西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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08/11/30(日)

[]クイズ 19:41 クイズ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - クイズ - 西川純のメモ クイズ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 クイズです。もし、勉強の出来る子どもが「私はもう分かってるから、自習したいんだけど」とか、ある子が「私は自分でこつこつやるほうが得意だから、一人で図書館で勉強したいんだけど」と言われたら、どう答えるでしょうか?

 まあ、人と関わることの意味を語るでしょう。でも、それが度がすぎてしまうと、「男女で一緒に勉強しなさい」とか、「いつもと違う人と勉強しなさい」とか、「違った学年で勉強しなさい」とか・・・関わり方の方法を求めてしまいます。しかし、これでは学び合うこと自体が目的であるグループ学習と一緒になってしまいます。まあ、対処療法としては有効だし、『学び合い』の初期段階の説明としては「あり」だと思います。でも、本当だったら「いいよ」と応える方が良いと思います。そして、「君が勉強したい方法でやっていんだよ。だから、一人でやっても、今日の課題を超えたものをやったことをやって良いんだよ。でもね、先生がみんなに与えた課題は、みんなが課題を達成することなんだ。君が君にあった方法で学ぶことは自由だけど、君もみんなが課題を達成することに対する責任を負っているんだよ」と語るべきです。つまり、何が課題かをハッキリさせるべきだと思います。

 子ども達が自分が分かるために立ち歩き、相談し合う段階は、本当の意味では『学び合い』ではありません。みんなが課題達成するために、自分が分かることが必要で、そのために立ち歩き、相談し合うのが『学び合い』です。また、自分は分かっているが分かっていない人がいないか、それを意識し立ち歩き、相談し合うのが『学び合い』です。これは、大人の集団でも同じです。例えば、昨日の宮城の会での模擬授業での場面でも、まだ『学び合い』が腑に落ちていない人の場合は、立ち歩けないし、立ち歩く意味を見いだせないし、立ち歩いたとしても自分が分かるために立ち歩きますし、また、関わることの楽しさを純粋に楽しむために立ち歩きます。でも、腑に落ちた人の場合は、「みんな」を達成するために自分が分かろうとするし、「みんな」を達成するために達成できない人はいないかを探し始めます。

大人にせよ、子どもにせよ後者の人は全てであることベストですが、必ずしも、全員でなければ『学び合い』は成立しないわけではありません。後者の人が集団の中に一定以上いれば『学び合い』は成立します。また、本来は後者の人であったとしても、構造の中で前者の役を演ずる場合も十分にあります。しかし、少なくとも教師は、そしてありとあらゆる職業における管理職は、後者(潜在的にもふくめて)である必要があります。なぜなら、その違いが分からないその人の管理する集団は、初期段階を脱することはかなり困難だと思います。なぜなら、「私はもう分かってるから、自習したいんだけど」とか、ある子が「私は自分でこつこつやるほうが得意だから、一人で図書館で勉強したいんだけど」という子どもの問いかけに、ちゃんと応えることの出来る「腹」が無いからです。

私は自分のクラスである学生に対しては、少なくとも私の管理下にいては「西川研究室の目標」の達成を求めます。一応、ブログなども勧めます。というのは、教育の改善に向かえる方法だと思うからです。しかし、それを拒否する権利を常に留保しています。しかし、その場合においても、「教育の改善のために何をなせるか、成そうとしているか」を説明することを求めます。何故なら、先に述べた後者を生み出したいと願っているからです。しかし、私の管理下を離れれば、自由です(当たり前です。あははは。それは全国の同志に対しても同様です)。その後の行動は、その人のお考えいかんです。しかし、どう行動するか、いや、どう考えるかで、『学び合い』が出来るか否か、それが初期段階に留まるか、充実段階・発展段階に進むか(もっと正確に言えば、高い段階を維持し続けられるか)否かが決まります。

追伸 本日の朝一番に仙台を出発しました。なんと、T県のO4とばったりと一緒になり、ということで直江津に到着するまでの5時間、ずっと、話し合いました。話題の中心は上記のような「みんな」のことです。5時間の殆どをかけて、教師が出会う、ありとあらゆる場面の事例を、『学び合い』の学校観で読み解くと何が見えるかを説明しました。

o4o42008/11/30 20:14本ーーーーーー当にありがとうございます。

jun24kawajun24kawa2008/11/30 21:43ど~~~~~~いたしまして。

daitouirukadaitouiruka2008/11/30 22:03 以前(随分以前なので、多少記憶違いもあるかも知れませんが)ある方に「私達が生きていく上でなすべき事は、社会に対して自分のできることで恩返ししていくこと。違いますか?」と言われ、目の前が開けた事があります。 
 「そんなの当たり前」と思われるでしょうか?少なくとも当時の私には衝撃的な言葉でした。「いかに自分の事しか考えていない人間だったか」をその時思い知らされたからです。驚いたことに、恥ずかしいことに、「人は私に何をしてくれるか?」のみで、「私は人に何ができるか?」という考えがなかった。全く自己中心的。
 その言葉に出会った後、私と同じような考え方の人がかなり多いことにも気付きました。そして同時に、誰かのために当たり前のように動いている人も、私の周りだけでも少なからずいるということにも気付きました。それからは、後者のような人に出来るだけ近付けるように心掛けているつもりだし、受け持った子ども達にも語り続けています。自分への戒めも込めていることを付け加えながら。
 『学び合い』の考えも同じですか?私が「同じだろうな。」と感じたことも、『学び合い』に惹かれた要因の一つです。

jun24kawajun24kawa2008/11/30 22:25全ての生物はエゴイストです。それを恥じる必要はありませんよね。そういう風に作られていて、それで生き残ったのが現在の生物ですから。でも、エゴをそのままで、それだけでは、群れる生物は生き残れません。「社会に対して自分が出来ることで恩返しする」ことを「折り合いをつけて」実行することは、自分に得だと思います。理念は集団及び、構成する個の利害に一致すべきだと思います。まあ、案外、一致するように生物はなっているんですよね。だって、一致していない生物は、とっくのとうに淘汰されていますから。

daitouirukadaitouiruka2008/12/01 00:58納得。納得です。
エゴいっぱいの下心ありでも、それが誰かの役に立つことなら、OKなんではないでしょうか。
以前、障害者施設の代表の方にお話を伺った時、「どんなに美しい言葉を並べていいことを言ってくださる方よりも、実際、売名行為でも何でもいいから、お金を寄付してくださる方のほうが、この施設にとっては助かるんです。」とおっしゃっていたことを思い出しました。

個人の言動と特性のお話も。
私も(「も」と言っていいのでしょうか?私の思いこみで、先生のお考えとはひょっとしてずれているのかもしれませんが)、一般に言われている「性格」も個人の中にあるのではなく、我と彼の間に存在するものだという考え方をとっています。「真実」はどうかわかりませんが、そう考えた方が、私としては様々な問題が扱いやすくなるのです。

jun24kawajun24kawa2008/12/01 06:37はい、その立場をとっています。
結局、モデルにすぎませんから、個人の中にあると考えても、外にあると考えても、現象を観ることは可能です。
でも、個人の中にあると考えると、その人を攻撃したくなる気持ちが起こりますし、非生産的です。
個人の外にあるという見方で、環境を変える方法の方が、今までの経験上、生産的です。