西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

08/11/30(日)

[]東京の会 21:54 東京の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 東京の会 - 西川純のメモ 東京の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 東京の会に関しては、以下をご参照下さい。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/Kyo_Tokyo/20081130

[]補足 22:20 補足 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 補足 - 西川純のメモ 補足 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 蛇足ながら、以下のことを補足します。

 私は『学び合い』に拘らず、他の人のことを組み込んだ目標を設定し、行動する人を尊敬しています。本当により広い群れのためにやっている人であれば、偏狭なイデオロギー論争ではなく、そのために何が出来るかという事実のレベルで議論し、高め合うことは出来ます。

 私が拘っていることは、「家族仲良く、健康に」であり、それを実現するために「一人も切らない教育」を目指しています。そして、それを実現するために『学び合い』の学校観・子ども観が最善であると信じています。しかし、それ以上のものを見いだせば、直ぐに代えます。従って、方法論レベルのことなんて、どうでも良いことです。それらは今の私にとっての見え方の一つにすぎません。

 もう一つは、以下のメモも、その他のメモも、個人の言動をその人の特性と考えるのは我々の作法ではありません。あくまでも関係の中の「役」であると理解し、関係を代えるのが我々の作法です。我々のやるべきことは、個々人をどうこうするより、関係を代えるためにやっています。

 私が「悪いわけではないし、愚かであるわけではないし」と書く理由は、上記の通り、本気でそう思っています。

[]クイズ 19:41 クイズ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - クイズ - 西川純のメモ クイズ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 クイズです。もし、勉強の出来る子どもが「私はもう分かってるから、自習したいんだけど」とか、ある子が「私は自分でこつこつやるほうが得意だから、一人で図書館で勉強したいんだけど」と言われたら、どう答えるでしょうか?

 まあ、人と関わることの意味を語るでしょう。でも、それが度がすぎてしまうと、「男女で一緒に勉強しなさい」とか、「いつもと違う人と勉強しなさい」とか、「違った学年で勉強しなさい」とか・・・関わり方の方法を求めてしまいます。しかし、これでは学び合うこと自体が目的であるグループ学習と一緒になってしまいます。まあ、対処療法としては有効だし、『学び合い』の初期段階の説明としては「あり」だと思います。でも、本当だったら「いいよ」と応える方が良いと思います。そして、「君が勉強したい方法でやっていんだよ。だから、一人でやっても、今日の課題を超えたものをやったことをやって良いんだよ。でもね、先生がみんなに与えた課題は、みんなが課題を達成することなんだ。君が君にあった方法で学ぶことは自由だけど、君もみんなが課題を達成することに対する責任を負っているんだよ」と語るべきです。つまり、何が課題かをハッキリさせるべきだと思います。

 子ども達が自分が分かるために立ち歩き、相談し合う段階は、本当の意味では『学び合い』ではありません。みんなが課題達成するために、自分が分かることが必要で、そのために立ち歩き、相談し合うのが『学び合い』です。また、自分は分かっているが分かっていない人がいないか、それを意識し立ち歩き、相談し合うのが『学び合い』です。これは、大人の集団でも同じです。例えば、昨日の宮城の会での模擬授業での場面でも、まだ『学び合い』が腑に落ちていない人の場合は、立ち歩けないし、立ち歩く意味を見いだせないし、立ち歩いたとしても自分が分かるために立ち歩きますし、また、関わることの楽しさを純粋に楽しむために立ち歩きます。でも、腑に落ちた人の場合は、「みんな」を達成するために自分が分かろうとするし、「みんな」を達成するために達成できない人はいないかを探し始めます。

大人にせよ、子どもにせよ後者の人は全てであることベストですが、必ずしも、全員でなければ『学び合い』は成立しないわけではありません。後者の人が集団の中に一定以上いれば『学び合い』は成立します。また、本来は後者の人であったとしても、構造の中で前者の役を演ずる場合も十分にあります。しかし、少なくとも教師は、そしてありとあらゆる職業における管理職は、後者(潜在的にもふくめて)である必要があります。なぜなら、その違いが分からないその人の管理する集団は、初期段階を脱することはかなり困難だと思います。なぜなら、「私はもう分かってるから、自習したいんだけど」とか、ある子が「私は自分でこつこつやるほうが得意だから、一人で図書館で勉強したいんだけど」という子どもの問いかけに、ちゃんと応えることの出来る「腹」が無いからです。

私は自分のクラスである学生に対しては、少なくとも私の管理下にいては「西川研究室の目標」の達成を求めます。一応、ブログなども勧めます。というのは、教育の改善に向かえる方法だと思うからです。しかし、それを拒否する権利を常に留保しています。しかし、その場合においても、「教育の改善のために何をなせるか、成そうとしているか」を説明することを求めます。何故なら、先に述べた後者を生み出したいと願っているからです。しかし、私の管理下を離れれば、自由です(当たり前です。あははは。それは全国の同志に対しても同様です)。その後の行動は、その人のお考えいかんです。しかし、どう行動するか、いや、どう考えるかで、『学び合い』が出来るか否か、それが初期段階に留まるか、充実段階・発展段階に進むか(もっと正確に言えば、高い段階を維持し続けられるか)否かが決まります。

追伸 本日の朝一番に仙台を出発しました。なんと、T県のO4とばったりと一緒になり、ということで直江津に到着するまでの5時間、ずっと、話し合いました。話題の中心は上記のような「みんな」のことです。5時間の殆どをかけて、教師が出会う、ありとあらゆる場面の事例を、『学び合い』の学校観で読み解くと何が見えるかを説明しました。

[]西川研究室の目標 19:41 西川研究室の目標 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 西川研究室の目標 - 西川純のメモ 西川研究室の目標 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教師は手の内をさらすべきだと『学び合い』では主張します。私も、私の実践の場である西川研究室では手の内をさらしています。あまり読まれた方はないと思いますが、HPの方に公開しております。その中で目標を以下のように書いてあります。

 『本研究室の目標を「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」としました。

 おそらく皆さんの本当の希望は「自分の心に響き、自らを高め」であると思います(単に修了・卒業したいレベルの人は、西川研究室に所属しよう何て思いませんから)。実は私もそうです。しかし、そのレベルを超えた目標を、研究室の目標として掲げることは重要だと考えています。

 世の中には倫理学というのがあります。大学生の頃、それを読みあさった時があります。でも、カント、ヘーゲル、西田は全く分かりませんでした。相対的に分かりやすかったのは和辻です。でも、それでも分かりませんでした。それいらいずっとご無沙汰でしたが、「利己的なサル他人を思いやるサル」という本はどんな倫理学の本より面白く、ためになりました。それによれば、サルにおいても倫理的と思われる行動が見られます。そして、その行動が発生する理由は、その行動によって間接的に利益を得るからです。つまり、弱い仲間を助けたサルは、その群れの他のメンバーから「お返し」が来るんです。なぜ、そんな「お返し」をするかといえば、自分が弱い立場になった時の「保険」みたいなのものです。カント、ヘーゲル、西田のように、どっかに純粋無垢な「善」があるように書かれるのではなく、生々しく、かつ、凄く納得出来るものです。我々は、学び合う能力は本能の中にあると考えています。だから、ゴチャゴチャ言わなくても、自然に発生するものだと信じています。上記の知見は、教師がゴチャゴチャ言わなくても、自然に助け合いが起こるであろうと期待出来ることを証明するものだと思います。

 しかし限界があります。別な猿学者の「ケータイを持ったサル」という本によれば、サルが自身の群れと感じる範囲は極めて狭く、基本は親兄弟で、広がっても普段見知っている集団を越えることは無いそうです。そして、現代の「ひきこもり」や「傍若無人の若者」は、人間の本能の中に組み込まれた「群れ」の範囲がサル並だと考えると、至極当然に解釈出来るとしています。おそらく、これは若者に限らず、人間全般の本能の限界と考えるべきなのでしょう。例えば、年配のおばちゃんが、人の迷惑考えず大声を出しているのは、自分が話している以外の人を、「群れ以外」と分類し、人と認識していないからです。

 私はサルと同じように、自身の損得と、社会の損得自身を冷静に分析し、社会の損得に矛盾しない自分の損得を設定することは「得」だと思います。つまり、みんなを助けるという社会的要請に応えることが自分の得になっていることは、サルと同様に人間でも正しいと思います。ただし、人間の本能に組み込まれている「みんな(もしくは群れ・社会)は、サルと同様に親兄弟、もしくは見知った狭い集団レベルが限界なのだと思います。教師の例で言えば、せいぜい自分の学校の職員集団レベルで、それを越えた集団を群れと認識することは困難で、従って、郡市レベル、県レベル、日本レベルの集団に対する倫理的な行動をすることは困難なのだと思います。それを越えられるのは、本能ではなく、教育によらねばなりません。

 私の大学院の同級生に「教材レベル」の修士論文を書いた人がいます。修了した時に、「お前が作った教材をお前自身が使うの?」と聞きました。彼の返答は「使わない」とさばさばと答えました。つまり、彼にとっての、その教材は自分が修了するため「だけ」の意味しかありません。仮に、自分が使ったとしても、それだけでは、自分のため「だけ」の意味しかありません。ただし、これは教材レベルの研究に限りません。もし、自らが2年間かけてなしたものを自らが使わないならば・・。仮に、自分は使うとして、それを他の人に知ってもらえないならば・・・。私の知る限り、2年間の研究が終わったとたんに、「思い出」の中に死蔵される研究が多すぎるように思います。そして、そんな人は「損」だと思います。

 私には、自分のため、家族のため、そして自身の狭い群れである西川研究室のためという、相対的に狭い範囲の目標があります。しかし、同時に「専門職大学院のため」、「上越教育大学のため」、「学会のため」、「地元教育界のため」、「日本の教育界のため」等々の様々なレベルの目標があります。そして、それぞれに矛盾が生じないよう、相互に関連づけています。そのような多層的な目標を持つため、様々な人とリンクを持ち、かつ、その援助を得ることが出来ます。その結果、とても「得」をしています。

 一方、比較的狭い範囲の群れのための目標しか持たない人もいます。人それぞれですから、完全否定するわけではありませんが、「損な生き方だな~」と思います。そんな「自分」だけの視点でしか捉えられないならば、結局、周りの協力も限られたものです。色々な場で、短期的には要領よく立ち回っているため、長期的には損をして、そのことに気づいていない人を少なからず見てきました。要領よく「美味しい仕事」だけをかっさらって、「大変な仕事」をうま~く逃げる、そして口先だけは当たりがいい人っていますよね。そういう人って、本気でそれでOKだと思っているようです。でも、ちょっとの期間つきあえば、そのような人の「底」が見えます。そうなると、そういう人とのお付き合いは要領よく避けます。だって、そんな人とつきあうことは「損」ですから。

 以上の理由から、本研究室の目標を「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」としました。是非、皆さんの中で、この目標を基に、多層的な目標群を設定して欲しいと思います。』

 つまり、我々の研究室での「みんな」とは教育受ける人全て、つまり、全人類ということです。

追伸 もちろん、私が全人類をリアルに求め続けているか、と言われれば、すみませんと謝ります。でも、そうありたいと願っていることは本当です。そして、そういう人が増えて欲しいと願います。

o4o42008/11/30 20:14本ーーーーーー当にありがとうございます。

jun24kawajun24kawa2008/11/30 21:43ど~~~~~~いたしまして。

daitouirukadaitouiruka2008/11/30 22:03 以前(随分以前なので、多少記憶違いもあるかも知れませんが)ある方に「私達が生きていく上でなすべき事は、社会に対して自分のできることで恩返ししていくこと。違いますか?」と言われ、目の前が開けた事があります。 
 「そんなの当たり前」と思われるでしょうか?少なくとも当時の私には衝撃的な言葉でした。「いかに自分の事しか考えていない人間だったか」をその時思い知らされたからです。驚いたことに、恥ずかしいことに、「人は私に何をしてくれるか?」のみで、「私は人に何ができるか?」という考えがなかった。全く自己中心的。
 その言葉に出会った後、私と同じような考え方の人がかなり多いことにも気付きました。そして同時に、誰かのために当たり前のように動いている人も、私の周りだけでも少なからずいるということにも気付きました。それからは、後者のような人に出来るだけ近付けるように心掛けているつもりだし、受け持った子ども達にも語り続けています。自分への戒めも込めていることを付け加えながら。
 『学び合い』の考えも同じですか?私が「同じだろうな。」と感じたことも、『学び合い』に惹かれた要因の一つです。

jun24kawajun24kawa2008/11/30 22:25全ての生物はエゴイストです。それを恥じる必要はありませんよね。そういう風に作られていて、それで生き残ったのが現在の生物ですから。でも、エゴをそのままで、それだけでは、群れる生物は生き残れません。「社会に対して自分が出来ることで恩返しする」ことを「折り合いをつけて」実行することは、自分に得だと思います。理念は集団及び、構成する個の利害に一致すべきだと思います。まあ、案外、一致するように生物はなっているんですよね。だって、一致していない生物は、とっくのとうに淘汰されていますから。

daitouirukadaitouiruka2008/12/01 00:58納得。納得です。
エゴいっぱいの下心ありでも、それが誰かの役に立つことなら、OKなんではないでしょうか。
以前、障害者施設の代表の方にお話を伺った時、「どんなに美しい言葉を並べていいことを言ってくださる方よりも、実際、売名行為でも何でもいいから、お金を寄付してくださる方のほうが、この施設にとっては助かるんです。」とおっしゃっていたことを思い出しました。

個人の言動と特性のお話も。
私も(「も」と言っていいのでしょうか?私の思いこみで、先生のお考えとはひょっとしてずれているのかもしれませんが)、一般に言われている「性格」も個人の中にあるのではなく、我と彼の間に存在するものだという考え方をとっています。「真実」はどうかわかりませんが、そう考えた方が、私としては様々な問題が扱いやすくなるのです。

jun24kawajun24kawa2008/12/01 06:37はい、その立場をとっています。
結局、モデルにすぎませんから、個人の中にあると考えても、外にあると考えても、現象を観ることは可能です。
でも、個人の中にあると考えると、その人を攻撃したくなる気持ちが起こりますし、非生産的です。
個人の外にあるという見方で、環境を変える方法の方が、今までの経験上、生産的です。

08/11/29(土)

[]宮城の会 00:18 宮城の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 宮城の会 - 西川純のメモ 宮城の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 宮城の会から帰ってきました。とてもよい会でした。主催者の方が真面目で誠意ある方々であることをひしと感じます。よかった~。本当に、ご苦労様でした。

さて、私がそのような会が重要であると考えているかを説明したいと思います。

 人に説明する最善の一つの方法なんてありません。どんな方法も、合う人もあれば、合わない人もいます。『学び合い』では最善の方法を見いだそうなんて思いません。一人一人が自分にあった最善の方法を見いだせる選択権を出来るだけ与えます。『学び合い』では「みんな」の意味を語ります。折り合いをつけて「みんな」を求めることが、実は自分に返ってくることを説明します。そして、それさえ成り立ってしまえば、最善の方法は、その場、その場で、フェイスtoフェイスで考えれば良いだけのことです。

 『学び合い』の考え方は、今までの教育の考え方とは革命的に違います。私が語っても、M先生が模擬授業しても全ての人に伝わるわけではありません。それは、伝わらない人が愚かであるわけでもなく、悪いわけではありません。相性の問題です。だから、それに拘りません。だから、全ての人に伝わる方法を考えようなんて思いません。しかし、一方、伝わる人もいることも、伝わらない人が絶対にいることと同じぐらい、確かです。これが大事です。

 伝わる人に、折り合いをつけて「みんな」を求めることが、実は自分に返ってくることを語ります。これまた全ての人に伝わるわけではありません。それは、伝わらない人が愚かであるわけでもなく、悪いわけではありません。相性の問題です。だから、それに拘りません。だから、全ての人に伝わる方法を考えようなんて思いません。しかし、一方、伝わる人もいることも、伝わらない人が絶対にいることと同じぐらい、確かです。これが大事です。

