西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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08/02/17(日)

[]教材 08:12 教材 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教材 - 西川純のメモ 教材 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 テレビ雑誌には「カリスマ主婦」というのがいらっしゃいます。その人の作った料理を見ると、びっくりします。一流レストラン並みの料理を、手早くちゃっちゃと作ります。しかし、ただの一瞬たりとも、家内がそのような主婦になってほしいと思ったことはありません。なぜなら、人の能力にはそれほどの差がないということを知っているからです。そして、万人あまねく1日24時間であるからです。

 ごく少数の天才以外が、ある領域に秀でる方法はただ一つです。それは与えられた24時間を、一定の領域に集中させることです。そのためには、それ以外の部分を捨てるしかありません。カリスマ主婦の一日を、一ヶ月ぐらい継続的に観察すれば、テレビ雑誌で出ている以外の部分を捨てているか、手を抜いているかがよく分かると思います。一方、我が家家内は、ごくごく普通主婦です。バランスよく家事をこなしています。そして、家内料理普通料理ですが、本当においしいと思っています。家内パッチワーク趣味で、作品が家の中で普段使いされています。しかし、家内家事の一環でパッチワークをしているとは思っていないはずです。あくまでも家内趣味であり、家事にゆがみを生じさせない範囲で続けています。

 教材に関して、私のアドバイスの第一は、教材開発をするな、ということです。私もいくつもの教材を開発しており、それで論文も書いております。しかし、それは私が独身時代のことであり、また、研究者となってからのことです。一般の小中高の教員、特に家庭持ちが、教材開発はするべきではありません。

 教材開発はきわめて時間がかかります。ところが、その教材が使えるのは、せいぜい何年間に1ぺん、数時間程度使えるだけです。ところが、教師の授業は1年間、毎日、毎時間、続くのです。教材開発をすれば、そのゆがみは日々の授業に影響を与えます。教材開発は子どものためにやっているのではなく、自分の趣味であり、子どもに迷惑をかけない範囲内でやるべきだと思います。子どものために教材開発をするというのは、大いなる誤解です。あり得ないことですが、家内パッチワークをやり過ぎて、夕食がカップラーメンを出したら、「そりゃちがうだろ」と私は言うでしょう。

 実は、教材に関してはわざわざ開発しなくても、山のようにあります。しかし、失礼ながら、多くの先生方は勉強しなさ過ぎです。他の教科はいざしらず、私の元々の専門だった理科に関しては現場発表会で紹介される理科の新教材・教具は、失礼ながら私には陳腐です。1970年代欧米カリキュラム改革が行われ、素晴らしい教科書編纂がさまざまなされました。そこには現在知られている教材・教具の殆どは出尽くしています(今の教師でPSSCやCBAと書いて分かる人がどれくらいいるだろうか・・・・)。例外は太陽電池や薄層クロマトグラフィのような新素材を利用した教材ぐらいと言って過言ではないと思います。さらに言えば、江戸末期から明治初年の教科書は非常に参考になります(今の教師で舎密、窮理と書いて、何のことか分かるだろうか・・・・)。当時の血液実験などは素晴らしい。その当時の技術力で実現できたのですから、現在では本当に簡単に出来て、かつ、本質的な教材・教具の宝庫です。このような引き出しがいっぱいあると授業の展開に幅が出来ます。教材を開発する時間があったら、過去の成果を学ぶ方が良いと思います。これは理科以外の教科においても、五十歩・百歩だと思います。

 古い学校であれば、その手の本が必ずあるはずです。私は大学院時代は、週に1度は神田神保町古本屋街にいきました。高校教師時代も月に1度はいきました。大学院時代の同級生からは、「西川があさった後の古本屋はぺんぺん草も生えない」と言われるぐらいでした。県教育センター図書館に行けば、他の地域で開発された教材を見いだすことが出来ます。

 ただし、そのようにして見いだした教材をそのまま使うことは出来ません。そのような教材のほぼ全ては、その教科が大好きで、得意な人が、こりにこって作成したものです。その教科の大好きな教師にとっては、すばらしい教材のように思えるかも知れませんが、その教科がそれほど好きでない、いや嫌いな子どもたちにフィットしません。たいてい専門家は特殊化をします、教材も同じです。機械も複雑になればなるほど、それが適用できる範囲は狭まり、故障も多くなります。かつて発展途上国に最新の農業機器を援助しました。ところが、そのような国ではそれらの機器を使いこなせませんでした。さらに故障しても修理できないので、やがて粗大ゴミになります。笑えません、日本学校に、どれだけ粗大ゴミ化したコンピュータ機器があるでしょうか?見いだした教材を、ばかばかしいと思えるぐらい単純化してから使いましょう。

