、異質であることの意味を子どもは理解しているからです。というより、我々はみんな理解しているのに、「等質が良い」という変な宗教が教育で蔓延しているんです。

 アメリカの研究者が、就職に役立った情報をだれから得たかを調査しました。その結果、普段あまり深いつきあいをしていない人からだそうです。そういえば、私も家内を紹介してくれた人は、普段はあまりつきあいの無い人です。本当に大事な情報は、親友や肉親から得られるのではなく、そうでない人から得られます。

人は集団化します。いわゆる類は友を呼ぶという言葉で表されるように、似たような人が集まります。自分の友達は、友達同士も友達という関係ができあがります。分かりやすいのは、年賀状の相手です。年賀状の相手を分析すると、いくつかの集団ができるのではないでしょうか?つまり、自分が年賀状を送る相手同士が年賀状を送り合っている関係はあり得るのではないでしょうか?この小集団は人間の本源的な欲求であり、猿の時代から引きずっています。この小集団は意味があるのですが、持っている情報がクローズしています。つまり、友達の持っている情報が自分の持っている情報と大して違いが無く、そのためあまり価値がないんです。

世の中で幸せに生きるためには、身近な集団が重要です。例えば、家族が一番重要です。でも、世の中で飛躍するためには、身近でない異質な人との繋がりが大事です。

09/01/16(金)

[]囚人ジレンマ 22:06 囚人ジレンマ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 囚人ジレンマ - 西川純のメモ 囚人ジレンマ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゲーム理論の中に囚人ジレンマというのがあります。簡単に言うと、二人の人がいて、二人が協力すると二人ともそこそこ得られます。一方が協力し、他方が裏切ると、裏切った人が大勝ちします。ただし、裏切る方、裏切られた方の得るものの総和は、二人が協力する時の総和より低いものです。二人が裏切ると最悪な状態になります。このような状態の時、二人はどのように行動すべきかというかという課題です。ゲーム理論の課題の中で最も単純な事例です。

 それによると、基本的には相手を信じるが、相手が裏切ったら次は自分も裏切る。しかし、相手が協力したら、自分も協力するという至極単純な戦略の時、一番、えるものが多いのです。ポイントは、相手が裏切らない限り、自分は裏切らない。裏切ったら、断固として報復する。しかし、ぐずぐずと裏切った過去を引きづらず、相手が協力したら自分も協力するのです。この戦略が、あまたの複雑な戦力よりも強力というのが面白いですね。

 この囚人ジレンマはゲーム理論の中では最も単純なモデルで、実際のゲーム理論では、その他、様々な状態で展開しています。しかし、この囚人ジレンマの状態が最も汎用性が高いと感じます。学校教育、また、ビジネスも、結局、この囚人ジレンマの状態にモデル化できると思います。多少の違いがあっても、管理職は、この囚人ジレンマに収斂させることが大事だと思います。

 この囚人ジレンマにおいて、上記の結果を成り立たせるポイントはいくつかありますが、私が考えるに、最も大事なポイントは二つあります。それは、関係者が自分たちが囚人ジレンマの状態にあると認知することです。もう一つは、この囚人ジレンマの状態は永続化していると認知することです。解説します。

 『学び合い』では、協同することによって勉強の出来る人も、出来ない人も得ることがあると考えます。が、残念ながらそう信じられない人も多い。教師もそうです。まあ、「勉強しなさいを言わない授業」を読んで欲しいですが、実際は、『学び合い』によって得るのは双方なんです。いや、おそらく勉強の出来る人の方が多いとも言えます。だから、協同する方が、一方が裏切る状態より両者のえるものの総和は多いという囚人ジレンマの状態なんです。ところが、一方(多くの人は勉強の出来ない人)の方が一方的に『学び合い』によってえるものが多いと考えています。そう考えると囚人ジレンマの時の行動と違った行動をします。だから教師は、上記のことをちゃんと伝えなければなりません。そして、そのためには自分自身も理解しなければなりません。残念ながら、物事をゼロサム的(つまり、相手が得をすれば、自分が得をして、自分が得をすれば相手は損をする)と考える人がいます。でも、そんな状況は社会においてはほとんど無いのです。

 もう一つは、永続性です。今日が最後で、あとは関係なし、となれば裏切って大もうけしようとする行動が現れます。それが明日でなくても、先が見えれば、そういう行動をします。実際、数学的にもシミュレーションでも、その戦略は有利です。そして、人はそのように行動します。だから、教師は学び合うことの意味の永続性を語らなければなりません。つまり、『学び合い』における行動はそのクラスにおける自分のポジションに影響を与え、そこでの言動を来年も再来年も、そして大人になってからもつきあうであろう人たちに伝わることを教えなければなりません。我々は、自分が担当するクラスでのことのみを語るのでは不十分で、子どもの一生のレベルで『学び合い』を語る必要があります。

[]異学年 21:41 異学年 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 異学年 - 西川純のメモ 異学年 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日も異学年を見ました。今日は、先生同士のさりげない会話がとても素敵そうでした。大樹にプロトコルを起こしてもらいましたが、やはり素敵でした。『学び合い』は教師の『学び合い』も活性化させます。

o4o42009/01/16 22:18永続性という言葉、新鮮でした。以前先生が1年だけでも、『学び合い』を経験できればラッキーという言葉で、少し楽に考えていたのですが・・・。昨日から久しぶりにエンジンかけて『学び合い』をやってみたら、全然クラスの動きの違いがはっきり分かってびっくりしました。(ある意味、長期休暇を経て、年始に友人にも会い、『学び合い』教師から若者になって永続性が消えていたのですかね(笑))

jun24kawajun24kawa2009/01/16 22:291年だけでも、子どもにとっては永遠に感じます。でも、それを永続させることの意味は十分ご存じですよね。

D902iD902i2009/01/17 01:06教員同士の話し合いの記録を聞くと,とてもおもしろい内容で改めて子どもにとっても,教師にとっても得るものがあると実感できました。このように,じっくりと会話の内容を聞くことができるのは恵まれているなと思います。

jun24kawajun24kawa2009/01/17 07:51あははは
でも、その環境を求めている学生さんは最近は少ないね。

09/01/15(木)

[]最善の方法 14:49 最善の方法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最善の方法 - 西川純のメモ 最善の方法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 職業柄、素晴らしい授業方法と主張するものを読んだり、聞いたりする。それを読むたびに「でも、それって万人に、そして、あらゆる状況にフィットするの?」と疑問に思います。世の教育本の殆どは、その教科が大好きな先生が、その教科が大好きな先生に向けて書いた本です。そのため、「その教科が大嫌いな子どもにはフィットしないな~」と思いながら読みます。

 ビジネス書はそれよりもましです。というのは、教育の世界のように「うまくいったつもり」は出来ないのです。例えば、「子どもの目がきらきらしていました」とか、いくつかの作文の事例紹介で証明したつもりになっている場合は少なくありません。そうなると、子どもの「分かったふり」、「楽しいふり」の名演技にコロリとだまされます。しかし、ビジネスの世界は、そんな甘い評価はあり得ません。従って、事例紹介があっても、「確かに大事だな~」と納得する事例です。が、注意深く読むと、記載された説得力のある成功原因も、他の事例の成功原因と矛盾しています。ひどいときには、一つの本の中で紹介している事例同志が矛盾している場合もあります。何故でしょう?

 もちろん、個々の事例分析に誤りなく、事実そうなのだと思います。しかし、個々の事例には、様々な背景や文脈があり、それとの関係で有効に働いたり、働かなくなってしまいます。結局、その場、その時に合わせてもがき続け、偶然とそれに導かれる必然を積み上げながら成功に結びつけなければなりません。まあ、今の言葉で言えば、複雑系のポリエージェントシステム理論の誘導される偶発で表現されるでしょう。

 しかし、一生懸命にもがいているうちに解決するでは、まあ、禅問答ですね。「がんばれ!」と言っている以上の意味はありません。そこで、『学び合い』では、ホモサピエンスのありようにそのシステムの基礎を置いています。様々な科学的根拠によって蓋然性は高いと思いますが、まあ、仮説と言って良いでしょう。

 第一の仮説は、ホモサピエンスにとって最大のツールであり戦略であるのは他の人であるということです。人が石を道具と使い、コンピュータを道具と使っている現在までで、最古にして最高のツールは他の人であり、それを使って生き残るという戦略を立てていました。それをDNAの中に組み込み、洗練させていたのです。『学び合い』が予定調和的にうまくいきすぎるのは当然です。人類の数百万年の生存競争の歴史の中で洗練しつづけた結果なのですからうまくいくのは当然です。これが、『学び合い』の子ども観に対応します。つまり「子ども「たち」は有能」なのです。なぜなら、ツールを使っている集団が、それを使わないよりは有能なのは理の当然です。

 第二の仮説は、「第一」の特徴をホモサピエンスは持っているものの、完全ではなく不完全であるということです。具体的には、ツールとして使える人はごく少数で、また、同質の人を望む傾向があるということです。人類の数百万年の圧倒的大部分の歴史では、身近な肉親、そしてそれが少数集まった小さな群れで生活するレベルで生活して、それで生き残ってきました。しかし、今から数千年レベル前から状況が変わってきました。おそらく、農業と関わっていると思いますが、大きな組織で生きるホモサピエンスが生まれるようになりました。数千年のレベルでは、DNAには組み込まれません。ましてや、世界中の圧倒的大多数の人は、未だに、小さい集団で生きているのです。そのため、異質で多数の相手をツールと使うということは教育によらねばなりません。これが『学び合い』の学校観に対応します。つまり、学校教育の目的は、多様で異質な人と折り合いをつけて自らの課題を解決することを学ぶためにあるのです。