 『学び合い』を伝わり、そして、「みんな」を求めることの意味を理解する人が、数人でも生まれたならば、ものすごい意味があります。今回の会を代表したMさんと出会ったのは新潟で開催された昨年の夏のフォーラムです。会の昼休みの時、見知らぬ人がいたので「どこからこられましたか?」と聞きました。「宮城からです」との返答です。話を聞いてみると、新聞に載ったY小学校の記事に触発されて『学び合い』をトライされたそうです。ところがうまくいかなかったそうです。しかし、何か心に引っかかるものがあったそうです。そこにフォーラム開催のことを知り、そのことを確かめに来たとのことでした。Mさんと半時間議論しました。今だから正直に書けますが、「この人は自分が失敗したことを正当化するために、私に議論をしつこくふっかけているのではないか???」という印象を持ちました。でも、私なりに誠意を持って語り続けました。しかし、私の想像では「この人への説明は失敗したかな・・」と思いました。ところがです、今年の1月26日にMさんからメールが来ました。それによれば、フォーラムの後、再度トライして手がかりを感じたそうです。その後、いくつかの事例解決に関してメールでやりとりをしました。メールのやりとりの中で、腑に落ちたことが分かります。そして2月23日の高崎の会には同僚二人を連れて参加してきました。懇親会で話してみると、お二人とも洗脳終了の段階です。ビックリしました。その懇親会で、本日の会の日程が決まってしまいました。そして、本日、六十人を超える人が集まる会が開催されました。だから、数人でも伝える意味を分かる人が生まれれば、十分に意味があると私は考えています。これは授業における最初の語りと同じです。全員に分かるようにしなければならないと考えると、歪みが生じます。分からなければ、その子どもが愚かであると考えたり、悪いと考えたりします。でも、愚かであるわけではなく、悪いわけではなく、相性が合わなかっただけだと考える方が健全だと思います。大事なのは、全てに分かる説明をするのではなく、「みんな」が分かることの意味を伝えられる人に伝えることです。

 本日の会で、私がどれだけ伝えられたかは分かりません。しかし、世の中に『学び合い』を学ぶために集う人がいるのは「自分だけではない」ということは可視化されたと思います。自分一人でやっていると思っていたが、実は、隣の学校に実践者がいることを発見した人がいました。相談する相手がおらず分からなかったことを聞けた人はいました。それだけでも意味があります。そして、新潟のフォーラムのMさんのように伝えることの意味を分かる人が数人はいたと信じております。

 昔は点でしたが、今は点と点が繋がり線となり、その線が絡み合っている段階です。そして、認知度が一定以上を超えたとき、面になります。そのために、地道なことをしている段階です。今、いろいろなところで種がまかれています。そして、今、各地の会が結ばれつつある段階です。私は未来に対して楽観しています。なぜなら、時代の必然だと考えているからです。そして、ゴタゴタしたご託ではなく、はっきりとした結果を出せるからです。

追伸 東京にKさんという方がいます。この前の大阪の会で初めてお会いしました。直接お会いするのは今回で2度目です。この会の懇親会で、東京で『学び合い』の会を開くと宣言しまし、日程も決めました。この展開は、Mさんと同じです。伸びる会は、参加者がいつの間にか主催者になるという特徴があります。

[]自信 07:36 自信 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自信 - 西川純のメモ 自信 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生がゴチャゴチャと研究していることを説明すると、「短く言って」と言います。よい研究は短く語れ、そして、心に響くものです。

 本日も『学び合い』グループのブログを読んでいました。そこで「きっと,「自信」というのは一人だけでは持てなくて,他の人と相談し意見を交わすことで「自信」になるのだと思います。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/D902i/20081128)」を見つけました。心に響きました。きっと、今後、この言葉を私は何度も何度も使います(もしかしたら、その当人に対しても)。

 今日は、宮城の会の日です。これから朝ご飯を食べます。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2008/11/30 11:06西川先生へ

宮城の会では大変お世話になりました。ありがとうございます

東京での『学び合い』の会の幹事をさせ頂くことになった「きょう」と申します

東京の公立小学校で教員をしています

先生に、ご紹介頂いたように、3月28日(土)に東京新宿の高田馬場で、『学び合い』の勉強会を開催したいと考えています

(時間は、他の会同様、昼頃から、夕方くらいまででよろしいのでしょうか?)

『学び合い』の会に参加してまだ1ヵ月も経っていませんし、その後、実践を始めた自分のクラスでの『学び合い』も悪戦苦闘中なのに、私が幹事をやって良いものか?という気持ちもあるのですが、西川先生も、三崎先生も快諾して頂いたので、東京を中心に『学び合い』を広める為に頑張りたいと思います

このメッセージをご覧になった方へのお願いなのですが、もし当日、ご自身の実践発表を行って頂けたり、運営にお手伝い頂ける方がいらっしゃいましたら、「きょう」まで連絡頂けると幸いです

また、『学び合い』に興味をお持ちの方が、周りにいらっしゃいましたら、勉強会をご紹介頂けると嬉しく思います

連絡先は dolf405 とyahoo.co.jp を@マークでつないで頂けると、私のメールアドレスになります

既に会場で、東京と埼玉の先生お二人と知り合いになり、ご一緒に企画をさせて頂く事になりました

皆さまのご参加お待ちしています

きょう

katunori-skatunori-s2008/11/30 12:40遅刻してしまい、失礼しました。先生のお話は後ろ半分しかうかがえませんでしたが、それでも一緒にいった仲間は「よし、やるぞという気持ちになった」と言ってくれました。(ようやく…。Mさんのように、自分で洗脳できなかったんですね。)
東京の「きょう」さん、ブログの開始、楽しみにしています。

jun24kawajun24kawa2008/11/30 15:52お二人、ありがとう。
お二人のような方がいるから、落ち込みがちな私が、生きていけます。

isinomakiisinomaki2008/11/30 20:31N先生,今回は大変お世話になりました。ありがとうございました。今回は主催者側として動いたので,講演や模擬授業,実践報告などをそれだけに集中して聞いたり考えたりすることができず,その面だけみれば十分「学べ」なかったかもしれません。しかし,ここにいたるまでに,様々な人と関わり,その中で学ぶことができたり,また,この会を実施するに当たり地元の仲間とのつながりをより深め,また広げることができたことは今後の大きな糧となることを確信しています。貴重な経験をさせていただいたN先生始め,皆様に感謝致します。そして今後ともよろしくお願い致します。(本日出勤だったため,お礼のご挨拶が遅れ申し訳ありませんでした。)

jun24kawajun24kawa2008/11/30 21:46isinomakiさんは凄い人だな~っと感じました。中国語の「大人」という感じです。とても楽しかったです。感謝。

isinomakiisinomaki2008/11/30 22:45N先生がそんな簡単に「凄い」なんて言葉を使うと「その意味は…????」なんて考えてしまうのでやめてください。(笑)常に蛇行状態です…。少しずつ進めるようにします。

jun24kawajun24kawa2008/11/30 22:54あはははは
期待しています!

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2008/12/01 00:40katunori-sさんへ

既にご訪問頂きましたが、ブログ開設しました

今後とも、よろしくお願い致します

西川先生へ

先生の眼は信念に満ち溢れていると思いました

そんな先生でも落ち込むことがあると聞くと、私自身が
落ち込むことがあったとしても、ある意味、励みになります

また、私自身の勉強会については、懇親会でもお話しましたが
浮ついた気分で開催していた部分もあったと思います

しかし、『学び合い』の勉強会を任せて頂いた以上は、私自身も
責任を持って行いたいと思います

私自身は善人でも悪人でも無く、普通の人間だと思っています

私欲が無いと言ったら嘘になりますが、目先の私益の為に
大きな感動を失うような人間には成らないようにしたいです

isinomakiさんへ

宮城の会では、大変お世話になりました

東京の会開催のきっかけを作って頂き感謝しています

今後とも、よろしくお願い致します

jun24kawajun24kawa2008/12/01 06:33期待していますよ。

08/11/28(金)

[]おのろけ 20:59 おのろけ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - おのろけ - 西川純のメモ おのろけ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私に「ご家族は?」なんて水を向けると大変ですよ。体中に持っている6つの家族の写真(携帯の待ち受け画面、財布の中の写真群)を見せます。そして、家内自慢、息子自慢を延々と話します。だって、愛していますし、家内は本当によくやってくれています。(だから、頭があがらんのですよ、あははは)

 本日は小学校の研究発表会の講師でよばれました。そこの校長は、上越にライブを見に来て、いろいろなところの『学び合い』の会に出席される同志です(つまり、確信犯。だから講演に行くんです)。私が講演し、S大のMさんが講演し、上越教育大学のMさんが講演した小学校です。凄いでしょ。

 授業を見ました。正直言います。『学び合い』ではありません。まあ、学びの共同体的だとは思いますが。う~・・・と思います。終わってから研究主任の方の発表があり、そこで映される子どもたちの写真は『学び合い』でした。え!????と思って校長先生に聞いたら、普段はどんどんトライしているそうです。おそらく、公(おおやけ)に公開するときには完成度の高い一般の授業をやられたんじゃないかな~・・・て想像しました。写真の子どもの表情は本当に生きていた。

 講演会では時間が短かったので(35分)笑いはあまりとれなかった。でも、反応はよかった、と思います。印象深かったのは、来賓席に座っている「教育委員会」の方々の反応は、特に嬉しかった。教える立場の人ではなく、教えられる立場の人の気持ちを共感的に理解されているな~っと思いました。笑うところのつぼどころが、微妙に教師とヅレるんです。あはははは。(教育委員長の方からは、定員充足には何が必要なのかを、幼稚園経営者としての実体験に基づく話をニコニコと教えてもらいました。それも無料で。あははははは)

 本日の講演会で、一番、心打たれたのは、閉会の校長の挨拶です。

 校長が挨拶をしはじめたら、多少の時間をがありながら職員が一緒に職員席で立ち始めました(つまり、打ち合わせは無しです。打ち合わせがあれば一斉です)。この場面はきわめてまれです。(M閣下の班発表の子どもの行動(視線の動き)をおわかりの方は意味することが分かるよね)とても短い挨拶でしたが、赴任した当初からのいきさつまとめまていました。そして、その研究会に向けて自らの授業を見せ合い、高め合った職員の姿を紹介していました。そして、「私は本校の職員を誇りに思います!」と言い切りました。私は普通の顔をしながら、その一言を聞いたとき「うっ」となってしまいました。今は人様がいませんので、安心してウルウルしています。

 誇るべきです。おのろけを言うべきです。まじめにやっている人に対する礼儀であり、自分が何によってたっているのかを自分に言いかせる意味もあります。あの一言を聞けただけで、その学校に行ったかいがあったと思いました。

isinomakiisinomaki2008/11/28 21:05N先生,明日はどうぞよろしくお願いいたします。M県で『学び合い』の考え方が広まる第一歩になることを願っています。

jun24kawajun24kawa2008/11/28 21:12私は刺身のつまでしかありません。結局、みなさんを納得させるのは実践の方でしかない。期待しています。
もちろん、美味しい「つま」なるよう、語りますよ。あはははは

take1_No12take1_No122008/11/29 06:00N先生、昨日はたいへんお世話になりました。宮城には娘の授業参観のため参加できないので、クラスを自習にして1日早く先生に会いに行きました。授業の方は想像と少し違いましたが、子ども達の様子、体育館での合唱などから『学び合い』準備完了であると感じました。それが開放されれば凄いことになるとA先生とも話しました。私も校長先生の話には鳥肌が立ちました。ありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2008/11/29 07:13あのように言ってくれれば、嬉しいよね。

J.SASEJ.SASE2008/11/29 08:36私も西川先生の講演中赤いセーターの教育委員を見てました。とても楽しんでいる様子が分かりました。
A校長先生からセンターにお手紙をいただきました。行ってよかった。うちの学校も2月に発表ですが、校長は「成功したのは私のお陰です」と言いそうです(^^;)

jun24kawajun24kawa2008/11/29 09:13どあはははは

08/11/27(木)

[]会の趣旨 21:49 会の趣旨 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 会の趣旨 - 西川純のメモ 会の趣旨 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近1ヶ月の中で、4人の人にほぼ同様の趣旨のことを聞かれ、同じように応えました。それは、その人が主催する会が最近沈滞化しているが、それを活性化するために新たな方針を明確にすべきであるか?という問いかけです。その人はある方針を明確にしたいと願っています。しかし、その一方、その方針を掲げれば、会から離れてしまう人が現れ、かえって会が沈滞化してしまうのではないか心配されました。

 私は方針を明確にすることを勧めました。

 方針を明確にしない理由は、会の維持を目的としています。しかし、集団がその維持・拡大自体を目的としてしまえば、どんどん変質してしまいます。結果として、衰退化する場合もあります。維持したとしても、その結果として残った会は、元々の会とは全く別種の集団になります。結果として、私が相談された方にとっても、また、元々の会の人にとっても意味のない会になってしまいます。

 ミッションがあり、それによって集団は出来ます。逆は本末転倒です。

追伸 学校の研究も同じです。学校が良くなったから発表しようはなく、学校をよくするために発表をするのです。このあたりがなかなか理解されないようです。なお、ミッションがハッキリしない、研究主任の発表と授業者の授業が一致しなくてもOKの発表会では意味がありません。もちろん、方法は一致しなくてもOKです。ただし、求める結果は一致しなくても駄目です。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2008/11/27 22:16西川先生に自分が主宰する勉強会の事で、相談した中の1人です

先日は、お忙しい中、アドバイスを頂き大変ありがとうございました

当初は、「メンバー同士の親睦」が会の目的でもかまわないのかなと思っていたのですが、お互い忙しい中集まるわけなので、やはり学びの多い会にしたいと思いましたし、また、先生が普段言われているように、「お互いの成長」という共通の目標があるからこそ、その目標に向け結束することで、結果的にメンバー間の関係も、良くなるのだと理解しました

教員採用試験対策の勉強会からスタートした集まりですが、そろそろ次の目標に向けて活動を始めたいと思います

子どもたちに『学び合い』を求めるのであれば、教師である私たち自身も、共通の目標に向けて、子どものお手本となるような『学び合い』を心がけたいです

jun24kawajun24kawa2008/11/28 06:14注意点は、自分たちのミッションが目標なのか方法なのかを見極めて下さいね。期待しています。

08/11/26(水)

[]本日 16:27 本日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本日 - 西川純のメモ 本日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は引き続いて、上越の別の学校で異学年の参観をしました。関西からお二人、信州大学から4人、上越教育大学から6人、鳥取からお一人の大所帯で参観しました。

 何度見ても良い!特に、その学校の前回に比べて格段に良い!子どもももちろんですが、先生方が良い!もう、腑に落ちた、ということが分かります。特に、この学校の良いところは、3つの学年の『学び合い』(2時間目は1、3、5年、3時間目は2、4、6年)だけではなく、特別支援の子どもを巻き込んだ『学び合い』なのです。本当に暖かい場面が、ごくごく普通の営みの中に生まれています。そして、もと学級の担任の先生も、支援学級の先生も、それぞれが「もと学級の子ども」と「支援学級の子ども」がともに多くを得ていることを実感されていました。いいな~

 その後、先生方と校長先生との懇談です。参観者からの質問に応える先生方の応対を聞いて、腑に落ちていることがよく分かります。一番は、一言一言、返答を言う前に私を「ちらちらと盗み見」しない点が良いです。ごく普通に、『学び合い』のことを語っていました。完全に自分のものになっているという実感の表れだと思います。

 また、先生方の話から、『学び合い』を通して先生方の『学び合い』が成立していることが分かります。これって『学び合い』の大きな「うり」です。だって、色々な先生方共通に語れる研修テーマは、実はあんまり無いんですよね。教科に依存するテーマだと、どなたかが専門だと、あとの方は「お任せ」になりがちです。でも、『学び合い』は全ての先生が共通に関われるテーマです。さらに、異学年の『学び合い』であれば、互いのクラスの子どもたちを見合い、それをもとにその場で話し合えます。その良さを先生方が実感されているのが良かった。

 最後に、校長先生のあつい語りは「すんばらしい!」と思いました。

学び合い』は現状の考え方とは革命的に違います。当然、それを学校の取り組みとしている学校においても、先生方には濃淡があります。ところが、この学校は「全ての先生」が『学び合い』の可能性を積極的に理解しているという点で、すんごく、すんばらしい!

今日の授業を我々だけで見たと言うことは贅沢すぎる!と思いました。

08/11/25(火)

[]今週 22:14 今週 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 今週 - 西川純のメモ 今週 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今週末の金曜日は東京都大泉北小学校で講演をします。終了後、ただちに仙台に移動します。夜、相手してくれる人がいたら連絡して下さい。土曜日は『学び合い』の宮城の会があります。近県、特に仙台の方にお誘いします!