 そんなことをしていると、結局、本当に使えるのは、そこらの本屋にあふれている、また、学校出入りの業者に言えばすぐに持ってきてくれる、ごくごく普通プリント類であることに気づくはずです。

 以上の結果として、私の教材に対するアドバイスは、普段馬鹿にされるかもしれない業者物を活用しましょう。それらは本当に普段使い出来るもです。そうじゃないと売れませんから。さらに、それをもとにして、自分のクラスに合わせて「ほんのちょっと」アレンジすればいいのです。もっといいのは、そういうことをしている同じ学校先生を見いだして、その先生の教材を流用させてもらうことです。これが一番良いやりかたです。

[]発声 05:37 発声 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 発声 - 西川純のメモ 発声 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 子どもたちに「嫌いな授業」のアンケートをすると、第一位は「声が聞こえない」、第二位は「言葉がはっきりしない」、第三位は「話の意味が分からない」です。つまり、「音として伝わらない」、「日本語として伝わらない」、「教科内容として伝わらない」です。その他、表情、ボディーアクション、板書の字の大きさ・・・、一斉指導においては教師は役者です。そして演奏者です。指導要領作成者、教科書編成者の台本楽譜を、いかに表現するかです。それには、いろはの「い」の基礎技術が必要です。どんなテクニックも、お客に聞こえなかったり、見えなかったりしたら、まったく無意味です。

 学生さんに教室の対角線に届くぐらいの声を出しなさい、と指示しますが、出来ません。学生さんが一生懸命に声を出しても、それは日常会話のレベルの延長上です。世の中には、日常会話の大きさでも「ビーン」と響き渡る声をお持ちな方がいます。うらやましい限りです。しかし、多くの人は意図的に大きな声を作らねばなりません。

<やること>

 のどで語らずに、へその下に力を込めて腹で語るようにしましょう。感覚的には、「しゃべる」というより「どなる」という方が近いかも知れません。

 実際の教室は常に「シーン」としているわけではありません。出来れば、教室の対角線(約12m)の1.5倍~2倍ぐらい二人が離れ、そこで20分ぐらい会話をすれば、授業における教師の声は日常会話の延長上にはないことが実感できるはずです。

[]視線 05:37 視線 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 視線 - 西川純のメモ 視線 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教育実習生とベテラン先生の決定的に違う、分かりやすい点は視線です。授業中、ベテラン先生子どもの方を見ています。ところが教育実習生は机の上の教案を見ています。ひどいのになると、教案に「○○と発問する」と書いているので発問し、それに答えている子どもを見ずに教案の次の行を読んでいるということもあります。これでは子どもに失礼です。

 若い教師に教案無しでやれというのは、ちょいと酷です。しかし、あまり詳細な教案を作れば、それを見てしまいます。大まかな流れを書いておき、それをもとにふくらますというのが良いと思います。ちなみに私のパワーポイント原稿と、院生さん(現職院生さんも含む)・学生さんのパワーポイント原稿を比較すると、私の文字数は十分の1程度です。理由は上記の通りです。そして別なところで述べる時間調節にも有効だからです。

 子どもを見ればいい、と言っても若い先生の場合、特定の子どもを見つめてしまいがちです。そうなると、多くの子どもは自分は見られていないように強く感じます。ボーっと全体を見回すような程度で良いと思います。そのためには、教師の最後列の子どもの首一つ分上を見るぐらいが適当と思います。

 それが出来たら、意図的に多くの子を流れるように「見つめる」ことをやりましょう。

<やること>

 作成した教案をもとに、授業の流れを短い箇条書きしましょう。数年もたてば、短い箇条書きをちょいと読めば授業できるようになります(ただし私の悪い癖で、その箇条書きは練りに練っていますが・・・)。私は以前は「初等理科教育法」という1時間半の全学必修科目を担当していましたが、その教案は最終的には4~6行程度の箇条書きになりました。

