西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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08/01/30(水)

[]海外からの子ども 解答編 08:48 海外からの子ども 解答編 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 海外からの子ども 解答編 - 西川純のメモ 海外からの子ども 解答編 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この問題の課題は「海外の子ども」でした。しかし、その部分を「特別支援の必要な子」、「家庭に問題のある子」、「学習意欲の全くない子」、「暴力的な子」・・・のいずれに変換しても、答えは全く同じです。

 解答方法は以下の通りです。

 もし、教師が「その子」一人が担当すればいいならば、もしかしたら「その子」用の最適解があるかもしれません(まあ可能性は低いですが・・・)。しかし、教師は授業で数十人の子どもを担当しています。したがって、「その子」を含んだ数十人全員の最適解を求めなければなりません。これは無理です。無理を承知で精神論で「その子」と何とかしようとすれば、それは「その子」以外の数十人を相対的見捨てることとなります。そして、おそらく改善されないでしょうから、教師が精神的にイライラします。イライラした教師が良い授業、良いクラス経営が出来るわけありません。したがって一人で抱え込むのではなく、数十人の子どもと一緒にやらなければなりません。これは「子どもが有能である」という以前に、自分が解決できるという幻想を捨てるということです。

 次に、みんなでやるとき、「その子」を意識した目標設定をすべきか否かです。もし、「その子」を意識した目標設定を教師が行えば、それは教師が「その子」を一人で背負っているというメッセージを集団に与えます。これでは「みんな」ではありません。教師は「その子」を忘れるべきです。もし、「その子」を意識した目標設定をするとしたら、それは教師ではなく、子どもたちみんながすべきです。

 「その子」の問題解決が、「その子」のためと考えるのはやめましょう。「その子」の解決がクラスのためと考えましょう。

janglejapjanglejap2008/01/30 19:24「感謝」の記事・・。思わずもらい泣きでした。。。教師の醍醐味、味わえるようにさらに『学び合い』を学びたいと思いました。

iku-nakaiku-naka2008/01/30 19:36大変失礼な言い方かもしれませんが、ブログを読みながらゼミ生のみなさんの「答え」は予想できました。多分、私がその立場でも同じような結論を出したと思います。ゼミのみなさんはN先生を信頼してゼミに参加されていると思います。もちろん、N先生もゼミ生のみなさんを信頼されていると思います。N先生のブログを拝見するとそれが文章から醸し出されています。だからこそ、N先生はゼミ生のみなさんの「本心」が聞けたのでは?。と私は思いました。私と生徒の関係もこんな風になれればいいなあ~とブログを見て思いました。精進します!!。

jun24kawajun24kawa2008/01/30 22:01janglejapさん、iku-nakaさんへ
 ありがとうございます。もっと、もっと結果を出したいと思います。

あべたかあべたか2008/01/31 04:26[大事なこと]学んだこと に対してのコメントです。
(どうも、「はてな」に文句を言うつもりはないですが、といって書いていますが、この「はてな」のサービスはどのエントリにコメントを入れたのかわかりにくい構造になっていますよね)

今回のやりとりをもっとしてみたいというか、深めてみたいという気持ちでいっぱいです。
今回の登場人物は、国語の先生ですが、この国語という文字を社会という文字に入れ替えたことで悩みがあります。

学習指導要領の内容は低いレベルにあるとまでは言いませんが、どうも、教科書を日々なぞるだけの学習がよいのだろうか……。
という悩みがあるのですよね。

社会科の場合、例えば、「学級全員が市販テストを90点以上とる」という目当てにした場合、単純に考えれば、教科書の丸暗記で(それができるかどうかは別)90点どころか100点がとれます。

それでいいのか?
社会科はそんなんじゃない
というものが心の片隅にあります。
たぶん、社会科にのめり込んでいる先生方は、学び合いの授業を見ても、なんの感動も起こさないでしょう。

そこには、
・公民館やゴミ処理場を訪れて、インタビューする子どもたちの姿はありません。
・「原爆を落として正解だった」とする考えがあるが、それに対しては肯定するか否定するかといった考えのぶつかり合いもありません。
・調べたことを新聞等にまとめることもしません。

これらは、西川先生がおっしゃる「漢字を覚えさせるために教師になったのですか?」という部分につながると思いますが、先生方は「漢字を覚えさせるために」教師になったわけではないが「漢字を一つでも多く覚えること」は大人になっていくためにはとても大切なことだと考えており、それを授業で以下に保障するかと言うことが大切だと考える、ということになるのだと思います。
つまり、そこで「討論」や「新聞書き」「作文を核技術」を限られた時間の中で多くの子どもたちに身に付けてもらうためには、その手続き、つまり、型というものを少しでもこちらから与えて身に付けてもらった方が有効であるということです。

