西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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07/07/27(金)

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 専門性に関してまとめてみました。

 私が理学部(正確には第二学群生物学類)を卒業し、教育大学院に進学した当初は、教師の職能、専門性とは、科学に関する知識でした。しかし、大学院、そして現場で学ぶ中で教育に特有の科学の知識があることを学びました。例えば、化学の本には亜鉛塩酸を混ぜれば水素が発生すると書いてあります。しかし、そうしても水素が発生しないことがあります。理由は亜鉛酸化皮膜が形成されると、塩酸と反応しません。そのような場合は、イオン化傾向の強い金属イオン(具体的には硫酸銅)をほんの少し加えます。そうすると酸化皮膜がなくなり反応が進みます。こんなことは科学の本には書いてありません。しかし、現場実験する場合は大切な知識です。

 また、教材・教具の知識の豊富さも大事です。私の場合は過去の教材を調べまくりました。例えば、現場発表会で紹介される理科の新教材・教具は、失礼ながら私には陳腐です。1970年代欧米カリキュラム改革が行われ、素晴らしい教科書編纂がさまざまなされました。そこには現在知られている教材・教具の殆どは出尽くしています(今の教師でPSSCやCBAと書いて分かる人がどれくらいいるだろうか・・・・)。例外は太陽電池や薄層クロマトグラフィのような新素材を利用した教材ぐらいと言って過言ではないと思います。さらに言えば、江戸末期から明治初年の教科書は非常に参考になります(今の教師で舎密、窮理と書いて、何のことか分かるだろうか・・・・)。当時の血液実験などは素晴らしい。その当時の技術力で実現できたのですから、現在では本当に簡単に出来て、かつ、本質的な教材・教具の宝庫です。このような引き出しがいっぱいあると授業の展開に幅が出来ます。

 また、表現力も大事です。例えば、教室の後ろの子どもにもはっきり聞こえる声を出すためには、のどで声を出すのではなく、腹で声を出す必要があります。しかし、これが教育実習で出来る学生さんは、まあ、20%ぐらいです。また、「特定の子を見つめている、すなわち、多くの子を見ていない」と思われないようにするには、最後列の子どもの頭一つ上を見るということも大事な場合もあります。その他、話の間の取り方、表情の作り方など、教師は授業で演ずるために必要な能力は山ほどあります。これは尊敬する恩師からの薦めで落語勉強しました。その他、教師に反発する子どもはしかるにはカラカエバいい、その子を陥落させるためには学校の外で個人的に会うといい、など、子どもの「操り方」も必要です。

 おそらく、多くの教師が考える教師の専門性とは、上記のことではないでしょうか?私も、現場教師だったとき、そう思っていました。しかし、現場教師だったとき、それの限界も見えていました。結局、限りなく全員を「分かったつもり」にすることは可能であっても、限りなく全員を「分からせる」ことは不可能であることを分かっていました。また、「限りなく全員」を願っていても、どんなにやっても抜けが2割以上、生じてしまうことをわかっていました。そして、なによりも、私の前では「可愛い子ども」である子どもたちが、子どもたち同士の中では鬼にも羅刹にもなることを知っていました。そして、それは「どうしようもないことと」思うようにしていました。

 しかし、今では上記のことは、殆ど意味が無いと思っています。まあ、あったほうが良いとは思います。それに助けられることもありますし。なにより、それの限界が良く分かる。しかし、この私の主張は、そのことに力を尽くした方々を否定するようにとられ反発を招きます。しかし、私は「その方々」を否定するつもりは微塵もありません。その方々が良き教師を目指した志は尊いものです。私も上記を目指していた過去の自分自身を「頼もしい」と回顧できます。私は、その志を別な方向に向けてほしいと願っているだけです。

