西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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07/12/26(水)

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 私は『学び合い』に反対する人と議論するのを避けます。というのは喧嘩になることが目に見えているからです。おそらく、その方の発する反対する理由を、実証的なデータとものすごい単純な理屈(例えば、一人1分の個別対応をしたら、30人では30分かかるという理屈)で論破するでしょう。やがて相手をどんどん追い詰めていきます(これが私の悪い癖)。そうなると、むちゃくちゃのことを言い出すと、それにつきあうのが馬鹿馬鹿しくなります。結果として、言ってはいけないことを言ってしまいます。

 それは、その人が大事だと思っていることに対して、「だから何?」と聞いてしまいます。多くの教師が血道を上げて覚えさせ、理解させていること、それがどんなに無意味だと言うことを実証的に証明することが出来ます。例えば、以下を読んでいただければ、大人は実際の社会生活・家庭生活の経験から、学校で教えていることは社会生活・家庭生活に役に立たないと思っていることが明らかです。

西川純、新井郁男、熊谷光一、田部俊充、松本修(1997.8):生涯教育から見た各科教育、学校教育研究、12、日本学校教育学会、136-147

 さらに、以下を読んでいただければ、実は、それは保護者ばかりではなく、教師自身も実はそう思っているということが明らかです。

西川純、新井郁男、熊谷光一、田部俊充、松本修(1998.7):生涯教育から見た各科教育(その2)、学校教育研究、13、日本学校教育学会

 また、学習するとその知識・技能は汎化するという俗説、例えば、数学が論理的思考能力の育成に役に立つ、という俗説は認知心理学の文脈依存性の研究から誤りであることは明らかです。それは私自身もいくつかの研究で明らかにしています。例えば、以下のような論文があります。

西川純、岩田亮(2000.12):教科間における認識の文脈依存性に関する研究、日本教科教育学会誌、22(3)、日本教科教育学会、1-8

 さらには、「ところで、あなたは、そのことをちゃんと教えているの?」と聞いてしまいます。そして、『学び合い』では、何故、それを驚異的なレベルまで達成できるか、そして、それが達成していないならば『学び合い』になっていないからであることを証明することが出来ます。例えば、以下のような論文がそれにあたります。

小野村リサ、西川純(2006.7):中学校理科学習における生徒間の「教え手-学び手」関係と成績の関連、理科教育学研究、日本理科教育学会、47(1)、75-83

神崎弘範、西川純(2006.11):総合的な学習の時間のねらいを踏まえた理科学習の展開の可能性について、『学び合い』を軸とした生徒による教科書作りの活動を通して、理科の教育(投稿分野)、55(11)、66-71

後藤正英、久保田善彦、水落芳明、西川純(2007.3):理科実験における子どもの課題解決過程に関する実証的研究~実験の予想に着目して~、理科教育学研究、日本理科教育学会、47(3)、1-8

栗田裕子、久保田善彦、西川純(2007.3):相互作用による体育技能の向上に関する研究、小学校3年生および6年生の「鉄棒」単元の学習から、臨床教科教育学研究、日本臨床教科教育学会、7(1)、55-61

市川寛、久保田善彦、西川純(2007.6):小学校算数科における自由な相互作用と学力向上に関する研究、協同と教育、日本協同教育学会、3、10-20

栗田裕子、水落芳明、久保田善彦、西川純(2007.9):学習者同士の相互作用による体育授業の展開と評価、小学校6年生の「バスケットボール」の単元から、日本教科教育学会誌、日本教科教育学会、30、57-64

 そして、最後にきつい一言は「あなたは、なんのために学校の先生になったの?」と聞いてしまいます。多くの教師は、「単語多く覚えさせた。漢字を覚えさせたい。」と思って教師になりたいと思っているわけではありません。まさに「子どもが大人になることに関わりたい」と願っていると思います。ところが、現実の学校での仕事は、それとは乖離しています。もちろん、「大人になる」ことに関われる時間もあるでしょう。でも、それは教師としている時間のほんのわずかです。そのことを心の中で矛盾を感じているはずです。そこに物言いの知らない私が「あなたは、なんのために学校の先生になったの?」と聞けば、これは宣戦布告以外の何ものでもありません。そうなったら感情論です。

 本日、メールをいただきました。その方は、我々の研究・実践を「教師・教育」を考えるきっかけとしていただいた。私はありがたい、と思いました。そして同時に、そうあるべきだ、と思います。どうも、せっかちになると分かってもらえない人に、「だから何?」、「ところで、あなたは、そのことをちゃんと教えているの?」、「あなたよりは、うまく教えられるよ」と言いたくなり、最後に、「あなたは、なんのために学校の先生になったの?」と聞きたくなる。こりゃだめだ。私と違って、「徳」があり、ものの言い方を心得た方であればうまく言えるのだと思います。