西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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07/11/29(木)

[]疲れる 08:18 疲れる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 疲れる - 西川純のメモ 疲れる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校教師だったとき、お仕えした教頭先生から「純ちゃん、あんたは会議で何も発言する必要はないよ。大丈夫、あなたが思っていることは誰かが言うから。だまってな」と言われました。事実そうでした。だから、私は会議ではニコニコしていればよかったです。しかし、大学にはいると状況が変わりました。明らかに私たち(当時は理科教育というグループ)の学生さん、そして私たち自身を攻撃する発言が会議でありました。私は教頭先生の言ったことを思いだして、ぐっと我慢しました。ところが、それに対する「その場」での発言はないんです。当時の組織においても心情的シンパの方がおられます。その方は、会議の後になって「僕はあの発言は酷いと思うよ」と言う方はいます。しかし、その方は火の粉のかからない位置で発言するだけです。

 7年間、私は会議で発言しませんでした。しかし、学びました。静かに我慢していれば、やがて攻撃は収まります。が、攻撃する人は必ず、同じように、いや、もっと激しく攻撃します。何故なら、何をやってもその人は傷つかないのですから。7年目のあるときから、売られた喧嘩はちゃんと買い、そして、相手をひねり潰す覚悟で攻撃しました。だって、そうしないと私が守るべき学生さんが辛い立場に陥るからです。その結果、相手は安易に攻撃しなくなってきました。

 私は戦いが大嫌いです。やり始めれば、アドレナリンが充満して高揚感すら感じます。しかし、それが収まると自己嫌悪します。そして、体のそこここに危険信号が表れます。前年度は不整脈が出ました。私が高校教師だったときの状態が一番いい。でも、それが成り立つには、攻撃を受けたとき、火の粉のかかる位置で、その時、発言してくれる人が沢山いる場合です。そうすれば、一人一人の反撃は極端でなくても良くなります。かわりばんこに発言している内に、妥当な落としどころに落ちます。

 最近、ある同志より『西川先生、ちょっと焦りが感じられます。学び合いへの取り組みがやや滞っている今の私が言うのも、相当おこがましいのですが、学び合いの正しさは多くの方がお認めになっている訳ですし、実践も着々と進んでいます。西川先生、焦る気持ちは分からなくはないのですが、急がば回れです。』というメールを頂きました。正直、「え?」と思いました。同時に、なるほど、と思い感謝しました。しばらく自己分析した後に送った返信は、「ありがとう、同志。理解しました。ただ、私が焦っていると言うより、疲れているんです。『学び合い』を背負うことに疲れているんです。」です。

rion_fujirion_fuji2007/11/29 22:08 西川先生が,焦る?のはわかる気がします。まだまだやることはたくさんあるし,それが見えているからではないでしょうか?私自身は,学び合いが広まることはゴールではないと思っています。子どもたちのことを信じ,任せ,それなりの教育的効果をあげたとしても「やってみよう」という先生はそんなに多くならないのではないかと思います。私が関わった人たちとの経験から述べると学び合いによる子どもの状況的変化ではなく,質的変化をもっと大きく取り上げる必要があるのではないかと思います。(ちょっと違うかも?)
 その先にやるべきこととして,学習内容を本来人間が持っている力を発揮しやすい「学び合い」に合ったものにしていくことが必要になってくると思います。例えば,大単元をつくり,大きな目標を設定して長い時間をかけて解決していく学習などです。しまいには,学校の構造や校務分掌のありかたまでかえてしまうかも・・・。

jun24kawajun24kawa2007/11/29 22:51はい、rionさんのおっしゃる意味はよく分かります。しかし、それが成り立つためには『学び合い』が必要です。今の私の状況は、高校教師だったときの熱血教師の状況に近いと感じているのです。熱血教師は無意味で、間違いです。私は、まだ、集団を動かすに至っていない。それを補うために、走り回っているんです。とほほ

あべたかあべたか2007/11/30 05:25西川先生の「疲れる」「焦る」気持ちは、「学び合い」を日々行っているわたしもちょっと違う面から理解できると言いますか「わかるような感じ」がします。
「学び合い」は本当の意味での成果主義と思いますが、ここ数年学校教育界では「成果主義」「成果主義」と言葉では言われており、年度初め教員一人一人の計画を出し、年度末にはその成果を出すわけですけど、その過程に於いていろいろと首をつっこまれます。

