西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

08/09/30(火)

[]今日の作文 23:09 今日の作文 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 今日の作文 - 西川純のメモ 今日の作文 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 おいもほり

 あき色がえんえんと色づくころ、さつまいもができました。

 ほりほりよいしょ、ほりほりよいしょ、と、さつまいもをほり、おいしそうなさつまいもが3つとれました。どーれもおいしそうだなーっとこころからおもっています。あきみかくです。スイートポテト、大学いも、やきいもをつくりたいです。

 小学校2年生の我が子の作文。思いっきり親ばかですが、天才だと思います。

[]昨日、今日 21:41 昨日、今日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 昨日、今日 - 西川純のメモ 昨日、今日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この二日間、神奈川の中学校と群馬県のY小学校に行きました。インターネット環境から隔絶されておりました。

 さて、初日の中学校は「正直」あまり期待していませんでした。熱意ある同志のたっての希望に添ったものです。が、どこまで進んでいるか疑問でした。そして、事前に送られた研究授業の授業案を読んでいる限りは、「『学び合い』もどき」です。

 授業を見て、第一に、その学校の中学生が「いい」のです。ビックリです。あれほど「いい」中学生はびっくりです。こりゃ、本当に簡単に『学び合い』が出来ると思いました。第二に、研究授業の先生がいい。授業は『学び合い』ではありません。しかし、その方向性はハッキリ見て取れます。おそらく天然なんだと思います。第三は、先生方がいい。授業検討会での質問は質の高いものでした。なお、その検討会には、神奈川のHさん、長野のNさんも参加していただけたので心丈夫でした。第四は、夜の部に若い先生がいっぱい参加していました。そして、その若い先生が実に元気が良い。とても良い学校である証拠です。

 夜11時まで飲んで、翌日は5時には起きて、高崎に出発です。9時半頃にY小学校に到着し、授業を観たり、先生方と懇談して3時まで過ごしました。Y小学校は最初に『学び合い』の実践学校になった学校です。3年前になった頃に比べて感じるのは先生方の「層」の厚みです。心丈夫に思いました。

[]『学び合い』の会 21:41 『学び合い』の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』の会 - 西川純のメモ 『学び合い』の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

山形の会の最新情報です。

http://manabiai.kitaguni.tv/

大阪の会の最新情報です。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/ricky-holly/20080925

janglejapjanglejap2008/10/01 18:06遠いところお疲れ様でした。ありがとうございました!!
研究会のはじめ、『学び合い』をグループでの学習と思ってらっしゃるのかな・・という印象を持ちましたが、最後にはすごい覚悟というのを感じました。

jun24kawajun24kawa2008/10/01 21:56そうですね。最後の一人の方の発言はすごいでしたよね。

08/09/29(月)

[]補足 05:48 補足 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 補足 - 西川純のメモ 補足 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 とんたんさんより補足を受けたので、また、補足をします。とんたんさん、私の言っていることは、そんなに違っていないと思います。ただ、これから神奈川のN中学校に行きますので、短く。

 「その子」を見れば「切らざるをえない」と思える子がいることは確かです。しかし、集団を見ることに重点を置くべきだ、ということです。それがハッピーエンドを約束するかは分かりませんが、「その子」を見続け、教師一人で背負うよりはいいと確信しています。ただし、その場合は、集団を責めるのではなく、明るく夢を語る割合を高める方が良いと思います。そして、教諭はいかなる場合も「切る」べきではないと思います。義務教育の場合は、それは管理職の仕事です。

追伸 とんたんさんへ。とんたんさんが書いた養護学校に行くような子ども達を集めたのが私の勤めていた高校です。入試試験に名前を書けば白紙でも合格できます。私が物理を教えた子どもの中には、言葉をまともにしゃべれず、文字を文字として認識せず、ノートには文字に似たとも思える「絵」を書いていました。もちろん義務教育の時は、特別支援学級にずっといた子です。しかし、西川ゼミで指導した中学校の先生に、私が教えた上記のような子ども、暴走族・・・・より重い業を背負っている子どもがいることを教えてもらいました。そのような子どもは、いかなる形の学校へも行きません。でも、何かのきっかけで学校に来たら、「集団」は受け入れられる可能性はあると思います。信じます。なぜなら、そのような子も、だれかには繋がっているの場合もありますから。では出発します。

tontan2tontan22008/09/29 20:56なるほど。よく事情知らないで書き込んだこと恥ずかしく思います。
義務教育、高等学校、大学という区別無く、すべての教育機関で、切らない」ということを大事にしていきたいものですね。

iku-nakaiku-naka2008/09/29 23:33本日はありがとうございました。『学び合い』をやっている者として、スタートラインを再確認させて頂けることは非常に有り難いことです。自らの授業を振り返り、さらに「もっと」を願おうと思います。

jun24kawajun24kawa2008/09/30 18:42tontan2さんへ
 レスおくれてすみません。高い理想を追求しましょう。
iku-nakaさんへ
 同志がいて、心丈夫でした。

08/09/28(日)

[]切らない 21:53 切らない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 切らない - 西川純のメモ 切らない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の「一人も切らない」というメモを書き終わったとき、追伸で書くべきことがあるな、と思いました。が、書き始めると長くなりすぎると思いました。そして、「まあ、今日は基本線を押さえるメモで良いかな」と思い割愛しました。が、心優しき「とんたんさん」よりつっこみがありました。で、独立したメモにしたいと思います。

 今から約二十年前のことです。定時制高校の教師から大学に異動した当初の頃です。まだ、三十そこそこで助手でした。当時の現職院生さんと、行きつけの飲み屋で飲んでいるときです。おそらく、どこかの県から派遣された中学校教師の院生さん達だと思います。その人が、私たちの近くで飲んでいました。その酔っぱらいの話の中で、「いいよな~。高校は退学させられるから。中学校は退学できないもんな~」という一言がありました。それを聞いたとたん、私の頭は怒りで真っ白になり、その中学校教師に殴りかかろうとしました。同席した院生さんは、私の表情の変化に驚き、私が立ち上がる前に私を押さえました。そのため、その中学校教師は私が怒ったことすらも気づいていないでしょう。そして、その後、ず~っと生徒の悪口を言い続けました。

 義務教育の先生方、これから書くこと、ご不快かもしれませんがお許し下さい。

 義務教育の先生方は「子どもを切る」という言葉の重大さが分かっていないのではないか、と思うことがあります。私が「子どもを切る」ということは、本当に切るということです。私が二番目に退学させた生徒は、退学後、やくざのパシリになりました。私の隣のクラスの子どもは、退学して3日後に泥棒に入り警察に補導されました。親には退学が進路変更であり、子どものためだと教師は言います。そして、私も言いました。しかし、あれは嘘です。少なくとも私のいた高校の場合は嘘です。退学して良いことなんてありません。

 公立学校の義務教育は退学はありません。一方、高校や、私立の小中学校、大学は退学があります。それは企業におけるクビと同じで、可能です。でも、退学させたいと私は思いません。他の先生からどう思われようと、可愛い子どもです。でも、退学は可能ですので、システムは最悪は退学すべきというシステムになっているんです。担任がどんなに頑張っても退学させなければならないし、周りもそれを期待しています。ところが義務教育の場合は、退学させられません。従って、退学しないというシステムになっています。つまり、どんなに欠席が多くても、どんなに成績が悪くても、どんな行動をしても、ズルズルと学校とつながりを持たせることが可能なんです。だから「いいよな~。高校は退学させられるから。中学校は退学できないもんな~」という言葉を聞いたとき、怒りで頭が真っ白になりました。

 義務教育の『学び合い』では最後の最後まで、教師は希望を持つことが出来ます。少なくとも、制度的に断ち切られることはありません。どんなに欠席が多かろうと、どんなに成績が悪かろうと、教師がそれを諦めることを制度的に求められることは無いのです。もちろん、自分にそれを乗り越えられる力がないかもしれません。しかし、自分の数十倍の力がある「かもしれない」子ども集団に希望を託すことはできます。そして、それによって子ども全員が得るものがあることを、『学び合い』は理論的にも実践的にも下支えしています。だから教師が先読みして諦める必要はありません。求め続け、夢を語って悪いわけ無い。ある特定の子が、最後の最後まで出来なくたって、夢を語って悪いわけありません。子どもが追い詰められるのは、「みんな」を出来ないことを責められ続けるからです。子どもへの語りは、厳しいばかりでは駄目です。そうすれば、一生懸命やっている子どもが腐ってしまいます。やっていることを褒めつつ、求め続ければいい。出来たら凄いことを、ニコニコ語ればいい。「叱り」、「褒め」、「からかい」、「脅し」、「おだてる」・・・。教師の語りは多様です。子どもを見ながら考えてなければなりません。それが出来るならば、求め続けることは可能です。

 が、例外はアスペルガーの一部の子どもです。『学び合い』は関わりによって問題を解決します。しかし、アスペルガーの一部の子どもの場合は、関われば、関わるほど人を不快にします。そうなると、関わる子どもがヘトヘトになります。これは教師にとって辛い。これを乗り切るポイントは、「見ない」のです。もちろん、目をつむれと言っているわけではありません。自分で解決できないことを、詳しく見ることは避けるべきだ、ということです。見過ぎれば、自分で解決できないことを、自分で解決したくなります。そして、失敗します。

 重要なのは「仲良く」することを求めてはいけないということです。つまり、その子と距離をおくことを認めることです。一方、その子と絶縁したり、ましてや悪質な虐めに至ることは絶対に許しません。そして、「みんな」を求めます。これはみんな知っていることです。考えて下さい。職員集団には「困ったちゃん」がいる場合がいますよね。でも、だからといって職員全員がその人を無視することはないですし、石を投げつけることもありません。どうやっているでしょうか?それは、出来るだけ距離をおきつつ、折り合いをつけてつきあっているはずです。あれで良いんです。

 アスペルガーの子どもは、『学び合い』において例外的に時間がかかることは「気になる子の指導に悩むあなたに」に書いたとおりです。そして、そこに書ききれなかった多くの同志から聞いています。しかし、「切る」ことが可能な職場でさえ、切ることはまずしません。ましてや、義務教育で切るわけありません。教師が出来るのは、折り合いをつけつつ、「みんな」が課題を達成することを「緩く」もとめ「続ける」ことだけなんです。そして、それを乗り越えた同志は少なくありません。

 もちろん、上記を超えた事例が全くないとは言えません。ただ、それであっても教師(正確には教諭)は切るべきではありません。切る判断をするのは管理職です。従って、繰り返します。少なくとも義務教育においては、そして、大多数の高等学校においては、教師は最後の最後まで「みんな」を求めるべきです。

追伸 ただし、個々の状況に置ける教師の行動は、自分の頭で考えることは当然です。あ~、やっぱ長くなっちゃった。

追伸2 もちろん、義務教育の先生方の中には「切る」ことの恐ろしさを十分に知っておられ、そして、経験されている方がいらっしゃることは理解しています。

[]一人も切らない 11:07 一人も切らない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一人も切らない - 西川純のメモ 一人も切らない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生から質問を受けました。そのゼミ生は「平常の学校では切られてしまう子どもを切りたくない」という志を持ち教職大学院に入学しました。そして、それ故に我がゼミに所属しました。そのゼミ生が『学び合い』の授業を参観したとき、時間の最後まで分からなかった子どもがいたそうです。そこで、私にそのような場合はどうしたらいいかを聞きました。久しぶりに暑苦しく学生に語りました。何度もメモったことですが、再度メモります。なお、事例は小学校ですので、そのように説明していますが、中高の先生は翻訳してご理解ください。

 まず、その学生に確認したのは、「平常の一斉授業において、分からない子どもをそのままにおいて先に進むことはよくあることである。そして、その頻度や量は『学び合い』より遙かに多い」ことです。これは簡単に同意してもらえました。つまり、そのような状況があったとしても、『学び合い』の方が優れています。一斉指導が出来るのは、そういう状況が起こっているということを見にくくして教師の心の平安を維持することぐらいしかできません。

 次に、1時間単位で帳尻を合わせることには無理があることを説明しました。「1時間ごとに課題を与え、すべての子どもがそれを達成する」という課題より、「単元程度のまとまりを課題として与え、すべての子どもがそれを達成する」という課題の方が楽であることを説明しました。現職の先生だったら、毎日、校長室に呼ばれて進捗状況を報告するより、任せて信じてくれる方が効率が良いことは了解していただけるでしょう。だから、そのようにすれば、最後まで分からない子どもが生じる危険性が減じることを説明しました。

 さて、以上のようなことをした上でも、最後まで出来ない子どもがいたとします。その場合は、どうしたらいいか?という課題として整理しました。その上で、ゼミ生に「君だったらどうする?」と聞きました。ゼミ生は「もう1時間与える」と応えました。そこで「じゃあ、もう1時間与えても駄目だったらどうする?さらに1時間与えても駄目だったらどうする。また、1時間を与えたら出来たとして、数人が最後まで出来ないという状況が、毎時間起こったらどうする?明らかに、学期ごとに進めなければならないところまで進めないよね。じゃあどうする?」と聞きました。

 ゼミ生は「放課後に補習をする」と応えました。「じゃあ、毎日、そのようなことが起こったらどうする?それも、毎日6時間の授業の2、3時間、そのようなことがあったらどうする?毎日、帰宅が数時間遅れるよ。共稼ぎの家庭だったら、保育園に迎えに行く時間が毎日、数時間遅れるよ。自分の子どもに寂しい思いをさせて良いと思う?」と聞きました。そして、「どうする?」と聞きました。応えられません。

私:どうしようもないよね。だから、出来るだけのことをした上で、そのような子どもを切るよね。でしょ?たしかに、どうしようもない。だから、多くの先生がそうしているんだよ。でも、子どもの切るということは教師の心には負担だよ。だって、子どもを救いたいという志で教師は自分の職業を選択したのだから。だから、そのような心の負担を合理化するために、多くの教師は三つの方法をとるんだ。第一は、部活に燃える。つまり、教科指導の限界を感じ、教科外の時間に燃えるんだよ。テレビドラマによくある熱血教師だよ。でも、問題がある。部活に参加する子は全員ではない。テレビドラマには、教師に反発する不良が部活で更正するドラマがあるけど、そんな子どもはまだ救いがある。本当に救わなければならない子どもは、教師に反発する子どもではなく、教師に反発すらしない無気力な子どもだよ。そんな子どもは部活には参加しない。そして、学校教育の大部分は教科指導なのだから、すべての子どもにとって大多数の時間は救いがないということになる。

 第二は「面白い授業」に燃えるんだ。ちなみに高校教師だったときの私はこのタイプだったよ。私の場合は、子どもの大多数が純粋無垢のオール1、暴走族、境界児だったこともあって、ごく早い時期に全員を分からせることは無理だと見切った。で、私がやったのは、学校にいる時間を楽しいものにしてあげようとした。話術、ゲーム性の高い教材、面白実験をマシンガンのようにぶつける、そして、本当は分かっていない子どもに対しても「お~、おまえは分かるじゃないか。天才じゃないか?」と価値づける。それによって、クラスの限りなく全員が飽きない授業、そして、分かったつもりになる授業を目指した。これって、難しいようで実は比較的簡単だよ。

 さっきの部活に燃える教師も、おもしろ実験にも燃える教師も、両方とも気づいている。それは全員は無理だということ。でも、どうしようもないと思っている。結局、心の負担は最終的には解決できない。そうなると最後の対応をする。

 子どもが悪い、親が悪い、社会が悪いと言い始める。そして、だからどうしようもないのは自分には責任はないと合理化する。まあ、「子どもが悪い」と言うことに抵抗がある人は、「地域性があって・・・。新住民と旧住民が・・・」と言います。でも、表現の違いで結局同じ。この合理化は、一番、教師の心の負担を軽減できる。でも、これを言い続けると、教師という職業に対して誇りを持てずになり、最終的には心を病んでいく。そして、子どもたちを敵と見なしているので、子どもたちも教師を敵と見なすようになる。

 大抵の教師は、その場その場に応じて、この3つの対応を取り混ぜで合理化する。でも、いずれにせよ解決にならない。そして、無意識に考えないようになるんだ。でも、このような気持ちがある限り、本当の『学び合い』は出来ないよ。だって、今言った全部は「あの子は出来ないのはしょうがない」と思っているから。教師がそのように思えば、子ども、特に出来る子、オピニオンリーダーの子どもがそれを察し、その子も「あの子は出来ないのはしょうがない」と思い始める。そして、「あの子」の人数が2、3だったのが、いつの間にか5人になり、7人になり始め際限が無くなり、『学び合い』は崩壊する。だから、何が何でも「あの子は出来ないのはしょうがない」とは思っては駄目なんだよ。

 じゃあどうする?現実には「どうやっても出来ない子がいる」、でも、「あの子は出来ないのはしょうがない」とは思ってはいけない。どうする?

