西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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だめで元々で、とりあえずドロップボックス(http://db.tt/bMZAZwx)とjimdo(http://jp.jimdo.com/)の無料アカウントを登録してみてはいかがでしょうか?実に簡単ですから。

本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

07/12/31(月)

[]ありがとうございます 17:26 ありがとうございます - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ありがとうございます - 西川純のメモ ありがとうございます - 西川純のメモ のブックマークコメント

 このブログを書き終えれば、息子を風呂に入れ、酒を飲み、そのまま寝ます。ということで一年を振り返って。感謝の一言です。

 「家族仲良く、健康で」が最大の願いです。それが満たされた一年でした。神様、仏様、ご先祖様、すべての方向のすべてに感謝します。

 多くの出会いがあり、同志の協力があり、目指すべき方向に確実に進むことが出来ました。同志の皆様に感謝します。来年こそ、大化けを形にしましょう。

 休日・祝日・夏期休業中・冬期休業中・盆を含めて、私のところには日に百を超える仕事上のメールが来ます。ところが、この数日は本当に、殆ど来ない。1年の中で、どんなに忙しい人でも強制的に休まされるのが、年末年始だと思います。しかし、そのしわ寄せは、明けてから来ます。が、とにもかくにも休まねば。

 あ~、酒飲んで寝よ~

池田修池田修2007/12/31 19:17いろいろとお世話になりました。あの山科の飲み屋の夜は一生忘れません。二月にはまた京都にお越しいただく事になりますが、よろしくお願いいたします。良いお年をお迎えください。

ftogpxtakaftogpxtaka2007/12/31 21:45西川先生と出会えたことが今年だけでなく、一生の宝物です。本当にありがとうございました。そして、来年もよろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2008/01/01 07:54池田さん、ありがとうございます。新年の山科の飲みを楽しみにしています。
ftogpxtakaさん、過分なお言葉、むずがゆい。もうすぐ、現場復帰ですね。楽しみですね。

07/12/30(日)

[]新戦略 17:48 新戦略 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新戦略 - 西川純のメモ 新戦略 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「不満」http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20070808というメモに以下のようなことを書きました。

 『私は長年、携帯電話を使いませんでした。私の周りの人の殆どすべての人が使っているのにも関わらず使いませんでした。使ってみれば、これほど便利なものはありません。長年、意固地になって使わなかったのが、馬鹿みたいです。これは、ブログにせよ、電子メールにせよ、同じです。今では上記三つは、私の3種の神器になっています。

 なぜ、それをなかなか使わなかったかと言えば、とりあえず携帯電話が無くても、生活できるから不満があまりなかったからです。携帯電話が「もっともらしい」ことも、「生産的」であることも知っていました。しかし、私にとって携帯電話をピコピコ指で押している学生さんの姿は魔法使いのように思えました。そして、私がそれを使えるようになるには、そうとう大変だと思っていました。簡単に言えば、面倒だったんです。だから、いろいろな屁理屈・小理屈で先延ばしにしていました。』

 この壁を破るのは大変です。ところが、世の中には志の高い教師は少なくありません。とりあえずは人様から文句を言われない、いや、「良い先生」という評価を受けているにもかかわらず、新たな世界を挑戦する人がいます。私より数段も偉い方々です。現在、『学び合い』を背負っていただいている方々は、そういう方々です。その方々が、広げようとしていますが、なかなか手強い。どうしたらいいのだろうか・・・、と考えていたら新たな戦略が思いつきました。

 思考過程は、以下の通りです。まず、上記のメモのことを思い出して、自分の過去を振り返りました。そして、いかに私が携帯電話を拒否しつつけていたかを思い出しました。次に、「では、携帯電話はどうやって拡大したのだろうか?」と考えました。思い出してみたらば、携帯電話を最初に使い始めたのは若い人たちです。そうすると幸島のイモ洗い文化の伝搬を思い出しました。幸島でイモ洗いを発見したサルは若いサルです。そして、その文化は若いサルに広がりましたが、年長のサルは学びませんでした。そして、その若いサルが年長になり文化が定着しました。そう考えると、「漫画」、「アニメ」、「インターネット」の全ては若い世代から広がり、古い世代から罵詈雑言を浴びせられ続けました。しかし、それらを受け入れた世代が年長になることによって、文化として認められるようになってきました。

 私はかつて以下の論文を書きました。

 西川純、吉江健治(2000.9):理科教師の実践能力に関する事例的研究、上越教育大学研究紀要、20(1)、上越教育大学、29-37

 それによれば、教師の職能形成は、教材→指導法→集団の順番で発展します。そして『学び合い』の基礎的な見方である、集団を見るのはだいたい7、8年以上かかります。さらにいえば、その段階になっても教材でとどまっている教師も少なくありません。そのため、私の中には『学び合い』が分かるのは若い教師は難しい、という意識があったのだと思います。しかし、考えてみれば、経験を積めば「集団」の見方に達するというわけではありません。そして、経験を積めば「とりあえず」出来るようになります。つまり、経験を積めば積むほど、『学び合い』を受け入れがたくなるわけです。もちろん、経験を積んでいながら『学び合い』を受け入れられる人は、ひとたび受け入れれば凄い力を発揮します。そして、その影響力は大です。従って、その方々に広げる努力はし続けていく必要があります。しかし、若い人に広げる努力が足りなすぎていた、と反省しました。

 考えてみれば、その準備は十分に整っているように感じます。『学び合い』を理解した教師の手引きがあれば、新任2、3年の先生が数週間でも『学び合い』は十分に会得出来るということは証明済みです。いや、『学び合い』文化がクラスに根付いているならば、学部生でも飛び込みで『学び合い』が出来ることは証明済みです。さらに、かつてのYzさんの研究、また、今年のSさんの研究によって、教師同士の文化の伝達に関するシンプルなセオリーは解明済みです。

 あはははは。若い教師の『学び合い』の理解の過程を研究する、それは面白いテーマです。そのフィールドを確保するメドもつけられる。それを分析し、それを本にまとめる。タイトルは「若い教師のための『学び合い』」なんてどうでしょう。出来れば、漫画版なんて作ったら・・・・

 100%の勝算があります。あははははは

[]年末 15:07 年末 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 年末 - 西川純のメモ 年末 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は東京生まれの東京育ちです。そういう人に多いのですが、東京タワーに上ったことがありません。しかし、息子が願うので、登りました。メジャーな東京ディズニーランドや大宮の鉄道博物館には行きたがらず、息子が行きたがっていたのは葛西の地下鉄博物館です。行きましたが、がらがらでした。結果として、実物大の運転シュミュレーターを退職運転手(?)の方の指導の下に、思う存分楽しむことが出来ました。大喜びする息子を見て、私も楽しかった。

[]教職大学院 15:07 教職大学院 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教職大学院 - 西川純のメモ 教職大学院 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 年末です。今年一年を振り返りたいと思います。私以外には全く意味がないのですが、備忘のためにメモします。今から、3年後に見直したい。

 今から3年前に「新年に当たって(意味不明編)http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20050102」を書きました。それから3年たち、あの頃考えていた計画はほぼ満額を達成することが出来ました。今だから書けますが、あのときは、教職大学院をイメージしてメモりました。

 そのときの更に3年前に、学習臨床コースを立ち上げることに汗をかきまし。しかし、立ち上げの際の詰めが甘かったために、立ち上げ当初より、その限界を感じていました。そのため、ごく早い時期から、新たなコースを立ち上げることを考えていました。そんなことを数年考えていた、今から3年前の夏に専門職大学院制度を知りました。直ちに、その可能性を感じました。しかし、私が考えていたイメージを実現することは、現状の大学の組織から考えればほぼ無理です。

 大学は学術を基礎とする組織です。学術によって評価するシステムが基本です。従って、実践における業績がいくらあろうと、結局はそれは評価されません。従って、学術に関しては業績があっても、実践に関しては業績がない教員が殆どです。教職大学院では学術と実践が融合した組織であることが求められます。しかし、残念ながら、上記の通りの理由から、大学には学術だけのスタッフばかりです。そして人事的にはかつかつです。結果として、現在、大学にいるスタッフの横滑りが主になります。結果として、教職大学院を設立した大学の殆どでは、学術業績のみの教員が中心となり、実践のみの元教師でスタッフを構成します。前者が学術を語り、後者が実践を語り、学生の中で融合することが期待されます。しかし、学術と実践がバラバラでそれらが融合できないのは、今までの教員養成の歴史が証明しています。本当の学術と実践が融合するためには、学術と実践が融合した人が講義・演習をしなければならないと考えました。小中高の教員としての経験を持ち、実践に関しての業績を持ち、かつ、学術の業績を持つスタッフであることが必要です。さらに、その学術は現場実践の問題解決のための学術でなければなりません。具体的には、小中高の教職経験または、学校管理職の経験が必要です。そして、現場実践に関しての業績が必要です。例えば、自分の勤務校地域外での講演・各種団体の教育賞の受賞歴・教育委員会での委員経験が必要です。また、教師用雑誌における実践論文の業績が必要です。さらに、一定の基準を満たす学会における学術論文の業績が必要であり、教育に関する修士・博士の学位が必要です。このすべてを満たすスタッフが望まれます。ものすごい基準です。全員で170人以上という、平均的な教育学部の2倍のスタッフ数を誇り、かつ、現職経験者の大学教員が多いという上越教育大学でも十人はいません。おそらく平均的な教育学部では2、3人いるかいないかだと思われます。私は、上記のようなスタッフだけで大学院を作り、そのようなスタッフだからこそ出来るカリキュラムを実現するという、とてつもない望みを持ちました。望みを持ちましたが、正直、それが実現できるとは思えません。しかし、とにかくもがき続けました。

 上越教育大学の置かれた環境は厳しいものです。生半可な改革では生き残れません。それを理解した大学管理職の方針と、大学全体としての理解によって、その無理だと思った私の考える最高の教育を実現できる教職大学院が設立することが出来ました。そして、それを真に担えると思える人材を上越教育大学に迎え、迎えようとすることが出来ました。

 大満足です。よくぞここまで、と思います。そして、関係者の協力に感謝し、時代の流れを喜びたい。

 この大学院の設立の申請書に書かれた人は、2年間はそれに専念しなければなりません。私は最善を尽くすつもりです。しかし、同時に、上記の結果として、上越教育大学での私という位置は2年で終わると感じます。これだけ優秀な人ばかりがいるのですから、私の代わりはいくらでもいますし、私以上の働きをすると感じます。花伝書のいう次の時期に至ったことを感じます。しかし、次の姿がまだはっきりとは見えてきません。今から約十年前、私が研究し、指導するというスタイルから、学生さんと協働するというスタイルに移行しました。その際は、自分の進むべき道は、ある程度見えていたし、移行も自然でした。しかし、今回はまだ見えない。見えないのに、自分が上越教育大学に不必要になってくる時間が迫っていることを感じて、焦り始めています。

07/12/27(木)

[]インターネット環境 07:53 インターネット環境 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - インターネット環境 - 西川純のメモ インターネット環境 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日より数日間、ネット環境は必ずしもよくありません。関係各位はよろしくご了解下さい。レスが無くても、遅れても他意はありませんので。

07/12/26(水)

[]志 22:15 志 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 志 - 西川純のメモ 志 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は『学び合い』に反対する人と議論するのを避けます。というのは喧嘩になることが目に見えているからです。おそらく、その方の発する反対する理由を、実証的なデータとものすごい単純な理屈(例えば、一人1分の個別対応をしたら、30人では30分かかるという理屈)で論破するでしょう。やがて相手をどんどん追い詰めていきます(これが私の悪い癖)。そうなると、むちゃくちゃのことを言い出すと、それにつきあうのが馬鹿馬鹿しくなります。結果として、言ってはいけないことを言ってしまいます。

 それは、その人が大事だと思っていることに対して、「だから何?」と聞いてしまいます。多くの教師が血道を上げて覚えさせ、理解させていること、それがどんなに無意味だと言うことを実証的に証明することが出来ます。例えば、以下を読んでいただければ、大人は実際の社会生活・家庭生活の経験から、学校で教えていることは社会生活・家庭生活に役に立たないと思っていることが明らかです。

西川純、新井郁男、熊谷光一、田部俊充、松本修(1997.8):生涯教育から見た各科教育、学校教育研究、12、日本学校教育学会、136-147

 さらに、以下を読んでいただければ、実は、それは保護者ばかりではなく、教師自身も実はそう思っているということが明らかです。

西川純、新井郁男、熊谷光一、田部俊充、松本修(1998.7):生涯教育から見た各科教育(その2)、学校教育研究、13、日本学校教育学会

 また、学習するとその知識・技能は汎化するという俗説、例えば、数学が論理的思考能力の育成に役に立つ、という俗説は認知心理学の文脈依存性の研究から誤りであることは明らかです。それは私自身もいくつかの研究で明らかにしています。例えば、以下のような論文があります。

西川純、岩田亮(2000.12):教科間における認識の文脈依存性に関する研究、日本教科教育学会誌、22(3)、日本教科教育学会、1-8

 さらには、「ところで、あなたは、そのことをちゃんと教えているの?」と聞いてしまいます。そして、『学び合い』では、何故、それを驚異的なレベルまで達成できるか、そして、それが達成していないならば『学び合い』になっていないからであることを証明することが出来ます。例えば、以下のような論文がそれにあたります。

小野村リサ、西川純(2006.7):中学校理科学習における生徒間の「教え手-学び手」関係と成績の関連、理科教育学研究、日本理科教育学会、47(1)、75-83

神崎弘範、西川純(2006.11):総合的な学習の時間のねらいを踏まえた理科学習の展開の可能性について、『学び合い』を軸とした生徒による教科書作りの活動を通して、理科の教育(投稿分野)、55(11)、66-71

後藤正英、久保田善彦、水落芳明、西川純(2007.3):理科実験における子どもの課題解決過程に関する実証的研究~実験の予想に着目して~、理科教育学研究、日本理科教育学会、47(3)、1-8

栗田裕子、久保田善彦、西川純(2007.3):相互作用による体育技能の向上に関する研究、小学校3年生および6年生の「鉄棒」単元の学習から、臨床教科教育学研究、日本臨床教科教育学会、7(1)、55-61

市川寛、久保田善彦、西川純(2007.6):小学校算数科における自由な相互作用と学力向上に関する研究、協同と教育、日本協同教育学会、3、10-20

栗田裕子、水落芳明、久保田善彦、西川純(2007.9):学習者同士の相互作用による体育授業の展開と評価、小学校6年生の「バスケットボール」の単元から、日本教科教育学会誌、日本教科教育学会、30、57-64