また「学び合い」をすることで「教え漏らし」(または「学びもらし」)というものが生じる可能性があります。
例えば、地球儀を活用して探ってほしいとして、めあてを達成するのに地球儀を活用することが有効と考えた子どもたちは地球儀を活用しますが、それを感じない子は地球儀を活用しません。
まぁ、西川先生流に言えば、それらを活用してほしければ、最初からそれを活用することと明記しなさいということになるやもしれませんが……。
そうなったらそうなったで、いろいろと手続きや学び合いの指導過程が難しくなりそうです……。

ウーン、いろいろと悩みます。
学び合いをパッと進めている方は、こういうことで悩まないのでしょうか。
それとも、これらを乗り越えているのか、達観しているのか。
そんなの関係ねーと思っているのか。
いろいろと不思議です。

jun24kawajun24kawa2008/01/31 06:57あべたかさんはもう応えをご存じです。
・公民館やゴミ処理場を訪れて、インタビューする子どもたちの姿はありません。
・「原爆を落として正解だった」とする考えがあるが、それに対しては肯定するか否定するかといった考えのぶつかり合いもありません。
・調べたことを新聞等にまとめることもしません。
とありますが、それが大事だったら、それを課題として求めればいいだけです。
あははは
逆に、上記の社会科の先生に違和感を感じます。
第一に、なぜ子どものつぶやきを聞こうとしないのか?とうことです。『学び合い』の授業をすれば、もの凄い会話がなされています。それを聞こうとしない。ただ、「○○をやったか否か」で判断される。私としては、そんなことより、まず子どもの脇に近づいて、子どもがなにをか語っているかを聞いて欲しい、と願います。
次に、何故、子どもたちが社会科を嫌いになっていくのか、それを失礼ながらご存じない。社会科の大好きな方の気になるところと、嫌いな人が何故嫌になるかというということには乖離があります。彼らが何を嫌と思っているのか、それを知るには、『学び合い』で子どもの会話を聞くしかないのですが・・・・。社会科大好きの先生方が気にしていることは、まず、社会科が嫌いじゃないという全体が成り立った後の話です。
 最後に、根本的な問題は、何のために学校教育があるかを考えていただきたいと思います。あべさんのご指摘の通り、「「漢字を一つでも多く覚えること」は大人になっていくためにはとても大切なことだと考える」ことを否定はしません。しかし、それではどれだけのことが必要なのでしょうか?社会科大好きの先生が「これも大事」ということをリストに挙げれば、おそらく学校教育の全てを費やしても教えきれないものになるはずです。そして、一般人にとっては「カルト」的としか思えないものをあげるでしょう。では、それらが何故、大人になるのに必要なのか、それを一般人に説明できるでしょうか?結局、「知っていることは多ければいい」というとてつもなくおおざっぱな答えしかないのではないでしょうか?それで良しとしていたとしたら、それは学校教育の意味を考える部分が甘いと感じます。

とんたんとんたん2008/01/31 13:02 もっと私は簡単に考えます。「学び合う」ということは子どもにイニシアティーブを渡すことだと考えます。教師はその環境と人との繋がりを整えたり、促進させたりすることが仕事だと考えます。ですから、課題の中で「先生インタビューしてきていいかな?」と子どもが聞けば、それが実現できるようにしてあげれば良いと考えます。「まとめについてもとてもいいインタビューができたけど、どんな風にまとめる?」って聞けば、きっと子どもなりに考えてよいまとめを書いてくるでしょう。
上記のようなことが言えないのは、今までそれが子どもが任されてこなかったからです。

jun24kawajun24kawa2008/01/31 13:47そうですね。
ただ、子どもに任せるのは方法であって、何をなすべきかという部分は、最後まで教師が担わなければならない部分だと思います。そこの切り分けをちゃんとしないと、「任せる」という言葉が一人歩きすると誤解が生じます。目標を任せたとしたら、それは学校教育ではなくなりますならネ。

とんたんとんたん2008/01/31 14:16なるほど。
目標まで子どもに任せると誤解されたらまずいですね。
あくまで方法です。だから単元の始まりにはここで何が分かるようになればよいかをしっかりと子どもと確かめるように私はしています。

 rion_fuji rion_fuji2008/01/31 14:58 目標はもちろんですが,方法を選択する際に何のためという目的が明確であることが大事かなと思います。方法をまかせて得られたことに対して「じゃあどうする?」という状態を作ってしまったら,はいまわる『学び合い』になってしまい,見た目だけ学び合いの様子を示しているとなりそうです。

jun24kawajun24kawa2008/01/31 15:02まったく、その通りです。
結果として、子どもたちの成果に表れます。
成果に表れないとして、それは、目標の設定が間違っていることを意味しますよね。

あべたかあべたか2008/01/31 20:17西川先生。

>『学び合い』の授業をすれば、もの凄い会話がなされています。

この「ものすごい会話」レベルの「学び合い」の授業をするには、並大抵のことではないように思います。
まぁ、わたしが「めあて」の設定や、動機付けが下手なだけなのでしょうけど。
ここが悩みます。
みなさん、ここでつまづくんじゃないかなぁ……。
わたしだけかなぁ……。