 この戦略は、状況によらず、教育においてもビジネスにおいても、もっとも普遍的な原理原則になりえると私は信じています。たった一つの最善の方法はありません。しかし、たった一つの『学び合い』の考え方によって、その場、その時の最善の方法が導かれます。そう見てみると、一見ばらばらなビジネス書に一貫したストーリーが見え始めます。そして、素人的には正しそうだけど、実際にはそうではない事例も浮き上がります。

追伸 教育の場合は、残念ながら、素人的には正しそうだけど、実際にはそうではない事例ばかりが浮き上がります。理由は、先に述べたように、圧倒的なものは、その教科が大好きな先生が、その教科が大好きな先生に向けた主張だからです。そして、日本の圧倒的大多数は、その先生方ほど、その教科は大好きではなく、その大多数の人を教えるのが教師の仕事だからです。

[]校長の決意 14:49 校長の決意 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 校長の決意 - 西川純のメモ 校長の決意 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、地元の学校で『学び合い』の異学年を参観しました。いつもながら、目をウルウルしながら、感動的な場面がごくごく普通に生起し続けていることを楽しんでいました。それが無料でみられるのですから、お得です。

 しかし、本日の最大の収穫は、授業後に校長先生と二人で話した中にありました。話では、子どもの変容はもちろんですが、先生方の変容に満面の笑顔で私に語り続けてくれました。私が好きな人が幸せになるのは大好きですから、私もニコニコです。そして、一段落した後、校長先生が真顔で以下のように語りました。

 「私自身もそうでしたが、本校での『学び合い』は人間関係づくりに重きを置いていたようです。しかし、先生(つまり私)のおっしゃるように成果を伴わない人間関係づくりはありえません。これからは成績でもはっきりとした成果をもとめなければならないと判断しました。」とおっしゃったのです。

 私は「待っていました!」と思いました。人間関係づくりに重きを置くと、初期段階はクリアーできるのですが、「みんな」を徹底する充実段階には進みづらいのです。もちろん自然とそれが出来る先生はいますが、学校レベルで全ての先生が、全てのクラスでそれを実現するのは無理です。なぜなら、実際には数人の同級生を切り捨てているのに、人間関係が出来た「ふり」はいくらでも出来るからです。しかし、成績の「ふり」は出来ません。そして、どんな先生も成績ははっきりと分かります。そして、成績によって人間関係のぬけがあることがはっきりと分かってしまうことは、子どもたちにもはっきり分かります。子どもにとっても、そして教師にとっても厳しい課題です。

 しかし、おそらく校長は、その学校の子どもそして先生方は、それを乗り越えられると確信したのでしょう。そして、管理職がそれを確信し、願えば実現するのが『学び合い』です。「また、この学校は大化けするな」とニヤニヤしながら大学に戻ってきました。

isinomakiisinomaki2009/01/16 20:56「人間関係づくりに重きを置くと、初期段階はクリアーできるのですが、「みんな」を徹底する充実段階には進みづらいのです。」
我がクラスの課題もまさにここにあります。そしてその原因は,最後の「詰め」に迷いがある私自身にあるのもわかります。この壁をどう崩すか本気で考えなくてはなりません。

jun24kawajun24kawa2009/01/16 21:37大丈夫、と思うことです。でも、今でも壁は崩れていますよ。あはははは

isinomakiisinomaki2009/01/16 22:45その気持ち,大事にします!あと「本気で信じること」ですね!

jun24kawajun24kawa2009/01/17 07:53ishinomakiさんの課題は、自分のクラスをどうこうすることではないように思います。もっと上の次元で問題解決すると、自ずと、下の次元は解決するんじゃないかな~。期待しています。

09/01/14(水)

[]危機感 22:15 危機感 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 危機感 - 西川純のメモ 危機感 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私にとっては、特別支援を受けている子ども、また、不登校の子どもがいかに苦しい状態にいるか想像すると息が辛くなります。ところが、そのような子どもは統計の誤差のレベルであると割り切っている方もいます。色々なところで講演する際、その地域の偉い人と話をすることがあります。そこで特別支援や不登校に関して、『学び合い』が劇的な効果があることを話します。が、残念ながらその話を聞いても、反応のほとんど無い方が少なくありません。また、『学び合い』が学力向上に効果があることを説明しても反応がない先生もいます。その先生と話すとビックリするのは、その先生は自分の授業で殆どの子どもが分かると思いこんでいるようです。

以上のような方々に合うと可哀想になります。その鈍感さであれば、教師であることによるつらさを感じない一方、教師であることの喜びも感じないだろうと、想像します。なによりも、そのような人の管下にある子どもが可哀想です。一方、真逆の方もいます。例えば、現在、上越で『学び合い』を学校の取り組みとしている某学校の校長先生が典型です。

2007年の夏のある時、その校長先生から電話がかかってきました。夏休み明けに私が上越地域で講演をすることとなっていたのですが、その校長先生がその講演会の世話係になっています。そこで、ご挨拶に参上したいと言うことでした。初めて話すその先生に、「お忙しいでしょうから、お気遣い無く」と申したのですが、「どうしてもご挨拶したい」とのことでした。私もそれ以上お断りしてはかえって失礼と思い、受けました。その先生は酒を持って挨拶に来ました。私は「あ~、義理堅い先生だから、酒を持ってきたんだろう」と思いました。その先生は事前に私のこと、『学び合い』のことはご存じない様子でした。そこで、「では、ありがたくちょうだいいたします。で、先生の用件は終わりでしょうけど。まあ、ここまでおいでになったのですから、講演会で話すこと簡単にお話ししましょう」と申しました。その先生も、「まあ、おつきあいで拝聴しましょう」ということがありありと見えるニコニコした顔で聞き始めました。私が学力向上の話をして、そして、特別支援の話をし始めた当たりから顔の表情が変わってきました。つまり、「大学の先生様のお話を拝聴する」という顔ではなくなり、真顔で聞き始めたのです。そして話し終わると、その校長先生の学校の抱えている問題を語り、それを解決できるか?と聞きました。私は解決できると断言しました。ただし、二つの条件を提示しました。第一は、「我々は、我々の『学び合い』によって問題を解決したいと願う人のサポートは出来ますが、願わない人のサポートはしたくても出来ません。ロバを川に連れて行くことは出来ますが、ロバに水を飲ませられないのと同じです。御校の先生は、我々のサポートを願うかを確認してください。」と聞きました。第二は、「我々の考え方は今までの考え方とは革命的に違います。だから、一人で聞いても分からないことが多いでしょう。ですので、複数の先生のサポートをしたい。そうすれば、我々がいないときに、我々の言っていることの分からないことを互いに話し合える。」と申しました。

しばらくして、その先生は二つの条件をクリアーできることを連絡しました。そこで二つのクラスにはいることになりました。二週間のサポート中で、クラスが激変している様子を、その校長先生はちゃんと見取っていただきました。そして、『学び合い』が本物であることを確信し、その学校全体で取り組むことを決めました。

 ディールとケネディーという人は、様々な企業を観察し、それぞれの企業文化が何によって決定されるかを分析しました。それによれば、その企業活動に伴うリスクの高低と、行動に伴うフィードバックが早いか遅いかによって決まることを明らかにしています。そして、リスクが低く、フィードバックが遅い企業の場合、手続き型文化になるとしています。手続き型文化とは、結果はあまり重視せず、定められたプロセスをちゃんとやったか否かが重視されます。現状の学校の姿です。教育行政は、どんどん多くの書類を求めますが、成果の是非はあまり問いません。学校現場も、書類の多さにへきへきとしている一方、それさえやれば結果を問わないぬるま湯に浸っています。行政も現場も、互いにもたれ合っているようです。

 自分の教育の結果におそれを持たず「しょうがない」と合理化したり、「教育は直ぐに結果が出るものではない」と言い訳したりすれば、手続き型文化に陥ります。ポイントは危機意識の有無です。

[]変われないのも芸のうち 13:27 変われないのも芸のうち - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 変われないのも芸のうち - 西川純のメモ 変われないのも芸のうち - 西川純のメモ のブックマークコメント

 マーケティングで有名なロジャーズの普及理論によれば、購買者は革新者(2.5%)、初期採用者(13.5%)、前期多数採用者(34%)、後期多数採用者(34%)、そして停滞者(16%)に分かれるそうです。ある商品はまず少数の革新者に採用されます。その革新者の様子を見ながら初期採用者が採用します。この初期採用者が採用し始めるとブレイクするそうです。

革新者の特徴として、社会からの逸脱者であり、そのため新たなことを採用します。しかし、逸脱者故にその人の言動が他の人へ直接影響することは少ないからです。ところが、初期採用者は革新者ほど逸脱していません。それ故、大多数の人(つまり、前期及び後期多数採用者)に対して影響力を持つわけです。簡単に言えば、革新者がいくら採用されても多くの人は「あの人がやるのね~・・」と無視します。ところが初期採用者が採用するとなると「へ~、あの人もやるの~」と心が動くと言うことです。

それぞれの人が心動かされる媒体は、革新者は公共性の高い情報(例えばマスコミや図書等)なのに対して、多数採用者の場合は人間関係のある人からの情報に依存します。『学び合い』の状態を考えると、現在は革新者にターゲットにした展開から、初期採用者をターゲットに移行しつつあります。

初期採用者が悩むのは当然です。悩むからこそ、前期多数採用者の気持ちが共感的に理解できるのです。そして、ブレイクの原動力となり得ます。変われないのも芸のうちなのです。