ゼミ生:(無言)

私:考えてよ。学校教育で学ぶことで、絶対に学ばなければならないことなんてある?無いよね。九九を覚えなくても、計算機があればいい。漢字の書き順が分からなくたって、日常生活では困らない。日常生活で跳び箱を跳ばなければならないことなんてあり得ない。だから、絶対に学ばなければならないことなんてないんだ。学校で学ぶべきものは、色々な人と折り合いをつけて課題を解決すること、それが大事なんだよ。ただし、それを学ぶためには、仲良くすること自体を目的にしても駄目で、漢字の九九を覚えること、書き順を覚えること、跳び箱を跳ぶこと、そんな教科学習の課題がベストなんだよ。

 だから、ある日の課題が出来ない子がいることを自体を教師がカリカリする必要はない。重要なのは「そんな子が生じたクラス集団」にカリカリすべきだよ。その子を分からせるのは教師の仕事ではなく、クラスの仕事だよ。もし、クラスの子どもが本来すべき「その子を分からせる」ことを達成できない尻ぬぐいのために、時間を与えたり、ましてや教師が補習したりするのは本末転倒だよ。そんなことすれば、子どもは「その子を分からせる」ことは教師の仕事だと思ってしまう。だから、「その子」がいたとしても、与えた時間が終われば、次に進むべきだよ。

 第一に、ある課題が出来なかったとき、それを教えることより、集団を作る方が大事だよ。集団がつくりあげられたら、後で補うことは可能だよ。例えば、九九が分からない子がいたとするよね。そこで無理矢理、九九を分からせようとしても無理だよ。でもね、その子に九九を教えようという集団ができあがれば、その子も九九を学ぼうという気になる。そういう時期になれば初めて勉強が成立する。対処療法ではなく、根治療法が大事だよ。

 だから、教師は「その子」を考えるのではなく、集団を考えるべきだよ。そして、このクラスだったら、「みんな」が出来ることを信じられるという気持ちになれると思う。その気持ちを維持し、その大事さ・夢を語り続けることが教師の仕事だと私は思う。

[]唖然とする 11:07 唖然とする - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 唖然とする - 西川純のメモ 唖然とする - 西川純のメモ のブックマークコメント

 職業柄、色々な先生と話します。基本的に、『学び合い』に興味はない人、反対の人とは議論しません。『学び合い』に反することを主張されても、「そうですね。」と言ったりもします。だって、その先生は悪い人ではなく、善意の人です。いくら話し合ってもしょうがない人と議論し、お互いに不愉快になるのは非生産的ですから。そして、結局、そのような人を説得できるのは『学び合い』を理解する人が増えることによって、私には説得出来ない人を説得できる人が生まれるしかないのですから。逆に言えば、腹の中で「そう思っていない」のに私に話を合わせてくれる人も多いです。まあ、大人の社会なのですから、それは大事なお約束です。

 が、たまに、しつこく議論をふっかけられると、私も本格的に論破したくなることもあります。大抵は雪隠詰めにして勝てるのですが、相手が感情的になり、「やってもうた~・・」と後悔することも少なくありません。

 が、希に、「こりゃだめだ」と議論する元気を失うこともあります。最近2件ありました。

 一つ目の事例は、『学び合い』は教えない、ということを納得できない中学校の先生との議論の時です。私としては、教えないのではないことを説明しました。つまり、「例えば3桁の足し算の繰り上がりの程度のことは子どもでも教えられるから、教師は教えなくてもいい。しかし、何を学ぶべきか、人の道はどうあるべきかは教師しかできないのだから、そこは教えるべきだと主張しているのです」と説明しました。その先生は、「例えば、子どもが教えられたとしても、3桁の足し算の繰り上がりのようなことは教師が教えるべきだ。教えなければ教師の仕事の放棄だ」と言われます。そこで、「医者の仕事は、注射を打つ、聴診器を使うことではなく、病気を治すことです。病気を治すのに必要ならば、注射を打ちますし、聴診器を使うのです。教師の仕事は分からすことです。分からすことに有効ならば、教師が教えればいいと思います。しかし、教師が教えることが、分かることにマイナスに働く場合は教えるべきではありません」と説明し、「勉強しない!を言わない授業」で書いたような事例を挙げて、子どもの多様性と教師の自動化のことを説明しました。しかし、その先生は「子どもが分かることにマイナスに働いたとしても教師の仕事は教えることだ」と言います。正直、腰が抜けるほど驚きました。聞き間違いかなと思い「一つ確認させていただきたいのですが、教師が三桁の足し算の繰り上がりを教えることが、子どもが三桁の足し算の繰り上がりを学ぶことにマイナスに働いたとしても、教師が教えるべきだとお考えですか?」と聞きました。その先生は、「教師が三桁の足し算の繰り上がりを教えることが、子どもが三桁の足し算の繰り上がりを学ぶことにマイナスに働いたとしても、教師が教えるべきだ」とおっしゃりました。言葉を失い、その先生の顔をまじまじと見てしまいました。

 もう一つの事例は、小学校の電気教材のことで話したときのことです。その先生は電気の流れをイメージ化するための教材を作られて、それを論文にまとめる相談を私にされました。私自身は、その手の研究は意味がないと思って今の『学び合い』に進みました。ですので、「意味無いな~」と思いつつも、その手の論文を日本で一番書いた者として、どう書いたら学術論文になるかのノウハウは人一倍あります。だから求められれば、ちゃんと応えます。

 ひとしきり説明をしたあとに、「これはこれで論文になると思うけど、一言、言わせてね。これはこれで有効だと思うけど、この教材が有効であるのは、電子というものがあって、それが粒であるとイメージできる子どもだけだよ。でも、あなたの指導案だと、5分ぐらい教師が説明して、直ぐに実験に入っているけど、ちょいと無理があるように感じるよ。まあ、実験が始まれば、分かる子と分からない子が相談して補っていると思うけど。この5分間ぐらいの教師の説明でクラス全員が分かると思うの?」と聞きました。その先生は、「はい」と、こともなげに応えるのでビックリしました。ビックリした私は、「でも、あなたのクラスには知能指数が90を切るような子どももいるんじゃない?」と聞くと、うなずいてくれました。そこで、「そんな子どもも、5分間程度の教師の説明で分かると思うの?」と聞くと、これまた「はい」とこともなげに応えました。そして、「もちろん、どれだけ理解するかは分かりませんが、この実験を理解する程度のことは分かると思います」と応えます。そこで、「でもね、例えば、ロシア文学に出てくるロシア人の名前を読んだとき、違和感を感じ、覚えられないってことない?フランス語だっていい、アフリカの言葉だっていい、とにかく見知らぬ言葉を聞くと、我々だって違和感を感じ、それを飲み込むのには抵抗感があるんだよね。我々って、とても変な人間なんだよ。だって、我々は現在の学校教育にフィットしているから大学まで行って、さらには大学院まで行っているんだ。その我々でさえも見知らぬ言葉を聞くと、違和感を感じるんだ。勉強が不得意な子どもにとっては「電子」という言葉がそれに当たるよ。5分間ぐらいの教師の説明では、その違和感は解消されないと思うよ。解消されなければ、あなたの教材は有効ではないと思うけど。それでも5分間程度の説明で大丈夫なの?」と聞きました。しかし、「もちろん、どれだけ理解するかは分かりませんが、この実験を理解する程度のことは分かると思います」と応えます。私は言葉を失いました。私は、「私は大学教師で、あなたは小学校教師だよ。小学生に関してはあなたの方がプロだよね。でも、失礼ながら、あなたは子どもを知らなすぎる。ICレコーダーで子どもたちのつぶやきを聞くと良いよ。」と言ってしまいました。

 ここではっきりと明言しますが、お二人とも「本当」に良い先生です。現場では指導力も評価され、子どもを愛し、実践されています。だから、人間的に否定する部分はありません。私より、ずっと優れた教師です。でも、私は言葉を失いました。私にはそういう人を説得する力はありません。同志各位、よろしくお願いいたします。

Y.MochizukiY.Mochizuki2008/09/28 21:34私自身は、子どもたちがどれだけ理解できるか、
それが大切であって、
そのためによい方法があるのであれば、
(それがよいとわかっているのであれば)
その方法をとると思います。

その判断をすることが教師の役割ではないでしょうか?

jun24kawajun24kawa2008/09/28 21:53補足させていただきました。

J.SASEJ.SASE2008/09/29 06:12自分の考えより、もっと優れた考えがあるかもしれないと考えるのが普通だと思いますが、そうでない教師(指導主事)が多いですね。なぜそんなに確信を持てるのか(中山大臣を含む)が不思議です。

昨日、築地で養老孟司さんと内田樹さんの対談を聴いてきました。養老先生は、「ぼくは○○と思っていますが、違っていたら教えてください」と仰っていました。そういうスタンスが大事だと思います。

内田先生は「新潟で講演を聴かせていただきました・・・。」とご挨拶できました。感激です。

jun24kawajun24kawa2008/09/30 18:43相手も善人ですよ。ただ、知らないだけなんです。穏やかに、しぶとく。ね。

08/09/27(土)

[]山形の会 22:04 山形の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 山形の会 - 西川純のメモ 山形の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

1 日時 2008年10月11日(土) 13時より17時まで

2 会場 霞城セントラル 23階 高度情報会議室 定員60名

     山形県山形市城南町1丁目16-1  JR山形駅西口(徒歩1分) 

3 主催 子どもに学ぶ教師の会(山形の会)

4 後援 山形県教育委員会

      山形市教育委員会 寒河江市教育委員会

5 講師 西川 純 先生(上越教育大学教授)

6 内容・日程(予定)

 13:00 受付開始  13:15 開会

 13:20~ 14:35  西川純先生による講演

 14:35~ 14:45  質疑

 14:45~ 15:00  休憩

 15:00~ 16:15 『学び合い』の授業実践・研究の報告, 質疑

  ○阿部隆幸(福島県本宮市立糠沢小学校)

  ○高畠拓嗣(山形県村山市立楯岡小学校)

  ○佐藤勝則(山形県白鷹町立鷹山小学校)

  ○本川 良(宮城県石巻市立二俣小学校)

  ○中島千博(長野県生坂村立生坂中学校)

 16:15~ 16:45  講演者, 発表者と語るフリートーク

 16:50 閉会

      (17:10~19:30 ミニ懇親会)

7 参加費  資料代として2,000円

  (懇親会費3000円は別途)※当日集金します。

8 お申し込みの方法

 ※以下のいずれかの方法で,事務局佐藤勝則宛,お申し込みください。

(1)メール katu-nori-s☆nifty.com ☆を@に変えてください。

 (できるだけ,メールでお願いします。)

  http://manabiai.kitaguni.tv/

(2)このブログの「オーナーにメッセージ」から申し込みください。

 ☆参加お申し込みに当たっては, 次のものをご記入ください。

  1 お名前 2 お勤め先 3 ご住所 4 電話番号かメールアドレス

  5 懇親会ご参加の有無

[]戦闘モード 07:36 戦闘モード - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 戦闘モード - 西川純のメモ 戦闘モード - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私はケンカが大嫌いです。理由は負けるのが嫌いだからです。そのため、ぶつかりそうな人とは距離を置きます。でも、距離を置けない人もいます。その場合は、「これこれの結果はちゃんとだすから、とりあえず自由にやらせて」と交渉します。ところが、それでもゴチャゴチャ言ってくる、また、攻撃してくると、戦闘モードに入ります。ただし、その人とは直接戦いません。なぜなら直接戦うと失うものが大きいからです。その代わりやるのは、私を受け入れてくれる人を増やします。そして、私を攻撃できない状況を作るのです。その後、「これこれの結果はちゃんとだすから、とりあえず自由にやらせて」と再度交渉します。

 説得しにくい人もいます。が、説得しやすい人もいます。その人が分かってくれて、その人が説明すれば分かってもらえることも多いと思います。直接戦わずに、勝利を得ることが上策であるは、孫子の時代から普遍の原理です。直接戦って勝ったとしても、それは下策に過ぎません。

 幸いに、私を直接攻撃するような「向こう見ずな人」は殆どいなくなりました。あはははは。しかし、色々なところで同志が苦労されていると、心がせつなくなります。また、メールで詳細を知ると怒りが生じます。そのエネルギーが一定以上に達し、戦闘モードになりました。

 『学び合い』を理解せず、旧来の枠組みで曲解し、攻撃する人がいます。しかし、その人も悪気があるわけではありません。たんに理解できないのです。でも、その人を直接説得しても駄目です。搦め手からやるべきです。今まで、教師用の本を書いていました。でも、一般の人向けの本を書きたいと思い始めました。これに関しては、色々な方にお願いすることも多いと思います。お願いしたら、「はい、喜んで」と言ってね。

D902iD902i2008/09/27 20:09はい,喜んで!

jun24kawajun24kawa2008/09/27 21:33結果を来しているよ。

take1_No12take1_No122008/09/28 10:42 搦め手からですね。わかりました。一般向けの本楽しみにしています。もしかすると、教員を変えるより、世論を変える方が早いのかもしれないと思いました。

jun24kawajun24kawa2008/09/28 11:06したたかにね。
相手は善意の人であることを忘れずに。

08/09/26(金)

{嬉しい}あ~~~~楽しかった!! 11:11 {嬉しい}あ~~~~楽しかった!! - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - {嬉しい}あ~~~~楽しかった!! - 西川純のメモ {嬉しい}あ~~~~楽しかった!! - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は、朝5時半に起き、そして寝られたのは深夜の12時半。でも、それを補ってあまりある一日でした。既に、OB1989さんが素晴らしい説明を書かれているので割愛します(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/OB1989/20080926)。でも、本当に楽しかった!!!!!。こんなことを我々だけで独り占めするのはもったいない!ですのでお誘いです。

 もし、車(出来れば)で8時頃に群馬県高崎市に到着でき、3,4時までいられるならば、我々と全く同じ体験をすることが出来ます。つまり行程は以下の通りです。まず、2時間目の授業を1校目で参観します。車で移動し2校目で4時間目を参観します。昼飯を食べながら車で移動し4校目に5時間目を参観します。3つの実践を見ることによって、『学び合い』の多様性と一様性を肌で感じることが出来ます。さらに、こられるのは木曜日ならば、7時から9時の木ゼミに参加し、実践者と議論することが出来ます。

 もの凄く、お勧めです。

 関係する多くの方々に、心より感謝です。また、行きたい。行くだけの価値がある!

kogapon7kogapon72008/09/26 21:00すごーく行きたいです!

jun24kawajun24kawa2008/09/26 22:46まってま~す!

歌2008/09/27 20:05先日はお世話になりました。
今回はあまりお話をうかがうことができませんでしたが、
次の機会には、もっと西川先生のお話を聞かせていただき、
勉強したいと思います。
子供たちをもっと褒めること、心がけていきたと思います。
ありがとうございました。

D902iD902i2008/09/27 20:11本当におすすめです!!
独り占めはもったいないですね。

jun24kawajun24kawa2008/09/27 21:32歌さんへ
次を楽しみにしています。
D902iへ
あはははは

08/09/25(木) このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

*[報告]本日

 本日、一日中、群馬ツアーのためメール返信が出来ないと思います。よろしくお願いいたします。

08/09/24(水)

[]群馬ツアー 22:37 群馬ツアー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 群馬ツアー - 西川純のメモ 群馬ツアー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明日は群馬ツアーです。高崎の『学び合い』実践を「はしご」で参観します。そして、最後は「木ゼミ」に参加します。楽しみです。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/take1_No12/20080924

[]出張 17:20 出張 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出張 - 西川純のメモ 出張 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 2月には「群馬の会」と連合博士課程の出張があります。そして、以前から別府の学校の講演を頼まれています。どうせ、九州に行くならばということで、佐賀の先生と調整しています。そして、高知での講演が入りました。どれも、とても意味のある会です。ですので、出張します。でも、母ちゃんと息子と離れるのもつらい、悩ましいものです。

 まあ、でも、また九州に行けるし、四国に行ける。これを最大限に生かさねば。

08/09/23(火)

[]何を求めるか? 17:10 何を求めるか? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 何を求めるか? - 西川純のメモ 何を求めるか? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の研修会で質問を受けました。それは、「みんなが関わることを求めると、みんなが関わるが、成績には関係するのか疑問だ」という疑問です。『学び合い』を実践している人、また、学校でも同じような誤解をしている場合が多いので改めてメモります。

 多くの先生方は心の成長(人間関係作りも含めています)と学力を分けて考えます。そして、学び合いを心の成長のためだと考えている方がおられます。そういう考えで『学び合い』に入った方や学校の場合は、その「しっぽ」を引きずる場合が少なくありません。そのような人や学校は、『学び合い』では「みんなが関わること」を求める一方、学力(具体的には業者テストの点数)を求めることが弱い。それでは学力が向上しないのは当たり前です。だって、教師が求めていないのですから。

 子どもたちは関われば得るものは多いと思います。しかし、それが業者テストの点数とは限りません。もし、業者テストの点数が上がらないとおたおたするならば、テストの点数を求めればいいと思います。

 もう一つ、大事なことがあります。初心者の方にとって課題設定はかなり難しい。いわゆる玄人の人もうなるような課題で、かつ、子どもにも分かる課題というのはかなり至難の業です。そのような人にとって業者テストの点数というのはベストの課題だと思います。つまり、業者テストを求めないと、『学び合い』が成立しない危険性が高いのです。

 さて、最初の語りでは『学び合い』の考え方を子どもたちに語ります。そこには心の成長と学力を両方語ります。そして「みんな」を理解してもらます。しかし、ごく初期の段階(まあ、2週間程度までは)はどちらかというと「関わる」ことを強調します。しかし「関わる」ということは非常に曖昧です。そのため、「関わる」ことを強調することでは「みんな」の徹底はかなり困難です。「みんな」を徹底させるには業者テストの最低点の全員がクリアーしていないという事実を突きつけるしかありません。