例えば「学び合い」に関することで一番「危うい」姿が「教師は何をやっているのだ」です。
公の研修会に行くと必ず言われるのが「教師はきちんと教えなさい」です。
そこに「子どもたち同士の学びあいを進めてほしい。しかし、それを言い訳に教師が教えるべきところで何もしないということがないようにしてほしい」です。
これ、参加者全員に話されているわけですが、そこにいるわたしはまるで私へ直接指導の言葉を投げかけられているような気分になります。
まぁ、「学び合い」でも教師が指導すべき所では指導するわけですけど、一般の一斉授業とは観点が違うので、見る方によっては「指導すべきところ」で「全然指導していない先生」というように見られる可能性はあります。といいますか、大きいです。

文科省指導のもと「教師の指導力アップ」が叫ばれていますから、形だけでも「教師が何か素晴らしい指導をしている姿を見せて」その結果「テストの点数が上がる」「すばらしい討論の授業が見れる」などなどの目に見える結果が求められるのだと思います。
ここでのポイントは「結果がよくなったのは」「教師が○○ということをやったからだ」ということがわかること。

ですから、わたしも自分自身「学び合い」授業を推し進めてはいますが、やはり自分だけで進めているだけで言わばゲリラ的なものです。

全体的に進めるとなると、管理職の理解に始まり、同僚の理解、教育委員会の理解、そして何よりも保護者の理解等々が必要になるかと思います。
ここが難しい。エネルギーが必要な部分ですよね。
自分一人ではなんともしがたい部分もある可能性はあります。

今までの様々な教育方法に関しては(学び合いは教育方法ではありませんが)、授業の中だけでちょっと工夫すれば良いものばかりでした。つまり、教師の心がけや技術であれば練習などで習得されるものでした。
そこと「学び合い」は違う場にたつのが難しいのでしょうね。

○ 西川先生以外の研究者が西川先生とちょっとニュアンスの違う形で「学び合い」の授業を主張し、研究会や書籍を出す。
→「学び合い」に関しては、西川先生のお名前お一人しか見受けられません(わたしにはそう映っているのですが)。そうなりますと、「西川純」という人間だけが勝手に叫んでいるというように映ってしまう可能性、言わば一種の教育運動のように見られてしまいます。「西川門下生」がどんどん著書を出す。西川先生と対等の立場の方が別な面から学び合いをサポートするような著書を出す……などなどが必要かと思います。

○ 今、西川先生が行っているところかと思いますが、静岡の安東小学校や富山の堀川小学校のように、「学び合い」の拠点学校のようなものが全国に作れると良いかもしれませんね。それが八幡小学校でしょうか。

でも、大丈夫。
こうして、わたしもですが「学び合い」に取り組もうとしはじめている先生方が登場してきています。一定数を突破したところで大きなムーブメントになりそうに思います。

わたしも、一生懸命取り組んでいきます!

moto  moto 2007/11/30 05:37夏の大会でお世話になった宮城の者です。夏休みに西川先生の本を全部読み,2学期から「学び合い」を自分なりに取り入れて取り組んでいます。子どもたちの学習意欲は明らかにアップしました。私がいてもいなくても自分たちで休み時間の遊びから帰ってくると,友達同士で勉強し始めています。「国語か~」とか「あ~あ,算数か…」とは誰もいいません。「学び合い」の効果は子どもたちと私が一番実感しているところです。なので校内の先生方にも広めているところです。興味を持ってくれる先生方もいます。先日は校内研究の国語の授業研究で「学び合い」スタイルで提案授業をしました。事後検討会,盛り上がりました。
現在,思考錯誤をしながら「学び合い」に取り組んでいる者が東北にもいること,また今後,様々なアドバイスをお願いしたいことをお伝えしたくて初投稿させていただきました。

OB1989OB19892007/11/30 06:26誰のための教育か,でしょう。教師自身のための教育なのか,子どもたち自身のためなのか。子どもたちのためには『学び合い』が最善であると自負していますので,『学び合い』を背負うことが嬉しくて楽しくて仕方がありません。「『学び合い』=西川純」と思われているようでは,まだまだ私自身力不足です。

rion_fujirion_fuji2007/11/30 07:48 個人的には,「学び合い=西川純」とは思っていないんですよね~。佐藤学さんにしろ,吉田新一郎さんにしろ,茂木健一郎さんにしろ,アメリカの「理解のための教育」にしろすべて「学び合い」の考えについて述べているように思えます。特に脳科学や脳認知学に関する情報に触れるとこの学びを実践しているのは「学び合い」だけなのでは?とさえおもわあれます。それだけ,人間が本来持っているものを引き出し,子どものためになっている学習なのではないかと思います。あべたかさんの書かれている具体策は私も考えていました。遠い九州ですが,九州からも発信していけるよう努力します。