西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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07/12/01(土)

[]教師の仕事 11:58 教師の仕事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の仕事 - 西川純のメモ 教師の仕事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近の「ゆきこさん」のブログに対する「カタギリ」さんのコメントを読んで、「うまく説明しているな~」と感じました。それに触発されて、以下を書きます。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/miyoshiyukiko/20071125

 もし、管下の職員集団が仕えるに足ると判断する校長から、子どものため、学校のため、地域のため、そして自分たちのため、自分のためになると納得できる課題を与えられたとします。そして、「これこれのことは縛りですが、あとは皆さんにお任せします。皆さんにはそれが出来る。全て任せました。とにかく、目標を達成してください。必要な予算は取ってきます。必要ならば、どこにでも行って頭を下げます。問題が起こっても、私が後始末をします。みなさんは目標を達成する、その一点に集中してください」と語られたとしたら、どうでしょうか?職員は燃えるでしょうね。

 そこでです。その校長が職員に「例の件はどうなった?」と報告を求めたらどうでしょうか?その報告の求める頻度が1日ごと、二日ごと、1週間ごと、一ヶ月ごとで職員の行動はどうなるでしょうか?短い頻度になる度に、校長が自分たちを信頼する気持ちに疑いを持ち、さらに、職員のエネルギー配分が、課題達成から校長への報告へ移動するでしょうね。

 別の校長の場合は、1週間たっても、2週間たっても、校長は報告を求めません。職員間で「これでいいのだろうか?」という不安が広がって、校長に途中経過を見せようと言うことになりました。ところが、校長はその途中経過を一瞥もせず、「私は皆さんを信じています。だから、皆さんにお任せしました。責任はとります。期待しています」と職員集団に宣言したらどうでしょうか?あきらかに後者の校長の学校の職員の方が、すばらしい達成度をするでしょう。前者の場合は、校長の悪しきカーボンコピーが生まれます。カーボンコピーは、現物を超えることは絶対にありません。

 さて、後者の校長のことを考えましょう。上記に書いたように、そのことに関しては、完全に任せてくれます。ただ、別なこと、例えば、保護者とトラブッテいる学年に対しては、その報告をこまめに求めていたら。一方、ある校長はトラブッテいることの状況を理解し、最低限の条件(例えば、いつまでに解決すべきであるという日時)を与えた後は、何もしません。ただ、その学年集団が、集団として問題を解決しているかを、職員室での職員の動きからら判断します。集団として動いていると判断したら、何も言いません。ただ、その学年から、これこれのところに行って頭を下げて欲しいと求められたら、それを受け入れます。どちらの校長の下で働きたいですか?

 個々の具体的な事例から言えば、校長がこまめに報告を求めるべき事例があることを否定しません。上記の例は、管理職の信頼と管下の職員の行動には関連があることを理解してもらうための例です。結局、管理職の信頼している範囲内で、管下の職員は行動するのです。そして、管理職が信頼できず、自らが判断すれば、自らのレベル以下になることはありません。しかし、自らのレベル以上になることもないのです。一斉指導と『学び合い』の併用の弊害は、まさに、ここにあるのです。指導力のある先生のは、子どもたちにとって、指導力のある校長と同じです。その方針の下に、気持ちよく働くことが出来ます。それは一斉指導でも、『学び合い』でもです。ただし、子どもも管下の職員も、その管理職のすべての言動を通して、自分たちへの信頼を判断します。そして、それに合わせた行動をします。

 『学び合い』で最高の達成度を実現できるのは、数十人の子どもたちが全員、自分たちの頭の考え、必死にならせる必要があります。限りなく信頼する必要があります。では、管理職は何もしなくて信頼すべきなのでしょうか?そんなことはありません。管理職には管理職だけの仕事があります。私を例にして説明しましょう。

 私は今から14年前に助教授になり、一つの研究室を主宰することになりました。当時の状況は悲惨な状況でした。理科コースに所属していましたが、こく一部ですが、教科専門の先生が理科教育の学生・院生に対してイジメをしました。ご本人は自覚がなくとも、受けた我々はそう判断する言動がありました。まあ、しょうがありません。そのころには我がゼミは理科という縛りがきつくなっていました。理科以外の教科の学習も視野に入れた研究をしていました。それが気に障る先生もいてもしょうがありません。それ故、2年間の政治の結果、学習臨床コースを設立しました。それに必要な会議があり、それに必要な山のような書類を書きました。学習臨床コースに移動して、ゼミの協働が進み、従来のアカデミズムの枠がきつくなってきました。そこに教職大学院の話がありました。それ故、3年半の政治の結果、このたび教職大学院が認可されました。そのために、星の数ほどの会議、嫌になるほどの出張、山ほどの書類を書きました。

