西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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07/11/25(日)

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 もし、ある先生が子どもたちに一時間土下座することを強いたらどう思いますか?そして、その先生に何故その様なことを強いるかと聞いたら、「社会においてそのような場面があるからだ」と言ったらどう思うでしょうか?おそらく、それで納得される方はいないと思います。

 今回、学生さんと沢山議論しました。テーマは「『学び合い』より一斉指導の方が優れている点は何か?」です。その中で、一斉指導も併用する必要があるという意見の学生さんがいました。理由は、「先生の話が分からなくても、つまらなくても黙って静かに我慢できる能力も必要だから」という理由でした。そこで、「では、具体的にどんな場面で必要?」と聞きました。そう聞かれると、その学生さんは、困ってしまいました。色々な場面を挙げられるでしょう。しかし、それを理由に、毎日毎日、小中高の12年間、それを強いる根拠にはなりません。

 私は暴走族を教えました。暴走族の授業態度は酷いものでした。しかし、暴走族の集会においては、彼らは実に礼儀正しく、分からなくても、つまらなくても黙って静かに我慢できました。実は、彼らは出来ないのではなく、やらないだけなのです。何故かと言えば、黙る必然性がないからです。私も授業改善をすれば、それなりに彼らは聞いてくれるし、黙ってくれます。

 民主主義国家の公教育で「先生の話が分からなくても、つまらなくても黙って静かに我慢できる能力」を与えるべきなのでしょうか?私はそう思いません。それは前時代的だと思います。本来は、「分からなければ分からないと言えて、つまらなければつまらないと言えて、そして、分かるという人の意見を聞けて、面白いという人の意見を聞けて、その中で折り合いを付ける能力」こそが学ぶべきことだと思います。

 さらに言えば、子どもの躾のために黙らせ、静かにさせるという表向きの理由の裏に、自分の授業が分からなくて、つまらないことを表出させるのが恐ろしいから非民主的な授業をしつづけているとしたら、これは罪ではないでしょうか?

 『学び合い』では、これこれのことをしなさい、と強います。しかし、それは民主主義の正当なプロセスに従って決まった指導要領に準拠しています。従って、それを教師が強いても非民主的とは言えません。交通違反を取り締まる警察の行為は非民主的ではありません。しかし、警官個人の判断で法を逸脱・拡大解釈し、それを公権力を使って他者に強いたら、それは罪です。日本国憲法、学校教育法、教育基本法、指導要領には、「先生の話が分からなくても、つまらなくても黙って静かに我慢できる能力も必要だ」とはどこにも書いていません。それを強いるのは、「子どもたちに一時間土下座することを強い」ることと同じく非民主的であり、罪だと、私は思います。

追申 ちなみに西川研究室の運営は、指導要領に決められていません。しかし、私は事前にその基本方針を出しています。また、あることを強いる場合は、それを納得してもらうように努力しています。そして、それを拒否する権利を保障しております。だから、大学の研究室所属と同じように、小中高の学級担任・教科担任を子どもが選択し、また、途中で異動する権利を担保しているならば、教師の解釈による躾をするのは可能だと思います。でも、そういう公立学校は殆どありませんね。