西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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07/12/07(金)

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 「西川流『学び合い』」という本日のメモに関連して、ある授業が『学び合い』か否かを判別する方法を紹介します。『学び合い』が成立すると集団構成、子どもの動き、視線、言葉など様々な変化が起こります。しかし、それを正しく捉えようとすると、我が研究室がやっているように数十代のICレコーダーで記録し、分析する必要があります。しかし、『学び合い』か否かを判別するだけだったら、極簡単です。

 まず、教師が仕切っている時間です。教師が仕切っている時間というのは、クラスのみんなを黙らせて、自分だけに注目させている時間です。ある時は説明であり、ある時は板書している時間です。それが授業の半分以上を占めていたら、これはそれ以外でどんなに子どもたちを関わらせていたとしても、『学び合い』ではありません。教師の仕切る時間の長さは、自分自身が有能であると考える度合いに比例し、子どもが有能であるという考えに反比例します。まあ15分以上も仕切っていたとしたらイエローゾーンです。

 次に成績です。この成績は何でもいいんです。鳥肌が立つような素晴らしい評価方法であってもいいし、千円以下で買える業者のドリルの問題でもいいんです。ようは、その先生が子どもたちに課した課題に対応していればいいのです。この平均点が驚異的に高いのみならず、最低点が、そのクラスの子どもの実態から考えれば驚異的に高い結果を、数ヶ月にあげ続けているならば、『学び合い』です。平均値は高いが点数にばらつきが大きいのは『学び合い』ではありません。また、点数の乱高下が大きいのも『学び合い』ではありません。

 次に保健室への愁訴率で分かります。本当でしたら不登校率で図るべきなのですが、アスペルガー傾向の子どもに関しては『学び合い』は例外的に時間がかかります。分母が少ない場合、データとしての揺らぎが大きくなります。従って、愁訴率の方が適切です。わかりやすい例ですが、遠足の日に欠席・遅刻する子は少なくなるのと同じ理屈です。(もちろん、私は全ての子どもを救うことを志としています。もちろんアスペルガー傾向の子どももです。ただ、上記に関しては、分かりやすい指標として適切か否かを議論しているのをご了解下さい)

 この三つが同時に、かつ、安定している場合は『学び合い』をしています。それは我々の研究と全く知らなくてもです。『学び合い』の考え方は正しいものです。正しいものは、心ある人は気づくものだと思います。逆に、上記の一つでも欠けていたら、それは『学び合い』ではありません。ちゃんと分析したら、その授業が『学び合い』でないかを学術的に出すことは可能です。ただ、非常に手間はかかりますが。

 ただし、我々の同志が、常に上記を満たしているかと言えば、そんなわけありません。他ならない私自身がそうです。私のクラスである西川研究室に人間関係に歪みが生じたこともあります。達成度が低いときもあります。また、講演会では徹頭徹尾、私が仕切りまくっています。全国の同志の場合も、世のしがらみで苦しんでいる人もいます。

 その時です、その人に聞いてください。「なんで、そうするんですか?」、「なんで、そうなっているんですか?」と聞いてください。もし、「本当は『学び合い』のセオリーに戻るべきなのだが、諸般の事情で・・・」と後ろめたそうに語ったら、それは同志です。しかし、この状態が最善であると言ったり、一斉指導の併用も必要だと言ったりしたら、それは同志ではありません。その様な方は、『学び合い』の初期段階まではいくでしょうが、中期段階、そして最終段階に至ることは、考え方を変えない限り無理です。

 非常に分かりやすい判別法です。