 12月から3月の予定は、メールマガジンの担当の方にお知らせしました。

[]本日 21:40 本日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本日 - 西川純のメモ 本日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は地元の学校の『学び合い』を見させていただいた。昨年より『学び合い』をされている先生方は、なんというか落ち着きを感じられる。安心して観てられる。面白かったのは、その先生の一斉授業です。飛び込みで観ましたが、ありゃ、『学び合い』です。『学び合い』は考えだと再確認しました。だって、一斉指導してもはっきりと違います。子どもも教師も。また、新たな『学び合い』の同志も生まれたことを喜びます。

 夜は遠方から参観に来てくれた若い人と飲みました。私より大きな事をなす人だと思います。そのことをジェラシー無く飲めるのは「おじさん」の特権だと思います。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2008/11/25 22:52こんばんは

東京では無く、仙台でのお相手をお探しなんですね。東京でなら、ぜひと思ったのですが、残念です。

金曜日は残業をして、土曜日は朝、仙台に向かう予定です。

宮城でのセミナーを楽しみにしています。

よろしくお願い致します。

mitaka2mitaka22008/11/26 06:06Kyo Tokyoさんに一票。
東京でぜひお目にかかりたかった(といっても大泉には押しかけようと思います)です。
同じく、土曜日の朝、職場の同僚3人と行きます!!
西川先生、Kyo TOkyoさん、仙台の皆さん、よろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2008/11/26 06:42あははは
そんなこと事前に連絡していただければ、東京で宿を取りました。お二人とも、仙台でお待ちしております。

池田修池田修2008/11/26 16:20あ、彼らですね。
私もそう思います。
そして、同じくジェラシーを感じないのは、うう、おじさんだあ。

jun24kawajun24kawa2008/11/26 16:28そう、彼らです。
自分がおじさんである、そんなことを積極的に自覚していないなんて、池田さんは「青い」「青い」ふぉふぉふぉ

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2008/11/26 22:33mitaka2へ

はじめまして

都内の公立小学校で教員をしています

西川先生とは大阪のセミナーでお会いしました

セミナー後、『学び合い』を自分が担当するクラスで始めましたが、試行錯誤の毎日です

mitaka2さんは、異学年授業もすでに実践されているんですね

後ほど、ブログも読ませて頂きたいなと思います

仙台で皆さんとお会いできるの楽しみにしています

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2008/11/26 22:34mitaka2さんへ

最初の投稿で「さん」を書き忘れた部分がありました

大変、失礼いたしました

mitaka2mitaka22008/11/27 05:58Kyo Tokyoさん
東京でも『学び合い』の集いができるようにしたいですね。
そこで、「秘密の相談」をしたいので、私のBlogへお越しください。

jun24kawajun24kawa2008/11/27 06:20お二人の「良い」悪巧み、期待しています!

池田修池田修2008/11/27 14:59えっと、なんだかよくわからなくなりましたが、恐らく、私は青いおじさんで、先生はおじさんのおじさんなんですねf(^^;。

jun24kawajun24kawa2008/11/27 17:24はい、池田さんはおじさんで、私は正真正銘のおじさんです。あははは

池田修池田修2008/11/27 19:32なあんだ、良かった(^^)。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2008/11/27 22:21mitaka2さんへ

私も『学び合い』in東京が開催される時には、ぜひスタッフとして活動をしたいと思っています

(また、可能なら来年、自分が勤めている区の研究会で、学級経営に関する研究授業で、『学び合い』の授業を行いたいなと思っています。また初任なので、周りの反対?が不安なところですが、なんとか乗り切りたいです)

ブログの方は、訪問したのですが、コメントを書けばよろしいのでしょうか?

今後とも、よろしくお願い致します

08/11/24(月)

[]考え方を考えて下さい 00:35 考え方を考えて下さい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 考え方を考えて下さい - 西川純のメモ 考え方を考えて下さい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』は考え方で、指導法ではありません、と何度も強調します。でも、考え方である点は、『学び合い』の専売特許ではありません。「あまり考えない」という考え方も含めれば、ありとあらゆる教育理論や教育運動には「考え方」があります。このブログをお読みの方は、既に二三の、いや、それ以上の教育理論や運動に関わった方も多いと思います。是非、考え方のレベルで思い出して下さい。

 視点は、学校観と子ども観です。何のために学校教育があるのか、というのが学校観です。それは何だったでしょうか?明示的に明らかにされている場合もありますが、そうでもない場合があります。でも、ちゃんと考えられているならば、そこに参加している方々の間であれば共通するものがあるはずです。それが、あまり考えていない、というものもあります。この場合は、指導要領に定められた内容を正しく学ぶというのが学校教育の存在意義だと考えていると考えて良いでしょう。

 私が考えて欲しいのは、その「学校教育の意義」を子ども達に語って納得させられるか?ということです。特に、教師が手を焼いている子どもに対してです。その子はしょうがない、と切っても仕方がない、とお思いならばしょうがありません。我々の場合は、そうは思っていません。私は暴走族をはじめとした様々な子どもに出会いました。私の知る限り、『学び合い』の学校観以上に説得力のある学校観を知りません。それ以上のものがあれば、直ちにそれを受け入れたいと思います。

 世の中には、そのような学校教育の意義が無くても一生懸命勉強する子どもがいます。現在の学校教育にフィットした子ども達です。でも、その数は教師が思うほど多くはありません。私が高校で教えた子どもほどハッキリと表明しないだけで、腹ではそう思っています。残念ながら、教師とは、その希な子どもが大きくなった大人が多く含まれているため、学校教育の意義がどれほど大事かを意識せず、指導要領に定められた内容を学ぶことに疑いを持ちません。ちなみに、私自身がそういう大人でした。ただ、私は高校教師の時、そうでないことを子ども達に教えてもらいました。その経験がなければ、子ども達の「分かったふり」、「おもしろがっているふり」に騙されてもしょうがありません。だって、迫真の演技ですから。

 第二の視点は子ども観です。子どもとはどんな存在だと思っているか、様々な教育理論や教育運動を思い浮かべて下さい。子ども達は、愚かにもなり、有能にもなります。教師がどのように接するかによって変わります。おそらく、前者の場合は、教師は「親」になろうとしているだと思います。親なれば、保護したいという気持ちは当然です。でも、「なれるのでしょうか?」と問いかけたいと思います。我々は「無理だと」思っています。このことは単純な算術計算で導かれると思います。つまり、一人の子どもに、親として接することが出来る時間はいくらか?ということです。もちろん、特定の子どもの親にはなることは単純な算術計算でも可能ですが、それは、他の圧倒的多数を「捨てる」ことを意味しています。

 我々の場合は、親にはなれません。しかし、全ての子どもの幸せを願っていて、一人も切りたくないのです。どうしたらいいか?その応えは、教師は親ではなく上司となるべきだと考えています。そして、クラスは家庭ではなく職場になるべきだと思います。そう考えれば、子ども達は極めて有能な存在です。

 少なくとも私には、『学び合い』以上の考え方を知りません。あるならば学びたいと思います。そして、納得したとたんに、直ぐに『学び合い』を改良するか、捨てます。ただし、私が納得するには、現在捨てられている多くの子ども達を含めて全ての子どもが救われるか否かの視点で見ます。

 私が本に書いてあること、手引き書に書いていること、ブログで主張していること、これらは全て学校観・子ども観の必然です。私は班を教師が作ることは好きではありません。なぜなら、学校観・子ども観に反するからです。でも、教師が班を作ることも「あり」だと思います。でも、その場合は、その人の学校観・子ども観とは何かが問題です。これは、立ち歩き・私語の是非、まとめの有無、教師の発言時間の長短・・・・も同じです。それらは全部、考え方の影に過ぎません。

 人への説明のために、それらを語ります。少なくとも、今現在の知見の中で、最も『学び合い』の学校観・子ども観にフィットする具体例として語ります。でも、それは例に過ぎません。唯一だなんて思っちゃいません。第一、現在の例は、過去に捨ててきた例の上に積み上げてきたものです。今、挙げている例は、5年後には噴飯もののパロディーになっている可能性は否定できません。そのころ私は、今の例を「子どもを信じていない例」としてあげる可能性は十分にあります。あはははは。でも、その頃においても学校観・子ども観は不動だと思います。だから『学び合い』は考え方だと強調しています。

[]違い 17:13 違い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 違い - 西川純のメモ 違い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今までにも何度も、何度も「学びの共同体」と『学び合い』との違いやつながりは何か?を聞かれました。本日もメールで聞かれたので、ちゃんと応えたいと存じます。ただし、以下で書くことは「同じ/違う」ということを伝えるのであり、「善い/悪い」、「優れている/劣っている」を書いているわけではありません。同じ子どもや教師を見たとしても、理論が違えば、違って見えるものです。と、いうことです。

 まず、二つの考えに関連があるかといわれれば、直接はないと思います。「学びの共同体」の主導する方々の目に、田舎大学の四十歳代の大学教師の研究がふれるとは思えないのです。私の方は、勉強不足で恥ずかしながら知りませんでした。アドラー心理学も「学びの共同体」も我々の本を読んだ現場の先生方より、「関連ありますか?」と聞かれてから読んだぐらいです。でも、おそらく「学びの共同体」も『学び合い』も参照する理論には共通する部分があります。例えば、教育を学校教育の中に閉ざしたものではなく、本来の人間の営みであるという理論はともに参照しています(例えば、正統的周辺参加など)。だから、両方とも人間関係のためとか、学力向上のための目的の手段として、子どもたちが関わることを利用しているわけではありません。子どもたちが関わることこそ、教育の本質であるという考え方は一致しています。だから、『学び合い』の学校観は「学びの共同体」とほぼ一致していると「勝手に」解釈しております。

 しかし、子ども観は決定的に違うと思います。つまり、「学びの共同体」は他の一斉指導と同様に、基本的に子どもたちは教師の手助けがなければ出来ないという考え方です。ところが、『学び合い』では目標の設定や評価・環境の整備は教師しかできないが、学習自体は子どもが教師の手助け無しで出来ると考えています。それだけの能力があると考えています。

 その違いがあるため、現象的に様々な違いがあります。「学びの共同体」では、「机をコの字に配置する」、「教卓は教室の後ろに置く」、「教師が子どもたちの会話を紡ぐ」などが行われることが多いようです。いずれも、「教師」がそういう方法を定めた方が善いと考えているからです。ところが、『学び合い』では基本的にはそういうことをしません。なぜなら、一人一人の子どもにとって最善の方法を考えられるのは自分しかないのだから、そんなことを教師が分かるわけないし、ましてや一律に決められないと考えます。

 ちなみに『学び合い』を実践している方々においても、様々な方法を子ども強いる場合はあります。ただし、「それは対処療法であって、自分の力が無いからそうせざるを得ないんだ」と考えるのは『学び合い』です。一方、「そのような方法を考えられるのこそ教師の職能だ」と考えたとしたら、それは『学び合い』ではなく一斉指導であり、まあ、「学びの共同体」だと思います。これは教師が方法を強いる時間が長いか、短いかの違いではありません。方法を強いる時間が短くとも「そのような方法を考えられるのこそ教師の職能だ」と考えてそのようにしているならば、『学び合い』ではありません。だって、そういう風に考え始めれば、いつの間にか一斉指導になるのは時間の問題で、あとは授業方法の一つとして『学び合い』もどきが残るだけです。一方、教師が方法を強いる時間が長くとも、時にはそれは授業の全てであったとしても「それは対処療法であって、自分の力が無いからそうせざるを得ないんだ」と考えているならば『学び合い』です。そう考えていれば、本来の姿に進みますから。

 さて、何故、子ども観に違いがあるのでしょうか?いくつかの違いがあります。

 第一に、子どもの多様性をどれだけと見積もるかです。古典的な一斉指導では、子どもの考え方は「正解」と「誤答」の二つです。残念ながら、そのような枠組みの理解の先生方は少なくありません。しかし、現在主流になっている、学習者が主体的な存在であると考える学習者観では正解にも誤答にも複数あると考えます。しかし、その数はせいぜい2、3種類程度です。なぜなら、多くの教師や研究者は、教師が教えるという前提で物事を見ます。従って、実際にはものすごく多様であることを気づいているのですが、そんなことを認めたら何も出来なくなります。だって、一人の教師が教えられることはせいぜい2、3種類なのですから。そのため、無理矢理にでも数少ないパターンに分類します。

ところが、『学び合い』では教師が教えるという鎖につながれていないので、子どもの多様性を素直に認められます。そして、決定的な違いは、我々の場合は、クラス全員の会話を全部記録し分析するという、気の遠くなるようなことをやっている点です。だから、どう考えても、パターン化するということは出来ないことを知っているのです。「学びの共同体」では、せいぜい抽出児童・生徒の会話を数時間記録分析しているため、この多様性に対する考えが弱いのだと思います。たから、教師が子どもの会話を紡ぐことが出来ると考えているのだと思います。もし、『学び合い』のようにあ一人一人の考え方は多様で、複雑で流動的で、かつ、教師には最後まで理解不能の考えもあるという前提であれば、子ども会話を教師が紡ぐなんて、超能力者でも出来ないことですから。

第二に、教師の立ち位置です。「学びの共同体」では教師は共同体の一員です。子どもたちの中に教師が混じれば、教師の存在は圧倒的になります。だから、共同体のネットワークは教師と子どもとのネットワークが主な車輪型(教師がスポークの位置)になります。そして、スポークの位置にいる教師が紡ぎながら子どもを繋げています。机の配置をコの字にするのも同じ考え方です。おそらく、子ども同士の関係を活性化するためにコの字に配置していると思っているのだと思います。しかし、コの字に配置して、そこに座るならば、ある子が密接に会話できる子どもは固定されてしまいます。でも、それを「変」と思わないのは、子ども同士の関係はそれほど重要と思っていないからだと思います。

ところが、『学び合い』での教師の立ち位置は、集団の外にあります。子どもたちがゴチャゴチャと関わり合っています。教師が関わるのは、集団全体にです。例えば、可視化のようにある子どもの言動を拾う場合であっても、それを特定の子どもに繋げることはしません。その言動を集団全体に伝えます。伝えられた集団の中の個々の子どもが、その子につながるか繋がらないかの判断をします。

私は経営学(教育経営学ではありません)の本をよく読みます。それから言えば、「学びの共同体」における教師の立ち位置は、主任・係長(まあ、せいぜい課長補佐)ぐらいの管理職の立ち位置です。つまり、管理職自体も部下と同じ仕事をしている場合です。しかし、『学び合い』における教師の立ち位置は、本部長・常務・専務・社長などの取締役レベルの管理職の立ち位置です。つまり、部下は営業・経理・開発等の仕事をしていますが、取締役はそのような仕事はしません。集団の目標を定め、評価し、集団を管理するのが仕事です。

「学びの共同体」を実践している方々の中には、『学び合い』を知った後でも二通りに分かれるはずです。

第一は、「うん、なかなか面白いな。でも、今の私の力(本校の実情)では、そこまでは出来ないな。でも、それが実現できたらいいな~」という反応です。その方は、私はかってながら同志だと思います。

第二は、「そんな馬鹿な話はない」と否定される方です。『学び合い』を否定する理由を聞けば分かります。子どもたちより教師が有能であるという前提に立っているはずです。この方の場合は、子ども観が違うのですから『学び合い』とは違います。どちらが正しいと言うことは言えません。平行線は交わらないというユークリッド幾何学も、平行線は交わるという非ユークリッド幾何学もともに正しいのです。ただ、前者で記載されるのは平面であり、後者で記載されるのは曲面だという違いが生じます。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080908/1220835335

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080729/1217320166

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080210/1202639586

追伸 第三の反応もあります。それは、感情的な反発です。これには理屈はありません。それが怖いので、あまりこの種のメモのアップはしたくないのです。が、求められる回数が多いので、アップしました。怖いな・・・・

ftogpxtakaftogpxtaka2008/11/24 18:50先日の参観授業の時に来られたある保護者は学校(小学校)を上げて”学びの共同体”に取り組んでいるとおっしゃっていました。僕の価値観からすると、『学び合い』を見られて「これはすばらしい!!」と感じていただけると思っていたのですが(第一の方ですね)、あまり大きな反応はなく、「まあ、よく話し合っていたと思います」とだけ感想を述べられました。あまり時間もなく、それ以上話ができませんでしたが、正直「あの子どもたちの”いきいき”とした活動を見て何とも思わないの?」と思ってしまいましたが、それはあくまで僕の価値観ですし、その方は、自分たちがしているものを正しいと信じて実践されているわけですものね・・・。そこをムリに押しつけようとしても仕方ないですね。

jun24kawajun24kawa2008/11/24 18:53分かりやすい結果で「も」伝えるしかありません。つまり、点数と出席率です。

doorknobsdoorknobs2008/11/24 19:42経営学のお話、これいいです。
ハッとしました!
見えてきました!見えてきました!
明日からまた実践!