 研究を進めるには、予算も必要であり、施設も必要です。それを得るためには学内外の高い評価が必要です。学術論文の数、学術著書、学会賞が必要です。また、ゼミ希望者の数、卒業生の教員採用率、学校現場における評価、教師用図書、教師用雑誌・・、そのすべてにおいて勝る必要があります。その殆どはゼミ生の皆さんがやってくれます。ただし、それを正しく社会に評価させるためには、出版社、学会、学内、学校現場との交渉をしなければなりません。それは私の仕事です。そのために、膨大な書類を書き、出張をし、会議をしなければなりません。

 でも、これって校長の仕事と同じじゃありませんか?以上のような仕事をせずに、毎日毎日、学校にいて、庭の手入れにエネルギーをついやす校長がいい校長ですか?違いますよね。では、教員は違いますか?実は同じなんです。『学び合い』が進めば、子どもたちは「もっと」出来るようになります。そこで、教師が「もっと」を求め続けなければ、クラスは腐ります。安易な解決策を選び、いつの間にか仲良し集団のセクトが生まれてしまいます。もし、「もっと」と教師が求め、子どもも求めたら、安直な右にならえでは実現できません。周りの先生を説得し、一緒にやってもらわなければなりません。保護者を説得し、一緒にやってもらわなければなりません。そのための証拠は、子どもが出してくれます。しかし、それを正当に評価してもらうには、教師の政治が必要です。ある場合は、校外の研究会で発表し、校外にシンパを増やす必要もあります。校長が理解してもらえないならば、もっと力のある人に理解してもらう必要もあるでしょう。また、「もっと」を実現するにはボランティアも予算も必要です。経営学のドラッカーは非営利団体の管理職はボランティアと予算を獲得する能力が必要だと看破しています。

 日本教師の中で、どれだけの先生が、子どもの「もっと」を実現するために政治をやっているでしょうか?自分の開発した教材、いや、自分を見せるためではなく、まず、子どもを見せるために校外で発表している人がいるでしょうか?世の中に「助成団体要覧」というものがあることを知っている人が、どれだけいるでしょうか?そして、それに応募するために、書類を書いた人がいるでしょうか?

 一流の経営者は、管下の職員を信頼し任せます。それは「勉強しなさいを言わない授業」で紹介したリッカートの研究で明らかです。ただし、リッカートが集団参画型と分類した管理職は、むやみやたらに信頼しているわけではありません。失敗した場合には、どのようなことが起こるか、リスク評価をしています。そして、受け入れられるリスクはどこまでで、受け入れられないリスクはどこまでかを判断しています。そして、受け入れられないリスクを避けるためには、最低条件としてどのような条件が必要かを分析します。そして、その最低条件を明示した後で、全面的に任せています。私だって、細かい指導はゴチャゴチャしません。しかし、修士1年の学生さんには、夏と秋の学会に参加し、冬の学会に発表することを求めます。そして、修士2年の学生さんには夏と秋と冬の学会に発表することを求めています。もちろん、その学会発表の詳細を私は知りませんし、指導もしません。しかし、ゼミが集団として取り組んでいれば、絶対にすばらしい研究が成り立つことを知っています。では私は、ゼミが集団として取り組んでいるかを知るために何をしているか?

 学生控え室に行き、ソファーで寝ころび、コーヒーを飲みながら漫画を読んでいます。控え室のドアの外で学生の声が聞こえると、ドアの影に隠れて声を潜め、入ってくる学生を「ワッ」と脅かしてからかいます。毎日、昼にいるゼミ生と学生食堂で飯を食べます。その間話していることは徹頭徹尾、馬鹿話で、研究の話はしません。ゼミ生によれば、私は「頭の良い中学生みたいで、いつも悪戯のことで頭をくるくる回している」そうです。でも、それを通して集団が健全であるか、否かは分かります。

さて、そのようなことを実現できる教師に「専門性」がないでしょうか?馬鹿げています。そのような教師は「暇」でしょうか?馬鹿げています。そして、上記の仕事をせずに、毎日、「右」と「左」の書き順を板書している教師「だけ」が仕事をしているのでしょうか?馬鹿げています。

 私にとっては、これほど自明で当たり前のことを、伝えきれない、自分を自己嫌悪します。とほほ

 本日は、上記の一環の営業活動のために、妻子をおいて、上越から120Kmはなれた新潟市で昼から講演です。このメモも移動電車車中の1時間半で書きました。自宅に帰るのは20時半ぐらいです。

