西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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だめで元々で、とりあえずドロップボックス(http://db.tt/bMZAZwx)とjimdo(http://jp.jimdo.com/)の無料アカウントを登録してみてはいかがでしょうか?実に簡単ですから。

本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

07/07/31(火)

[]仕事はついてくる 18:04 仕事はついてくる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 仕事はついてくる - 西川純のメモ 仕事はついてくる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は移動中です。が、仕事は後からついてきます。本日も、会議の設定の調整をしました。また、50ぐらいのメールやりとりをしました。その中には、ある教育雑誌用の論文の送付も含まれます。本日仕事は、本日に終わらせないと、明日、動きがとれなくなる。明日は、明後日小牧市での講演のために、移動です。

07/07/30(月)

[]明日から 22:46 明日から - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 明日から - 西川純のメモ 明日から - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明日から怒濤の連続出張が始まります。次に上越の自宅の布団で眠れるのは早くて8月12日。とほほ

[]フォーラム 14:17 フォーラム - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - フォーラム - 西川純のメモ フォーラム - 西川純のメモ のブックマークコメント

 新潟市で同志が以下のフォーラムを行います。本当に勉強になり、楽しい会になること「お約束」します。以下を参照の上、お申し込み頂けることをお待ちしています。

第3回教室『学び合いフォーラム2007

 2007年8月10日~11日(金・土)

  10日講演会,公開ゼミシンポジウム

  11日パネルディスカッション&公開ゼミ

   (於:クロスパルにいがた)

 http://www.rinkyokyo.com/manabiai/

MizuochiMizuochi2007/07/30 22:51「教室学び合いフォーラム2007」では
『学び合い』を学校全体で取り組んだY小学校の奮戦記の発表や
『学び合い』をなかなか受け入れてもらえない学校への対応を参加者みんなで考える公開ゼミが開かれます。
その他にも、内容は盛りだくさん。
『学び合い』に少しでも興味をお持ちの方、
ぜひ、ご近所お誘い合わせの上、ご参加ください。
絶対に忘れられない研修会になります。

07/07/29(日)

[]三人目 16:55 三人目 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 三人目 - 西川純のメモ 三人目 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日博士課程の方の指導の日です。面と合って議論します。説明を聞きましたが、数分で聞く気が減退します。内容的には素晴らしいものであることは分かるのですが、人に説明する配慮が少ない。いわゆる専門家の説明です。私が「これでは分かりません」と指摘しましたが、さらに、別な言い方で専門家の説明をしはじめました。こりゃ、いくら言っても駄目だ、と思いました。その方は、私なら分かってくれるだろう(事実、私は分かります)という前提があるからです。そこで、たまたま隣の部屋で仕事をしていた院生さんを呼びました。その方は「私には分からないと思いますが・・」と盛んに遠慮されていましたが、私は「その分からない、あなたが座っているだけで十分なんです」と言って、博士院生さんの正面に座って頂きました。そして、私は視界から外れる位置に座りました。

 博士院生さんは、早速説明し始めました。十秒もたたずに、私が言った「これでは分かりません」という意味を理解されました。語る内容は、誰に語るか(専門用語ではアドレス)によって変化します。具体的に語る相手を意識させれば、ゴチャゴチャ言わなくても理解して頂けます。たって、その院生さんは、優秀な教師ですから。だから、私ではなく、三人目の方の存在が大事なんです。

 あはははは

追申 国語での作文の圧倒的大多数は、アドレス不明です。まあ、子どもの方では「教師」であると想像していますが、教師は「私宛の作文を書け」とは言いません。従って、もや~としています。しかし、アドレス不明の文章なんて意味ありません。だって、大人になってから社会生活、家庭生活で書かねばならない文章の中で、アドレス不明の文章なんて、まず、あり得ません。学校教育は大人になるためにあるのにな~・・・・

 

07/07/28(土)

[]悟り 21:53 悟り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 悟り - 西川純のメモ 悟り - 西川純のメモ のブックマークコメント

悟りとは、至極、至極、あたりまえで、目の前にあるものです。でも、それを本当に分かるというのは、また、違うものです。

釈迦悟りを開かれたとき「善栽、善栽、山川草木悉有仏性」と叫ばれたと言われます。言葉にすれば、全てのものには仏になれる性質を持っている、という至極単純な悟りです。

孔子が弟子に最も大事なことは何かと問われて「それ恕か、おのれの欲せざるところは、人に施すなかれ」と応えたそうです。これまた、当たり前です。

でも、釈迦孔子がそれを言われたときは、凡夫の理解とは違った深みを持っていると思います。我々、凡夫であっても、同じ言葉を深い意味を持って語れる段階というのはあると思います。本日、ある同志よりメールをいただきました。

『○○です。日頃より、励まし、ご鞭撻を賜り、心から感謝しております。

さて、ようやく気づいたことがあります。西川先生と言えば「学び合い」ですが、先生子どもにも学生にも「学び合い」の願いを語ることはあっても、指示することはないんですよね。

 こういうことでしょうか。願い・思いを語る、めあてを示す。子どもが方法を選択する。子どもが「学び合う」ことを「選ぶ」(ことが多い)。そして、子ども結果・成果を評価する。

 そういうことなのかと、今更ですが感じました。

 何年か前ですが、「では、自力解決をしましょう」、「次に、学び合いましょう」と、進める授業をみて、苦笑いをしたことがあります。

給食野菜を残す子」の事例ですが、人を説得するいい例になりました。

だれに声をかけても、「半分食べろと言う」「少しでもいいから食べろと言う」と返します。「わたしは願い・思いを語り、方法を考えさせる」というと、みなさん納得してくださいます。

 確かに、教師は願いを語っていませんね。

 教師はアマチュアに近いな…と、悲観的になることもあります。

 自分は「プロ」になりたくて、ひたすらたくさんの指導技術を身につけようとしてきました。「○○マジック」と言われると、喜んでいました。マジックを起こすのは、子どもですね。今年度からは、今まで意識していなかった面から向上をめざします。

 新潟でお話しできることを、心から楽しみにしています。』

私の返信です。

『はい、我々の本、ブログ、常にそう書いているでしょ。分かってみれば、馬鹿馬鹿しいほど、当たり前に事でしょ。あはははは

 でも、願いを語るにしても、どのような願いを語れるかで違いが出ます。その願いを、どれだけ本気で願えるかで違いが出ます。その願いを語っても、子ども達は出来ないというかもしれません。でも、『学び合い』が分かっていれば、直ぐに、人と人との関係の中で、それが実現できることを語れるでしょう。そして、その子ども達を論破する方法は、子ども達が本気になったとき実現する方法に比べれば、愚かな方法であることを知っています。

 『学び合い』は指導論、授業論にとどまりません。それは人の生き方です。だって、我々は『学び合い』という人の生き方を伝えているんです。それが自身の生き方に反映できないわけはない。それが過去のいかなる指導論、授業論と違う点です。『学び合い』はホモサピエンスが数百万年の生存競争の中で洗練されたものなんです。こざかしい、人間の思いつきに、負けるわけありません。』

追伸 なんか、新興宗教ブログの様ですが。私の宗教は汎神論に近く、実生活では、葬式仏教の域を出ませんので・・・

[]命令 22:06 命令 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 命令 - 西川純のメモ 命令 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「他のゼミの人からは、西川ゼミって大変なんでしょ」と同情されるんですよ、と西川ゼミの人たちから笑って教えてもらいます。確かにそうでしょうね。他のゼミの方から見たら、とてつもなく大変なことを西川ゼミの人はやり続けますから。しかし、私は絶対に命令はしません。私は、何が「その人」にとって大事か、何が「その人達」に大事か、を語ります。私は命令しません。私は、私と学生さんの願いを一致させることに力を注ぎます。そうすれば、私の命令は必要ありません。ご当人が、ご当人に命令するだけです。そうなってしまえば、私のすべきことは、「期待しているよ」と、ご当人の心に語るだけです。

 命令するなんて、持続力もない、効果もない、愚かな「方法」です。

 教師の職能は、命令する権力ではありません。全ての子どもに無矛盾の願いを語れるか否かです。『学び合い』には、それが出来ます。

さとう@山形さとう@山形2007/07/28 22:10○○こと、さとうです。「同志」と呼んでいただき、光栄です。
「まず、願いを子どもに語ろうよ」と同僚に話すと、これについてはどなたも納得してくださいます。今、そこから始めています。

jun24kawajun24kawa2007/07/28 22:31上記のメモの通り語ります。
期待しています!

07/07/27(金)

[]専門性 10:15 専門性 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 専門性 - 西川純のメモ 専門性 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 専門性に関してまとめてみました。

 私が理学部(正確には第二学群生物学類)を卒業し、教育大学院に進学した当初は、教師の職能、専門性とは、科学に関する知識でした。しかし、大学院、そして現場で学ぶ中で教育に特有の科学の知識があることを学びました。例えば、化学の本には亜鉛塩酸を混ぜれば水素が発生すると書いてあります。しかし、そうしても水素が発生しないことがあります。理由は亜鉛酸化皮膜が形成されると、塩酸と反応しません。そのような場合は、イオン化傾向の強い金属イオン(具体的には硫酸銅)をほんの少し加えます。そうすると酸化皮膜がなくなり反応が進みます。こんなことは科学の本には書いてありません。しかし、現場実験する場合は大切な知識です。

 また、教材・教具の知識の豊富さも大事です。私の場合は過去の教材を調べまくりました。例えば、現場発表会で紹介される理科の新教材・教具は、失礼ながら私には陳腐です。1970年代欧米カリキュラム改革が行われ、素晴らしい教科書編纂がさまざまなされました。そこには現在知られている教材・教具の殆どは出尽くしています(今の教師でPSSCやCBAと書いて分かる人がどれくらいいるだろうか・・・・)。例外は太陽電池や薄層クロマトグラフィのような新素材を利用した教材ぐらいと言って過言ではないと思います。さらに言えば、江戸末期から明治初年の教科書は非常に参考になります(今の教師で舎密、窮理と書いて、何のことか分かるだろうか・・・・)。当時の血液実験などは素晴らしい。その当時の技術力で実現できたのですから、現在では本当に簡単に出来て、かつ、本質的な教材・教具の宝庫です。このような引き出しがいっぱいあると授業の展開に幅が出来ます。

 また、表現力も大事です。例えば、教室の後ろの子どもにもはっきり聞こえる声を出すためには、のどで声を出すのではなく、腹で声を出す必要があります。しかし、これが教育実習で出来る学生さんは、まあ、20%ぐらいです。また、「特定の子を見つめている、すなわち、多くの子を見ていない」と思われないようにするには、最後列の子どもの頭一つ上を見るということも大事な場合もあります。その他、話の間の取り方、表情の作り方など、教師は授業で演ずるために必要な能力は山ほどあります。これは尊敬する恩師からの薦めで落語勉強しました。その他、教師に反発する子どもはしかるにはカラカエバいい、その子を陥落させるためには学校の外で個人的に会うといい、など、子どもの「操り方」も必要です。

 おそらく、多くの教師が考える教師の専門性とは、上記のことではないでしょうか?私も、現場教師だったとき、そう思っていました。しかし、現場教師だったとき、それの限界も見えていました。結局、限りなく全員を「分かったつもり」にすることは可能であっても、限りなく全員を「分からせる」ことは不可能であることを分かっていました。また、「限りなく全員」を願っていても、どんなにやっても抜けが2割以上、生じてしまうことをわかっていました。そして、なによりも、私の前では「可愛い子ども」である子どもたちが、子どもたち同士の中では鬼にも羅刹にもなることを知っていました。そして、それは「どうしようもないことと」思うようにしていました。

 しかし、今では上記のことは、殆ど意味が無いと思っています。まあ、あったほうが良いとは思います。それに助けられることもありますし。なにより、それの限界が良く分かる。しかし、この私の主張は、そのことに力を尽くした方々を否定するようにとられ反発を招きます。しかし、私は「その方々」を否定するつもりは微塵もありません。その方々が良き教師を目指した志は尊いものです。私も上記を目指していた過去の自分自身を「頼もしい」と回顧できます。私は、その志を別な方向に向けてほしいと願っているだけです。

 私は『学び合い』は本当に簡単だ、と主張します。最近メモに書いたように、その主張は教師の専門性を否定するように誤解されるようです。そこで、改めて書きます。

 本当に『学び合い』は簡単です。でも、「いいな~」と思っているレベルと、「やってみよう」とうレベルには天と地ほどの違いがあります。バンジージャンプが安全だと知っているレベルと、バンジージャンプをするレベルには大きな違いがあるのと同じです。これを超えるには、自分自身のクラス子どもたちの「分かったつもり」と「分かった」の違いを見取る力が必要です。自分の前の子どもと、自分の見えないときの子どもの違いを知る能力が必要です。そのどうしようもない現状を理解しない限り、バンジージャンプは飛べません。

 もし、健全先生であれば、『学び合い』は成功します。最悪でも、私との5往復程度のやりとりで大丈夫です。健全といっても、ご当人の問題というより、おかれている環境のほうが決定的でしょう。ノウハウ本に頼る状態というのは不健全です。私も新採の連休前までなどは死ぬほど大変で余裕が無かった。とにかく明日の授業案作りでヒーヒーしていました。学校に13時間ぐらいいて、教材準備しても間に合わないほどです。その当時はノウハウ本に頼っていました。でも、先輩教師とのつながりを持てるようになると、状況が変わってきました。忙しいのは同じですが、愚痴を言える人が救われます。また、自身の悩みを相談すると、教科は違っても的確なアドバイスをいただけます。そうなるとノウハウ本を距離を持てるようになります。だって、生きたノウハウ本のほうが、絶対良いですから。つまり、周りに「いいな~」と思える同僚がいる先生ならば、まず、大丈夫です。

 が、それは「クラスの殆どが学び合い、成績もそこそこ向上し、人間関係もそこそこ良い」レベルならば。そのレベルは、本当に簡単です。邪魔をしなければ、大抵はほっておいてもそうなります。まあ、教師の性で、いらざるおせっかいをしますが、子どもの声に耳を傾ければ、彼らの有能さに気づき、おせっかいが馬鹿馬鹿しくなります。このレベルでも、現在多くの先生が悩んでいることの半分ぐらいは解決できます。

 しかし、「クラス全員、もれなく学び合い、成績・人間関係が驚異的に向上する」を実現するには、我々の考える本当の教師の職能が勝負になります。

 人間の知性のありようを理解する必要があるでしょう。それには認知心理学を学ぶと有効です。それらを一通り学び、領域固有性やエキスパート・ノービス研究を学ぶといいでしょう。しかし、忙しい教師がそれを学ぶ時間は無いと思います。そのため、「何故理科は難しいと言われるのか?」という本を書きました(さりげなく?宣伝)。それがあるから、私はいろいろな方から一斉学習の利点を主張されても、ことごとく論破できます。