あべたかあべたか2008/01/31 20:23rion_fuji さん。
あっ、わたしにピタリの言葉を見つけました。
「はいまわる『学び合い』」です。
たぶん、わたしの授業は「これ」なのです。
だから、上位児の子どもたちは、なんか物足りなく、教師が一斉授業をしてくれたほうがよいと考えて、下位児は「やった!学び合いの授業は怠けることができる!」と思うのではないでしょうか。

ということで、rion_fujiさんのおっしゃる
「 目標はもちろんですが,方法を選択する際に何のためという目的が明確であることが大事かなと思います。」
というのはとてもとても腑に落ちるわけですが、これを実際授業場面で行う場合どうするのでしょうか?

わたしが想像するにこんな風になります。

1 課題を確認する。
2 その課題を解決するのにどうすればよいか方法を各自考える。
3 その方法を教師に報告にくる。
4 教師と方法について質疑応答を行い、教師が了解を出したならその方法を通して課題解決をするようにがんばる

……これでは、全然学び合いではありませんよね?
じゃあ、「目的」を達成させるための「方法」を子どもたちに考えさせる際、どのようにしてはい回らないようにするのでしょうか?
ここが知りたいです。

あべたかあべたか2008/01/31 20:31とんたんさん。

>今までそれが子どもが任されてこなかったからです。

もっともです。
だからどうするかとなります。
「子どもに任されてこなかった」
だからできない。だったらどうするか?
「任せたら」
「任せてもらえない」できたら、上記のようなものが言えないで終わるわけですよね。

それでなのですが、もし、揚げ足をとられていると思われたらすみませんが、

>課題の中で「先生インタビューしてきていいかな?」と子どもが聞けば、それが実現できるようにしてあげれば良いと考えます。「まとめについてもとてもいいインタビューができたけど、どんな風にまとめる?」って聞けば、きっと子どもなりに考えてよいまとめを書いてくるでしょう。

ということですが、子どもから「インタビュー」と出なかったらどうなのでしょうか?そのままさせないわけですか?また「インタビュー」と言った子どもには「インタビュー」をさせて言わなかった子にはさせなかったとして、「教え漏らし」ではありませんが「学び漏らし」が発生しませんか?

また、

>「まとめについてもとてもいいインタビューができたけど、どんな風にまとめる?」

と聞いたとき、今時の子どもであれば、
「え?まとめなければならないの?」
とか
「まっさかぁ。まとめないよ」
などと答える子がいるように思います。
この場合も子どもに任せる……でいいのでしょうか?

※すみません。
「学び合い」について、みなさん「すばらしい」「すばらしい」で話が固まっていますので、あえて一石を投じるつもりで(というよりも、わたし自身の疑問を解決したいというのが大きいですけど)みなさんがムッとされるようなことを書いています。

janglejapjanglejap2008/01/31 20:45私もはい回っています(笑)。私が「インタビュー」をさせたいのなら目標に入れるかな?と思います。
「インタビューしたい」と言った子どもが居て、コミュニケーションが十分あり、可視科がされていれば、その子以外の「インタビューをしたい子はできるような気がします・・。

関係ないんですが、あべたかさんのブログは拝見させていただいていております。それで大先輩のイメージがあったのですが、先日のブログで年齢がわかり、同じ位だ~~っとびっくりいたしました!!

jun24kawajun24kawa2008/01/31 21:10あべたかさんへ
いえいえ、あべたかさんのクラスだったら、それが話されていると思いますよ。あはははは
『学び合い』が成立していれば、かなり高い会話が成立しているはずです。もちろん、社会科を大事にされている先生方が満足するかどうか、それは私は分かりません。でも、指導要領という視点で言えば、勝っていると思います。このことは後でメモにアップしたいと思います。

とんたんとんたん2008/01/31 21:13私は学び合いで大切なのは「方法は任されている」という安心感とみんなで目標を高い次元で達成するということだと考えます。
だから目標を達成できるなら、何でもよいのではないでしょうか。これまでに任されてきた経験の無い子だったら、こんな方法やこんな方法もあるよと教えればよいだけのような気がします。知らない方法を自分で考えなさいと言っても無理だと思います。
そして、インタビューでない方法でアプローチしたい子がいたら無理に合わせさせる必要はないと思います。その子の思う最善の方法でやらせてみればよいのではないでしょうか。
>「え?まとめなければならないの?」
>とか
>「まっさかぁ。まとめないよ」

たぶん、「みんなで学ぶ」ということが染み渡ってればそういう言葉はでないかと…。
仮に出たとしても「じゃあ、どうやってみんなに広げる?」って話せばいいのではないでしょうか。

こんな返答でどうでしょ?