ながたくながたく2008/11/24 20:16語弊があったら、すいません。
ぼくは、先生の話を聞いていて、

>子ども観がちがう

を分かりやすくいうと、
「子ども扱いしない」ということではないかと思います。


かつて、母校にいた、和田修二先生という教育哲学の先生が、
「子どもは小さな大人ではない。人格をもった一人の人間である」
と話されていました。大学に入ったばかりのぼくにとって、その言葉はすごく心に残っています。
和田先生は、ぼくのようなペーペーにも、一人の大人として?接してくれました。それがうれしかった。

学び合いは、子どもを子どもと見ない。要は足りない、支援が必要な人とは見ない。一人の人格者と見る。

これって、すごく大切なことではないかと思います。
学習者の権利をとても考えているのでは、と考えました。

jun24kawajun24kawa2008/11/24 22:19doorknobsさんへ
教師は三十人の親にはなれません。
でも、上司にはなれます。
ただし、部下5人程度の主任ではなく、取締役にならねばなりません。
ながたくさんへ
私は民主主義を大事に思っています。
少なくとも、今現在においては最善だと信じています。
なれば、学級が民主的であらねばならないと信じています。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080507/1210164992
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20071125/1195960793

doorknobsdoorknobs2008/11/25 12:46築地久子氏や鈴木惠子氏の実践を学んでいたとき、「プレジデント」を読んでいると聞いたことがあります。
どちらだったかはちょっと記憶にありませんが・・・。
また、つながりました。
お二人の実践にも、『学び合い』につながる何かがあるように思います。

doorknobsdoorknobs2008/11/25 12:47築地久子氏や鈴木惠子氏の実践を学んでいたとき、「プレジデント」を読んでいると聞いたことがあります。
どちらだったかはちょっと記憶にありませんが・・・。
また、つながりました。
お二人の実践にも、『学び合い』につながる何かがあるように思います。

jun24kawajun24kawa2008/11/25 14:36おそらく教育の中では解決できない何かを感じていたのだと思います。

JP301JP3012008/11/25 17:22 我が校では、今「学び合い」を『学び合い』にする戦略を練る時期になりました。
 西川純のメモ [大事なこと]を読みながら日々悩んでいます。このあたりの話を13日に発表できたらいいと思うのですが・・。


今、TP作りの下ごしらえをしているところです。

jun24kawajun24kawa2008/11/25 21:29期待しています!

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2008/11/26 22:39こんばんは

『学び合い』の考えを学んでいく中で、リーダーシップ論や、組織論に似ているなと思ったのですが、「上司と部下の関係」と言われて、やはりそうかと思いました

以前に読んだ本ですが、デル・カーネギーの「人を動かす」の文庫本版を買ってきました

これから通勤途中に毎日読んで、子ども(部下)との関わり方について考えていきたいと思います

jun24kawajun24kawa2008/11/27 06:19是非、そうして下さい。

08/11/23(日)

[]仲良くなるには 18:51 仲良くなるには - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 仲良くなるには - 西川純のメモ 仲良くなるには - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今から4年前に以下のメモを書きました(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20040127/1172823521)。

 『私が若い頃、「学会は懇親会に参加するために行くんだ。懇親会に参加するために学会で発表するんだ」と教えられていました。そして、それに納得していました。懇親会というのは、学会発表の後、全国から集まる研究者と知り合う機会として、大きな会場に数百人の参加者が集まり、酒を飲みながら話し合う会です。その機能は、「お見合いパーティ」と全く同じです。しかし、10年以上たつとあることに気づきます。しらふで楽しく話せる人と酒を飲むと楽しいが、酒を飲 むと楽しく話せる人と、必ずしもしらふで楽しいわけではないということに気づきます。懇親会で活躍している人が、それを離れて人望を集めるわけではありま せん。そういうことに気づきました。それ故、私は学会の懇親会に参加しません。その代わり、普段話している院生さん達と学会で飲んでいます。学外の人と飲 みますが、それは、普段のメール等でつきあえる人と、連絡しあって二人だけで飲める機会を設けます。』

 以上は、今も同じです。私は仲いい人とは飲みますが、仲が良くなるために飲みたいとは思いません。そんなのはあり得ないからです。飲み会は、普段の関係があってその上に意味があります。また、同志とは飲みたいと思いますが、飲んで同志になれるとは思いません。あはははは。当たり前ですよね。でも、世の中には、飲んで仲良くなれると思いこんでいる人がいるようです。馬鹿馬鹿しい!

 でも、それではどんなときに仲良くなれるのでしょうか?もちろん、ウマが合うという人がいます。そのような場合は、特段の理由があるわけではなく、また、何かをやったからというわけではないのですが、あっという間に仲良くなれます。が、そんなのは極々まれです。では、その他多くの人とは何故仲良くなれるのでしょうか?思い出して下さい。本当に仲良くなれる人って、ともに何かを成そうとして、互いに汗を流した人出はないでしょうか?一緒に何かを成そうとして互いに汗を流せば、仲良くなれるし、仲良くなれなくても最悪でも軽蔑はしなくなります。

 と、こ、ろ、が。ピアサポートやゲーム性の高い活動が人間関係作りに有効だと思っている人が少なくありません。私には懇親会が有効だと思いこんでいる人のように思います。そんなことよりも、いつもいつもの課題を一緒に成そうとして汗をかくことだと思います。

 なんで、こんなに簡単なことを人に伝えられないのだろう・・・・

abematuabematu2008/11/24 13:04懇親会の話。
非常にわかりやすいですし、わたしが常々考えていたことです。
わたしは、基本的に「懇親会」が苦手で、別にアルコールを口にしなくたって、お話しできるし、お話ししたいよなぁ〜と思っていましたし、思っています。

特に、わたしなんかは、お酒に飲まれてしまう人間なので、お酒を飲み始めると、実りある話ができなくなってしまいます。

それに、西川先生が本文で書かれているように、「仲良くなるための懇親会」には苦痛を感じますし、「仲良しだからこその懇親会」「苦楽を共にしたからこその懇親会」にしか基本的に参加したくないなぁと思います。

まぁ、何を言いたいかといいますと、とてもとても、この話よくわかるし、自分が常々考えて、感じてきたことなので、このように文章にしてくださる方がいて、ビックリ&驚き&感動したと言うことです。

jun24kawajun24kawa2008/11/24 18:12感謝です。
みんなが参加したがる懇親会にしたいですね。
ちなみに、私の勤めた高校の懇親会、慰安旅行とも、参加率100%でした(管理職、事務職、用務、給食、教員の全員)。楽しかったですよ。

08/11/22(土)

[]大学院入試 21:15 大学院入試 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大学院入試 - 西川純のメモ 大学院入試 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は上越教育大学の大学院の中期試験です。本学の大学院は、夏に前期試験を行い、11月末に中期試験を行います。今年も優秀な学生さんが受験してくれました。感謝です。

 なお、あと1回後期試験があります。

出願期間 平成21年2月2日(月)~

   2月12日(木)午後17時までに必着

試験 平成21年3月6日(金)

ながたくながたく2008/11/24 21:20いきたい!
しかし、いけない!

現場の若い先生の叫びです。(笑)

jun24kawajun24kawa2008/11/24 22:05叩けよ、さらば開かれん!
望むことが第一です。
まってま~す。

08/11/21(金)

[]判断が速い 16:37 判断が速い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 判断が速い - 西川純のメモ 判断が速い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私はゼミ生の論文でも、発表でも、直ぐに分かります。一応、その道で飯を食っているプロですので、一つの論文を1分少々の流し読みをすれば善し悪しが分かります。口で説明しがたいのですが、論文の様々なポイントとなるところを読んで判断します。でも、論文を私が読むのではなく説明してもらったり、学会発表を聞いたりすることに関しては、ゼミ生に関しては10秒もかからず判断することが出来ます。理由は簡単です。私は説明する人と、その人の言動を見ているのです。

 普段の馬鹿話や、ちょっとした研究の雑談を積み上げていけば、その人の能力は分かります。この部分に関しては、我がゼミ生に関しては全幅の信頼を置いています。従って、あとはそのゼミ生が本気で考えているか、そして、自分の研究に自信を持っているか否かを判断すれば良いだけのことです。これは言動を見れば、十秒もかからず判断できます。つまり、私は論文ではなく、その人を見ているのです。

追伸 上記のような手の内をさらすのは、さらしてもデメリットはなく、メリットが多いからです。なぜなら、私の目を眩ませるだけ真に迫っただましの言動は、まず、不可能です。それに、そんなことをしてもご本人に全くメリットがないことをゼミ生が理解していることを髪の毛一本分の疑いを持っていないからです。ここが大学教師としての職能だと思います。

[]凄いぞ 16:37 凄いぞ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 凄いぞ - 西川純のメモ 凄いぞ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの大学研究室と異なって、私の研究室では私は殆ど指導しません。基本的に学生が自主的に運営するゼミが中心です。学部学生・院生の全体ゼミに私は出席しません。が、本日、お茶が飲みたくなったのでゼミ生がゼミをしている部屋に行きました。見るとはなく、聞くとはなく、ゼミ生の発表を聞きました。最初の数秒で、素晴らしい発表であることが分かります。次に、じっとプレゼンを見て、そのレベルを確かめました。西川研究室の蓄積を有効に生かしたものです。私が聞いた部分は、『学び合い』をトライし始めた教師の1年間にわたる変容を追跡したものです。非常にシンプルなストーリーが展開されています。

 それを聞きながら、頭の中で夢が広がりました。

 我がゼミの教育研究と、他の教育研究とには決定的な違いがあります。普通の教育研究は、心理学や教育学の文献に基づき、こういう風にやったら善くなると明確な仮説があります。それによって、実験群と対照群を設けて、比較分析します。ところが我がゼミでは、どういうものがいいという仮説はあったとしっても、それを超えたものを子どもたちが生み出すであろう、というもっと上位の仮説があります。従って、仮説があったとしても、それに合わせた条件設定を強くかけません。出来るだけ選択権を子どもたちに与えます。ただし、達成すべき学習課題は子どもたちに明確に与えます。子どもたちはその学習課題を実現する様々な方法をトライアンドエラーできるようにします。その結果として、子どもたちは唯一の方法ではなく、実に多様な方法の平衡状態のようなものを作り上げます。それを観察することによって、我々は最適解を求めます。つまり、最適解は子ども集団が出すものだと思っているのです。

 さて、先の発表では、現在の我々のレベルに基づいてサポートした先生の変容です。でも、もっと先があるはずです。どうしたらいいでしょうか?どうしたらいいと思いますか?

 多くの教育研究であれば、「こういう発言が多い」という結果が出たら、その発言が多くするように条件設定をして、その発言が少ない状態とを比較するという方法をとるでしょうね。でも、我々の場合は、違います。今年度の研究成果を先生方に与え、善きものにして欲しいと願えばいいのです。そして、その先生方の変容を見れば良いんです。あはははは。つまり、下の「言えばいいじゃん」と同じ論法です。

 もっと具体的にしましょう。先ほど発表した内容は、12月6日の宮崎大学での学会と、12月13日の信州大学での学会で発表します(ライブを聴きに来てください)。その発表をビデオにとってDVDにするんです。それを全国で立ち上がり始めた、『学び合い』を学校の取り組みはじめた学校にプレゼントするんです。おそらく、発表内容を先生方は取捨選択して、新たなものを作り出すはずです。そして、それを我々は記録分析すれば、次の段階が見えてくると思います。

 あはははははは。わくわくします。ということで、ヴィデオに撮ってね。みんなのをね。そして、Mさん、何を期待しているか、分かるよね。あはははは

追伸 今、こんな事を書かれているとは知らずに、ゼミ生とMさんは全体ゼミをやっているはずです。知らぬが仏。

[]言えばいいじゃん 13:17 言えばいいじゃん - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 言えばいいじゃん - 西川純のメモ 言えばいいじゃん - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私とゼミ生と学習指導・生徒指導に関しする会話をすると、多くは以下のような展開です。

ゼミ生:○○・・・・のような指導(まあ、どのようなグループを構成したいとか、どのような活動をしたいとか、どのようなプリントを用意するとか・・・)をしたいと思います。

私:え!?(目が点になり。非常に馬鹿にした目でまじまじとゼミ生を見つめる)

 私と1年以上つきあったゼミ生の場合は、「すみません。分かりました。」と引き下がります。一方、私とのつきあいが短いゼミ生の場合は、「え!(私が驚いていることに驚く)て言葉が無くなります。たいていの場合は、指導法に何か瑕疵があるのではないかと思い、それはどこなのだろうか必死に頭をひねります。

 そのような場合は、

私:何のために、そんな指導をするの?

ゼミ生:(長々と説明する)

私:ごめん、短く言って。

ゼミ生:説明する。

私:そうなって欲しいんだよね。

ゼミ生:頷く

私:そうなって欲しいと、クラスのみんなに言えばいいじゃん。

ゼミ生:え!??????

私:そうなって欲しいと、クラスのみんなに言えばいいじゃん。

ゼミ生:それで、そうなりますか?

私:じゃあ聞くけど、あなたはなんか指導して出来たの?それもクラス全員に。それを出来ると思う?

ゼミ生:首を振る。

私:じゃあ、出来ない子がいてもいいの?

ゼミ生:首を振る。

私:じゃあ、あなたが達成すべきクラス全員を、あなたがなんかしくんでも出来ないよね。

ゼミ生:頷く

私:それは、あなたが無能だったり、怠惰だからではないよ。一人の教師が出来るわけ無い。だから、クラスみんなで解決した方が良いよね。ね、あたりまえでしょ。だって、あなた一人が必死になるのと、クラスみんなが何とかしようとするのと、どちらが有効?

ゼミ生:でも・・・・・

私:ちゃんと語れば、教師レベルのことが出来る子が数人いることは知っているよね。それだけで効果覿面でしょ。そして、その子が周りの子どもに広げれば・・・。ね、でしょ。絶対解決できると約束できないけど、あなた一人がやるよりは効果があるよ。第一、あなたの言った指導、本当にやり続けられる。指導主事訪問の時だけ、研究の時だけ、ならば出来るよ。でも、そんなの無意味じゃん。我々は普通の教師が、普通に出来ることしか意味無いと思うよ。でしょ。

 (以上、論証終わり)

 ということで、以下のような事例に関しても、クラスに語るしかないのです。ま、クラスに4、5人以上、捨てても良いと思うならば、話は別ですが・・・。それだったら、私だって、人に誇れるテクニック、小技、大技は山ほどあります。でも、くだらない。

[]その子 09:11 その子 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - その子 - 西川純のメモ その子 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 クラスに気になる子がいたとします。普通、教師はその子を何とかしようと手だてをします。でも、大抵は解決できないし、その子の問題が解決した頃には、別なところで問題が生じます。

 多くの先生は、問題が生じるのは「その子」に原因があると思っているようです。しかし、本質的な問題の原因はクラスにあります。その問題が、たまたま「その子」に現れているだけです。影をいじくっても何にもなりません。本体を何とかしなければ。

 そうわかったとしても、次に、「そのクラスの原因はなんなんだろう・・・」と頭をひねり出します。馬鹿げたことです。と、書くと、普通の先生だったら、「何で?????」と唖然とするでしょうね。そういう先生は、「そのクラスの原因とは何か」を考えるのは教師だと思っています。そして、そう思う背景は、教師は「そのクラスの原因とは何か」を思いつけると思っています。少なくとも、凄い努力と熱意を費やせば出来ると思っています。が、違います。教師にはその能力はありません。「そのクラスの原因とは何か」を分かるためには、そのクラス一人一人ことを理解しなければなりません。そりゃ無理です。

 ではどうするか?それはクラスのみんなに「そのクラスの原因とは何か」を考えさせなければなりません。クラスが考えさせるには「その子」のためという切り口では説得できません。あくまでもクラスのためなのです。そして、「その子」を具体的に事例にあげることは余りよい方法ではありません。なぜなら、教師に見えるのは「その子」であったとしても、「そのクラスの原因」に基づく歪みは色々なところに現れています。教師が「その子」を事例に話すことによって、問題が矮小化される危険性があります。

 だから、みんなにみんなを語る以上のことはないと考えています。

追伸 もちろん対処療法は必要かも知れません。でも、それは自分が無能だった、という証拠以外の何ものではありません。反省して、二度とそのようなことを言わないようにするべきでしょうね。

[]任せる 09:11 任せる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 任せる - 西川純のメモ 任せる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 宮仕えなのですから、色々な方に使えます。困るのは、「任せる」と言って、本人は「任せた」つもりでいるが、「任せていない」という人です。具体的には、「何々をやってほしい」と課題は与えますが、それに対する権限を与えていないのです。それでは、任せたことにはなりません。残念ながら、上記のことを任せたと思いこんでいる無能な管理職は少なくありません。