 そして、最後にきつい一言は「あなたは、なんのために学校の先生になったの?」と聞いてしまいます。多くの教師は、「単語多く覚えさせた。漢字を覚えさせたい。」と思って教師になりたいと思っているわけではありません。まさに「子どもが大人になることに関わりたい」と願っていると思います。ところが、現実の学校での仕事は、それとは乖離しています。もちろん、「大人になる」ことに関われる時間もあるでしょう。でも、それは教師としている時間のほんのわずかです。そのことを心の中で矛盾を感じているはずです。そこに物言いの知らない私が「あなたは、なんのために学校の先生になったの?」と聞けば、これは宣戦布告以外の何ものでもありません。そうなったら感情論です。

 本日、メールをいただきました。その方は、我々の研究・実践を「教師・教育」を考えるきっかけとしていただいた。私はありがたい、と思いました。そして同時に、そうあるべきだ、と思います。どうも、せっかちになると分かってもらえない人に、「だから何?」、「ところで、あなたは、そのことをちゃんと教えているの?」、「あなたよりは、うまく教えられるよ」と言いたくなり、最後に、「あなたは、なんのために学校の先生になったの?」と聞きたくなる。こりゃだめだ。私と違って、「徳」があり、ものの言い方を心得た方であればうまく言えるのだと思います。

[]我に百万の味方有り 18:13 我に百万の味方有り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 我に百万の味方有り - 西川純のメモ 我に百万の味方有り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、以下のようなメールを頂きました。日本には私の全く知らない方が、『学び合い』を理解し、実践して頂いている。そう思うと、私の知らないところにも、いっぱい味方がいると感じました。嬉しい。

『初めまして、私は秋田県に住んでいる○○歳の教師です。名前は○○と申します。今年の3月に本屋で先生の「「座りなさい」を言わない授業」を読み感動し、その後先生の著書を全部揃え、読ませていただきました。「何となく教師という仕事が分かっている」と思っていた私に大変な驚きと感動、初任の頃の夢や希望を思い出させていただきました。その後、いろいろなことがあり、今年一年は、「教師・教育」を考える上で、本当に勉強になった年となりました。これも先生のおかげです。忙しい年の瀬ですが、ぜひ一言お礼を申し上げたく、突然ですが、メールをいたしました。来年もよい年になりますこととご家族皆様の健康とご多幸をお祈りしております。ありがとうございました。

平成19年12月 雪の少ない雪国にて

秋田県○○市 ○○○○

上越教育大学 西川純先生へ』

[]詐欺ではなかった 15:12 詐欺ではなかった - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 詐欺ではなかった - 西川純のメモ 詐欺ではなかった - 西川純のメモ のブックマークコメント

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20070820の続報です。やっと本年度番の 「Who's Who in the World」の現物を読むことが出来ました。見ると、確かに掲載されていました。ネットで再度、調べると『Who's Who in the World® はシリーズの中で最も選択基準が高く、国家元首および親族、政府首脳、政界実力者、財界実力者、大企業の経営者、ノーベル賞受賞者などの著名な学識経験者、世界的に活躍する芸術家や芸能人、オリンピックや世界大会のメダリスト、スポーツの世界記録保持者、世界的ベストセラー作家のように、国際的に著名であることが重視される。また、世界各国の大学図書館や企業が所蔵するなど、世界で最も権威ある紳士録とされ、215カ国の約6万人の人物情報が収録されている。』とあり、掲載されることは大変名誉なこと「らしい」。しかし、なんで私が選ばれたのか、不思議です。詐欺ではないことは確かなんですが・・・・

冷静に考えれば、商売として成り立ちうる基礎は十分にあります。この本はかなり高価です。従って、週刊誌やベストセラー並みに売れなくても、そこそこでペイします。その本が、世界各国の大学図書館や企業が固定客として買います。また、掲載された人も買うでしょう。ただし、掲載された人の選択に問題が多い場合(皆無というわけではありません)や、人数が膨大だと、その権威は失われてしまいます。あっという間に無価値になります。例えば、かっては銘酒といわれた酒が、あっという間に人気暴落というのはよくありますよね。従って、出版社は掲載者の選択に最もエネルギーを費やすはずです。

ということで、本当に不思議です。

07/12/25(火)

[]いかにも・・・ 21:45 いかにも・・・ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - いかにも・・・ - 西川純のメモ いかにも・・・ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我が家では、朝と夕方に「神様、仏様、ご先祖様」にお参りします。といって、なんらかの宗旨があるわけではありません。朝夕に、お日様に柏手をするようなものです。本日の夕方もありました。家内は息子に、「ほら、今日はサンタさんからプレゼントいただいたのだから、ちゃんとお礼しなさい」と言ってお参りさせました。お参りさせた方向には神社のお札と、仏様のお札と、死んだ父親(息子の祖父)の写真があります。サンタさんのお礼を受けた、神様、仏様、ご先祖様も困るかな・・・とも思いましたが、汎神論的な考え方は日本的だし、私的だからいいのではないか、と思いました。神仏は我々おろかな人間に認識できるようなものでは無いと思います。その人間には認識できない高次な次元の神仏に感謝しました。まあ、超拡大版の本地垂迹みたいなものです。我が父をはじめとするご先祖様は、我が息子が頭を下げて感謝すれば、ニコニコしているに決まっています。

[]語る 21:45 語る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 語る - 西川純のメモ 語る - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は色々な方に語りました。

 地元の高校生に語りました。1時間半×2回です。腹で語っているはずなのに、のどが痛くなると言うのは修行が足りません。大阪の越後屋君と語りました。危ういけど、それを乗り越えられる力があると思います。越後屋君の先輩とも語りました。若い教師です。これからどんどん吸収するでしょう。

 教育はすばらしいし、それの最前線にいる教師がすばらしい。それが伝わるように語りました。きっと伝わった人もいると信じています。

[]クリスマスの朝 08:56 クリスマスの朝 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - クリスマスの朝 - 西川純のメモ クリスマスの朝 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は、家族でクリスマスを祝いました。楽しかった。息子を寝かしつけようと思って、私が寝かしつけられました。結局、起きたのは10時半、ただちに家内と一緒にプレゼントを靴下に入れました。靴下といっても、プレゼント用の家内作成の巨大靴下です。そこには息子の手紙がありました。文面は「サンタさん。プレゼントを「くつした」に「山ようしんかんせんのうんてん」をこのくつしたにいれて下さい。(Wi-つき)」です。ご丁寧に「山」と「下」にはフリガナを書いてあります。フィンランドからくるサンタさんが読めるようにという息子の配慮です。

 この1ヶ月ほど、息子は毎日、何回もサンタさんにお願いしています。お祈りは「サンタさん、サンタさん、電車でGoの山陽新幹線を下さい」です。昨日も祈っていました。そして、昨日「サンタさん。プレゼントを「くつした」に「山ようしんかんせんのうんてん」をこのくつしたにいれて下さい。」と書きました。昨日の夕方、「あ!!!!!!!」と息子が大声を出しました。ビックリして、聞くと「Wiiも一緒に頼むのを忘れた・・」ということでした。慌てて、手紙に「((Wi-つき)」を加筆し、安心したようです。

 本日の朝、直ぐに起きて、大喜び。期待通りの喜び方です。よかった。よかった。

janglejapjanglejap2007/12/25 15:19おいのり!かわいいです。フリガナのおかげでサンタさんにもわかってもらえてよかったですね~。
わが子もテーブルにおかしと飲み物をおいて「ごゆっくりたべたりのんだりしてください サンタさんへ」と手紙を書いていました。
(それも5年生)

jun24kawajun24kawa2007/12/25 15:37あははははは
5年生になっても信じられる子ですか・・
いいな~
じゃあ、我が家は6年生まで挑戦です。

さとう@山形さとう@山形2007/12/25 20:29わが家では「サンタ信じないならプレゼント来なくなるけど、どうする?」と尋ね、「信じます!」と言わせました。
(^o^)>
同僚は「お父さん・お母さんがプレゼントくれるの?それはサンタを信じなくてプレゼントもらえないのがかわいそうだから、そうしているんだよ。」と言ったそうです。これもウマイと思います。

jun24kawajun24kawa2007/12/25 21:29納得のさせ方も様々ですね。
これから小学校6年生まで5回は説得しなければ。

iku-nakaiku-naka2007/12/25 22:53大阪にも「越後屋さん」がいるのですね!!。
マズイ・・・先を越されてしまうかも・・・(汗)。
休み中に校長先生と相談しなければ・・・。

jun24kawajun24kawa2007/12/25 23:10みんなが幸せになる悪巧みはいっぱいしましょうね。

07/12/24(月)

[]無理のある問題 09:45 無理のある問題 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 無理のある問題 - 西川純のメモ 無理のある問題 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子の夏休みの宿題の○付けをしています。簡単な足し算引き算をするのは老化防止の計算をしているようなものです。普段使っていない部分を使っているようです。

 文章題には、いいな~っと思う問題がありました。例えば、「かぶとむしを とりに やまへ いきました。16ぴき とりました。ともだち 3にんに ぜんぶで 9ひき あげました。 なんびき のこっていますか。」という問題です。「ともだち 3にんに」の部分がちょっとひねっていますね。一方、無理があるな~という問題があります。例えば、「よる ほしが 7こ ひかっていました。 しばらくして みると 6こ ふえていました。 いま ほしは なんこ ひかっていますか。」という問題です。星が7個だけ光っている状態、さらに、6個増えるという状態があり得るでしょうか?星の光の強さは千差万別です。見える、見えないがはっきり分けられるわけはありません。それに満点の空に星が7個だけ光っている状態なんてあり得るわけありません。実際に星を見れば、この問題に無理があることは明白だと思います。以前、『「13個のアメを二人で分けると何個でしょうか?」という問題の答えは6.5個ではなく、7個と6個だ』という文章を読んだことがあります。全くその通りだと思います。

makine45makine452007/12/24 15:02算数の問題をこのように読み出すと、かなり笑えます。授業のときによく笑っています。高学年になると、もっと笑えるので楽しみになさってください。

jun24kawajun24kawa2007/12/24 15:15それ、ブログでアップしてよ、お願い。
コンピュータ画面の前で大笑いしたい!

07/12/23(日)

[]意味無いじゃん 23:44 意味無いじゃん - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 意味無いじゃん - 西川純のメモ 意味無いじゃん - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今度の携帯は薄いし軽い。と思っていました。ところが、家内からもらったストラップ。また、落とさないようにするためのチェーンをつけたら、結構な重さになってしまいました。薄い・軽いという宣伝、「意味無いじゃん」と思いました。あははは

 昨日は、携帯電話がいつごろ使えるようになるのか不安でした。しかし、本日中におおよそ使えるようになれました。現在の携帯の機能は膨大です。その全てを使えるわけではありあせん。しかし私が必要としているのは、ごく一部です。それは、私がメインはディスクトップコンピュータを利用していることを前提としているからです。携帯の機能の殆どは、ディスクトップコンピューターをモバイルで使える点は優れていますが、機能的に劣っています。決定的なのは、人とのインターフェイスです。

 今度の携帯の画面は驚異的にきれいです。しかし、私は平常では大画面のディスプレイ2つを連動して使っています。携帯の入力の賢さは凄いものです。しかし、両手の指を総動員して入力する速度に勝てるわけありません。

 結局、メインのディスクトップコンピューターを補うために、出張中のモバイルコンピュータがあり、それを補う意味しかありません。電話機能だって、研究室の電話(2台あります)とファックスを補う意味しかありません。となると、必要な機能は限られていますので、それの使い方を覚え、それを簡単に使えるようにする設定は比較的簡単です。

 いじくりながら、素人考えですが、色々考えました。

 今後、通信は高速になり、安価になる方向に進でしょう。そして最終的には実質無料になると思います。その姿は、現在のテレビ・ラジオのようなものに近くなります。機械も安価になり、現在のテレビ並みにありとあらゆる場所に設置されるようになるでしょう。そうなったとき、150g程度とはいえ、数万円の携帯を移動に携えるでしょうか?今の学生さんには理解不能でしょうが、私の小学校5年生の林間学校では、「米」を持参していきました。おそらく、終戦直後のなごりがあったのでしょう。そのころの携帯はどんな姿になっているのでしょうか?

 文明というのは面白いものです。閉鎖的な環境におかれると円熟します。中世ヨーロッパはキリスト教の教義の中でしか許されませんでした。江戸中期も、諸外国の文明流入が著しく制限されました。そのような時代では、古典といわれるものが限定され、それゆえ多くの人がそれを共有していました。聖書の一節を唱えれば、教養人はそれを了解しました。そして、それを前提とした作品が生産されます。江戸中期の場合は芝居がそれに当たります。芝居の台詞を言えば、教養人はそれを了解しました。しかし、そのような古典が限られているので、あまり発展性は見られません。現在の若い人の携帯の利用法も、そのようなものを感じます。先に書いたように、入力方法が限定されているので、それを補う約束事があります。例えば、顔文字などがそうです。携帯各社は、それのコンテンツを高めようとしています。でも、それをいくら使っても、ある狭い限定の中でのことです。2チャンネルで形成される文化の中で、古典といわれるものがどれだけあるでしょうか?「電車男」はありますが、それに続く作品が量産されているとは思いません。古い世代の「おじさん」には、今の携帯文化は過渡的な「あだ花」のように思えてなりません。

 勝手な想像です。今後、モバイルコンピュータと携帯は限りなく差が見えなくなると思います。そして、通話料で金を稼ぐ会社は淘汰されると思います。携帯の形はモバイルコンピュータに近づくと思います。なぜなら、我々の手の大きさ、視界は生物学的に決まっていますから。形としては、ハンカチと同じような大きさ、形状、柔らかさのものがあればいいな~、と思います。まあ、神経に直結したインターフェースができあがれば別の次元に進みますが、そうなると、モバイルコンピュータ・携帯電話と言うより、第二の脳と言うべきものになるでしょう。

 と、ぐじゃぐじゃと駄文を書いていますが、最後に、「今の携帯は、凄くきれいだし、機能充実で、いいな~」と感心しています。矛盾です。

[]うまい授業 15:51 うまい授業 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - うまい授業 - 西川純のメモ うまい授業 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生のブログで一斉授業が出来るか不安だ、という記事が載っていたので、レスしました。

 ゼミ生が卒業するまでに、教える大事なことは三つです。

基本

1)子どもや親のせいにしない。確かに、それが原因なのかもしれないが、それを言ってはおしまい。

2)尊敬すべき、先輩、後輩を捜し、その人といっぱい雑談をする。見いだす方法は、子ども「たち」に聞けばいい。

3)まねられるところはまねる。まねられないところは、まねる必要はない。今の自分のままで、出来る授業はある。

 以上のことは『学び合い』とは違う表現ですが、同根です。そして、それよりレベルが下がるテクニック的なこととして、以下のことを語ります。これは教育実習の直前に語ることが多いと思います。