jun24kawajun24kawa2008/01/31 22:13とんたんさんへ
おそらく、それでは専門家は絶対に納得しないでしょうね。ちなみに、身近な人でそれを議論するとよく分かると思います。あははは

iku-nakaiku-naka2008/01/31 22:19あべたかさんへ
長野県の中学校で社会科を教えているiku-nakaと言います。よろしくお願いします(本当は、あべたかさんのブログにいうことなのでしょうけれど・・・)。
私は、あべたかさんのコメントに関していくつか質問があります。

「上位児の子どもたちは、なんか物足りなく、教師が一斉授業をしてくれたほうがよいと考えて、下位児は「やった!学び合いの授業は怠けることができる!」と思うのではないでしょうか。

についてですが、あべかたさんがそう感じている根拠は何なのでしょうか?。生徒が実際にそう言っているのですか?。また、あべかたさんがそう感じているからですか?。

次に、今時の子どもであれば、「え?まとめなければならないの?」とか「まっさかぁ。まとめないよ」などと答える子がいるように思います。

についてですが、やはりこれもあべかたさんの予想ですか。また、実際に生徒がそういう発言があったのでしょうか?。

最後の質問です。あべかたさんは児童・生徒にどのようになって欲しいと思っているのでしょうか?。また『学び合い』についてどう思われているのでしょうか?。

また「インタビュー」と言った子どもには「インタビュー」をさせて言わなかった子にはさせなかったとして、「教え漏らし」ではありませんが「学び漏らし」が発生しませんか?。

の部分からも感じますが、「一斉学習」のほうが『学び合い』よりも「学び漏らし」が少ないとは思いません。また、もし上のような発言を児童・生徒がしたとすれば、それは『学び合い』をやろうが「一斉学習」をやろうが児童・生徒の。「社会は嫌いである」という姿勢は同じだと思いますで。児童・生徒が前向きに学ぼうと思わないのに、私たちがいくら練っても「やらされている授業」という結果は同だと思います。

rion_fujirion_fuji2008/01/31 22:19 >あべたかさん
 あべたかさんがしめされた1~4では初期の『学び合い』にとどまると予想されます。へんな言い方になりますが,子どもを信じ,高い課題に対して様々な方法を駆使して学び合い結果を出すことを求めたことになっていないと考えるからです。
 >janglejapさん
 インタビューは方法なので私は目標に入れないと思います。インタビューによる情報が必要となる結果を示さざるを得ない目標を設定します。
 >とんたんさん
 確かにそのとおりだと思います。しかし,「みんなで学ぶ」の定着ではなく,結果として説明したり,考えた証拠としてノートに残すことが授業の目標として定着していれば,当然のこととしてまとめると思います。なぜならその目的と自分にとっての意味を理解しているから。
 私の結論としては方法に関する発問はあまりしなくてもいいのではないかと思います。それは,子どもたちを評価をして行動へフィードバックしてあげさえすれば,しかるべき方法を選択するはずです。どうしても必要な方法ならその効果と意味をあわせて教えてあげてもいいかもしれませんが・・・。

 最後におそらく(いや確実に)みなさん私よりかなり先輩です。しかし,このブログ上では,年齢・経験を超えて意見を言い合えることが最大のメリットだと思いますので,本音で書かせていただきました。

とんたんとんたん2008/01/31 23:06これぞ可視化ですね。いろいろ意見が聞けておもしろいです。
専門と言えば私は理科です。
全国から多くの方が授業を観にこられたこともあります。
「子どもの予想や考えを基にして」こうした言葉で多くの授業で課題設定がなされます。私もよく指導案に書きました。
しかし、実際には巧みに子どもを誘導して、その課題へと導いていたような気がします 最近観たベテランの先生の理科の授業もそうでした。
研究校から離れて初めて、子どもにゆったりと任せながら授業ができるようになった気がします。
そうすると子どもがよく見えるようになるので、そうした子どもを積極的に評価してあげることで、子どもは益々頑張っちゃうって感じがします。有能感の高い子たちには、それほど方向付けなくてもかなり高いレベルで目標に向かうようです。
理屈で説明できなくてすみません。

あべたかあべたか2008/02/01 04:40とんたんさん。

>知らない方法を自分で考えなさいと言っても無理だと思います。

そうですそうです。
これぞ「学び合い」否定派の一つの理由にもなるかと思います。
つまり「知らない方法」は自分では気づかない。
だから教える側で最善の方法を教えてあげる。
限られた時間で授業を行うわけだから、その方が効率的だし、学校に行ったからこそ身に付けられることを身に付けてくる貴重な時間となる。
ということです。

>仮に出たとしても「じゃあ、どうやってみんなに広げる?」って話せばいいのではないでしょうか。

うーん、場面はちょっと変わりますが。
授業が始まると、必ずPC室に行く子がいます。
2,3人で。
その中の一人に尋ねてみました。
「きみたちのやり方で、学級全員が90点以上取れると思う?」
「はい」
間髪言わずに答えてくれました。