 また、学校教育とは何かを学ぶ必要があるでしょう。私の場合は、欧米及び発展途上国教育史を勉強しました。その結果現在、議論されている教育問題は、何度も繰り替えさえている陳腐な議論と相対化することが出来ます。また、生物学の知見から学校教育をみると、シンプルに見ることが出来ます。これまた、「学びあう教室」以降の本に書いている通りです(またまた、宣伝、ごめんなさい)。そして、経営者としての能力です。これも「勉強しなさい!を言わない授業」に書いたとおりです。

 私の考える教師の職能とは、まさに経営者としての能力なのです。子どもたちに、めちゃめちゃに高度な目標を与え、そして「やるぞ!」と思わせる能力です。またまた、誤解を恐れずに表現するならば、中堅高校の教師が「クラス全員で東京大学に進学しよう」という目標子どもたちに与えたとき、「何バカなこと言っているだ」と言わせずに、「みんなで、やろうじゃないか!」と思わせる能力です。そのためには、その目標意味することをちゃんと語る必要があります。単に学歴社会で「いいお給料がいただける」レベルで語るならば、せせら笑われるでしょう。そのためには、広い学識が必要でしょう。哲学歴史も・・・、学ぶべき背景は膨大です。そして、現在我々が研究している『学び合い』がその指針を与えるものであると自負しております。

 専門職?それは何でしょう。「これが分かること」と示せるほうがわかり易いですね。例えば、お医者さんが「内科学」の本をぽんと出す、弁護士さんが六法全書をぽんと出す、実に分かりやすい。それとのアナロジーで言えば、ノウハウ本で著されるものが良いのかもしれません。しかし、そんなことなんて入門レベルにすぎないのは、お医者さんだって、弁護士さんだって、そして、教師だって同じです。

 その職業専門職か否かを判断する簡単な方法、それは出来る人と、出来ない人の差が大きいか否かではっきり分かります。出来る、出来ないとは何で評価されるでしょうか?お医者さんが「内科学」の本の穴埋め問題を解ければ「出来る」お医者さんですか?違います。医者の達成すべき目的は「病気を治す」ことです。六法全書の条文をそろんじている弁護士さんは「出来る」弁護士さんですか?違います。弁護士の達成すべき目的は、裁判において被告人の権利を保障する判決を得ることです。教師も同じです。ノウハウ本に書かれていることを多く知っていることが「出来る」教師なのでしょうか、そして専門職としての教師なのでしょうか?否です。学力を向上させ、人間関係を向上させ、そして大人に出来る教師が「出来る」教師です。現在の教師の職能と言われているもの、それは入門レベルに過ぎません。本当の教師の職能はそんなものではありません。それは先に述べたように、クラス経営力であり、学年経営力であり、学校経営力です。その能力は全ての職業の管理者に必要とされる究極の専門能力です。我々ホモサピエンスは集団で生きるために知性を高めました、その究極にあるのがそれです。

 ただし、それでは全ての教師に、私と同じように心理学教育史を学ぶ必要があるかといえば、そんなことはありません。人それぞれで結構だと思います。そして、万巻の書を読むべきとも思いません。そんなことが絶対に必要でもありません。さて、結局、最後の最後に残る教師の職業とは、私は以前からたった二つだと思っています(詳しくは本や過去メモを読んでください)。それは、子ども、親、社会のせいにせず、自分で何とかしようとする向上力だと思います。子どもが悪い」、「親が悪い」、「社会が悪い」は安直な合理化ですが、進歩が止まってしまいます。ただし、これだけでは駄目です。これだけだと自分を責め続け、解決は出来ず、最後につぶれます。一人の人の能力は限りがあります。それを乗り越える能力とは、人、特に異質な人と繋がれる能力です。これさえあれば、かなりのものを乗り越える、どんな学識であっても、本だけで学ぶより耳学問を併用するほうがはるかに効率がいい。そして、それは全ての職において専門能力なんです。

 ながなが書いてきましたが、まとめると、教師は専門職です。そして、その専門能力とは人間集団の管理能力です。そして、それを獲得出来るか否かは、向上力と関係力です。そして、それは人の本質的な能力で、学校教育で学ぶべき能力なんです。

 あ~しんどかった。

さとう@山形さとう@山形2007/07/28 09:35教師は専門職。まさに!と思います。

最近、ある新聞の投書欄に、「教師の専門性は低い。社会人教師でも務まるから」とありましたが、誤解にもとづいた偏見だと思います。民間から教員になって即戦力として通用した例が、どれだけあるというのでしょう。
自分は、教員の専門性を「具体的な目標を示し」「やる気にさせ」「きちんと評価してあげること」だと思っています。
…もっとも、全ての教員がこれらができるかどうかは、自分もふくめて、少々心もとない思いもします。

jun24kawajun24kawa2007/07/28 14:15「教師にむいている・むいていない 」という過去のメモに書いたように、教師という職業はもっともありふれた職業です。従って、そのすべてに専門職か?と問われれば、否です。が、その能力は天と地ほどの差があります。それは、どの職業でも同じです。フランス料理のシェフには、一般家庭の主婦である家内の料理に劣る人は少なくないと思います。そのような人が専門職とは思えません。また、専門職といわれる医者の中にも、二十ぐらいの病気の判別しか出来ない医者もいるはずです。
 職業によって専門職/非専門職が決まるのではなく、「その人」が一般人とかけ離れた能力を持っているか、否かで決まると思います。
 専門職人として誇りを持てるようになりましょうね。

07/07/26(木)

[]4年生 06:22 4年生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 4年生 - 西川純のメモ 4年生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日はY小学校研修会に参加しました。凄い学校です。でも、わがゼミメンバーも自慢したい!今回参加していただいた、現職院生さんと4年生に、本当に感謝します。

 皆さんがY小学校先生方々と議論している声を、じっと廊下で静かに聴いていました。現職院生の力量は折込済みです。ご苦労様です。会の趣旨をご理解した発言、見事です。一方、4年生は私の期待以上です。私はうれしい!さてさて、その「期待以上」の4年生の皆さんへ。Y小学校の皆様が与えていただいたことに対する誠意を表す、例の「物」の完成にむけたこと、そろそろ始めてね。

 楽しい夏休み、なにしてもいいんだよ~。結果を出せればね。(ニコニコ

[]凄い仕事 05:37 凄い仕事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 凄い仕事 - 西川純のメモ 凄い仕事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の「同志からのメール」で紹介した同志より、再度、メールをいただきました。

 『さっそくメモを拝見いたしました。いつもいつもメールを取り上げていただき、恐縮です。

 私なりに西川先生のお考えは分かっているつもりです。「より広い多くの人と折り合いをつけて社会生活・家庭生活を出来る」まさに、この通りです。だからこそ、『学び合い』に取り組んでいます。

 クラスの仲間と力をあわせること・信じあうことのすばらしさと、その力の大きさを何とかして感じ取らようと取り組んでいます。私のいる地区は田舎ですので、子どもたちが大人になっても、今の人間関係の延長線上で付き合いが展開するはずです。10年後・20年後も、多くの友だちといい付き合いができるなんて、なんてすばらしい人生でしょう。大人になって、きっと襲ってくるいろいろな問題や悩みを、解決はむずかしくても、一緒に悩んでくれる、考えてくれる友人がいるなんて、なんてステキ人生でしょう。

そんな道をぜひ子どもたちに歩いて欲しいと願っています。

 そのために、「クラス全員の成績を上げろ」といい続けています。学校で、より多くの人と折り合いをつけ力をあわせるための、一番やりやすい方法だからなのは言を待ちません。誰かの成績が上がるとか、いわゆるよい学校に進学したなんていうことは、私にとってはカスみたいなものです。みんなが、でないと。

 「カス」なんていう表現はふさわしくありませんね。メールということでご容赦ください。』

 これをよんで、なるほどと思いました。我々教師は、地域のコミュニティーを育てる存在にもなれるのだと。ますます、凄い仕事だと思いました。そして、うれしくなりました。

 そして、「この同志のような書き方をすれば、分かりやすいのに・・・」と反省しました。私の場合は、どうもだめだ。

[]昨日、これから 05:37 昨日、これから - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 昨日、これから - 西川純のメモ 昨日、これから - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、三沢につくと、宴席をご用意いただきました。部屋に入るとびっくりしました。複数の「教育長先生、多くの「指導主事」先生がいらっしゃる。私は恐縮して「へこへこ」してしまいました。しかし、みなさんが「のせ上手」なので、後半はべらべらしゃべっていました。また、うまくコントロールしていただけたので、飲みすぎず、朝はスッキリです。この面でも感謝です。さて、これから、いっぱい語ってきます。

F-KatagiriF-Katagiri2007/07/26 12:57学4の皆様はすごすぎる。「データを分析して、冬のセミナーで発表してくれるんですよね。」と言っておきました。期待しちゃいます。

jun24kawajun24kawa2007/07/26 16:28あははは
期待してね。

MizuochiMizuochi2007/07/26 22:43冬のセミナーまで待てません!!
フォーラムの公開ゼミでも、パワー全開で飛ばしていただきましょう!
私はプレッシャーの渦の中で、
一歩でも二歩でも前進させていただくのを楽しみにしています!

jun24kawajun24kawa2007/07/27 09:10ラジャー

07/07/25(水)

[]今 16:34 今 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 今 - 西川純のメモ 今 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 現在高崎での講演が終わり、明日の講演先である三沢新幹線で移動している最中です。ということで、インターネット環境は最悪です。また、三沢講演会をお世話していただく先生方と到着後懇談となります。そのため、ブログメールが錯綜するかもしれませんが、ご容赦ください。

 という言い訳を書いて、二つのメモをアップします。

[]失敗分析 16:34 失敗分析 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 失敗分析 - 西川純のメモ 失敗分析 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の先日のメモ反響がありました。そこで、補足したいと存じます。

 まず、学び合い、ということばは我々の専売特許ではありません。実にさまざまです。その全てに失敗がないと申している分けではありません。私が書いたのは『学び合い』の考えを理解した人に失敗はないと申しました。学び合いの定義に関しては、本メモに公開している通りです。そして、私自身も『学び合い』の考え方から外れると、見事に失敗することは何度もメモにて白状している通りです。

 『学び合い』が失敗している例を分析しましたが、いずれも『学び合い』の型をなぞっているだけで考え方を理解していない場合に生じます。そのため、数年前に出版した『「静かに!」を言わない授業』という本に以下を書いています。

 『本書をお読みになっている方の多くは、「面白いけど、本当かな~」と思われていると予想される。しかし、その中には「試しにやってみよう!」とお考えの方もいらっしゃると思う(本書は、まさに、そのような人のために書いた)。でも、ちょっとお待ちください。我々が知っている、我々の考え方の誤用(失敗例)を紹介して、注意を喚起したい。』

 そして、「諦めてしまう失敗」、「目標が不明確な失敗」、「手段を与えない失敗」、「強いる失敗」、「最悪の失敗」をあげました。詳細は本をご参照ください。昨日のコメントは学級経営に関して書かれていましたが、これは「最悪の失敗」の典型的な現象です。それに関して以下のように書いています。

 『以上のように様々の事例がある。しかし、最も悪質な失敗は第5のタイプである。このタイプの場合は、全く何もしない。たいていの場合は、第2、第3の失敗のように、目標が不明確であり、かつ、手段も与えていない。しかし、第2、第3のタイプ先生は、子どもたちが活動している時、教師は机間巡視をしながらニコニコ微笑んだり声がけしたりする。しかし、このタイプ先生の授業の様子を見ると、本当に何もしない。我々は教師が出過ぎるな、と主張する。しかし、何もするなとは言っていない。確かに、我々の授業では、教師はあれこれと教えようとはしない。しかし、動かないわけではない。前章までの事例で紹介しているように、授業中、教師は子どもを見ている。それによって評価し続けている。

 ニコニコしながら机間巡視をすることによって、「いいぞ~」、「見ているよ~」というメッセージ子どもたちに与えている。それによって、子どもたちは「見守られている」ことを実感し、自分たちが承認されていることを知る。さらに、「いいね~」、「すごいね~」という声をかけることによって、力づけられる。さらに、そのことによって、他の子どもたちに、どの子が良い情報を持っているかを分かりやすくする(可視化する)。また、クラス全体の目標が不明確であるなと感じた場合(第二の失敗)、クラス全体が手段を見つけられない(第3の失敗)が起こる場合、クラス全体につぶやいたり、さりげなく特定の子どもに示唆したりする。全体的に見れば、ニコニコしていて、ときどき声をかける程度である。机に座っている場合でも、そのニコニコした視線はちらちらと子どもたちに向けられ、つぶやき、ほめる声が出る。その声が多いか少ないかが重要ではない。子どもを信頼し、見守る姿勢、そのメッセージ子どもに伝わることが重要である。繰り返すが、我々はゴチャゴチャ教えることはするべきではないと主張しているが、何もするなとは主張してはいない。前著(「学び合い不思議と仕組み」)で述べたように、もともと信頼と放任を取り違えている先生が、誤って我々の主張、というより方法を形式的になぞる場合に起こる失敗である。この場合は、確実に学級が崩壊する。

 しかし、そのような極端な放任ではなくとも、それに近い放任はあり得る。これに関しては、見分け方は簡単である。どんな先生にも分かりやすい違いとしては、「成績」が下がるか、否かに着目すればよい。ちょっと目には放任クラスと見間違う姿であっても、学び合いが成立しているとき、学習は完全に成立しているので成績は上る。十歩さがっても、成績が下がることはない。

 しかし、我々の考えを誤解し、放任状態になってしまうという失敗になることは希であろう。何故なら、健全先生日本の圧倒的大多数の常識を持った先生方)ならば、放任状態になる以前に、誤った方法をやり続けることを止めるからである。

 このような失敗を避けるには、どうしたらいいかといえば、「子どもが有能だ」と信じることである。どれぐらい有能だと考えるかと言えば、自分(即ち教師)と同じぐらい有能だと信じる。それが出来れば、自分が教師としてやりやすい環境とは何か、また、そのために管理職校長)が何をすべきか、と自分自身に置き換えて考えれば答えが出る(後略)』

 しかし、これすらも誤解する場合もある。というのは、上記のように書くと、いつまでたっても可視化し続けるという誤りを起こす。そうすると、教師の発言が邪魔になってしまう。教師の可視化は「きっかけ」に過ぎない。それの注意を書き始めたなら・・・、結局、きりがない。結局、可視化は何のためにやっているかとい「考え方」を理解せず、ノウハウとして理解しているために生じる失敗である。

