西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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08/10/23(木)

[]強いる 08:17 強いる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 強いる - 西川純のメモ 強いる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 迫害を受けている同志がいる一方、指導的な立場の同志もいます。その場合、「『学び合い』を無理強いするべきではない」というお考えの方もおられるでしょう。本日、ある同志からいただいたメールに触発されてメモります。

 そのようなお考えは基本的には間違っていないでしょうが、おそらく、根本の部分が誤解されているように感じます。おそらく、そうお考えの方は『学び合い』を方法としてとらえているように感じます。即ち、教師の発言時間がきわめて短く、子どもたちが自由に立ち歩き相談できる授業方法として捉えているように思います。私もそのような「方法」は強いるべきではないと思います。我々は子どもに「立ち歩け」と強いません、「立ち歩いてもいいよ」と言うだけです。もっと言えば、何も言わなくても、立ち歩いても叱らなければ子どもたちは立ち歩きます。

 そんなことはどうでもいい。しかし、『学び合い』の根本的な考え方である、学校教育は何のためにあり、教科学習の全てはその目的を達するための場であるという学校観や、子ども「たち」は有能であるという子供観は強く語るべきだと思います。

 さらに言えば、そのようなことを言わなくても、「子どもたち「全員」の学力保証するために、最低点を上昇する」、かつ、「不定愁訴・保健室登校・不登校を0にする。」の二つを実現することを強いるべきです。そして、それを厳しく評価すると語るべきです。我々教師は、教職免許法や教育公務員特例法等の法律によって存立しています。そして法は、上記を求めています。上記に反対することは、出来ないはずです。

 さらに考えてください。現状のクラスには、授業の内容が分からず、その分からない授業を毎日数時間だまって聞くという拷問が毎日行われています。そして、それが十数年間続くのです。さらに、出来ないということから、人としての価値が低いとラベルされ、苦しんでいる子どもがいるのです。そのことに目を向けず、我々教師が教員集団という小集団の中で安寧をむさぼるのは罪です。

 「子どもたち「全員」の学力保証するために、最低点を上昇する」、かつ、「不定愁訴・保健室登校・不登校を0にする。」の二つを実現することを強いるべきです。それが義務だと思います。そして我々教師は、それを受けるべきです。

 筆(キー)の勢いで書きすぎたと感じます。でも、あえて修正しません。なぜなら、私には子どもの苦痛が感じられるからです。

追伸 もちろん、言い方、には政治が必要であることは当然ですね。

追伸2 上記二つという当然のことを同時に実現できるのは『学び合い』のみであると思います。が、そうでない道があるならば、それは学び、吸収したいと思います。

池田修池田修2008/10/23 12:32私もある中学校にいたとき、この保健室に屯している子どもたちをどうやって授業に参加させるかを必死に考えて国語の授業を作っていたことがありました。
「だって、国語だろ? つまんねーよ」
という彼らの思いが伝わってくるわけです。私は言葉を扱う国語の授業が面白くないと言われるのが許せず、
(おーし、じゃあ、面白い国語の授業をつくってやろうじゃないか。びっくりしておしっこちびるなよ)
と下品な決意をしていましたf(^^;。

それであれこれ工夫をして授業をやっていったのですが、あるとき
「おい、次の授業は池ちゃんの選択国語だぜ。あれ結構面白いんだよな。いこうぜ」
と話していたと養護の先生に伺ったとき、1つの勝負に勝ったと思いました。

今から思えば勝った負けたなんてのはどうでも良いわけで、子どもたちが当たり前に国語の授業を受けて言葉に感動し、俺も私もこれが使えるようになりたいという思いを抱き、使えるようになる授業をすればいいのだと思うのですが、若い池田はそんなことを思っていました。

なんかちょっと思い出したので。
失礼しました。

jun24kawajun24kawa2008/10/23 12:36おーし!
と言ったときの池田さんの声が聞こえるようです。
あははは

iku-nakaiku-naka2008/10/23 21:58「筆(キー)の勢いで書きすぎたと感じます」とありますが「そうか?。当たり前じゃん」と思ったのは私だけでしょうか?。
こういう気概を持った人達ばかりなら『学び合い』(または教育活動全般)もスムーズに進むと思うのですが・・・。

jun24kawajun24kawa2008/10/23 22:33そうですよ、でも、大事なのは自分はどうだろうか?と問いかけることです。指導的立場というのは私もあなたも含まれています。だから、私は「管理職」という言葉を意識的に使っていないんです。我々は全て責任を負っています。そして、悪者は誰もいないと考えないと、それは自分に降りかかってきます。と、このメモのきっかけとなったメールを頂いた方に書いた次第です。キーの勢いと書いたのは、上記には時間がかかるということは十分分かっているのに、性急に結果を求めている自分を自覚しているからです。

iku-nakaiku-naka2008/10/24 00:32仰ることはよく分かります。
私も「自戒の念」は忘れていないつもりです。私には健全な集団を育てる責任がありますから。健全なクラスを作り上げる責任が担任を始めとする「教員集団」にあるとすれば、健全な職員集団を作り上げる責任は「管理職」にあるのではないでしょうか?。
私たちが生徒に「もっと」を求めるように、管理職は全職員に「もっと」を求める必要があるのではないでしょうか?。
私たちが安心して授業公開ができる「環境」を整える役割は「管理職」にあるのではないでしょうか?。授業を公開する度に私は非難され、それを黙って見ている管理職。にもかかわらず授業を公開するように言う管理職。授業者の立場からすれば当然やる気になどなりません。そんな環境が「健全な職員集団」を育てる環境なのでしょうか?。
責任の全てを「管理職」に押しつけるつもりは毛頭ありません。しかし、私たちには私たちの、管理職には管理職の「役割」があるのではないでしょうか?。それぞれが自分の役割を果たしてこそ「健全な集団」が形成されるのではないでしょうか?。