西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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08/08/01(金)

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 教師の職能にも色々あります。たとえば、亜鉛と塩酸を加えて水素を発生させるとき、亜鉛が酸化していると反応がきわめて弱い。これは酸化被膜によるものです。こういうときは硫酸銅の小さい粒ひとつを入れると大丈夫です。この程度のことは、本を読む程度で出来るようになります。ところが『学び合い』で求められる職能はそれとは違います。

 『学び合い』で求められる職能は「考え方」なんです。学校教育は何のためにあり、子どもとはどんな存在であり、そして自分は何をすべきか、という考え方です。もちろん、「可能化の声がけ」、「集団の見取り」など、切り売りできる部分もあります。そして、それさえあれば初期段階は十分にクリアーし、今まで以上の成果を上げられます。しかし、もし、その先生が「これこれしなさい」と言って、8、9割の子どもが従う(従ったふり、を含む)レベルの先生、つまり、意図的に従わない子ども(もしくは、露骨に馬鹿にする子ども)が5、6人以下の先生ならば、切り売りできる部分だけで、2、3週間で効果を実感できるはずです。

 ただし、本人は『学び合い』をやっているつもりなのですが、『学び合い』とは全く別物をやっている場合は、効果はありません。でもしょうがありません。人間というのは既存の考え方で物事を理解しますから。その場合は、『学び合い』のごく一部のキーワードをつなぎ合わせてしまうのです。これを書くと長くなりますが、認知心理学には「精霊の戦い」という文章の解釈に関する研究があります。西洋文化圏とは全く違う文化における神話なのですが、それを西洋文化圏の人が読むと、西洋文化に無理に置き換えて解釈します。つまり、認知は文化の産物だということを示す研究の一つです。

 典型的な例は、学び合いで著名なS先生の学び合いと同じだと解釈されます。そうすると、教師が子ども同士の会話をつなげたり、机の配置・グループ構成を教師が決めたりします。そして、誰と誰が、いつ繋がるかを決めます。また、別の典型的な例としては、我々は「みんな」を大事にします。しかし、多くの先生は、みんなを「特別支援の必要な子」、「ものすごく荒れている子」を無意識に除外したみんなを想定します。だって、そんな子どもが、変わるわけ無いと思いこんでいますから。これでは絶対に『学び合い』は生じません。でも、誤解する方には罪はありません、我々は先に述べたように既存の考え方で物事を解釈しますから。以上を解決するには、自分でいくらウンウンうなっても気づきません。分かった人に相談するしかないのです。そうすると、解決します。しかし、上記の例はある意味、テクニック的です。だって、上記のように短い言葉で表現することが出来るのですから。

 『学び合い』の根源にある「考え方」は本質的には文字で表現できません。なにか禅問答的ですが、禅の不立文字と同じです。文化は本や文字の中にあるのではなく、人の頭の中にあるのでもなく、人と人との間にあるものです。人と人との関わりの中で伝えられるものです。たとえば、メールのやりとりの中で、相手が書き、それに対応して返信をして、それに対応して返信をしてというようなやりとりの中でしか伝えられないものです。それが『学び合い』を伝えるときの障害になっていると思います(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20071113)。

 『学び合い』は集団を大事にします。それは、かなり以前から日本には根付いていました。N県のK閣下は、「N県にはもともと『学び合い』の考え方はもともとある。」とよく豪語されます。私は「で、今は?」と聞くと、首を振ります。残念ながら、現在の学校現場の教育力は壊滅的だと思います。それは、誰が悪いというわけではなく、教員集団の年齢バランスが崩れたためだと私は思っています(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20070930)。その結果、あたかも本で伝えられるレベル、一回の研修で伝えられるレベルのことが教師の職能の全てだという誤解が生じていることを危惧します。しかし、教師の職能には、人と人との接触にのみ伝えられるものがあります。

 『学び合い』は革命的に今までの考え方と違います。それを実施するにためらいがあるのは当然です。特に、今までの考え方で実績を上げていた方にとっては当然です。いや、ためらいがある方が健全です。しかし、バンジージャンプの一歩を踏み出して欲しいと願います(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20031005)。このブログをお読みになっているということは、すでに数センチ前に足を踏み出しているのです。不安なこと、分からないこと、いや、違うと思っていること、何でも結構です。メールしてください。私はもちろん誠意を持って返信いたします。また、右下のブログ群の方の中のどなたかにでも結構です。我々は学び合うことによって自分が得るものが多いと分かっている集団です。どなたも誠意を持って対応するでしょう。

 また、時間とお金と職場の理解が必要ですが、是非、『学び合い』を実践しているクラスにおいで下さい。本や講演では、絶対に伝えられないこと、それは子ども、そして教師の姿です。子どもたち、そして、教師が、いかに幸せかを見取っていただきたい。たとえば、運動会の代休などであればいきやすいのではないでしょうか?我々は毎日普通に『学び合い』をしているのですから、いつでもOKです。

 我々は同志を求めています。

 本日、西日本で最初の『学び合い』の会を島根県の益田でやります。非常にこじんまりとした会です。とても楽しみです。

munehiromunehiro2008/08/05 17:09福岡のmunehiroです。
学び合いを一年実践して一番変わったことは、私自身です。
人のために何かをやっている下町のよくある風景。全員を待とうとする帰り道の小学生。そんな何気ないものに強烈に感動します。
年齢のせいもあるのかもしれませんが、人にとても感動します。

jun24kawajun24kawa2008/08/06 08:01それが本当ですよね!
幸せはすぐそこにある、と思います。