 なぜ、こんなことが起こるのか。それは世にある教育書の殆どがノウハウ本だからしょうがない。ノウハウ本の場合は、それが何故有効なのかという「考え方」を理解する必要はない。そこに書かれたとおりのことをすればいい。私は本や講演では「考え方」が大事だと強調していますが、なかなか伝わらない。本で何度も書いているが、教師は「考える」ことを放棄してほしくない。教育は生き物である。その場、その場において「考え方」に基づいて判断しなければならない。その場、その場を知っているのは、私ではなく「当人」である。だから、ノウハウ本を長らく、書くことを避けていた。なぜなら誤解を生じるからである。しかし、そう言っていられない状況であるため、「学び合いの奥義書」をHP上に公開しました、その次第は、その序文に書いている通りです。

 我々の『学び合い』と、世の多くの学び合い根本的に考え方が違います。同志Mのコメントの通りに、それをいっしょくたにされることは、非常に残念です。しかし、ほかに良いネーミングがないので、『学び合い』と表記しています。学び合いに関する失敗に関しては、私は何も言えません。それを主張されている方に、お問い合わせください。しかし、もし、『学び合い』に関する書籍を読み、HPを読んで試みられた方で失敗したと思われた方は、是非、私にメールしてください。出来る限り対応します。そして、「考え方」を伝えましょう。

[]同志からのメール 16:34 同志からのメール - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 同志からのメール - 西川純のメモ 同志からのメール - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志から以下のメールをいただきました。

 『僭越ながら西川先生にお話があります。7月19日の「西川純のメモ」の内容についてです。

 素直な感想を言わせていただくならば、あまりにとんがっているなぁというところです。また、人格の形成という教育基本法にある教育目的を「ホモサピエンスの本能レベル次元で考えている」のであるならば、その教育基本法目的を達するためにあるはずの学習指導要領は必要ない(=本能レベルで達成されるから)、という論理的な矛盾も感じられます。(「本能レベル次元で考えている」の受け取り方が間違っていれば、ご指摘ください。)

 あと、あまりにテスト・進学実績・・と主張することは、「学び合い」の定着を目指す方法として、決して得策ではないと思います。西川先生もお気づきのように「学校とは人格の形成を目的としている」というお考えの方もたくさんいらっしゃいます。西川先生は「分かる人にわかってもらって、そこから広げる」という方策を採られていると存じておりますが、それにしても(西川先生のお考えをご存知でない先生方に)あまりに刺激的な内容を伝えようとすることで感情的な反発を受けては、元も子もありませんもの。

 じゃあ、もし私、○○が学び合いについて布教するとしたら、そのときの口上はこんな感じだろうと思うことを書き出してみます。

 まずは、人格というものが何なのかをはっきりさせないといけませんが、「人の格」、人柄と言ってもよいかもしれません。だとすれば、教育目標である人格の完成とは、人との好ましい関係の中で、多くの人と、ともによりよく生きていくことができる人を目指すということになるでしょうか。

 そのためには、どうしたって、人とかかわる場面を増やすことが必要になります。学校だと友だちとかかわる場面が増えることで、いろんな人との付き合い方を学ぶことでしょう。その中で仲間とともに、よりよい方向へ生きていくための力を身につけることになると考えられます。

 しかし、学校では人との付き合い方を学ぶ時間なんてありません。しかも、指導要領で身に着けるべきとされている教科学習の内容もこなさなければなりません。じゃあ、どうするか。ここで、学び合いが有効な方法だと考えます。教科学習を媒体として学び合うなかで、人との結びつきを作ることができます。もちろん、お互いのことがわかっている友だち同士であれば、結びつきの力を生かして、学習内容もより身につくこと受けあいです。

と、こんな感じです。

 いや、どう贔屓目に見ても、西川先生の受け売りでしかないのですが・・。失礼を承知でメールさせていただきました。では、失礼いたします。』

 同志の暖かさを感じます。同志のメールを読んで、昨日のコメント意味がようやく分かりました。我ながら表現力のなさと、けんか腰な姿勢に反省します。とほほ

 どうも、私の「業者テスト、進学でいいじゃないか」という表現が刺激的過ぎて、「ホモサピエンスの本能レベル次元で考えている」という真意が伝わらなかったようです。そりゃそうです。その部分の説明をしていないのですから。

 本で書いているように、人格の完成を私は「他人と折り合いをつけて社会生活・家庭生活出来る」と捉えています。そして、これは群れを形成し、言語というコミュニケーション手段を発達させている人間の本能に由来するものと考えています。ただし、人間の本能に由来する群れとは、血縁者を中心とした狭い範囲に限定されています。それを超えて、クラスメートを自分と同じ群れと認識するには教育が必要です。さらに、日本人人類という抽象的な対象を自分と同じ群れと認識するには教育が必要です。以上が私の考える人格の完成です。

 さて、理論的には、指導要領は教育基本法で示される目的を達成するために規定されたものです。振り返って指導要領を読んでください。その細々したことが上記に直結すると思われるでしょうか?明らかに、否です。だって、それだったら、どの国のどんな教科書も同じになるはずです。ちなみにオームの法則は理科の定番ですが、オームの法則をまったく学ばない国もあります。だって、オームの法則というのは固体の抵抗の特殊な法則に過ぎないのですから。

 私はもともと理科教育学出身です。そこでは、「科学概念の形成」が目的にあげられます。少なくとも理科人の中では、当たり前すぎるほど当たり前です。それを疑う発言をすると、感情的に反発される方は少なくありません。しかし、このメモをお読みになっている方の過半数は非理科人だと思います。その方に問いたい。高校で学ぶ科学概念人格の形成に関わると思われますか?もっと直裁に言えば、高校で学ぶ科学概念が形成されない場合、人格の完成に支障が生じると思われますか?明らかに否と答えるでしょう(なお、これに関しての実証的データもあります)。しかし、これは理科のみの問題ではないのです。国語、算数・数学社会英語音楽美術、体育、家庭科技術科・・・の全てにおいて、その教科の先生方が集まって語られる教科の目標も、その他の教科の先生から見れば「???」な内容なんです。ましてや親や子どもにとっては・・・

 私は「苛立って」います。それは、何故、「より広い多くの人と折り合いをつけて社会生活・家庭生活を出来る」という目的に本当に目覚めてもらえないのか!と。それに目覚めていただければ、指導要領で規定されてものも、業者テストも、進学率も、その他の高邁な教育理念も、全て相対化出来ます。それらの優劣に目くじらを立てることも無いように思います。

 多くの教師にとっては、まったく無意味とも思える業者テスト「ですら」子どもたちは豊かな学びに変えることが『学び合い』には出来ます。ましてや、指導要領の規定も、高邁な教育理念も無矛盾で実現できます。

 現在、教師に対する風当たりは厳しい。それに対して、多くの教師は首をすくめ、嵐の過ぎるのを待っている状態ではないでしょうか?しょうがありません、宮仕えの身は私も、その小心者の一人です。しかし、それにもかかわらず、私は、「より広い多くの人と折り合いをつけて社会生活・家庭生活を出来る」ことの重要性を強く主張したい。我々教師は、国語の教師や小学校の教師である以前に、自分と一緒に働いてほしいと願える次世代の大人を育てる、究極の責務を社会から付託されていることに誇りを持ってほしい。その次元で、親や社会と向き合いたい。そのためには、親や社会が求めていることを十全満たすことが大事です。業者テストに目くじら立てずに、とりあえずやりましょう、と提案しています。先に言いました通り、多くの教師にとっては、まったく無意味とも思える業者テスト「ですら」子どもたちは豊かな学びに変えることが『学び合い』には出来ます。ご安心ください。それを満たした後に、その先があると思います。

 教科の目標や、高邁な教育理念に取り込まれてしまうと、結局、実践に繋がらない抽象論や、教材・教具や指導法の泥沼に絡めとられていしまう。一度、シンプルに考えてください。そして、子どもの姿をとして、肉付けしてください。そうでなければ、一歩も進めなくなってしまう。

 ということを言いたかったですが、あ~あ、また、攻撃的な表現になってしまう。私は決して出世しないと自覚します。

 不快に思われた方、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。でも信じてください。私は子どもが大好きだし、まじめな先生も大好きなんです。全ては、不徳のためです。すみません。

OB1989OB19892007/07/26 02:47「なぜ,理科は難しいと言われるのか」,「学びあう教室」,「学び合いの仕組みと不思議」,「「静かに!」を言わない授業」,「「座りなさい!」を言わない授業 」,「「忙しい!」を誰も言わない学校」,「「勉強しなさい!」を言わない授業」(いずれも,東洋館出版)によれば,『学び合い』は,させてできるものではなく,自立的に自然発生するものです。子どもが学び合う必然性を感じているのであれば,授業者がそれを阻害さえしなければ,自ずから学び合う現象は現れます。基本的には学び合うか否かは子ども自身が選択するものと考えますから,授業者に言われたから学び合うものではないと考えます。私たちの『学び合い』は,授業者が「させる」ものではなく,子どもたちが必要感から自分で「する」ものなのです。そのような『学び合い』が生じるのは,授業者が子どもたちは有能であると最後まで信じることによります。つまり,授業者が「させよう」とする方法論(テクニック)ではなく,子どもの有能性を信じる考え方がその特徴なのです。ただ,一般的に使用されている学び合いという語が用いられるときは,授業方法論の用語の一つとして使用される場合が多く,誤解が生じるように思われます。誤解されることはとても残念ですし,悲しいことです。その効果は,学力向上だけでなく,コミュニケーションの活性化にとどまらず,人間関係の改善にも至っていることが,冒頭に示した書籍中で実証されています。特別支援教育や学級経営にも及んでいます。「ちょっとしたコメント」としては十分にお伝えできないものとは思いますが,より多くの皆様方にご理解いただけることを願っています。

jun24kawajun24kawa2007/07/26 05:10ありがとう、同志!

07/07/24(火)

[]なるほど 17:00 なるほど - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - なるほど - 西川純のメモ なるほど - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日テストをしました。その中に、どうやったら『学び合い』が広がるかという自由記述があります。私自身が自覚していることも含まれていました、もっと情報発信をしなければならないと思いました。その中で「美味しすぎる話は腰が引けるので、失敗例を公開してください」とのご指摘がありました。う~ん、これは難しい。だって本当に簡単だから。でも、考え方を理解してもらえないと、失敗します。私が把握している範囲では、ちゃんと考え方を伝えているので失敗例が手に入らないのです。でも、西川ゼミの学部卒業生はだいぶ苦労しているみたいだから、今度、情報収集せねばと思いました。(でも、彼らの苦労は『学び合い』の苦労というより、若手教員の苦労と思えますが・・・)

 また、校長洗脳し、その校長責任の下にやればいいというご意見もありました。それが良い方法であることは分かっているんですが、なかなか校長先生の耳にはいるだけの段階に至っていない。でも、最近は志の高い校長先生の耳にはいるだけのレベルには達したようです。迂遠ですが、今の中堅に分かって頂き、その方が指導的な立場になるのを末という方法もあります。私にはあと18年の在職年数があるので、これも一つの方法です。でも、せっかちの私には辛い。

 さて、新鮮なご指摘を3種類いただきました。各々一つを自戒のために書きます。

1.コミュニケーション

学び合いを理解し伝えようとする人が、一人で頑張らないこと。普段からコミュニケーションが取れる人たちと一緒にやろうという姿勢が大切だと思います。一人の人に「これがいいんだ!!」と言われて、いきなり始めるのは難しいと思います。』

2.特別

『あまり『学び合い』は特別であると強く主張しすぎると敷居が高くなるような気がします。「普通であること」、「特に目立たないこと」、でも「効果があること」である授業を私は求めます。』

3.専門職

『『学び合い』は確かに魅力的であるが、教師には自分が「専門職である」「専門職でありたい」(=誰にでも出来る仕事と思われたくない)という意識(プライド?)が少なからずある。それは、教職年数を重ねるほど強くなっていくように感じる。そのため、一見「誰にでも出来る」(本当はそうでもないが)と思わせる『学び合い』の手法は、「簡単だ」と言われるほど、反発したくなってしまう教師も少なくないと思われる。従って、経験のある教師でなければ(又は、努力した教師でなければ)出来ないという、『学び合い』の専門性を伝えることが必要だと考える。』

 いずれの指摘も、とても大事な指摘です。勉強になりました。

 その中で、学び合い』の専門性という言葉は、何故か、私の心に引っかかる。大抵、こういう直感は当たっています。しかし、慎重に言葉を吟味しないと、直ぐに「教材」「指導法」の泥沼に入ってしまいます。それでは元の木阿弥です。じっくり考えたいと思いました。

 でも、いずれのご指摘も、私のコミュニケション能力の無さと、表現力の無さと、けんかっ早いという特徴に由来するものです。反省です・・・

はじめましてはじめまして2007/07/24 23:14失敗例ならありますよ。うちの学校の学び合いをしているクラスは学級経営がさんざんです。規律なし、発表力なし、はっきり言って学び合いという言葉を使って欲しくないです。

また、学校で学ぶべきことって、勉強だけでしょうか?
きちんと、失敗例を調べて公開して下さい。お願いします。

MizuochiMizuochi2007/07/24 23:31「はっきり言って学び合いという言葉を使って欲しくないです。」
という言葉に同感です。
こういう現実に目を背けずに取り組みたいですね。

inoueinoue2007/07/25 00:06なるほどー。私も「学び合い」を始めて、1学期前半に教頭から「ちゃんと学級経営してるのか!」と言われた経験を持っています。「失敗例」というより「奮闘記」というスタイルでお話させていただきますね。

jun24kawajun24kawa2007/07/25 13:56こんにちは「はじめまして」さんへ
是非、どういう状況かお教えください。メールのやり取りをしましょう。
それと「学校で学ぶべきことって、勉強だけでしょうか?」との意味が分からないので、補足いただければと存じます。我々の場合は、それとはまったく違ったことを主張しておりますので。
Mさん、Iさん、一緒に対応してくださいね。

OB1989OB19892007/07/26 02:23N研の凄さは,教育現場の現実を直視して,その改善にむけて実証してきたところです。

07/07/23(月)

[]夏休みの予定 22:26 夏休みの予定 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 夏休みの予定 - 西川純のメモ 夏休みの予定 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子が夏休みの予定表を書きました。それを家内から見せてもらいました。以下の通りです。