これは、
・学び合う意識が低い
という一言で片付けられるかもしれません。
でも、それで終わってしまっては「学び合い」に?を持っている方々を納得させる言葉にはなりません。

たぶん、西川先生の言葉を予想するに、
「これは、その子の問題ではなく学級全体の問題である。その子ではなく学級全体に働きかけるべき」
とおっしゃるかと思います。西川先生の言われる「説教」ですね。
わたしなりに(まだまだ不十分と言われるかもしれませんが)授業開始5分位をメドに「全員が賢くなる」「全員で賢くなる」ことの大切さ、そして、現状では不十分であることを語っています。
が、
「じゃ、今日の学習を始めてください」
といったとたん、結局は子どもたちは前日とほぼ同じ動きになります。
ここから、どうするか?
そこが混沌としているわけです。
結局、PC室に行く子たちは変わりません。

あべたかあべたか2008/02/01 05:06iku-naka さん。
今後ともよろしくお願いします。
質問ありがとうございます。
少しでも深められたらと思います。


>>「上位児の子どもたちは、なんか物足りなく、教師が一斉授業をしてくれたほうがよいと考えて、下位児は「やった!学び合いの授業は怠けることができる!」と思うのではないでしょうか。

>についてですが、あべかたさんがそう感じている根拠は何なのでしょうか?。生徒が実際にそう言っているのですか?。また、あべかたさんがそう感じているからですか?。

これは、子どもの声とわたしの観察からです。
まず、単元を終えるごとに子どもたちに単元を通しての自己評価アンケートをとっています。いわゆるよくできる子に「ぜひ先生の一斉授業を期待する。友達同士の学習では自己満足で終わる場合が多いし、新しいことを見つけ出すことも少ない。知らないことを知ってそれについて話し合うということもなかなかできないので一斉授業の方がよい」という感じのことを書く子がいます。数名ですが。

観察としましては、どうしても脱力していると感じる子どもたちがいます。
授業参観などで解放したら、親さんたちが怒るのではないかと思いますね。
わたしは今のところ、子どもたちに任せるという形で静観していることが多いですが。
ただし、放任と放任ではないとの違いは何か?
こういうとき考えます。悩みます。
ここで、「おまえたちちゃんとやれ!」と一括することは可能です。
が、それでは「学び合い」が終わってしまいますよね……(苦笑)

>>次に、今時の子どもであれば、「え?まとめなければならないの?」とか「まっさかぁ。まとめないよ」などと答える子がいるように思います。

>についてですが、やはりこれもあべかたさんの予想ですか。また、実際に生徒がそういう発言があったのでしょうか?。

日常会話で、今時の子どもたちであればしょっちゅうではありませんか?
特に中学生であれば、そういうこと言わないのでしょうか?
言わないのだとしたら、目の前の子どもたちがとても高尚な考えを持っている子どもたちであるか、それとも、先生の前では猫をかぶっているかのどちらかのように思うのですがいかがでしょうか?

西川先生は、よく教室を職員室にたとえるとわかりやすいとおっしゃいます。
先生方でも「えー、そんなことやらなければならないの?」という声は頻繁にあがりますよね?
モチベーション、やる気難しいと思います。

>最後の質問です。あべかたさんは児童・生徒にどのようになって欲しいと思っているのでしょうか?。また『学び合い』についてどう思われているのでしょうか?。

昨年3月の文章になりますが、どうして「学び合い」に魅力を感じるのかと言うこととを自分のブログで書いています。それを読んでいただけますと幸いです。

■070305 「学び合い」に取り組むきっかけ
http://blog.abetaka.jp/?eid=610204

>それは『学び合い』をやろうが「一斉学習」をやろうが児童・生徒の。「社会は嫌いである」という姿勢は同じだと思いますで。児童・生徒が前向きに学ぼうと思わないのに、私たちがいくら練っても「やらされている授業」という結果は同だと思います。

そうですそうです。
そういうことを書いてしまうと、だから「一斉学習をしましょう」と論法に持って行かれます。
つまり、義務教育では最低限のことを保障しなければならない。それが子どもたちがやりたいことであってもなくても。学校を卒業すると、それこそ、日常生活では好きなことだけ、仕事の上ではやらなければならないことだけしかしなくなるわけだから、義務教育の中ではぜひにでも、たとえ、いやがってもやらせてあげるのが、子どものためという論法になりませんか?