1)子どもの名前を覚える。

2)子どもを好きになる。好きになれない場合は、そのふりをする。そのうちに好きになれる場合は少なくない。どうしても好きになれない場合は、距離を置く。

3)大きな声ではっきり声を出すこと。のどで語らず、腹で声を出す。

4)その授業で学ばせることを決めること。盛り込みすぎると、分からない子どもは続出する。自分では5分間ぐらいで説明できると思うぐらいで十分。

5)子どもの興味関心を継続させたり、時間調節のための雑談ネタを毎日の生活から見いだす。大受けするようなネタを探そうとすると見つからない。自分が感じた、ごく普通のことが毎日続けられるネタ。

6)以上で分からないことがあったら、周りの人に相談する。愚痴を言う。本を読む。自分で考える。

 私の知る限り、一斉授業で「うまい授業」をするというのは比較的簡単です。「教室のはしにまで届く声を出す」だけでも大幅に改善できます。しかし、私の知る限り、多くの教師がこまかなテクニックを学ぶ割には、声の出し方を知らなすぎます。子どもたちに「嫌いな授業」のアンケートをすると、第一位は「声が聞こえない」、第二位は「言葉がはっきりしない」、第三位は「話の意味が分からない」です。つまり、「音として伝わらない」、「日本語として伝わらない」、「教科内容として伝わらない」です。第三の改善はなかなか大変ですが、第一、第二の改善は比較的簡単です。まあ、1週間程度でもかなりの改善が見られます。

 その他、表情、ボディーアクション、板書の字の大きさ・・・、一斉授業においては教師は役者です。そして演奏者です。指導要領作成者、教科書編成者の台本・楽譜を、いかに表現するかです。それには、いろはの「い」の基礎技術が必要です。どんなテクニックも、お客に聞こえなかったり、見えなかったら、まったく無意味です。

 以上のテクニックは、現在でも講演会で利用します。

 ただし、『学び合い』を知った後では、「くだらない」と思います。だって、上記で出来るのは、子どもを分かった気にさせる程度以上にすることは出来ません。そして、学力以外の面の闇を見えにくくすることは出来ますが、解決できないことを知っているからです。ところが、子どもが分かった気になっているのを見て、分からせた気になっている先生が多いように思います。テストの結果を見れば分かるのに・・・・。そして、子どもたちの名演技の結果、卒業まで闇を気づかずにいる先生も多い。知りたくなので、情報をカットしているのでしょう。でも、本当は気づいているはずです。

 あ、また、きつい書き方しちゃった。

さとう@山形さとう@山形2007/12/24 18:085)の「雑談ネタを毎日の生活から見いだす」に納得しました。
雑談だったり芸能だったり教養だったり流行だったり占いだったり事件・事故だったり何でも。
話題が多いに越したことはないですね。
給食がおいしくなりますから。(^o^)

でも、この頃覚えたのは、子どもから話を引き出すことです。
何も自分がコメディアンにならなくていい。子どもをエンターテイナーにすればいい…と。
これも「同根」かなあ…と思っています。

jun24kawajun24kawa2007/12/24 18:265)はチャップリンの自伝から学んだことです。子どもから話を引き出すというというのは子どもの能力を認めていないと出来ませんよね。それをもっと信じて、さらに、学校教育の目的は何か、を加えれば『学び合い』と同根になると思います。

07/12/22(土)

[]携帯 23:13 携帯 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 携帯 - 西川純のメモ 携帯 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 携帯を買いました。こたつに座って、ピコピコやっています。細かいマニュアルを読み解くのは、「おじさん」には辛い。こたつの向こう側の家内も悪戦苦闘しています。いつ寝られるかな~

07/12/21(金)

[]来年 22:15 来年 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 来年 - 西川純のメモ 来年 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本年の大きな変化は、地元で『学び合い』実践校が二つ生まれました。今月の上旬に一つの学校の校長先生と話しました。本日、もう一つの地元の『学び合い』実践校の校長先生と話しました。来年が楽しみです。

 私はずっと以前から教員養成の方法論に疑問を持っていました。子どもがしゃべる前には、その数十、数百、数千、数万倍も聞くという時間が必要です。子どもが書く前には、その数十、数百、数千、数万倍も読むという時間が必要です。同様に、実習生が教えるという前には、その数十、数百、数千、数万倍も聞くという時間が必要です。ただし、その時間は「子ども」としての立場での聞くではなく、「教師」としての立場での時間です。だから、教師の視点で聞く時間を膨大に与えるべきだと考えていました。ある一定上聞けば、自ずと教えるという意欲も高まります。現在の教育実習は、何が何だか分からないうちに、教えるという段階に進みます。あれでは不十分だと思います。

 本年度から地元に実践校が出来たおかげで、学部生・学卒院生に徹底的に聞く・見るという時間を与えることが出来ました。もちろん、昨年度も群馬や埼玉の学校のおかげで、膨大な時間を与えることが出来ましたが、今年は物理的制約がないので、ごく自然に半年・数ヶ月というレベルの時間を与えることができました。半年以上を見ることに費やした学卒院生は、私もビックリするほどの「目」をもっています。もちろん、教えるという段階に進んでいませんが、教えさせればかなりすばらしいレベルに行くことに関して微塵も疑いもありません。その効果は、数回の模擬授業のレベルとは雲泥の差だと思います。知識として得るものと、空気として得るものの差は違います。彼らは、その差を分かっていません。しかし、彼らと話すと、下手な教師より遙かに凄いものを感じます。これも、その機会を与えていただいた学校のおかげだと思います。

 来年度より、教職大学院のシステムが始まります。教職大学院では、上記を最大限生かすことが出来ます。どんな学卒院生が生まれるか、私も想像できません。ワクワクします。そのシステムが最大限に生かせるか否かは、大学院での授業が決めるわけではありません。大事なのは、実践校の中にとけ込めるかです(本日話した校長先生は、職員室に机を用意するとおっしゃっていました。このすごさ、分かります?)。そして、彼らをサポートするティームです。私は組織的な環境によって、十年選手並の若手教員を教職大学院の2年で養成するつもりです。5倍の密度で修羅場を味わい、25倍の密度でみんなでサポートします。私は120%の勝算があります。来年が楽しみで楽しみでワクワクします。

追伸 約三十年、大学と教育実習の協力関係を積み上げた上越でも、教職大学院というシステムに怖々している学校が少なくありません。まあ、しょうがありません。多くの大学よりは遙かにましですが、基本的には教育実習は実習校での「おまかせ」ですから。でも、数年以内に教職大学院の教育実習の実習生の奪い合いが生まれるようにしたいと思います。だって、臨採レベル以上お免許を持っている学部卒業生、十年・二十年の現職経験のある現職教員、そして多額の講演料を払って講演会によばれる大学教師がチームになって、数ヶ月~年間というスパンで無料でサポートし続けてくれるのですから。これは、お得です。あはははは

[]2学期終了 21:33 2学期終了 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 2学期終了 - 西川純のメモ 2学期終了 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日で息子の2学期は終了しました。成績表は自己評価でした。実に厳しく自己評価していました。明日からは冬休み。楽しみにしている冬休みです。ただし、宿題がどっちゃりです。あ、我がゼミの学生さんたちみたいだ。あはははは

07/12/20(木)

[]風邪 23:00 風邪 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 風邪 - 西川純のメモ 風邪 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今年の風邪はのどが痛い。しかし、熱もない。食欲もある。

 病院に行って診察を受けました。お医者様が「先生、忙しいですよね?」と聞くので、「何か?」と聞きました。曰く、「眠くなる薬は避けようか、どうしようかと悩んでいるのです」とのこと。そこで、「大丈夫です。最近は、居るだけでいい会議が多いですから」と応えました。ということで、眠くなる成分がある薬を処方してもらいました。それを飲むと、本当に眠たくなります。

OB1989OB19892007/12/20 23:04お大事にしてください。

HirarinHirarin2007/12/21 04:37お大事にしてください。
我が家はノロが襲来してきました。子どもたちは吐きまくりです。
インフルも流行ってきたとか・・・健康が一番の宝というのがよくわかります。

jun24kawajun24kawa2007/12/21 06:34OB1989さん、Hirarinさん
ありがとうございます。もう、山は越えました。のどの痛みもほとんど無くなりました。

07/12/19(水)

[][]仲間 22:32 仲間 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 仲間 - 西川純のメモ 仲間 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、学習臨床コースの教員の忘年会です。楽しかった。とにかく、みんなが普通の人でいいな~、と感じます。来年度からは別組織に異動します。でも、そこでも楽しい集団になりそうです。

 今年一年も、もうすぐ終わりです。この一年は、仲間の広がりと強さを感じる一年でした。日本の色々なところで、様々な形で、私と無関係な『学び合い』を広げる活動が行われるようになりました。今までは、私のよく知っている方が、『学び合い』を広げていたように思います。しかし、現在は、我々が広げた人が、広げていく段階に進めました。いや、私とは物理的に全く会っていない人が、『学び合い』を理解し、広げていく段階に進みました。

 『学び合い』の初期段階は本当に簡単です。最大でも2週間で大丈夫です。でも、中級段階の「みんな」の徹底は、時間がかかります。では、中級、上級段階に進んだ人のみが、初期段階の『学び合い』をサポートできるのでしょうか?そんなことはありません。初期段階の人が中級段階、上級段階の人をサポートできます。そして、サポートすることによって、自らが中級段階、上級段階に進めることが出来ます。上級段階の人だって、人をサポートすることによって、現状を維持し、さらに上を目指せます。それは『学び合い』を実践している方だったら、子どもを見れば明白です。また、『「勉強しなさい」を言わない授業』をご覧ください。

 私は初期段階、中級段階、上級段階という表現を使います。しかし、それらは子どもたちの姿であって、固定的なものではありません。是非、右の検索で「段位」と検索してください。そこで書いているように、『学び合い』を実践している人にはレベルはありません。重要なのは『学び合い』をやるか、否かの二種類しかいません。

 私だから出来る、もの凄いサポートなんてありません。私と話した方、また、私のメールのやりとりをした方だったら、ご存じだと思います。私が語ること、書くこと、それは常識の範囲を超えるものではありません。単に、囚われから離れることによって、ごく普通の常識を積み上げた論理を展開しているだけのことです。そして、私自身も常識に「頻繁に」囚われます。そのときは、二十歳そこそこの学部学生からも「正され」ます。

 同志各位にお願いします。広げることによって、自らを高めてください。広げることによって、子どもを高めてください。教えることは、学ぶこと。だって、それが『学び合い』の基本的なセオリーでしょ!

追伸 2週間で会得して、他の人に広げる、その連綿を続ければ、1ヶ月で4人、2ヶ月で16人、3ヶ月で64人、4ヶ月で256人、5ヶ月で・・・。ほら、日本中に広めるなんて簡単でしょ。あはははは

追伸2 本日の飲み会は1次会で退散し、家に戻りました。帰ると、息子がニマ~~と笑っています。「どうしたの?」と聞くと、「おとうさん、かえって、うれしい」と一言。だっこして、風呂に入れて、添い寝をしました。だから、家に早く帰りたい。

iku-nakaiku-naka2007/12/19 22:45教えることは学ぶこと・・・良い言葉ですね(今更ですが)。
ブログ等を通していろいろな方からアドバイスを頂けます。
そして、それが私の刺激にもなります。そして『学び合い』が広がります・・・。やっぱり『学び合い』って凄いですね!!。

jun24kawajun24kawa2007/12/19 22:58でしょ、でしょ
だからブログやってよかったでしょ
周りに広げてね。

07/12/18(火)

[]博士 09:09 博士 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 博士 - 西川純のメモ 博士 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は1982年に理科教育の大学院に入学しました。そして、1984年に最初の学術論文を学会に載せました。ということで、学術の世界に踏み入れてから四分の1世紀たったことになります。11年前に研究路線を大幅に変更して現在に至ることになりますが、それ以前は完全に「理科教育学」を専門としていました(ちなみに、現在も日本理科教育学会の学会誌編集委員長ですが)。

 そのころ血道を上げて研究していたのは、理科の特定の学習内容を確実に理解(もしくは覚える)にはどのようにしたらいいかです。特に、数百万年や数億年というとてつもない年数が生物の進化や地学の地質で扱われますが、それをリアルにイメージして学習するにはどうしたらいいかを中心的に研究しました。そして、それは4年前に博士論文としてまとめました。私の頭が「賢かった」ころのエネルギーを注いだ研究をまとめたものです。自分で言うのも何ですが、実に緻密だと思います。

 誰も褒めてくれないので自慢します。私は日本の理科教育学で最初に厳密な統計的手続きによって事実を記載した研究者であると自負しています。また、教科教育学において認知心理学の手法を利用する研究を導入したパイオニアであり、それに関して、最も多くの論文を書いた(それも単著で)研究者の一人であると自負しています。多くの学会から学会賞を頂きました。しかし、あらためて自分の学位論文を読み直すと、傷は少ないと思いますが、「だから何?」と感じます。時間概念は理科教育学の中心課題の一つでありますが、数百万年の時間をリアルにイメージできるか出来ないかで、その子どもの人生が変わるとは思えません。

 私は今までに2人の人に博士の学位を主査としてだしました。そして、今年も出そうとしています。その学位論文を読むと、私の論文に比べると「隙」はあります。しかし、しょうがありません、扱っている対象が対象なのですから。そして、その「隙」を補って余りあるものがあります。それは、それによって子どもたちの人生を変える可能性が遙かに高い成果を上げている点です。博士という学位制度が生まれる前から、学術の資格は連綿と続いています。そして、それは、その資格を持つ人の中で特に優れた人たちが集まり、次世代の人に資格を与えるという連綿があります。それはとぎれることなく続いています。私の学位も連綿と続く学灯をたどればアテネのアカデミアに続くはずです。学術は進歩し、変質していき、発展します。与えた人の学術と、与えられた人の学術は違います。私に博士を与えた主査は、元々は理学博士の方で、その後、理科教育で活躍した方です。おそらく、理学の視点で見たら、人を扱う教科教育の論文は「隙」が多いと思います。しかし、その価値を認めて頂いたので、学位を与える労をとっていただきました。その私が、私が学位を得た学術とは違った学術の人に学位を与えます。感慨深いものがあります。

 次に学位を与えようとする方の論文を読みながら、上記を思いました。た、だ、し。私は、「まだ」48歳です。感慨に浸ってばかりいられません。己の頭は馬鹿になっても、チームとして仕事を出来る力はまだ残っています。次に学位を与えようとする方に負けないような成果を上げるつもりです。負けないぞ~(最近の息子の口癖です)。

rion_fujirion_fuji2007/12/18 21:37 切磋琢磨できる師弟関係って羨ましいですね。これも西川研ならではなのでしょうか。

jun24kawajun24kawa2007/12/18 21:49もっと、もっと、と、どん欲でなければ、腐ります。ただ、私の性格と、攻め方、を熟知している方は、「もっと」と私に求めません。私の場合は、「はい」と受け、「じゃあ、あなたもね」と切り返すことを知っているから。あはははは
頭は悪くなっても、どん欲さでは、まだまだです。