追伸 政治のために心ならずも併用している同志へのアドバイスです。そのことは子どもにちゃんと語ってください。そうすれば理解します。そして、全面的な『学び合い』に極めて近い行動をします。ちゃんと信頼することが大事です。

yu-rikiya-ta-35yu-rikiya-ta-352007/12/01 16:08「カタギリ」さんのコメント読みました。
>ぜひ、『学び合い』は「方法」ととらえず、「文化」・「雰囲 > 気」・「空気」ととらえてください。
なるほど、凄く奥の深い言葉に思えます。なんとなく分かるのですが、自分なんか足元にも及びません。それが分かるよう取り組んでいきたいと思います。

iku-nakaiku-naka2007/12/01 16:28 お仕事ご苦労様です(笑)。今日のブログを読んで、私が「一斉授業」をして頃「ドキッ」っとしたことと、今回のお話がつながるような気がしたので書き込みました。少し長くなりますが、ご容赦下さい。
 社会科のある授業の時「『大日本国帝国憲法』と『日本国憲法』の違いについて、教科書や資料集を見ながらまとめなさい。後で発表してもらいますよ」というような課題を生徒に与えました。生徒が活動している間、机間指導をしていたのですが、その時あることに気づきました。それは、能力の高い生徒の方がノートのまとめ方が「いい加減」で、私語が多いということです。「普段の授業は真面目に取り組めている生徒なのに・・・?。」と不思議に思っていましたが、その時は理由が分かりませんでした。そして、ある時にこんな生徒同士の会話が聞こえて来ました。この会話は、能力の高い生徒A生と能力の低い生徒B生との会話とします。
 A生「(B生に)ねえ、何でそんなに真面目にまとめるの?。」
 B生「(驚いた様子で)え!?、だって先生がまとめろっていっ    たじゃん。」
 A生「だってさ、どうせ最後は先生がまとめるんでしょ。だった    ら、それを書けばいいんじゃん。」
 B生「でも、当てられたら困るし・・・。」
 A生「そりゃ、当てられても困らないくらいのまとめはするけ     ど。自分でまとめて先生がまとめるから面倒じゃん。」
B生「そうか・・・。ならノート見せてよ。」
 この会話を聞いた時、能力の高い生徒が「適当なまとめ」をする理由が分かったと同時に、自分の指導方法に「不甲斐なさ」を感じたことを覚えています。授業で活動をさせる際、生徒はその「意図」を読みます。その力は、私たちの想像をはるかに超えるものです。「板書だけの授業はつまらないだろうから、少し活動でも入れるか」程度の「薄っぺらい意図」など、生徒はすぐ見抜いてしまいます。
 今思えば、私は生徒を信頼していなかったのです。だから、その意図を読み取った生徒(特に能力の高い生徒)は真剣に活動をしなかったのです。また、それが分かってもそれを改善できずにいた私が「一斉授業」を行っていた当時の私です。そして、次第にその部分から目を背けていたように思います。しかし、今は「学び合い」に出合い「理想」を追い求めることができるようになりました。ややり、私たち教師が「理想」を追い求めることをしなくなったら、生徒に対して失礼だと思います。そういった「気概」や「使命感(ちょっと大げさ?)」、または「始める勇気」や「やり続ける気持ち」が大事なのでないでしょうか。まさに「継続は力なり」ですよね。教師が「手だて」のみに右往左往しているウチは、生徒は本気にはなりませんよね。N先生!!。

jun24kawajun24kawa2007/12/01 21:43yu-rikiya-ta-35さんへ
 もう、あなたは分かっていますよ。あとは政治をしてください。期待しています。
iku-nakaさんへ
 偉そうに書いていますが、私も何度も失敗しています。でも、結局、『学び合い』のセオリーに戻るべきであることに気づきます。
 でも、怖い事例ですね。ぞ~・・・としました。でも、考えてみれば、自分自身もそうしていました。

miyoshiyukikomiyoshiyukiko2007/12/02 14:08お久しぶりです。最近の24kawa先生の日記を読み、ひっそりと自分の考えを自分の日記に記していました。katagiriさんからコメントをもらい、さらにこちらの日記にもコメントが紹介されていたので、それだけで嬉しくなりました。
「『学び合い』って何?」という素朴な疑問が、改めて学び合われているように感じています。まだまだ、分からないことが多い私ですが(勉強不足ということで)、小さなことをコツコツと積み重ねていきたいと思います。

jun24kawajun24kawa2007/12/02 15:26miyoshiyukikoさんへ
日記を見ながら、進まれていることを感じています。
私だって、偉そうに書いていますが、まだまだです。
書きながら、自分に言い聞かせています。
いっしょにやりましょうね。