以前、JRC(日本赤十字)の全国合宿に参加したことがあります。
そこで、自由に討議をする場で、高校の先生がおっしゃっていました。
ボランティアは自発的にするものだから、ボランティアをしなさいと命令してやるものではないという考えがある、が、わたしは反対だ。
高校生を見ていると、小学校の時に無理矢理にでもボランティア体験をしてきた子どもたちが結局は自発的に動く。高校でも老人福祉施設などにでかけるが、小学校などで何もしてこなかった子たちは、何もさせられないできた子たちは、何もできない。やろうとしない。
小学校の先生。ぜひにでも、ボランティアを無理にでもいいからやらせてきてください。

JRCの合宿はすでに4年前の話ですが、ボランティアは自発的にやるものであってやらせるものではないと考える私にとって(今でもその立場ですが)、ずっと頭に残っている言葉です。

あべたかあべたか2008/02/01 05:12rion_fujiさん。

> あべたかさんがしめされた1~4では初期の『学び合い』にとどまると予想されます。

そうですね。わざとこうした書き方をしたのですが、学び合いにもなっていないように思います。じゃあどうするかということです。

>へんな言い方になりますが,子どもを信じ,高い課題に対して様々な方法を駆使して学び合い結果を出すことを求めたことになっていないと考えるからです。

揚げ足をとりますが、ここです。
確かに「変な言い方」だと思うのです。
西川先生は、「学び合い」をするときは子どもがそこにきちんと向かうことができるように(TOSS流に言えば)○×つきやすいように、設定しろと言いますよね。
「きれいな歌声」などという抽象的なめあてでは×かと思います。
そこでですが、
「高い課題」というのがわたしにとっては抽象的でわかりません。「高い課題」と「低い課題」の違いです。
「様々な方法」というのは例えば何でしょう?「学び合い」の授業ではあまり「方法」を駆使するイメージは私にはありません。バリバリ方法を駆使してきた人にとって、または、システムの中で授業を展開させてきた人にとって、この部分が「学び合い」を遠巻きに見ている原因のようにも思えます。
いかがでしょうか?

あべたかあべたか2008/02/01 05:17とんたんさん。

>そうした子どもを積極的に評価してあげることで、子どもは益々頑張っちゃうって感じがします。

これは、個人的にほめてあげるのでしょうか?
全体の前でほめるのでしょうか?
「学び合い」としては個人を取り出してうんぬんすることはしないというのが原則のようですから……?

>有能感の高い子たちには、それほど方向付けなくてもかなり高いレベルで目標に向かうようです。

この場合の目標は、本時のめあてのことですか?
学級全員が高まるということですか?
それとも他のことでしょうか?

あべたかあべたか2008/02/01 05:24iku-nakaさん。

中学校の社会科の教員で、かつ、「学び合い」を実践されているということでたいへん興味をもちました。

中学校の社会科というと、受験社会科というイメージで、つまらない教師の話中心に50分が過ぎるというイメージしかないわたしですが、
中学校社会科で「学び合い」をするとした場合、教科書資料集等をもとに、
「次の単元テストで、全員が90点取れるように学び合いなさい」
だけで終わってしまうように思います。
これでいいじゃないかとおっしゃる先生もいると思いますが、
これでは、教科書等に書いてある社会科用語を覚えたり、それらの意味を調べるだけで終わってしまうことがありませんか?

いわゆる、
・社会的思考力
・PISAで言われている読解力
をつけるようなことを「学び合い」社会科ではどのように行っているのでしょうか?教えていただけますと幸いです。

あべたかあべたか2008/02/01 05:39ちょっとこの文脈から離れるかもしれませんが、少し爆弾的な発言を。

西川先生の言葉をわたしの都合のよいように解釈し展開しますが、
「西川先生はできる人にはできない人の気持ちがわからない」
とおっしゃいます。その通りと思います。それを使いますが
ここにいらっしゃるみなさんの多くは「学び合う」ことが得意であり、上手であり、魅力的だと思っていらっしゃるわけで、「学び合う」ことを嫌がっている、避けたがっている子ども(研究者や授業者のことではありませんよ)の気持ちがわからないのではないかと思いますがいかがでしょうか?

比較的上位児に一斉授業を求める子が多いことを書きました。
これ、わたしにはなんとなくわかります。

話をたとえ話で進めます。
パソコンが高機能化し「マルチメディア」という言葉が流行したとき「インタラクティブ(双方向性)」という言葉ももてはやされました。インターネットはその代表でした。

この双方向性を使って思う存分入力、出力を楽しんでいる人もいれば、テレビという受信機器の代表から離れられない人も数多いです。
考えるに、インタラクティブってエネルギーをたくさん必要とします。面倒です。わずらわしいです。
しかし、受信はそこにいるだけでいいわけですから、とてもらくです。そして、新しく知識を得ることができます。
手っ取り早く、効率よく、知識を吸収できるわけです。

上位児で、自分中心的な人間にとって、「学び合い」なんておっくうで面倒なものと思います。

それをどのようにして、「学び合い」の世界に引き込むか。
これが大切なのではないでしょうか?

結局は、教師の説話(という道徳的な手法)しかないのでしょうか?