さとう@山形さとう@山形2007/12/18 22:49うちの学級の子、「体育館で、上級生だけがボールを使っていてこまります」などと、わたしに困りごとを持ってこなくなってきました。担任になんとかしてもらうんじゃなく、まずは自分で何とかしようと思っているようです。
6年生の運営委員や上級生の担任に、問題を直接持ち込んでしまいます。そして「こうしたら、こうでした」と知らせてくれます。
学級の中のことは、「こうしたいですけどいいですか」と言ってきます。

「自分で考えて生きているなあ」と、頼もしく思います。
はらはらもしますが。

「もっと」とどん欲には、なかなかなれずにいます。

jun24kawajun24kawa2007/12/19 06:19ほら、一歩、ふみだして!
どん欲になっても、子どもは応えてくれますよ。
そして、どん欲にならないと、
クラスの集団構成が元に戻ってしまい、腐り始めますよ。
『学び合い』には安定点はありません。
教師は子どもたちのために、どん欲にならねばならないと思います。

さとう@山形さとう@山形2007/12/19 23:22
あ、わかりました。勘違いしていました。
「もっと」という言葉から、追い詰めるようなイメージを持ってしまっていました。
「どん欲に」って「今度も期待しているよ」の意味なんですね。「なかなかよかった。次が楽しみだ。」「おお、期待に応えてくれているね。またびっくりさせてくれよ。」ということでしたら、作戦続行中です。

jun24kawajun24kawa2007/12/20 09:31すみません、言葉足らずでした。
その通りです。
でも、子どもにとっては、その言葉がプレッシャーになるんですよね。
だから、ゼミ生は私の「期待しているよ」が怖いとよく言います。
しかし、「じゃあ、期待しているよ、と言わない方がいい?」と聞くと、首を振ります。
私が期待していることを実現したとき、そのメリットを受けるのは自分であることをよく知っているからだと思います。逆に、それを納得させるのが教師の仕事ですよね。

07/12/17(月)

[]群馬の会の速報 22:37 群馬の会の速報 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 群馬の会の速報 - 西川純のメモ 群馬の会の速報 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 群馬の会の速報です!ご参集ください。

第1回 『学び合い』を共に学び合うセミナー in 群馬

このセミナーは,『学び合い』を実践したり,研究をしたりしている方々の発表を中心に,情報交換をしながら参加者が共に学ぼうとする会です。『学び合い』に興味をお持ちの方,始めようとなさっている方,実践して課題をお持ちの方,ぜひ,お誘い合わせの上,お気軽にご参加ください。

1 主催 子どもに学ぶ教師の会群馬会

2 講師 西川純氏(上越教育大学教授)

3 日時 2008年2月23日(土) 13時~17時

4 会場 ウェルサンピア高崎(群馬厚生年金福祉センターサンピア高崎)

        群馬県高崎市島名町1358

        TEL 027-353-1107

5 日程

   12:45~ 13:00 受付

   13:00        開会

   13:05~ 13:50 西川純氏による講演

   13:50~ 15:05 『学び合い』の教育実践・研究の報告①

      ○佐藤準一氏(本庄市立仁手小学校)

      ○上越教育大学4年 西川研究室生代表

      ○藤井麻里氏(前橋市立桂萱小学校) 

   15:05~ 15:15 休憩

   15:15~ 16:00 『学び合い』の教育実践の報告②

      ○群馬会事務局,群馬県教員3名予定

   16:00~ 16:45 講演者, 発表者と語るフリートーク

   16:50        閉会

  〔17:00~ 19:00 軽い懇親会(サンピア会場内にて)〕

6 参加費 2,000円(懇親会費3,000円は別途)

    当日受付で集金いたします。おつりのいらないようにご準備ください。

7 お申し込みの方法

 ・Eメール, FAX,または,郵送にてお申し込みください。  

    Eメールアドレス  manabiaigunma@yahoo.co.jp

    FAX   027-327-8136  青木幹昌 宛

住所    〒370-0884 高崎市八幡町179-1 八幡小学校 青木幹昌 宛

 ・参加お申し込みに当たっては, 次のものをご記入ください。

   ①お名前 ②お勤め先 ③ご住所 ④お電話番号 ⑤懇親会ご参加の有無

 ・当日の会場での参加お申し込みも可ですが, 準備の都合上,できるだけ2月9日(土)までに, お申し込みください。  

[]馬鹿話 21:31 馬鹿話 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 馬鹿話 - 西川純のメモ 馬鹿話 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の午後は、久しぶりに時間が取れました。と、いうことで、院生控え室で思いっきり馬鹿話をし続けました。楽しかった。

 ふと学部生と話しながら、彼らがもうすぐ卒業することを思い出しました。さびしいな~。教師であれば、毎年繰り返す、送り出す寂しさ。でも、受け入れる楽しさもあります。来年は、学部生が来てくれるかな~

 わがゼミの活動を事実通りに表現すると、「指導教員の先生(つまり私)はゴチャゴチャと言いわないよ。ゼミだって学生にまかせっきり。そして、言うことはニコニコと「期待しているよ」だけだよ」です。これが事実です。「事実だよね?」と言うと、ゼミ生は複雑な表情です。あはははは

 ゼミには3種類あります。「やることが多いが、楽しい。」、「暇だけど、楽しくない。」、「やることが多くて、楽しくない。」の三種類です。わがゼミは第一番目です。「暇で、楽しい」はありません。「暇で、楽しい」のは、有料で人に楽しませてもらう場合のみです。無料なれば、自らが楽しさを生み出さねば。ただし、わがゼミの特徴は、みんながみんなの楽しさを生み出せるのが強みです。あはははは

07/12/16(日)

[]ゼミ公開 22:21 ゼミ公開 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ゼミ公開 - 西川純のメモ ゼミ公開 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教職大学院の公開授業を新潟市でやりました。私とF先生が30分づつ、教職大学院の授業の「さわり」をやりました。そして、教職大学院のメインであるプロジェクト科目の「さわり」を公開しました。プロジェクト科目とは、学生集団がチームとなって学校現場に入るという科目です。現職院生と学卒院生、そして学部生がいっしょになって議論しながら、課題を解決する科目です。つまり、西川ゼミそのものです。ということでゼミを公開しました。実によかった。あはははは

[]品切れ 09:29 品切れ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 品切れ - 西川純のメモ 品切れ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 色々な方のブログを読みますと、本の品切れでご迷惑をおかけしているようです。ならば、出版社に重版したら買うよという声を伝えて頂けませんか?多様な方法で、多様なタイミングで。よろしくお願い申し上げます。

追伸 これから新潟市に出張です。西川ゼミ総員で教職大学院の宣伝をしに行きます。

07/12/15(土)

[]やれること 17:37 やれること - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - やれること - 西川純のメモ やれること - 西川純のメモ のブックマークコメント

 13日に他大学の学生さんが『学び合い』を参観しました。その中に教員採用試験に合格し、来年度から教壇に立つ学生さんがいました。その学生さん「『学び合い』を新採の私がやるのは抵抗が多いと思います。どうしたらいいのでしょうか?もう、『学び合い』を見たら一斉指導は出来ません・・・」と言っていました。当然の質問です。私は、あはははは、と笑った後に、以下を語りました。

 『そりゃ今日の、最初に課題を短く語り、あとは子どもたちに自由にするという『学び合い』をいきなりやったらビックリされるだろうね。でも、方法はいくらでもあるよ。

 最初に教科書の一部分を読み上げるんだよ。出来れば、みんなで一緒に声を合わせればいい。そうすれば、君がクラスを掌握していることが見えやすくなるよ。殆ど無意味だけど、世のしがらみはしょうがない。その後、本日の課題を言うんだ。ただし、40分もしくは45分相当の課題ではなく、10分程度の課題でいいんだ。例えば、「広口瓶にろうそくを入れてふたをしました。しばらくしたら、ろうそくは消えました。何故、消えたか?どうぞ」と課題で10分程度話させる。その後、「じゃあ、それを証明するにはどのような実験をしたらいいか?どうぞ」という課題で10分程度話させる。そういう風に、1時間の授業を2、3に分けてやれば、一見、ごくごく普通の授業に見えるよ。でも、一斉指導とは決定的に違う面がある。例えば、その10分間の活動においてたち歩き・私語はウエルカムなんだよ。たいていの一斉指導の場合、話す相手は固定しているし、その人数は少ないよね。それとは全然違う。また、話し方に変な限定を付けはしない。それと、たいていの一斉指導の場合、話し合わせた後に、「じゃあ、1班、・・次に2班・・」といように次々に当てて、その回答を黒板に書き写して教師がまとめてから、次の課題に進むよね。ありゃ馬鹿馬鹿しい。時間のロスだよ。『学び合い』が成立していれば、子どもたちは情報を交換しているので、教師がそれを誘導したり、まとめる必要はないよ。第一、子どもたちがどんな話をしても一定の結論にまとめたいならば、子どもたちの発言を求めること自体無意味だよ。まあ、結論が決まっている校長が主催する職員会議で、「みなさんの自由は発言を求めます」と言っているようなもんだよね。あははは。そんなんだったら、「燃えるときに必要なものが無くなったからだよ。じゃあ、それを証明するにはどのような実験をしたらいいか?どうぞ」と言った方がフェアーだよ。そして、最後のまとめだけど、これまた時間の無駄だけど、世のしがらみはしょうがない。2、3分程度、やったふりをすればいいんだよ。まあ、こんなことをすれば、ごくごくスタンダードな授業に見えるはずだよ。それで、成績を上げて、人間関係を向上してたら、だれからも文句の言われる筋合いはないよね。あははははは』

 ただし、上記はテクニックに過ぎません。私が学生さんに伝えたかったことの第一は、『学び合い』において大事なのは、どのように授業をするかではなく、教師の心の有り様だと言うことです。

第二は、出来ない理由を挙げている人は、いつまでも何にも出来ないということです。出来る人は、出来ることを見いだし、それをやります。出来ることをやっているうちに、周りの状況が変わり、出来なかったことが出来るようになるものです。

rion_fujirion_fuji2007/12/16 01:24 すっごくわかります。どうしても型にこだわる人々が授業を参観するときは,私もある程度,型があるようにして授業をします。なぜか子どもたちは使い分けるんですよね~。やはり,状況に合わせて行動を変化させています。子どもは有能ですね。

jun24kawajun24kawa2007/12/16 07:07すくなくとも、こういう点は、子どもたちの方が遙かに有能ですよね。あはははは

07/12/14(金)

[]表現 00:03 表現 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 表現 - 西川純のメモ 表現 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は物言いを知らない人です。いろいろな方から、表現が過激だといわれます。言われることは妥当であると理解しています。また、表現を変えた方が政治的に正しいことも理解しています。本日、じっと考えました。結論から言えば、今のままの方が正しいと判断しました。理由は以下の通りです。

 例えば、私は「教えること」は教師の仕事ではなく、「やる気にさせる」のが教師の仕事だと主張します。これが多くの教師には「気に障る」と指摘されます。では、私が学習の方法のレベルにおいても「教師が教えなければならないこともある」と表現したらどんなことが起こるでしょうか?結局、その教えなければならないことがどんどん拡大解釈されて、結局、元の木阿弥です。

 「教師は最善の教え手ではない」という表現も論理は全く同じです。私が「『学び合い』と一斉指導との併用もありえる」と言ったら、今までの考え方とどこが違うのでしょうか?考えてください。日本中の教師の中で、「一斉指導のみにすべきで、子どもたちの”学び合い”は不要だ」と考えている教師がどれだけいるでしょうか?『学び合い』の同志が運用で一斉指導を併用することは当然だと思います。それを否定するつもりはありません。しかし、私が理解して欲しいと思っている人は、旧来の枠組みを持っている人です。当然、その枠組みで言葉を理解します。従って、違いを曖昧にすれば、あっという間で元の木阿弥です。

 原理原則は大事です。しかし、現実的な運用を否定するわけではありません。しかし、運用に合わせた原理原則を作り始めればすべては崩れてしまいます。原理原則から外れる運用をする場合、それは「まずいな~」、「ただすべきだな~」と思っているという動的なバランスが一番良いのだと思います。だから、せめて私は原理原則を気に障るような表現で主張することは意味あるのだと思います。

 もちろん私の場合も運用はします。しかし、それを恥じています。もし、運用が当然だと思ったとしたら、それは、私自身が同志ではないという証拠です。

追伸

 共産革命の成長当時は、党員に清廉さと求めました。しかし、政権を取った後、それが崩れました。レーニンはスターリンの求めに応じ、党員に特権を認める小さな譲歩をしました。それを制度としたことによって、政治局員という大公を、書記という貴族を生み出しました。

[]ライブが一番 08:08 ライブが一番 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ライブが一番 - 西川純のメモ ライブが一番 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日いらした学生さんたちよりメールを頂きました。

『今日は本当に本当にありがとうございました!!私、○、○みな、『学び合い』の魅力にとりつかれましたー。持ち帰って他の仲間と共有し、次に伺う際は多くの仲間と伺わせていただきます!また研究室のみなさまにも大変お世話になり、ありがとうございました(>_<)西川先生、研究室のみなさまのお心遣いに感謝です。。。』

『今日実際に小学校の授業を見学させていただいて、事前にメールで西川先生に質問させていただいていた学び合いの不安点がすべて吹き飛びました!実際に見ないと分からないものですね。いろんな心配をしていたことがうそのようです(笑)すっきりしました。

 学び合いは校種にかかわらず実践できることが実感できました。というか学び合うことは人の本能だから、すべての年齢でできて当然なんですよね~。とくに、クラスで学び合いをすると特別支援教室にいた生徒も一緒に、普通の生徒と同じように同じ教室で学びあえることができることを知ることができて、学び合いの必要性をさらに感じました。以前から、すべての生徒が同じ環境で勉強できたらいいのになと思っていたので。

 本当に今回はいい体験をさせていただきました。貴重な時間を割いていただきありがとうございました。また、僕の質問が言葉足らずの分かりにくい質問で申し訳ありませんでした。にもかかわらず的確に答えていただきありがとうございました。学校で生徒を持つ前に学び合い必ず自分のものにしたいと思いました。また上越によらせていただきます。そのときはまたよろしくお願いします。』

 百万の言葉より、実際の子どもと教師が何よりの証拠です。『学び合い』はイベントではありません。いつでもウエルカムです。

OB1989OB19892007/12/15 00:09私は「いろいろな方」の一人ではありません。今のままでいてくださることを強く望みます。

jun24kawajun24kawa2007/12/15 08:04あはははは
いろいろな方も含めて、すべては同志です。
私が一つの極端(?)に居て、
多くの同志が多様なスタンスで政治をしていただければ最善と思っています。

07/12/13(木)

[]ライブ 17:22 ライブ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ライブ - 西川純のメモ ライブ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大阪で学生さん相手に話す機会がありました。そこでは「是非、ライブに来て下さい」を連呼しまくりました。