追伸 上記に書いているように、初期採用者及び前期多数採用者の納得には、生の人を介した情報が必要です。

kogapon7kogapon72009/01/14 22:36教育現場の事なかれ主義は、人事ではなく、
自分の問題です。
批判をおそれて、今までの慣習をなかなか破れないんですよね。
今取り残されていく子どもたちを我がこととしてとらえることを
忘れないようにします。

jun24kawajun24kawa2009/01/14 22:37同時にそれを自分の責任として、自分を責め続けるとつらくなります。他の人と繋がりましょうね。

09/01/13(火)

[]学習規律 08:17 学習規律 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学習規律 - 西川純のメモ 学習規律 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』を見た目で見る人は、学習規律がないと思います。しかし、凄くあります。だって、学習規律が無くて最低点は上昇するわけありません。問題は多くの教師が求める学習規律が規律ではなく、隷属(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20071125/1195960793)である点です。はっきり言って、隷属を求める教師は、その人が悪意がないと分かっていても怒りを感じます。

 しかし、宮仕えの身なのですから、やらざるを得ないこともあります。なれば、ちゃんとフェアーに子どもに語れば良いだけのことです。つまり、「遊んでいるように見えてしまうと、『学び合い』は出来なくなる」と語ってください。あとは、クラスの出来る子が中心となって全員でどのように振る舞えばいいかを考えるはずです。

 なお、子どもに自由にさせて大丈夫かと思っている人へ私が語ることは、「自由にさせてもちゃんとやるこは先生のクラスに何人かいますよね?」と聞きます。そうすると、たいていの人は2~3割はいると応えます。そうしたら、「その子「たち」が規律を求める言動をしたらどうですか?先生が一人で静かにしなさいと怒鳴るより効果があると思いませんか?」と言います。ポイントは「みんな」なんです。その2~3割の子どもが、「自分は静からだからいい」と考えるか、「みんなが静かでなければならない」と思うかで言動は違います。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/01/13 22:06西川先生へ

大変、勉強になります。ありがとうございます

確かに、私が子どもに求めていたのは、規律では無く、隷属だったと思います

(また、私自身の授業力の無さを、彼らを黙らせる事で、目立たなくさせようとしていた事も、その通りだと反省しています)

ベテラン教師の言葉に、「子どもに「静かに!」と言った時点で負けだ」

という言葉があったと思いますが、確かに、子どもたちは興味がある事なら夢中になって黙々と取り組んでいます

昨年末に、周年行事がありましたが、その時には、彼らは一言も私語をせず、最高のマナーで式典に臨んでいました

また、今日、私が、子どもたちに本当に願っている事を語った時は、子どもたちは真剣に聞いてくれました

普段の、私の授業が、子どもたちにとっては、黙って聞く価値がないと思っている証拠ですし、子どもたちの『学び合い』がまだまだ活発にならないのも、私の願いが、子どもたちには、届いていないのだと思います

もちろん、最初の頃に比べると、盛り上がってきたように思います

『学び合い』の会の皆さんと、学びながら、自分自身の語りの力強さも高めていきたいと思います

ありがとうございました

jun24kawajun24kawa2009/01/13 22:12あなたの感じている限界は、あなたが無能であるためでも、あなたが怠惰であるためでもありません。無理なのです。その限界を率直に認めることが『学び合い』の出発点です。我々は神にはなれませんから。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/01/13 22:27ありがとうございます

もし、自分が子どもだったら迷わず『学び合い』の授業を望むと思います

自分が嫌な事は、子どもたちにも押しつけないようにしたいと思います

jun24kawajun24kawa2009/01/14 06:40期待しています。

09/01/12(月)

[]信心 22:28 信心 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 信心 - 西川純のメモ 信心 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この前の秋田で質問されたことの中に、「何故、西川先生は子どもを信じられるのか?」というものがありました。それに対して、以下のように説明しました。

 多くの人は必死に神仏にお願いします。しかし、願ったからといって成就するとは限らないことは知っているでしょうね。では、何故、それでも願うのでしょうか?それは、「それを願っている」からです。そして、自分にはそれを成就させる力がないことを知っています。それ故、自らにはない力をもっている「かも」しれない神仏に願うのです。私はよりよき教育を本気で願い、そして、自分にはその力がないことを知っているからです。と語りました。

追伸 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」と歎異抄にあります。自力本願の気持ちがある限りは、本願他力はかなわないものです。親鸞さんは念仏を信じる理由として、「法然上人にだまされ、地獄に落ちても構わない」とおっしゃたそうです。子どもを信じてみてはいかがですか?なお、『学び合い』のご本尊である子ども達は、極めて御利益があることは科学的に実証づみです。

追伸2 毎度、この種のことを書くたびに追伸しますが、私自身は葬式仏教以上の信心はありませんので。

[]不安な同志へ 21:58 不安な同志へ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 不安な同志へ - 西川純のメモ 不安な同志へ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』は革命的に今までの考え方と違います。その姿は、既存の考えからすればクレージーです。これで大丈夫かと不安になる同志もいるでしょう。しかし、私は断言します。『学び合い』は完全です。少なくとも、それを超えるものを私は知りません。こんなことを書けば、嫌われると分かっているのですが、断言します。ただし、馬鹿げた宗教ではありませんので、説明します。

 古典力学の全てはF=mαというたった一つの式に帰結します。これを3次元に拡張し、微分や積分をすれば、古典力学の全てが導かれます。『学び合い』も同じです。現在我々が実践していること、そして未来に実践するであろうことは全て、学校観と子ども観に基づくものです。従って、『学び合い』が正しいのか否かは、学校観と子ども観を吟味すれば良いだけのことです。

 『学び合い』では、学校で学ぶ意味を、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決することであるとシンプルに看破しています。さて、不安な同志にお伺いします。これ以上の学校教育の目的を知っていますか?学習指導から生徒指導、特別支援や評価、はては「お受験」にも対応した一貫した目的を知っているでしょうか?あるなら教えてください。

 『学び合い』では、子ども達を有能と信じます。これを信じられない教師は多いです。その方々と議論するとき私が言うことは、現状でどれほどのことが出来るか?ということです。厚顔無恥な一部教師を除けば、大抵の教師は、自らが出来る限界をよく知っています。そして、自分がやっていることは特別凄いことをやっているわけではなく、そして、一生かかっても神様のごとき名人教師にはなれないこともよく知っています。そこを確認した後に、子ども達の中にはかなりの能力の子どもがいることを確認します。そして、子ども達集団が有機的に結びついたとき、一人の教師には絶対なしえないことが出来ることの理屈を説明します。最も簡単な説明は、どんな名人教師も子どもも、1日は24時間であるという厳然とした事実です。つまり三十人がいれば、三十倍の時間をかけられることを確認します。

 上記のことは分かっているはずです。

 それを認めて発展させたのが現在の『学び合い』です。理屈は簡単です。多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決することが学校教育の目的であり、これによって学習指導も生徒指導も特別支援も・・・がなりたつとしたら、それをやるべきです。学校教育の大部分を占めているは教科学習です。教科学習ですべきです。多様な人と折り合いをつけることを学ぶならば、折り合いをつける時間を確保しなければなりません。そのためには、教師が仕切る時間を極限まで削るしかありません。そして、より多様な人と学べる場を提供しなければなりません。この十数年かけて、我々は「これは教師の仕事だ、教師しかできないことだ」と思いこんでいたことは誤りであることを学術的にも実践的にも明らかにしました。そして、多種多様であればあるほど、何故、素晴らしいかを学術的にも実践的にも明らかにしました。その過程が知りたいならば、過去の本を読んでください。そして、その根拠となっている学術論文のデータをお読み下さい。我々の学術論文はかなり読みやすく書いていると自負しています。

 不安になったら、せめて以下のことを考えてください。

 第一に、『学び合い』の個々のことではなく、考え方のレベルで是非を考えてください。

 第二に、「じゃあ、『学び合い』より一斉指導の方が良いのか?」とお考え下さい。一斉指導の方が良いと思うならば、『学び合い』はおやめ下さい。残念ながら、「今は」『学び合い』は理解できないでしょうから。でも・・・

 おそらく、『学び合い』が正しいことはおわかりなんですよね。では、どうするか?そりゃ、人と議論しましょう。そして、なんとしても時間を作って他の同志のライブを見ましょう。百の理屈より雄弁に、子ども達が教えてくれます。そして、もがいて、自分の出来ることをやればいいのです。『学び合い』の学校観や子ども観は到達点ではなく、方向性なんです。

[]3連休 18:46 3連休 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 3連休 - 西川純のメモ 3連休 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 何と言うこともなく、3連休を家族と過ごせました。嬉しい。明日から、また怒濤の日々です。

tomkicktomkick2009/01/12 22:14西川先生
こんばんは。
僕は,あえて相対的な立場を取らせてもらうようにしていたのですが,正直言って,このところ,何をやっても,『学び合い』という考え方に行きつくなぁって思っています。
後は,僕の場合は,自分の変遷をいかに可視化して,人に伝えていくかが課題です。またご享受くださいませ。

jun24kawajun24kawa2009/01/12 22:31あははは
『学び合い』の考え方は、実は非常に汎用性があります。無理に相対化するのではなく、それを自由に活用する方が無理がないと思います。考え方の多種多様な可能性を教えてください。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/01/12 23:11いつもですが、西川先生の日記、勉強になります

