西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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08/09/10(水)

[]教師の仕事 22:20 教師の仕事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の仕事 - 西川純のメモ 教師の仕事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

我々が受ける質問の典型に、教師が教えないなら教師ではないというものがあります(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20060518)。我々は教えないというわけではありません。ただ下らんことは教える必要はないと考えています。教師の仕事は人の道を教えることだと思います。が、なかなか分かってもらえません。その質問を受けるために、「あ~・・・」と思いながら毎度考えることがあります。

 平時の名君は乱世の暗君であり、乱世の名君は平時の暗君である、ということです。良い職人とはどんな人でしょう。平時にあっては、決まり切った毎日を、誠実にこなすということです。師匠から、これをやり、あれおやり、そして、これをやり、という一つ一つの段階を手を抜かず、愚直にやり続けることによって、安定して質の高い製品を出すことが出来ます。そこが職人の職人たる所以です。だから、良い職人の特徴として「頑固」というものがあります。

しかし、その師匠から聞いた一つ一つのプロセスには意味があります。そして、それは不磨の大典ではありません。多くの先人が吟味して作られたプロセスなのです。平時においては今やっていることを頑固に誠実にやればいいのです。しかし、変革の時においては吟味をしなければなりません。その吟味を出来るか出来ないかのポイントは、プロセスに誠実であるか、結果に誠実にあるかです。

今の世の中、過去の方法のままでは問題が解決できません。が、それに目を背けて、今までやっていたことを誠実に頑固にやることを善とする職人、怠惰ではあるが、善意からはっするだけに否定するのが辛いです。

[]異学年発進 22:20 異学年発進 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 異学年発進 - 西川純のメモ 異学年発進 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、学校として異学年の『学び合い』を始められた学校に参観に行きました。異学年の『学び合い』は、良いな~、と毎度思います。特に本日思ったのは、教師の『学び合い』です。同じ子どもを指導する場を共有する二人の教師が、ごく普通に授業のことを、その場で語り合っている姿は、いいな~っと思います。語り合わなくても、見合う、いや、その場を共有するというだけで、どれほどのものが互いに学べるかを、本日、私は学べました。同志各位が『学び合い』で見ることが出来る子ども同士の関係を、本日、教師同士の関係の中で見いだせました。

 合同クラスの『学び合い』には無限の可能性がある、と感じました。いいな~

tomkicktomkick2008/09/10 22:41>教師が教えないなら教師ではないというものがあります。

おそらくレベルの違う話をしていると思いますがご了承ください。
『学び合い』をしている方が,困っている「教えない」という行為は,教えてしまったら『学び合い』ではないということへの恐れから来ているのではないのでしょうか。
子どもに気づかせなくてはならない。
教師がかかわると後退したことになる。

こういう思いをブログに書いている方が多いと思います。
西川先生のおっしゃる通り『学び合い』が教室の文化になって教師がそんなことをしなくてもいい状態を作るが教師の最大の仕事であると思います。
ただ,その成立過程の中では「教える」ということも必要な場面が多々あるということですよね。
忘れてはいけないのは,それは子どもたち同士で取り組めるための過程でのことであって,それこそが教師の仕事だと考えるのではないということである。
これが『学び合い』は考え方であるということなのではないでしょうか。
その場に応じて「教える」か「子どもに考えさせるか」は,結局教師が選択する方法であって,考え方ではないはずです。
子どもが「考える」。子どもが「教えてと言ってくる」。
そういうことを子どもが選択する場を作るために,教師は日々奔走するというのが『学び合い』が推し進めている教育改革なのだと僕は理解しています。