 『学び合い』で業者テストの点数が上がらない分けはありません。点数が上がらないのは、教師が求めないからです。ただし、我々が求める業者テストの点数は、一般の学力だけの実践とは根本的に違います。我々は平均点ではなく最低点を重視します。なぜなら「みんな」を大事にしているからです。それが崩れれば、『学び合い』ではありません。

追伸 言うまでもなく、また、何度も繰り返しているように、私は業者テストの点数なんて「へ」だと思っています。しかし、これ以上に子どもが分かり、親御さんにもわかり、同僚にも分かるような学力の評価方法を知りません。私は断言できますが、いままでに、一般的に認められる学力の定義をした人は誰一人としていません。

08/09/22(月)

[]異学年 22:34 異学年 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 異学年 - 西川純のメモ 異学年 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は上越の地元の小学校の校内研修に参加しました。その学校は2学期から学校として異学年を取り組まれ始めました。学校として異学年の『学び合い』を取り組むことの凄さは2点です。それはコミュニティーの創生と教師の『学び合い』です。

 高校教師であるKさんは、勤めているN県の高校で学力向上をすることの馬鹿馬鹿しさをよく私に愚痴ります。つまり、今のままで学力を向上すれば、生徒は都会の大学に進学し、都会で就職します。つまり、県の予算を費やして、優秀な人材を県外に放出することになります。県としては矛盾しています。Kさんの指摘は正鵠を得ていると思います。

 本日の小学校は1学年1学級の学校です。このような地域の場合、幼稚園から小学校6年まで、全く同じメンバーで学年を構成します。そのため、固定的な序列が形成されています。序列低位の子どもにとって、地元はいやすい場所とは限りません。私が上越の地元のある人と話したとき「あいつは俺が言えば逆らえない」とちらりと言ったときがあります。また、地元の年長者に逆らえない飲み会の話を聞いたことがあります。そういうコミュニティでは、面と向かって逆らうことはありませんが、機会があれば出て行きます。過疎になる地域の人がその地域の「人情」を言っても過疎が進行するのは、「人情」をいう人にとっては都合の良いコミュニティであっても、出る人にとっては「人情」とは言えないのかもしれません。

 異学年の学習は固定的な序列を打破します。今まで学年では高位な子であっても、高学年と交わるときは偉ぶれません。また、学年が低位な子であっても、低学年との交わりの中では光ることが出来ます。それを教師が見取り、価値づけることによって今までとは違った関係が生まれます。もし小学校として異学年に取り組み、それが継続したとき、ある子どもは前後に5歳の人たちと関係を結びます。まさに地域のコミュニティが生まれるのです。『学び合い』が成立したら、給料が10万円やすくても地元で仕事を見いだしたい、いや、地元に仕事を生み出したいと願う子どもが生まれます。凄いことです。

 もう一つ、学校で取り組む異学年の『学び合い』の凄さは教師の『学び合い』です。教師であれば、授業で悩み、助言を受けたいと思うのが普通でしょう。しかし、自分が悩んでいる状況を説明するのは大変です。そして、人から助言を受けたとしても、その助言の意味を理解することは大変です。さらに、その助言は、自分が悩んでいる、その時であって欲しい。これは子どもと同じです。しかし、一斉指導の一人一人の教師は一人で立ち向かっています。TTであったとしても、結局は一人一人の教師は別々です。ところが『学び合い』の異学年はそれとは全く別です。自分が悩んでいる「その時」、「その場」を複数の教師が共有しています。「その時」、「その場」で相談し、「その時」、「その場」で助言を得て、「その時」、「その場」で直ちにトライすることが出来ます。いや、相談するということもいりません。他の先生方の生の指導を「その時」、「その場」で盗むことが出来るのです。こりゃ凄いことです。先生方はそれをやられていました。

 例えば、その学校には若い先生がいます。その先生と中堅の先生が組になって異学年をしました。若い先生はセンスの良い先生で、特に天賦の「声」の良さがあります。中堅の先生は、その年になっても伸びようとする志があります。見ていると、合間合間にゴチャゴチャとその先生方で話している姿があります。決して長々としたものではなく、チョットした会話です。また、子どもたちが『学び合い』をしている脇で、黒板でなにやら書いて相談していました(その姿を校長先生が写真に撮っていました。あははは)。授業後の研修会で、その若い先生は無意識にその中堅の先生を「○○先輩」と呼んでいました。いいな~っと思いました。もちろん、中堅の先生の方も若い先生に見られる位置で授業をするということで「ハリ」を感じられていることはヒシヒシ感じられます。このような関係性が見られます。このような関係性は他の先生方にも明確に見られます。

 学校として『学び合い』を取り入れられているので、先生方が自由に見せあいっこしています。おそらく、先生方は『学び合い』をしていないと自分では思っているかもしれませんが、子どもを基本的に信じているので、直ぐに「自習」的な展開を使えます。そして、ふらりと他の先生方の実践を参観しています。小さい学校ですが、全ての先生方がゴチャゴチャと、そして平常の授業と矛盾無く、いや、相乗効果的に『学び合い』を実現しています。

 日本を変えると思われる校内研修が上越の小さい小学校で行われています。私は日本の教育を根本的にかえるには教師の共同体が必須要件だと思います。そして、日本人の幸せは地域コミュニティの創生だと思っています。それをびた一文の予算も使わず、分厚い紀要もつくらず実現できるのです。その現場に、S大学のM先生、本学のS先生と一緒に、私と我がゼミの学生が居合わせられる光栄を感じます。

[]教育実習 19:47 教育実習 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教育実習 - 西川純のメモ 教育実習 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は二人のゼミ生の教育実習における大研です。一人目の授業を参観して、最初はビックリして、5分後には笑い出しました。理由は・・・

 ものすごく、うまいのです。旨いというのは小技のレベルではありません。堂々としており、安心しているからこそ子どものあしらいが旨い、アドリブもいえる。ビックリしました。教員経験5年の先生でも、あれだけのレベルに達していない教師は山ほどです。

 二人目の授業を見ました。このゼミ生は実に初々しい学生です。だから、一人目のようにはならないな、と予想していました。が、違いました。5分間の中で、ちゃんと『学び合い』の考え方に根ざした課題設定をして、堂々としており、子どものあしらいが旨い。ビックリしました。

 もちろん、本人の努力と才能はあるでしょう。しかし、それだけではなく、去年1年間、徹底的に生の授業を見続けた、それがベースにあると思います。そして、それを元に信頼関係のある学校で、信頼できる先生から指導を受けたためだと思います。

 とにもかくにも、日本全国の方に、大いに自慢します。我がゼミ生は、一斉指導においても素晴らしいと思います。

iku-nakaiku-naka2008/09/22 22:53「異学年」は本校の課題を解決する「手だて」になると確信しています。自分がガタガタしていて2学期は「異学年」学習もご無沙汰になっています(大汗)。校長先生には言っていませんが、行事の方が一段落する10月からは・・・と思っています。
あ!、その前にサークルか・・・(大汗)。

jun24kawajun24kawa2008/09/22 23:11中学校で行う意義は、教科縦割りを超えた、「教科指導」における教師の『学び合い』です。この可能性の凄さはよくご存じのことだと思います。期待しています。

08/09/21(日)

[]学級目標 07:16 学級目標 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学級目標 - 西川純のメモ 学級目標 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 あるところで講演をした際、そこの教育長先生から聞いたことです。教頭を対象とした研修会によばれた教育長先生は、参加者に「自分の学校の教育目標を言って下さい」と求めました。その結果、それを言えた教頭は、たった一人だということでした。これはクラスの前に張ってある学級目標をクラスの子どもに聞けば、同じような結果になるでしょう。

 理由は、目標として機能していないからです。目標は、ありとあらゆる場面に適用できなければなりません。ところが、多くの先生方は学力向上と心の成長を分けて考えています。そして、学級目標は心に着目するものが圧倒的大多数です。ところが、学校教育の殆どは教科学習なのですから、そこでの指導は学級目標とは別なことを求めているのです。これでは目標になっていません。

 一方、『学び合い』では学力向上と心の成長を分けて考えません。常に、一貫しています。ちなみに、西川研究室の目標は「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」です。私はこの目標を頑固に語ります。

isinomakiisinomaki2008/09/21 08:44「学級目標」を本当の意味で自分たちのものにしたいと思っていたところに『学び合い』と出会いました。まさにばっちりでした。学校教育目標や教育基本法などを考えてみても,大事なことはいたってシンプルなんですね。N先生がおっしゃる「最終的には世界平和!」というのがとても印象的ですし,教室内の出来事から(授業も含めて)それを語れるなんて素敵です。

jun24kawajun24kawa2008/09/21 09:16クラス目標が「世界平和」と設定し、子どもたちが、それをリアルに受け止めてくれたら素敵ですよね。

ftogpxtakaftogpxtaka2008/09/21 19:15今年度『学び合い』を始めるにあたって、まずそのことをクラスの子に聞きました。「去年のクラスの目標を覚えている人?」って。当然かなり相談して出てくるクラスが1,2クラスくらいでした。それを踏まえて、1年間その目標を常に意識できるような学級目標を立てよう!!と提案し、『学び合い』での授業を1度もしたことがない子たちにいきなり委ねました。
結局唯一といってもよい案の「一視同仁」という言葉に決まりました。今までの学級目標のイメージが強かったためか、抽象的な言葉になってしまいましたが、果たしてどの程度クラスの子が空で言えるかなって思います(笑)。

jun24kawajun24kawa2008/09/21 21:31一度、聞くと良いですよ。そして、駄目だったら、それを説教すればいい。それによって、子どもたちは伸びます。

08/09/20(土)

[]考え方 18:33 考え方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 考え方 - 西川純のメモ 考え方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 現在、ゼミ生が教育実習です。だいぶ悩んでいる様子なので、大学にふらりと立ち寄り、「どう?」と聞いていました。それによると、子どもたちに課題を与えても、それが分からない子どもが多く、机間巡視をしまくっているようです。しかし、それでも分からない子がいるそうです。

私:そんなことは当然だよ。どんな名人が説明したって、分からない子どもはいるよ。まあ、名人とへたくそとの違いは、分かる子どもの程度の問題で、全員ということはありえないよ。とうことは『学び合い』をしていないわけだよね?(ニコニコ)

ゼミ生:はい、教育実習では、採用された後のことを考えて、一斉指導でやっています。

私:それは君が周りの先生から虐められないという理由で、子どものための理由ではないよね。(嫌みったらしく、ニコニコ)

ゼミ生:(うなずく)

私:で、どうするの?

ゼミ生:課題の出し方を考えたいと思います。

私:で、具体的にはどういう課題なの?

ゼミ生:「スーパーマーケットで働く人について知りたいことをノートにまとめてみよう。」です。

私:で、どういう風になおしたいの?

ゼミ生:説明を加えたいと思います。

私:で、どういう説明を加えたいの?

ゼミ生:「例えば、イラストの中でトラックで荷物を運んでくる人がいるね。荷物は、何時頃運ばれてくるのだろう。」というような説明を加えたいと思います。

私:あはははは(呆れて)。まあ、それが普通の対応だろうね。でも、そんな説明をしたとしても分からない子はいるよ。そうなると、別な説明を際限なく加え続けることになる。それに、具体的な方法を説明すると、子どもはそれを「例」だとは思わず、ただ一つの方法だと思いこむよ。そして、君が与えた例の名詞の部分がちょこっと変わったことばかりする子どもがわんさか産まれるよ。それじゃ嫌だよね。本当は、子どもが自分にあった方法を自分の頭で考えられるようにすることが大事なんだ。『学び合い』は考え方だよ。一斉指導のやり方をやってもかまわない。でも、『学び合い』の考え方で、一斉指導をやりなよ。『学び合い』で大事にするのは、「何のために学校教育があるのか?」という学校観と、子どもたちは有能であるという子ども観だよ。聞くけど、「スーパーマーケットで働く人について知りたいことをノートにまとめてみよう。」という課題は何のためにやっている課題なの?

(ゼミ生が言う理由を私がどんどん論破します。そして、最終的に彼は・・・)

ゼミ生:彼らが大人になって必要な、大人の人とコミュニケーションをとれるようになるためです。(こう言えるのが、我がゼミ生です。エッヘン)

私:おそらく、私が「何のため?」と聞くまでは、「何のため?」とは考えず、「どうやって」で頭がいっぱいだったでしょ?

ゼミ生:うなずく

私:おそらく、多くの先生は君と同じように、「どうやって」で頭がいっぱいだよ。そして、「何のため?」と改めて聞くと、教科の内容レベルで止まってしまう。しかし、そのレベルでは子どもたちを説得できないよ。第一、そんなレベルの説明では、かなり能力のある子どもしか理解できない。我々は「他の人と折り合いをつけて課題を達成する」という目標を掲げ、一貫している。また、多くの先生は子どもたちはそれほど有能だとは思っていない。だから、我々と同じような目標を心にある先生であったとしても、それを子どもにちゃんと話さない。だって、分かるとは思っていないから。そして、自分が分かっていていればいいと無意識に思いこんでいる。『学び合い』は「何のために学校教育があるのか?」という学校観と、子どもたちは有能であるという子ども観を大事にする。立ち歩きを許す、とか、私語を許す、とかいうことはしなくてもいい。でも『学び合い』の考えは大事にしてね。子どもに方法レベルのことを言う以前に、何のためにということをちゃんと語りな。月曜日に授業見に行くけど、5分間以内で、「何のために」をビシッと言えるようになっててね。

 と言って、「期待しているよ」と言いながら、ゼミ生の頭をなでなでして、家内と息子の待つ家に帰りました。

 我がゼミ生であっても、「考え方」ということを理解せず、方法のレベルで『学び合い』を捉えている。業が深いと思います。現在の『学び合い』の姿は、「考え方」から導き出された現在の姿です。そして、未来の『学び合い』の姿は、「考え方」に基づいて、どんどん進化します。「考え方」と姿は、実体と影のような関係です。考え方が分かれば、影はいくらでも理解できる。実体はちゃんと言葉に書いています(例えば手引き書にも)。しかし、実体を理解するには影を通してしかない、難儀なものです。

追伸 つまり、『学び合い』を実践している方ならば、必ず、何のために学んでいるのかを、「子ども」にちゃんと語っているはずです。そして、子どもたちに問題があるとき、その「何のために学んでいるか」のレベルに戻って語っているはずです。

isinomakiisinomaki2008/09/20 20:05>子どもたちに問題があるとき、その「何のために学んでいるか」のレベルに戻って語っているはずです.
根っこを見失わないように心したいと思います。

jun24kawajun24kawa2008/09/20 21:38はい、一番大事なことです。

ながたくながたく2008/09/20 22:10>教育実習では、採用された後のことを考えて、一斉指導でやっています。

教育実習では、採用された後のことを考えて、学び合いをしています。やっぱり、学び合いっていいですね。

っていえる現場環境にしたいものです。

jun24kawajun24kawa2008/09/20 22:26はい、だから「みんな」で結果を出しましょう。未来の若い教師のためにも。

08/09/19(金)

[]専門 21:46 専門 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 専門 - 西川純のメモ 専門 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上越のある先生が社会科の『学び合い』で悩んでいました。その方は算数では『学び合い』を成立させています。今年度、一念発起して社会科でも『学び合い』にトライしました。1学期の結果はまずまずです。しかし、まずまずの結果(つまり一斉指導と変わらない成績)ということは、『学び合い』が成立していないということです。『学び合い』が成立しているならば、明らかな向上があるはずです。それは、その先生も感じています。現象は以下の通りです。

 一番出来る子が動き始めるのが25分程度です。そして、殆どの子が動きません。何をしているかと言えば、ノートをまとめるに精一杯なのです。そのため算数の時間の様子と全然違います。

 私の知る限り、『学び合い』をやっていて成績が上がらない理由は二つしかありません。(あと一つは、その教師は『学び合い』をやっていると誤解している、というものがありますが)第一は、課題と評価が一致していない場合です。これではなさそうです。第二は、簡単な作業をやらせすぎたため、学び合う時間を確保できない場合です。これです。

 そこで、「先生は社会の勉強でノートをきちんと整理することが勉強になるとお思いでしょう?」と確認すると、やはりそうでした。その先生は社会が大好きな先生です。自分が好きな教科、得意な教科の場合、自分に合った方法が万人にあった方法であると考えがちです。この先生はノートを整理することが良い方法だと思ったので、意識せずとも、それを求めたと思われます。

 そこで、社会科が何故嫌われるかを説明し、言葉を理解することの重要性を理解していただきました。そして、ノートを整理することが必須事項ではないことを納得していただきました。これで十分です。教師が理解すれば、それは教師の言動に表れます。また、ハッキリと語れば、直ぐに効果が現れます。社会科の授業3回以内に大化けは起こるはずです。

 自分が好きな教科、得意な教科の場合は上記のような思いこみが生じ、方法を強いてしまう危険性があります。でも、それを乗り越えたならば、自分が好きな教科、得意な教科での『学び合い』は、最も豊かなものをもたらします。何故かというと、その教科を学ぶことの「美しさ」を伝えられるのは、それを味わったものだけです。その「美しさ」を語る教師の言葉、五体はもの凄いオーラを発します。

 私には確信があります。しばらくしてその先生の社会科の授業を見たとき、「私は大魔法使いみたいだな。『学び合い』は魔法のようだ」と思うに決まっています。あはははは

追伸 陪席して聞いていた校長先生が、「こんなこと言っちゃうと、先生、また、大喜びしちゃうけど、この前の全国学力テストの点数で『学び合い』をやっている算数はダントツに高かった」とニコニコして教えてくれました。不遜ながら思いました。「当然です」と。

08/09/18(木)

[]うらやましい 22:44 うらやましい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - うらやましい - 西川純のメモ うらやましい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は二万歩以上歩きました。しかし、家内からもらった万歩計によれば脂肪は30gぐらいしか消費しない計算になります。

 息子の最近の身体測定の結果を今日見ました。肥満率は-0.9%です。うらやましい~

08/09/17(水)

[]算数国語 13:13 算数国語 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 算数国語 - 西川純のメモ 算数国語 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 すべての教科は国語力が基礎となっています。何となれば、言葉という情報を元に学習しているのですから。算数・数学も文章題では国語力が必要だ、と言われます。息子は小学校2年生です。本好きなので、かなり国語力はあると思います。しかし、算数の文章題で分からないと聞きに来ますが、問題文を読むと「なるほど、こりゃ分からないわな~」と思うことがよくあります。

 例えばです、「今日は大学の親友の結婚式です。入り口に係の人がいました。久しぶりの○○が係を務めていました。懐から包みを出し○○に渡し、名前を記入しました。給料取りとはいえ、入社1年で懐具合もそれ程ではない。しかし、あいつのために5本を奮発しました。」と書いてあったとします。この文章には懐から出したものが何であるかを書いておりません。しかし、それが祝儀袋であることを予想がつきます。また、5本が金額であり、おそらく5万円であると想像でいます。なぜ、それが分かるのでしょうか?