 本日、新潟大学の学生さん3名、金沢大学の学生さん2名、立命館大学の学生さん1名がライブ参観に来られました。8時半より17時まで、楽しく過ごせました。くだくだした説明より、子どもの姿、教師の姿が何よりの証拠です。志の高い学生さんとのふれあいは楽しい~

 本日のメニューは、「5年、6年の異学年の算数の『学び合い』」、「6年生社会の『学び合い』」、「5年生の音楽の『学び合い』」です。見せて頂いた先生は、最後に「いつでもおいで下さい」とおっしゃっていました。

 我々の『学び合い』はイベントではありません。普通にやっています。多くの教師にとっては荒唐無稽に見えたとしても。

追伸 それにしても、久しぶりに教えまくりました。あ~楽しかった。あははははは

OB1989OB19892007/12/13 21:02先日K県に行ったときに,参観に来ていたK大の学生さんは,友達の紹介でN先生に仲介してもらって参観に来たとか。ご本人に聞いたところ,特に指導教員が『学び合い』をしているわけでもなく,卒論で取り組もうとしているわけでもないのに,将来先生になりたいので見に来たと言っていました。それも何時間もかけて来た皆さんです。その志の高さに本当に驚きました。その皆さんが『学び合い』の素晴らしさをまた次の学生さんたちに伝えて,どんどん広がっていくことを楽しみにしていました。凄い学生さんたちに感謝です。

jun24kawajun24kawa2007/12/13 22:27口コミの強さですよね。
互いに広げましょうね。

07/12/12(水)

[]やたら 15:13 やたら - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - やたら - 西川純のメモ やたら - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある院生さんが西川研究室の研究を評して「やたらとデータを取る」と言ったそうです。けっして悪い意味をこめて言ったわけではありません。だから、言われた院生さんもニコニコして話してくれました。

 確かにそうです。我がゼミの場合は、最低でも1ヶ月、大抵は3ヶ月ぐらい現場に入り込みます。それも修士1年と、2年の2回です。ところが、その他の圧倒的大多数は、1、2回程度現場に入るぐらいです。それに比べれば「やたら」です。でも、理由があります。

 短い観察でレベルの高い研究をするには、極めて高い学識とセンスが必要です。それがあれば、1、2回でも大丈夫です。しかし、現職経験10年以上の先生であっても、難しげな教育学は素人です(すみません)。さらに、統計分析等の様々な方法論もあります。ところが、世の中には、それだけで生きている学者がいっぱいいます。そして、凄く頭が良くて、英語や数学が得意で偏差値60や70の大学の大学に入り、外国文献や研究論文を山ほど読んでいる院生がいます。そのような人たちも1、2回の調査で論文を書きます。さて、そのような人たちに勝るような研究をするとしたら、どれほど大変でしょうか?想像すれば気持ち悪くなります。ちなみに、私は大学院に入ってから、1日13時間は研究していました。毎日、厚い本を一冊「以上」読み込み、カードに整理していました。

 膨大な時間をかけて学術を蓄積した人、また、英語や数学の得意な知能指数が高い人(?)には勝てないのでしょうか?いや、あります。その人達が絶対にやらないこと、でも、自分にとっては得意なことで攻めればいいんです。現職院生さん、また、教員養成系学部の学生さんにとっては、子どもになじむこと、子どもを見取ることが得意です。そして、頭のいい人は、泥臭いことはしません。だから、子どもの中に入って「やたら」子どもを見ることを我々はやっています。ちなみに、学校の先生だったら、子どもの中に入って、子どもを見取ることは得意ですが、膨大なデータを分析する時間はありません。

 詐欺の手口は大抵同じです。詐欺師は楽に金が入る理屈を長々と語ります。そして、楽に金を得たいと思うのが人情ですので、それを信じる人がいます。しかし、そんなに簡単に手にはいるのなら、何故、他の人がやらないのか、と考えるべきです。具体的には、三十、四十の研究者、また、偏差値70の大学を卒業したような若い研究者に勝る研究が出来る理由は何かを考えるといいのではと思います。

追伸 ちなみに『学び合い』は簡単で効果抜群です。しかし、子どもを信じるという、多くの教師が出来ない、一歩を踏み出す必要があるのです。

07/12/11(火)

[]力を抜いて 18:54 力を抜いて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 力を抜いて - 西川純のメモ 力を抜いて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「最近のメモが厳しい」とのご指摘を頂きました。その通りですね。ちょっと力を抜いて、再度書きます。(でも、これも厳しいかもしれません)

 私は多くの同志の変わる過程を見ています。それには一定の法則があります。結局、『学び合い』はテクニックではなく考え方であるということに戻るのです。

 『学び合い』の初期段階は馬鹿みたいに簡単です。バンジージャンプと同じで、踏ん切ることが一番難しく、やりさえすれば馬鹿馬鹿しいほど簡単です。そして、これだけで多くの教師が悩んでいることが解決できます。

 しかし、初期段階によってクラスの「地」が見えます。それまで一斉指導では子どもたちの名演技によって隠されていた「闇」が出ます。そこでです。「闇」が目につきますが、美しい姿も見えるはずです。その姿を見せている子どもと一緒にやろうと思うか、否かが次の段階に進めるか否かです。「みんな」に「みんな」を求められるか、「自分」が「みんな」を求めるかが分かれ目です。そして、前者を選べるか否かは、子ども「たち」を有能と見られるか否かです。結局、一人一人の子どもを自分と同様の有能さと、無能さを持つ、同等な人格であると思えないと、子ども集団より自分の方が有能であると考えてしまいます。そして、「みんな」に「みんな」が求められなくなる。小さな子どもを未熟だと思う気持ちは分からない訳ではありません。しかし、では、その子どもに任せられると思えるのはいつでしょうか?結局、学校教育の時代では無理ではないでしょうか?そして、教師にとって嫌な校長は、二十、三十、四十になっても「任せられない」と思っているのです。学校教育は子どもを大人にすることが目的であることを理解して欲しいと願います。大人にするためには、任せなければならないのです。任せられないとしたら、子どもが無能なのではなく、自分が管理者として無能であることを意味します。

 中級段階になれば、「みんな」が「みんな」を願うようになります。そうなると、全方位で高い達成度を安定して得られます。しかし、ここにも罠があります。子どもたちの能力を見くびると、十年一日の課題を与え続けます。そうすると、やがて集団は腐ります。集団が形成されると、それまで難しかった課題が容易くできるようになります。そうなれば、もとの仲良し集団に戻り、「みんな」が崩壊します。その変化は、教師の気づかないうちに起こります。まあ、ちゃんと見ていれば、一人一人の達成度にばらつきが多くなるとか、集団構成が固定化するなどの兆候はハッキリ現れているのですが、成績の高い達成度に隠されて見ても見ないようになってしまいます。

 上級に段階に行くには、教師は子どもたちの能力を高く捉え、もっと、もっとと願わなければなりません。そこには終わりはありません。

 全国の同志は、さまざまな段階におられると思います。そして、行きつ戻りつしていると思います。自分に言い聞かせるように書きます。『学び合い』には安定した到達点はありません。『学び合い』の考えから離れれば、直ぐに、それは子どもの姿に表れます。それを『学び合い』の不備に求めること、それは気楽です。でも、それで、あなたの志した教育が実現するか自問してください。冷静に考えれば、物事を自分一人で解決しようとしていたり、子どもの能力はこの程度だと考えていたり、学校教育は何のためにあるのかを忘れていたりしているはずです。私は、過去の同志が心を痛めている姿、今、同志が心を痛めている姿、そして、未来の同志が心を痛めている姿が辛いのです。だから矢のように業火のようにメモります。でも伝えたいのは「考え」なんです。それしか、道はないんです。

追伸 自分に比すのは恐れ多いですが、不動明王も毘沙門天も伽楼羅も・・・恐ろしい顔をされています。しかし、致し方なく、そのようなお姿をされています。早く、菩薩、如来の表情になりたい。あ~・・・本当に宗教チックだ・・・。何度も書きますが、私は汎神論もしくは無宗教で、葬式仏教以上の宗旨はありません。

[]教えてください 17:56 教えてください - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教えてください - 西川純のメモ 教えてください - 西川純のメモ のブックマークコメント

 長らくウイルコムを使っていましたが、携帯電話に移行しようか悩んでいます。そして、どの会社のどのプランにするべきか悩んでいます。いつも通り、院生控え室に行って相談しました。ところが、圧倒定期大多数の方はドコモです。auやソフトバンクの情報が不足しています。教えてください。

 私の利用方法を説明します。

 私のところに電話をかけるとしたら、基本的に、学長、T副学長です。そして、私から電話をかけることは殆どありません。メールのやりとりは、ほぼ100%、大学関係です。

 あと、出張中にgmailYahoo予定表を見たり編集して、乗り換案内を利用したいと思っています。それ以外にはあまり興味がありません。

 非常に特異な利用形態です。というのも、私は私の研究室のコンピュータ・電話の前に座って仕事をしています。ということで、携帯でHPを見る必要は殆どありません。人に電話をかけるときは、研究室の固定電話でやります。

 ということで、私が携帯を利用するのは、院生控え室でお茶を飲んでいるときなど学内にいるときと、出張中です。スマートフォンをかってインターネット利用をしようかなと思ったのですが、あまりにリスポンスが遅いので、諦めました。が、学内にいる限り、メールチェックは出来ますし、学長・T副学長のご下命には直ぐに対応できるので、まあ、いいか、と思っていました。

 ところが出張が多くなってきて困ることが多くなりました。通話が繋がらない経験が多くなりました。ホテルに着いてからは有線でコンピュータに繋げるので問題ないですが、5時間近い電車車中でメールを出来ないというのは辛いものです。

 どうしたもんかと悩んでいましたが、スマートフォン派のアベタカさんに相談したところ、私のような利用形態の場合、普通の携帯で十分であることを教えてもらいました。詳しい人がおっしゃることなんだろうと思い、そうしようと考えました。しかし、スマートフォンより普通の携帯の方が速い、ということが何故だかぼやーっとしていました。朝、同僚のK先生に聞いて、「初めて」知りました。私は今までインターネットとi-modeが同じだと思いこんでいました。説明を聞いて納得しました。やりとりする情報量が違うわけですから。そして、スマートフォンの場合はデフォルトがインターネットであることを知りました。納得しました。

 そこで携帯三社のどこにしようか悩んでいます。

 先に述べたように、私の通話相手は限られております。であればソフトバンクでいいかなとも思います。しかし、通話エリアが狭いと言われます。ただし、私の利用するのは山や海ではなく市街地です。しかし、市街地のデパートの中でもソフトバンクは繋がらないとも教えてもらいました。え!?、いまどきそんな会社あるのかな~とビックリします。私の希望としては、10万人以上の都市の屋内外、及び、特急・新幹線の経路の80%(トンネル区間を除く)で利用できることを望んでいます。

 第二に、通信速度です。ウイルコムで懲りているので、i-modeでのリスポンスに大きな差があるならば、先の条件よりも、リスポンスの速い携帯を選びます。

 教えてください。私のような利用者は、どの会社を選べばいいのでしょうか?

janglejapjanglejap2007/12/11 19:17今日のブログにも書いたのですが、クラスの子どもの日記に「期待されることが楽しみです」と書かれているのを見て、教師は本当に「もっと、もっと!」と求めなくてはいけないのだ、そう求められているのだと思いました。「考え方であること」を忘れず、子どもに期待し続けていけるようがんばりたいと思います。

MizuochiMizuochi2007/12/11 20:43私はソフトバンクです。市街地で繋がらないという経験は今までにありません。ソフトバンク同士なら誰にかけてもタダというのは便利です。ちなみに「ホワイト家族24」なら1か月980円で家族とずっとタダで繋がります。

rion_fujirion_fuji2007/12/11 22:32私はauです。auでの最大のメリットは,他の会社がつながらないところでもつながるということです。(私がそういうところに行くケースが多いので)それ以外は,他社とそんなに大きな違いはないと思います。私の周辺では,ドコモの利用者が,通話料の安さからソフトバンクにかえています。

kirikiri2007/12/11 22:50今回のセミナーで最大の収穫は、学び合いをしている歴代の院生は、基本的「顔が怖い」と言われてしまいました。さもありなん、と、納得して聞いていました。ちなみに私は、東大寺の戒壇院の○○に似ていると中学生によく言われています。

あべたかあべたか2007/12/12 05:28初級段階をふらふらしている、阿部です。
たぶん、学び合いを実践してすぐに学び合いをやめてしまったり、学び合いは眉唾物と思う方は初級段階の「闇」の部分が気になってしまうわけです。
そういうわたしも、結局は「闇」をどうにかしたいと心の中で思ってしまいます。

これは、「自分(わたし)」が「子ども」より「有能だ」ということから帰していることと思います。
これを、まっさらな状態にするのは難しいですね。

たぶん、「自分(わたし)」が「子ども」よりは「有能」であると思っている「教員」はほとんどで、だからこそ、子どもたちに「型」を与えるなどして指導しているのでしょうから。

西川先生の言う「みんな」に「みんな」を求める。

理解しようと思うのですが、なかなか正直難しいです。
ウーン。

jun24kawajun24kawa2007/12/12 16:02Janglejapさんへ
 どえりゃ~こと、子どもに求めて下さいね。
Mizuochiさん、rionさんへ
 有り難うございます。色々調べていますが、知れば知るほど、複雑なシステムだと思います。
Kiriさんへ
 本当に迫力がありますよ。当時の院生さんたちが、そろいのスーツで歩いたら、その筋の人と間違われますよ。あはははは
あべたかさんへ
 一度信じてみることです。あなたレベルの人だったら、かりに子どもがなにやらかしても、帳尻を合わせられますから。でも、心配するようなことが起こらない、という経験を積み上げることによって不安を持たなくなります。私も、そうです。

07/12/10(月)

[]大阪日帰り 21:50 大阪日帰り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大阪日帰り - 西川純のメモ 大阪日帰り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、大阪で博士課程の会議がありました。1時間半の会議のため、往復10時間の電車に揺られて出張です。これも教師のつとめです。

[]若い子 21:50 若い子 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 若い子 - 西川純のメモ 若い子 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある同志からのメールの中で、若い先生を評して「最近の若い子は、採用されると急に年寄りになってしまう。」という言葉がありました。同じメールの別なところに、「新採用の方は、どんな学校で最初の3年努めるかが、一生に影響します。」と書いていました。これは、私が学部生を卒業させるときに語る言葉です。最初の数年での時間の過ごし方で、その後の教師人生の方向が決まってしまうと思います。私の場合も、最初にして最後の高校現場の学校での経験が、その後の21年の大学教師のすべてを定めました。

 この二つの言葉は、別々ではなく、根は一つなのだと思います。新規採用者は白いキャンパスみたいなものです。そこに構図が描かれ、あとは上塗りがされます。初任校は構図を書く時期です。では新規採用者は何を基に構図を書くでしょうか?それは先輩教師です。若い先生が年寄りになってしまうのは、現場の先輩教師が年寄りじみているからだと思います。昔だって、年寄りじみた先輩教師はいました。でも、若々しい、お茶目な先輩教師もいました。青臭いことを信じている先輩教師もいました。そして、その先輩教師に染まれれば、若々しい若手教員が生まれます。つまり、若い人の問題ではなく、我々の年代の問題と思います。反省・・・

07/12/09(日)

[]大事な日 22:34 大事な日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大事な日 - 西川純のメモ 大事な日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は朝から博士課程の仕事で大学です。しかし、終わり次第、疾風のように帰宅。だって、本日は家内の誕生日!