あべたかあべたか2008/02/01 05:39ちょっとこの文脈から離れるかもしれませんが、少し爆弾的な発言を。

西川先生の言葉をわたしの都合のよいように解釈し展開しますが、
「西川先生はできる人にはできない人の気持ちがわからない」
とおっしゃいます。その通りと思います。それを使いますが
ここにいらっしゃるみなさんの多くは「学び合う」ことが得意であり、上手であり、魅力的だと思っていらっしゃるわけで、「学び合う」ことを嫌がっている、避けたがっている子ども(研究者や授業者のことではありませんよ)の気持ちがわからないのではないかと思いますがいかがでしょうか?

比較的上位児に一斉授業を求める子が多いことを書きました。
これ、わたしにはなんとなくわかります。

話をたとえ話で進めます。
パソコンが高機能化し「マルチメディア」という言葉が流行したとき「インタラクティブ(双方向性)」という言葉ももてはやされました。インターネットはその代表でした。

この双方向性を使って思う存分入力、出力を楽しんでいる人もいれば、テレビという受信機器の代表から離れられない人も数多いです。
考えるに、インタラクティブってエネルギーをたくさん必要とします。面倒です。わずらわしいです。
しかし、受信はそこにいるだけでいいわけですから、とてもらくです。そして、新しく知識を得ることができます。
手っ取り早く、効率よく、知識を吸収できるわけです。

上位児で、自分中心的な人間にとって、「学び合い」なんておっくうで面倒なものと思います。

それをどのようにして、「学び合い」の世界に引き込むか。
これが大切なのではないでしょうか?

結局は、教師の説話(という道徳的な手法)しかないのでしょうか?

 rion_fuji rion_fuji2008/02/01 08:16 >あべたかさん
 あべたかさんの書かれたコメント考えさせられました。わかっている人は教えられないのかもしれませんね~。
 でも,基本は「目標」「評価」「環境の整備」であり,よけいなことをせずいかにその3つを工夫していくかだと思います。目標の設定については,ドリル的なことや知識を問うようなものは低い目標だと思います。思考力やみんながわかるようなアウトプットを求めることが高めの目標になるのでは?上位の子は,分かっている子に通じるようなアウトプットをしがちです。みんながわかるようなアウトプットをすることが価値があることは共通理解できると思うんですが・・・。

とんたんとんたん2008/02/01 10:08私も学校全体で学び合いに取り組もうとしているので、あべたかさんのような見方はとても考えさせられます。

>これは、個人的にほめてあげるのでしょうか?
>全体の前でほめるのでしょうか?
みんなの前で褒めます。ただ特定の子だけ褒めていくとクラスは荒れていくと思います。
>この場合の目標は、本時のめあてのことですか?
本時のめあてです。または単元の目標でもあります。

うちのクラスのモデルというと、自分が上位だと思っている子はたぶんいないと思います。なぜなら、中位や下位の子からも情報を受けて自分の考えを確かめたり、広げたりしているからです。子どもに主導権を渡していくと、普段上位の子にも考えつかないような見方や考え方を出してきます。
「これがみんな一人一人が持っている力なんだね」と言えば、上位の子ほど、周りの人と関わることを大事にするようになると思います。
どの教科でも専門的で高度な学習とは、専門的な高度な内容を学習することではなく、一人一人の持つ力を引き上げていく学習なのではないでしょうか。そのためには、我がクラスでは学び合うことが最善だと思っています。

あべたかあべたか2008/02/02 05:26とんたんさん。
わたしが「上位児」と書いているのはテスト等の結果からみた私の目です。本人たちはじお分が上位児かどうかなどは意識しないで生活しているものと思われます。

わたしが学び合いを進める中で、ちょっと???と思っているタイプが2つあってそれが、上位児にあたる子であり、下位児であるということです。また、これも前に書いていますが、学び合いをしている子どもたちの9割は学び合いに賛成しています。

時々、(学び合いに限ったことではありませんが)学び合いを子どもたちは100%支持しているということを聞きますが、わたしはへそ曲がりなのでこういう言葉はあまり信用しません。だって、民主主義の考え方であるじゃないですか。全員一致は不採用って。100%というのは何かどこかの圧力などがかかっているのではないかとかんぐってしまいます。

で、ちょっと気になるのが「上位の子ほど、周りの人とかかわることを大事にするようになる」というのはちょっと?です。
とんたんさんの文章を読みますと「上位の子=かかわれる子」という感じに読み取れます。
そうかなぁと思います。確かに今でもなぜか学校は成績が良い子=学級のリーダーという構図になります。勉強ができる子が学級委員的な役割につきます。が、オウムの事件が起きてからというものの「できる子」と「人間としてより良い子」には創刊関係がないことがわかったように思います。
むしろ、小泉政府の政策が顕著ですが、個人主義を明確に打ち出され、できる子はどんどん前へ、できない子はそのままでという幹事になっているように思います。そして、できる子は家庭で手をかけられていることが多いわけで、その手のかけられ方が競争原理で育てられてきます。勝ち負けの論理です。自分ができればそれでよいという感覚になっていないでしょうか?