7~8時 おきる

~9時 あさごはん

~11時 しゅくだい

~12時 ちょっとゲーム

~1時 おひるごはん

~3時 おさんぽ

~4時 クッキング

~5時 おやつ

~6時 テレビ

~7時 とうさんをおむかえ

~8時 よるごはん

~9時 おやすみ

 ということで「とうさんをおむかえ」が堂々の毎日のイベントに挙げられています。ということで、何が何でも7時には家に帰らねば。

[]電子メール 21:48 電子メール - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 電子メール - 西川純のメモ 電子メール - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は真面目な先生からのメールが大好きです。読んでいるうちに、自分が元気になれる。その人達に『学び合い』を説明する過程で、自分自身の考え方が定まってくる。人に語りかけながら、自分に語りかけています。

 昨日も、本日も新しい方からメールをいただきました。昨日の夜10時に「学びあいについて相談なのですが、夏休みに入りさっそく明日から授業ではなくクラブでまず実行していきたいと思っています。部員は○○名で部員の先輩後輩の仲があまり良くありません。3日には発表する場がありあと二週間で曲を仕上げたいのですが、部員の気持ちがバラバラで、学びあいができるか非常に心配なのですが、具体的にどのように進めていったらよいのでしょうか?」というメールをいただきました。殆どチャット状態でメールやりとりをし、最低限のポイントを書きました。そうしたら、本日、「昨日はメール有り難うございました。昨日はドキドキで眠れませんでした、今日クラブで下手な説明ながら、教えあって今日この時間までに課題をやっていこうと話したら、そのとおりにできていて、驚きました!とても頼もしく感じました!」と返信をいただきました。こんなメールをいただけると、その余韻だけで幸せに安眠できる。

 本日も先ほど、力ある先生からメールをいただきました。クラス全体の話し合いに関する本質的な質問です。その方の場合は、我々の本を読破されている方なので、該当する部分を指摘するだけでOKです。次のメール楽しみです。その方のメールの最後に「結局メールを書くのに3日かかってしまいました。なかなか勇気がでず… やはり小心者です。でも勇気出して送ります。なかなか気楽には書けず(^^)」とあります。その先生のお年は存じ上げませんが、「可愛いな~」と思い、ナデナデしたくなります。尊敬する私のボスのT先生もそうですが、私が好きになる人は、少年少女の部分を残している「大人」です。

 私は真面目な先生からのメールが大好きです。だから、今まで一度たりとも返信しなかったことはありません。それも、誠意を込めて書いています。だって、その方からの次のメール楽しみですから。

 ということで、分からないことがあれば、お気軽にメールしてくださいね。

07/07/22(日)

[]子ども教師 18:11 子ども教師 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子ども教師 - 西川純のメモ 子ども教師 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日のことです。佐渡からの帰りの船中で、同行の女の子(息子の同級生)が船内の柱で木登りをし始めました。盛んに息子を誘います。息子は木登りが出来ません。しかし、いつの間にか木登りが出来るようになりました。それを見ていて気づきました。1年生が1年生に教えるとき、分析的に教えません。「こうやればいいの」といってとにかく身振り手振りです。いや、昔の職人じゃないですが、見て盗め、というようなものです。でも、言語知識のない小学生1年生には、その方が良いのかもしれません。なによりも、息子の集中力が切れずに続きました。

 やはり、大人の教え方と、子どもの教え方にはづれがある、と思いました。そして、私が教えたら、イライラして怒り出し木登りは教えられません。一方、小学生女の子は教えられました。彼女の方が優れています。

さとう@山形さとう@山形2007/07/22 21:11今日は学級懇談会でした。
今日は「子供の方が、大人の教え方より優れていることがありますよね」とお話するにとどめました。

学級懇談会では、プロジェクタで写真を映しながら、学び合いの具体的な事実をたくさんお話ししました。
「32+25の暗算ができない子がいました。
 みなさんだったら、どう教えますか?」
「ある子が、こう言いました。
 『まず、20をたせ!次に5をたせ!』と。
 実にシンプルでしょ。そしてわかるんです。」
水泳のことも、国語のことも、今日の参観授業の例も引いて、お話(報告)しました。

授業でも、子供たちの姿で、関わり合う楽しさ、子供たちが(DNAの中に)持っている学び合いの力を生かすねらいをお伝えできたように思います。

少しずつ、戦略的に、理解を広めていきます。
職員にも、保護者の皆さんにも。
(保護者の皆さんの方が、すんなり受け入れてくださるような…。)

jun24kawajun24kawa2007/07/22 21:29あははあは
そりゃ、さとうさんが結果を出しているからですよ。
すんごく、期待しています。

07/07/21(土)

[]見えた!の補足 22:05 見えた!の補足 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 見えた!の補足 - 西川純のメモ 見えた!の補足 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日は一日、家族旅行佐渡に行ってきました。

 さて、昨日のメモを補足します。おそらく、全国で自校を洗脳しようとする同志に関係あることなので、早急にメモることにしました。Sさんの研究は非常にシンプルで、ある意味、既に我々が知っていることなのです。

 「忙しい!を誰も言わない学校」で紹介している山田さんの研究にあるとおり、1学年で集団を形成すると無関心ケースが起こりやすく、2学年だと強制ケースが起こりやすい。3学年以上で集団を構成すると、経験交換ケースが生じやすい。3学年以上で集団を構成すると、大抵、最上級生は「ご隠居さん」的になります。そして中学年が低学年を指導します。お隠居さんが後ろに控えているので、中学年もご隠居さんに遠慮して高圧的にならない。また、ご隠居さんが後ろに控えているので、責任が少ないので高圧的になる必要性がない。低学年もご隠居さんが後ろで控えているので、圧倒的な絶対者と中学年を捉えない。だからなんです。

 Sさんの研究で、Sさんがある先生に『学び合い』を伝えている会話を分析しました。その結果、強制ケースなんです。もちろん、当たりは柔らかいですが、内容は強制ケースなんです。この場合は2学年と言えますので、山田さんのセオリー通りです。ところが、Sさんと、Sさんが『学び合い』を伝えた先生(Aさんとしましょう)と、『学び合い』を知らない先生(Bさんとしましょう)の会話を分析しました。その結果セオリー通りにSさんは発言をしません。主にAさんとBさんの会話です。そして、その会話は経験交換ケースなんです。

 そして、強制ケースで説得した人は、『学び合い』が定着しない。ところが経験交換ケースで説得した人は、『学び合い』が定着することを明らかにしています。つまり、『学び合い』を伝えるとしたら、色々な人と一緒にやるべきであることを示しています。

 上記は既に知っていることです。ところが、それを教師同士の『学び合い』の説得(洗脳)に生かし切れていなかった。まさに目から鱗です。考えてみれば、何故、新院生洗脳されるかが分かりました。それは私の力ではない。私との個人ゼミでは論破は出来ても説得は出来ない。重要なのは、修士2年の存在です。私、修士2年、修士1年(形を変えれば、私、学部4年、学部3年)が3学年を構成してるからです。逆に言えば、我がゼミOBが自校の説得に手間取る理由も分かります。おそらく、私と同じに説得しようとしているのだと思います。しかし、それは駄目です。重要なのは中学年に対応するメンバーを育てることです。ただし、中学年を育てる方法を1対1でやっては駄目です。だって、そうすれば強制ケースになってしまいます。どうするか、多くのメンバーに同時に伝えればいい。そうすれば、自ずと『学び合い』に親和性の高い人、低い人が生まれます。あとは、自分がいつの間にかご隠居さんになればいい。

 分かってしまえば、本当に簡単なことだ。なんで、こんな事が分からなかったんだろう。私は本当に愚かです。あはははは

07/07/20(金)

[]見えた! 22:12 見えた! - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 見えた! - 西川純のメモ 見えた! - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日院生さん達の学会前の発表会。皆さん素晴らしかった。この数年における最大の謎である、「どうやったら『学び合い』を伝えることが出来るか」と言うことに対して明確な方向性を示していた。

 最近、Sさんが私との接触を断っている意図が分かった。だって、Sさんの発表は自分に託しながら、私がいかに愚かであるかを明確に示したものだから。だから、途中過程でゴチャゴチャいじくられたくなかったのだろう。実に嬉しい。だって、自分の愚かさを指摘されることによって、私はもっと賢くなれる!

 あえて難をいうならば、教師同士の会話に着目して分析している点は凄く良い。でも、そこで交わされている会話は、実践を通しての会話であるという要因を除外している。単に、経験交換ケースの会話だったら伝わるとは思えない。互いに、実践を共有しているからこそ伝わるものがある。そこのところが、まだだ。そこさえ出せれば、凄い!

 Oさんが『学び合い』の形成過程における各子ども達の役割を明らかにして、Fさんが子どもの「普通」の凄さを明らかにするだろう。そうなれば、凄い、凄い!チョモランマのごときに思えた謎が、妙高レベルになりそうだ。本当に、毎年、毎年、凄いことを教えていただける。

 な~んて、私は幸せモンなんだろう。日本中の教育研究研究室の中で、私ほど実践に役立ち、役立ち続ける、最先端を味あわせていただき、自分の愚かさを笑える研究者がいるだろうか!

 日本征服も夢ではない。あはははははははははは

さとう@山形さとう@山形2007/07/21 07:39日本征服の夢、ぜひ実現してください。
日本中に、学び合う学級、学校を!

jun24kawajun24kawa2007/07/21 21:41その節は、ぜひ、宜しくお願いいたします。

07/07/19(木)

[]難しい/簡単 21:35 難しい/簡単 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 難しい/簡単 - 西川純のメモ 難しい/簡単 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日修士1年の現職院生さんと研究計画を議論しました。私にとっては、しごく簡単な達成目標が、現職院生さんにとっては、とてつなく子どもにとって困難な達成目標のように思えるようです。例によって徹底的に議論しました。私と現職院生さんとの隔たりを生じさせる原因は二つあると思います。

 第一に、本当の目標とどうでもいい方法とをチャンポンにしている点です。教師が達成すべきことというのは至極単純なことです。改めて指導要領を読んでください。そこには、ごくごく簡単な内容が書かれています。大人の表現を子どもの表現に置き換えれば、小学生でも分かるようなことです。ところが、長年の指導経験から、それに付随する方法がアカのように付いてきます。あたかも、その方法が目標のように思ってしまいます。しかし、指導要領を改めて読んでください。とてつもなくシンプルです。

 また、学力向上という事だって、煎じ詰めれば業者テストの点数、そして、それの延長にある進学成績にすぎません。だって、美辞麗句を並べ立てて、「我々の考える学力はこれだ!」とのたまっても、結局、業者テストの点数、進学成績に相関関係がなけれは無意味です。また、体育だったら全員25mを泳げる、全員逆上がりが出来る、音楽だったら全員がリコーダーで曲を演奏できるというのがそれにあたります。だって、美辞麗句を並べ立てている人が、どれだけ説得力のある学力の定義を述べることが出来るでしょう。私は断言します。教育学歴史の中で、万人の納得する学力の定義なんて今まで存在したことは、ただの一度もありません。現在、もっとも親や子どもが納得する学力の定義とは業者テストであり、進学成績です。

 つまり、指導要領の示すシンプル目標、そして、業者テスト、進学成績を達成することが目標なんです。実に、シンプルです。ところが、このようなシンプル目標では「人格の完成」を実現できないという負い目があるため、業者テストや進学成績、または、指導要領を問題にします。でも、我々は「人格の完成」と業者テストや進学成績、または、指導要領は無矛盾だと考えています。だって、我々の「人格の完成」はホモサピエンスの本能レベル次元で考えているから。だから、時の社会が定めるものなんて、「その程度」にすぎないと見切っています。だから、そんなものに目くじらたてる必要はありません。子ども、親、そして社会(その中にはもちろん「お上」も含まれます)がそれを求めるなら、それを実現するだけです。なんの負い目はありません。

 このような立場で見てしまうと、現職院生さんのおっしゃる目標無駄が多い。

 次に、以前にもメモったように、6、7割以上の子どもが教師の援助を受けなくても達成できるレベルを、暗黙に適正な達成目標だと思っています。しかし、我々の場合は、教室に4、5人の子ども目標を理解できるレベル(出来るレベルではありません)が、適正なレベルだと思います。そして、その目標とは、先に述べたように、ゴチャゴチャしたものをはぎ取ったシンプル目標なんです。

 ちなみに西川研究室目標は「「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育改善しよう」」というシンプル目標です。しかし、実に深い目標だと思っています(http://www004.upp.so-net.ne.jp/iamjun/contract/target.htm)。

 ということで、私にとっては、多くの教師が夢物語と思えるバラ色の世界が、いともたやすく実現できると確信しています。だって私がその証拠です。私は多くの学生さんや同志に囲まれています。その方々のおかげで、平均的な教育学者の数倍の学術論文生産量・教師用雑誌論文生産量・著書生産量・講演会数を維持し続けています。ところが私が学生さん相手にやっていることはごく短時間で、その多くはからかったり、じゃれ合っている時間が殆どです。同志の方々の場合、それすらもなくメールやりとり程度です。人並み以上の給料をいただき、毎日毎日、家族と朝食と夕食を食べられます(ただし、出張は多いですが)。それも、これも『学び合い』のおかげです。

 修士1年の現職院生さんも、今年の後半ぐらいになり、自身で『学び合い』を経験すれば、私の夢物語を、私ほど脳天気に信じられなくとも、可能性は低くないと思えるようになります。洗脳が、あと、もう少々必要です。あはははは

07/07/18(水)

[]うどん 22:26 うどん - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - うどん - 西川純のメモ うどん - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は「うどん」が大好きですが、世の中には「うどん」が大嫌いな人がいます。もし、その人が香川県に本社がある「うどん会社に勤めたとします。おそらく、「うどん」を色々な機会で食べなければならないでしょう。それはきついです。嫌いと言うほどではなくとも、毎回毎回となれば、嫌いになってしまいます。そこでです、長野支社に2年間出張になったとします。長野はそばどころです。美味しいそばが一杯です。うどんを食べなくてもいいと思います。でも、2年後には香川県に戻ります。さて、どうしたらいいでしょうか?5年に一回、長野県支社への2年間の派遣があれば、それはそれで骨休めでしょう。でも、生涯に1度しか長野支社への出張が出来ないとしたら、どうしたらいいでしょうか?私だったら、「うどん」と「そば」を食べ比べながら、「うどん」の美味しさを探りたい。決して「うどん」断ちをしないでしょうね。そんなに、つらいんだったら、その会社を辞めればいい。