 家に帰って、家族で焼き肉屋に行きました。それでいっぱい肉を食べて、買い物。本日の夕食は鍋です。Mさんにいただいた、ワイン(いつも飲んでいるワインのん十倍高級なワイン。ありがとうございます)を飲んで良い気持ち。息子の感謝状、私は足温器がプレゼントです。この日に家内が生まれてくれたおかげで、私は幸せです。

追伸 明日は博士課程の仕事のため、大阪に日帰りです。とほほ

池田修池田修2007/12/10 07:48びっくりです。
私の家内も、12/9生まれです(^^)。
おめでとうございます。

jun24kawajun24kawa2007/12/10 12:59あははは
二人は繋がっていたんですね。
お互いにオメデトウございます。

07/12/08(土)

[]感謝 17:04 感謝 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 感謝 - 西川純のメモ 感謝 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は臨床教科教育学会です。懐かしい顔、バンドルネームしか知らなかった方・・・、色々です。本日は、博士課程の仕事が裏にあったので、直接お会いする機会は限られていました。しかし、色々な発表を聞かれたと思います。直接、言えなかった方々に、御礼申します。感謝します!

OB1989OB19892007/12/08 20:13今日はありがとうございました。うちの研究室のIさんとKさんを覚えていていただいて嬉しかったです。

すみもんすみもん2007/12/08 21:24お会いできてうれしかったです。
今日は自分が『学び合い』をすることができたんだと思います。
ありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2007/12/08 22:48OB1989さん、すみもんさん
よき会になったと思います。参加いただき感謝!

iku-nakaiku-naka2007/12/08 23:38う~ん、セミナーに行けなかったことが重ね重ね残念。
会の様子は月曜日に校長先生から聞きたいと思います。(ついでに資料も読まさせて頂きます)
私は、とりあえずブログをきちんと更新することを頑張ります。(N先生に「私はマメです」って言いましたからね・・・)

jun24kawajun24kawa2007/12/09 15:56はい、お待ちしています。

07/12/07(金)

[]判別法 13:19 判別法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 判別法 - 西川純のメモ 判別法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「西川流『学び合い』」という本日のメモに関連して、ある授業が『学び合い』か否かを判別する方法を紹介します。『学び合い』が成立すると集団構成、子どもの動き、視線、言葉など様々な変化が起こります。しかし、それを正しく捉えようとすると、我が研究室がやっているように数十代のICレコーダーで記録し、分析する必要があります。しかし、『学び合い』か否かを判別するだけだったら、極簡単です。

 まず、教師が仕切っている時間です。教師が仕切っている時間というのは、クラスのみんなを黙らせて、自分だけに注目させている時間です。ある時は説明であり、ある時は板書している時間です。それが授業の半分以上を占めていたら、これはそれ以外でどんなに子どもたちを関わらせていたとしても、『学び合い』ではありません。教師の仕切る時間の長さは、自分自身が有能であると考える度合いに比例し、子どもが有能であるという考えに反比例します。まあ15分以上も仕切っていたとしたらイエローゾーンです。

 次に成績です。この成績は何でもいいんです。鳥肌が立つような素晴らしい評価方法であってもいいし、千円以下で買える業者のドリルの問題でもいいんです。ようは、その先生が子どもたちに課した課題に対応していればいいのです。この平均点が驚異的に高いのみならず、最低点が、そのクラスの子どもの実態から考えれば驚異的に高い結果を、数ヶ月にあげ続けているならば、『学び合い』です。平均値は高いが点数にばらつきが大きいのは『学び合い』ではありません。また、点数の乱高下が大きいのも『学び合い』ではありません。

 次に保健室への愁訴率で分かります。本当でしたら不登校率で図るべきなのですが、アスペルガー傾向の子どもに関しては『学び合い』は例外的に時間がかかります。分母が少ない場合、データとしての揺らぎが大きくなります。従って、愁訴率の方が適切です。わかりやすい例ですが、遠足の日に欠席・遅刻する子は少なくなるのと同じ理屈です。(もちろん、私は全ての子どもを救うことを志としています。もちろんアスペルガー傾向の子どももです。ただ、上記に関しては、分かりやすい指標として適切か否かを議論しているのをご了解下さい)

 この三つが同時に、かつ、安定している場合は『学び合い』をしています。それは我々の研究と全く知らなくてもです。『学び合い』の考え方は正しいものです。正しいものは、心ある人は気づくものだと思います。逆に、上記の一つでも欠けていたら、それは『学び合い』ではありません。ちゃんと分析したら、その授業が『学び合い』でないかを学術的に出すことは可能です。ただ、非常に手間はかかりますが。

 ただし、我々の同志が、常に上記を満たしているかと言えば、そんなわけありません。他ならない私自身がそうです。私のクラスである西川研究室に人間関係に歪みが生じたこともあります。達成度が低いときもあります。また、講演会では徹頭徹尾、私が仕切りまくっています。全国の同志の場合も、世のしがらみで苦しんでいる人もいます。

 その時です、その人に聞いてください。「なんで、そうするんですか?」、「なんで、そうなっているんですか?」と聞いてください。もし、「本当は『学び合い』のセオリーに戻るべきなのだが、諸般の事情で・・・」と後ろめたそうに語ったら、それは同志です。しかし、この状態が最善であると言ったり、一斉指導の併用も必要だと言ったりしたら、それは同志ではありません。その様な方は、『学び合い』の初期段階まではいくでしょうが、中期段階、そして最終段階に至ることは、考え方を変えない限り無理です。

 非常に分かりやすい判別法です。

[] 西川流『学び合い08:42  西川流『学び合い』 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク -  西川流『学び合い』 - 西川純のメモ  西川流『学び合い』 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ネットサーフィンをしたら西川流『学び合い』という言葉に出会いました。ビックリすると同時に、う~んと思いました。その理由を以下に述べます。

 物理学・数学には「流」はあり得ないと思います。量子力学はハイゼルベルクやシュレディンガーによって基礎を固められました。しかし、ハイゼルベルク流量子力学というのはあり得ません。相対性理論は、ほぼアインシュタイン一人によって完成されました。しかし、アインシュタイン流相対性理論という言葉もあり得ません。量子力学にせよ、相対性理論にせよ、個人の中にあるのではなく、個人と関係なくそれはあります。

 宗教、芸事には流派があります。しかし、大抵は個人のエゴが出発点です。有名な例ではヘンリー8世が離婚しようと思ったがキャソリックの教皇が許さなかったためイギリス国教会が独立しました。芸事の流派は、大抵は家元の遺産相続に関わるお家騒動の結果で生まれるようです。結果として、それぞれの流派は、ことさらに違いを持たせますが、素人から見ると、どうでもいいところのように感じます。

 『学び合い』でもっとも大事にしているのは考え方です。子ども観、学校観、授業観です。授業観は子ども観、学校観から引き出される必然ですから、子ども観、学校観の優先順位は高いです。従って、子ども観、学校観に合致するならば、全く学び合わなくてもOKです。ただし、合致するか否かは抽象論・神学論争で決められるべきものではなく、長期にわたるテストの成績・出席率・不登校率・・・の結果によって議論されるものです。その意味で、『学び合い』という言葉を「私」は提案しました。もし、それに合致しないならば、『学び合い』という言葉を使わないでください。すみません。それぐらいの我が儘は、言葉の提案者として許されると思います。

 さて、私が「う~ん」と思ったのは何かといえば、西川流『学び合い』という言葉を使った方は、西川流という形容詞に何を意味させたかったかということです。もし、上記の考え方が西川流であると考えているならば、そうでないものは『学び合い』ではありません。理由は上記に書いた通りです。もし、可視化とか、最初の語り等の方法を意味しているのであれば、あれは西川流ではありません。その多くは西川研究室に所属された院生さん、学生さん、また全国の数多くの同志が発見されたものです。それは、学術論文に明確に示しております。本においても、本文・レファレンスに明確に示しております。従って、個々の方法のレベルであれば、川合流であり、桐生流であり、水落流であり、神崎流であり、そして、百を超える同志の「流」の集積です。決して西川流ではありません。もし、このブログに書いていることのレベルであれば、その記載のほとんどは○月○日の西川ですが、それから数日後の西川と同じわけではありません。このメモでも何度も書いたように、私は過去の自分の愚かさを学ぶことが最大の喜びです。つまり、西川流『学び合い』はあり得ないのです。

 じゃあ、なぜ、そんなことを拘るか?それは西川流『学び合い』という言葉を使えば、別の○○流『学び合い』という言葉が生まれるからです。『学び合い』という言葉をあえて作ったのかと言えば、それは世にある“学び合い”が、子どもを有能として捉えていないと思うからです。それが証拠に、ゴチャゴチャと手だてを教師はしつづけます。また、世にある“学び合い”は、学力向上を主にねらったり、人間関係作りを主にねらったりします。結果として、バランスが悪く、継続性が低いです。残念ながら、犬山の実践も、フィンランドの実践も、それを行政レベルで実現している点では手放しで賞賛できます。しかし、あれは『学び合い』ではありません。

 『学び合い』の子ども観、学校観は、読んでいる限りは普通のことを書いているようですが、それを実際の授業で徹底するには、本当に革命的な考え方の転換が必要です。○○流『学び合い』という言葉が生まれたとしたら、その多くは個人、一つの組織のエゴが背景にあります。そして、子ども観、学校観が不徹底な、既存の“学び合い”の焼き直しになる危険性があります。それは断固避けたいと思います。

 過去にも書いたことですが、何度も書きます。『学び合い』は私個人の中にあるのではなく、私の外にあります。私は家元になるつもりはありません。私は『学び合い』に反する行動をすることが多々あります。そして、それを同志に正されることを喜びとしています。

 ということで西川流『学び合い』は存在し得ません。

追伸 言うまでもないことですが、私が気にしているのは○○流『学び合い』であって、○○流学び合い、ならば、全然気にしません。『学び合い』と学び合いは似て非なるものですから。

07/12/06(木)

[]学会準備 16:15 学会準備 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学会準備 - 西川純のメモ 学会準備 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は今までに、会員数二千人規模の学会の全国大会の事務局をほぼ一人でやったこととが四回あります。その度に、半年間、他の仕事は殆ど出来ません。

 今週末の学会の準備が、私と全く無関係に進んでいます。馬鹿な心配を二三回しましたが、いらざるお節介であることを思い知らされました。

07/12/05(水)

[]高校教育 00:16 高校教育 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 高校教育 - 西川純のメモ 高校教育 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、http://manabiai.g.hatena.ne.jp/ikutosu/20071130を読みました。それによれば、教員志望の高校生が同志の言葉に触発され、「手引き書」を読んだそうです。鳥肌が立ちました。埼玉の小学校のKさんは、西川研究室の本を教室の後ろにわざと置いているそうです。群馬県のHさん、神奈川のHさんは教師-保護者の関係の中から、他の教師に『学び合い』を伝えました。しかし、高校教師は教師を育だてる、いや、同僚をそだてる最前線にいるのだと理解しました。心ある人は、人に伝える能力があると思います。なぜなら、その人の姿が何よりの証拠なのですから。

[]講演 09:03 講演 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 講演 - 西川純のメモ 講演 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、ある県の教育センターで講演に行きました。そのセンターで私の対応して頂いた方は実に気さくな方です。それから1年ぐらいたって、その方からメールが来ました。現場復帰されたとのことでした。その勤務校で講演して欲しいとの依頼です。調整の上、9月20日or21日が決まり、「明後日、職員会ですので、そこで、ある程度の方向性は決められると思います。」というメールを8月19日に頂きました。ところが、その後、いつまでたっても連絡がありません。そこで私がその学校に電話でかけました、教頭先生が出られましたが、それは都合により無くなったという簡単なお返事です。「すみません」の一言もありません。あっけにとられました。まあ、しばらくしたら、その先生から事情説明の連絡があるだろう、と思っていました。が、まったくありません。怒るより、呆れてしまい、忘れました。

 昨日、その先生からメールが来ました。以下、やりとりです。

『西川先生,こんばんは。○○です。ご無沙汰しています。連絡がずいぶん遅くなりすいません。以前,教頭が電話で12月くらいにとお伝えしたと思うのですが,そもそも落ち着かない学校で,なかなか日程がうまくいきません。で,12月に来ていただくのはどうも無理な感じとなっています。今日,教頭と話をして,12月は無理だが,1月30日(水曜日)はどうだろうか?という案が出ました。この日は,理科の授業研究の日で,授業研究は動かないので,この日に来て頂いて,久しぶりに理科を見ていただいて,その後お話を頂くのはどうだろうかという話になっています。西川先生,何回もお尋ねして申し訳ないですが,1月30日の午後に来ていただくのは可能ですか?29日に移動,30日夜は私と○○さんで割り勘接待(笑)。31日に帰路についていただくという感じになると思いますが。いかがでしょうか。では,よろしくお願いいたします。』

 私の返信は以下の通りです。

『お久しぶりです。さて、そのあたりは立て込んでいて、ちょいと難しいです。今の段階で、ありがたい日時を申し上げます。ご検討ください。1月17日、2月15日、2月22日です。なお、4月以降ならば、今のところOKです』

 その先生の返信は以下の通りです。

『西川先生,こんばんは。うーん,残念です。授業研究の日は動かないので,ちょっと難しいですね。仕方ないので,県教委を招くか,私がしゃべって(笑)済ますことにします。

> 2月15日、2月22日です。

このあたりで検討してみます。

> なお、4月以降ならば、今のところOKです。

あはは,4月以降ですか。いったい私は何をしているのか分かりません。研究主任外れてしまえば,企画能力が消えますので。では,また連絡いたします。ありがとうございます。』

 このメールで私は「切れ」てしまいました。そして、以下を返信しました。

『苦言です。○○さん。お忘れでしょうが、以前のメールで講演の仮予約を頂きました。ところが、移動の予約をしなければならない時期になっても連絡がありません。そこで私が御校に連絡したところ、「それは無くなった」との教頭先生のお話。正直、あっけにとられました。その後、事情説明が○○さんからあるかと思いましたが、それもありません。そのわびもないままに、突然、何月何日に来てほしいとメールがありました。そして、そちらの都合に合わないとのメールしたら、以下の返信です。何か誤解されているのではないでしょうか?是非、HPに公開している私の予定をご覧ください。私は暇ではありません。年明け以降は土日がない状態が続いています。暇な大学教員と一緒にされては困ります。教職大学院が来年度から立ち上げですが、私はその実質的な立案者です。平常の講義、研究指導の他に、立ち上げの仕事があります。○○さんの事情もあるだろうと思い、すっぽかしのことは蒸し返しませんでした。しかし、私の事情も想像していただけないならば、無意味なやりとりになると思います。ここで調整したとしても、「あ、あれは無かったことに」となりそうです。いや、それさえもないことさえ危惧されます。ご理解ください。』

 以上の私の対応に瑕疵があるでしょうか?