 私が、長年、直接お仕えしたT先生は違いました。T先生との仕事の分担は明確でした。そして、私に任せたことは全権委任でした。もしかしたらT先生の意図と違うことを私が判断し、そのように行動したとしても、何かあったときには絶対に「私がそのように判断した」と言ってくれる人です。つまり、「その件に関して、私が西川に全権を委任する判断をした」という意味です。だから、T先生が不在の時も、遅滞なく仕事が進みました。

 任せるということはリスクを伴います。そのリスク管理をしつつ、権限の範囲を明確して任せるべきです。そして、任せた部分に関しては、責任を負うべきです。それが出来ないとしたら、部下が無能なのではなく、管理職が無能と言うことです。

 ちなみに、上記は教師と子どもとの関係も全く同じです。

 

F-KatagiriF-Katagiri2008/11/21 10:49「その子」の記事、まさに私が陥っている状況です。分かっているつもりで、まだ身につきません。「習慣」からの脱却が『学び合い』実現の道だと痛感します。

jun24kawajun24kawa2008/11/21 12:46あはははは
私が「その子」に拘るタイプであること、よくご存じでしょ。ウエットなところは大事です。でも、それから脱却するにはどうあるべきか、ということも分かっているだけましですよね。

08/11/20(木)

[]20日は~ 19:15 20日は~ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 20日は~ - 西川純のメモ 20日は~ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我が家には色々な記念日があります。それに、息子が学校等で頑張った日も含めて、家族で祝杯を挙げます。本日は、ボージョレー・ヌーボーの解禁日です。ワイン好きの家内と今日は祝杯です。

[]家族優先 19:30 家族優先 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 家族優先 - 西川純のメモ 家族優先 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は勤務時間外に関しては家族優先です。当たり前ですよね。学長から出張の依頼があっても、「その日は家族の予定がありますから」と断ります。夜遅くの会議の場合も断ります。学長には、「私のオシメを代えてくれるとしたら、先生ではなくて家内です。だから、どちらを大事にすべきかは理の当然です」とニコニコと話します。事務の方も、このことを知っている方は、私に関してそのような予定を入れないようにしているようです。かなり我が儘ですが(でも、勤務時間外なのですから当然ですが)、この我が儘が通るのには理由があります。

 第一に、勤務時間内に人の数倍の仕事をこなしています。第二に、私だけが対応できること、また、私が最も適任である場合は、それを断りません。そして、その手の仕事に関しては、ダントツで質の高い達成を行います。それ故に許されている我が儘です(でも、勤務外なのですから当然ですが)。つまり、あれだけやっているんだから、勤務時間外に仕事を回さないでくれ、ということです。ちなみに、それを理解できない管理職にあたった場合は、「その人だけ」の前では限りなく無能になります。あはははは

 本日は本学教員の飲み会の日です。が、上記の理由から、本日はパスして家で祝杯です。廊下で専攻長がコース長である私に「今日は会に出るの?」と聞かれたので、「家で予定があるから」と応えました。専攻長は、当然のごとく「ああ、そうなの」でした。

 あはははは

yukari0841yukari08412008/11/21 09:15〝職場の飲み会〟があるとき、先生のような判断をする方と〝飲み会っていっても仕事だから、しょうがないだろう〟という判断をする方がいるような気がしています。とうぜん、両方のバランスをとりながら・・・・という方もいるとは思うのですが、〝どちらか〟の場合が多いように思います。どんな経験等がそれらの判断の決め手になるのか・・・興味深く思っています。

jun24kawajun24kawa2008/11/21 09:49簡単です。
私がいることの必要観が、まわり、及び、自分にあるか、ということです。
例えば、専門職の飲み会だったら、万難を排して、参加します。理由は、「私」という個人の参加を望んでいる人が多いし、私も参加したいと思っています。
が、昨日の会の場合、私がいなくても、なんもないでしょ。あはははは

08/11/19(水)

[]蛇足 10:16 蛇足 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 蛇足 - 西川純のメモ 蛇足 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 馬鹿馬鹿しいですが、蛇足です。以下を達成するためには、教師は「みんなが課題を達成すること」を子どもに求めなければなりません。少なくとも、信じなければならないと、必死に思いこんでください。だって、「みんなが課題を達成することを求め続ける」ことを子どもに求めたら、甘くなりますよ。子ども全員が「こりゃむりだ」と思っても、そして実は教師自身も不安に思ったとしても、教師は必死に達成することを求めてください。夢を語ってください。その方が、良いに決まっています。すくなくとも「出来ないよな~」っと思っているよりは。

[]求め続けること  09:06 求め続けること  - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 求め続けること  - 西川純のメモ 求め続けること  - 西川純のメモ のブックマークコメント

 初期段階と充実段階の違いは「みんな」が徹底しているか否かの1点です。ただし、この「みんな」とは「みんなが課題を達成する」ではなく、「みんなが課題を達成することを求め続ける」という意味です。おそらく、「みんなが課題を達成することを求め続ける」であれば、たいていの場合は、「みんなが課題を達成する」になります。そして、「求め続ける」と言ったとしても、具体的に何を思い、何をするかは多様です。明らかに知的に障害を持つ子の場合は、健常児とは違ったことを思い、何をするかは違うでしょう。しかし、そのような子、及びその他の子が、互いに関り続け、何かをやろうとしているならば、「求め続けている」と判断してOKだと思います。

 ところが、学校教育の目的は何かという『学び合い』の学校観が徹底せず、教科内容に引きずられると迷いが生じます。つまり、どうしても課題を達成できないとイライラしてしまいます。怒りっぽくなり、暗くなります。そうなれば子どもが腐ります。そして、教師は・・・・、と、負のフィードバックがかかってしまいます。それを恐れて、みんなが達成できるような「ひねった」課題をつくろうと頭を使います。また、課題達成ではなく、関わること自体を目標に与えてしまいます。気持ちは分かりますが、それでは極めて質の高い初期段階までには行きますが、充実段階には進みません。

 全国の数千ある野球部では、毎日、甲子園の出場、そして優勝を目指して練習を続けています。でも、甲子園に行けるのはほんの一握りの学校で、優勝できるのはただ1校です。従って、無理なのです。さらに言えば、地区大会レベルでさえ、全員が出場できません。が、それを目指して数千の野球部の子どもたちは練習に汗を流しています。野球部の顧問に必要なのは、冷静に分析して実現可能な目標を与えることではありません。高い高い目標を与え、それを求め続けることの意味を語ることです。もちろん、その話の中には、実現可能な目標は「ほんの途中過程」として語られるかも知れません。でも、中心はみんなで高い高い課題を達成することの意味を語り続けなければなりません。もし、それをやれないならば、部はどうなるでしょう。おそらく、1回戦あたりで敗退するかも知れません。いや、それ以前に「自分はどうせ試合に出られない」と見切った子どもが退部し始めるでしょう。そんな部が部として存立するか危ういでしょう。

 野球部の顧問は、冷静に考えれば甲子園出場はおろか地区大会上位さえも無理であろうということは分かっています。そして、最後までレギュラーになれない子がいること、そして、それが誰かも分かっています。でも、甲子園出場、優勝の夢を語らねばなりません。先回りして、目標を低くしてはなりません。「自分はどうせ試合に出られない」と見切ってしまう子どもに対しても、ちゃんと意義を語らなければなりません。そりゃ簡単ではありません。でも、それこそが教師の職能です!教師の職能は「右」と「左」の書き順を知っていることではなく、それをうまく教えられるかではないのです。もっと大事なことがあります。

追伸 このあたりを理解するのはかなり難解かもしれません。2年間、私のゼミで卒業研究・修士研究をした我がゼミ生(OBOG)でも理解していないな~っと思うことは少なくありません。『学び合い』の学校観は、読めば当たり前のことを書いているに過ぎません。しかし、それを徹底できるのは大変かも知れません。そして、それが出来るか否かは、子どもたちは有能であるという『学び合い』の子ども観がどれだけ腑に落ちているかです。

iku-nakaiku-naka2008/11/19 09:57先日、全校研の後の主事の先生のお話の中で

「意欲的な学習には目的意識と相手意識が大事ですが、今日の授業にはそれがあまり感じられませんでした。でも、生徒達の姿は素晴らしく、意欲的に学習をしていました。私には、この1時間でその理由が分かりませんでした」

と言われたとき、まさに今日の先生のコメントの内容について思いました。目的がないのに生徒は学びません。たとえそれが厳しい目標であったとしても、生徒自身が「求め続けることが素晴らしいこと」だと分かっていれば、前向きに学ぶんだと思っています。私たちがやることは、生徒が常に「みんなでやるぞ~!!」って思うような環境を整えることなんだと思います。

jun24kawajun24kawa2008/11/19 10:02分からなくても、良さが分かる人もいるんですよね。そういうひとは、理屈が分かれば、同志になってくれるかも知れません。

doorknobsdoorknobs2008/11/19 22:21西川先生、「大事なこと」、染みました。

iku-nakaさん
>生徒自身が「求め続けることが素晴らしいこと」だと分かっていれば、前向きに学ぶ

私もここを伝えなければ。

jun24kawajun24kawa2008/11/19 22:40はい、語って下さい。子ども「たち」は分かってくれます!

08/11/18(火)

[]有効な理由は 22:08 有効な理由は - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 有効な理由は - 西川純のメモ 有効な理由は - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの教育理論や実践論は、「○○しなければならない」とか「○○を注意しなければならない」のように、現状に付け加えることを求めます。ところが『学び合い』では現状にやっていることの馬鹿馬鹿しさに気づかせ、それを止めることが中心です。そのため覚えることは殆どありません。分厚いと言われる手引き書だって、結局、最初に書いている学校観と子ども観が分かっていれば、自ずと導かれるものです。力学がたった一つのF=mαを3次元に拡張し、それを微分・積分によって導かれるようなものです。私もテクニック的に書くときがありますが、そりゃ、馬鹿馬鹿しいと思いますが、相手がそのように説明しないと分かってもらえないための方便です。

 最近、立て続けて十数件の初めての方からメールを頂き、それらが『学び合い』の驚異的な成果に驚かれている方々でした。「なんで、こんなに効果があるのか」というメールが多いように思います。でも、簡単です。子どもに対して酷い(ひどい)ことをしなくなったからです。

 一斉指導は、子どもにとって苦痛を与えます。考えて下さい。元気いっぱいの子どもを一日あたり6時間もじっと座らせて、黙らせているのが一斉指導です。苦痛を味わっているのは、出来ない子どもばかりではありません。もう既に塾・予備校・通信教材等で分かっている子にとっても苦痛です(まあ、他の子どもに対する優越感で紛らわせるかも知れませんが)。今までの教育理論や実践論は、そのような状態を緩和するために、おもしろい教材や、分かりやすい指導法を「プラス」してなんとかしようとしています。

 考えて下さい。ある学校では、一日6時間、校長からどのように指導すべきかの指導があります。教諭はそれを黙って拝聴し、その話をノートに取ることを求められます。校長の話をしている間は私語は厳禁、自席で静かに座っていなければなりません。それが6時間も続くのです。当然、教諭はイライラしてきます。そこで、そのような教諭が自分の話を「ちゃんと」聞き続け、ノートをとり続けられるように、話を考え、プリントを用意する、そんなことをやっていたらどう思います?それが現状の教育理論や実践論なんです。

 そんなプラスに頭を費やす必要はないと思いませんか?そんなことをするまえに、無意味に6時間もじっと座らせ、黙らせることをやめれば、それだけで効果が絶大です。そして、達成すべき目標をかたり、それが「みんな」であることを求めるだけでいいと思いませんか?それが『学び合い』です。

 以上の理由から初期段階は本当に簡単です。そして、その初期段階でも驚異的に向上します。その段階で何か問題があるとしたら、それは何かが足りないのではなく、不必要、否、有害な何かをしているのです。

追伸 中期段階に進むには「みんな」の徹底が必要です。これは大変です。自分の弱さから「みんな」を不徹底にして、それを合理化する誘惑が常にあります。これを乗り切るには、「達成すること」と「達成することを求め続けること」の違いを理解し、それを子どもに語れるか否かが問われます。ところが「達成する」ことにとらわれた人は、それが乗り越えられません。でも、学校教育で学ぶこと「内容」で絶対に達成すべきことなんて一つもありません。私は九九を全部覚えていません。私はこの5年間、一度も筆算をしたことがありません。大学に入学してから、筆で書くことは芳名帳ぐらいです。従って、書き順が間違っても問題ありません。いや、ワープロで変換すればいいので、読めれば書ける必要はありません。そして、体育以外で跳び箱を跳ぶ機会はこれまでも、そして、死ぬまで一生涯ないでしょう。その私は大学教師として、ちゃんと生活できています。が、残念ながら内容に拘り、「達成すること」と「達成することを求め続けること」の違いを理解することがなかなか難しいようです。結局、学校観が分かるのが難しいのだと思います。

tomkicktomkick2008/11/18 22:23西川先生
こんばんは。
>「達成すること」と「達成することを求め続けること」の違いを理解することがなかなか難しいようです

まさにこの部分のむずかしさですね。
子どもに評価規準を示すと,これを達成できるかできないかがやはり気になってしまう。もちろん,結果を求めるわけなのですが,結果が出ることを求めるのではなく,結果を出すことを求め続けるのが,教師の姿勢ということでしょうか。
…と,『学び合い』を相対化するような事ばかり言っている僕が,いうようなセリフではないかもしれませんが。

jun24kawajun24kawa2008/11/18 22:26簡単に説明すれば(これを書くとテクニック的になるのですが・・・)、「みんな」をやれるとどんなことが起こるかをかたればこどもはわかるはずです。心が定まっていないと、教師が先回りして、問題が起こらないような状況をつくろうとします。でも、結局、それをやっている限りは、ある一定以上には進みません。

tomkicktomkick2008/11/18 22:31なるほど~。
だからこそ,「みんな」の徹底をする中期の段階が大変だということですね。普通は見えない「問題点」がどんどん浮き彫りになる。
これと付き合っていけるかが,分かれ目になりそうです。

>心が定まっていないと
この部分をもう少し,詳しく教えていただけないでしょうか。(メールで聞けって怒られるかな?)

doorknobsdoorknobs2008/11/18 22:37西川先生、こんばんは。
>その段階で何か問題があるとしたら、それは何かが足りないのではなく、不必要、否、有害な何かをしているのです。

すごく分かります。すごく分かるのです。

>自分の弱さから「みんな」を不徹底にして、それを合理化する誘惑が常にあります。これを乗り切るには、「達成すること」と「達成することを求め続けること」の違いを理解し、それを子どもに語れるか否かが問われます。
>残念ながら内容に拘り、「達成すること」と「達成することを求め続けること」の違いを理解することがなかなか難しいようです。結局、学校観が分かるのが難しいのだと思います。

今の私はこのあたりで苦しんでいるような気がします。

iku-nakaiku-naka2008/11/18 23:20「達成すること」だけを求めると、教師が目標を達成出来ないことが気になり、目標(特に「みんなが」)の基準を下げてしまう(=誘惑に負ける)のだと思います。

教師が「達成することを求め続けること」を求めると、常に「もっと」を生徒達に求めることができます。「もっと」を求めることが集団をより高めるのだと私は思っています。

しかし、実際問題として「結果」が出ないと「『学び合い』なんて所詮「手だて」の1つ」と言われてしまうこともあったり、また結果が出てもやれ「付ける力が・・・」だの「知識は付くかもしれませんけれど・・・」だのと言われることがあるので、先生方が「達成すること」に目が行く気持ちも分からなくはないです。この辺は、はやり「学校観」の違いなのだと思います。

jun24kawajun24kawa2008/11/19 09:04Tomkickさんへ
 もちろん、ウエルカムです。ブログでやりとりできるところはやれば、可視化もできるわけですから。心が定まるというのは、上のiku-nakaさんのように考えられるということです。心が定まらないというのは、それが出来ないという意味ですよ。

Doorknobさんへ
 苦しんで下さい。それを乗り越えて、内容のくびきから逃れれば、自由は発想が出来るようになります。それによって、今までとは違った、「内容」を押さえる多様な手だてが子どもから教えてもらえます。

Iku-nakaさんへ
 Iku-nakaさんは野球少年だから、そして部活指導をしたからわかるよね。だから、それに関連したメモをアップすることにしました。

08/11/17(月)

[]即戦力の人心術 16:09 即戦力の人心術 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 即戦力の人心術 - 西川純のメモ 即戦力の人心術 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志のブログにあったので読みました。実に良い本です。何度も書いていますが、正しいことは多くの先人が気づいていることです。『学び合い』と重なる部分が多いように思います。それに対する賞賛・共感はあるものの、あえて「違うな~」という部分を書き出します。

 この本に書いているのは、中間管理職の仕事のように思います。例えば、著者は数百人の部下を深く知り、それに基づいた管理を誇っています。そして、それは圧倒的多数のビジネス書、そして、圧倒的多数の教育書では「是」とされています。しかし、一度それを「是」とするば、元の黙阿弥になってしまうことが分かっているので、多くの善意の教師から嫌われるであろうことを予想しつつも、「非」と主張し続けます。

 教師は、子どもよりも教え方がうまいと思っています。

 教師は、子どもよりも子どもの悩みを解決できると思っています。

 教師は、子どもよりも子どもと仲良くできると思っています。

 教師は、子どもよりも楽しい話が出来ると思っています。

 教師は、子どもよりも物事を知っていると思っています。

 教師は、子どもよりも正しい判断が出来ると思っています。

 教師は、子どもよりも・・・・・・・・・と思っています。

 「え!?当たり前でしょ、だから教師なんだから。」とお思いの方もおられるでしょう。しかし、私はそう思いません。たしかに教師は「ある子」より出来るかもしれません。そして、「ある子」はクラスの大多数かもしれません。しかし、「その時、その事」に関して全ての子どもを勝っていることは少ないと思います。さらに、個々人としてクラスの子どもに比べて勝っていたとしても、数十人の子ども「集団」に勝っているとは考えにくいと思います。これは小学校1年生においてもです。だって、1日は24時間あり、それは小学校1年生であっても同じです。一人の教師が、小学生1年生であったとしても、その数十倍の速度で判断できるとは考えづらいです。そして、百歩譲って数十人の子ども集団に勝っていたとしたら、私は誇るのではなく、恥じます。だって、有機的な集団になっていないという証拠だからです。

 では、何故、管理職は管理職なのでしょうか?そして、教師は教師なのでしょうか?

