西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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07/12/18(火)

[]博士 09:09 博士 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 博士 - 西川純のメモ 博士 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は1982年理科教育大学院に入学しました。そして、1984年に最初の学術論文学会に載せました。ということで、学術の世界に踏み入れてから四分の1世紀たったことになります。11年前に研究路線を大幅に変更して現在に至ることになりますが、それ以前は完全に「理科教育学」を専門としていました(ちなみに、現在日本理科教育学会の学会編集委員長ですが)。

 そのころ血道を上げて研究していたのは、理科の特定の学習内容を確実に理解(もしくは覚える)にはどのようにしたらいいかです。特に、数百万年や数億年というとてつもない年数が生物進化地学の地質で扱われますが、それをリアルイメージして学習するにはどうしたらいいかを中心的に研究しました。そして、それは4年前に博士論文としてまとめました。私の頭が「賢かった」ころのエネルギーを注いだ研究をまとめたものです。自分で言うのも何ですが、実に緻密だと思います。

 誰も褒めてくれないので自慢します。私は日本理科教育学で最初に厳密な統計的手続きによって事実を記載した研究者であると自負しています。また、教科教育学において認知心理学の手法を利用する研究を導入したパイオニアであり、それに関して、最も多くの論文を書いた(それも単著で)研究者の一人であると自負しています。多くの学会から学会賞を頂きました。しかし、あらためて自分の学位論文を読み直すと、傷は少ないと思いますが、「だから何?」と感じます。時間概念理科教育学の中心課題の一つでありますが、数百万年の時間をリアルイメージできるか出来ないかで、その子ども人生が変わるとは思えません。

 私は今までに2人の人に博士の学位を主査としてだしました。そして、今年も出そうとしています。その学位論文を読むと、私の論文に比べると「隙」はあります。しかし、しょうがありません、扱っている対象が対象なのですから。そして、その「隙」を補って余りあるものがあります。それは、それによって子どもたちの人生を変える可能性が遙かに高い成果を上げている点です。博士という学位制度が生まれる前から、学術の資格は連綿と続いています。そして、それは、その資格を持つ人の中で特に優れた人たちが集まり、次世代の人に資格を与えるという連綿があります。それはとぎれることなく続いています。私の学位も連綿と続く学灯をたどればアテネのアカデミアに続くはずです。学術は進歩し、変質していき、発展します。与えた人の学術と、与えられた人の学術は違います。私に博士を与えた主査は、元々は理学博士の方で、その後、理科教育で活躍した方です。おそらく、理学の視点で見たら、人を扱う教科教育論文は「隙」が多いと思います。しかし、その価値を認めて頂いたので、学位を与える労をとっていただきました。その私が、私が学位を得た学術とは違った学術の人に学位を与えます。感慨深いものがあります。

 次に学位を与えようとする方の論文を読みながら、上記を思いました。た、だ、し。私は、「まだ」48歳です。感慨に浸ってばかりいられません。己の頭は馬鹿になっても、チームとして仕事を出来る力はまだ残っています。次に学位を与えようとする方に負けないような成果を上げるつもりです。負けないぞ~(最近の息子の口癖です)。

rion_fujirion_fuji2007/12/18 21:37 切磋琢磨できる師弟関係って羨ましいですね。これも西川研ならではなのでしょうか。

jun24kawajun24kawa2007/12/18 21:49もっと、もっと、と、どん欲でなければ、腐ります。ただ、私の性格と、攻め方、を熟知している方は、「もっと」と私に求めません。私の場合は、「はい」と受け、「じゃあ、あなたもね」と切り返すことを知っているから。あはははは
頭は悪くなっても、どん欲さでは、まだまだです。

さとう@山形さとう@山形2007/12/18 22:49うちの学級の子、「体育館で、上級生だけがボールを使っていてこまります」などと、わたしに困りごとを持ってこなくなってきました。担任になんとかしてもらうんじゃなく、まずは自分で何とかしようと思っているようです。
6年生の運営委員や上級生の担任に、問題を直接持ち込んでしまいます。そして「こうしたら、こうでした」と知らせてくれます。
学級の中のことは、「こうしたいですけどいいですか」と言ってきます。

「自分で考えて生きているなあ」と、頼もしく思います。
はらはらもしますが。

「もっと」とどん欲には、なかなかなれずにいます。

jun24kawajun24kawa2007/12/19 06:19ほら、一歩、ふみだして!
どん欲になっても、子どもは応えてくれますよ。
そして、どん欲にならないと、
クラスの集団構成が元に戻ってしまい、腐り始めますよ。
『学び合い』には安定点はありません。
教師は子どもたちのために、どん欲にならねばならないと思います。

さとう@山形さとう@山形2007/12/19 23:22
あ、わかりました。勘違いしていました。
「もっと」という言葉から、追い詰めるようなイメージを持ってしまっていました。
「どん欲に」って「今度も期待しているよ」の意味なんですね。「なかなかよかった。次が楽しみだ。」「おお、期待に応えてくれているね。またびっくりさせてくれよ。」ということでしたら、作戦続行中です。

jun24kawajun24kawa2007/12/20 09:31すみません、言葉足らずでした。
その通りです。
でも、子どもにとっては、その言葉がプレッシャーになるんですよね。
だから、ゼミ生は私の「期待しているよ」が怖いとよく言います。
しかし、「じゃあ、期待しているよ、と言わない方がいい?」と聞くと、首を振ります。
私が期待していることを実現したとき、そのメリットを受けるのは自分であることをよく知っているからだと思います。逆に、それを納得させるのが教師の仕事ですよね。