 私は、講演依頼に関して、学校だろうと、県センターだろうと、市町村だろうと、選り好みしたことは一度もありません。よき機会を頂いたと、感謝しております。講演料だって、一度たりとも、これこれ以上欲しいと言ったことはありません。私を呼んで頂けるところは、公的機関が殆どです。そこには規定があるはずです。その規定通りに頂ければ十分です。もちろん、出張するのですから旅費の実費は頂きたい。しかし、それとても相手方が事情をフェアーに言って頂き、かつ、お金に代わりうる「誠意」があればいいのです。例えば、「1年後には学校・地域に「広げた」という結果を出します」という意気込みがあり、日時等に関して、最大限配慮を頂けれるならば、その意に感じます。もし、どうしても無理だったらスカイプという方法もあります。

 つまり、講演を依頼する方には「他の人ではなく「私」に是非来て欲しい」という願いと、「来てくれて有り難い」という感謝があって欲しい。そして、願いと感謝に対応した行動があるべきだと思います。そして、私の方も、「これを機会に『学び合い』を理解してくれる人が増えて欲しい」という願いと、「機会を与えて頂き有り難い」という感謝を持ちます。そして、それに見合った語りを絶対にします。この感謝と感謝の関係があるから、忙しくても講演に行きます。

追申 マスコミでどんなにたたかれようと、日本の教師は常識人です。今までに百数十の講演会をこなしておりますが、殆ど全ては誠意のある関係を結べたと信じております。しかし、少数ですが異常を感じる事例がありました。関西のある市センターから講演の依頼がありました。それからメールのやりとりをして形が煮詰まった段階で、旅費込みの講演料が、そこまでの片道の旅費にもたりない額であることが告げられました。そこで、せめて旅費と宿泊の実費は出して頂けないかとお願いしました。しかし、規定だからの一点張りです。おそらく、そのセンターは市外から講師を招くことを想定していない規定なのだと思います。そこで、別の提案をしましたが、規定だからの一点張りです。当時は、講演の経験も余り無かったので、ボスのT先生に相談しました。T先生は大笑いして、断ることを勧めました。丁重にお断りしました。このような事例は、ごく希です。しかし、その希な事例は関西の一部の地域に集中しております。私は勝手に、その地域の習慣が違うのかな~っと勝手に解釈しておりました。最近、関西で講演して、気安くこのことを話す機会がありました。そこで、大阪と京都と兵庫の方に「そういうのが常識なの~?」と聞きました。いずれも方も、いずれの方も、えらく憤慨し、関西の習慣が常識的で、人情あふれていることを語って頂きました。安心しました。私の個人的に知っている関西の方はみな常識人で人情家であることを思い起こせば、当然だと納得しました。

07/12/04(火)

[]ちゃん 17:30 ちゃん - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ちゃん - 西川純のメモ ちゃん - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、大学からセクハラ関係の注意を喚起する記事がメールで送られました。それによると女子学生を「ちゃん」づけて呼んだことがパワハラになる事例がありました。正直ビックリしました。記事によると、その教員もパワハラになることを認めているとのことです。おそらく、その他のことも相まって、その女子学生は不快に思い、かつ、その教員も不快であることを承知の上で呼び続けたのでしょう。

 我がゼミは平成2年から学部学生の卒研生を受け入れています。基本的に女子学生は全て「ちゃん」で、男子学生は名前の呼び捨てです。ただし、例外は「けん」という名前が付いている男子学生は「けんちゃん」でした。いま、数えてみましたら、「ちゃん」と呼んだ学部学生は30人もいます。ただし、本人の了解は全て取っています。女子学生も男子学生も、いままではそういう呼び方だったことを説明し、自分の呼ばれたい呼び方を選択してもらいました。当人にお気に入りの呼び方がある場合は、それで呼んでいます。しかし、一応、確認のために学生控え室に行き、「ちゃん」が嫌だったら申告してねと真顔で言ったら、笑われて馬鹿にされました。ということで、継続します。

 そう言えば、私が教員だったとき、子どもたちはもちろん、先生方も「純ちゃん」と私を呼んでいました。それは職員会議の時もです。私より若い先生は「○○先生」と呼ばれるのに・・。ありゃ、パワハラ、イジメだったのだろうか、あははははは

[]顔 16:59 顔 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 顔 - 西川純のメモ 顔 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が生徒・学生だった頃のことです。同性の同級生の顔が急に魅力的になることがあります。同性から見ても、美しく感じるのです。顔の作りが変わるわけではないし、髪型が変わるわけでもない。男性ですので化粧はしません。ビックリします。大抵の場合は、初体験の直後の場合です。

 今、我がゼミの学部3年、4年が『学び合い』を学校で取り組もうとしている学校に入っています。本日、知りました。学部3年生は体育の授業を任されるようになったそうです。実に大胆な学校だと思います。もちろん、担任の先生や校長先生の管理下ですが、基本的に任せて頂けるそうです。さらに、その3年生の来られる時間に合わせて時間割を組んで頂いているそうです。以上のことが、私と全く関係ないところで進行しています。

 日本中の教員養成系大学の学部3年生は約1万人います。そして、教員養成系学部以外で免許科目を取り、教育実習を受ける人数を加えれば膨大です。しかし、今、この時点で、こんなに学校で大事に育てられている学部3年生はいるのだろうか?と思います。彼の顔はどんどんチャーミングになっています。ある意味で初体験をしているのだと思います。

追申 上記のことを、もっと組織的に、かつ、長時間やれるために設置したのが本学の教職大学院です。

[]タイマー 08:14 タイマー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - タイマー - 西川純のメモ タイマー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 早食いの私に全く似ず、息子は実にゆっくりと、楽しみながら食べます。従って、朝食も30分以上時間をかけて食べます。しかし、忙しい朝に、そんなにのんびりされても困ります。そこで、息子と一緒に食べる私は、朝食の間中、「ぼーっとしているな」、「早く食え」、「ご飯粒を手でいじくるな」・・・・と叱りっぱなしです。ところがでです、最近は問題解決です。どうやったか。『学び合い』のセオリー通りです。

 デジタルのキッチンタイマーを用意します。息子に何分で食べきれると聞きます。ただし、以前に、何時何分までに食べ終わらないと、毎日、一緒に行く友達を待たせることになるということは説明しています。息子は20分前後の時間をいいます。そこで、その時間をセットし、スタートです。その後は、出来るだけ何も言いません。まあ、たまに「間に合うかな~」と大きな声の独り言を言います。それだけです。

 自らが納得した課題、そして、それが達成したか達成しないかをハッキリ分かる評価、その二つだけで問題解決でです。考えてみれば、当たり前のことでした。

[]新聞 08:14 新聞 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新聞 - 西川純のメモ 新聞 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、地元紙の朝刊を見たら上越教育大学の教職大学院に関する記事がありました。その写真に私が写っていました。それを家内に見せました。

 家では、からっきし家内に頭が上がりません。しょうがありません。トイレの電気を消し忘れる。ものを出しっぱなし・・・。ということで、大学で本当に仕事をしているのかと思われているフシがあります。私は大学での仕事を家では言いません。言うと、偉そうに聞こえるようで、反論が来ますので。ちなみに、家では殆ど無口なので、講演会で全国を駆け回ると言うことが理解出来ないようです。たまに「しょうがないから、よんで頂けるのだから、ちゃんと話すのよ」と言われることがあります。私としては、「しょうがないのによぶのだったら、遠方からはよばれないよ」と言いたいところなのですが、そう言うと偉そうと思われるので、「はい、気をつけるよ」と言います。

 新聞のおかげで、私が大学で給料分働いていることを、ちょっとは認識して貰えたようです。ちなみに、息子に見せたら「お~」と言っていました。

enablerenabler2007/12/04 09:12ほのぼのした雰囲気でいいですね。
目の前に浮かび上がります。

実は私も家では嫁に言われっぱなしです。
いつも、しっかりしいやと言われながら送り出されます。

平井

jun24kawajun24kawa2007/12/04 09:55え??
平井さんが・・あははははは

yu-rikiya-ta-35yu-rikiya-ta-352007/12/04 21:01私も嫁に頭が上がりません。なんか仲間いると嬉しくなります。
私の前の職場に同僚からも子供達からも父兄からも○ちゃんと呼ばれてみんなに大人気の先生がいます。自分自身のことも○ちゃんは・・・と言っています。普通だったら気色悪いと思うのだけどなぜかとてもその呼び名が似合っています。この先生は、私のこともちゃん付けで呼びます。西川先生みたいに子供達や若い女の先生に中学生みたいによく悪戯をして楽しんでいました。私も含めてみんなも呆れて見ていましたが西川先生と同じように学校が健全かどうかを確かめていたのでしょうか。月に一度は、一緒に呑みますので今度聞いてみようと思います。西川先生にお会いしたことはないのですが○ちゃんに似ているような気がします。
PS:近頃クラスの女の子が、○○ちゃんと私のことを呼んだりするのですがこれもいじめ???

OB1989OB19892007/12/04 21:13[ゼミ]顔へのコメント。そんな学3はどこを探してもいません。You遊でそういう類のボランティアを行ってみるのも面白いと思いますが,ハードルが高くて実現できないでしょう。ですから,その学3の『学び合い』授業の教育実践を学3にデータ取りさせてみたいとついつい思ってしまいます。悲しい性ですね。J大の教職大学院でもN研をお薦めします。

jun24kawajun24kawa2007/12/04 22:07yu-rikiya-ta-35さんへ
尊かあちゃん連合を作りましょう。たいていの場合、かあちゃんの言っていることは正しいと思っています。あははは。
OBさんへ
ありがとうございます。そういう学4、学3をいっぱい育てましょうね。

F-KatagiriF-Katagiri2007/12/05 16:59新聞みました。男前に写っていましたよ。

jun24kawajun24kawa2007/12/05 17:25そりゃそうだよ、男前だから、あはははは
ただし20年前はね。

07/12/03(月)

[]臨床教科教育学会 18:21 臨床教科教育学会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 臨床教科教育学会 - 西川純のメモ 臨床教科教育学会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 このところ立て続けの出張が続いていたので忘れていましたが、なんと今週末に臨床教科教育学会が上越で開かれます。まあ、すっかり忘れられていたのも、関係者が全て確実に準備を進めていたためです。感謝です。

 で、慌ててご案内申し上げます。詳細は以下の通りです。参加申し込みは11月30日ですが、今も受け付けております。当日の飛び込みでの参加も可能ですが、準備の関係で事前にお申し込み頂ければ、係が助かります。よろしくお願いします。

http://nishikubo-lab.web.infoseek.co.jp/rinkyo2007.html

 お天道様ことは分かりませんが、12月のこの時期だったら雪に祟られる心配はないはずです。遠方の方も、どうぞ、おいで下さい。

[]プレス発表 17:51 プレス発表 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - プレス発表 - 西川純のメモ プレス発表 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、東京の文部科学省で学長が正式に教職大学院の認可を頂いた。やっと本格的に募集行為が出来るようになりました。しかし、本日、募集を初めて出願期間が12月14日~12月21日(必着)という日程です。大変な無理があります。昨日、東京で教職大学院の説明会を開きました。昨日は認可前だったので、説明会の宣伝を大々的にやることは出来ず、また、「申請中」というような曖昧な扱いしかできませんでした。しかし、驚きです、その会に31人もの方が集まって頂きました。アンテナと志の高い方はいるものだと思います。

 本日の4時に地元の新聞・テレビの方々を招いてプレス発表をしました。私は刺身のツマ程度ですが、陪席させて頂きました。ということで、朝からスーツ姿でした。

07/12/01(土)

[]併用 23:40 併用 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 併用 - 西川純のメモ 併用 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の「教師の仕事」というメモは、力のある先生が一斉指導と『学び合い』を併用する限り、最高度の『学び合い』には達することが出来ない理由を書きたいと思って書きました。しかし、電車の移動中だったので見直していませんでした。帰宅して見直してみると、関係ない内容が混在してしまったので、分かりづらいと感じました。そこで、改めて書き直します。

 一斉指導は、教師が綿密に手を入れます。ただし、全ての子どもに適用できる手だてはないので、あまり効率は良くありません。ところが、力のある先生は、6、7割にフィットするという驚異的な手だてを考えられるので、子どもたちの最低レベルを保証できます。しかし、綿密に手を入れるので、子どもたちはそこから逃れることが出来ません。結果として、教師が用意した通りに動きます。まあ、そうできるのも力があるからです。でも、子どもは教師が想定したゴールには行きますが、ゴールを越えたところには行きません。

 『学び合い』では、クラスのみんなの力で、ゴールを越えたところに行く可能性が生まれます。ところが、一斉指導を併用していると、子どもの方が、教師の思ったとおりの行動を期待されているのか、教師の予想を超えたところに行くことを期待されているのかが迷う場合があります。

また、力がある先生の場合は、子どもの動きを予想できます。そうなると、それから外れそうになると、敏感にそれを感じます。無意識に修正してしまう可能性があります。他ならない私も、そうです。義務教育の授業のことは現職院生さんより遙かに劣ることは分かっていますが、こと研究に関しては、私はプロです。研究テーマのタイトルを聞いただけで、必要となる最低限度の先行研究が思いつきます。そして、どのようにデータを出して、どのようにまとめたらいいか、それが直ぐに思いつきます。だから、学生さんと研究のことを頻繁に議論すると、私の枠組みに当てはめ、誘導してしまうのです。これは、それが馬鹿げたことだと理解しても、してしまいます。だから、研究計画の最初の段階で議論したときに、私の思いつくレベルのことを「荒く」語ります。そして、最低限、そこを押さえれば研究の形になることを説明します。そして、それは最低限のことであり、それをなぞったら、思いっきり馬鹿にするぞ、と言います。そして、それ以降は、意図的に学生さんと研究の話をしないようにします。