 教諭の方だったら、校長に置き換えれば分かりやすいと思います。

もし

 校長は、教諭よりも教え方がうまいと思っています。

 校長は、教諭よりも子どもの悩みを解決できると思っています。

 校長は、教諭よりも子どもと仲良くできると思っています。

 校長は、教諭よりも楽しい話が出来ると思っています。

 校長は、教諭よりも物事を知っていると思っています。

 校長は、教諭よりも正しい判断が出来ると思っています。

 校長は、教諭よりも・・・・・・・・・と思っています。

と思っている校長をどう思われます。噴飯ものでしょうね。なお、校長を教育長、教諭を校長に置き換えても同様です。

 管理職は管理職なのは、そして、教師が教師なのは、それは優れているからではなく、「そういう立場」なんだと私は思います(もちろん私もそういう立場に過ぎないと思っています)。では、どういう立場なのかと言えば、「集団全体に対して目標を与え、それを納得させ、評価し、集団の課題を達成する」立場なのです。

 私はビジネス書、教育書、またブログにおけるリーダー論、教師論を読む際、自分と同年代の管理職が、そうことを考えて行動する人だったら「傲慢」と思うか?それとも、「あ~、自分は管理職にならずに善かった。管理職はその人に任せておこ~っと」と思うかで判断することは少なくありません。

追伸 著者は船長としては卓越していました。しかし、艦隊の提督にはなれなかったでしょう。それ故、彼は退任してコンサルティング会社を設立しました。おそらく、中間管理職においては意味あるコンサルティングを出来るでしょう。しかし、社長・取締役の役には立たないと思います。

janglejapjanglejap2008/11/17 20:48先生と同じ本を読んだ、思うと嬉しいです~。
私はどうしても自分の考えにひっぱって本を読んでしまうので、「違うな~」というところを先生から教えていただけてとてもよくわかりました。
「立場」ということ、よく「そうであってほしい」と考えることでもあります。
自分が教師という「立場」でできること、しなければならないことをしていこうと思います。
でも、いい本ですよね(笑)

jun24kawajun24kawa2008/11/17 21:36はい!もちろん!

JP301JP3012008/11/18 09:24「即戦力の人心術」早速ネットで注文しました。

jun24kawajun24kawa2008/11/18 22:09良い本を、色々、紹介し合いましょうね。

08/11/16(日)

[]報酬 18:10 報酬 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 報酬 - 西川純のメモ 報酬 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は毎日、毎日、全国の人からのメールの返信をしています。毎日、最低でも2時間以上は時間をかけています。本務の仕事が立て込んでいるときなど、ものすごく大変です。が、一度たりとも誠意ない返信はしたことはありません。送られてくるメールの約2割ぐらいは不誠実なものであったとしても、私は誠実に対応しています(少なくとも私はそう思っています)。

 何故、それを続けられるか。それは私には「志」があるからです。そして、それを捨てたら、自分が腐ることをよく分かっているからです。でも、「志」や「腐る」ということは抽象的ですので、それだけではヘタリます。滅私奉公では続くわけありません。でも、心が豊かになれるメールをいただけることは少なくなく、それを読みながらボロボロと感激の涙を流せます。だから、続きます。本日もいただきました。

 『本日、「本当の友達って何か、分からなくなってきた。僕はいじめられている」と涙ながらに訴えてきた我がクラスの男の子がいたため(そんなことが出せるクラスになってきたということだと思います。以前なら、胸にしまい、我慢していたのではないでしょうか。)そのことについて話し合っていたところ、一人の女の子が「誰かがが幸せになると、誰かが不幸になるってことじゃない?みんなが幸せになるなんてありえないんじゃない?」って言い出しました。そのことについて、自由に立って『学び合い』をしてもらったところ、世界情勢や環境問題などにまでつなげてあちこちで話し合いが始まり、「幸せは分けることができるもの」「分けても減らずに逆に増えることがある」「ひとりひとりにとって幸せって違うんじゃない?」などの考えが出てきました。以前国語で学んだ宮沢賢治のことも持ち出しながら話す子も何人もいました。「私らは幸せやけど、世界には戦争で不幸な国がまだたくさんある」とか。しーんとして男の子二人でだまっているように見えたところに(やる気なくなってるのかなー)と失礼なことを考えながら近づいて「どうしたの?」と聞くと「いやー。戦争している国の人が必ずしも不幸な人ばかりじゃないし、戦争がなくて平和といわれている国の人が必ずしも幸せな人ばかりじゃないと思うんですよ。」なんて、深い話をしていました。「だから交流が必要ながよ」と自分で書いた黒板の字を叩きながら熱弁をふるっている子もあっちのほうにいました。「この人達、ほんとにすごいんだ」とまたまたこの時間も感動させられました。それらの意見が次々と子どもたちの手で黒板の上に埋め尽くされていきました。以前ならなかなか意見が出ず、しかたなしに紙に書かせ、その後私がチェックしてみんなに紹介し、そしてまた紙に書かせるなどしなければならなかった活動が、わずか10分から15分の間に自主的に生き生きと行われました。「自由に歩き回ってよい。ただし、みんなで考えなくてはならない」というだけで今まで数時間かけてやっと到達できるかどうかの意見がいくつも出てきたのです。恥知らずにも他の職員に「なかなか意見言わなくて困ってます」という報告をしていたわがクラスの子達が、何人もそこかしこで真剣に友達に声をあげ訴えかけているのです。初めに疑問をなげかけてきた女の子が「何かみんなが幸せになることもあるかも知れんと思えてきた」というようなことを言うようになっていました。

 あっ。冒頭の泣いていた男の子もいつの間にか他の子の輪に加わり話していました。その子は自分自身の行動が見えていなかったようです。それも『学び合い』の中で他の子達と意見を交流する中で気付いてきました。

 私は、時間が来たので「とりあえずこの時間はここで終わっておきますが、この疑問は、今自分の中で出た結論が最終の結論とは言い切れません。生きていくうちにいろんな事と出会う中で変わっていくのかも知れません。自分の中でずっと問い続けてみてください。」とみんなに言って終わりました。

こんないい話が今日「も」いくつもでてきました。

 新採用の同僚に先日『学び合い』について話したところ、さっそく翌日ちょっと試したらしくて「いい効果がでてきてますよー」と喜んでいました。「考え方」がわかりさえすれば特別に長い修行を積まなくても今まで以上の効果がすぐ出てくるということですね。いかに先生の理論が優れているかと言うことだと思います。もちろん、これも先生がおっしゃるようにさらに上をめざすなら、それなりの壁も出てくると思いますが、それすらも子どもたちの力を信じてさえいればうち破っていけるだろう、そしてその時に更なる喜びが味わえるだろうという明るい希望がもてる壁のように思えてくるのです。今までのややあきらめかけていた辛い閉塞感がなくなってきているところです。』

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2008/11/17 21:43先生にアドバイスを頂いている人間の一人です

いつも自分自身では中々気がつかない視点でのご意見を頂き大変感謝しています

先生には、私自身が主宰している勉強会についてのアドバイスを頂いていますが、私自身も、微力ながら自分の勉強会を通じて、多くの教師仲間を幸せにして、その結果、多くの子どもたちが幸せになるような活動をしていきたいと考えます

以前に本で読んだ言葉ですが、人間は人に与えれば与えるほど自分自身が豊かになっていくと思うし、成長もしていくと思います

いつも、学ばせて頂いてありがとうございます

jun24kawajun24kawa2008/11/17 21:53はい、私も人と繋がりながら語ることによって、自分が成長する、というより退化しないようにしています。
自慢メール待っていますよ!

08/11/15(土)

[]宮城の会 21:47 宮城の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 宮城の会 - 西川純のメモ 宮城の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今月末に宮城の会があります。お誘い申し上げます。当日参加は可能ですが、係の予定もありますので、出来れば予約をいただければ幸いです。

 第1回『学び合い』を学ぶ研究会in宮城 20年11月29日(土)(宮城・仙台)http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20080824

08/11/14(金)

[]射北中学校 22:06 射北中学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 射北中学校 - 西川純のメモ 射北中学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、富山県の射北中学校で講演をしました。授業を観ましたが、『学び合い』ではありません。が、校長の話を聞き、また、研究発表会の話を聞き、心強く感じました。形ではなく、心がだんだんと理解されていることを感じます。なんといって表現して良いのか分かりませんが、「だいじょうぶ!」と感じました。嬉しかった。

 今日の夜、飲み会を誘われていたのですが、本日は我が家の記念日です。家内が結婚のOKをしてくれた日です。講演会が終わって直ぐに帰宅し、家で祝杯です。ということで、今、ほろ酔いです。

[]同志 22:06 同志 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 同志 - 西川純のメモ 同志 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、佐賀県では教育事務所として『学び合い』を取り組んでいます。色々迫害されている同志にとっては夢のようなことだと思います。その中心となっている、櫻井事務所長が九州地方のラジオに出演しました。その内容をF同志から連絡があり、櫻井事務所長からOKがあったのでアップいたします。

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RKBラジオ「門馬 良 デイリーファイル」 電話インタビュー

2008/11/07 16:10~16:15

アナウンサー

 門馬 良(男性)

 葉山さつき(女性)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

門馬:佐賀県の佐城教育事務所が、佐賀市・多久市・小城市の小中学校で、昨年の秋から取り組んでいた『学び合い』授業で、学力や人間関係の向上に、一定の成果が上がっていることが分かってきました。

葉山:九州では初めて取り組まれた『学び合い』授業。どんな授業内容なのでしょうか?

門馬:電話がつながっています。佐賀県佐城教育事務所の所長、櫻井俊史さんです。

   櫻井さん、こんにちは。

櫻井:こんにちは。

門馬:『学び合い』授業。これはどんな授業なんですか?

櫻井:そうですね。『学び合い』授業とは、教師が授業のめあてや課題を説明した後は、ほとんどすべての時間を、子どもたちがお互いに関わり合いながら学習を進めていく授業ですが、特に、自分が分かる・できるだけではなく、学級のみんなが分かる・できる、また、説明できるようになることを目標としているところが大きな特徴になっています。

門馬:子どもたちが子どもたち同士で教え合っていると・・。

櫻井:そうですね。

ですから、実際の授業の様子なんですけども、『学び合い』授業を実践している学級では、みんなが分かるというのが浸透していますので、分かった子どもがまだ分かっていない子どものところに教えに行ったり、分からない子どもが自分から教えてもらいに行ったりしていますので、子どもたちは自由に立ち歩きながら、お互いの考え方を活発に意見交換しているという様子になっています。

葉山:確かに先生に聞きに行くよりは、友だちに聞きに行く方が、とても気持ちが楽かも知れませんね。

櫻井:そうですね。

門馬:あのう、その間、先生は何をなさっていますでしょうか?

櫻井:子どもたちの様子をずっと評価しています。子どもたちの理解度を把握してみたり、「ここのあたりの子どもはまだ不十分だな」とか「ここに良いアイディアがあるな」とか、そういった、全体を観て回っているということになりますね。

葉山:はは~。

   これを、去年の秋から取り組んでいらっしゃるということなんですけども、この『学び合い』の授業をやってみようかなとお思いになったのは、何か訳があったのですか?

櫻井:そうですね、私どもの仕事柄なんですが、各学校の授業を見せていただいたり、研修会に参加する機会が多いんですけども、そこでの先生方から、悩みとか学校の課題などをたくさん言われます。例えば、子どもたちの学力が二極化している。簡単に言うと、できている子とできない子がはっきりしてきている、とか。それから、人間関係を構築できないでいるとか。まあ、学級の人間関係がうまくいかないとか。それから、手のかかる子が増えてきている。とか、そういったことを言われておりました。

どうにかアドバイスできないのかと、何年も模索はしていました。昨年、上越教育大学の西川教授という方と出会いまして、この『学び合い』を知ったわけです。

もちろん初めは本当かなというのがあったんですけども、いろんなデータとか映像とか音声とかいろんなものを見せていただいたりして、また、実際に、佐賀県ではないんですが、他県で授業を見せていただいた中で、そこの子どもたちが非常に輝いて学んでいるというのを見まして、「これはできるな」と。そういったことで、課題解決のために導入したいというのが、初めのきっかけです。

門馬:一つクラスには何十人という生徒がおりますが、その中には、単純に言うと、塾に行っている子もいればそうでない子。勉強が進んでいる子進んでいない子。やはりそこで差が出てきてしまいますね。

   そして、やっぱり子どもの心、どうなんですか、心が開けて来るというかオープンになってくるとか?

櫻井:非常に人間の心の豊かさといいますか、柔軟性といいますか、そういったものが自然に出てくるようになっているようですね。

門馬:これ、お父様お母様達。ご父兄の皆さんの反応というのはどうですか。

櫻井:そうですね。実践者の先生方からお話しを聞くんですけども、はじめの段階ではですね、いわゆる導入するはじめの段階ですが、「本当に子どもだけで分かるのでしょうか」という不安を持った方も一部あったようには聞いているんです。ただ、子どもがこれをやっていくとですね、今まで以上に、家で学校のことを話すようになるんですよね。例えば、「今日授業が分かったよ」とか「点数の今まで以上に高くなった」とか。それから「友だちと意見交換が非常に楽しい」とかを言い出したり、また実際に点数を取り出しますと、親さんの不安が非常に少なくなる、どちらかというと、むしろ喜んでおられる方が多いようですね。

葉山:本当ですよね。実際に点数が取れるようになったっていうのは大きいですよね。

   これ、数字としていうと、みんなだいたい何点くらい取れるようになったんですか。

櫻井:先ほど言いました上越教育大学の西川先生は、この『学び合い』の授業では学級全員の最低点数が80点以上になるといっておられます。

葉山:最低点が!

櫻井:はい

門馬:そういうふうに、いずれそうなるだろうと?

櫻井:はい。勿論100点満点ですよ。1000点満点ではありません。

葉山:ねえ~。そうですかあ!

門馬:でも、そういう動きにはなってきていると。結果としても。

櫻井:あっ。それでですね。先月、佐賀市立巨勢小学校の松田先生という方がおられますが、この方は先月10月に、最低が80点を全員クリアーをしております。

門馬:はあ~。

葉山:それは平均ではなく、最低が80をクリアーしたんですか?

櫻井:はい。

葉山:それはすごいですねえ!!

門馬:あの、これからこの『学び合い』授業をどのように生かしていきますか?