 認知心理学ではスクリプトと言います。ある状況に起こるであろう様々な知識(時には行動)の集合体のことです。我々はそのような知識のまとまりをもっているので、足りない情報や、不明確な情報を補い、正しく判断が出来ます。上記の文章は、源氏物語を原文で読み、夢野久作のドグラ・マグラを読破できるような国語力があったとしても、一度も結婚式におよばれした経験の無い人には意味不明の文章です。さて、この人は国語力がないのでしょうか?

 算数には日常生活にはありえない問いかけをしています。例えば、「アメが5個あります。二人で分けると何個でしょうか?」とう問いがあります。答えは2.5個ですが、そんなのありえるでしょうか?日常生活では、ジャンケンをして3個と2個に分けますよね。息子が聞いてくる文章題は、およそ日常生活では永遠にあり得ない状況のスクリプトを必要としています。そして、そのスクリプトは大学で学ぶ解析学や代数学にも全く役に立ちません。算数で算数だけしか役に立たないことを学ばなければならない馬鹿馬鹿しさ、そして、その馬鹿馬鹿しさを客観的に理解しているにもかかわらず、我が息子に教える馬鹿馬鹿しさ。あ~、馬鹿馬鹿しい。

katunori-skatunori-s2008/09/17 23:21算数と言うことで。
「子供が33人います。4人がけの長いすにみんなすわります。いすは何脚いるでしょう。」
33÷4=8…1 だから8+1で9脚。
ありえませんね。4人座れるいすに,一人だけぽつんと…。
わたしだったら,「そこ,つめろ!」と言って8脚にします。(^o^)
ある学級のある子供は,「いすは11脚いる」と言ったそうです。「11脚あれば,3人ずつなかよく座れる」と言ったとか。おもしろいと思いました。この発想は,私にはありませんでした。

jun24kawajun24kawa2008/09/18 06:32その子が政治家になってくれたらいいな、と思いました。

08/09/16(火)

[]添い寝 23:08 添い寝 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 添い寝 - 西川純のメモ 添い寝 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 出張や飲み会が無い限り、息子が生まれてからずっと添い寝をしています。ということで今日も添い寝です。

 息子は布団に行くと、家内と私の枕を自分の枕にくっつけて待っています。食事の片付けをする家内にチュをしてもらって、バイバイをします。その後、私が「チチンプイプイ、チチンプイプイ。神様、仏様、ご先祖様。○○をお守り下さい。○○を守る我々をお守り下さい。」とお祈りして、チュをして、チュをしてもらって眠ります。息子は私の頭に自分の頭をくっつけます。「神様、仏様、ご先祖様、感謝します」を何度も繰り返します。30分ぐらいすると寝息が変わります。そうしてから起き出して、コンピュータに向かいます。これが毎日の日常です。

 息子の寝息を感じながらいると、ふと寝てしまうときがあります。不覚にも2時間ほど寝過ごしてしまいました。ということで、これを書いたら寝ます。あははは

追伸 この添い寝をいつまで出来るのだろうかと思います。どう考えても、中学生には出来ませんね。残念です。

t-oshimat-oshima2008/09/16 23:22私は、このブログのカテゴリーの中で[親ばか]が一番好きです。いつも楽しみに待っています。先生の「親ばか」ぶりの考え方を参考にさせていただいたり、「小学生になると、うちの子もこうなるのかな~」、「こうなるといいなあ~」なんて思いながら楽しいでいます。[親ばか]頻繁なる更新応援しています。ちなみに、私は添い寝を今晩サボりました。どひゃあ~。

ikutosuikutosu2008/09/16 23:47今目と鼻の先の和室で次男が寝てます。文化祭の準備疲れで全身にじんましんができ、二階の布団で寝ていられなくなって下に下りてきたのです。
普段は次男は僕のとなりで寝てますが、僕のお腹に両足を掛けて寝ると安定しているみたいです。
さすがに中二の足は重たいです。
彼が落ちついたら、寝ようと思います。

jun24kawajun24kawa2008/09/17 06:36t-oshimaさんへ
私は添い寝をするとき、あと、「何回出来るか?」と考えます。仮に小学校6年生までは出来るとするならば、あと「たった」三千回ぐらいです。サボるなんて、もったいない。
ikutosuさんへ
中二まで出来るんですね!明るい希望がわいてきます。

ayuayu0515ayuayu05152008/09/17 07:07うちの親と似ていますね。中学生のころは嫌でしたが・・・。高校・大学になるとあまり気にならなくなりました。。

たまに添い寝に来るうちの父・・・汗

だから、親子関係によると思います。

jun24kawajun24kawa2008/09/17 08:56お~大学生でも可能ですか!!やった~
ところでayuayuさんへ9月2日のメール届きました?

08/09/15(月)

[]メルマガ 19:09 メルマガ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - メルマガ - 西川純のメモ メルマガ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、『学び合い』のメルマガが発行されました。お誘いします。(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/sumi-chan/20080914

[]変化 19:03 変化 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 変化 - 西川純のメモ 変化 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 S大学のM先生の肝いりで、二つの学会で課外研究を立ち上げました。課題研究とは、同じ思いの人たちが連続して発表する形式です。二つとも、満員だったそうです。凄いことだと思います。研究者の人たちにも『学び合い』の凄さを分かってもらいたいと思います。

 みんながやっていることを研究した場合、そこで生き残れるのは、特別に頭の良い人と運のいい人だけです。ところが、我々の研究室では常にトップレベルの業績を上げ続けています。理由は簡単です。みんながやっていない実り多い領域でやっているからです。もし、「教師一人が方法を教える」という鎖から解き放されたならば、どんなことが起こるでしょう(生物学の人以外は分からないと思いますが、カンブリア爆発のようなことが起こります)。

 もう一つ大事なことが起こります。それは教科教育学の意味が変わることです。1996年に、私は「一般教科教育学序説」(大学教育出版)という本を企画しました。私の問題意識は、教科学習を研究する学問が教科ごとに分かれており、それぞれの交流がほとんど無いということです。その頃の私は理科教育学を研究していましたが、その当時の国語科教育や社会科教育学で何が行われているか知らずにいて、そして、それによって不利益は生じませんでした。ところが、教科の縦割りを後生大事にしているのは研究者と教師であって、子どもはことはありません。子どもは学習をしており、時間割の一つに過ぎません。私は各科教科教育学の集合ではなく、それを俯瞰した教科教育学を構築すべきだと考えました。その本の中で、その必要性と各科教育学の限界を分析し、上記の必要性を明らかにしました。しかし、それを企画した当時は、その成立の道筋は見えていませんでした。でも、今は見えます。

 現在も、クロスカリキュラムを研究する人は少なくありません。しかし、それらの人は、自分の中心とした教科の内容から、他の教科に関連すると思われる部分をピックアップし、それを扱います。つまり、その教科のごく一部しか扱えません。『学び合い』を研究し始めると、教科内容から子どもの姿に視点が移ります。その結果として、教科の縦割りがどうでもよく感じ始めます。私は理科教育学で多くの論文と学会賞をいただきましたが、現状の私の研究室の人の圧倒的大多数は理科を題材とはしていません。本学のM先生も、最初の採用は中学校の国語の先生ですが、理科教育学で博士の学位を取り、これまた教科に拘りません。これはS大学のM先生も同様です。以上は、『学び合い』をやれば、必然的に起こることです。このような先生方が増えていけば、1996年に私が夢見た一般教科教育学も構築されるかもしれません。これまた、楽しみです。

[]ジオゲーター 19:03 ジオゲーター - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ジオゲーター - 西川純のメモ ジオゲーター - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日を見ると、昨日は福井から誰もブログにアクセスしていないということになっています。しかし、私は昨日、一昨日に福井におり、福井からブログにアクセスしました。それが反映されていません。昨日も、一昨日、福井からのアクセス者は一人もいないことになっています。

 前から不思議に思っていたことがありました。というのは、アクセス数は一日1500ぐらいなのですが、ジオゲーターのアクセスが300ぐらいです。まあ、コアメンバーは私のブログをボーダルサイトのように使っている人もいるとは思いますが、それにしても差が大きすぎます。原因が判明されました。

OB1989OB19892008/09/16 00:54お褒めにあずかり光栄です。家宝にします。

jun24kawajun24kawa2008/09/16 06:28ご苦労様でした。ホームランでしたね。

08/09/14(日)

[]本日 22:41 本日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本日 - 西川純のメモ 本日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の大好きな他大学のある先生が、来年1年間、海外に行かれます。それに関連して、ある方から「西川先生は海外に行きたいとは思いませんよね?」と聞かれました。間髪入れず、「行きたくない」と応えました。次に「どこだったら行きたいですか?」と聞かれたので、「家族のいるところ」と応えました。私は、家内・息子と一緒に朝食を食べ、夕食を食べ、そして一緒に寝ないと死にます。

 本日は私の生まれた日です。息子から似顔絵をもらいました。見て、ビックリ、驚異的にうまくなりました。家内からはデジタルの万歩計です。これは笑いました。早めに食べ始め、今日は休日です。ということで、息子のお話劇場がフル回転です。息子はお話を作るのが大好きです。だいたい5~10分ぐらいのお話を、身振り手振り、そして声色・効果音で熱演します。ほっとくと、それが5つぐらい続くので30分以上にもなります。落語に三題噺というのがあります。客席のお客様より3つの単語をいただき、即席に話を作るのです。即席と言っても小一時間以上は時間をもらえます。ところが、息子の場合は、もっと凄い。私や家内の何気ない一言を聞くやいなや話し始めます。よどみなく、その単語が落ちとなる5~10分の話を語るのです。どう考えても、息子が何故あれが出来るのか不思議です。

[]限界 22:42 限界 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 限界 - 西川純のメモ 限界 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ある学会に参加し、発表を聞きました。そして、学会の要項を読みました。残念ながら、十数年前に限界を感じたものが、今も限界です。そして、その限界の原因も分かります。

 第一の限界は、「学習者の思考プロセス」があると思っているのです。この場合のポイントは、理想的で代表的な思考プロセスが一つ(もしくはごく少数)存在すると仮定しています。子どもの自由な発想を素直に聞けば、そんなものは存在しないのですが、そう仮定しています。理由は、そう仮定しないと、自己否定してしまうからです。なぜなら、全ての研究は「たった一人の教師が教える」ことを前提としています。だから、子どもの思考プロセスが無限にあることを認めると、「教えられない」となるからです。

都合の良いことに、そう仮定しても、まあ、なんとかつじつまが合います。というのは、クラスの2割ぐらいの子どもは教師が教える前に、塾や通信教材を通して学習済みです。3割ぐらいの子どもは、教師がどんな教え方をしても(教えないくても)教科書を読めばある程度は出来ます。つまり、どんな酷い授業をしたとしても、指導要領程度のことは5割は学習が成立します。多少でも指導法を改良すれば、それに1割~3割ぐらいは上積みできます。つまり、良い指導法をすれば8割は教えられます。指導法に関する実証的データで示せる最高はその当たりでしょう。しかし、問題なのはあとの2割を何とかすることは出来ないのです。その当たりの子どもの場合、自分にあった学習でない限り拒否するからです。

第二の限界は、その教科を嫌いな人が納得させられるような、その教科の存在意味を語ることが出来ない点です。理由は、その教科の内容から、一度離れることが出来ないからです。一度、その教科の内容は教えなくても良いんだ、と開き直れば、その教科の本当のすばらしさが見えるのに、それが出来ません。その教科の内容を離れられないので、どこかに無理が生じます。

一度、教師が学習「方法」(教師からみれば指導「方法」)レベル全部背負わなくても良いんだと考えればいいのにと思います。そして、その教科の内容から離れればいいのに、と思います。私はその教科が大好きです。そして、より多くの人たちに、その教科のすばらしさを分かって欲しいと願います。そのためには、その教科を大嫌いな人に分かる土俵で語らなければならないと思います。愛すれが故に、歯がゆいと思います。

[]寛容 22:42 寛容 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 寛容 - 西川純のメモ 寛容 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上の「限界」に関連して。

 私の研究室は、ある方向性をもっています。しかし、私が博士の学位を出した人の過半数は、『学び合い』ではありません。私はある学会の学会誌の編集委員長です。そして、私の責務は、出来るだけ多様な研究が世に出ることのお手伝いをすることだと思います。つまり、『学び合い』とは全く無関係、いや反する研究が世に出ることのお手伝いをしています。

 民主主義の基本は「私は君の意見に反対だ。しかし、君がそれを主張する権利を守るためには命をかける」というものです。私は私の現在の考えに自信があります。しかし、私の考え以外の考え方があることが大事だと思います。生物の種が多様性を失えば、あとには緩慢な死しかないのは、生物の歴史が示すところです。私がある結論を出すのではなく、集団が選択するはずです。そして、ある種群が衰退するとき、次を担う種が多様になるはずです。そして、衰退した種群も、絶滅することなく生き続きます。

 生物は賢いものです。我々も他も、状況に合わせて変化します。一つの個体が云々するべきではありません。集団は正しい結論を出すはずです。だから、私は安心しています。

tomkicktomkick2008/09/15 05:10西川先生
お誕生日おめでとうございます。

>私は、家内・息子と一緒に朝食を食べ、夕食を食べ、そして一緒に寝ないと死にます。

僕も訳あって今家族と離れて暮らしているのですが,この連休に一緒にいれて本当に幸せでした。家族って素敵ですねぇ。

jun24kawajun24kawa2008/09/15 07:44ありがとうございます。
私が毎日、お祈りするのは「家族仲良く、健康に」です。

abematuabematu2008/09/15 08:30お誕生日おめでとうございます。
これからもついて行きます!

ayuayu0515ayuayu05152008/09/15 11:12お誕生日おめでとうございます。いつか大学院生になりたいです。

ftogpxtakaftogpxtaka2008/09/15 16:15お誕生日おめでとうございます。
大阪での会、できれば参加したいと考えております(今度こそ!!)。
また詳細がきまりましたら教えてください。
今後ともよろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2008/09/15 17:43abematuさんへ
ありがとうございます。
こちらこそ、ついて行きます。あ、エルマーの虎のようですね。
ayuayu0515さんへ
ありがとうございます。まってますよ。
ftogpxtakaさんへ
ありがとうございます。
詳細はブログに決まり次第、アップします。

08/09/13(土)

[]点、線、面 21:05 点、線、面 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 点、線、面 - 西川純のメモ 点、線、面 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 点と点が繋がり、線と線が繋がり、面となる。このとき大事なのは、特定のだれかが繋げる役目を担っているならば、目の粗い線の集合にはなりますが、面にはなりません。

 本日も、日本各地で各位が点を線に、線を面にする活動をされていることを知っています。楽しみです。

Y.MochizukiY.Mochizuki2008/09/14 08:12私も少しずつですが、点を線にできないかと
http://mochizuki.la.coocan.jp/hp/bloglink.htm
このようなページを作っています。

jun24kawajun24kawa2008/09/14 18:35日本には優秀な教師が多いと実感しますね。

ikutosuikutosu2008/09/14 21:30思い起こせば、N先生の可視化の言葉に何度となく励まされております。ありがとうございます。

jun24kawajun24kawa2008/09/14 21:58あはははは
こちらこそ、ありがとうございます。

08/09/12(金)

[]プレゼント 23:20 プレゼント - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - プレゼント - 西川純のメモ プレゼント - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ゼミ生から二日早い誕生日プレゼントを頂きました。その包み紙を開いて爆笑です。こんにゃく食品の詰め合わせでした。家に帰って家内に見せると、これまた爆笑です。早速、その内の一つを家族で美味しく頂きました。感謝です。

[]異学年 19:31 異学年 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 異学年 - 西川純のメモ 異学年 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上越の小学校で学校全体で異学年を取り組み始めました。今月の22日の5時限目に、6年生と3年生、5年生と2年生で行います。本当は、4年生と1年生もやりたいのですが、その日は1年生が4限で下校のためそれは無しです。でも、事実上、学校全体で異学年をやるという全国でも初めての試みです。一応、2学年の『学び合い』×2ですが、始めてしまえば、どんな人間関係の化学反応が起こるか楽しみです。参観希望があれば、私に連絡して下さい。