 私も、私の型にそった研究を指導すれば、学生さんは今より比べものにならないほど効率よく学術論文を書けるようになります。それは学会誌レベルを下がることは絶対にありません。でも、それは私にとっては、そのテーマを設定した段階から予想できるものであり、心ときめくものではありません。私は学生さんから学びたいという欲望を持っています。だから、そのような指導はしたくありません。私は子どもからいっぱい教えてもらいました。そして、それを子どもに還元したいと思います。

 力のある先生の達成度は極めて高いものです。しかし、それ以上のものがあります。特に、学習を成立させるという玄妙な世界の奥義は、子どもたちの中にあると私は信じています。一人一人にとって最高の指導法、最高の教材は、その子の中にあり、その子たちの中にあると信じています。

 『学び合い』のフォーラムを主催している会の名前は「子どもに学ぶ教師の会」です。

[]風呂入れ 22:10 風呂入れ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 風呂入れ - 西川純のメモ 風呂入れ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は新潟市で講演しました。気持ちよく語ることが出来ました。懇親会も楽しかったのですが、途中で失礼して特急に乗り、家に8時20分に到着しました。直ちに、息子と風呂に入り、添い寝をしました。今、息子が寝たようなので、布団から出ました。風呂でも、布団でも、いっぱいチュッチュをしました。

 息子の風呂入れと、添い寝は私の担当です。出張の時間は、この時間に帰れるように設定する場合は少なくありません。そのため、関係者にご迷惑をおかけすることは多いと思います。しかし、これによって息子からエネルギーをいただき、心と体の健康を維持できます。感謝です。

[]教師の仕事 11:58 教師の仕事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の仕事 - 西川純のメモ 教師の仕事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近の「ゆきこさん」のブログに対する「カタギリ」さんのコメントを読んで、「うまく説明しているな~」と感じました。それに触発されて、以下を書きます。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/miyoshiyukiko/20071125

 もし、管下の職員集団が仕えるに足ると判断する校長から、子どものため、学校のため、地域のため、そして自分たちのため、自分のためになると納得できる課題を与えられたとします。そして、「これこれのことは縛りですが、あとは皆さんにお任せします。皆さんにはそれが出来る。全て任せました。とにかく、目標を達成してください。必要な予算は取ってきます。必要ならば、どこにでも行って頭を下げます。問題が起こっても、私が後始末をします。みなさんは目標を達成する、その一点に集中してください」と語られたとしたら、どうでしょうか?職員は燃えるでしょうね。

 そこでです。その校長が職員に「例の件はどうなった?」と報告を求めたらどうでしょうか?その報告の求める頻度が1日ごと、二日ごと、1週間ごと、一ヶ月ごとで職員の行動はどうなるでしょうか?短い頻度になる度に、校長が自分たちを信頼する気持ちに疑いを持ち、さらに、職員のエネルギー配分が、課題達成から校長への報告へ移動するでしょうね。

 別の校長の場合は、1週間たっても、2週間たっても、校長は報告を求めません。職員間で「これでいいのだろうか?」という不安が広がって、校長に途中経過を見せようと言うことになりました。ところが、校長はその途中経過を一瞥もせず、「私は皆さんを信じています。だから、皆さんにお任せしました。責任はとります。期待しています」と職員集団に宣言したらどうでしょうか?あきらかに後者の校長の学校の職員の方が、すばらしい達成度をするでしょう。前者の場合は、校長の悪しきカーボンコピーが生まれます。カーボンコピーは、現物を超えることは絶対にありません。

 さて、後者の校長のことを考えましょう。上記に書いたように、そのことに関しては、完全に任せてくれます。ただ、別なこと、例えば、保護者とトラブッテいる学年に対しては、その報告をこまめに求めていたら。一方、ある校長はトラブッテいることの状況を理解し、最低限の条件(例えば、いつまでに解決すべきであるという日時)を与えた後は、何もしません。ただ、その学年集団が、集団として問題を解決しているかを、職員室での職員の動きからら判断します。集団として動いていると判断したら、何も言いません。ただ、その学年から、これこれのところに行って頭を下げて欲しいと求められたら、それを受け入れます。どちらの校長の下で働きたいですか?

 個々の具体的な事例から言えば、校長がこまめに報告を求めるべき事例があることを否定しません。上記の例は、管理職の信頼と管下の職員の行動には関連があることを理解してもらうための例です。結局、管理職の信頼している範囲内で、管下の職員は行動するのです。そして、管理職が信頼できず、自らが判断すれば、自らのレベル以下になることはありません。しかし、自らのレベル以上になることもないのです。一斉指導と『学び合い』の併用の弊害は、まさに、ここにあるのです。指導力のある先生のは、子どもたちにとって、指導力のある校長と同じです。その方針の下に、気持ちよく働くことが出来ます。それは一斉指導でも、『学び合い』でもです。ただし、子どもも管下の職員も、その管理職のすべての言動を通して、自分たちへの信頼を判断します。そして、それに合わせた行動をします。

 『学び合い』で最高の達成度を実現できるのは、数十人の子どもたちが全員、自分たちの頭の考え、必死にならせる必要があります。限りなく信頼する必要があります。では、管理職は何もしなくて信頼すべきなのでしょうか?そんなことはありません。管理職には管理職だけの仕事があります。私を例にして説明しましょう。

 私は今から14年前に助教授になり、一つの研究室を主宰することになりました。当時の状況は悲惨な状況でした。理科コースに所属していましたが、こく一部ですが、教科専門の先生が理科教育の学生・院生に対してイジメをしました。ご本人は自覚がなくとも、受けた我々はそう判断する言動がありました。まあ、しょうがありません。そのころには我がゼミは理科という縛りがきつくなっていました。理科以外の教科の学習も視野に入れた研究をしていました。それが気に障る先生もいてもしょうがありません。それ故、2年間の政治の結果、学習臨床コースを設立しました。それに必要な会議があり、それに必要な山のような書類を書きました。学習臨床コースに移動して、ゼミの協働が進み、従来のアカデミズムの枠がきつくなってきました。そこに教職大学院の話がありました。それ故、3年半の政治の結果、このたび教職大学院が認可されました。そのために、星の数ほどの会議、嫌になるほどの出張、山ほどの書類を書きました。

 研究を進めるには、予算も必要であり、施設も必要です。それを得るためには学内外の高い評価が必要です。学術論文の数、学術著書、学会賞が必要です。また、ゼミ希望者の数、卒業生の教員採用率、学校現場における評価、教師用図書、教師用雑誌・・、そのすべてにおいて勝る必要があります。その殆どはゼミ生の皆さんがやってくれます。ただし、それを正しく社会に評価させるためには、出版社、学会、学内、学校現場との交渉をしなければなりません。それは私の仕事です。そのために、膨大な書類を書き、出張をし、会議をしなければなりません。

 でも、これって校長の仕事と同じじゃありませんか?以上のような仕事をせずに、毎日毎日、学校にいて、庭の手入れにエネルギーをついやす校長がいい校長ですか?違いますよね。では、教員は違いますか?実は同じなんです。『学び合い』が進めば、子どもたちは「もっと」出来るようになります。そこで、教師が「もっと」を求め続けなければ、クラスは腐ります。安易な解決策を選び、いつの間にか仲良し集団のセクトが生まれてしまいます。もし、「もっと」と教師が求め、子どもも求めたら、安直な右にならえでは実現できません。周りの先生を説得し、一緒にやってもらわなければなりません。保護者を説得し、一緒にやってもらわなければなりません。そのための証拠は、子どもが出してくれます。しかし、それを正当に評価してもらうには、教師の政治が必要です。ある場合は、校外の研究会で発表し、校外にシンパを増やす必要もあります。校長が理解してもらえないならば、もっと力のある人に理解してもらう必要もあるでしょう。また、「もっと」を実現するにはボランティアも予算も必要です。経営学のドラッカーは非営利団体の管理職はボランティアと予算を獲得する能力が必要だと看破しています。

 日本教師の中で、どれだけの先生が、子どもの「もっと」を実現するために政治をやっているでしょうか?自分の開発した教材、いや、自分を見せるためではなく、まず、子どもを見せるために校外で発表している人がいるでしょうか?世の中に「助成団体要覧」というものがあることを知っている人が、どれだけいるでしょうか?そして、それに応募するために、書類を書いた人がいるでしょうか?

 一流の経営者は、管下の職員を信頼し任せます。それは「勉強しなさいを言わない授業」で紹介したリッカートの研究で明らかです。ただし、リッカートが集団参画型と分類した管理職は、むやみやたらに信頼しているわけではありません。失敗した場合には、どのようなことが起こるか、リスク評価をしています。そして、受け入れられるリスクはどこまでで、受け入れられないリスクはどこまでかを判断しています。そして、受け入れられないリスクを避けるためには、最低条件としてどのような条件が必要かを分析します。そして、その最低条件を明示した後で、全面的に任せています。私だって、細かい指導はゴチャゴチャしません。しかし、修士1年の学生さんには、夏と秋の学会に参加し、冬の学会に発表することを求めます。そして、修士2年の学生さんには夏と秋と冬の学会に発表することを求めています。もちろん、その学会発表の詳細を私は知りませんし、指導もしません。しかし、ゼミが集団として取り組んでいれば、絶対にすばらしい研究が成り立つことを知っています。では私は、ゼミが集団として取り組んでいるかを知るために何をしているか?

 学生控え室に行き、ソファーで寝ころび、コーヒーを飲みながら漫画を読んでいます。控え室のドアの外で学生の声が聞こえると、ドアの影に隠れて声を潜め、入ってくる学生を「ワッ」と脅かしてからかいます。毎日、昼にいるゼミ生と学生食堂で飯を食べます。その間話していることは徹頭徹尾、馬鹿話で、研究の話はしません。ゼミ生によれば、私は「頭の良い中学生みたいで、いつも悪戯のことで頭をくるくる回している」そうです。でも、それを通して集団が健全であるか、否かは分かります。

さて、そのようなことを実現できる教師に「専門性」がないでしょうか?馬鹿げています。そのような教師は「暇」でしょうか?馬鹿げています。そして、上記の仕事をせずに、毎日、「右」と「左」の書き順を板書している教師「だけ」が仕事をしているのでしょうか?馬鹿げています。

 私にとっては、これほど自明で当たり前のことを、伝えきれない、自分を自己嫌悪します。とほほ

 本日は、上記の一環の営業活動のために、妻子をおいて、上越から120Kmはなれた新潟市で昼から講演です。このメモも移動電車車中の1時間半で書きました。自宅に帰るのは20時半ぐらいです。

追伸 政治のために心ならずも併用している同志へのアドバイスです。そのことは子どもにちゃんと語ってください。そうすれば理解します。そして、全面的な『学び合い』に極めて近い行動をします。ちゃんと信頼することが大事です。

yu-rikiya-ta-35yu-rikiya-ta-352007/12/01 16:08「カタギリ」さんのコメント読みました。
>ぜひ、『学び合い』は「方法」ととらえず、「文化」・「雰囲 > 気」・「空気」ととらえてください。
なるほど、凄く奥の深い言葉に思えます。なんとなく分かるのですが、自分なんか足元にも及びません。それが分かるよう取り組んでいきたいと思います。

iku-nakaiku-naka2007/12/01 16:28 お仕事ご苦労様です(笑)。今日のブログを読んで、私が「一斉授業」をして頃「ドキッ」っとしたことと、今回のお話がつながるような気がしたので書き込みました。少し長くなりますが、ご容赦下さい。
 社会科のある授業の時「『大日本国帝国憲法』と『日本国憲法』の違いについて、教科書や資料集を見ながらまとめなさい。後で発表してもらいますよ」というような課題を生徒に与えました。生徒が活動している間、机間指導をしていたのですが、その時あることに気づきました。それは、能力の高い生徒の方がノートのまとめ方が「いい加減」で、私語が多いということです。「普段の授業は真面目に取り組めている生徒なのに・・・?。」と不思議に思っていましたが、その時は理由が分かりませんでした。そして、ある時にこんな生徒同士の会話が聞こえて来ました。この会話は、能力の高い生徒A生と能力の低い生徒B生との会話とします。
 A生「(B生に)ねえ、何でそんなに真面目にまとめるの?。」
 B生「(驚いた様子で)え!?、だって先生がまとめろっていっ    たじゃん。」
 A生「だってさ、どうせ最後は先生がまとめるんでしょ。だった    ら、それを書けばいいんじゃん。」
 B生「でも、当てられたら困るし・・・。」
 A生「そりゃ、当てられても困らないくらいのまとめはするけ     ど。自分でまとめて先生がまとめるから面倒じゃん。」
B生「そうか・・・。ならノート見せてよ。」
 この会話を聞いた時、能力の高い生徒が「適当なまとめ」をする理由が分かったと同時に、自分の指導方法に「不甲斐なさ」を感じたことを覚えています。授業で活動をさせる際、生徒はその「意図」を読みます。その力は、私たちの想像をはるかに超えるものです。「板書だけの授業はつまらないだろうから、少し活動でも入れるか」程度の「薄っぺらい意図」など、生徒はすぐ見抜いてしまいます。
 今思えば、私は生徒を信頼していなかったのです。だから、その意図を読み取った生徒(特に能力の高い生徒)は真剣に活動をしなかったのです。また、それが分かってもそれを改善できずにいた私が「一斉授業」を行っていた当時の私です。そして、次第にその部分から目を背けていたように思います。しかし、今は「学び合い」に出合い「理想」を追い求めることができるようになりました。ややり、私たち教師が「理想」を追い求めることをしなくなったら、生徒に対して失礼だと思います。そういった「気概」や「使命感(ちょっと大げさ?)」、または「始める勇気」や「やり続ける気持ち」が大事なのでないでしょうか。まさに「継続は力なり」ですよね。教師が「手だて」のみに右往左往しているウチは、生徒は本気にはなりませんよね。N先生!!。

jun24kawajun24kawa2007/12/01 21:43yu-rikiya-ta-35さんへ
 もう、あなたは分かっていますよ。あとは政治をしてください。期待しています。
iku-nakaさんへ
 偉そうに書いていますが、私も何度も失敗しています。でも、結局、『学び合い』のセオリーに戻るべきであることに気づきます。
 でも、怖い事例ですね。ぞ~・・・としました。でも、考えてみれば、自分自身もそうしていました。

miyoshiyukikomiyoshiyukiko2007/12/02 14:08お久しぶりです。最近の24kawa先生の日記を読み、ひっそりと自分の考えを自分の日記に記していました。katagiriさんからコメントをもらい、さらにこちらの日記にもコメントが紹介されていたので、それだけで嬉しくなりました。
「『学び合い』って何?」という素朴な疑問が、改めて学び合われているように感じています。まだまだ、分からないことが多い私ですが(勉強不足ということで)、小さなことをコツコツと積み重ねていきたいと思います。

jun24kawajun24kawa2007/12/02 15:26miyoshiyukikoさんへ
日記を見ながら、進まれていることを感じています。
私だって、偉そうに書いていますが、まだまだです。
書きながら、自分に言い聞かせています。
いっしょにやりましょうね。