[]話術 05:37 話術 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 話術 - 西川純のメモ 話術 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今では教える立場ですが、言うまでもなくかつては教えられる立場でした。その中で、多くの先生方に教えてもらいました。すばらしい先生にも数多く出会いました。その中に宮澤先生という高校先生がいらっしゃいます。この先生のことは学部学生の授業の最初に話すことがあります。

 この先生スーパーマンです。まず、教え方がすごい。面白く、ためになる授業です。この先生の授業に関して、時間が長いと感じたことは一度もありません。いつも、「もお終わったの ?」というのが感想です。商売柄、実に多くの名人教師の話を聞きました。中には、テレビにも紹介される方のレベルもあまたいます。しかし、私の生涯に出会った、最高の話術を持った方は、文句なくその先生です。

 その先生は生徒指導主任でした。私の高校はお世辞にも名門とは言えません。制服はブレザーですが、その下にアロハシャツ、ぼんたんで登校する生徒がぞろぞろです。また、全校生徒は学年450人のマンモス校ですが、ストレート大学に進学したのは、片手だったと記憶しています。したがって、生徒指導上の問題が続出する学校です。そのような学校では生徒指導主任は「つっぱり」の目の敵になるのが通例だと思います。ところが、「つっぱり」は、他の先生に関しては呼び捨てでも、その先生に関しては常に「先生」と呼んでいました。

 その先生の専門は日本史でした。教師になってからも田沼意次研究を続け、その世界では知られた先生と伺っています。私自身は世界史受験しようと思いましたが、受験関係なく聞きたいと思いました。ところが、その先生東京都に指導主事に迎えられました。そのため、残念ながら聞けませんでした。私が大学院を終わる頃に、校長として現場に戻られました。おそらく、東京都校長としては記録的な若さだったと思います。その後、筑波大学に迎えられました。教育者としても、管理者としても、研究者としても一流の先生です。

 私があと数ヶ月後には高校教師になろうとするとき、その先生に会いに行きました。先生に、高校教師になる前の数ヶ月のうちに何を勉強したらいいのか相談したいと思いました。私の予想としては、理科の基礎的勉強をしなさいと言われると想像しました。ところが、先生が教えてくれたのは、「落語を聞きなさい」でした。宮澤先生も、かつては上野の鈴本 演芸場に通い、勉強したそうです。話術の重要性に気づかせてくれたエピソードです。

 昭和落語の3名人といえば志ん生文楽円生があげられます。志ん生はとにかく面白く、破天荒な落語です。おそらく、3名人の第一はだれかと聞かれた場合、一般的には志ん生を選ぶ人が多いと思います。でも、私は好きではありません。興が乗ると話が早口になり、結果として聞き取りづらくなる点が好きになれない理由です。文楽はきちっとした話をします。話の内容を推敲に推敲を重ねた人です。そのため、何度話しても、全く同じ話を、同じ時間でしゃべる人です。そのため、何故か人間味を感じられません。私が大好きなのは円生です。特に、芝居話・人情話は大好きです。きちっとした話をしながら、生きているという話をします。抑制されながら、うちにはすごい情熱があるんだなと感じる話をします。

 私としては円生のような話がしたいと願いますが、とても駄目です。興が乗ると早口になり、言葉を噛んでしまいます(つまり、私が志ん生を好きになれないところ)。また、雑談というのが出来ず、話を事前に組み立てておかないと話せません (つまり、私が文楽を好きになれないところ)。前者意識的な改善によって何とか出来ますが、後者はとても直せません。私は萩本欽一さんやさんまさんの話術が嫌いです。一度、客が食らいつくと、シャブリ尽くすまでいじくる傾向があります。私に似ていると自己嫌悪しますが、これまた直せません。

 しかし、直せなくとも、意図的に分析することによって、自分の欠点が分かります。それによって、その欠点が暴走しないように「ちょっと」は押さえられます。

<やること>

 落語漫才CDDVD意図的に聞くことです。また、名人といわれる人の芸談・伝記は本になっている場合は少なくありません。それを読みます。いずれも楽しく聞けたり、読めたり出来ます。ただし「あははは」と笑うだけではなく、技を盗む気概でなければなりません。もちろん名人上手の技を盗めることなぞ出来ません。しかし、声の出し方、表情の作り方など、学べるものも多いと思います。少なくとも、一斉指導においては教師は役者で、子どもお客様であることを思い出します。お客様神様なんです。