追伸 学校全部の子どもを体育館に集め、校長先生が「どうぞ」と語る。校長先生以外の全職員は、その時間、職員室でお茶を飲みながら、ゆっくりと学校改善の話し合いをする。そんなことが行われるまで、あと、ちょっとです。あはははははは

[]またあえる 16:16 またあえる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - またあえる - 西川純のメモ またあえる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以下は、私にしか分からないメモかもしれません。

 『学び合い』を十数年も研究しているので、子どもが有能であるということには確信があります。だから、多くの人が「出来るかな???」と思うことを、「そんなの簡単なのに」と思います。だから、ゴチャゴチャした方法レベルの指導も、最後のまとめも、全く不要だと思っています。それが必要だと思っていた当時の自分の気持も思い出すことが出来ません。

 が、もっと本源的な部分はもとのまんまです。それは、私は子どもが可愛いのです。私が高校教師時代は、まさにベロベロに子どもを可愛がりました。暴走族でも、オール1でも可愛い。いや、彼らの方が、一皮むけば赤ん坊のように単純に可愛い。大学教師の時代も、大学生が可愛かった。特に、ゼミの学部生は可愛かった。独身時代は、毎月、一緒に飲みに行ったし、結婚してからは家で飲みました。が、現在は封印しています。しかし、卒業・修了の目前となると、いたたまれなくなります。自分の手の届かない遠くに旅立つことが辛いのです。愚かしいことだと分かっていても、辛い。

 もうあえないのではないか、と思い辛かった、ある「子ども」が、また会えるということが本日分かりました。嬉しかった。

追伸 私は1時間半のゼミで「27秒もしゃべる」と注意されます(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20060831/1156980768)。

Y.MochizukiY.Mochizuki2008/09/14 08:332日早いということは、今日お誕生日でしょうか?
おめでとうございます。

jun24kawajun24kawa2008/09/14 18:36ありがとうございます。

08/09/11(木)

[]山形の会 21:32 山形の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 山形の会 - 西川純のメモ 山形の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

学び合い』を学ぶ会in山形

子ども同士が積極的に関わり合い,自ら学ぶスタイルの授業を提案します。「立ち歩き」「落ち着きのない子」大歓迎の授業です。教師は,子どもたちに明確な目標を示します。そして,子どもたちが学ぶ場や相手,方法を選べるようにし,子どもたちが本来持っている『学び合い』の力が発揮されるようにします。「みんなができる」を求めていくことで,学級の文化とも呼べる『学び合い』の雰囲気が生まれます。子どもの有能性を信じることがスタート。『学び合い』の授業をともに学びましょう。

1 日時 2008年10月11日(土) 13時より17時まで

2 会場 霞城セントラル 23階 高度情報会議室 定員60名

  山形県山形市城南町1丁目16-1 JR山形駅西口(徒歩1分) 

3 主催 子どもに学ぶ教師の会(山形の会)

4 後援 山形市教育委員会・寒河江市教育委員会

  山形県教育委員会へも,後援申請中

5 講師 西川 純 先生(上越教育大学教授)

6 内容・日程(予定)

 13:00 受付開始

 13:15 開会

 13:20~ 14:35 西川純先生による講演

 14:35~ 14:45 質疑

 14:45~ 15:00 休憩

 15:00~ 16:15 『学び合い』の授業実践・研究の報告, 質疑

  ○阿部隆幸(福島県本宮市立糠沢小学校)

  ○高畠拓嗣(山形県村山市立楯岡小学校)

  ○佐藤勝則(山形県白鷹町立鷹山小学校)

  ○本川 良(宮城県石巻市立二俣小学校)

  ○中島千博(長野県生坂村立生坂中学校)

 16:15~ 16:45 講演者, 発表者と語るフリートーク

 16:50 閉会(17:10~19:30 ミニ懇親会)

7 参加費  資料代として2,000円 (懇親会費3000円は別途)※当日集金します。

8 お申し込みの方法 ※以下のいずれかの方法で,事務局佐藤勝則宛,お申し込みください。

  Eメール katu-nori-s☆nifty.com (できるだけ,メールでお願いします。)☆を@に変えてください。

 ☆参加お申し込みに当たっては, 次のものをご記入ください。

  1 お名前 2 お勤め先 3 ご住所 4 電話番号かメールアドレス  5 懇親会ご参加の有無

[]気楽な出張 13:59 気楽な出張 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 気楽な出張 - 西川純のメモ 気楽な出張 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今週の土曜、日曜は福井への出張です。その用意をし始めて、ふと、気づきました。今回の出張は気楽なのです。

 今回の出張はある学会の全国大会が福井大学で開催されるためです。私の仕事は学会誌編集委員長として理事会に出席することと、座長として1時間半を勤めることです。前者の場合は、居並ぶお歴々の末席に座っているだけで話が進むと思います。後者は、座っていれば発表者がちゃんとやるでしょう。いつもの出張は「私」の講演会ですので、背負うべきものが多い。それに比べれば気が楽です。何よりも、何の準備の必要がないことが、準備をし始めて気づきました。

[]本日の異学年 10:15 本日の異学年 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本日の異学年 - 西川純のメモ 本日の異学年 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は別な学年の組み合わせで異学年の『学び合い』を参観しました。笑っちゃうほど、良い結果です。校長先生はじめ、該当クラスの担任の先生、そして参観している別なクラスの先生、また介助員の顔が、とっても嬉しそうな顔で、それを見ている私が幸せになれました。最後に、「でしょ、だから異学年は簡単なんですよ」と偉そうに校長先生に語りました。

追伸 授業を参観している校長先生が特別支援のための介助員の方に、「どうする?これじゃ、失業だよ」と笑って言うと、「校長先生、次の学校の紹介お願いします」と笑って応えていました。

追伸 この介助員の方の我々に対しての対応の変化が興味深いです。昨年、我々がその学校に入ったときは、「どこかの大学の先生が入るみたいだけど、やっと私が何とかしている○○さん、○○さんを引っかき回されてはたまらない」というお気持ちが、ありありと感じられました。しかし、『学び合い』による、その子たちの激変をもっとも理解していただきました。今では、我々の最大のシンパです。なにはともかく、結果ですね。

08/09/10(水)

[]教師の仕事 22:20 教師の仕事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の仕事 - 西川純のメモ 教師の仕事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

我々が受ける質問の典型に、教師が教えないなら教師ではないというものがあります(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20060518)。我々は教えないというわけではありません。ただ下らんことは教える必要はないと考えています。教師の仕事は人の道を教えることだと思います。が、なかなか分かってもらえません。その質問を受けるために、「あ~・・・」と思いながら毎度考えることがあります。

 平時の名君は乱世の暗君であり、乱世の名君は平時の暗君である、ということです。良い職人とはどんな人でしょう。平時にあっては、決まり切った毎日を、誠実にこなすということです。師匠から、これをやり、あれおやり、そして、これをやり、という一つ一つの段階を手を抜かず、愚直にやり続けることによって、安定して質の高い製品を出すことが出来ます。そこが職人の職人たる所以です。だから、良い職人の特徴として「頑固」というものがあります。

しかし、その師匠から聞いた一つ一つのプロセスには意味があります。そして、それは不磨の大典ではありません。多くの先人が吟味して作られたプロセスなのです。平時においては今やっていることを頑固に誠実にやればいいのです。しかし、変革の時においては吟味をしなければなりません。その吟味を出来るか出来ないかのポイントは、プロセスに誠実であるか、結果に誠実にあるかです。

今の世の中、過去の方法のままでは問題が解決できません。が、それに目を背けて、今までやっていたことを誠実に頑固にやることを善とする職人、怠惰ではあるが、善意からはっするだけに否定するのが辛いです。

[]異学年発進 22:20 異学年発進 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 異学年発進 - 西川純のメモ 異学年発進 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、学校として異学年の『学び合い』を始められた学校に参観に行きました。異学年の『学び合い』は、良いな~、と毎度思います。特に本日思ったのは、教師の『学び合い』です。同じ子どもを指導する場を共有する二人の教師が、ごく普通に授業のことを、その場で語り合っている姿は、いいな~っと思います。語り合わなくても、見合う、いや、その場を共有するというだけで、どれほどのものが互いに学べるかを、本日、私は学べました。同志各位が『学び合い』で見ることが出来る子ども同士の関係を、本日、教師同士の関係の中で見いだせました。

 合同クラスの『学び合い』には無限の可能性がある、と感じました。いいな~

tomkicktomkick2008/09/10 22:41>教師が教えないなら教師ではないというものがあります。

おそらくレベルの違う話をしていると思いますがご了承ください。
『学び合い』をしている方が,困っている「教えない」という行為は,教えてしまったら『学び合い』ではないということへの恐れから来ているのではないのでしょうか。
子どもに気づかせなくてはならない。
教師がかかわると後退したことになる。

こういう思いをブログに書いている方が多いと思います。
西川先生のおっしゃる通り『学び合い』が教室の文化になって教師がそんなことをしなくてもいい状態を作るが教師の最大の仕事であると思います。
ただ,その成立過程の中では「教える」ということも必要な場面が多々あるということですよね。
忘れてはいけないのは,それは子どもたち同士で取り組めるための過程でのことであって,それこそが教師の仕事だと考えるのではないということである。
これが『学び合い』は考え方であるということなのではないでしょうか。
その場に応じて「教える」か「子どもに考えさせるか」は,結局教師が選択する方法であって,考え方ではないはずです。
子どもが「考える」。子どもが「教えてと言ってくる」。
そういうことを子どもが選択する場を作るために,教師は日々奔走するというのが『学び合い』が推し進めている教育改革なのだと僕は理解しています。

でも,誤解しているかもしれません。すいません。

jun24kawajun24kawa2008/09/10 22:48はい、その通りです。
それをしつこく書いており、語っています。

tomkicktomkick2008/09/10 22:57西川先生
お返事ありがとうございます。

>それをしつこく書いており、語っています。
その通りですよね。その通りなんですが,この「教えない」ということ一点が,強烈に方法としての『学び合い』の面を強調して伝わっていくように感じています。
特に,西川先生が「学び合い」との違いを強調する時に,この「教えない」という面がどうしてもクローズアップされるように思います。西川先生は,「考え方」として違っているといおっしゃっていますが,比較する過程で浮かび上がってくるのは,一方は教師がテクニカルにつないで行って,一方は教師が「教えない」というやり方なんでしょう,と理解されてしまのではないでしょうか。
これは,このコミュにいる人でも感じてしまうところがあるような気がします。(いなければそれでいいと思いますが。)
前に,僕が生意気にも,「教えない」ということが,子どもが走言う目で見るからという理由だけなら,そこまで強調しないほうがいいのではないかということを書いたのは,漠然とそう感じたからかもしれません。
子どもがお互いに学び合う過程の中には,教師が教える場面は多々ある。多々あるが,徐々に減らしていく。
ただし『学び合い』は考え方であるが,初期のテクニックとして『学び合い』を成立するやり方がある。この中では,極力教えることを排除して,子ども同士を結び付ける語りや声かけが存在している。でも,それだけをとって「教えない」ということが『学び合い』ではない。

という風に僕は勝手に理解しています。すいません。

jun24kawajun24kawa2008/09/10 23:07はい、了解しています。
私が悩むのは、じゃあどうしたらいい?です。良い「方法」があるのなら教えて下さい。あはははは
不遜ながら・・・。私の語りの問題ではなく、受け取る側の方々が持っている枠組みの問題だと思います。私は「Aが大事だと思われていますが、Bの方が大事です」と語っているのですが、Aが大事でない、と言う部分で頭がいっぱいになってしまって、Bが・・・の重要性を理解いただけない。でも、しょうがないと思っています。というのは、私が恐れているのは『学び合い』が学び合いになることなんです。
でも、どうしたらいいんだろうな・・・・ということは、いつも考えています。教えて下さい。

chinjichinji2008/09/10 23:09まさしく「教えちゃいけない病」の私です。
最近、いろいろな方からのアドバイスをもとに「方法はみんなが決めていいんだからね。でも、先生はいい考えたを知っているよ。こんな方法もあるんだぞ。」という方法をとっています。それで、さらに子ども達の活動が活発になれば、「よし成功!」なんて感じながら実践しています。

なかなか皆さんの理論に脳みそがついていけないことがあるのですが・・・・、へこたれず進んでいきます。

今度、私の学校でも異学年を増やしていこうと思います。複式校なので4学年で。いずれは6学年もありかなと。バタバタになっちゃうかなあ。

jun24kawajun24kawa2008/09/10 23:11教師が教えるならば、単純な集団が楽です。でも、『学び合い』でやるならば、集団は複雑の方が楽ですよ。

tomkicktomkick2008/09/10 23:18西川先生
重ね重ね失礼な僕の発言にお付き合いいただいてありがとうございます。

>私の語りの問題ではなく、受け取る側の方々が持っている枠組みの問題だと思います。
これは,悲しいかなその通りなのだと思います。
僕は,全然別の部分から『学び合い』のほうにたどりついたので,『学び合い』は考え方であるという枠組みを受け入れやすかったのかもしれません。(偉そうに・・・(^^ゞ)

>でも、どうしたらいいんだろうな・・・・ということは、いつも考えています。教えて下さい。

これこそ,僕のような若造が語ることではないですよね。『学び合い』を広げようとされている方々の助けが必要なんですよね。
西川先生の語る話を,われわれが現場でどうやって伝えるか。どのように持ち帰るかということであって,それこそがこのコミュの役割なのでしょうね。
でも,そこには誤解の幅がある。
僕が伝えようとうしているのが,『学び合い』ではなく,勝手に誤解してしまっている『学び合い』なのではないかという不安は常に付きまとっています。

tontan2tontan22008/09/10 23:34私たちが教えなくてはいけないのは、「どう学ぶべきか」ということだと思っています。

jun24kawajun24kawa2008/09/11 06:23tomkickさんへ
学校観・子ども観に照らして考えれば良いことです。『学び合い』は常に進化しいます。あくまでも相対的なものです。
tontan2さん
まさに、それがパラダイムシフトだと思います。多くの授業研究会に端的に表れていますが、「どう教えたか」が現状ですね。

tomkicktomkick2008/09/11 06:49西川先生
ありがとうございました。
>『学び合い』は常に進化しいます。

力強い言葉ですね。安心できました。大変すっきりしました。
ありがとうございます。

08/09/09(火)

[]同志の方へ 23:12 同志の方へ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 同志の方へ - 西川純のメモ 同志の方へ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近は、これからトライする方へのメモが多いですね。と、ある同志から指摘されました。そうですね。そこで、苦労の多い現在、実践している同志の方へのメモです。

 小学校の先生は人口当たり0.34%、中学校の先生は0.22%、高校の先生は0.23%です。ニッパチ理論から言えば、その内の2割が革新者(確信者)になれば全体が動かせるのです。つまり、小学校に関しては人口当たり0.068%、以下、中学校は0.044%、高校は0.046%です。これを100万人当たりに換算すれば、680人、440人、460人に過ぎません。それぞれの都道府県の方は、これを元に換算して下さい。(自分の市町村に置き換えると、ビックリするほど少ない人数ですよ)

 『学び合い』の意図的な研究・実践が始まったのは平成9年からです。しかし、当初は学術を中心としたものであり、広がりは西川ゼミ出身者を中心としたものでした。その方向性を変え、フォーラムを新潟で立ち上げたのは2005年8月です。参加者は44名でした。たった3年前です。それが、今年は山形、宮城、群馬、埼玉、新潟、長野、大阪、島根で開催されます。開催されたフォーラムに参加された方であれば、参加者の数、多様さを実感されていると思います。現在では北海道から沖縄までの48都道府県の殆どに、同志がいます。と、豪語できるようになりました。

 「子どもたちが小学校から高校までの12年間、安心して学べる時間を確保し、その子が生涯を過ごせるコミュニティーを獲得できるに必要な人数」と、この数年における広がりの速度を比べれば、明るい展望が見えるのではないでしょうか?私が恐れるのは、広げることに重点を置き、『学び合い』が学び合いになる、その一点です。十人の誤解者を得ることより、一人の本当の理解者を得ることの方が大事です。一人の理解者が出来れば、二人で伝えることが出来ます。誤解者を生み出せば、誤解者の広める誤りを正すためにエネルギーを費やさねばなりません。

 子どもとともに、正しく伝えましょう。皆さんには少なくとも数十人の教え子という同志がいるのです。

追伸 戦いはエネルギーの損失ですから。不必要な戦いは避けて下さいね。相手も数ある職業の中から教師を選んだ善意の人です。最終的には分かってくれます。ただ、今の我々には、その力がないだけです。結局、ホモサピエンスへの最強の説得方法は、「みんながやっている」ですから。あはははは

[]どこが違うか 10:19 どこが違うか - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - どこが違うか - 西川純のメモ どこが違うか - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』を実践して、同じ課題を与え、同じように任せたのに子どもの動きが違うことはよくあることです。究極的には神様の思し召し、星の動きによって決まるのかもしれません。が、一応、分析します。

 少なくとも初期段階は簡単にできます。だからこそ信州大学の三崎先生や、本学の水落先生は出前授業で『学び合い』が出来るのです。もちろん、三崎先生・水落先生の授業能力は凄いことは当たり前ですが、仮に、そうであったとしてどんな学校の、どんな教科でも『学び合い』が実現できるのは、それは『学び合い』が実は簡単だからです。そしてお二人の凄さは、『学び合い』は簡単であることをよくご存じである点です。少なくとも、『学び合い』を1年以上実践した方なれば、他の学校段階の他の教科でも出前授業が出来ます。でも、一方で初期段階で悩む方も多いのも事実です。何故でしょう?