 私は『学び合い』は本当に簡単だ、と主張します。最近メモに書いたように、その主張は教師の専門性を否定するように誤解されるようです。そこで、改めて書きます。

 本当に『学び合い』は簡単です。でも、「いいな~」と思っているレベルと、「やってみよう」とうレベルには天と地ほどの違いがあります。バンジージャンプが安全だと知っているレベルと、バンジージャンプをするレベルには大きな違いがあるのと同じです。これを超えるには、自分自身のクラス子どもたちの「分かったつもり」と「分かった」の違いを見取る力が必要です。自分の前の子どもと、自分の見えないときの子どもの違いを知る能力が必要です。そのどうしようもない現状を理解しない限り、バンジージャンプは飛べません。

 もし、健全先生であれば、『学び合い』は成功します。最悪でも、私との5往復程度のやりとりで大丈夫です。健全といっても、ご当人の問題というより、おかれている環境のほうが決定的でしょう。ノウハウ本に頼る状態というのは不健全です。私も新採の連休前までなどは死ぬほど大変で余裕が無かった。とにかく明日の授業案作りでヒーヒーしていました。学校に13時間ぐらいいて、教材準備しても間に合わないほどです。その当時はノウハウ本に頼っていました。でも、先輩教師とのつながりを持てるようになると、状況が変わってきました。忙しいのは同じですが、愚痴を言える人が救われます。また、自身の悩みを相談すると、教科は違っても的確なアドバイスをいただけます。そうなるとノウハウ本を距離を持てるようになります。だって、生きたノウハウ本のほうが、絶対良いですから。つまり、周りに「いいな~」と思える同僚がいる先生ならば、まず、大丈夫です。

 が、それは「クラスの殆どが学び合い、成績もそこそこ向上し、人間関係もそこそこ良い」レベルならば。そのレベルは、本当に簡単です。邪魔をしなければ、大抵はほっておいてもそうなります。まあ、教師の性で、いらざるおせっかいをしますが、子どもの声に耳を傾ければ、彼らの有能さに気づき、おせっかいが馬鹿馬鹿しくなります。このレベルでも、現在多くの先生が悩んでいることの半分ぐらいは解決できます。

 しかし、「クラス全員、もれなく学び合い、成績・人間関係が驚異的に向上する」を実現するには、我々の考える本当の教師の職能が勝負になります。

 人間の知性のありようを理解する必要があるでしょう。それには認知心理学を学ぶと有効です。それらを一通り学び、領域固有性やエキスパート・ノービス研究を学ぶといいでしょう。しかし、忙しい教師がそれを学ぶ時間は無いと思います。そのため、「何故理科は難しいと言われるのか?」という本を書きました(さりげなく?宣伝)。それがあるから、私はいろいろな方から一斉学習の利点を主張されても、ことごとく論破できます。

 また、学校教育とは何かを学ぶ必要があるでしょう。私の場合は、欧米及び発展途上国教育史を勉強しました。その結果現在、議論されている教育問題は、何度も繰り替えさえている陳腐な議論と相対化することが出来ます。また、生物学の知見から学校教育をみると、シンプルに見ることが出来ます。これまた、「学びあう教室」以降の本に書いている通りです(またまた、宣伝、ごめんなさい)。そして、経営者としての能力です。これも「勉強しなさい!を言わない授業」に書いたとおりです。

 私の考える教師の職能とは、まさに経営者としての能力なのです。子どもたちに、めちゃめちゃに高度な目標を与え、そして「やるぞ!」と思わせる能力です。またまた、誤解を恐れずに表現するならば、中堅高校の教師が「クラス全員で東京大学に進学しよう」という目標子どもたちに与えたとき、「何バカなこと言っているだ」と言わせずに、「みんなで、やろうじゃないか!」と思わせる能力です。そのためには、その目標意味することをちゃんと語る必要があります。単に学歴社会で「いいお給料がいただける」レベルで語るならば、せせら笑われるでしょう。そのためには、広い学識が必要でしょう。哲学歴史も・・・、学ぶべき背景は膨大です。そして、現在我々が研究している『学び合い』がその指針を与えるものであると自負しております。