*ととと……。自分でも書いていて、どんどん話がずれていくようなので、このあたりでそろそろ終わりにしようと思います。お騒がせしてスミマセンでした。

あべたかあべたか2008/02/02 05:27rion_fujiさんは目標設定に関し、高い目標と低い目標の例を書かれています。
低い目標→ドリル的なもの、知識を問うもの
高い目標→思考力、アウトプットを求めるもの
とおっしゃいます。
「学び合い」のしやすさを考えると、低い目標の方がやりやすいですよね。
たとえば、「1週間で学級全員が都道府県名を覚えよう」というほうが子どもたちには達成のイメージがつくので学びやすいと思います。しかし、西川先生はいいます。うまく学び合いが機能しない場合は、目標設定が(特に上位児にとって)低いからだと。高い目標設定にすると抽象的になりませんか?すると子どもたちはどういう状態が目当てを達成した状態かがわからなくなり、学びあうも何もどうしていいのか分からなくなりそうな気がします。
どうでしょうか。

とんたんとんたん2008/02/02 13:57私は上位の子どもには、教えなさいとは一言もいいません。あまり「みんなのために」という気負いも持たせません。上位であろう子どもを観察していると、上位の子ども同士でまず解き始めたり、活動したりしてます。中位の子がそこに合流しながら、一緒に考えたり、ヒントをもらったりしているようです。それが逆になることも学び合いではあります。

昨日、子どもたちにこんな事を聞いてコメント(アドバイス?)を書いてもらいました。

1.学び合いでは全員がちゃんと勉強できないんじゃないと心配し  ている先生がいる。それに対してどうアドバイスすればよいか
2.学び合いだとみんなに任せてるためにもっと大事なことや深い  勉強ができないまま終わってしまわないか心配な先生がいる。

全部をアップするスペースはないので、子どもの大方の意見をまとめますと、
A1 わたしたちを信じて任せて欲しい
  どのように勉強をしているか分かってもらえば簡単
  私も最初はよいと思っていなかったが、今は大事だと考えてい  る。
A2 先生は私たちの力を知ってない。
  学び合うことで分かることがこれだけあるんだから勉強は深い  一斉授業と比べてみれば、分かる。

こんな感じです。子どもの声は説得力があります。さっそく、プリントにまとめて全先生方に配布しました。

jun24kawajun24kawa2008/02/02 22:53あははははは
とんたんさんへ
あなたは『学び合い』をなんたるかをご存じだ。
あはははは

 rion_fuji rion_fuji2008/02/03 00:14 >あべたかさん
 目標の件ですが,私の前の子どもたちは逆です。ゴールが見えすぎていると子どもが教師が求めることがこんなに低いのかと見抜き,学び合うことをやめて他の人に関わることが少なくなってしまいます。オープンエンドに近い目標の場合,ものすごい学びをし,しかも教師の予想以上のことを導き出します。だから総合のほうがすごい学び合いを展開しましたよ。
 余談になるかもしれませんが,「テストで~点をとりなさい」は本来の目標ではなく,学び合って理解した結果を示す指標としての目標だと思います。
西川先生すみません掲示板状態を続行してしまいました。

jun24kawajun24kawa2008/02/03 05:59補足ですが、オープンエンドの場合は、それがいいか悪いかの評価が子どもができるような課題でないとだめですよね。課題で大事なのは子どもがわかることですから。あと、『学び合い』の初期段階においては、ゴールが見えすぎてもいいかもしれません。彼らのネットワークの力はそれほどでもないですから。ただし、「大人になる」というとてつもないオープンエンドの課題はその段階からも必要ですよね。

あべたかあべたか2008/02/03 07:05西川先生、みなさん。
ごめんなさい。本当に本当に、この部分に書き込むのは最後にします。最後に1度だけお許しください。

昨日、ある研修会に参加して、自分が「学び合い」を推進しようと思いつつも、それができない「自分なり」の理由がはっきりしました。それを自分のブログに書き殴っております。
もし、興味がある方はお読みください。
「学び合い」を進めようとしている方々が読むと、お怒りになるかもしれませんので、読まない方がいいかもしれませんが。

■わかった「学び合い」の疑問の出発点、その根源的なもの、そして、わたしが学び合いを推進する資質がないこと
http://blog.abetaka.jp/?eid=732943

とんたんとんたん2008/02/03 11:10あべたかさんへ
ブログ読みました。何となく理解できました。
子どもが学び合いを指示するのは、安心感と達成感と満足感と有能感です。
それは、先生の一言によってもたらされます。
研修会で発言しないのは、安心できない距離感、話しても満たされないという感覚、話しても何も変わらないという見通し感、そして自分は力のない人間だという思いでしょうか。
その思いが分かるからそこ、子どもたちにどのように声をかけていけば良いかが分かる教師になれるのではないでしょうか?
ゆっくり「学び合い」を進めてみてはいかがでしょうか?