櫻井:そうですね。私どもがやったことによって、子どもたちの心とか体とか頭の力が、今まで以上に付くことが分かりました。学力に限って、今風に言いますと、「脳が非常に活性化する」といいますか、そういったことで、人間の可能性は大いにあるということが分かりましたので、多くの先生方に理解して頂いて、子どもたちの大きな成長に結びつけて頂ければと願っているところです。

門馬:そうですか。今日はありがとうございました。

櫻井:いえ、こちらこそ。ありがとうございました。

門馬:佐賀県佐城教育事務所長の櫻井俊史さんに、『学び合い』授業について伺いました。

 (終わり)

janglejapjanglejap2008/11/15 08:24すごいです!内容までアップしてくださり大変参考になりました。保護者へ伝えるとき、学び合いを実践していない人に伝える時、簡単に大事なことを伝えるのにお借りしたいと思いました。

jun24kawajun24kawa2008/11/15 17:15どうぞお伝え下さい。

JP301JP3012008/11/16 22:10 教育事務所が学校に薦めているのですか。すごいことですね。
佐賀佐城教育事務所が管内の学校の学力DATAをいつか公開してくれると本当にすごいことになりますね。
 西川先生がお祝いの酒をたくさん飲み、大きな声を出している姿が目に浮かびます。

jun24kawajun24kawa2008/11/17 08:37がははははは~

08/11/13(木)

[]無茶な 13:01 無茶な - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 無茶な - 西川純のメモ 無茶な - 西川純のメモ のブックマークコメント

 無茶なご案内です。実は、1月8日に秋田県で講演をすることになりました。で、もし東北地方で私の講演を希望し、1月9日の午前中(秋田県内の場合は8日の午後)に設定できる方がいたらメールしてください。連動したいと思います。無茶なご案内であることは十分に分かっているのですが、一応ご案内申し上げます。

追伸 2月は九州と高知の連続講演(5泊6日)と博士課程関連の関西出張(3泊4日)があるので、もう、いっぱいいっぱいです。3月は今のところ講演の予定は入っていませんが、異動があるのでまあ無理でしょう。ということで、泊を必要とする出張を受けるのは今年度はこれが最後と思っています。

yukari0841yukari08412008/11/14 22:54先生、秋田県のどちらでご講演ですか?

jun24kawajun24kawa2008/11/15 17:14大曲ちかくの千畑南小学校です。

08/11/12(水)

[]説教 22:12 説教 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 説教 - 西川純のメモ 説教 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日はあるゼミ生に個人的に説教をしました。個別対応は『学び合い』のセオリーに反します。が、楽しかった。可愛かった。1時間半、じっくりと「おじさん」は語りました。繰り返します。可愛いな~

08/11/11(火)

[]反省 22:27 反省 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 反省 - 西川純のメモ 反省 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 西川ゼミのOBOGならご存じですが、私は発表時間をオーバーすると厳しく叱ります。それは、オーバーする人には、聴衆に対する配慮が無く、傲慢であるからです。

 が、つい最近の大阪の会では50分の予定を60分にしてしまいました。これは、この5年間では無かったことです。反省です。

 本日は神奈川の中学校に行きました。『学び合い』が広がっているのを感じ、嬉しく思います。そこで、講演をしました。そこで、私の生涯で最初の最悪のミスをしました。おそらく、今後においても、あり得ないミスです。あまりに恥ずかしいミスなので、ここに書くことができません。あまりのミスのため、今落ち込んでいます。反省です。

MizuochiMizuochi2008/11/11 22:34あらら~。明日一番に珈琲入れて待ってます!^^

BerliozBerlioz2008/11/11 22:50A中学Iです。
今日は遠路ご足労いただき、ありがとうございました。日々生活指導に追われ、消耗しきっていましたが、エネルギーを注入していただいた気分です。明日からまた新たな気持ちで挑戦していきたいと思います。

jun24kawajun24kawa2008/11/12 06:38Mさんへ
では、なでなでして慰めてもらいましょう。
Berliozさんへ
凄いことやって下さい。課題が最初にあるのです。

kujirakujira2008/11/12 21:29高知から大阪の会に参加させていただいていた者です。『学び合い』そのものを知ってからまだ10日ほどで、実際授業をしたのも5日ほどなのですが、もう毎時間、というか、休み時間や放課後まで…今まで望んでも1年にたまーにしかないような感動の場面があちこちで起きていて、涙がにじんでしまうことも日に2,3度あったり。今まで一人一人への対応と授業の準備で疲れることはあったけど、後から後から子どもたちのうれしい言葉や行動が来るので今は感動し疲れているくらいです。
西川先生はじめ、会に参加されていた全ての方々、本当に有り難うございました。
今、一番心配なのは、あんまりいいので、そのうちなんかあるんじゃないかという具体的根拠のない不安です(笑)。

jun24kawajun24kawa2008/11/12 21:51良かったですね。
『学び合い』をして、直ぐに出る姿は、そのクラスの「地」です。そこで感動できるということは、普段のクラス経営が良かったということです。つまり、kujiraさんのクラスの良さなんですよ。安心して下さい。でも、もっとを願えば、色々と悩みます。でも、成長のなやみです。なかなか難しいと思いますが、楽しんで苦しんで下さい。追伸です。2月7日に高知大学附属小学校で講演します。全日の昼間ならば空いていますよ。

kujirakujira2008/11/12 21:52すみません。先ほどのコメント、ここに書き込んでよかったのでしょうか?初めてでよくわからないもので。違っていたら、ごめんなさい。
それから、ついでみたいで申し訳ないですが、『学び合い』の手引き書超短縮版について質問させてください。ひょっとして、6ページの次のページが抜け落ちていませんでしょうか?

kujirakujira2008/11/12 22:03再びすみません。2つ目のコメントを送った後で、先生のコメントいただいていたことが分かったもので、さらに追加です。2月7日とてもとても楽しみです。最後の文、ちょっと分からなかったのですが、ひょっとして、「前日」でしょうか?もしそうで、お会いできるというのなら、さらに楽しみになってしまうのですが。

jun24kawajun24kawa2008/11/12 22:09もちろん、ここに書き込んでOKです。超短縮版は抜けていませんが、どこでしょうかもう少し、詳しく書いて下さい。全日の昼間に合えるなら、メールして下さい。

jun24kawajun24kawa2008/11/12 22:14追伸です。完全版も読んでね。

kujirakujira2008/11/12 22:35三たびすみません。超短縮版の件、全くの私の勘違いでした。初めから私の早とちりぶりがばれてしまいました。お恥ずかしい限りで…、お詫びいたします。
完全版の件、既にプリントアウトはしているのですが、何せ『学び合い』に出会ってからまだ数日で、本も何冊か購入し、どれから読もうかと…。とりあえず今、最新刊と国語の本を読ませていただいたのですが、完全版も早速読ませていただきます。
2月の日程、確認して、またご連絡させてください。

jun24kawajun24kawa2008/11/12 23:23待っています。

08/11/10(月)

[]悲惨 22:26 悲惨 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 悲惨 - 西川純のメモ 悲惨 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以下で書くことは、誤解されるであろうことは十分に分かっていて、でも、書きます。

 ふと見た広告には、幼い子どもが抱き合っています。それによれば、早くから両親に死に別れ、出産時に死んだ姉の子どもを育てている子どもの姿だそうです。そして、ある基金によって救われた、と結んでいます。子どもが悲惨な状態であることを耐えられない私としては、読むだけで息が苦しくなります。

 さて、その子どもは悲惨なのでしょうか?

 アウシュビッツで拷問を連続する実験をした結果によれば、囚人は拷問と拷問のわずかな合間を「幸せ」と感じたそうです。我々、日本人はガン、脳卒中、心筋梗塞によって八十に達する前に死ぬ人が多くいます。では、我々日本人は今の自分たちを悲惨と悲しんで生きているでしょうか?否です。でも、今から百年後の日本で上記の病気が克服されていたならば、その時代の人からは悲惨だと思われるでしょう。これをどう思いますか?おそらく、平均的な日本人は平均寿命が三十歳のアフリカの地域の話を聞くと、悲惨だと想像します。

 何が言いたいかというと、他の社会に生きている人間には、ある社会に生きている人間の幸不幸は分からないと言うことです。どんな状態であったとしても、その中で幸せを感じることは出来ます。

 これから書くことを不快に思うかも知れませんが、お許し下さい。

 全世界には、子ども時代を子どもとして過ごせず、若年労働に従事している子どもが多くいます。そして、中年にいたる前に死ぬのが殆どです。そこには若年労働を強いている大人がいます。しかし、その大人は必ずしも悪いことをしているとは思っていません。だって、子どもは「そんなもんだ」と思っているのですから。それを悪だと思っている先進国の人が言ったとしても不快でしょうね。何を偉そうに、と。

 今日本では、義務教育は9年間です。そして実質は高校までの12年間です。その中で、「何故、黙らなければいけないのか?」、「何故、学ばなければならないのか?」の説明をされずに隷属を12年間以上も強いられています。そうして競争によって尻をたたかれ、その結果としてドロップアウトする子どもは続出です。学校教育というシステムからドロップアウトする子どもは10%以下であったとしても、自主的な学習を放棄している子どもは過半数を超えているのではないでしょうか?

 私も高校教師時代、悪意はありませんでした。いや、善意に満ちあふれていると自信を持っていました。でも、結局、私はやさしく若年労働を強いている大人と同じなのです。個々人は悪意はないことは十分分かっていても、言葉に刺が多いのは、上記の理由なのです。

tontan2tontan22008/11/10 23:18自分の過去も全く同じです。
今でも「本当にこれでいいのか」常に自問しながら、
「隠れた悪」になっていないのかどうかを不安に思います。
それを確実に確かめるすべはありませんが、
「子どもの姿」だけがその答えを導いてくれるのではないでしょうか?

o4dao4da2008/11/10 23:22みんなですよね、みんな

きょう@東京きょう@東京2008/11/10 23:47大阪でお会いした「きょう」です

セミナーでは貴重なお話を有難うございました

今回の日記ですが、とても考えさせられる内容でした

アフリカや東南アジア等の悲惨な状況を知るにつれ、日本がそういった状況にならないように、子どもたちにしっかりと教育をする必要があると思っていました

(同時に、そういった恵まれない世界の子どもたちに、少しでも優しい人間に育ってくれればとも思いました)

しかし、私が現在やっている教え込みが、発展途上国で子どもを強制労働に従事させている大人と変わらないと指摘されたことは、とても反省しなければいかないことだと思いました

私自身は学校の勉強は好きではなかったのですが、読書が好きで昔から、自ら学ぶことの喜びは知っていたつもりです

子どもたちに学ぶ楽しさを教えるために教師になったのだから、再度、心を入れ替えて子どもたちにどういった授業をするべきなのかを考えたいと思います

大切な事に気がつかせて頂いてありがとうございました

この日記は何度か読み返して、更に考えさせて頂きたいと思います

jun24kawajun24kawa2008/11/11 22:17コメントありがとうございます。
本日のメモは、我が身を正すためのメモです。
私には力がない。
いっしょにやりましょう同志!

08/11/09(日)

[]大阪の会 15:46 大阪の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大阪の会 - 西川純のメモ 大阪の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、大阪で『学び合い』の会が開かれました。詳細は、他の人のブログにアップされると思いますので、それは省略します。私は、別のことを書きます。

 不思議です。冷静に考えれば考えるほど、不思議です。

 きっかけは昨年の10月3日の関西の学生さんからの突然の電子メールです。「新潟大学で会があるから10月6日~8日に合っていただけないか」という内容です。ちなみに、その年の6~8日は連休です。三日前に連休中に合いたいという依頼をするというのが、いかにも学生さん的です。しかし、学ぶために来るというのであれば、教師として時間を作りたいと思いました。6日の午後3時に合ました。合って熱く、暑苦しく語りました。その三人とは「おすぎ」、「りっきー」、「こにー」です。三人ともネットワークのある人で、『学び合い』の考えと彼らの属しているコミュニティとの親和性は高かったので広がるのが早かった。また、実行力のある個人、集団だったので行動力は早かった。

 昨日の発表者の中で、『学び合い』にふれて1年を超えるのは「りっきー」ぐらいです。それとても1年と1ヶ月です。発表者6人のうち教師は4人、あと塾教師と水泳のインストラクターです。そして、教師4名のうち、2名はなんと今年の4月に採用されたばかりの方です。残りの2名の方も、若手と言うにはつらいですが、中堅といわれるには若い方々です。会場にはいろいろな大学の学生さんがいました。関西の多様な大学の学生さんが参加してくれました。層の厚い若いネットワークが続くことを感じ頼もしく思いました。もっと遠くから来た学生さんがいたかも知れませんが、私に声をかけた学生さんの中には静岡から来られた一団がいました。遊びに使えば相当遊べるお金を、『学び合い』を学ぶために費やしたこと、そして、そのような学生さんが一人ではなく集団出来てくれたこと、大学教師の端くれとして喜びに堪えません。

 伸びる集団は若い人が元気です。その意味で、伸びることを確信しました。こられた学生さんの中には、「来年、○○県で教師になります」と言われる方も多かった。手を握って「よき職業を選ばれた、すばらしい職業ですよ!」と祝福しました。そして、この若い人が苦労しない環境を「おじさん」は作らなければ、と改めて感じました。

もちろん、若手ばかりではありません。中堅の方々にも一杯あいました。また、管理的な立場の方も少なくありませんでした。私の全く知らない方々が、『学び合い』を実践し、悩み、そして手応えを感じていることを実感しました。層の厚みを感じます。私の知らなかった同志と会えてとても嬉しかった。それらの方々が「この会って、若い人が一杯ですね」とニコニコ語っていたのが印象的です。

また、懇親会への参加率が異常に高い。昨日の参加者は85名です。懇親会1次会に参加した人が53名です。また、懇親会2次会への参加者も26名です。この懇親会への参加率が異常に高い。私の知る限り、自由参加の研修会でこのような現象が起こるのは『学び合い』の会ぐらいだと思います。おそらく、参加者は懇親会にでても一人ぽつんと壁の花になることはないだろうというネットワークの安心感と、もっと何かを得られるという感じを得ているのだと思います。

私はとても不思議に感じます。だって、1年前には関西(正確には近畿)で『学び合い』のネットワークは無かった。だから、「関西は『学び合い』が弱い」と言っていました。ところが、若い人たちが1年間ですばらしい会を企画運営するようになっている。「おじさん」には信じられません。昨日をもって、「関西は『学び合い』が弱い」という言葉は使いません。関西は熱い!

追伸 課題が低いと集団が腐る、というのは大人も同じです。さっそく、もっと高い課題をニコニコと語りました。あははははは

追伸2 でも、我々は常に「みんな」を目指します。参加者全てが満足する会を目指さなければなりません。その点では、まだまだ改善の余地はあると思います。互いに、気を引き締めなくちゃね。

ながたくながたく2008/11/09 15:54こに~さんたちの大阪での活躍はすざまじい(すざましい)です。
ミクシィがすごいことになっていますよ。

自分たちの団体は、そんなに伸びていませんが、
日本教育実践学会の若いぼくらもがんばっていかないとと、
協調自律学習の我が師N先生には、無言のメッセージを頂きました。

jun24kawajun24kawa2008/11/09 16:11あはははは
一言、やりたい、と、やるは大きな違いです。
5人いれば100人ぐらいの会は出来るというのが、『学び合い』の会のいいところ。だって、参加者もいつの間にか運営側に取り込めるのですから。あははははは
期待しています。
ただし、無理せず、うまく政治をしてください。

kogapon7kogapon72008/11/09 21:48西川先生、ありがとうございました。
至らないところだらけで申し訳ございませんでした。
関西は、これからです。
『学び合い』は考え方・子どもを信じる・子どもに任せる
をキーワードに、第2回にむけて励んでいきたいと思います。

jun24kawajun24kawa2008/11/09 22:01もう、何も言わなくても良いのですが、
お約束です!
期待しています!

ybhdv7ybhdv72008/11/10 01:12こに~です。

ありがとうございました!!
土曜日はとっても熱気のある空間にいることができて、本当に幸せでした。参加者の方々・スタッフの方々・西川先生がいてくださったので何とか開催することができました。感謝しています。

ただ、反省点も多々あるので次回につなげていきます!

そうですね!
あれから一年がたつのですね。。。
いえいえ、私たちがお会いしなくても、いずれ関西のどなたかが上越に行って先生にお会いしたと思いますよ。
本当の勝負はこれからです。
適度にやっていきます♪

jun24kawajun24kawa2008/11/10 06:32ご苦労様
今日から新たな前進をね

morimotomorimoto2008/11/10 23:55大阪で西川先生とお話しができてとても嬉しかったです。
先生が私に言われた子どものせいにしないこと、色んな年代の方と繋がることを頑張っていきたいと思います。まずは笑顔で挨拶ですね!