 大学で先輩大学人から諭されたことがあります。「西川さん、本学に派遣される先生には、せめて2年間、子どもから解放されたいと思っている人がいるんですよ。だから、文献や教科内容をやりたい人がいるんですよ。」と諭されました。でも、私はニコニコ承っていましたが、心の中で、そんなに嫌ならやめればいいのに、と思っていました。だって、自分の仕事から逃げても、その後の長い教師人生があるんですから。

 今日の「学卒院生」のメモを書きながら、上記を思い出しました。

[]尻に火がついてきた 16:23 尻に火がついてきた - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 尻に火がついてきた - 西川純のメモ 尻に火がついてきた - 西川純のメモ のブックマークコメント

 来週から、怒濤の出張が始まります。一応、電車切符は買い求めました。が、講演や集中講義の最終チェックはまだです。まあ、口先三寸でなんとでも出来ますが、最終チェクをしないと不安で不安で・・・。が、明日は大事な会議がある。ふ~

[]学卒院生 16:26 学卒院生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学卒院生 - 西川純のメモ 学卒院生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日修士1年の学卒院生ゼミをしました。おそらく他の研究室の学卒院生だったら、目の玉が飛び出るようなノルマと思えることを自分に課していきます。私としては当然だという顔で話しますが、心の中では「なかなかやるな」と思っています。彼らは週何回も「呪文シリーズ」の学校に入っています。その学校で観察していることを議論すると、さすが我がゼミと思います。子どもの見取りが確かです。と、全国的に自慢します。

追申 要は、子どもたちを徹底的に観察し、分析することを「特権」と思えるか、「義務、ノルマ」と捉えるかの違いだと思います。当然、我がゼミは特権と考える人が所属します。ただし、子どもを見ることを、義務、ノルマと思うような人が、何故、教師をやっていたり、教師になりたいと思うのだろうか、私には謎です。

07/07/17(火)

[]呪文15:28 呪文5 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 呪文5 - 西川純のメモ 呪文5 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 しばらく呪文シリーズ学校に行けません。そこで、先週末に電話にて呪文を伝えました。それは、「先生がどうしても押さえたいと思うポイントを短くまとめてプリントにして子どもたちにわたして下さい。そうすれば、確実にテストに反映されます。そして子どもたちが自分たちの成長を実感できます。」という呪文です。

 本日、久しぶりに学校に行きました。子どもたちは変わっていました。すごく。『学び合い』の最初では机に寝ていて、ふてくされた顔の子がいました。その子の顔が、とてもいい!あたりまえですが、可愛い子どもの顔になっていました。それが嬉しくて、教室から出て廊下ボロボロ泣いてしまいました。

 その先生子どもたちにわたしたプリントを見ました。笑いを押し殺すのに苦労しました。それは、小学校指導要領の要約なんです(それも表現は指導要領のそのまま)。これを子どもたちにわたして大丈夫と思えるほど、子どもを信頼している証拠です。それに、業者テストに出そうな問題もわたしていました。これがあれば、どのように勉強すべきかはぶれません。子どもたちの会話は高度です。大学生に議論させて、この小学校6年生の子たちのレベルに達するかは大いに疑問です。

 「上越地区で『学び合い』を見せて欲しいと言われたら、先生を紹介しますよ」とお願いしましたら、ニコニコして「困ったな~」とおっしゃっていましたが、受けて頂けました(正確には、断られなかった)。『学び合い』の手応えを感じられたのだと思います。

 もう、大丈夫と感じました。私は、おまじない(呪文ではありません)を2、3と、いっぱいの夢を語って退散しました。

追申 ふと思い出しました。その先生が『学び合い』を初めて、たった1ヶ月ぐらいです。私が呪文を唱えてからでしたら、1ヶ月もたっていない。でも、当然です。『学び合い』は本当に簡単ですから。

07/07/16(月)

[]人災 15:45 人災 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 人災 - 西川純のメモ 人災 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 お昼前に買い物に出ようとすると、電話です。内容は息子の学校の緊急連絡網で「地震災害があった場合は、担任か、学校に連絡するように」との内容です。そこで電話をかけましたが、地震電話が集中しているため電話が通じません。私は「後で良いじゃない」と言いますが、家内は「こんなに急いでいるのだから、急いで連絡しなければ」と一生懸命です。そのため、1時間ほど電話をかけ続けなければなりません。

 さて、考えれば、考えれるほど、馬鹿馬鹿しい緊急連絡だと思います。

 第一に、上越市に住んでいる人間だったら、そんな災害が生じるわけ無いことは常識的に分かります。

 第二に、仮に災害があったとして、地震直後に連絡して、そんな人が電話できるわけありません。まあ、「はい、欠席の人は手を挙げてください」と出席をとるようなものです。

 第三に、結果として、電話が繋がらない状態を助長しています。

 では、どうすればいいか?地震の後、6時間ほど経ってから確認をするならば、「第一」の馬鹿馬鹿しさはありますが、それ以外はまあクリアーできます。

 ただし、これは息子の学校、ましてや、担任の先生個人の判断とは思えません。おそらく、どこのどこかの小役人が作ったマニュアルに従ったものでしょう。でも、なんとも馬鹿馬鹿しい。そして、益少なく、多くの人に迷惑をかける緊急連絡だと思います。

[]地震 11:37 地震 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 地震 - 西川純のメモ 地震 - 西川純のメモ のブックマークコメント

本日は、柏崎の海岸近くのプールに行く予定でした。

水着を用意している家内の近くで、息子とプロレスごっこをしてました。

プロレスごっこの振動にしては凄いな~と家内が思っているとき、

柏崎の海岸で10時13分頃に地震がありました。

上越市震度は6弱ですので、かなり強い揺れでした。

当然のながら、震源地にあるプールに行くのは中止です。

息子は、とっても残念がっていました。

しかし、我が家に関しては、棚から、十数個、写真等が落ちた程度です。

ついでですので、夫婦で棚のホコリを払ってから並べている最中です。

しばらくしたら、買い物に行きます。

と、いう程度のことです。

あはははは

F-KatagiriF-Katagiri2007/07/16 13:02本当に柏崎に行っていなくて良かったですね。新潟市内の被害もあまりたいしたこと無いようですが、柏崎市は倒壊した建物や隆起している道路もあり、大混乱のようです。

ftogpxtakaftogpxtaka2007/07/16 13:25テレビのニュースを見て心配しておりました。たいしたことなくて安心しました。余震等もあるかもしれませんので、お気をつけください。

jun24kawajun24kawa2007/07/16 15:33Kさん、Fさん、有り難うございます。こちらは、な~んもありません。

chunsuzumechunsuzume2007/07/16 16:01震度6強のニュースには驚きましたが、西川先生のところではそれほどでもないとのことで安心しました。それにしても、近年、新潟をはじめ北陸はどうも地震が多いように思います。どうぞお気をつけください。

jun24kawajun24kawa2007/07/16 16:30有り難うございます。
新潟県はとても広い県です。
柏崎と上越は境を接していますが、震源地と家との距離は、約50Kmです。6強と6弱とは天と地ほどの差があります。
有り難うございました。

yu-rikiya-ta-35yu-rikiya-ta-352007/07/17 05:31ニュ-スにとても吃驚しましたが、大丈夫で良かったです。被害に遭われた方へは、何とも言いようがありません。駆けつける事は出来ませんが出来ることはやりたいなあと思います。6強と6弱との違い勉強になりました。

さとう@山形さとう@山形2007/07/17 06:15先生、ご無事でなによりでした。
「災害があったら、担任か学校に連絡」ですが、休日にも学校に職員がいるのでしょうか。また自分が被災して大わらわなところに電話が来ても…。おかしな決まりですね。

jun24kawajun24kawa2007/07/17 08:10たった50kmで天と地との差があります。
ただ、災害の様子を見る限り、地震の問題と言うより、建物の問題といった方が良いように思います。失礼ながら、能登半島地震の倒壊家屋を見ると、「こりゃ、しょうがない」と感じました。上越も古い町並みが残る町です。おそらく、6強の地震が来たら、倒壊する家と死者が出ると思います。
また、災害時の連絡方法をちゃんと考えるべきと感じました。
有り難うございました。

H17年卒業のHH17年卒業のH2007/07/17 21:02ご無事で何よりです。TVでは柏崎・刈羽が報道されていたので、上越は大丈夫かなぁとは思っていたのですが・・・官舎は丈夫そうですよね!宮城県もいつくるか心配です。ちなみにAERという駅前のビルの27階にいてかなりゆれたので、びっくりしました。
PS今年は東京都の採用試験受験してみましたが・・・

jun24kawajun24kawa2007/07/17 21:55ありがとう
私もHのことは気になっているんだよ。
ブログ更新がないから、どうなっているんだろ~ってね。

07/07/15(日)

[]職員室の力 22:28 職員室の力 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 職員室の力 - 西川純のメモ 職員室の力 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校でも校則が厳しい学校と、校則存在が意識されない学校がある。例えば制服などが典型である。靴下の色や長さを規定している学校もいれば、何着てもOKの学校もある。自由な学校には共通点が多いように感じる。即ち、ある時期、教師と生徒会制服に対して交渉した。制服を強いる「理」なんてありゃしない。それは教師も分かっている。だって、教師自身が制服ではないんだから。だから、私服にしても問題が生じない生徒であることを信じられれば私服にしても、まあいいんじゃないか、で変わったのだろう。そして、それから数十年、問題が生じないから、そのままになっていた。

 現場先生から、上からの管理が厳しく、それ故に教師集団がバラバラになっているとの嘆きを聞く。確かにそうだろう。でも、ふと思いました。教師集団がバラバラだから、管理が厳しくなっているのではないか、と。私は組合組織率や闘争力のことを言っているのではありません。正当な主張を根気強く交渉し続ける職員集団のコアが無くなっているのではないか、と、感じています。

 私が勤めた高校の職員室を思い出すと、勤務に関わるデリケートな問題が起こる前には、年長の二人の先生組合の本部委員の先生とは違います)と教頭と校長がゴチャゴチャ相談していました。漏れ聞こえる内容から、その手の内容だと察しが付きます。そして、「じゃ、そのあたりで」という声が聞こえます。しばらくすると何人かの先生方でゴチャゴチャ話し合っています。その先生方は組合のラインとは必ずしも一致していません。次の職員会議校長や教頭から「お達し」が伝えられると、「ああ、このことだったんだ」と理解します。採用間もない私なんぞには、いいも悪いも分かりませんが、年長の先生方、中堅の先生方が納得しているので、「まあ、実害はないんだろうな」と安心します。そして、しばらくすると年長の先生や、教頭先生から交渉の過程や、そのポイントを教えてもらえます。それを聞くと、法律には血が通っているし、まあ妥当な落としどころに、落ち着くもんだと感じました。

 現場先生方と話すと、学校管理職とそのような交渉をする先生方が欠けているように感じます。そして、そのような交渉の後は、職員集団の自律的な働きで「?」の先生も、その線で押さえるという職員集団の力が無いように思います。両者は表裏一体と私は感じます。私の直感です。

[]教師が必要とする技術 21:47 教師が必要とする技術 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師が必要とする技術 - 西川純のメモ 教師が必要とする技術 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学における教員養成の教育は、すこぶる評判が悪い。学生さんからは、「俺は小学校の教師になろうとしているんだ。こんなこと小学校の授業と関係ない」と言われます。また、「お上」の会議においては、教員養成系学部がミニ文学部化、ミニ理学部化していて教員養成系の目的学部・目的大学としてのアイデンティティがないと批判されています。その批判に対応するため、多くの大学ではカリキュラムを大幅に改革しています。もちろん、カリキュラムを変えても、教えている人は変わらないのですから、単に看板の掛け替えにすぎないという批判を受けるようなものも含まれています。が、心ある教員養成系大学大学人は、自らの過去の専門の殻を破って実践的な内容を取り入れようとしています。そして、それは限りなく、現在教育センター研修内容に近づいています。

 そのような大学人の志は高いものの、それに、どれほど意味があるかと言えば、疑問です。ミニ文学部ミニ理学部と批判されている授業の中には、教師の心に深くしみいるものもあり、そうでないものもあります。同様に、極めて実践的な内容を扱っている授業であっても、教師の心に深くしみいるものもあり、そうでもないものもあります。だって、教育センター講義が100%素晴らしい、というわけでもないことは受講経験のある教師であればよくおわかりだと思います(もちろん、その多くは素晴らしいものであることは、あわてて補足します)。

 人相手の職業における技術は、「その場」を離れて学ぶことが出来ません。これは正統的周辺参加の考え方だし、認知心理学の文脈依存性、領域固有性の考えからも言えます。「その場」で学ぶことの典型が徒弟制度です。近世から現代に移行する際、徒弟制が否定され工業教育が始まりました。しかし、徒弟制の教育効果が否定されたのではありません。徒弟制が技術を秘伝としてオープンにしなかったために、工業教育が始まりました。教育効果で言えば徒弟制の方が、今でも高いと評価されています。例えば、最先端の理学部研究室は徒弟制を維持しています。医学部でも長いインターン制度があります。本当の研究を離れた理学の学習、本当の医療を離れた医学学習は、せいぜい大学学部の1、2年程度の内容が限界です。それ以上になれば、その場で学ぶしかないのです。教員養成の教育も同じです。実際の学校現場を離れた学習は、せいぜい学部1、2年が限界です。従って、学部3、4年はもちろん、大学院は不可能です。

 でも現場だけでは駄目なことも当然です。経験年数と職能が必ずしも比例しないことは常識でしょう。現場の経験を組織化する必要があります。それも、いままでの大学講義のように、「その場」を離れてではなく、「その場」で行う必要があります。そういう教育の場を作りたいと、2004年8月4日の朝に、オークラフロンティアホテル筑波の朝食会場でN大学学長と会食した時から「悪知恵」の限りを尽くしています。

OB1989OB19892007/07/16 11:37自身お見舞い申し上げます。大丈夫でしたか?

jun24kawajun24kawa2007/07/16 11:42大丈夫です。ご心配おかけしました。

07/07/14(土)

[]アドバイス 18:10 アドバイス - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - アドバイス - 西川純のメモ アドバイス - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学びあい』を試み始めている人に、『気になる「あの子」は自分を変えることは出来ません。』とアドバイスをします。『学び合い』を試みて、だめだったと相談する人には、そのように語ります。

 考えてください。授業中に寝ている子ども勉強関係ない無駄話をしている子ども、その子どもはそれがいいことだと思っていると思います?そんなことはありません。出来れば、いい子になりたいと願っているんです。ところが、クラスにおいて、そのようなことが出来ない関係があります。私が教えた暴走族子どもも、暴走族が悪いことも、シンナーをやめたほういいことも百も承知です。教師が「悪いよ」と言って変わるなら、とっくのとうに変わっています。その子を変えることが出来る「としたら」、それは周りの子どもです。