ありがとうございます

学校教育の目的が

「他人と関わりながら、自分の能力を伸ばしていく」

という事は、その通りだと思います

そのような子どもたちは、社会に出た時に、立派な大人になると思います

ただ、1点だけ、どう指導すれば良いか悩むのが、規律の面です

社会に出た場合、それこそ今日は成人の日ですが、式典などの際にはマナーを守る態度が求められると思います

『学び合い』をした場合、課題設定をあたえて、その後、学び合わせた場合、規律を守ろうとする気持ちを持たせる事を、どこで学んでもらったら良いのか?と悩みます

(おそらく、学校の同僚の先生方は、椅子に黙って座って教師の話を聞ける事が、規律を守れている証拠だと考えていると思います)

私自身も、私が、子どもたちを注意したとして、それで彼らを黙らせたとしても、その行為で、彼らの中に規律を守る気持ちが育っているとはとても思えません

ただ、現状では『学び合い』をさせている時には、どうしても騒がしくなりがちなので、同僚の先生方には、私の授業スタイルは、問題があると映るようです

この点だけは、単純に彼らの成績を上げたとしても、同僚の先生方は、納得しないと思うので、悩ましく思っています

根本的な部分で考え違いをしているのかも知れませんが、アドバイスを頂けると幸いです
日記ありがとうございました

daitouirukadaitouiruka2009/01/13 00:26あまり付き合いのない人にまで、自分の良いと思うことを伝えることにとても抵抗を感じる私なのですが、『学び合い』に関しては少し変化がありました。詳しくはブログに書きましたが、ガンガンいくのではなく、あくまでも私のできる範囲ですが…。

kyoさん。実は私もそれは気になります。でも、まだはっきり自信はないけれど、今のところこう考えました。
子どもたちは、学校生活の中では『学び合い』の授業時間だけではありません。専科(無い場合もありますが)の授業、休み時間、全校集会…様々あると思います。そういった場で「無軌道ぶり」が出されていなければ、何とか説得できるのではないでしょうか?
もし、その場でも問題があるのであれば、そのことの改善を「課題」として子どもたちに『学び合い』してもらえばよいのではないでしょうか?
他よりもきちんとできるところを見せることが出来れば、逆に、けじめをつけてやるときにはやれるということをアピールできるのでは?
だいたい、『学び合い』をやっているから、騒がしいクラスなのかどうかはわからないし、『学び合い』をやっているクラスよりもそんな場で騒がしいクラスもあると思うのですが…

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/01/13 00:51daitouirukaさんへ

アドバイスありがとうございます

ブログの方は、後日、あらためて読ませて頂きます

ありがとうございます

規律の面ですが、確かに、私もあまりにも乱れている場合は、
その事を課題に話し合ってもらう事は、良いアイディアだと思います

また、西川先生の著書にも、『学び合い』をせずに、遊んでいる子が
いる場合、全体に対して、その子の行為が、正しい行為なのかを問え
という記述があったかと思います

ただ、通常の授業の場合、課題を与えて、「さあ話し合ってくだささい」
なので、やはり、うるさくなりがちではあります

『学び合い』を始める前までは、怒鳴ったり、時には机やごみ箱を蹴ったりして
子どもたちを、押さえこんでいました

しかし、その行為が間違っていた事は、今は自覚して反省もしています

ですが、逆に、子どもたちの自主性に任せて、自由にさせた場合、
西川先生の言葉を借りれば、子どもたちというより、私自身の子どもたちを
信じる力が足りないせいか、周りの先生方からすれば、「うるさすぎる」
や「子どもたちが遊んでいる」という評価になってしまいます

なので、現状としては、最初の部分は、講義をして、徐々に様子を見ながら
グループワークの時間をとって、子どもたちに話し合ってもらっているという
感じです

『学び合い』が、おそらく子どもたちには、ベストなやり方だと思うのですが
私自身が、それをうまく、子どもたちに伝えきれていないという事が現状かな?と思っています

daitouirukadaitouiruka2009/01/13 00:52追記です。
『学び合い』をした子ども達の方が、むしろそんな場では、強制されたのではなく、自らの判断で「無軌道」な行動はとらなくなるのではないかというのが今のところの私の中での仮説です。
だって、知性が増し、自分に自信をつけてきて、「みんな」の存在を意識できるようになった人間がそんなところで「無軌道」な行動はとらないと思うから。
あくまでも『学び合い』の文化がしっかり定着してきたらの話ですから、かえって厳しいかも(笑)。
つまりは、やっぱり『学び合い』をしっかりやらなくちゃっていうことで…。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/01/13 01:06daitouirukaさんへ

度々、ありがとうございます

確かに、子どもたちに『学び合い』の本当の良さが伝われば、彼らも自覚のある行動を取ると思います

現時点では、今までとは違ったスタイルに、戸惑ってるという感じもしていますから

また、この点に関しては、クラスの状況によっても、変わります

たとえば、私が担当する3年生のクラスは、わりかし、ほのぼのしているクラスなので、私が、「他の人に教えること」を評価すると宣言したところ、子どもたちは、素直に教え合いを始めました

やはり、子どもたちは、大人にほめられたがっているのだなと実感しました

一方で、6年生のクラスは、習熟度別で、いわゆる「出来る子」たちのクラスなので、成績トップと下位の子には、結構、差があるにも関わらず、子ども同士のプライドがあるのか?いまいち、クラス内の交流が少ないように感じます(特定のグループだけが、話し合っているという感じです。他の子たちは、課題が終わると、隣とおしゃべりを始めます)
そんな彼らに、どう語れば、「お互いが協力する事」の大切さを分かってもらえるかな?と日々思案中です

コメントありがとうございました


西川先生へ

先生のブログ上で、長々と、失礼しました

jun24kawajun24kawa2009/01/13 06:40お二人ともありがとうございました。
なんか、解決したみたいですね。
蛇足ながら、あとでメモにアップしたいと思います。
読んでね。

09/01/11(日)

[]正直 19:20 正直 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 正直 - 西川純のメモ 正直 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は嘘が下手です。嘘というのは、大抵は自分の最も恥ずかしい部分に繋がっています。それがばれるので、嘘はつかないようにしています。

 リンカーンは、「多数の人を少しの間騙すことはできる。 少数の人を長い間騙すこともできる。 しかし、多数の人を長い間騙すことはできない。」と述べました。これは本当だと思います。たとえ、一人を相手にしているとしても、その一人が他の人たちと私の情報を相互参照できる状態では、多数の人を相手にするのと同じです。私は講演では嘘をつきません。だって、多くの講演の場合には同志がいますし、そうでなくても早晩伝わることは目に見えています。またゼミ生に対しても嘘はつきません。理由は同じです。

 私は政治をして下さい、とよく言います。ある場合は「嘘(正確には方便)をつけ」と言う場合もあります。ただし、ばれるようなら嘘は言わない方が良いと思います。例えば、ある種の管理職には嘘をついた方が良い場合もあります。ただし、その管理職が、自分の嘘のつけない人と繋がっているならば、その管理職には嘘はつかない方が良いでしょう。ましてや、クラスという一年間つきあう多数の子ども相手には嘘はつかない方がよいでしょう。嘘はばれますから。

 そのように嘘はつけない場合は、本当のことを言いましょう。ポイントは、何度も、何度も、しつこく本当のことを言いましょう。集団を相手に本当のことを語れば、分かってくれる人が必ずいます。その人が伝えてくれます。

 クラスに語る時に何を語るべきかを語るとき、ばれて恥ずかしくないか自問して下さい。まあ、悪気のある教師は殆どいないでしょう。でもね、子どもを集団と考えられず、そのため、子どもの能力を低く見てしまう教師は少なくありません。それを根ざして嘘をつけば、それがばれます。それがばれると子どもは教師の期待通りの愚かな存在になりますよ。だって、最初に気づく出来る子が手を抜きますから。

追伸

 個人に対しては、最後まで分かってもらえないかも知れません。でも、何度も、何度も、しつこく本当のことを語り続ける人は、その人にとって、一番、手強い相手のはずです。頭のいい人は、途中で語ることをやめたり、玉砕したがるものです。それは相手方にとっては扱いやすい。その個人以上に力のある個人や組織とネットワークと繋がって下さい。そして、真面目に法規を勉強して下さい。その上で、何度も、何度も、しつこく本当のことを語り続ける人は、相手にとっては悪夢のような人ですよ。もちろん、不必要に戦うのは馬鹿げています。

 なお、ネットワークを持たない個人には嘘をつくことは出来ます。あははは(例外は家内です)

[]講演の目的 12:00 講演の目的 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 講演の目的 - 西川純のメモ 講演の目的 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の講演会での語りはパワフルです。マイク無しでマシンガントークを1~2時間続けます。その中では、「教師は最善の教え手ではない」とか「教科の能力は不要」というような大多数の先生方に気にさわることを連発します。まるで「さあ、かかってこんかい!」とケンカを売っているようです。そこで、「先生、マイクを使って静かに語る方が、先生が善人に見られますよ」とか「子どもを信じましょう、とか、教科の時間でも心を育てましょう、レベルの話に押さえておけば、敵を作らないのに」と言われます。全くです。私もそう思います。しかし、目的が違います。

 私が講演する目的は、数百人の人に私が善人に思われたいと語っているわけではありません。私は数百人の中にいる数人の人、即ち、私と一緒に戦ってくれる人を求めているのです。「子どもを信じましょう、とか、教科の時間でも心を育てましょう」レベルの話にとどめ、誤魔化してしまえば、「私のやっていることは、今のままで良いんだ!」と喜ばれますが、『学び合い』と現状との違いを伝えることが出来ません。私は万人に伝えることは出来ません、伝えられる人に確実に伝えることを大事にします。

 以前のメモにも書きましたが、革命的な『学び合い』を最初からすんなり理解できる人というのは特異体質です。そのような人が少数なのは、生物種としては健全です。そして、最初からすんなり理解できない人がいるからこそ、日本の教育は信頼性を持っているのだと思います。そのような方々に伝えるには、人間関係のある方の語り、子どもの姿しかありません。よろしくお願いします。

追伸 だれかが私の語りをやってくれれば、私は「よいおじさん」にシフトできます。まってます。でも、『学び合い』がある一定以上に一般化したら、もう少し、ソフト路線にシフトできるかも知れません。あははは

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/01/11 13:04
大変遅くなりましたが、今年もよろしくお願い致します

先生の語りの意図について話して頂いて、ようやく理解できました

ありがとうございます

確かに、西川先生が言われる「教師は最善の。。。」とか「教科の能力は。。。」といった事を、新米教師の私が、職場の先生方にそのまま伝えたら袋叩きにあいそうです

なので、取りあえず他の先生方に抵抗なく受け入れてもらえそうな「みんなで協力しよう」という部分だけを、まずは語っているのが現状です

参加者に気に入られたいのではなく、協力者を求めたいのであれば協力者になってくれそうな方に届く語りが必要なのですね

勉強になりました



最後に、出来ましたらお伺いしたいのですが、

教室でも、協力者になってくれそうな1,2割の子どもに届くような語りを心掛けるべきなのでしょうか?

