西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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07/12/23(日)

[]意味無いじゃん 23:44 意味無いじゃん - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 意味無いじゃん - 西川純のメモ 意味無いじゃん - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今度の携帯は薄いし軽い。と思っていました。ところが、家内からもらったストラップ。また、落とさないようにするためのチェーンをつけたら、結構な重さになってしまいました。薄い・軽いという宣伝、「意味無いじゃん」と思いました。あははは

 昨日は、携帯電話がいつごろ使えるようになるのか不安でした。しかし、本日中におおよそ使えるようになれました。現在の携帯の機能は膨大です。その全てを使えるわけではありあせん。しかし私が必要としているのは、ごく一部です。それは、私がメインはディスクトップコンピュータを利用していることを前提としているからです。携帯の機能の殆どは、ディスクトップコンピューターをモバイルで使える点は優れていますが、機能的に劣っています。決定的なのは、人とのインターフェイスです。

 今度の携帯の画面は驚異的にきれいです。しかし、私は平常では大画面のディスプレイ2つを連動して使っています。携帯の入力の賢さは凄いものです。しかし、両手の指を総動員して入力する速度に勝てるわけありません。

 結局、メインのディスクトップコンピューターを補うために、出張中のモバイルコンピュータがあり、それを補う意味しかありません。電話機能だって、研究室の電話(2台あります)とファックスを補う意味しかありません。となると、必要な機能は限られていますので、それの使い方を覚え、それを簡単に使えるようにする設定は比較的簡単です。

 いじくりながら、素人考えですが、色々考えました。

 今後、通信は高速になり、安価になる方向に進でしょう。そして最終的には実質無料になると思います。その姿は、現在のテレビ・ラジオのようなものに近くなります。機械も安価になり、現在のテレビ並みにありとあらゆる場所に設置されるようになるでしょう。そうなったとき、150g程度とはいえ、数万円の携帯を移動に携えるでしょうか?今の学生さんには理解不能でしょうが、私の小学校5年生の林間学校では、「米」を持参していきました。おそらく、終戦直後のなごりがあったのでしょう。そのころの携帯はどんな姿になっているのでしょうか?

 文明というのは面白いものです。閉鎖的な環境におかれると円熟します。中世ヨーロッパはキリスト教の教義の中でしか許されませんでした。江戸中期も、諸外国の文明流入が著しく制限されました。そのような時代では、古典といわれるものが限定され、それゆえ多くの人がそれを共有していました。聖書の一節を唱えれば、教養人はそれを了解しました。そして、それを前提とした作品が生産されます。江戸中期の場合は芝居がそれに当たります。芝居の台詞を言えば、教養人はそれを了解しました。しかし、そのような古典が限られているので、あまり発展性は見られません。現在の若い人の携帯の利用法も、そのようなものを感じます。先に書いたように、入力方法が限定されているので、それを補う約束事があります。例えば、顔文字などがそうです。携帯各社は、それのコンテンツを高めようとしています。でも、それをいくら使っても、ある狭い限定の中でのことです。2チャンネルで形成される文化の中で、古典といわれるものがどれだけあるでしょうか?「電車男」はありますが、それに続く作品が量産されているとは思いません。古い世代の「おじさん」には、今の携帯文化は過渡的な「あだ花」のように思えてなりません。

 勝手な想像です。今後、モバイルコンピュータと携帯は限りなく差が見えなくなると思います。そして、通話料で金を稼ぐ会社は淘汰されると思います。携帯の形はモバイルコンピュータに近づくと思います。なぜなら、我々の手の大きさ、視界は生物学的に決まっていますから。形としては、ハンカチと同じような大きさ、形状、柔らかさのものがあればいいな~、と思います。まあ、神経に直結したインターフェースができあがれば別の次元に進みますが、そうなると、モバイルコンピュータ・携帯電話と言うより、第二の脳と言うべきものになるでしょう。

 と、ぐじゃぐじゃと駄文を書いていますが、最後に、「今の携帯は、凄くきれいだし、機能充実で、いいな~」と感心しています。矛盾です。

[]うまい授業 15:51 うまい授業 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - うまい授業 - 西川純のメモ うまい授業 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生のブログで一斉授業が出来るか不安だ、という記事が載っていたので、レスしました。