 私がその段階の先生方の授業を直に見たり、ビデオを見ると、その原因は分かりやすいぐらいわかりやすい。

1) 学び合いと誤解している

世に多い、学び合いと同系列だと考えているために、机の配置、学び合う時間(学び合えない時間)、学び合う相手をこまめに指定しコントロールしています。これだと『学び合い』ではないので、その結果は今まで通りの子どもは沈滞し、教師にスポットライトが当たる活動になります。

2) 個を見て、集団を見られない

典型的な行動としては、駄目な子をしかりまくります。一方で、褒めることが少ない。褒めることによって、集団を動かそうとせずに、その子を褒めてしまいます。

3) 焦る

不安であると、行動に出ます。典型的なのは対処療法を雨あられとやり始めます。例えば、うるさいぐらいに可視可をします。また、個に対する対処療法をし始めます。しかし、あまりにも教師が動きすぎるので、『学び合い』のコアとなるべき子が混乱します。その結果、遊ぶ子が闊歩します。『学び合い』を1年以上続けると、焦る気持ちが大幅に減ります(0にはなりませんが・・)。

4) 考えない

「焦る」気持ちを抑えるために、何もしない人もいます。しかし、我々が控えるのは、細かいことを個に対応することです。一方、全体に対して、大事なこと(つまり人の道)を語ることは大事です。例えば、ある子が問題を起こしたとき、その問題が大きくなることを防ぐよりも、そのことを通して、クラス全体に人の道を語ることは常にやるべきことです。

5) 子どもたちの動かし方が下手

一斉指導のうまい先生は、『学び合い』をやっても違いが出ます。それは、子ども集団の動かし方がうまいからです。おだて、脅し、からかい、笑わす・・・、それらは『学び合い』においても、あれば有利なテクニックです。黙って隷属させる一斉指導では、それをしなくても子どもは隷属します。しかし、『学び合い』では子どもが自分の頭で考えなくてはいけません。だから、あると便利です。が、必須ではありません。

 今までの授業分析では、授業がうまくいかなかった場合、「あの発問が・・」とか、「あの板書が・・」とかのレベルで語られます。もちろん、『学び合い』でもそういう場合はあります。しかし、『学び合い』では、それを引き起こした教師の心に結びつけて考えようと思います。ある日の授業の善し悪しは、その日の教師の行動の結果かもしれません。でも、クラス創りが出来ていれば、安定した結果を得ることが出来ます。そのクラス創りは教師の心のありようによって定まるからです。

追伸 出前授業で出来るのは初期段階間です。次の充実段階に進むに必要な「みんな」の徹底は、これはクラス担任・教科担任が数ヶ月をかけてのみ創り上げられる文化です。ここに担任のすごさ、大事さがあると思います。

MizuochiMizuochi2008/09/09 20:07褒められたんでしょうか・・・?
なんかソワソワしますが。。。(笑)

jun24kawajun24kawa2008/09/09 21:44あはははは
ほめたと同時に、責務を肩に・・・
西川研究室ではおなじみのあれです。

yu-rikiya-ta-35yu-rikiya-ta-352008/09/09 21:52*ピンポイント
コメントをするとそれに対するお応え直ぐ来るのが西川先生の凄い所です。M先生の出前授業を観て方向性間違いないと確認できました。しかし私の実践は、まだ初期段階であると言うことも西川先生からのお話で分かりました。それでは、みんなを徹底して充実段階に進むにはどうすれば良いかと言うことですよね。今回M先生の出前授業に学年の先生方が参加して、理論も実践も素晴らしいと感動していました。しかし、校長先生と私のとの軋轢をうすうす感じている先生方は取り組むことに躊躇しているようです。私一人の力では、どうしよもないことでも学年の先生方、学校へ・・・と広めていけばクリヤ-できるのではないかと思っています。今、学年の先生方が熱くなっている時がチャンスかなと思っています。ここは、強引に押すべきですよね。

jun24kawajun24kawa2008/09/09 21:56あはははは
政治をして下さい。
『学び合い』は考え方です。一斉指導のふりはいくらでもできるはず。
したたかに!

yu-rikiya-ta-35yu-rikiya-ta-352008/09/09 22:12*私は、今の学年集団だったら校長先生の考え方を変えるのは、可能かなと考えています。口べたな私をいつもホロ-してくれ九からです。君は、だらしないな-と言われそうですけど・・・。それが、「学び合い」なのかな~(お互いに支え合っていく。)

jun24kawajun24kawa2008/09/09 22:15ようは、結果です。
したたかに
期待しています。

yu-rikiya-ta-35yu-rikiya-ta-352008/09/09 22:53面と向かって会話しているように即座に返事が返ってくるので吃驚しています。短いさりげない返事ですが・・・ズッシトきました。なんやかんや言っても結果ですよね。

jun24kawajun24kawa2008/09/10 06:24はい、そうです。期待しています。

08/09/08(月)

[]私の講演会を聞いた方へ 17:36 私の講演会を聞いた方へ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 私の講演会を聞いた方へ - 西川純のメモ 私の講演会を聞いた方へ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先ほど、佐賀で講演会を聞いた方からの自由記述のアンケートの一覧が届きました。私は、「西川の馬鹿野郎!」と書いていないかびくびくして読んだのですが、熱意あふれるものでビックリもし、ほっともしました。講演会の企画者より、会議を通じて参観者の学校に伝えるので「ご指導」をいただきたいとのご依頼がありました。以下が、その返答です。これは、私の講演を聴いていただいたすべての方へのメッセージです。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 『学び合い』で一番の障害は「やる」と一歩進めることです。私はよくバンジージャンプに例えます。バンジージャンプが安全であり、かつ、新鮮な経験を得るであろうことを知っていたとしても、あと一歩、歩みを進めることの難しさは当然のことです。もし、一歩を進められたとしたならば、これから出会う障害の大半を超えています。それを喜びます。

 しかし、『学び合い』は今までの教育の考え方と革命的に違います。HPの手引き書を見ても、本を読んでも、誤読する場合があります。自分の実践が正しいのか、不安になるときがあるでしょう。そんなときは遠慮せずに、私にメールで相談してください。私はちゃんと返信します。あなたがあきらめない限り、サポートし続けます。『学び合い』はとてつもなく簡単です!しかし、あまりにも簡単すぎて信じられず、いらざることをしてしまい失敗することがあるでしょう。その場合は、「これこれのことは不要ですよ。だって・・」とご説明申し上げます。また、不安になったら、「大丈夫。みんなが通る道ですよ。明日の授業で、これこれのところを見てください。きっと、・・・」と勇気づけいたします。私が一人で背負いきれなかった場合は、『学び合い』を実践しているみんなでサポートいたします。

 さて、一歩が踏み切れない方へ

 踏み切れないのは当然かもしれません。不安なのも当然です。大事な子どもたちの教育なのですから、革命的に違う『学び合い』を受け入れるに躊躇するのは「健全」かもしれません。しかし、考えてください。現状のクラスには、2割以上の子どもは授業についてきていません。その子はどのような思いで時間を過ごしているのでしょうか?みんなが出来るのに、自分は分からない状態で過ごす時間は、教師となるような我々でさえ、大学では経験したと思います。その苦痛、不安を思い出してください。2割以上の子どもは、そのような時間を1日に6時間味わっています。そして、その1日の積み上げを、小中高で12年間味わっているのです。恐ろしいことではないでしょうか?そして、クラスの過半数は、そのような同級生がいることを知っているのに、考えないようにしています。恐ろしいことではないでしょうか?

 実は教師も知っているが、考えないようにしています。なぜならば、どうしようもないことだと諦めているからです。たしかに、今までの教育ではどうしようもないことです。しかし、みなさんは、「もしかしたら何とか出来るかもしれない」道を知ってしまった。仮にかすかな可能性であっても、是非、トライしてほしい。そして、実際はかすかな可能性ではなく、確かな可能性と我々は信じています。

 目を背けないでください。目を背けるには、恐ろしすぎます。一人でトライするわけではありません。全国では、多くの先生がトライしようとしています。いっしょにやりましょう!

[]子どもを有能だと思う 15:24 子どもを有能だと思う - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子どもを有能だと思う - 西川純のメモ 子どもを有能だと思う - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々は子どもたちは有能だと思っています。しかし、「子どもは無能だ」と公言する教師は少ないでしょう。善意の先生方だったら、「子どもは有能だ」と言うでしょう。では、どういうときに、『学び合い』とその他と違いが出るでしょう。

 まず、その「子ども」とは個人をイメージしているか、子ども集団をイメージしているかで分かれます。はっきり言います。その課題に関して、有能な子どももいますが、無能な子どももいます。個人の子どもをイメージして「有能」と言う先生は、次の瞬間に無能な子どもを見ると、「子どもは無能だ」と言い出します。ところが、『学び合い』において子どもとは、子ども「たち」のことを指します。有機的に結びついた子ども「たち」は常に有能です。

 次に、「これこそが教師の仕事だ!」とか「教師にしかできない!」と思いこんでいることをしなくても目的としている課題達成をしている姿を見たときの反応に現れます。

 一斉指導の考え方の場合、「そんなこと出来るはず無い」と考え、出来ない理由を見いだそうと「努力」します。それが見いだせない場合は、「その学級の特殊性」を主張します。それが出来ないと、「自分の学級は出来ない」と自己の特殊性を主張します。結局、認めたくないのです。『学び合い』のライブを見た教師の一部に見られる兆候です。

 これは、我々に当てはめると、面白いですよ。例えば、現在の『学び合い』では、「指導要領を教室に置く」ことはやっています。また、好きなもの同士で集まりたがる傾向を持つ子どもたちに「みんな」を求め続けることは「教師の仕事だ!」と主張しています。もし、指導要領も置かず、「みんな」も求めないのに、トータルな課題達成を安定して実現できるというクラスを見た時の行動です。

 もし、「そんなこと出来るはず無い」と考え、出来ない理由を見いだそうと「努力」し、それが見いだせない場合は、「その学級の特殊性」を主張し、それが出来ないと、「自分の学級は出来ない」と自己の特殊性を主張するとしたら、その人は『学び合い』を実践しているようで、本質的には一斉指導なのだと思います。

 少なくとも、今現在の『学び合い』が一斉指導の人からは信じられないレベルに達しているのは、過去のその時点で「そんなこと出来るはず無い」と思える実践を目指しており、それを目の当たりにしたら、とても素敵だと考えたからです。

 つまり、世の学び合いの中で同志となり得るか、否かの試金石は、我々の実践を見て「本当だったら素敵だ」と考えるか、「アラ」を探そうとするか、です。

[]比較 09:55 比較 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 比較 - 西川純のメモ 比較 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私のブログを読んでいる方ならお気づきだと思いますが、私は基本的に個人特定される対象に対して否定的なことは書かないようにしています。かなり過激なことを書いているようですが、よく調べれば、そこのところは意識的に避けています。理由は、いらざるエネルギー損失を避けるためです。

 が、このメモではあえて書きます。ただし、私の本意は、「『学び合い』とは違う」ということを書きたいのであって、「駄目だ」という訳ではありません。少なくとも、私の考えとは違うということです。このことは、何度も書いていますが、何度も聞かれるので定期的に書かなければなりません。

 『学び合い』は学び合いと銘打っています。世には学び合いの実践は山ほどあります。そのため、その一種だと誤解される場合があります。が、間違われることが侮辱に感じられる場合は少なくありません。理由は、どう考えても「子ども」が学び合っていないからです。例えば、モナリザとそれを素人が模写したものの違いみたいです。まあ、「似ていると言われれば、似ている部分もあるかな?」というレベルです。

 しかし、似ている部分もあるな~と感じるものもあります。そして、敬意を表するに実践もあります。が、それでも「それと同じですか?」と聞かれると、否定的な意味を出さないようにして(でも、表現上、そうなってしまうことを恐れながら)「違います」と説明せざることがあります。そのもっとも多い事例は、○山市の学び合いと、T大のS先生の学び合いです。

 ○山市の学び合いは、市レベルで実践していると言うことに深い敬意を表します。市レベルでやるのは、個人レベルでやるのとは全く違います。凄いと思います。が、『学び合い』とは全く違います。理由は、全国学力テストを拒否した点に端的に表れます。子どもたちが関わり合うことに重点をおいており、関わり合うことによって課題を達成することを学ぶとは違います。別な言い方を言えば、心と学力を分離可能と考えています。『学び合い』は人との関わりによって、その有効性を実感しますが、その有効性を実感するのが学力であって良いのです。いや、現状の法規上、また、保護者・子どものニーズから考えれば、学力であるべきです。この違いは、善意の先生方の学び合いに共通するものです。何か業者テストに端的に表れるものを目指すことが、何か不浄のもののように感じるようです。まるで性やお金を不浄と表では言いつつも、実際はそれにカリカリしている近代の人間のようです。そんなことにカリカリせずに大らかに考えればいいのにな~っと思います。

 S先生の学び合いは、もっと奥が深いと感じます。学び合いを人間の本性ととらえ、それを学校教育で実現しようという方向性を感じることが出来ます。しかし、私が理解出来ないのは、そんな本性が複雑な手を入れないと実現できないと考えている点です。言うまでもなく、現在の学校教育が制度化されたのは200年程度のものです。それ以前に、数百万年の人類の歴史があります。我々は学び合いを原始人の時代からある人間の本性だと考えています。そう考えると、S先生の実践校での学び合いは手を入れすぎている、と感じるのです。一言で言うと、子どもを信じられないのです。そして、ホモサイエンスという種を信じられないようです。(信じてもらえれば、『学び合い』と同じになると思っています)

 一斉指導という現在の学校教育は、いずれも子どもを信じないということが基礎です。その意味で、上記のすべては一斉指導に含まれます。一斉指導による学び合いなのです。私が困るのは、一斉指導に対して学び合いがあり、その学び合いの中に『学び合い』が含まれていると理解されている方が少なくない点です。しかし、一斉指導に対して『学び合い』があり、一斉指導の中に学び合いが含まれているのです。

 子どもが信じられない、ということが正しいならば、一斉指導は正しい。逆に、子ども「たち」は信じられる、ということが正しいならば、『学び合い』は正しい。どちらが正しいかは、結果が明らかにしてくれます。

 繰り返しますが、私の意図は、「『学び合い』とは違う」ということを書きたいのであって、「駄目だ」という訳ではありません。少なくとも、私の考えとは違うということです。子どもが信じられないことが正しいならば、『学び合い』は誤りで、一斉指導が正しいのですから。ただ、私は子どもを信じており、信じるに足る実践・学術を積み上げております。

[]雪の瀬川 09:11 雪の瀬川 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 雪の瀬川 - 西川純のメモ 雪の瀬川 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ipodに落語を入れて、片道1時間ほどのを歩いています。本日は、柳家さん喬の雪の瀬川です。いい話し手、いい話だった。涙をボロボロ流しながら歩いていました。

 客観的に見れば、不審者ですね。

[]『学び合い』とは何か 06:57 『学び合い』とは何か - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』とは何か - 西川純のメモ 『学び合い』とは何か - 西川純のメモ のブックマークコメント

 改めて書きます。『学び合い』とは「学校は人との関わりを通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の仲間であることを学ぶ場である」という学校観と、「子どもたちは有能である」という子ども観です。あとの全ては、この二つの考えに基づき、引き出されたものです。

 授業方法のレベル、ましてや、その場でどのように対応するかのレベルは、その人の判断はありえます。「○○流」、「○○式」・・・もあり得ます。また、私が講演で語る事例・方法、書籍や手引き書で書いてある事例・方法に違うこと、反することをすることもOKです。しかし、上記二つの考えに反したら、『学び合い』ではありません。

 たとえば、「人の関わりは大事だよな、でもね、受験戦争が・・・」と考え始めたら、そりゃ『学び合い』ではありません。また、「でもね、このあたりは子どもは出来るはず無い、これをするのが教師の仕事だ」と方法レベル(目的レベルではありません)を語り始めたら、『学び合い』ではありません。

 もちろん、人の心は弱いもの、また、現実の「対処療法」はありえます。でも、心のやましさがあるべきです。たとえば、「本当は、ここを子どもに任せるべきだが、とても踏み込めない・・」とか「ここの部分は、自分がやりたいな~」と思うのはありです。私だってあります。ただ、目指すべき方向性は変わりません。

 平成9年から本格的に『学び合い』の研究・実践を続けています。今から考えれば、平成9年頃の実践は、テクニック的であり、子どもを信じていなかった。しかし、その頃から学校観と子ども観は不動でした。だから、毎年、二つの考え方に照らして、改善を続けました。今後も、実践研究を深めるでしょう。そして、現在の実践を「未熟だ」と笑うでしょう。しかし、その方向性は過去も今も未来も不動です。