「子どもに善人に思われたい」という欲望?は抑え「子どもにとって何が必要か」を伝えられる教師を目指したいと思います

子ども集団を動かす際に、全体が理解できそうな部分から語るべきなのか、活発に学び合いをしてくれそうな子どもに合わせて力強く語るべきなのかをアドバイス頂けると幸いです

今年も、よろしくお願い致します

3月のセミナーを楽しみにしています

jun24kawajun24kawa2009/01/11 17:21講演の時の語りと同じです。
私は、語るべきこと、正しいと信じていることを語ります。
ただ、それが直ぐに伝わる人はごく一部です。
でも、いずれは全員に伝わるだろうと信じています。
ポイントは、「みんな」を伝えることです。
私には全ての人に伝えられる力はありません、でも、全ての人に伝えたいと本気で願っています。そして、全ての人に伝えることの出来るただ一つの方法だと信じているからですから。だからです。

もちろん、様々な配慮は必要でしょう。
でも、自分が信じていないことを講演で語ろうとは、これっぱかしも思いません。
信じていないことを語らなければならないとしたら、私は、それを語りません。そして、頭を使って、語れることを探ります。

私も政治的配慮で、信じてもいないことを語ることもあります。ただし、その時は、語る相手に敬意を持っていません。ある意味、バカにしています。

自分に対しても、語る相手にも敬意を持って語りましょう。
子ども達の前では、正しいことを語りましょう。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/01/12 09:58アドバイスありがとうございました

 先ほど、大阪から戻ったのですが、大阪での『学び合い』の会も
大変、有意義で楽しい時間でした

大阪の皆さんと話しながら、あらためて考えたのですが

 自分が何を語るかも大事ですが、あくまでもその内容を判断するのは
子どもたちであるという、当たり前の事に気が付きました

 私自身も、さすがにウソをつくつもりはないのですが、
どのように話せば、自分が良く思われるだろうか?みたいな
つまらない計算をしている部分はあるのかなと思います

 しかし、西川先生が言う通り、自分が正しいと思う事を、しつこく
語り続ける事が何より大切だと思いますので、自分自身が何度でも
子どもたちに語りたい事は何か?ということを、まずは整理して
子どもたちと向き合いたいと思います

ありがとうございました

jun24kawajun24kawa2009/01/12 10:36期待しています。

09/01/09(金)

[]秋田 17:35 秋田 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 秋田 - 西川純のメモ 秋田 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は秋田で公演しました。この種の講演会では驚異的に嬉しい聴衆の方々でした。感謝です。一つ一つの私の話への反応が良い!小さなところで、笑ってくれる!まるで『学び合い』の会の様です。聞いてみると、その会の半数の方は、その会に出席する縛りの全くない方々で、遠方から私の話を聞くためにいらっしゃったかたがたです。当然、その地域の方々は、私を呼んでいただいた方々です。納得です。本当だったら、間をとって、大きく笑いをとりたいところですが、語りたい話がいっぱいあり、超特急で駆け抜けました。

 秋田に、これだけの方々が潜在的にいたことを喜びました。感謝です。そして、期待しています。

 次は、学校公開や『学び合い』秋田の会、かな?あはははは。とても期待しています。

[]広げましょう 17:35 広げましょう - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 広げましょう - 西川純のメモ 広げましょう - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日のメモの続きです。同志の方々へのお願いです。

 是非、お持ちの『学び合い』の本を教室に置いていただけませんか?(もちろん、買っていただければ嬉しいな。あははは)そして、「先生が何故、『学び合い』をやっているかはこの本に書いているよ。読んでも良いよ」と言っていただけないでしょうか?もちろん、読む子はごくごく一部です。それは教師用指導書や教師用本を置いておいたときと同じです。既に、一部の同志はやっていることです。子どもたちに、教師と同じレベルの『学び合い』の理論的・実証的データを与えてください。あ、それと保護者の方にも本を紹介してください。読む保護者の方はいるはずです。そして、教師の保護者もいるはずです。我が子を通して、『学び合い』が荒唐無稽でないことを知ることになります。

 一人一人の教え子が、『学び合い』から離れても、学び合うことの意味を分かる人と繋げられるような関係を作れないか?と考えます。例えば、おじさんには分からないけど、ミクシーなんかもいいかな、と思います。いや、若い人は、もっと素晴らしいツールがあるに違いありません。

追伸 群馬高崎の木ゼミに、学習者が参加したと聞きました。ビックリです。私なんぞの想像もつかないレベルのことが、起こっているように感じます。

[]異学年学習 17:35 異学年学習 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 異学年学習 - 西川純のメモ 異学年学習 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上越に学校として教科における異学年学習を試みている学校があります。現在、様々な組み合わせを試している段階です。毎回、とても多くのことを学ばせていただいております。もし、見たい人がいたら私に連絡してください。1月の予定は以下の通りです。

 3年、6年の異学年 1月15日11時25分~

 2年、5年の異学年 1月16日11時25分~

 1年、4年、6年、かがやき学級の異学年 1月19日9時30分

 異学年の『学び合い』の職員研修会 1月26日15時30分

 2年、3年、5年、かがやき学級の異学年 1月26日 10時35分~

oーーーー4oーーーー42009/01/09 23:04よろしくお願いします。わくわくがすっごい伝わってきますね。わが県にも顔見ぬ同志を信じますね。

jun24kawajun24kawa2009/01/09 23:10いっぱいいるはずだよ。そして、待っているよ。だから、期待しているよ。

iku-nakaiku-naka2009/01/10 04:19先日、M県の中学校のある先生からお手紙を頂きました。山形の会で私の話を聞き、ご自分でも『学び合い』の授業を少しづつ取り入れられているそうです。先生の手引き書もダウンロードして読まれたと書かれていました。
最近、『学び合い』が広がっていることを実感する場が増えているなあ~と感じています。

jun24kawajun24kawa2009/01/10 07:21おそらく、我々が思っているより、広がっていると感じます。

09/01/07(水)

[]革命 04:30 革命 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 革命 - 西川純のメモ 革命 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 下のメモを書いて就寝しました。が、夜中にあるアイディアが沸き、眠れなくなりました。とりあえずメモらないと眠れなくなるので、メモります。

 おそらく夢の中で、「大人には出来て子どもたちには出来ないと私は思いこんでいるのは何だろう?」と考えたんだと思います。だって、それが打ち破られたら、最高に素敵ですから。そうかんがえたら、ありました。それは、「教室の中では教師が絶対者で、教師が変わらない限り、子どもたちが『学び合い』を望んでも出来ない」と私は思っています。しかし、そうではないかもしれない、と気づいたので夜中に起き出したというわけです。 起きて、トイレに行ってベッドに戻るまでに頭の中で整理されました。それゆえ、もう眠れなくなってしまいました。私の妄想はこうです。

 もし、ある一定レベルまで『学び合い』を実践しているクラスが増えたとします。その中で、『学び合い』の理論的背景と実践データを子どもに伝えるのです。それを理解する子どもが一定レベルに達し、その子たちが政治をやりはじめたら。私にとっては楽しい夢ですが、別な立場の先生にとっては悪夢でしょう。だって、授業妨害する子どもは、ある意味、扱いやすいです。だって、それを押さえることは社会も容認し、クラスの過半数も容認するからです。ところが、成績も上位の3、4人が、クラスの大多数の支持の上に立って、理論的・実践的に教師を論破する戦略をとったらどうでしょうか?そして、その全てをクラスの外に対して情報発信するのです。つまり非暴力革命を起こすのです。

実はこの過程は学級崩壊の過程と同じです。学級崩壊はクラスの大多数が反抗する子どもたちを支持したときに起こる現象です。ここまで考えが至ると、私自身も恐ろしくなりました。でも、『学び合い』の子ども観から考えて、十分にありえるだろうなと思いました。

[]私は馬鹿です! 22:29 私は馬鹿です! - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 私は馬鹿です! - 西川純のメモ 私は馬鹿です! - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は秋田にいます。明日の講演の前泊です。ということで、先ほどは秋田の先生方と飲みました。私としては以前から知っている2、3人の先生と飲むつもりで行きましたが、ビックリ。私の知らない同志と合うことが出来ました。楽しかった。で、しゃべりすぎました。特に、病み上がりで酒を飲んでいなかった胃袋のアルコールの吸収は急激です。それに美味しい秋田の酒なのですから、自分でも急激に酔っていることを感じます。これで2次会に行ったら大変ですので、よい子になって失礼しました。

