西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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07/07/28(土)

[]悟り 21:53 悟り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 悟り - 西川純のメモ 悟り - 西川純のメモ のブックマークコメント

悟りとは、至極、至極、あたりまえで、目の前にあるものです。でも、それを本当に分かるというのは、また、違うものです。

釈迦悟りを開かれたとき「善栽、善栽、山川草木悉有仏性」と叫ばれたと言われます。言葉にすれば、全てのものには仏になれる性質を持っている、という至極単純な悟りです。

孔子が弟子に最も大事なことは何かと問われて「それ恕か、おのれの欲せざるところは、人に施すなかれ」と応えたそうです。これまた、当たり前です。

でも、釈迦孔子がそれを言われたときは、凡夫の理解とは違った深みを持っていると思います。我々、凡夫であっても、同じ言葉を深い意味を持って語れる段階というのはあると思います。本日、ある同志よりメールをいただきました。

『○○です。日頃より、励まし、ご鞭撻を賜り、心から感謝しております。

さて、ようやく気づいたことがあります。西川先生と言えば「学び合い」ですが、先生子どもにも学生にも「学び合い」の願いを語ることはあっても、指示することはないんですよね。

 こういうことでしょうか。願い・思いを語る、めあてを示す。子どもが方法を選択する。子どもが「学び合う」ことを「選ぶ」(ことが多い)。そして、子ども結果・成果を評価する。

 そういうことなのかと、今更ですが感じました。

 何年か前ですが、「では、自力解決をしましょう」、「次に、学び合いましょう」と、進める授業をみて、苦笑いをしたことがあります。

給食野菜を残す子」の事例ですが、人を説得するいい例になりました。

だれに声をかけても、「半分食べろと言う」「少しでもいいから食べろと言う」と返します。「わたしは願い・思いを語り、方法を考えさせる」というと、みなさん納得してくださいます。

 確かに、教師は願いを語っていませんね。

 教師はアマチュアに近いな…と、悲観的になることもあります。

 自分は「プロ」になりたくて、ひたすらたくさんの指導技術を身につけようとしてきました。「○○マジック」と言われると、喜んでいました。マジックを起こすのは、子どもですね。今年度からは、今まで意識していなかった面から向上をめざします。

 新潟でお話しできることを、心から楽しみにしています。』

私の返信です。

『はい、我々の本、ブログ、常にそう書いているでしょ。分かってみれば、馬鹿馬鹿しいほど、当たり前に事でしょ。あはははは

 でも、願いを語るにしても、どのような願いを語れるかで違いが出ます。その願いを、どれだけ本気で願えるかで違いが出ます。その願いを語っても、子ども達は出来ないというかもしれません。でも、『学び合い』が分かっていれば、直ぐに、人と人との関係の中で、それが実現できることを語れるでしょう。そして、その子ども達を論破する方法は、子ども達が本気になったとき実現する方法に比べれば、愚かな方法であることを知っています。

 『学び合い』は指導論、授業論にとどまりません。それは人の生き方です。だって、我々は『学び合い』という人の生き方を伝えているんです。それが自身の生き方に反映できないわけはない。それが過去のいかなる指導論、授業論と違う点です。『学び合い』はホモサピエンスが数百万年の生存競争の中で洗練されたものなんです。こざかしい、人間の思いつきに、負けるわけありません。』

追伸 なんか、新興宗教ブログの様ですが。私の宗教は汎神論に近く、実生活では、葬式仏教の域を出ませんので・・・

[]命令 22:06 命令 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 命令 - 西川純のメモ 命令 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「他のゼミの人からは、西川ゼミって大変なんでしょ」と同情されるんですよ、と西川ゼミの人たちから笑って教えてもらいます。確かにそうでしょうね。他のゼミの方から見たら、とてつもなく大変なことを西川ゼミの人はやり続けますから。しかし、私は絶対に命令はしません。私は、何が「その人」にとって大事か、何が「その人達」に大事か、を語ります。私は命令しません。私は、私と学生さんの願いを一致させることに力を注ぎます。そうすれば、私の命令は必要ありません。ご当人が、ご当人に命令するだけです。そうなってしまえば、私のすべきことは、「期待しているよ」と、ご当人の心に語るだけです。

 命令するなんて、持続力もない、効果もない、愚かな「方法」です。

 教師の職能は、命令する権力ではありません。全ての子どもに無矛盾の願いを語れるか否かです。『学び合い』には、それが出来ます。

さとう@山形さとう@山形2007/07/28 22:10○○こと、さとうです。「同志」と呼んでいただき、光栄です。
「まず、願いを子どもに語ろうよ」と同僚に話すと、これについてはどなたも納得してくださいます。今、そこから始めています。

jun24kawajun24kawa2007/07/28 22:31上記のメモの通り語ります。
期待しています!