 だから、「あの子」を忘れてください。そしてクラスを見てほしいと願います。そうすると『学び合い』を受け入れている子どもが見えるはずです。その子たちを集団として育てることが先決です。そこで、「みんな」を求めたとき、「あの子」を変えることをします。そして、「あの子」を変える過程で子ども集団が成長します。

 ちなみに、この話を説明する際、職員室でのたとえ話をよくします。学校で何らかの企画を通そうとするとき、大抵の先生は職員会議の前に、うるさ型の先生に説得にかかります。その先生の席の隣に座って長々と説明します。なぜなら、その先生が何とかできればうまくいくと思うからです。でも、うるさ型の先生はなかなか納得しません。そうなると、だんだんやる気を失ってしまいます。そして、「その先生」に対する軽蔑と怒りを感じます。

 しかし、私は学内政治でそのような戦略はとりません。だってエネルギー無駄ですから。私がエネルギーを費やすのは、私の意見を聞いてくれる先生、特に学内政治で発言力のある先生の説得です。その先生が納得してくれたら、私が説得できない「その先生」を説得してくれます。私には無理でも、その先生が話をすると、意外に簡単に「その先生」が納得してくれることって多いです。最悪でも、全体の大勢として合意が成り立てば、「その先生」が動かざるを得ません。動いているうちに、それが普通になってしまう。

 ね、こう言えば、思い当たるでしょ。私のアドバイスは、それをクラスにおいてしているだけのことです。簡単でしょ。

makine45makine452007/07/15 15:13「あの子を忘れる」というのが、すごく難しいと感じています。
「あの子」にかかり切る教師の姿こそ美しいという考え方から出るのは、教師の失業に匹敵します。結局大きな声を出し、子どもをねじ伏せる方向に向かいます。先生のおっしゃる通り、それで変わるならとっくのとうに変わっています。

jun24kawajun24kawa2007/07/15 15:45私なりの、それを乗り越える方法は、「見ない」、「聞かない」、「近づかない」という方法です。西川研究室での私のゼミの皆さんへの間合いのとり方はそうだったと思います。知ってしまえば、私も我慢できなくなります。

07/07/13(金)

[]親である教師 08:18 親である教師 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 親である教師 - 西川純のメモ 親である教師 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 親である教師は多いです。学校に関して、親として悩む方も少なくありません。ある方からメールをいただきました。その方のお子様が登校拒否気味になったそうです。そのことを自責するメールをいただきました。その方への返信です。同様な悩みをお持ちの方も少なくないと思います。その方へ届け!とここに公開します。(もちろん個人特定できない形で)

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お察しします。

まず、教師としての○○さんへのアドバイス

子どもたちに正直に状況を話すと良いですよ。

そうすれば、混乱が少ない。

心穏やかざれば、隠してもそれは出るものです。

その理由が分からなければ、子どもは混乱するかもしれません。

理由が分かれば、労ってくれますよ。

それに、子どもたちに相談すればいい。

おそらく、子どもたちは、子ども立場からのアドバイスをくれるはずです。

そして、それは素晴らしい道徳の教材となります。

次に親としての○○さんへのアドバイス

登校拒否に関して、親の責任は「ありません」。

学校に行きたくないという理由は、学校にあるのが当然の論理です。

親に問題があったら、帰宅拒否になり、親の代わりに友達に頼るはずです。

少なくとも私が勤務した、家庭に問題のあった子ばかりの定時制高校子どもたちはそうでした。

登校拒否を解決するのは、教師や親の「学校に行こうよ」ではありません。

クラスの子の「いっしょにいこうよ」の一言です。

学び合い』によって長期の登校拒否が解決した事例なら、山ほどあります。

劇的なものはありません。

「いっしょにいこうよ」の一言だけで解決しています。

ある先生メールを最後に付けます(個人特定できないように多少、加工しています)。

お読み下さい。

『さて、我がクラスの話をちょっと聞いてください。相変わらず、落ち着かずにぎやかなクラスなのですが・・・。去年から不登校児童が1名いました。支援員の先生にお世話になりながら、週に2日程度は、他教室で学習していました。教室での生活は、半年で、数日でした。ある日、ひょんなことから、友達の誘いにのって、遊びの輪へ。その次の時間から教室にしっかりすわっていました。私も何も言わずに教室に受け入れたら、一人の子が気づいて「あれ、Aちゃん、いたの?」。たった、その一言で、もう教室の仲間入りです。翌日からの授業も、学び合いのおかげで、半年間のギャップは、友達が埋めてくれました。一斉授業であったなら、きっと私がつきっきりにならざるを得なかったでしょう。私のところへたすけを求めるのは、学習用具がそろっていない時だけ。きっと、クラスを見ても、どの子が不登校だったのかわからない状態だったと思います。冬休みが明けた今も、元気に登校しています。この子を救ってくれたのは、何より「学び合い」で「友達」だったということを強く感じました。』

私も親です。

正直、登校拒否になる可能性を恐れています。

それ故、わがこととして、上越の地に『学び合い』が根付くことを願っています。

根付くならば、危険性は限りなく0になります。

とにかく、ご自身、奥様が自責する必要はありません!

そのこと奥様にお伝え下さい。

最後に夫としての○○さんへ

子どもも辛いが、奥様も辛い、互いに守らねば!

教師として、夫として、親としての経験は、私以上なのかもしれません。

傍目八目と思い、メールします。

トンチンカンならご寛恕を。

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親として、夫として、教師として

我々が出来ることの最善を尽くしましょう!

07/07/12(木)

[]目標設定の第四 15:18 目標設定の第四 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 目標設定の第四 - 西川純のメモ 目標設定の第四 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の「目標設定」に追申します。

 第四番目に必要なのは、高い志です。子どもも大人も、人は、基本的にエゴイストです。それは生存競争の中で生き残った生物の基本戦略です。従って、目標設定の際、それが当人に利益があることを理解させる必要があります。滅私奉公では続きません。

 が、それが「当人」だけの利益を語るならば、早晩、破綻します。だって、一人一人の最大限の利益は、互いにぶつかりますから。その意味でも「みんな」という縛りは重要です。そして、「みんな」が個の利益反さないためには、個がどれだけ「みんな」にエネルギーを費やすかを判断させる必要があります。

 さて、その「みんな」の抽象度が高まれば、高まるほど、そして、求めるものが困難であれば、あるほど、そして、それらが高い志に根ざすとき、集団は素晴らしいエネルギーを生み出します。なぜなら、「みんな」がクラス程度であれば、クラスみんなが「それでいいや」と言えば、それで向上がストップします。ところが、抽象的、困難で、高い志に根ざすものならば、その上限は無限です。

 これこそ、教師の最大の職能だと考えています。即ち、とてつもなく抽象的で、困難で、高い志に根ざす「むちゃくちゃ」な目標をリアルに思い浮かべ、それを子どもたちに伝える能力です。その「むちゃくちゃ」なものが「出来るかもしれない」と思い始め、「出来たらいいな」と思わせる、それが教師の職能です。そして、それは全ての管理職に求められる職能です。

 我々は教師はクラス(中高においては自分の教科)においては校長だと考えています。

[]空白だらけの原則 13:04 空白だらけの原則 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 空白だらけの原則 - 西川純のメモ 空白だらけの原則 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの優れた教師が授業はどのようにすべきかということを明らかにしています。それを、どのように捉えるかということで、大きな違いが生じます。

 例えば「空白禁止の原則」(たとえ一分間でも「何をやってよいのか分からない」という状態を作ってはならない。)という原則があります。限りある授業時間を最大限に生かすためには、教師としては当然の責務です。しかし、その「何」が何であるかで大きな違いが生じます。我々の場合だと、「何」とは最短でも「その1時間」、出来れば「その単元」、「その学期」、「その年」にやるべき「何」です。そして、クラス全員がやるべき「何」です。ところが、「その子」の「その時」(大抵は数分単位)にやるべき「何」をやっていいのか分からない状態を作らないようにしている先生がおられます。

 しかし、もし子どもたちが金太郎飴のように一律ではなく、多様であると仮定すれば、小学生が出来る計算でそれが不可能であることは導き出されます。でも、不可能にもかかわらず、全身全霊をかけてそれをやらねばならないと思う先生もおられます。典型的なのは教育実習生の授業です。子どもたちの反応が怖いものだから、ありとあらゆることに対応しようとしてヘトヘトになり、授業中は、ありとあらゆることに対応してヘトヘトになります。あまりに余裕がないので、指導案の方ばかりを見て子どもの方に視線が生きません。当然、子どもの反応を受け入れることは出来ません。結果として、子どもを金太郎飴のように一律で、自分の指導は最善だという「大胆」な前提のもとに、とにかく自分の意図したことを子どもに強制します(もちろん、笑顔でね)。

 しかし、圧倒的大多数の教師は、数年も続きません。だって無理だから。どうなるか。大凡の教材の構造を頭に思い描き、ポイントを押さえます。それで教室に行きます。まあ、教科書や指導書を5分程度ぐらい斜め読みすればOKです(但し、毎週、週案を見せろという校長の管下であれば別ですが・・)。

 子どもの反応も怖くありません。だって、分からなかったら、分からないと言えばいえばいい。そして、じゃあどうしたらいいか、と問えばいい。自分では対応不能の「とっぴょうしもない」発言は、クラスみんなの発言の中で拾われます。初めてデートする相手だったら、最初から最後までの話題の計画をしなければならない、と思うでしょう。でも、安定した恋人、妻なれば、そんな計画しようと思わない。だって、「なんとでもできる」と信頼できる関係を形成しているのですから。

 「結婚当初は、絶えず話しかけてくれた。ところが、今ではニコニコして私の話を聞いているだけ。なんか大学で面白いことないの?」と家内から叱られることがあります。でも、そうなるのは家内を信頼しているから、そして、家内といるだけで幸せだから。もし結婚当初のような状態が続くのであれば、結婚生活なんて数十年続くわけ無い。

 「その子」の「その時」(大抵は数分単位)にやるべきことか分からない状態を1分も作らないようにしなければならないのは、子どもたちであると考えるのが我々です。そして、そのためには、「その1時間」、「その単元」、「その学期」、「その年」にクラス全員がやるべきことが分からない状態を1分も作らないようにするのが教師であると考えるのが我々です。

 「その子」の「その時」(大抵は数分単位)にやるべきことか教師が分からない状態が、ず~~っと続く方が望ましいと思います。とうことで、その意味では「空白だらけの原則」とも言えます。あはははは

[]目標の設定 08:24 目標の設定 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 目標の設定 - 西川純のメモ 目標の設定 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある方から目標の設定に関して質問のメールをいただきました。重要なことなので再度述べます。

 第一に、教師が「本当」の求めるものを、直裁に子どもに言うことです。高邁な教育論をいくら言ったとしても、教科学習なのですから、達成すべきことがあるはずです。

 第二に、その目標子どもに分かると言うことです。例えば、国語先生は「読みの深さ」とおっしゃります、門外漢には全く分からないことを言います(国語先生ごめんなさい)。同様に「いい音」ということをおっしゃります(音楽先生ごめんなさい)。しかし、同僚の先生ですら訳の分からんことなのですから、子どもが分かるわけありません。訳が分からないのですから、一々先生にお伺いを立てる必要があります。お伺いを立てて、「いい、わるい」を言われても、何がなんだか子どもには分かりません。それでは、どうやって勉強して良いのか分かりません。ちなみに、子どもがどうしようもない状態であるのは、これは「一斉授業」でも全く同じです。ただ、「一斉授業」だと教師が気づかないだけのことです。

 もちろん、「いい、わるい」だけの指導もあり得ます。例えば、プロのピアニストを育てる、プロの野球選手を育てる、また、一流の数学者を育てる、というレベルになると、「いい、わるい」もしくは門外漢には分からない表現で伝えることが出来ます。ただし、学校教育では違います。我々は三十人、四十人の子どもを、確実に、ある一定以上の達成度を保証しなければなりません。従って、ハッキリと伝えられなければなりません。逆に言えば、ハッキリと伝えられないものは、指導要領の範疇のそとのはずです。

 もちろん、指導要領にはハッキリと伝えられない表現が多いです。例えば、理科だったら「自然を愛護する」などの表現がそれにあたります。でも、指導要領でハッキリとしていないならば、逆に言えば、それは学校・教師の裁量の範囲であるということです(言うまでもないですが、子ども保護者の理解を得られるという前提でですが)。従って、指導要領のその表現を、自分なりにハッキリと伝えられるようにするのは教師の務めです。(ちなみに、上記のことは、文部科学省の教科調査官出身の私の指導教官から教えてもらったことです)

 第三に、「みんなもれなく全員が出来る」ということを求めることです。これが、『学び合い』を成立させるには重要です。

 結果として、極めてシンプル目標になります。例えば、「クラス全員が二ケタの足し算を出来るようにする」、「クラス全員が逆上がりを出来る」などの目標です。そうなると、「そんなので学校教育か、塾ではないか」などと言うかたがいます。しかし、心配ご無用、子どもたちが全員達成する過程で、子どもたちが認知的にも情意的にも豊かな学習を生み出します。

 さて、目標設定をする際、算数・数学、体育、家庭科技術あたりは非常に簡単にできます。ところが、社会科国語あたりだと難しく感じる方がいらっしゃいます。そして、学び合っているが、成績向上に繋がらないという問題にぶち当たります。でも、それは『学び合い』が成立しているのに、そんなことが起こるというわけではありません。大抵、上記の3つのうち一つ以上が欠落している目標を与えているんです。

 その場合は、教師が一般的な目標子どもたちに与えているのでしょう。しかし、結局、テストの点数が低いと辛いのが現実です。ということは、虚飾をはぎ取れば、テストの点数を上げなければならないわけです。だったら、テストの点数を上げなければならないと自覚すべきです。だったら、社会科国語の業者テスト子どもたちにわたして、これを全員解けるようにせよ、と言えばいいんです。まあ一般的な方法としては、一般的な目標と業者テストを与え、「両方出来るようにせよ」と言えばいいんです。子ども帳尻を合わせます。ただし、注意点は業者テストの量はほどほどにして下さい。そうでないと、能力のある子も、それを書くという作業だけで1時間を費やします。そうなると、学び合えません。想像してください、出来る子に「1+1=」程度の問題を300問解かせることによって能力がどれだけ向上するでしょうか?ポイントを押さえる程度にしてください。

 もし、第三のポイントである「みんなもれなく全員が出来る」というポイントを本気で求めないと、『学び合い』を最初に始める能力のある子が自己中心的な行動をします。また、クラスの大多数の能力は高まっても、学び合いに入れない子どもを作り出します。結果として、その子以外の子どもの能力の高まりも限界をむかえます。全ての子ども(その中には、そのクラスで最も成績の高い子も含まれます)が限りなく向上するには、第三のポイントは忘れてはいけません。

newtown0426newtown04262007/07/12 14:48ありがとうございました。「目標の設定の重要性」確認できました。それから、単元の終わりの方で「全員ができなければならない。」というはじめに掲げた目標を教師自身がしっかりと守れば、子どもは燃えて限りなく「学び合う」というのを感じてきていたところですから、そこも確かめられました。ありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2007/07/12 15:07あともう一つを付け加えるとしたら、高い目標です!