 秋田は『学び合い』に関しては無風区だと思っていました。しかし、実は私の知らないところで、着実に土台が出来つつあることを知りビックリしました。嬉しかった。こんなことを知らない私は駄目だな~っと思いました。

 帰ってからブログを一通り読みました。その中でとんたんさんのブログ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/tontan2/20090107)を読んで愕然としました。その中で、とんたんさんの昨年の教え子からの年賀状に「先生、僕はまだ中学校で学び合いが実現出来ていません。すみません。」とあったそうです。詳しくはブログを読んで下さい。

 これを読んだ瞬間、バーッと涙があふれました。もう、嗚咽です。いまでも、ウルウルしています。最初は、すみません、すみません。です。我々大人が、彼らにちゃんとした環境を整えられない、申し訳なさです。次は、ありがとう、ありがとう、という感謝の気持ちです。そして、今、これを書いている気持ちは、「私はなんて馬鹿だったんだろう!!!!」という「感謝」の気持ちです。

 同志の方だったらご存じの通り、我々のブログ群の中には中学生の同志がいます。私は「愚か」にも超超レアケースと暗黙のうちに見積もっていました。馬鹿だった!!!しかし、同志がちゃんと『学び合い』の意味を語るならば、それを教師のレベルで読み取れること私は分かっていと思いました。しかし、愚かにも受動的な『学び合い』理解者をイメージして、積極的な『学び合い』実践者を必ずしもイメージしていませんでした。確かに教師の方にも、自分の実践にクローズしている人もいますが、広げることの意味を理解している方もいます。『学び合い』の子ども観から言えば、それと同じぐらいの割合で、子どもの中にも広げる意味を理解している同志のクラスでは生まれているはずです。そんなことは子ども観から言えば、当然の帰結です。だか、それを私は愚かにも見ていなかった。これも私の中にある囚われです。

 心からの喜びとともに、私の愚かさを書きます。そして、『学び合い』の考え方の深みを知り、未来への可能性を感じます。大人もやらねば。

追伸 hayator-rikaさんへ。君ような若い同志が全国にいることを、今日、私は知りましたよ。

[]反省して追伸 16:50 反省して追伸 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 反省して追伸 - 西川純のメモ 反省して追伸 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日々精進さんのブログ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/tsmumu/20090206)を読み、Kさんのフォローを読んで、あわてて反省しつつ昨日の「出来る子」を補足します。言い訳ですが、一応、殆ど全ては手引き書や過去のメモの書いたのですが、あらゆる方面に配慮しつつ書き始めると、手引き書の完全版になり、それ以上となってしまいますので。と言い訳を最初にして、補足します。

 以前より書いているように、私の考える教師に職能は以下の三つです。網羅的、箇条書き的な普通の教師の職能とはかなり違い、静的ではなく、動的に職能をとらえています。

 1)子どもや親のせいにしない。確かに、それが原因なのかもしれないが、それを言ってはおしまい。

 2)尊敬すべき、先輩、後輩を捜し、その人といっぱい雑談をする。見いだす方法は、子ども「たち」に聞けばいい。

 3)まねられるところはまねる。まねられないところは、まねる必要はない。今の自分のままで、出来る授業はある。

 補足します。

 第一の職能がないと、教師の進歩は止まります。教師が求められる能力は多種多様です。例えば偏差値70以上の子どもたちを相手にするのと、暴走族だらけの子どもを相手にするのとでは、求められる対人能力も教材の力も全く違います。小学生を相手にするのと中学生を相手にするのでも違います。また、同じ学校、同じレベルの子どもを教えるのだって、自分が二十代前半であるときと、四十代後半では全く違います。学問的にそれを抽象化することは出来ますが、理論物理学者が車を作れないのと同じ理由で、現実の教室では無力です。結局、教師にとっての最高の教師は「子どもたち」だと思います。子どもたちに教えられながら、常に学び続けなければならないわけです。

 若い先生の場合、過去の自分の経験や、他人の経験を知りません。そのため自分を相対化できません。さらに、年を経ると、失敗しても、その失敗を目立たなくするノウハウは確実に増えます。その結果、職員室の中で、あたかも自分だけが駄目のように感じてしまいます。いえいえ、中堅・ベテランでも追い詰められると、自分だけが駄目みたいに感じます。

 でもね。今まででは通用しないのは、ごくごく当然です。子どもも変わり、自分も変わっているのですから、調整しなければならないのは当たり前です。これは、『学び合い』だって、一斉指導だって同じです。それが嫌になると、子どもや保護者のせいにしたくなる。人情です。でも、このブログを読んでいる方々だったら、そうした先生がどのような先生であるかは「よ~~~~く」ご存じなはずです。もがくしかありません。もがくのが当たり前です。偉そうなこと言っている私も「当然」、一杯失敗し、落ち込みます。でも、もがくから成長もあります。少なくとも、もがかなければ、現状維持はあり得ません。

 でもね。人の能力なんて、たががしれている。もがいても解決できないことが殆どです。そんななかでもがき続けるなんて、神仏でなければ出来るわけありません。当然です。では、子どもや保護者のせいにして合理化する教師になるか、成長しつつけることの出来る教師になれるか、その分かれ目は何かといえば、それが2番目の職能です。これって大事です。自分が分からないこと、困っていることを、解決する方法をこともなげに教えてくれる人っているんですよ。「あ、それね。あははは。知らない人は、なやむよね。それってね・・・・」と教えてくれる人っているもんですよ。答えを知っていなくても、一緒に考えてくれる人はいます。そして、何よりも愚痴を聞いてくれる人はいます。

 教えてもらえる、一緒に考えてくれる、そして愚痴を聞いてもらえる。そこで得られる最大のものは何か?そりゃ、もう一度、自分で考える勇気をもらえることなんです。教えてもらえることでさえ、結局、自分の場面にそのまま使えるものではありません。やっぱり、子どもたちという教師の教師の前で実践して、自分でもがくしかありません。これは『学び合い』も同じです。

 私も落ち込んだとき、いつまでも愚痴を聞いてくれた先輩教師が、十数人の職場でしたが片手以上いました。職員室の横のお茶飲み場では足りない時は、その愚痴を聞いてくれるために酒場や自宅で「奢って」もらえる機会が、週1回以上はありました。今から考えると、驚異的に恵まれていたと思います。でも、今の職場は年齢バランスの崩壊や、様々な要因で私のいた頃とはだいぶ様変わりしていると思います。その場合は、あらゆるチャンネルで繋がることが大事です。(でも、本当は『学び合い』が広がれば、職場が第一の場になると思いますが)

 さて、自分が悩み、人と相談し、再度自分で考えるとき重要なのが第三の職能です。溺れている人は浮いているものに必死にしがみつきます。でも、本当に重要なのは自分で泳ぐことです。あくまでも主体は自分であることを忘れてはいけないと思います。

 現状で『学び合い』を実践している人、実践しようとしている人は、第一の職能は100%あります。でも、第二の職能を得られる環境におられるとは限りません。そうなると辛くなる。Kさんのご指摘はそのあたりにあると思います。だから、第二の職能、第三の職能を発揮しましょう。少なくとも、このブログ群の人たちは、人の愚痴をちゃんと聞いてくれる人たちだと思います!

追伸 2年間も大学院で私の圧力をかけまくられ、その後も圧力を受けているKさんの腹の中は「あ~あ、N先生の書いていること100%自分に向けている人がいる・・・。心配だ!N先生の言っていることは、そんなにまともに受け取っていたら死んでしまうよ。まったく、N先生は相変わらずだからな~」と思っているでしょうね。あはははは。それが第三の職能ですから。(あ、Kさん、レスしなくて良いからね。あははは)

tsmumutsmumu2009/01/07 22:26ありがとうございます。
救われる思いです。

jun24kawajun24kawa2009/01/07 22:35謙遜でもなく、お世辞でもなく。
あなたは、私の2年目より、ずんと、ずんと志の高い教師ですよ。
同志。

mellowfieldsmellowfields2009/01/08 10:14大人→子ども(教師→生徒)はトップダウンのやり方で、
生徒→教師はボトムアップのやり方ですね。

企業の人材育成でも両者を同時にやることで企業文化に
大きな変化をもたらす事があります。

『学び合い』もトップダウンとボトムアップが融合したとき、
新たな進化の可能性が開けるんじゃないでしょうか?

iku-nakaiku-naka2009/01/08 10:37先生のコメントを読んで、去年卒業させた生徒達のことを思い出しました。高校に行って一斉授業に「戻った(?)」卒業生が中学の時の『学び合い』の授業についてどう感じているのかなあ~。
ちょっと聞いてみたくなりました。

makine45makine452009/01/08 21:51子どもたちの変化は、意外なところでつながっているものだと最近感じています。私は、職場を変えるより子どもたちを変えてしまった方が早いのではないか、と思っています。子どもたちは、異学年でもつながっていますから。

hayato-rikahayato-rika2009/01/09 00:00同年代の同志ですか~。会って話をしてみたいです。
他校の人と関わる機会はあまりなく、あったらいいなぁと常に思っています。
makine45さんの言葉をお借りしますが、子供たちは異学校でもつながれると思います。(時間はかかると思いますが)
異学校学び合いなんて面白そうですね(笑)

