西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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08/08/23(土)

[]大学院入試 16:42 大学院入試 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大学院入試 - 西川純のメモ 大学院入試 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は上越教育大学大学院の入試です。面接官として、お話を伺いました。みなさん優秀な方ばかりです。レベルの高さを感じます。が、同時に、ほとんど方が従来のアプローチで教育課題を解決されようとしておりました。十五六年ぐらいまでは、私もそう考えていたので、それをおっしゃる気持ちはよく分かります。しかし、「そんなアプローチで解決できるならば、とっくのとうに解決されていますよ」と心の中で言いました。が、黙ってニコニコしていました。皆さん、本当に良い教師であり、良い教師にならんとしている方々ですので、色々と考えてしまします。我々の広げる努力はまだまだだなと思いました。

[]考えよう 11:10 考えよう - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 考えよう - 西川純のメモ 考えよう - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志Kさんのブログに、なるほどな、と思いました(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/F-Katagiri/20080822/p1)。

 Kさんは「盲信」と表現しましたが、Kさん自身が最後にかかれているように「安易」もしくは「考えることの放棄」の方が近いですね。

 何度も何度も強調するように、『学び合い』は考え方であって、テクニックではありません。ところが、テクニックをなぞる人があり、それで迷います。まあ、私のところや同志のところに質問メールをすれば、解決できますが、それをせずにテクニックの蟻地獄にはいれば脱出は困難となります。

 私は、「先生の『学び合い』は○○先生の○○と似ていますね?」と聞かれます。この年になれば、「そうですね、似ていますね」と応えた方が良いに決まっています。しかし、「残念ながら、まったく違います」と断言せざるを得ません。たしかにテクニックレベルでは似ているように見える場合もあります。しかし、そのテクニックを生み出した「考え方」が違います。そして、子どもは最終的にはテクニックではなく、教師の「考え方」に合った姿を表出します。もし、『学び合い』を実践して、『学び合い』が実現しなかったなら、それはテクニックが違うのではなく、「考え方」が違うのです。そして、目の前にいる子どもの姿は、今の自分の心の鏡です。

 あまたの教育理論と根本的な違いは、学校観と学習者観の二つです。もし、それが一致するならば、テクニックが全く違っていたとしても同志です。しかし、そのうち一つでもずれていたら『学び合い』ではありません。

 たとえば、学校教育観が違う例としては、「○○の教科では出来るが、○○では出来ない」、「○○の学年では出来るが、○○では出来ない」、「学力向上には役立つが、人間関係作りには???」、「人間関係作りには役立つが、学力向上には???」というのが典型的な例です。学校教育の目的は、学校教育の1分、1秒の例外なくすべての時間にあるべきです。残念ながら、多くの場合は、「まあ、それは建前だけど、そうでない時間はあるよね」と納得させています。また、学校教育の目的を分析的に分けてしまいがちですが、その場合は「まあ、トータルな成長が建前だけど、そんなことできないよね」と納得させています。しかし、我々はそんな安易な妥協はしません。

 また、学習者観の同様です。最近、ある方から「今の『学び合い』はいつから始めたのですか?」と聞かれました。「う~ん」と悩みました。手引き書に書いたとおり、意識的に始めたのは平成9年からです。ただ、その方の質問は「今の」と聞いています。となれば、「ごく最近」というのが応えです。なぜなら、『学び合い』は常に成長しています。今から見れば、平成9年の『学び合い』は「今」から見れば『学び合い』ではありません。なぜなら、あまりにもテクニック的に過ぎます。しかし、この関係は、未来においても同様です(そうなれねばなりません)。従って、「今」の『学び合い』は十年後の我々から見たら、『学び合い』ではありません。

 詳しく解説します。平成9年の段階から今まで、一貫しているのは子ども「たち」は大人と同じぐらい有能であり、限界がある、という学習者観です。だから多くの教育理論では、半年や1年にわたる山のようなテクニックの上に成立させていることを、我々はそんなこと不要だと考えます。そして、平成9年の段階から15分間×3回で劇的な変化を数週間のうちに達成していました。ところが、実践と研究の積み上げによって、それすらも不要であり、かつ、遙かに高い達成度を、遙かに短期間で実現できるようになっています。その現在から見れば、平成9年の姿は子どもを信じていなかった。でも、その頃から学習者観は一貫していたので、今の成長があったのです。

 一般の教育理論では、教材レベル・指導法レベルで「○○をしたら良くなりました」と考えます。その根本には「そうしないと子どもは出来ない」という仮説があります。さらに、「教師だけには、それが出来る」という仮説があります。それは『学び合い』ではありません。我々の場合は、教材レベル・指導法レベルのことは子どもが出来る、と考えます。もし、出来ないとしたら、それは自分自身の心に問題があり、クラスづくりに問題があると思い、恥じます。むしろ、「何もしなくても出来る」ことを誇ります。このあたりは他との決定的な違いであります。また、同志の中にも、折々、その罠に陥る方は少なくありません。というより、一度は陥ります。結果として、元の木阿弥になります。少なくとも、「何もしないのに、こんなすごいことを子どもは達成した」という喜びを得ることが出来ません。

 手引き書の短縮版は、短縮版に過ぎません。是非、手引き書を読んでください。そして、自分の頭の中で考えてください。本には何度も書いたことですが、教育のおかれている状況は千差万別で動的です。そんな個々のことは、その場にいる人しか分かるわけありません。『学び合い』は様々なテクニックを入門者のために用意しています。しかし、それらのテクニックは何故意味があり、どんな限界があるかを、『学び合い』の考え方によって理解してほしいと願います。

 ただし、「考え方」を理解することは、ものすごく大変です。特に、『学び合い』の考え方は今までの考え方と革命的に違うので、大変です。それが本当に分からなければ出来ないなんて言ったら永遠に出来るわけありません。偉そうに言っている私だって、揺らいで失敗することは山のようにあるのですから。結局、実践し、子どもたちの姿を通して学ぶしかありません。その際にです。分からないことがあったら私や、右のブログ群の同志の方々に相談してください。ほんの数回のメールのやりとりで解決できます。少なくとも、乗り越えるエネルギーは得られます。だって、『学び合い』の考え方は、とてつもなく簡単なんです。ただ、その簡単さを信じられない、また、その簡単さのすごさを信じられないだけのことですから。