 ゼミ生が卒業するまでに、教える大事なことは三つです。

基本

1)子どもや親のせいにしない。確かに、それが原因なのかもしれないが、それを言ってはおしまい。

2)尊敬すべき、先輩、後輩を捜し、その人といっぱい雑談をする。見いだす方法は、子ども「たち」に聞けばいい。

3)まねられるところはまねる。まねられないところは、まねる必要はない。今の自分のままで、出来る授業はある。

 以上のことは『学び合い』とは違う表現ですが、同根です。そして、それよりレベルが下がるテクニック的なこととして、以下のことを語ります。これは教育実習の直前に語ることが多いと思います。

1)子どもの名前を覚える。

2)子どもを好きになる。好きになれない場合は、そのふりをする。そのうちに好きになれる場合は少なくない。どうしても好きになれない場合は、距離を置く。

3)大きな声ではっきり声を出すこと。のどで語らず、腹で声を出す。

4)その授業で学ばせることを決めること。盛り込みすぎると、分からない子どもは続出する。自分では5分間ぐらいで説明できると思うぐらいで十分。

5)子どもの興味関心を継続させたり、時間調節のための雑談ネタを毎日の生活から見いだす。大受けするようなネタを探そうとすると見つからない。自分が感じた、ごく普通のことが毎日続けられるネタ。

6)以上で分からないことがあったら、周りの人に相談する。愚痴を言う。本を読む。自分で考える。

 私の知る限り、一斉授業で「うまい授業」をするというのは比較的簡単です。「教室のはしにまで届く声を出す」だけでも大幅に改善できます。しかし、私の知る限り、多くの教師がこまかなテクニックを学ぶ割には、声の出し方を知らなすぎます。子どもたちに「嫌いな授業」のアンケートをすると、第一位は「声が聞こえない」、第二位は「言葉がはっきりしない」、第三位は「話の意味が分からない」です。つまり、「音として伝わらない」、「日本語として伝わらない」、「教科内容として伝わらない」です。第三の改善はなかなか大変ですが、第一、第二の改善は比較的簡単です。まあ、1週間程度でもかなりの改善が見られます。

 その他、表情、ボディーアクション、板書の字の大きさ・・・、一斉授業においては教師は役者です。そして演奏者です。指導要領作成者、教科書編成者の台本・楽譜を、いかに表現するかです。それには、いろはの「い」の基礎技術が必要です。どんなテクニックも、お客に聞こえなかったり、見えなかったら、まったく無意味です。

 以上のテクニックは、現在でも講演会で利用します。

 ただし、『学び合い』を知った後では、「くだらない」と思います。だって、上記で出来るのは、子どもを分かった気にさせる程度以上にすることは出来ません。そして、学力以外の面の闇を見えにくくすることは出来ますが、解決できないことを知っているからです。ところが、子どもが分かった気になっているのを見て、分からせた気になっている先生が多いように思います。テストの結果を見れば分かるのに・・・・。そして、子どもたちの名演技の結果、卒業まで闇を気づかずにいる先生も多い。知りたくなので、情報をカットしているのでしょう。でも、本当は気づいているはずです。

 あ、また、きつい書き方しちゃった。

さとう@山形さとう@山形2007/12/24 18:085)の「雑談ネタを毎日の生活から見いだす」に納得しました。
雑談だったり芸能だったり教養だったり流行だったり占いだったり事件・事故だったり何でも。
話題が多いに越したことはないですね。
給食がおいしくなりますから。(^o^)

でも、この頃覚えたのは、子どもから話を引き出すことです。
何も自分がコメディアンにならなくていい。子どもをエンターテイナーにすればいい…と。
これも「同根」かなあ…と思っています。

jun24kawajun24kawa2007/12/24 18:265)はチャップリンの自伝から学んだことです。子どもから話を引き出すというというのは子どもの能力を認めていないと出来ませんよね。それをもっと信じて、さらに、学校教育の目的は何か、を加えれば『学び合い』と同根になると思います。