F-KatagiriF-Katagiri2009/01/09 08:33は〜い、レスしません。

koushinsenjinkoushinsenjin2009/01/09 11:05久しぶりにのぞいてみたら、とってもほっとして、気合いが入りました。教師の職能、メモ、メモです!
再来年度、今年度の失敗を活かして、いい形で再スタートしたいです♪

jun24kawajun24kawa2009/01/09 15:59mellowfieldsさんへ
多種多様にもがきます。
iku-nakaさんへ
ぜひ、そうしてください。
makine45さんへ
子どもを巻き込み、数年のスパンでやれば、学校の臨界人数は案外少ないかも、と思い始めました。
hayato-rikaさんへ
あなたたちがネットワークを組める仕組みを考えねば、と思いました。
Kさんへ
また、お願いね。
koushinsenjin
お元気でしたか?よかった、よかった。

09/01/06(火)

[]学校観 17:07 学校観 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学校観 - 西川純のメモ 学校観 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 橋本大阪府知事が学力調査結果の公開のテレビを賑わした頃のことです。あるところで、酒席で「西川先生は橋本知事の学力調査結果の公開を求めることに関して、どう思われますか?」と語気強く聞かれました。まあ、「反対以外は認めないぞ」という意気込みを感じられましたの、まあ、あやふやにでも「反対だよな~」と感じられるような返答をしました。でも、困ったな・・・・と思いました。というのは、その質問された方は認めないと思いますが、実は橋本知事と全く同じ土俵に乗っています。

 「テスト結果を廊下に張り出し公開し、競争させたほうがいい」という先生も、「テスト結果を廊下に張り出すと、競争になるから駄目だ」という先生も、実はテスト結果の意味するものをほぼ同じに捉えているんです。競争の是非は違いますが、「公開は競争になる」と思いこんでいるからです。そう思いこんでいる限りは、公開しても、公開しなくても、良くない方向に進むでしょうね。

 同志のブログ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/makine45/20081231)にあったので、「競争しても学力行き止まり」を早速読んでみました。イギリス教育の変化を読んでいて、陰々滅々な気分になりました。まあ、その後の展開が分かりすぎるほど分かるので、すいすい読めました。途中から、細かいところは流し読みにして、この本では「学力とは何か?」、もっと直裁に言えば「学校に行く意味は何か?」をどう捉えているのかな~っと思いながら読みました。同志なれば、この本ではぼやーっと遠くに見えるものが、『学び合い』の学校観で読み直しているでしょうね。そして勇気を得ているのだと思います。

 しかし、残念ながら、この本を読む読者の大多数は「やっぱ、競争しない方が良いんだよ~。そういっているんだね」と解釈するのだと思います。でも、その方の考えている学力とか、学校に行く意味は、この本で否定しているイギリスの教育行政担当者の考え方と基本的には同じなんです。そういう考え方だと、「競争しても学力行き止まり」と同様に「競争しなくても学力行き止まり」なんですけどね。

[]出来る子 15:36 出来る子 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出来る子 - 西川純のメモ 出来る子 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』を実践しているクラスを見る際、私が着目するのは、そのクラスの出来る子たちです。

 出来ない子は多様です。実に様々です。ところが出来る子(まあ、正確に出来て、素直な子。つまり良い子)は教師の求めている姿に収斂しているからです。少なくとも、教師の目の前では、「教師の求めている姿、と、その子が思っている姿」をします。

 出来ない子が学び合わない理由は千差万別で、対応策も千差万別です。そんなこと教師が出来るわけありません。でも、出来る子が学び合わない理由は、たった一つです。教師が学び合うことを求めていないからです。そして、その原因もたった一つです。それは『学び合い』の考えを考えとして捉えず、テクニックとして捉えてしまっているからです。

 子ども、特に出来る子は、自分の心の鏡です。彼らは、教師の言っている言葉に反応しているのではありません。教師の四六時中の言動をトータルに分析し、判断します。私はそのクラスの教師の姿をトータルに分析できません。しかし、トータルに分析した出来る子の姿をちょいと見れば、直ぐに分かります。

[]折衷案 15:36 折衷案 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 折衷案 - 西川純のメモ 折衷案 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 良いものと良いものを組み合わせるというのは、安全に一定以上のものを生み出せる方法です。ただし、それは基本的前提が同じ場合のみのことです。例えば、ウマが美味しい草とライオンが美味しい生肉をブレンドしたものは、ウマもライオンも美味しいとは思わないでしょう。

 どうしてもまとめをしたいという先生は少なくありません。まとめが名人級にうまい先生がいたとします。その先生が前半は『学び合い』で、最後の10分ぐらいまとめをしたとします。結果は良いものにはならないでしょう。何故でしょう?

 『学び合い』では「みんな」が分かることを課題とします。もし、それが成立しなかったら、「何で出来なかったんだろう?」と問いかけ、そして、それがいかに大事かを語ります。それによって子どもたち一人一人が、自分たちの頭で解決することを求めます。しかし、最後の10分ぐらいをまとめをしたとしたら、子どもはみんなが分からなかった原因は自分たちが足りなかったから、と思うでしょうか?否です。きっと、「先生がちゃんとやらないからだ」と思うのではないでしょうか?特に出来る子がそう思います。だって、まとめが必要だと思う心に手を当ててください。なんで、そんなことをしたんですか?その答えを子どもたちが察します。

 私は、最初に短く課題を語り、「さあどうぞ」と語り、まとめをせずに終わる、というラディカルな授業を提案しつつけています。ラディカルなように見えるかも知れませんが、それが『学び合い』の学校観・子ども観に素直に従った結果ですから。多くの常識的な先生の場合、そこまでいかずに中庸(?)な折衷案をされているでしょう。それを全面否定はしませんが、何故、それをしているのかを自己分析してください。子どもたち、特に出来る子は、あなたより正確にそれを分析していますよ。怖いでしょ?

追伸 世のしがらみで、典型的な一斉指導スタイルをせざるを得ない同志も少なくないでしょう。でも、ご安心あれ、そのあなたの心の葛藤も子どもは見抜いています。頼もしくもあり、怖くもあり。つまりポイントは何をやっているかではなく、何を信じているか、なんです。

makine45makine452009/01/06 21:33私よりF先生が先ですけど、確かに『学び合い』に心が向いている私はそのように読んでいると思います。そして、この方向には確信があります。

jun24kawajun24kawa2009/01/07 16:52我々でその方向性をはっきりと多くの人たちに示せるように、早くなりたいと焦る気持ちを読みながら感じました。でも、あの本は良い本だった。いろいろなところで理論武装で使える本ですね。紹介、感謝!

09/01/04(日)

[]これもまた幸せ 19:25 これもまた幸せ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - これもまた幸せ - 西川純のメモ これもまた幸せ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 家内→息子とうつって、最後に私のところに来ました。下痢がひどい風邪です。ということで、今日は一日中、三人でごろごろ寝ていました。これもまた幸せです。

 が、38度の熱は難儀だ。

yukari0841yukari08412009/01/05 09:02ご家族の皆様はもうよくなりましたか?
私も1月2日午前1時ころ、息子を救急外来に連れて行きました。こんなことが何回あったかなーと考えました。
自分自身より、子どもの具合が悪いほうがつらい部分もありますが、大人の38度はとてもとても難儀なことと思います。
お大事に。

jun24kawajun24kawa2009/01/05 16:24ありがとうござました。
今度の風邪は1~2日で復帰します。
きっとお子様も直ぐに復帰されると思いますよ。

o4dao4da2009/01/05 16:40N先生は、復帰されたのですかね

先生もスーパーマンのように活躍されていらっしゃいますが、

無理なさらず ご活躍くださいという気持ちになりました

jun24kawajun24kawa2009/01/05 17:21そうしなくていいように、あなたの活躍を期待しているよ~ん

09/01/03(土)

[]横顔 16:13 横顔 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 横顔 - 西川純のメモ 横顔 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子が嘔吐と下痢で脱水状態になり、医者に行きました。おそらく正月料理を食べ、いろいろなところを歩き回ったためだと思います。点滴をしたら回復しました。が、まだ眠たそうです。ということで、かれこれ5時間近く息子の添い寝をしています。5時間見ても見飽きません。美しい、と思います。

[]70万ヒット 06:59 70万ヒット - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 70万ヒット - 西川純のメモ 70万ヒット - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ご愛顧、感謝します。

ながたくながたく2009/01/04 13:57あけましておめでとうございます。
疲れかもしれませんね。
でも、お父さんのその思いはきっと覚えていますよ。
親の愛が何よりの薬ですね。

jun24kawajun24kawa2009/01/04 19:23忘れたら、思い出させますよ。あははは

09/01/02(金)

[]息子の初夢 07:52 息子の初夢 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 息子の初夢 - 西川純のメモ 息子の初夢 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 朝一番に、息子にどんな初夢を見たかを聞きました。それによると電車を運転して富士山に行く夢だそうです。

 東京に同京駅という駅があり、次は富士山麓駅、次は富士山渓谷駅、終点は富士山頂上駅だそうです。同京駅から富士山麓駅までは複線で、そこから先は単線です。電車の色は赤だそうです。乗客の数を聞いたところ、それほど多くはなかったそうです。息子は電車を運転し、富士山頂上駅で川遊びをしたそうです。

 出来すぎの初夢ですね。

n110n1102009/01/04 18:04明けましておめでとうございます。
いつもブログを楽しく読ませていたたせいています。
仕事も家庭もhappyになさっている先生を目標に今年もがんばります。昨年富士山に小2の息子と登りました。達成感がありました。

jun24kawajun24kawa2009/01/04 19:23お~、それは凄い。良い思い出になりますね。

chunsuzumechunsuzume2009/01/04 22:04あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