 『学び合い』は考え方です。状況によってころころ変えられるような方法とは違います。ただし、それは方向性です。それは今、成り立っていなくても良いんです。それを「常」に目指すところが重要です。

ybhdv7ybhdv72008/09/08 07:40よーく理解できます。
自分なりに考え方を咀嚼した今はのびのびと生徒に接しています!
いろんな考え方に否定的にならずに受容できるようになってきたのが不思議です。

jun24kawajun24kawa2008/09/08 09:03君の自慢話を聞けることを、首を長~~~くして待っています。

iku-nakaiku-naka2008/09/08 12:53いろいろ思うことはありますが、とりあえず再スタートを切ろうと思います。ブログの方は後ほど更新したいと思っています。ご心配をおかけしましたが、自分の足でしっかり立って歩み出そうと決心しました。今後ともよろしくお願いします(深々と礼)。

jun24kawajun24kawa2008/09/08 12:57いろいろあったのだと察します。苦労されている同志に等しく語ることは、大儀は我にあり、そして、あきらめない限り負けません。

J.SASEJ.SASE2008/09/08 13:43T大のS先生の協同学習について書いている本を読みました。グループ学習が協同学習ではないなど、一斉授業との差別化している点は『学び合い』に近いと感じました。

jun24kawajun24kawa2008/09/08 15:08はい、似ている点は多いと思います。ただ、子どもを信じ切れないという1点は、決定的な違いだと考えています。まあ、おそらく「信じている」とお思いなのでしょうね。そのあたりは、直ちにメモに補足します。

kogapon7kogapon72008/09/08 20:18T大のS先生について。
非常に西川先生に考え方が似ていると思います。
先日の研究会でこんなことをおっしゃっていました。
「学校は子どもの力を借りないと変わらない。」
「29人いれば29通りの学び方がある。どれが優れているかとか
 優劣は決められない。(このことを幼稚園の子どもを1年間観察して証明しようと挑戦されています。)」  など。

すみません。時間がないのでここまでにします。

ながたくながたく2008/09/08 20:38ぼくは、自分の師の方が先生の考えに近いと思います。
○市は神崎先生やぼくの住んでいるとなりの町です。
あまりいいうわさは聞こえてこないです。
実際のところは学び合いではないかと思います。

神崎先生の素晴らしいうわさは聞こえてきます。

jun24kawajun24kawa2008/09/08 22:12kogaponさんへ
はい、S先生の本は私は大好きです。目指しているものは同じだと思います。繰り返しますが、子どもをどれだけ信じられるか、の1点の違いだと思います。
ながたくさんへ
Kさんがこれを読んだら、すごく喜ぶよ。ああははは

08/09/07(日)

[]リスク管理 17:46 リスク管理 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - リスク管理 - 西川純のメモ リスク管理 - 西川純のメモ のブックマークコメント

事例1

 Aという伝染病の予防接種を2割の子どもが現在受けています。そのためAが流行すると8割の子どもはAに感染します。しかし、4割の子どもは自己免疫力でほとんど症状が発症しません。4割の子どもは医者の処置で軽くすみます。そして、2割の子は1週間弱お休みをします。

事例2

 Bという伝染病の予防接種を2割の子どもが現在受けています。そのためBが流行すると8割の子どもはBに感染します。しかし、4割の子どもは自己免疫力でほとんど症状が発症しません。4割の子どもは医者の処置で回復します。そして、2割の子はBのために死亡します。

 さて、事例1と事例2での親の対処の仕方は全く違うでしょう。おそらく、事例1の場合は、他の親がやっていることと同じようなことするでしょう。ハッキリ言えば、「しょうがない」のレベルだと認識しているのです。仮に、Aに劇的に効く薬があると聞いても、よほど確かでない限りは使わないでしょう。ましてや、「怪しい」部分があれば、絶対に使わないでしょう。

 しかし、事例2の場合は、ありとあらゆる方策を講じるでしょう。なにか薬があると噂に聞けば、とにかく調べ、万金をとして薬を得るでしょう。

 『学び合い』は一般の人から見れば怪しげな薬です。だって、「成績が上がり、人間関係が向上し、特別支援が気にならなくなり、不登校が無くなる・・・」と主張しています。怪しげな週刊誌の裏にあるダイエット薬の効能書きを遙かに超える厚顔無恥な効能です。眉唾と思うのが健全です。『学び合い』には学術的データがありますと言っても、怪しげなダイエット薬の効能書きにも「医学博士の推薦」はありますもんね。そんなもの可愛い子どもにやるわけ無いですよね。リスク管理としては正しい選択です。が、上記のリスク管理が正しいのは、現状の学校が事例1と同レベルだと考えた場合です。

 現状の学校では、2割の子どもは塾・予備校・通信教材によって、学校で勉強する前に分かっています。そして、3割程度の子どもは、教師が何も教えなくても教科書と市販の参考書で理解します(自分の学校時代を思い出してください)。そして、3割程度の子どもは、教師の指導によって、それなりに理解は深まります(ただし100点に達しない子どもが大半です。90点以上に達しているのは、先に述べた2割+3割の子どもが大半です)。そして、2割の子どもは全く分からないままです。この2割の子どもが分からないままでいる状態を「1週間程度のお休み」と考えるか「死亡」と考えるかで、教師の取るべき道は全く違います。残念ながら多くの教師は「1週間程度のお休み」でしょうがないレベルと考えていると思います。それ故、殆ど何もしません。

 不遜ながら言います。7割の子どもを分からせ、十割の子どもを分かった気にさせるぐらいだったら『学び合い』によらずとも「私」は出来ます!(だって2割+3割の子どもは私が何もしなくても出来るようになりますから。そして、声がけと評価の仕方で、いくらでも分かった気にさせるのは可能ですから。あはははは)。しかし、私がねらっているのは、十割の子どもを分からせることなのです。私が何故、十割をねらっているか?学校で習うことの全ては万人がすべからく学ぶべきものでは「ありません」。分からなくたって良いと確信しています。でも、私は十割に分かって欲しい。なぜなら、他の人が分かっているのに、自分が分からない状態で1時間を過ごすことが、いかに苦しいことかを知っているからです。その苦しい時間を、人生で多感であるべき時代の毎日6時間、そして、それが1年間、そして、それが小中高で12年間も続くことの恐ろしさを分かっているからです。それから発生する序列的な価値観は、いじめや不登校を引き起こします。

 今の学校では、本当に学ぶべき、他人と折り合いをつけて課題を達成することを学ぶことなく、「学校を卒業すれば忘れるであろう膨大な知識・技能を習得する」と「その理由を理解せず、教師の指示に隷属するという「躾」」のために、日本人の多くが十数年間の懲役刑に処されている。と私は理解しています。そう理解した教師(特に管理職)のリスク管理は、事例1におけるリスク管理とは違うはずです。もちろん、怪しげな薬を直ちに学校全体の子どもに飲ませることではありません。しかし、あらゆる薬を必死で学ぶことだと思います。

 ある同志のコメントに触発されて・・・・

追伸 私は分からない人からの恨めしそうな目が怖くて怖くてしょうがないんです。

[]本の価値 09:35 本の価値 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本の価値 - 西川純のメモ 本の価値 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 地方都市に住んでいるのでアマゾンで本を注文することが多いです。それを見ると、本の価値がよく分かります。一時のはやりで売れた本は、かなり安くなります。「1円」ぐらいで流通する本があると、「この本は駄目な本です!」と野ざらしになっているようで哀れです。他山の石です。

yu-rikiya-ta-35yu-rikiya-ta-352008/09/07 21:03<ある同志のコメントに触発されて・・・・
私のことかな?
「学び合い」へ取り組むようになるきっかけは人それぞれ違うと思います。私自身の場合は、学級経営が上手くいかないという危機的状況の時「光が見える」?というようなタイトルの新聞に西川先生の特集記事が載ったのがきっかけでした。「学び合い」に取り組むようになってからは、以前のように学級経営で悩むことはなくなました。もっと子供達を高めるにはどうしたいいのか?学年で学校全体で取り組むにはどうしたいいのか?と言うことです。もちろん以前とは、比較にならないくらい充実しています。自校を飛び越して他校では、学校全体であっという間に取り組んでいます。まあそういう面での力が自分には、ないというのは分かってきました。今学年の先生方が理解しようとしています。それが学校を変えるかも知れません。何か楽しみです。
<追伸 私は分からない人からの恨めしそうな目が怖くて怖くてしょうがないんです。
の意味がよく分かりません。スミマセン。

jun24kawajun24kawa2008/09/07 21:54ピンポン!
追伸の意味ですが・・・
そりゃ、子どものつまらなそうな目です。
クラス中が大受けしていているように見えたとしても、子細に見れば、それが見えます。

yu-rikiya-ta-35yu-rikiya-ta-352008/09/07 22:13なるほど納得しました。ありがとうございます。
何はともあれ報告書出すという条件でうちの校長も明日のM先生の出前授業を許可してくれました。とても楽しみです。

jun24kawajun24kawa2008/09/07 22:26諦めない限り、負けませんから。

08/09/06(土)

[]何故、子どもを信じられない 22:22 何故、子どもを信じられない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 何故、子どもを信じられない - 西川純のメモ 何故、子どもを信じられない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』は煎じ詰めれば簡単なことです。教師一人がなにもかも背負うことは無理、だから、子どもたちに自分の頭で考えるよう求める方が良いでしょ?ということです。でも、分かってもらえない先生は、「子どもは無理です?」と言います。まあそうでしょうね。たしかに、それが出来ない子どももいます。個を見つめている限りは、そういう判断が働くでしょう。今の先生方は、子どもたちが互いに支え合うと言うことを信じられないようです。

 なぜ、そんなに子どもたちを信じられないのか、ふと、考えました。その結果は、おそらく、先生方が集団を信じていないのだと思い至りました。そして大人の自分でさえ出来ないことを子どもが出来るとは思えないのでしょう。たしかに今の先生方(私を含めて)は互いに支え合うということを信じられない状態にあるのでしょう。

 しかし、現在に毒されていない子どもの方が、直ぐに支え合えるのですが・・・・。それを通して、「みんな」の大事さを自分が学べるのですが・・・

[]『学び合い』の道徳(完全版) 15:35 『学び合い』の道徳(完全版) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』の道徳(完全版) - 西川純のメモ 『学び合い』の道徳(完全版) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今年、『学び合い』による道徳の実践を行いました。具体的には、子どもたちに自分たちの足りないところを考えてもらい、それを良くできるような副読本を作るというものです。小学生1年~6年の実践です。

 作品集を見せてもらいましたが、私の一言は「○○さん、教師が手を入れては駄目だよ」でした。実践した院生曰く、「何も手を入れていません」でした。子どもたちの力を信じ切っている私ですら誤解してしまうレベルです。詳しくは、実物を見てください。

 今回は完全版をアップします。HP(http://www.iamjun.com/)の「『学び合い』を学ぶためのコーナー」の「『学び合い』の玉手箱」にあります。

 読んでみると、感激ものですよ~ん!

 すべての子どもの作品を見るとレベルの高さが分かります。カラー版です。そのため全320MBです。心して、ダウンロードしてね。

ながたくながたく2008/09/06 23:41パソコンの調子が悪く、短縮版がかろうじてダウンロードできました。感動しました。本当に。涙が出ます。

子どもを信じられない。
なるほどと思いましたが、
ぼくは、不安なんじゃないかと思います。
固定概念を覆される、または、「こうである」という考え
だと思います。

ながたくながたく2008/09/06 23:43すいません、途中で切れてしまいました。

「こうである」
その考えを超えてくるのが怖い。のでないかと・・・。

osugi-symphonicityosugi-symphonicity2008/09/06 23:46ながたくさんに同意です。
僕も最近思うのが、自分自身の固定概念(パラダイム)を覆されることに対する未知の恐怖のようなものが働いているんじゃないかと思います。これは、子どもだけじゃなく、例えば企業においても、「部下(若手社員)を信じられるか」というところに置き換えられると思います。
「年少者は自分より経験がないからできない」という固定概念があるんじゃないかと思います。日本の縦社会がその背景にあるんじゃないかと感じます。

sumi-chansumi-chan2008/09/07 00:10『学び合い』道徳。アップして頂きありがとうございます。
先日、短縮版を読ませて頂いて感激しました。
今日、早速完全版を…と思いましたが、圧縮ファイルがうまく展開できません。私のiBookが非力なのか・・・

Mellow FieldsMellow Fields2008/09/07 02:42ながたくさん、osugi-symphonicityさん

もっと平たく言うと人間は本能的に変化を恐れる生き物なのだと思います。人間は進化の過程や社会の発展の過程で、固定概念を何度もひっくり返されてきました。○○革命などというのが典型だと思います。その度にこれまで信じていたこと、当たり前だった事が覆り、新たな価値観に苦しみながら順応・適応してきました。
全ての人が苦しみながらの順応ではないと思いますが、大半の人が変化に対し、その後順応できるのかが不安なのだと思います。
よくドラマなんかでも、定年間際の部長さんが「自分が定年を迎えるまでは問題(新たな変化)を起こさないでくれ!」と部下を叱りつけてるシーンが見られます。ああいうのも変化に対する恐れの一種ではないかと思います。

jun24kawajun24kawa2008/09/07 07:54皆々様へ
そうなのかもしれませんね・・・
でも、今の私は、管下の子どもたち(私の場合は20~46、7歳)が、私を超えた発想により、素晴らしい成果を出すことを知り、自分の愚かさを思い知るとき、一番感激します。
おそらく、Mellowさんのおっしゃるとおり、我々は変化を恐れています。でも、変化を予想すれば、今の私のように楽しめるような気がします。

yu-rikiya-ta-35yu-rikiya-ta-352008/09/07 12:47>我々は変化を恐れています。
そう思います。うちの校長に「学び合い」の出前授業を紹介した時の返答が印象的です。「まだ早い。」と一蹴されました。明日のK小で行われる出前授業参観にもなかなか許可がおりませんでした。子供達のために進んで良いものを取り入れようという気が最初からないから仕方ありません。

jun24kawajun24kawa2008/09/07 16:51おそらく、際物もしくは眉唾物とお思いになっているのだと思います。まあ、そう考えるのは、ある意味、健全だとも思います。あはははは

08/09/05(金)

[]山口の会 19:12 山口の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 山口の会 - 西川純のメモ 山口の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』に関連する会が、山口であります。お誘いします。お申し込みは、下記ブログのヘッダーにある、はなっこりーさんへメールしてください。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/kurochan2008/20080904

kurochan2008kurochan20082008/09/05 19:44はなっこりーです。研修会の紹介をしてくださいまして、ありがとうございます。多くの方々に知っていただき、できれば参加していただきたいと思っています。今後もよろしくお願いいたします。

jun24kawajun24kawa2008/09/06 07:16期待しています。

08/09/04(木)

[]幸せ 22:12 幸せ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 幸せ - 西川純のメモ 幸せ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 かなり以前の話です。西洋人に初めて接した南洋の人の文章がありました。それによれば、「西洋人は何故、時計を気にするのか?」、「いつ病気になるか、いつ死ぬかを心配するのか?」とその人は思ったそうです。そして、そんなこと気にしなくても、家族が腹一杯食べられるならば、それでいいんじゃないかと書いてありました。それを読んだ当時は、そんなことだから進歩がないんだ、と思いました。

 結婚して、家内があれこれと悩み私に相談します。その内容は、どこの店が安いだの、だれがこう言っただの、のレベルでした。余裕がなかった私は、「そんな下らないこと悩むなよ」と言いました。家内は、「その下らないことを一生懸命考えているのが私の仕事なの」と言って泣きました。最初は泣いた家内に驚きましたが、しばらくして、その「下らない」ことを一生懸命に考えている家内がいるから、毎日が普通に流れることに思い至り、土下座をして謝りました。

 本日は、我が家にとって、重要な記念日です。ありとあらゆる神仏に願った子どもが、家内の体にいることが分かった日です。本日は、家族で乾杯して祝いました。お酒にほろ酔いして、家内と息子の面白い話を聞きながら、おなかいっぱいになっている時、幸せを感じます。どんな富貴も足元に及ばないと思います。そして、出張は嫌だな~っと思いました。

 総理大臣になることが幸せ、大金持ちになることが幸せ、ノーベル賞を取ることが幸せ・・・では、みんなが幸せになれません。でも、色々な人と関わりながら、大事な人とおなかいっぱいになれる、それを目指したい。それは、みんながなりたてば可能だと信じたい。

[]最初に自分で考えさせる 09:28 最初に自分で考えさせる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最初に自分で考えさせる - 西川純のメモ 最初に自分で考えさせる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近受けた質問に応えました。なお、手引き書に加筆しました。

 一般の学び合いでよくやる馬鹿馬鹿しいことに、最初に自分で考えさせ、その後、交流するというのがあります。でも、考えてください。まったく分からない子に5分間考えさせて、何か考えつくと思いますか?第一、考えるでしょうか?想像してください。数学者が我々に偏微分方程式を与えて「さあ、5分間考えてください。人に相談してはいけませんよ」と言ったら、どうします?まあ、何も考えないでしょうね。

 逆に、塾や予備校で既習済みで、「学校の勉強は簡単だな~、つまらないな~」っと思っている子はどう思うでしょうか?まあ、「学校って馬鹿馬鹿しいな~」っと確信を強めるでしょうね。

 一人で5分間ぐらい考えれば思いつくレベルの子どもは、教師が指示しなくても自分で考えます。考えてください。もう少しで分かりそうなパズルを人に聞く人いますか?