さとう@山形さとう@山形2007/07/12 23:14あべたかさんのブログを見て、とんできました!

「空白だらけの原則」!刺激的ですね。
でも、自分なりにわかります。
職員室に置き換えてみても、わかります。
「目標」があれば、一休みするかも知れないけれどもまた目標に向かいます。目標がない人は、だらだらとお茶飲みして新聞を読んで…。(そんな人は、私がつとめた学校にはいなかったですけれど、まれにいるそうですね。)

そこにもしも、校長が「空白禁止」などと変に考えて、次々と発展課題を用意したら…。
(もちろん「空白禁止」の意味を自分なりに理解しての発言です。目標もないまま子供を放置したら、授業が、学級がくずれてあたりまえですから。そういう意味で、学び合いと矛盾しませんね。学び合いは、ふところが広い!)

jun24kawajun24kawa2007/07/13 08:27さとうさんへ
全くそうだと思います。『学び合い』の考え方は授業論・教育論にとどまらず、社会における人間の在り方の原則です。だから、自分に置き換えれば、その妥当性が分かります。でも本来、授業論・教育論はそうであらねばならないと思います。だって、学校は大人になるために、社会生活を経験する場なのですから。

07/07/11(水)

[]漢字記念日 08:10 漢字記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 漢字記念日 - 西川純のメモ 漢字記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 毎日、朝、10分ぐらい息子の勉強を教えています。いつもは算数です。理系の私ですが、昔は計算が苦手で発達障害と思われました。小学校低学年の算数は、考えるというより暗記の占める部分が多いように思います。私の場合は、そこが苦手でした。そこで、毎日、息子に教えています。しかし、本日漢字の練習をしました。

 昨日、国語テストが帰ってきました。本好きの息子ですので、読解力はかなりあります。ボキャブラリー豊富です。が、漢字はまだです。しかし、テストの名前の欄に漢字で自分の名前を書いています。メチャメチャの漢字です。我々夫婦は漢字なんて急がなくていいよ、という方針でしたが、どうしても書きたがっています。そこでメチャメチャで覚えたら大変だと思って、本日教えました。もともと漢字は「読める」ので、直ぐに覚えました。特に川の字は一発です。私が言ったのは、「毎日、寝ている時を思い出してね。お母さんでしょ、○○ちゃんでしょ、お父さんでしょ。ほら、川の字になった」です。

07/07/10(火)

[]成長 22:16 成長 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 成長 - 西川純のメモ 成長 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学部3年も修士1年は、私に頼らなくなってきている。自分で考えようとしている。4年も修士2年は、さらに顕著になっています。私が彼らのそばにいても、私の存在をどんどん気にしなくなっている。私は彼らの空間の空気を呼吸し、彼らの健全性を感じます。私は「期待しているよ」だけで、物事が進みます。学部3年も修士1年も、あと数ヶ月で4年や修士2年の段階に達します。うふふ

 もちろん、博士の3人に関しては、な~んも考えていません。彼らは自分で考えられる人ですから。ね。(自分で考えないと、あと、知らないよ)

inoueinoue2007/07/10 23:33失礼ながら「あと知らないよ」の一言に笑ってしまいました。

jun24kawajun24kawa2007/07/11 07:59あはははは
ご当人は、この一言で「たら~・・」と冷や汗を流していますよ。

07/07/09(月)

[]私が楽天的な理由 21:53 私が楽天的な理由 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 私が楽天的な理由 - 西川純のメモ 私が楽天的な理由 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 普通の人が絶対にそんなこと子どもは出来ないということを、私は100%の確信から『学び合い』だったら出来ると思います。おそらく、普通の人から見ると、私はとてつもなく楽天的に思えると思います。が、理由があります。

 普通の教師が子どもが出来ると予想するレベルは、教師の指示でクラスの7、8割の子どもが自力で出来るであろうレベルです。クラスの中には多様な能力の子どもがいます。そのようなクラスにおいて7、8割の子どもが自力で出来るというレベルというのは、かなり低いレベルです。が、しょうがありません。一人の教師が出来ることなんて、たかがしれています。その中で、大多数の子どもが出来ることを目指すのですからしょうがありません。

 一方私の思考方法では、クラスの中で4、5人程度の子どもが教師の指示を「理解」できる程度で、子どもが出来ると考えます。クラスの中には多様な能力の子どもがいます。塾に行っている子どももいるでしょう。そのような状況であれば、4、5人程度の子どもが教師の指示を「理解」する程度ならば、かなりの高度な課題もOKです。その程度の人数がいれば、あとは、その4、5人が周りの子どもに、教師よりもうまく説明します。そして、子ども集団が協働するならば、かなり高度なことが可能です。

 『学び合い』を理解できない教師にとって、『学び合い』を理解している教師が子ども集団に寄せる信頼は楽天的にすぎるよう見えるでしょう。が、『学び合い』を理解する教師から見れば、『学び合い』を理解できない教師のクラスにおける子どもは、鎖に繋がれた状態に見えます。あれじゃ何も出来ないのはしょうがない。

[]西川研究 21:53 西川化研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 西川化研究 - 西川純のメモ 西川化研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 院生さんと研究のことで盛り上がりました。簡単に言えば、院生さんが私の立場になって、院生さんの実践研究するクラス子ども達を西川研究室にする研究です。OB各位へこれって魅力的ですよ。

 だって、西川研究室における私と同じように、院生さんは「期待しているよ」と言っているだけで、予想を超える素晴らしい成果を子ども達は出してくれるんです。更に言えば、あのプロトコル深海に沈まなくても良いんです。「凄い結果を出してね」と言いさえすれば、子ども達がプロトコル起こしをするんです。ね、魅力的でしょ。あははははは

 私には上記の実現性に関して、爪のあかほども不安はありません。だって、上記に書いた理由から私は楽天的だから。

[]100点記念日 21:53 100点記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 100点記念日 - 西川純のメモ 100点記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子が生涯で初めてのテストを持って帰りました。算数のテストで、100点です。息子は照れいました。

[]特別支援2 08:49 特別支援2 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 特別支援2 - 西川純のメモ 特別支援2 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の方より以下のメールが来ました。公開します。

『こんばんは。○○です。

御返事ありがとうござました。先生のおっしゃる通り、自分には焦りがありました。「何とかしなくては」と・・・。また、その子に影響され、変わっていくクラス子どもたちにも。でも、よく考えたら、焦る必要などないのですよね。自分がその子を何とかしようとしても、何とかなるものではありませんね。逆に、その子ばかりに目がいってしまい、クラス全体を見守る余裕をなくしていました。その結果クラスに乱れがあらわれ始めたんだと思います。もう一度、原点にかえって再スタートを切ります。自分の語る言葉が、心に通じている子どもたちだと思いますので。クラス全体の成長を求め、頑張っていきます。もう一学期は終わりですが、できるかぎり、少しずつ取り組んでいきたいと思います。

どうもありがとうございました!また、変化があったら報告させていただきます。』

inoueinoue2007/07/09 23:24メールの先生へ 「再スタート」ナイスです。「再スタート」は何度でもOKなんですよね。お互いにがんばりましょう!!

OB1989OB19892007/07/10 23:50祝!100点。スタートダッシュで,理系一直線ですね。

さとう@山形さとう@山形2007/07/10 23:53学び合いを知ると「楽天的」になれますね。
学び合い以前に、子供をすべてコントロールしようとあがく人が、悲観的すぎるように見えます。まさに「鎖」。
自分のことも縛っちゃっているように見えます。

jun24kawajun24kawa2007/07/11 08:13inoueさん
若い教師を守りましょうね。
OB1989さん
実は息子は文系のようです。あははは
私の希望では20歳ぐらいで人間国宝になって、
へのへのもへじの絵を描いて1000万円ぐらいに売れる人になって、我々夫婦に家をプレゼントしてくれることです。
さとうさんへ
どうやったら多くの教師を繋いでいる鎖を切れるか知恵を授けて下さい。おそらく子どもと同じにネットワークだと予想しています。

sakosako2007/07/15 20:44inoueさん、返事が遅れてすみません。励ましありがとうございます。再スタート、頑張ります。自分も変わるきっかけになりそうです。

07/07/08(日)

[]特別支援 20:59 特別支援 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 特別支援 - 西川純のメモ 特別支援 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 若い方よりメールの相談が来ました。内容は、新学期になってから『学び合い』でクラスづくりをしていたが、手のかかる子が転校してきたので困っているようです。しかし、私の見立てでは比較的簡単に解決できるケースのようです。次の次の本は特別支援の本を出す予定です(次は国語の『学び合い』です)。その本に書いたことをその方に返信しました。

 『学び合い』は特別支援に関して強力です。おそらく、最も多様な事例に対応して、効果は絶大です。例えば自閉症ダウン症の子の場合は、ごく簡単に解決できます。切れて暴力をふるう子どもや、教室を飛び出す子どもの場合は、1、2ヶ月は介助員の補助を必要とするかもしれませんが、その後は介助員の補助は不必要になると思います。上記ケースの場合は、少なくとも「気にならなくなる」ことは保証できます。更に言えば、今まで知的に問題があると認定された子が算数で100点を取ることも実現できます。もちろん、我々は医者じゃありません。肉体的な問題に由来する障害はどうしようもありません。しかし、肉体的な問題と教師がかってに思いこんでいるだけで、実際は、人間関係の問題に由来しているケースが過半数であると「私」は思っています。

 さて、障害が重度の場合は、問題が解決するまで1ヶ月程度以上かかる場合があります(つまり大抵は数週間で解決します)。その場合、教師が気をつけるべき事は二つです。

 第一は、「その子」を忘れる、といことです。知ってもしょうがないことを、知ってもイライラするだけです。教師がイライラすると、クラスオピニオンリーダーの子が、教師と同様にイライラし「教師の代わりにその子を」攻撃します。良いことがありません。だから、「その子」を忘れます。「その子」を何とか出来るのは教師ではなく、クラスです。だから、教師は「その子」を忘れて、クラスづくりに専念すべきです。そのために、「その子」の情報を積極的に聞かず、忘れることです。更に言えば、「その子」がどうなろうと、自分の家族の生活は守られる、ということを思い出すべきです(かなり誤解を恐れずに言っています)。

 自閉症ダウン症の子の場合、「クラス全員90点以上」という目標は困難である場合があります。しかし、だからといって「しょうがないな~」と目標を下げては駄目です。また、「その子」用の目標を別立てに立てては駄目です。そんなことをしたら、クラス子どもは「その子」を何とかするのは先生だと見透かします。だから、「クラス全員90点以上」という目標を掲げ続ける必要があります。これが第二の注意点です。「クラス全員90点以上」と掲げつつ、絶対に無理である、それではどのように目標を設定すべきでしょう「クラス全員90点以上を実現する「クラス」」を求めて下さい。もし、そのようなクラスが実現したら、子ども達が教師と交渉するはずです。つまり、「これこれの理由からクラス目標をこのように設定して欲しい」とです。イメージ化しづらい方の場合は、もの凄く良い管理職と、もの凄く良い職員集団の学校想像してください。もし、校長がもの凄い目標を設定します。職員集団もそれを納得して一丸として頑張ります。しかし、諸般の事情で実現できないとします。そうしたら、どんなことが起こるでしょう。職員集団は正当な理由を説明し、目標設定を変更するよう校長に正当に交渉するはずです。それがクラスに起こることが願いです。

 さて、最も手のかかるケースは、相手方の気持ちが分からない子どもです。アスペルガーの子が典型的ですが、そこまで行かない子は多数いると思います。このケースの子の場合は、積極的に他の子どもに関わります。が、その結果として、他の子ども不愉快にさせます。こうなると子ども達の中で、手に余ります。このケースの場合、教師が注意すべきは、『学び合い』で目指しているクラスは「仲良し」ではなく、「折り合いをつけて、仕事をする」ことであることを理解することです。従って、「仲良く」無くても結構です。時には無視するということもあっても良いんです。その中で、徐々に互いに関係を結ぶ方法を「理解」し、「その子」はその方法を「覚える」ことによって関係を結びつけることが出来ます。これを理解せず「仲良く」なることを求めると陰湿なイジメに発展します。

 長くなるので、このあたりで。本では、以上のこと(と、他のこと)を事例と学術データで語りたいと思います。

07/07/07(土)

[]考え方 19:11 考え方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 考え方 - 西川純のメモ 考え方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 金曜日に、院生さんに語ったことです。

 神学といものがあります。それぞれの宗教聖典を徹底的に研究します。数百年、数千年の歳月を生き残った聖典はいかなる宗教においても意味深いものを含んでおります。その聖典の「言葉」を「解釈」すれば、あらゆる場面に適用できます。その適用範囲は広げようとすれば、どこまでも広げられます。例えば、極端な例では「ケネディ暗殺は、第○章第○節のこれこれに書かれているように預言されている」というようなことも言えます。

 さて、あらゆる教育書に書かれているものというのは、重なるものも多いと思います。そりゃ学校教育百数十年の歴史で、恐ろしい人数の人が教師になっているんですから、正しいことは気づいています。だから、我々が主張していることは天地開闢以来初めてだと主張するつもりはありません。が、しかし、現在ある主張の中で、我々と重なるように見えそうに見えるものの圧倒的大多数は、我々の主張とは違います。

 例えば、「○○しなければらない」と「書かれている」ことは我々と同じかもしれません。しかし、問題は、何故そうするかという「考え方」では全く違っています。圧倒的大多数の主張は、「子どもは未熟だ」という前提があり、それを教師が補わなければならないという「考え方」があります。一方我々の場合は、「子ども達は教師と同じだけ有能で、同じだけ無能だ」という「考え」があります。だから、教師集団がよい仕事をするにはどうしたらいいかと考え、それを子ども集団に置き換えます。