 専門職?それは何でしょう。「これが分かること」と示せるほうがわかり易いですね。例えば、お医者さんが「内科学」の本をぽんと出す、弁護士さんが六法全書をぽんと出す、実に分かりやすい。それとのアナロジーで言えば、ノウハウ本で著されるものが良いのかもしれません。しかし、そんなことなんて入門レベルにすぎないのは、お医者さんだって、弁護士さんだって、そして、教師だって同じです。

 その職業専門職か否かを判断する簡単な方法、それは出来る人と、出来ない人の差が大きいか否かではっきり分かります。出来る、出来ないとは何で評価されるでしょうか?お医者さんが「内科学」の本の穴埋め問題を解ければ「出来る」お医者さんですか?違います。医者の達成すべき目的は「病気を治す」ことです。六法全書の条文をそろんじている弁護士さんは「出来る」弁護士さんですか?違います。弁護士の達成すべき目的は、裁判において被告人の権利を保障する判決を得ることです。教師も同じです。ノウハウ本に書かれていることを多く知っていることが「出来る」教師なのでしょうか、そして専門職としての教師なのでしょうか?否です。学力を向上させ、人間関係を向上させ、そして大人に出来る教師が「出来る」教師です。現在の教師の職能と言われているもの、それは入門レベルに過ぎません。本当の教師の職能はそんなものではありません。それは先に述べたように、クラス経営力であり、学年経営力であり、学校経営力です。その能力は全ての職業の管理者に必要とされる究極の専門能力です。我々ホモサピエンスは集団で生きるために知性を高めました、その究極にあるのがそれです。

 ただし、それでは全ての教師に、私と同じように心理学教育史を学ぶ必要があるかといえば、そんなことはありません。人それぞれで結構だと思います。そして、万巻の書を読むべきとも思いません。そんなことが絶対に必要でもありません。さて、結局、最後の最後に残る教師の職業とは、私は以前からたった二つだと思っています(詳しくは本や過去メモを読んでください)。それは、子ども、親、社会のせいにせず、自分で何とかしようとする向上力だと思います。子どもが悪い」、「親が悪い」、「社会が悪い」は安直な合理化ですが、進歩が止まってしまいます。ただし、これだけでは駄目です。これだけだと自分を責め続け、解決は出来ず、最後につぶれます。一人の人の能力は限りがあります。それを乗り越える能力とは、人、特に異質な人と繋がれる能力です。これさえあれば、かなりのものを乗り越える、どんな学識であっても、本だけで学ぶより耳学問を併用するほうがはるかに効率がいい。そして、それは全ての職において専門能力なんです。

 ながなが書いてきましたが、まとめると、教師は専門職です。そして、その専門能力とは人間集団の管理能力です。そして、それを獲得出来るか否かは、向上力と関係力です。そして、それは人の本質的な能力で、学校教育で学ぶべき能力なんです。

 あ~しんどかった。

さとう@山形さとう@山形2007/07/28 09:35教師は専門職。まさに!と思います。

最近、ある新聞の投書欄に、「教師の専門性は低い。社会人教師でも務まるから」とありましたが、誤解にもとづいた偏見だと思います。民間から教員になって即戦力として通用した例が、どれだけあるというのでしょう。
自分は、教員の専門性を「具体的な目標を示し」「やる気にさせ」「きちんと評価してあげること」だと思っています。
…もっとも、全ての教員がこれらができるかどうかは、自分もふくめて、少々心もとない思いもします。

jun24kawajun24kawa2007/07/28 14:15「教師にむいている・むいていない 」という過去のメモに書いたように、教師という職業はもっともありふれた職業です。従って、そのすべてに専門職か?と問われれば、否です。が、その能力は天と地ほどの差があります。それは、どの職業でも同じです。フランス料理のシェフには、一般家庭の主婦である家内の料理に劣る人は少なくないと思います。そのような人が専門職とは思えません。また、専門職といわれる医者の中にも、二十ぐらいの病気の判別しか出来ない医者もいるはずです。
 職業によって専門職/非専門職が決まるのではなく、「その人」が一般人とかけ離れた能力を持っているか、否かで決まると思います。
 専門職人として誇りを持てるようになりましょうね。