でも,誤解しているかもしれません。すいません。

jun24kawajun24kawa2008/09/10 22:48はい、その通りです。
それをしつこく書いており、語っています。

tomkicktomkick2008/09/10 22:57西川先生
お返事ありがとうございます。

>それをしつこく書いており、語っています。
その通りですよね。その通りなんですが,この「教えない」ということ一点が,強烈に方法としての『学び合い』の面を強調して伝わっていくように感じています。
特に,西川先生が「学び合い」との違いを強調する時に,この「教えない」という面がどうしてもクローズアップされるように思います。西川先生は,「考え方」として違っているといおっしゃっていますが,比較する過程で浮かび上がってくるのは,一方は教師がテクニカルにつないで行って,一方は教師が「教えない」というやり方なんでしょう,と理解されてしまのではないでしょうか。
これは,このコミュにいる人でも感じてしまうところがあるような気がします。(いなければそれでいいと思いますが。)
前に,僕が生意気にも,「教えない」ということが,子どもが走言う目で見るからという理由だけなら,そこまで強調しないほうがいいのではないかということを書いたのは,漠然とそう感じたからかもしれません。
子どもがお互いに学び合う過程の中には,教師が教える場面は多々ある。多々あるが,徐々に減らしていく。
ただし『学び合い』は考え方であるが,初期のテクニックとして『学び合い』を成立するやり方がある。この中では,極力教えることを排除して,子ども同士を結び付ける語りや声かけが存在している。でも,それだけをとって「教えない」ということが『学び合い』ではない。

という風に僕は勝手に理解しています。すいません。

jun24kawajun24kawa2008/09/10 23:07はい、了解しています。
私が悩むのは、じゃあどうしたらいい?です。良い「方法」があるのなら教えて下さい。あはははは
不遜ながら・・・。私の語りの問題ではなく、受け取る側の方々が持っている枠組みの問題だと思います。私は「Aが大事だと思われていますが、Bの方が大事です」と語っているのですが、Aが大事でない、と言う部分で頭がいっぱいになってしまって、Bが・・・の重要性を理解いただけない。でも、しょうがないと思っています。というのは、私が恐れているのは『学び合い』が学び合いになることなんです。
でも、どうしたらいいんだろうな・・・・ということは、いつも考えています。教えて下さい。

chinjichinji2008/09/10 23:09まさしく「教えちゃいけない病」の私です。
最近、いろいろな方からのアドバイスをもとに「方法はみんなが決めていいんだからね。でも、先生はいい考えたを知っているよ。こんな方法もあるんだぞ。」という方法をとっています。それで、さらに子ども達の活動が活発になれば、「よし成功!」なんて感じながら実践しています。

なかなか皆さんの理論に脳みそがついていけないことがあるのですが・・・・、へこたれず進んでいきます。

今度、私の学校でも異学年を増やしていこうと思います。複式校なので4学年で。いずれは6学年もありかなと。バタバタになっちゃうかなあ。

jun24kawajun24kawa2008/09/10 23:11教師が教えるならば、単純な集団が楽です。でも、『学び合い』でやるならば、集団は複雑の方が楽ですよ。

tomkicktomkick2008/09/10 23:18西川先生
重ね重ね失礼な僕の発言にお付き合いいただいてありがとうございます。

>私の語りの問題ではなく、受け取る側の方々が持っている枠組みの問題だと思います。
これは,悲しいかなその通りなのだと思います。
僕は,全然別の部分から『学び合い』のほうにたどりついたので,『学び合い』は考え方であるという枠組みを受け入れやすかったのかもしれません。(偉そうに・・・(^^ゞ)

>でも、どうしたらいいんだろうな・・・・ということは、いつも考えています。教えて下さい。

これこそ,僕のような若造が語ることではないですよね。『学び合い』を広げようとされている方々の助けが必要なんですよね。
西川先生の語る話を,われわれが現場でどうやって伝えるか。どのように持ち帰るかということであって,それこそがこのコミュの役割なのでしょうね。
でも,そこには誤解の幅がある。
僕が伝えようとうしているのが,『学び合い』ではなく,勝手に誤解してしまっている『学び合い』なのではないかという不安は常に付きまとっています。

tontan2tontan22008/09/10 23:34私たちが教えなくてはいけないのは、「どう学ぶべきか」ということだと思っています。

jun24kawajun24kawa2008/09/11 06:23tomkickさんへ
学校観・子ども観に照らして考えれば良いことです。『学び合い』は常に進化しいます。あくまでも相対的なものです。
tontan2さん
まさに、それがパラダイムシフトだと思います。多くの授業研究会に端的に表れていますが、「どう教えたか」が現状ですね。

tomkicktomkick2008/09/11 06:49西川先生
ありがとうございました。
>『学び合い』は常に進化しいます。

力強い言葉ですね。安心できました。大変すっきりしました。
ありがとうございます。