本当にありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2008/11/11 22:15はい、それをやれば最初の1年を乗り越えられますよ。
だいじょうぶ

08/11/08(土)

[]昨日、今日 09:02 昨日、今日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 昨日、今日 - 西川純のメモ 昨日、今日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は8時50分に大学を出発し、燕三条駅で千葉の先生と待ち合わせしました。そこで昼飯を食べながら、楽しく議論しました。午後、Kさんの授業を参観しました。久しぶりの高校の授業です。Kさんからは散々と脅かされていたのですが、とっても良い子ばかりだと感じます。まあ、カッコは不良っぽい子はいっぱいいますが、すれていません。また、挨拶がちゃんとできる子ばかりです。廊下もきれいです。

 授業の様子は、まず、ベルが鳴ると子どもたちは10分間の読書をし始めました。シーンとした緊張感を感じます。それが終わると課題提示です。『学び合い』のセオリーからいうと、ちょっと課題が細切れで、懲りすぎと感じます。また、グループを教師が決めている部分がありました。しかし、言葉なかなかできないのですが、Kさんには『学び合い』の考えにぶれを感じません。だから安心して、かつ、嫌な気を感じることなく、いや、とても気持ちよく授業を参観しました。Kさんは分かっていて、ある意図を持ってセオリーから離れています。それは大歓迎です。だって、『学び合い』は考え方であって、方法ではないのですから。(逆に、方法はセオリー通りであっても、考え方にずれを感じると嫌な感じがします)

 授業後、千葉の先生方と一緒に授業検討会を1時間ほどしました。その後、千葉の先生方と「期待していますよ」と言って新幹線の駅で別れました。その後、新潟に移動し、新潟の小学校の先生方の研究会に参加しました。

 講演会では、『学び合い』が初めての方も多いということで、定番の公演内容の短縮版を行いました。その後、Kuさん、Obさんの実践発表です。実践自体はとてもいいのに、プレゼンは下手糞です。大学院時代はそうでなかったのに・・・、と歯がゆい思いがしました。その後の質問で突込みがありましたが、ご両人と質問者のどちらが同志なのかと見まがう頼もしい質問ばかりでした。

 研究会就業後、Kuさん、Obさんを交えて懇親会です。さっそくプレゼンに関して「指導」を入れました。つまり「プレゼンには主張が無くてはならない」、「プレゼンは悩みの告白録ではあってはけない」、「時間厳守!」です。しばらく言い訳をしていましたが、私に言い訳は通用しないということを再確認して降参しました。お二人とも、「予想通りの」突っ込みをニコニコして承っていました。馬鹿な話をいっぱいして楽しみました。最後のほうで、普段は大言壮語をしないYmさんが、私が何も促していないのに「下越はわれわれにお任せください!」と宣言しました。私はびっくりして、「これブログに載せるからね」と宣言しました。(ということで、早速載せています)。

 その後、Kuさんに新潟駅に送っていただき寝台電車に乗って大阪に出発。やはり、音とゆれで熟睡はできませんでした。朝食をいっぱいとって、「ネットカフェ」に今います。なにか怪しげな場所かとこわごわ入りましたが、いたって健全な環境でした。

 これから昨日のメール処理を行い、大阪の会に出発します。

追伸 四十を超えた教え子の現場教師が、昼に会った高校生のようにかわいく感じました。

教え子Ku教え子Ku2008/11/08 12:02昨日は本当にありがとうございました。西川先生のお話が聞けて嬉しく思います。そして大変失礼しました(汗)。厳しいご指導も、卒業した今では(笑)、とても温かく嬉しく思います。次回はご期待ください。

santajunsantajun2008/11/08 12:45昨日はありがとうございました。
最後の言葉は,同志がいるから,自信がついてきたから言えた言葉だと思います。これから,お願いすることもあるかもしれません。その時,よろしくお願いします。また,ヒ○メって言われるかな~汗。

F-KatagiriF-Katagiri2008/11/08 13:03ハードスケジュールの中、いらしていただいてありがとうございます。「グループ。(まる)よみ」ですが、新たな文章に入る時の「儀式」みたいなものですので、あの形式がベストだと思っています。授業始めの10分読書のような「儀式」をとりいれるのは、授業のメリハリと子どもたちの集中力を喚起する上で、始めと終わりの「礼」と同様に重要なものだと気づいてきました。

jun24kawajun24kawa2008/11/08 22:44下越・中越がとても楽しみです。
期待しています!

tomkicktomkick2008/11/09 00:39西川先生
今日は,大阪の会でたくさんのことを学ばせていただきました。
ありがとうございました。
講演といい,100の質問に対してぶっつづけて答えるさまといい,いやぁかっこよかったです。
ぜひ,うちの学校でも聞かせていただきたいなぁと思っているので,もうちょっと政治を頑張りたいと思います。
ありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2008/11/09 05:16みんなと政治をして下さい。
大丈夫!
tomkickさんが思う以上に、道は出来ていると思いますよ。

08/11/07(金)

[]時間 08:08 時間 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 時間 - 西川純のメモ 時間 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 前から不思議だと思っていたことがありました。それは時間に冠詞です。高校生の時は受験の時でさえ、好きな音楽をじっくり聞けました。大学の時代は理学部で実験が忙しくてもそうです。ところが今は時間がありません。どう考えても大学入試の時よりは時間があっても良さそうなのに・・・と思っていました。

 本日の朝、息子の歯の仕上げ磨きをしながら気づきました。昔は自分のことだけやっていれば善かったんです。ところが、今は、家族や私に関係する人のためにやることが多くなっています。そこが違いだと発見します。

 分かってみると、な~んだ。というものです。

08/11/06(木)

[]大人 22:03 大人 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大人 - 西川純のメモ 大人 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大人というのは、当たり前のことを、当たり前にやり続ける人だと思いました。

 明日から、出張です。

mellowfieldsmellowfields2008/11/07 00:26まさしく当たり前のことですね。
しっかりと受け止めたいと思います。

jun24kawajun24kawa2008/11/07 08:04ということが分かる人って、そうしているんですよね。
あははは

08/11/05(水)

[]宗教 22:09 宗教 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 宗教 - 西川純のメモ 宗教 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』というのは宗教に近いと言われます。私は否定しつつも、そうだな、と思います。というのは信じることが力になるからです。信じることによって、出来るようになるからです。ただし、多くの宗教との違いがあります。ハッキリとした結果で評価している点です。(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080529

szeidzsiszeidzsi2008/11/06 18:43論文で『学び合い』を紹介するときに、「教師が「信じる」ことが大事」などと書くため宗教的だと言われます。そして「あなたが何を信じようと勝手だが、研究対象にするのなら、そのような態度は駄目」と言われます。これは私が『学び合い』を信じていることが駄目ということではなく、信じられない人にとっても納得できるような手法を使って書けという意味で、そうしないと宗教として片付けられてしまう・・ということです。(具体的には実践データだけじゃ駄目だ、理論的に納得できるような説明を・・といわれています。過去の『学び合い』論文ともう少し格闘しなければと思っています。

o--4o--42008/11/06 18:47 分かります。だから、これはこう書いた方が一般的。まあ書き方の問題だけどねと言っていただく助言ってすごく助かります。私の考えをより多くの人に伝えるために助かりますね。学び合いを一気にと思うのではなく、一斉授業でやってきた方の文化につかって、伝えられるようにすることはうれしいことです。

jun24kawajun24kawa2008/11/06 21:54信じないのも宗教ですから、なかなか手強いですね。

08/11/04(火)

[]専門教育 15:05 専門教育 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 専門教育 - 西川純のメモ 専門教育 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ある同志から「ピアノの専門教育に『学び合い』が有効かということに関して説明が出来なかった」との相談を受けました。そこで、改めてメモります。

 まず、専門教育はピアノのような芸術に限りません、スポーツにもあります。また、数学のような学問においてもあります。また、あらゆる職人の世界も同じでしょう。

 さて、そのような専門教育は『学び合い』で出来るかということを聞かれたら、私は「もちろん!」と応えます。いや、「『学び合い』以外に専門教育は出来ない」と応えます。でも、「教科書○ページから○ページ」というのが『学び合い』だと思っている方だと、「そんな馬鹿な・・・」と思うでしょうね。でも、そうです。説明します。

 専門教育をやっている方に聞きます。何をしていますか?おそらく、口ごもるのではないでしょうか?「曰く言い難い」と説明にならない説明をするのではないでしょうか?でも、現在やっていることを言葉にしてください。おそらく、専門教育の圧倒的大多数の時間は基礎的なトレーニングに費やされているはずです。そして、本当の専門教育はそれらをのぞいた時間でやっているはずです。同志だったらご存じの通り、『学び合い』をすれば平常の学習の3分の2の時間で課題を達成できます。さらに2分の1以下の時間で課題を達成できます(理論的背景の簡単な説明は「手引き書」にあります)。従って、『学び合い』をすれば基礎的トレーニングの時間を短縮し、本当の専門教育に費やすことが出来ます。それだけでも効果は絶大です。このあたりは分かりやすいですよね。

 次に「専門教育」です。専門教育をやっている方に聞きます。基礎的トレーニングをのぞいた時間に何をしているでしょうか?おそらく、口ごもるでしょうね。簡単に説明できるような明示的カリキュラムで記載できるのは基礎的トレーニングの段階までで、それを超えたものは明示的カリキュラムで記載できるようなものではないのです。では、どうやって専門家は専門家になるのでしょうか?それに関しては正統的周辺参加という考え方が手がかりになります。

 それによれば、決まり切ったカリキュラムで学ぶのではなく、実際の仕事の中で学ぶのです。例えば、私は理学部の生物物理の研究室に所属しました。そこでの圧倒的大多数の時間はシャーレに寒天培地をつくり、培養し、カウントし、寒天培地を廃棄し、シャーレを洗浄するという単純作業です。それを当時講師の先生の研究を手伝いながらやりました。実際に高価な加速器を使って陽子やX線をイースト菌に当てる実験も手伝いましたが、それ以上に、一緒にシャーレ洗浄をしました。そこでは、色々な話を、延々とします。その中で、生物学を研究するとは何か、生物学では何を「善し」として、何を「悪しきもの」と考えるのか、そしてその考え方に従った研究生活、家庭生活はどんなものかを学びました。専門家の専門家たるものは、総合的な知識・技能であり、優れて価値観だと思います。それらは文化といわれるものであり、文化は本では学ぶことは出来ず、実際に生活している人を通してしか学べません。そして、そのような人が関わっている集団の、そのただ中に浸ることによって獲得できるものです。つまり異学年の『学び合い』に他ならないのです。

 では、専門家の教育はどうしたらいいか?それは、まず、基礎的なトレーニングは「教科書○ページから○ページ」レベルの『学び合い』で「ちょちょい」と終わらせるのです。そこから後は、異学年の『学び合い』で実際の仕事をさせるのです。私の学部においては「イースト菌に放射線を当てたときの遺伝子修復機構の解析」でした。ピアノの場合は、実際にコンサートをやらせるのです。もちろん、最小学年は演奏できないでしょう。裏方でその年は終わりとなるかも知れません。でも、自分がこれから数年かけて学ぶことの意義を知ることになり、それによって基礎トレーニングの学ぶ意義を学ぶことになります。そして上級生、教員との対話を通してピアノとは何か、ピアノでは何を「善し」として、何を「悪しきもの」と考えるのか、そしてその考え方に従った演奏生活、家庭生活はどんなものかを学ぶことになります。そして、それは学年を重ねるごとに、同じ対話から吸収されるレベルが高まります。

 自分の職場に置き換えれば簡単でしょ!

[]蕎麦 13:02 蕎麦 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 蕎麦 - 西川純のメモ 蕎麦 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は蕎麦が大好物です。しかし、出張中は蕎麦ではなくラーメンを食べます。理由はおいしい蕎麦が食べられないからです。出張に行く場合は、大抵は人口10万人以上の町で、多くは県庁所在地です。そういうところの蕎麦は美味しくありません。理由は蕎麦というのは本来は米の代用食です。そのため、米がとれるようなところでは蕎麦は栽培されず、蕎麦文化が生まれません。そして、私の出張に行くようなところは米のとれるようなところです。ちなみに私の住んでいる上越も米どころで、蕎麦は美味しくありません。(県庁所在地レベルだと、金をいっぱい出せば美味しい蕎麦を食べられるところはありますが・・・・)

 が、長野や中越の山間地には蕎麦の美味しいところがあり、休日はよく行きます。色々食べましたが、私が好きなのは「戸隠」です。ということで天気の良かった日曜日はそこに行きました。が、みんな同じことを考えるのですね、大混雑でした。11時頃についたのですが、行きつけの店の場合は、食べられるのは夕方頃と言われました。そこで、一番混雑する中社ではなく、宝光社近くの地元の人が知っている美味しい店に行きました。いつもは混雑しないその店も並んでいました。1時間以上待って食べた新蕎麦ですが、納得できませんでした。家内と、「これだったら絶対●●の方が美味しいね」と期せずしてユニゾンしました。

 上越は米どころですので蕎麦は美味しくありません。しかし、平成の大合併で上越市に合併された「町」に美味しい店があります。地もとの人には有名ですが、私の知る限り、その手の紹介本には出ていない店です。ということで、大抵、並ばずに食べられます。昨日、悔しかったので月曜日は●●に行きました。新蕎麦祭りということで、いつもより込んでいましたが並ばずに食べられました。注文して、それほど待たずに食べられました。味は戸隠を超えています(つまり、その他の地域をも)。香りが良い。それも値段が安い。戸隠の行きつけの店の3分の2の値段で、1.5倍の量が食べられます。その日は「特特盛り」を食べましたが、死ぬほどの量です。色々なところで食べましたが、「私的」には総合的にはここがベストだと思います。そのベストな店が家の「そば」にあるんです。ちゃん、ちゃん♪

追伸 そこはどこかは秘密です。混むと嫌だから。ちなみに更級系では、この前の出張で行った山形駅近くの店が美味しかった。ただし、値段は高級品でした。

08/11/02(日)

[]誠意 21:40 誠意 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誠意 - 西川純のメモ 誠意 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 よく先生方は「子どもに言っても分かってくれない」とおっしゃいます。でもね、そりゃ、当たり前。私だって、愛する家内に言っても分かってくれないことなんて山ほどあります。愛し合って結婚して、長い間過ごしている家内とだってそうなんです。赤の他人で、それも自分とは年齢も違いすぎる子どもが分かってくれないのは当たり前です。

 でもね。何度も言えば分かってくれます。それに、私の言っていることは分かってくれなくても、他の人が同じようなことを言うと分かってくれることって大いにあります。それに、言うしかないじゃないですか?民主的な日本において他人を隷属させるなんて不可能です。もし、可能だとしたら、その方が問題です。

 大丈夫!子ども「たち」は有能です。少なくとも、子ども達の何人かは我々教師の腹を読んでくれます。その子たちが広げます。それは確実です。でも、その子たちが読むのは、「言ったこと」ではなく「腹」であるのです。何度も言っても駄目だったら、そりゃ、子どもが駄目なのではなく、自分の「腹」が駄目なんです。

 誠意に勝る語り無し!

 それを「青い」と笑わば笑え!でも、それが教師の最大の武器です。

追伸 ただし、「個」に関しては、語っても無理なことは大いにあります。上記は子ども「たち」に関して成り立つことです。ちなみに、これは「大人」にも同じで、「個」ではなく「たち」に成り立つことです。

08/11/01(土)

[]年を取ること 21:49 年を取ること - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 年を取ること - 西川純のメモ 年を取ること - 西川純のメモ のブックマークコメント

 年を取ると腰が痛くなったり、走れなくなります。でも良いことがあります。以前から自覚していることは、人の失敗に寛容になれることです(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20030612/1172989698)。本日、改めて、もう一つあることを強く感じました。それは、普通に生きられることの幸せを理解できることだと思います。

 来週は寝台電車で大阪に行きます。本日、電車好きの息子が「いいな~」と風呂で言いました。そこで、「そんなことはないよ。お父さんは出張が大嫌いだよ。だって、○○ちゃんは3、4日、お父さん、お母さんと離れて寝台電車で旅行したい?」と聞きました。息子は首を振りました。これから今日を含めて3日間の連休は家族と過ごします。

 つまり、年を取ると、普通に生きられないことが多いということです。

[]NUK 21:49 NUK - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - NUK - 西川純のメモ NUK - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の夕食の時、息子がいきなり満面の笑顔で「お父さん!NUKって知ってる?」と聞きました?色々考えましたが、分かりません。「分からない」と応えると、息子は「(N)西川家を(U)受け継ぐのは(K)君だ!」と言う意味だそうです。頼もしい限りです。ということで、食後に添い寝をするまでは、息子をNUKと呼びました。