 以上のように、上記はとてつもなく馬鹿馬鹿しいのです。では、何故、そのような馬鹿馬鹿しいことをするのでしょうか?一言で言えば、子どもを信じていない、この一点です。『学び合い』と一般の学び合いの決定的な違いです。我々は、そのようなことは不必要だと思います。教師が「さあ、どうぞ」と言えば、全然分からない子どもは、分かりそうな子どもの近くに行って「わかんない~」と言うでしょう。もう少しで分かりそうな子どもは自分で考えるでしょう。分かっている子どもは、分からない子どもをサポートするでしょう。分からず人に聞いて分かりはじめ、もう少しで分かりそうになれば、「もういいよ、後は自分でやってみる」と言うでしょう。それぞれが、自分の最善のことをし始めます。

 ところが一般の学び合いは子どもを信じられません。特に信じられないのは、出来ない子どもです。そのような子どもは安易に答えを丸写しにしてしまう、と思っています。しかし、考えてください。そのような子どもに「5分間、自分で考えて」と言ってまじめに考えるでしょうか?否です。ぼーっと5分間すごし、5分後に丸写しにするだけです。第一、何故、丸写しという方法をその子がとるのでしょうか?きつい言い方ですが、丸写しでもOKな評価を教師がしていることの証拠です。

 我々は全員が一定以上の点数をとることを求めます。当然、丸写しでは点数はとれません。丸写しをするような子どもは、その馬鹿馬鹿しさに気づかないかもしれません。しかし、写される側の子どもは、その馬鹿馬鹿しさを理解しています。だから、丸写しをしそうになったら「駄目だよ。ちゃんと話を聞いて分かってよ」と言うでしょう。

 人との交流を制限することはナンセンスなことです。根本的な解決は、みんなが本当に分かるということをクラスの文化にすることです。このことは「座りなさい!を言わない授業」(東洋館)の10章に書きました。

[]コの字に座らせる・ペア学習 09:28 コの字に座らせる・ペア学習 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - コの字に座らせる・ペア学習 - 西川純のメモ コの字に座らせる・ペア学習 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一般の学び合いでよくやる馬鹿馬鹿しいことに、「コの字」に座らせるということがあります。「座りなさい!を言わない授業」(東洋館)に書きましたが、子どもたちは課題によって集団を最適に構成します。例えば、ちょいと分からないことを聞く、というならば二人が基本です。しかし、何らかのものを作りだそうとする、例えば実験とか、難しい問題を解決するというのは4、5人が基本です。ところが、集団としての目的を確認しようとするとクラス全体で話し合います。これは職員会議(その他の職場も)同様でしょ。それを分からない人が、運動会の入場行進曲を職員会議にかけます。非常に時間の無駄です。コの字の配置は、全体の目的確認の配置です。ところが、個々人が学習する場面では、そのような場合は希です。

 ペア学習も同様です。この形態は「ちょっと聞く」レベルには最適です。しかし、難しい課題を解決するには不向きです。第一、教師がクラス全員の最善のペアを作れるはずありません。馬鹿馬鹿しい。その最善のペアもその日、その時、いや、その秒分によって動的に変化します。

 一人一人の子どもが、様々な課題を抱えています。ある子の場合は一人で自学自習したい、ある子はペアで相談したい、ある子は数人で相談したいのかもしれません。それらは別々で動的です。その中で、行き詰まりを感じ、全体の確認をとる場合もあります。そんなときに、固定的な椅子の配置はじゃまです。

tontan2tontan22008/09/04 17:45コの字に座ることについて。
私もよくコの字に座らせます。最近は子どもに席も任せます。
子どもがコの字を選ぶこともありますし、普通の並び方を選ぶことがあります。
子どもがコの字を選ぶ理由は中央が空いていて、そこで「学び合い」易いからです。大人数の教室だと机で教室がいっぱいになってしまい、子どもが動くスペースさえないこともあります。
コの字でもその使い方です。教師が鵜飼いのようにひとりひとりにひもを操作する人もいるでしょう。でも「学び合い」も同時に成立することができます。
私はむしろ、中央のスペースを「学び合い」のためにうまく使った方が、よいと思っています。

tontan2tontan22008/09/04 17:47追加。
中央のスペースで、子どもは座り込んでよく話をします。
寝っ転がって考える子も、寄り添って教える子もいます。
そういう使い方です。

MatufitMatufit2008/09/04 18:45『学び合い』の実践を始めて、指導方法で定例化されているものを疑い改善するようになりました。西川先生に挙げていただいた話題は、その典型ですね。
 ステレオタイプに陥らないよう自戒したいです。

jun24kawajun24kawa2008/09/04 19:05tontan2さんへ
あはははは
私が書いているのは、コの字に「座らせる」ということです。そして、座らせる、教師の心を書いています。子どもがそれを選択し、高い達成度を維持しつつけるならば、それが最善なんでしょうね。
Matufitさんへ
子どもが方法を選択できる状態で、何を選択するか、それによって我々は学んでいるのです。子どもから学んでいるのです。

tontan2tontan22008/09/04 20:18もちろん、そういう意味だと思ってました^^
 
しかし、
「形ではなくて子どもへの向き方なのですよね。」
ということの確かめでした。
 
失礼しましたー。

ながたくながたく2008/09/04 22:45学び合いという名前の誤解が走っていますね。
おとなりの犬○市や、他の先生の学び合いもありますよね。
私の師の西之園先生は、「協調自律学習」とよぶ学習を提唱
していますが、新しく命名していくのも大切なのかなと
感じています。

でも、
学び合い って響きがいいです!

ながたくながたく2008/09/04 22:48まちがえて、途中投稿してしまいました。

学び合い という響き。
そして、他の学び合いは、一斉授業の亜種であり、
学び合いとの違いを鮮明にしていく必要がありますね。

しかし、そこをうまく政治的にいいながら、
実際は学び合いの本質を進めていくのも、若いぼくらは必要なのかもしれませんが・・・。

jun24kawajun24kawa2008/09/04 22:52命名には非常に考えました。
あとは若い方に期待しています。
もちろん、とんたんさんのような中堅も、そして、同志の校長先生も・・・。みんなでどんどんやりましょう!

08/09/03(水)

[]可能性 22:32 可能性 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 可能性 - 西川純のメモ 可能性 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 異学年の『学び合い』はもの凄い可能性があります。それは子どもの『学び合い』はもちろんですが、教師の『学び合い』においても画期的な可能性があります。今学期より学校として異学年の『学び合い』に取り組む学校が生まれました。楽しみです。

08/09/02(火)

[]教科指導と生徒指導 16:43 教科指導と生徒指導 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教科指導と生徒指導 - 西川純のメモ 教科指導と生徒指導 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教科指導の出来ない教師に生徒指導は出来ない、とよく言われます。しかし、その意味するものは深いものがあると思います。一般には二通りだと思います。まず、生徒指導を第一だと考える先生は、「教科指導すら出来ない教師に、生徒指導を出来るわけ無い。」と理解しています。一方、教科指導を第一だと考える先生は「教科指導をちゃんとすれば、生徒指導は自ずと出来る。」と理解しています。でも、いずれも教科指導と生徒指導を分けられるものだと考えているようです。すくなくとも「純然たる教科指導」、「純然たる生徒指導」の方が大部分だと考えていると思います。そして、生徒指導に苦労している学校においては、「まず、生徒指導をしてから、それから初めて教科指導が出来る」と考えます。逆に生徒指導に苦労しない学校においては、「教科指導をしっかりすれば、生徒指導は特段しなくても良い」と考えると思います。

 しかし、我々は違う!「純然たる教科指導」、「純然たる生徒指導」はあるとしたとしても、ごくごく一部だと考えます。そして、教科指導と生徒指導が渾然一体となったものが大部分だと考えます。

 生徒指導で苦労されている善意の先生が、「まず、人間関係造りをしてからじゃないと学び合いは出来ません」と、腹の中で「現場の苦労を知らない大学教師ごときが、何、脳天気なことをいいってやがる。」と思いながら私に諭すように語るのを聞くのは苦痛です。「なに言ってやがる。てめいの現場よりひどい現場でやっていたんだ。純粋無垢のオール1の子ども、暴走族の子ども・兄ちゃん、境界児・・・、その子だけの集団にてめーは物理学を教えられるのか!!!一般校で荒れたぐらいでがたがた言うんじゃね~」という怒りもわきます。しかし、しばらくすると哀れに感じます。その先生のお気持ちは分かります。もの凄く荒れた学校で、指導を一つ一つ積み上げて、かなり改善した自負があるのだと思います。その気持ちは分かります。私だって、それを誇った時期がありました。しかし、無意識に避けていた、いや気づいていたのに目を背けたものがあるはずです。教師の目の前では、良い子であったとしても、見えないところでは闇があることを。クラス全員が教師をしたっているように見えたとしても、実は違うことを。そして、現実にはボロボロと拾い残した子どもが多いことを知っているが、おれは全力を尽くしたと自己憐憫している自分を。その先生のやり方では、今の状態を抜け出ることは出来ません。

 かって、上記のことで落ち込んだとき、当時の院生さんに相談したことがあります。そのことは「静かに!を言わない授業」で紹介しました。

『A先生のご意見、非常にわかります。私も数年前、B中学校でA先生が体験しているような学校で勤務していたから「何が学び合いだ」という気持ちになるのも分かります。「性善説」(注 子どもを信じるという我々の主張)を唱えることが異常に思えます。その当時のB中学校は、対教師暴力はもちろん、親もおかしかったです。「殴られるような先生が悪い」と平然と言う親が多かったのです。私も正直言って身の危険を感じる日々が多かった。授業中、漫画本、ウオークマン、お菓子はもちろん、休憩時間は学校の至るところでたばこです。たばこを吸っているのを見つけても悪びれることなく、教師を脅す生徒がいました。職員の車は牛乳爆弾でフロントガラスが真っ白くなり、落とすのに苦労しました。プリントを配ると紙飛行機、時にはライターでプリントを燃やす生徒もいます。給食は、自分の好きなものを食べ、食べ終わったらベランダから外に放り投げる。それを担任だった私が1人さびしくかたづける毎日です。3年生の担任は授業中くも膜下出血で倒れました。私のクラスの生徒はあげくの果てに、用務員さんを殴って、新聞沙汰になりました。このような、もしかしたらA先生以上に異常な学校を体験した私が「子どもの学び合いは必要」と言うから西川先生も自信を持ってほしいと思います。私が分析するに、悪い環境(A先生の言われるような荒れている学校)では「子どもの学び合い」を考えられない環境だと思います。また、「子どもの学び合いは大切だ」と考えられると言っても、そういう考えを持っている教師が1、2しかいない状態では、決して実感を伴った行動は無理です。いくら西川先生が言葉でA先生を説得しても難しいと思います。私も以前、A先生と同じ状態だったらからわかります。その時の私は「力が全て」「生徒になめられない力」「迫力のある教師」を理想としていました。しかし、「力」で押さえても、自分に生徒からの暴力が来ないだけで、弱い先生や女の先生はいじめられている状態は変わらないのです。私は西川研で学んだことを生かし、A先生のような荒れた学校でも「子どもの学び合い」を行う自信があり、さらに教師集団の学び合いを行う意欲も持っています。』

つい最近のフォーラムで、この同志に「あなたがすばらしい実践しているであろうことは当然で、当たり前。私があなたに期待していることは学校を変えること、どう?」と聞きました。その同志は、気負い無く、こともなげに「すべての教科で『学び合い』をしていますよ」と言いました。あわてて「本当?」と聞くと、「はい。あ、でも人によって深さは違いますよ。でも、どの教科でも普通にやっていますよ」と応えました。ビックリしすぎて、二の句がつけず「あ、そ、そう。じゃあ、ライブ希望があったらお願いするね」と言いました。「はい、どうぞ」と、これまた、こともなげに。その会話は、実践発表の最中のこそこそ話です。会話が終われば、前の方を見て発表を聞いていました。一分後に、ボロボロボロボロと涙が流れました。

私は「どう?」という私の質問に対して、「いや~・・、難しくって・・」という反応があることを予想していました。ところが、予想に反して、私の予想を遙かに超える成果を、こともなげに返されました。心の底から「私の負けだ。私はなんと愚かだったんだろう。私はなんと愚かだったんだろう。・・」と何度も自分に繰り返しました。そして、本当に幸せな気分になり、ボロボロボロと泣けました。

私には「『学び合い』は甘っちょろい」と言い放つ現場の先生方を説得する力はありません。せいぜい論破して、気を悪くさせるぐらいの力しかない。しかし、同志にはその力がある。

[]講演会 13:59 講演会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 講演会 - 西川純のメモ 講演会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「子どもに学ぶ教師の会」で行う『学び合い』の会の今年中の予定は、10月11日 山形の会、10月18日 長野の会、11月8日 大阪の会、11月29日 宮城の会です。詳しくは、このブログの先頭をご覧ください。その他に、12月13日に長野で臨床教科教育学会が開かれます。これらは各地の同志が参集すると思います。

 私の講演を聴きたいという方は、9月29日に神奈川県二宮中学校、10月16日に兵庫県小野南中学校、10月17日に兵庫教育大学附属中学校、11月11日に神奈川県綾瀬中学校、11月14日に富山県射北中学校、11月28日は東京都大泉北小学校で講演します。なお、小野南中学校と兵庫教育大学附属中学校では話す内容を変えようと思っています。これに参加希望の方は、各学校に直接お問い合わせください。

[]夜の部 13:59 夜の部 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 夜の部 - 西川純のメモ 夜の部 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 10月15日は大阪駅近くで泊まります。私と議論したい方、どうぞ、私にメールください。水曜日ですので参加希望者は少ないと思います。その場合は、ご自身の実践ビデオを持ってきていただければ、見てコメントなども出来ると思います。

 10月16日は、兵庫教育大学附属中学校近くで泊まります。これまた交通不便なところですので、おられるとは思わないのですが、ご希望があればどうぞ。

 10月17日は金曜日で名古屋ですので、ある程度、参加いただけると思っています。これに関しては、見ず知らずの仲間の顔見せの意味が強いと思います。ご希望があればどうぞ。

08/09/01(月)

[]ロード 18:06 ロード - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ロード - 西川純のメモ ロード - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日をもって「夏休み」のロードは終わりました。7月27日から昨日までの36日間で、出張もなく、家で家族と一緒に寝られたのは13日に過ぎません。つまり、二十数日はゆっくり眠れない状態でした。それが昨日の大阪出張で終わりです。本日、9月以降の予定を整理し始めました。今後の予定はすべてHPで公開している基準を満たしたものです。しかし、それでもだんだん体が重くなりました。今後は、「おもしろい話を聞きたい」というところに行く余裕は無いと思いました。

[]禁じ手 18:06 禁じ手 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 禁じ手 - 西川純のメモ 禁じ手 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、同志と話し合ったとき、これから実践しようとしている方、また、実践で苦労されている方の中には似たような誤解が多い、と教えてもらいました。それは、「私」がやってはいけない禁じ手を規定しているという誤解です。

 私は「してはいけない」と禁じることは殆どないと思います。まあ、『学び合い』の基本である学校教育観・学習者観と反することを主張されたら、断固として反対します。しかし、方法論レベルはそれほど拘りません。

 たとえば、私は「教材研究は不要だ」と主張します。しかし、「教材研究してはいけない」と禁じたことはないと思います。私は教材研究をしなくていいと主張し、それよりも大事なことがあると主張しているのです。余裕がある方ならば、教材研究しても結構です。事実、『学び合い』をすれば、子どもたちが多様な発送を教えてくれるので教材研究がしたくなります。そして、教材研究をいっぱいした教師は、それをしていない教師に比べて、すばらしい『学び合い』を実現する可能性が高いです。が、私が「教材研究も大事だ」と一言でも書けば、あっという間に元の木阿弥になってしまう人が少なくないと思っています。だから、教材研究は不要だと主張せざるを得ません。教材研究の要・不要を論ずるよりも、もっと大事なものに目を向けていただきたいと思います。

 また、「授業の最後のまとめ」も不要だと主張します。まあ、正確に言えば馬鹿馬鹿しいと思っています。が、どうしてもしたいならば、するのは勝手です。ただ、そのまとめをする理由が子どもを信じられないというものであるならば、その心を子どもが見透かす危険性を自覚してほしいと思います。

 個に対応することは、すべきではないと思います。それをやりはじめると、あっというまに『学び合い』が壊れてしまいます。が、しなければならない場合があります。例えば、他の子どもとのいざこざを乱発する子どもがいる場合、せざるを得ません。しかし、危険性を自覚してほしいと願います。難病の治療に猛毒を利用するようなものです。だから、基本的には、「それは猛毒だよ」と私は書かざるを得ません。

 大事なのは、『学び合い』の学校観、学習者観を理解し、自分の頭で悩んでください。その場にいて、ありとあらゆる情報を得ているのは自分なのですから。けっして数百キロかなたの私ではありません。あははははは。「西川先生が禁じている」って、言わないでね。

jyonny1207jyonny12072008/09/01 19:56>>大事なのは、『学び合い』の学校観、学習者観を理解し、自分の頭で悩んでください。

飲み会の時にも感じておりましたが、
この部分でやはり西川先生のインパクト(パラダイムシフト)が強すぎるので、確かに誤解を生じやすい気がします。

まぁ話を聞いているだけでは理解できず、実践しなければ気がつかない領域でもある気がしますので、なかなか難しいところですよね。。

jun24kawajun24kawa2008/09/01 21:39はい、だから実践してもらいたいと願っております。