ところで、ご子息の初夢の話ですが、もしかすると正夢になるかも知れません。(頂上までは無理かな・・)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090103-00000531-san-soci

jun24kawajun24kawa2009/01/05 08:05こちらこそ、よろしくお願いします。
グッドニュースありがとうございます。
息子に教えたらニコニコしながら驚いていました。

09/01/01(木)

[]初夢 10:21 初夢 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 初夢 - 西川純のメモ 初夢 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の大好きなSFに「断絶の航海」(ジェイムズ.P.ホーガン)というSFがあります。内容を簡単に説明します。

 地球が壊滅的な打撃を受けた第三次世界大戦から復興した2040年に、アルファ・ケンタウリから通信が入った。内容は戦争直前に出発した移民船が植民に成功したという知らせです。早速、地球からその星に使節団が出発しました。到着すると、使節団はとまどってしまいます。何故かというと、交渉の相手となるべき中央政府がありません。それどころか、組織だった行政組織が何もありません。あるのは、町内会に毛が生えた程度の組織の集合体です。また、「お金」という概念がありません。当然、貧富の差はないし、窃盗等の犯罪もありません。強いて、「お金」に対応するものを探すと「尊敬」というものがあたります。

 このような社会が成立した理由は二つあります。第一に、移民団は受精卵レベルの子どもたちだけだったんです。そして、その子どもたちは、移民船につんであったロボットに育てられました。そのため、政治的偏見(その他、様々な因習・偏見)に汚染されることなく育ちました。さらに、ロボットが中心となって生産性の高い生産業を成立させました。その結果、個人が望むも以上の生産があるため、蓄財する必要もなく、「お金」の概念も生じませんでした。このような社会を見て、使節団の中にいる旧来型の政治家・金持ちは「無政府状態だ!」と怒り狂います。

 詳細は、小説に譲りますが、このSFは非常に面白いです。第一に、旧来型の政治家・金持ちが、いかに中央政府・金融システムが必要だと強調しても、移民達に無視される様子が滑稽です。さらに、使節団の人たちも、この星のシステムの良さに気づき、自分たちの社会の異常さに気づき、一人一人が移民社会に同化します。結局、極めて平和的に地球型のシステムは敗北します。

 という内容です。小説の後書きには何故、この小説のアイディアを得たかが説明されています。世界各地では紛争がありますが、双方とも「相手が最初にやった」と言うことを言い合って血で血を洗う状態が続きます。この状態を何とかするには、子どもたちを今までの因習から隔離して育てるしかない、という友人との話し合いから始まったそうです。

 社会には様々な因習があります。世界の富の半数は2%人が持っており、世界の富の99%の富を10%の人が持っています。それだけの富を持っている人だって、食べる量は変わりません。そうなると、その富は数十万円のワインを買うために使われ、おなかが一杯になれば、ダイヤモンドを買うために使われます。しかし、高価なワインを飲むことや、ダイヤモンドを持っていることが幸せに繋がると考えるのは因習でしょう。

 多くの受験生は、自分の未来を考えることなく、高校に進学します。そして、大学に進学する人も多いです。その学校を選ぶのも受験雑誌に書かれる偏差値を元にしており、偏差値が一つでも高い学校が良い学校だと思いこんでいます。でも、これは保護者も教師も、つまり大人がそう思いこんでいるからです。

 世の中には、運動会の100m走で手をつないでゴールすべきだと思いこんでいる教師がいます。テストの点数を張り出すことは競争をあおることだと思いこんでいる教師がいます。これも因習です。だって、そう思うのは100mが早いことが「良いことだ」と思いこみ、テストの点数が高いことが「良いことだ」と思いこんでいるからです。でも、100mのタイムが人生にどれほどの意味があるでしょう?テストで計られる、「鎌倉幕府の成立年」、「右という漢字の書き順」、「仮定法過去完了の問題」に人生にどれほどの意味があるでしょう?ところが、それを「良いことだ」と思いこみ、果ては、それを人間の序列だと心の中で思ってしまっているから、手をつないでゴールさせたり、テストの点数を非公開にするのです。そのような教師の下で育てば、子どもはそのように思いこみます。その結果、点数の高い子は低い子を馬鹿にし、低い子は卑屈になり、そして、子ども一人一人が分断されてしまいます。

 日本人の全員は小中学校に行きます。そして、ほとんどの人が高校に行きます。その小中高の先生方は約100万人です。毎度のことですが、ニッパチ理論から考えて、20万人の先生が革新者(確信者)となれば、日本の教育は変わります。20万人とは私の住んでいる新潟の地方都市である上越市の人口にも満たない人数です。その人数が変わったならば、日本人の殆どは、多感な12年間、現代の日本とは隔離された学校という社会の中で、ホーガンが描いた社会を経験することが出来ます。空想的共産主義と笑われた社会、理想的な民主主義を経験することが出来ます。

 そんな子どもが大人になれば、どんな社会が実現できるでしょうか?一人一人が見捨てられず、多様な人と多様に繋がりながら生活できます。何か悩んだときは、直ぐに相談できる仲間が歩いて移動できる範囲にウジャウジャいるのです。ごく一般人が生まれたときには何百人の人から祝福され、ごく一般人が死ぬときは何百人の人に見取られます。それが普通の社会です。

 業者テストの最低点の上昇に現れるように、社会全体として生産性は驚異的に上がります。当然、犯罪は驚異的に激減するでしょう。生産された資源は、医療・福祉に費やされます。そして、そのような社会では「尊敬」という無限の通貨によって動かされるのです。そのような社会が日本で形成されたならば、それは世界に波及するはずです。いや、日本を追い越す速度を達成する国は少なくないと思います。

 先に述べたように世界の富の半数は2%人が持っており、世界の富の99%の富を10%の人が持っています。その富が高級ワインやダイヤモンドに行くのではなく、世界に広がれば数十億の人たちが後期中等教育を受けることが出来ます。そうなったときの生産性の向上は凄いものです。それは我々が世界を「みんな」と考えられ、折り合いをつけた方が得であると実感できるか、否かによって決まります。

 私が教科教育学者として目指したものは、最初は、理科の特定の領域の問題の正解率が10%程度上昇する程度でした。『学び合い』にシフトした当初であったときも、私が高校教師として教えたオール1の子どもでも、理科の問題がそこそこ解けるようになれることを目指していました。そんな程度です。ところが今では上記の妄想をリアルにイメージできるのです。冷静に考えれば、馬鹿馬鹿しいと思うのですが、『学び合い』を実現したクラスの様々な分析結果は上記を支持しています。もちろん、『学び合い』のクラスにおいても悩みはあり、ルールからの逸脱もあるでしょう。しかし、それらをクラスがみんなで解決できるので、現在より遙かに効率が良いし、安定しています。『学び合い』が成立した社会も同様です。もちろん、『学び合い』の社会においても悩みはあり、犯罪もあるでしょう。しかし、それらを社会がみんなで解決できるので、現在より遙かに効率が良いし、安定するはずです。決して、みんな、みんなが仲良しというわけではありません。腹の中では嫌いだと思う人がいても良いんです。でも、その人を含めて、より多くの人と折り合いをつけた方が有利だし、安易に人を切り捨てると自分にそんであることを体で知っている大人が社会を動かします。

 多くの同志は、どれほどのクラスを実現できているでしょうか?不完全であったとしても、以前のクラスに勝る集団が形成されている、形成されつつあると実感しているからこそ同志なのだと思います。それが社会となった姿を想像して下さい。この理想社会が「たった20万人の教師」で実現できるのです。SFで求めるような未来の技術は不要です。

 全国の子ども、保護者、教師の同志に願います。このことをリアルに想像して下さい。我々の存命中に、我々の子や孫に理想社会を提供することは出来るはずです。高い志を持ちつつ、現実に柔軟に対応しましょう!

daitouirukadaitouiruka2009/01/01 11:47 世界の未来を見据えた壮大な初夢ですね。
 そして、決して絵空事ではないと感じられる夢ですね。

jun24kawajun24kawa2009/01/01 17:34はい、そんな凄いことしなくても、世界は変わると思えるようになりました。

o4dao4da2009/01/02 00:37あけましておめでとうございます。早速どすごい記述ですね。ガンガンに期待をこえて活躍されることを心から楽しみにしています。先生は、どこまでいくのでしょうね!

jun24kawajun24kawa2009/01/02 07:48あははは
いっしょに行きましょうね!
例の件、期待していますよ。

abematuabematu2009/01/02 09:17あけましておめでとうございます。
あべたかです。

師匠。
今年もその言動に注目し、ついて行きます!
よろしくお願いいたします。

jun24kawajun24kawa2009/01/02 09:36こちらこそ、あなたについていきます。
あ、それじゃ、エルマーの虎になってバターになっちまう。あははは。多様な方向から、アプローチしましょうね。

kogapon7kogapon72009/01/02 10:58新年からものすごい夢を見せていただき、ありがとうございます。
100%共感します。
今年もよろしくお願いします!

jun24kawajun24kawa2009/01/02 16:27例の件、期待していますよ。
あれって、マスコミ関係の人は読むからね。

ybhdv7ybhdv72009/01/02 16:41その夢を早く実現させるために、ガンガン動きます♪
わくわくです。

jun24kawajun24kawa2009/01/02 17:24おじさんには思いつかないこと、がんがんやってね。

Y.MochizukiY.Mochizuki2009/01/04 12:47あけましておめでとうございます。
今年もblog 毎日拝見します。

http://www.mochizuki.net/

jun24kawajun24kawa2009/01/04 19:22いろいろと期待しているからね!