 言葉に書けば同じ事でも、実際には、それを語る人の「考え方」によって全く異なります。そりゃ、今までお仕えした校長の顔を思い出し、その校長の言ったこと・やったことを思い出せば分かるでしょ。我々は「その」言ったこと・やったことではなく、その人の「あらゆる」言動で、その人の「考え方」を判断します。その「考え方」によって「その」言ったこと・やったことを解釈します。

 ね。

 だから、言葉ではなく「考え」で理解しなさい、と院生さんに語りました。

[]七夕 17:44 七夕 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 七夕 - 西川純のメモ 七夕 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 早朝、息子と散歩しました。その時、また「東京大学に入るにはどんな勉強をしなければならないの?」と聞いてきました。私は「どこどこに入るより、何をしたいかを考えなさい」と言いました。

 出張から帰ってから家で七夕飾りです。私の短冊には「家族仲良く、健康で」という毎年と同じ願いを書きました。家内も同じです。息子の短冊を見ると「でんしゃのうんてんしゅになれますように」でした。息子の願いは、東京大学に入学し、新幹線を作り、その電車の運転手になって運転し、我々夫婦を乗せることです。

07/07/06(金)

[]本日の授業 23:05 本日の授業 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本日の授業 - 西川純のメモ 本日の授業 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 理科コースの子が聞けないようになっている理科教育の授業というのがあります。そのため、ごく少数の学生さんとの授業です。私としては、舐めるように学生さんと関われる授業です。本日は、学生さんに『学び合い』の授業を見せて、その「授業で成績が上がる、人間関係がよくなる」と述べました。その後、「そんなことは無い」と思っている学生さんに、「何故、そんなことは無い」と思っているか?を問いました。一生懸命に答える学生さんを、片端から論破し続け「考えろ、暗記するのは高校までの勉強だ!」と1時間攻め続けました。かなりハード講義になったと思います。でも、それが大学の授業だと思います。

07/07/05(木)

[]どう答えればいいの? 17:15 どう答えればいいの? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - どう答えればいいの? - 西川純のメモ どう答えればいいの? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学生さん達が面接の練習をしていました。面接に関する虎の巻を読んで、問題を出し合っています。横で聞いていると、「能力別学級編成についてどのように思いますか。」という予想試問が書いてあります。学生さん達は、どのように答えればいいか悩みます。我々の考え方から言えば、能力別学級編成はナンセンスです。そこで私は、「お上に対する面接なんだから、反対しちゃ駄目だよ」と言いました。その本には良い例として、「主要教科だけについてだけでも、能力別に学級編成する方が、生徒にとってプラスになるのではないかと思います。・・・」とあります。悪い例として、「能力別編成については絶対反対です。それは差別意識に繋がるからです。・・」とあります。さもありなんと思います。

 その裏の頁には、学力の遅れが顕著な学習者に対しての指導を聞く問題がありました。その悪い例に、「”おちこぼれ”を相手にしたら、授業は出来ません。そのような児童(生徒)だけを集めたクラスを作ったらどうでしょうか?・・」とあります。わたしは「へ!?」と思いました。だって、表現は違っても、こりゃ能力別学級編成のことです。

 きっと頭の凄くいい人は、これを別の頭の凄くいい人に無矛盾に説明できるのでしょう。でも、教師は、ごく普通子ども、ごく普通の親に説明しなければなりません。その説明する能力を教員採用試験面接試験していると思います。しかし、私には、上記を子どもや親に無矛盾に説明できません。だれか出来るのかな~・・・

07/07/04(水)

[]大変 22:41 大変 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大変 - 西川純のメモ 大変 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日ゼミで、ある院生さんが「身にしみて分かります。『学び合い』は子どもにとって本当に大変なんです!」とおっしゃっていました。たしか、kineさんの子ども達も言っていた言葉です。そして、同志の多くは、その言葉子どもから言われたのでしょうね。

 私が高校教師だったとき、1時間の授業をするとヘトヘトでした。子ども達からは、私たちは4時間授業があるんだからと言われました(定時制高校は1日4時間です)。でも、子ども達は黙って座っていればいい。いや、彼らの場合は黙って座っていることさえせず、隣の友達と私語に花を咲かせた。ところが私の方は、私語の嵐でも聞けるような大声を張り上げ続け、彼らを引き込むような話術・教材で頭をクルクル回し続けなければならない。まさに格闘技のような1時間です。主体的に授業に臨んでいるのと、受動的に授業に臨んでいるのでは大変さは天と地ほどの差があります。

 『学び合い』では、私が高校教師だったときと同じような苦労を学習者がします。だって、主体的ですから。だから、『学び合い』をしている学習者は大変です。必死になって勉強します。だから、成績も上がりますし、人間関係も良くなります。一方、教師の方は学習者の成長をニコニコ見守り、「期待しているよ」と語ります。

 おそらく、院生さん達は「ずるい」と思っているでしょうね。でもね。その人達現場に行くと、私と同じ事をします。私と同じように「期待しているよ」と子どもに言うんです。だって、それが一番に楽で楽しくて、そして、子どもが一番真剣に勉強することを身をもって知っているから。ね。

[]凄いでしょ! 22:41 凄いでしょ! - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 凄いでしょ! - 西川純のメモ 凄いでしょ! - 西川純のメモ のブックマークコメント

平成2年より学部生を卒研生として指導し始めました。それ以来、平成13年度に学習臨床コースに移動するまでに27人の学生を指導しました。その中で彼らの卒業論文は、理科教育学会7報、生物教育学会2報、科学教育学会4報、環境教育学会2報、教科教育学会1報という学会において学会誌で掲載されています。この数は凄いと思います。だって、平均的な教科教育研究者は一生の間で上記の学会誌のレベル論文は2報も行きません。それを学部の卒研生が上記の成果を出したのですから。でも、手品にはタネがあります。

当時の学生さんは、本当に真剣に卒業研究をやりました。それに応えて、私も徹底的に「指導」しました。研究者の業績の上げ方は、それなりの方法があります。それを分かっている人間だったら、チョロいモンです。上記の学生さんの卒研では私が主導しました。主導している、私が、そのことを理解しているのですから上記のレベルを達するのは当たり前です。私としても、あの学生さんの真剣さを、学術論文レベルに高めたいと願いました。

 今も若い学生さん・院生さんを指導しています。そしてかってと違って、徹頭徹尾『学び合い』で指導しています。そうなると、学生さん・院生さんが何をして、何をしようとしているか分かりません。私の言うことは「期待しているよ」だけです。しかし、それでうまくいっています。本日修士1年の院生さんのゼミをしました。現職院生さんのレベルの高さは言うまでもありません。でも、そりゃ、その人達レベルの高さは、もともとの高さです。若い学生さんもなかなかです。OB各位に自慢します。若い学生さんのお一人は、「子どもはどうやって、勉強する相手を選ぶか」という、難攻不落の我がゼミテーマに挑み始めました。さらに、もう一方は、『学び合い』で学校を変える、というとてつもないテーマに挑み始めました。ハッキリ言って、どうなるか分かりません。でも、二人が素晴らしい研究を達成することに関して、爪のあかほども不安はありません。

 残念ながら、少なからざる上越教育大学大学院の現職院生さんは、おのれの職能形成のレベルにとどまっているし、それすらも捨てています(簡単に言えば、骨休め)。ところが、学校レベルのことをテーマにししようとする学卒院生さんが西川研究室にいる!

 もう一回繰り返します。大学卒業して、西川研究室に正式に所属して、たかが2ヶ月ちょっとなんですよ。凄いでしょ!

 現職の同志各位へ

 この学生達が達成する前に、学校を変えましょうね。早ければ、来年度中に彼らはやります。私は、高らかに自慢しますよ!

rion_fujirion_fuji2007/07/05 10:36担当クラス,配属学年を変えることで保護者の意識及び学校を変えたいと考えています。やはり保護者の与える影響は大きいと思います。教員以上に考えを理解してもらえるケースが多くあります。
やはり教員は井の中の蛙でそれに満足しているのかなあ。

jun24kawajun24kawa2007/07/05 17:20その結果の自慢、まっているよ~ん
ワクワク!

07/07/03(火)

[]呪文21:20 呪文4 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 呪文4 - 西川純のメモ 呪文4 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、参観に行った院生から報告を聞きました。それによると、話し合いの質が低下したようです。その原因は、成績のよい子が学習に集中していなかったためだそうです。さっそく、ビデオを見ました。それによれば、授業の最初に小テストをしました。そうすると、成績のよい子達が100点を取りました。その小テストの後に授業をしました。問題はそのテストの後に、クラス全体の評価をしませんでした。私の見立ては、それが原因と思われます。つまり、成績のよい子達は「自分は大丈夫」と思い、それで遊び始めたのだと思います。

 私はその状態を解決する呪文院生さんに教えました。そして、それを担任の先生に伝えるように指示しました。私の呪文は「クラス全員が90点でないのだから、駄目だ!90点に達しない同級生がいるのに、そのままにするクラスが、目指すべきクラスだろうか!?」です。この呪文も効き目があります。

 ただし、呪文と言っても言葉レベルのものではありません。授業者が本気で「クラス全員が90点以上になる」ことを本気で願い、それが実現できると本気で信じるか否かです。言葉ではありません。考え方の問題です。力のある先生です。きっと、この呪文も絶大な効果を発揮するでしょう。

inoueinoue2007/07/03 23:56呪文4、すごくよくわかりました。ありがとうございます。自分はまだまだ言葉のレベルです。でも、呪文を、何度も何度も何度も何度も何度も唱えて、言葉のレベルを越えたいです。

jun24kawajun24kawa2007/07/04 07:50私も言葉のレベルに落ちることがあります。Iさんと同じで何度も唱えて、自分に言い聞かせます。だって、それ以外の道はないことだけは、揺るぎませんから。

rion_fujirion_fuji2007/07/04 09:36呪文4はよくわかります。最近本気度をどのタイミングでどのように伝えたらよいのかなんとなくわかるようになりました。しかし,いいのか分かりませんが,その結果悔し泣きさせてしまったことも・・・。
しかしながら,本気度は十分伝わり,激変しました。

jun24kawajun24kawa2007/07/04 11:30教師の仕事は教えることではなく、学ぼうと思わすことですよね。

07/07/02(月)

[]呪文18:57 呪文3 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 呪文3 - 西川純のメモ 呪文3 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 呪文シリーズで書いているクラスを見てきた院生から報告を受けました。どんどん変わっているようです。授業のビデオを見ましたが、また、「化けて」いました。特に、ある子の変化が著しい。本当に別人のようです。見ている院生へ以下のように再度語りました。

 「『学び合い』で変わるのは、「その子」以上に、その子の回りの子だよ。そして教師が一番変わっているはず。その子に着目するだけではなく、それ以上に、その子の周りを見なさい。そうすれば見えるものがあるはずだよ。」

 と

 残念ながら本日人間ドックで参観できません。明日明後日も授業があり参観できません。参観する院生よりの報告で間接的に知るしかありません。

 「ライブ楽しみた~~い!」

[]八幡小学校校内研修16:34 八幡小学校校内研修会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 八幡小学校校内研修会 - 西川純のメモ 八幡小学校校内研修会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高崎市八幡小学校で「公開」の校内研修会があります。以下の通りです。ご案内申し上げます。

1 日  時 平成19年7月25日(水)10:00~15:00

2 場  所 八幡小学校オープン教室・各教室)

3 内  容

講演会子どもが学ぶ『学び合い』を進めるために」

グループワーク

  「子ども学び合いを進めるための実践上の課題と解決の見通し」

講師  上越教育大学 学習臨床コース

教授 西川 純 先生 他、西川研究室 院生・4年次学生

西川教授の講演のあとグループワークを行います。

学び合いの授業実践を紹介し、西川教授・現職院生・4年次学生

   意見交換します。

4 参加申込

・参加希望がございましたら、八幡小学校 教頭宛に電話若しく はFAXでご連絡ください。昼食の希望がありましたら、ご連絡いただいた際にお話しください。

グループワークは、学び合いを授業実践していく事に関して疑問や実践の成果などを出し合って、院生・4年次学生を交えて意見交換します。

・参加希望の方には、当校より具体的に連絡いたします。

07/07/01(日)

[]ゲド戦記 21:32 ゲド戦記 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ゲド戦記 - 西川純のメモ ゲド戦記 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 買い物で電気店に行ったら、スタジオジブリから、「ゲドを読む」という無料の本がもらえるとの張り紙があった。早速もらって読んだ。無料とは思えない質の高さだった。が、しょせん無料である。当然、「ゲド戦記」のDVD販売を盛り上げようとする広告である。そして、提灯記事がある。その中で、ゲド戦記宮崎吾朗監督日本的な解釈によるものであるので、原作になじんだ人からの反発はしょうがない、というような内容の記事があった。残念ながら、この方はアニメファンではないのであろう。この作品が駄作なのは、解釈とか思想レベルの問題ではない、画像が平板で面白くないのである。ただし、画像が平板で面白くないというのは、決して1分あたりの原画の枚数で計れるものではない。

 例えば、「紅の豚」の一場面では、銃口のレンズに逆に写る少女の絵がある。銃口は殆ど気づかれないほど小さい。そんなところに凝っても、物語には影響はない。また、「うる星やつら」の「ビューティフルドリーマー」の一場面では、みんなビックリしてぶっ飛ぶ場面がある。それを遅送りにすると、何か気になるものが画面を横切る。しかし、その段階ではなんだか分かりづらい。苦労して、その場面をストップで捉えると、それはストーリーと無関係鉄人二十八号であることに気づく。こんな所に凝っても、アニメオタクしか気づかない。じゃあ、何故、そんなところに凝るのか?

 映画監督は実に多忙である。どう考えても、「ここで鉄人二十八号を飛ばせろ」とは指示しないだろう。もしかしたら銃口に写る少女絵コンテで指示があったかもしれない。しかし、そのディテールの指示はなかったと思う。では、だれが、そんなことに書き込みをしたか?それはスタッフの誰かである。そして、何故そんなことをしたか?そりゃ、その作品は自分の作品だと思い、その中に自分の足跡を残したいと思ったからだろう。法隆寺屋根裏には、名もない職人の署名が書かれていたと聞いた。それと同じである。ゲド戦記が駄作だと、「私」が思うのは、そのような厚みを感じないからである。

 『「座りなさい!」を言わない授業』に紹介した桐生さんの研究に、二種類の班の発表を紹介している。そこに示されているように、自分の作品と思わないと、人はその発表に興味関心を示さなくなる。おそらくゲド戦記スタッフにとって、ゲド戦記宮崎吾朗監督一人の作品と捉えられていたのではないか?そう想像しても無理はない。全く違った畑の人が監督に抜擢され、その人が宮崎駿監督子どもであれば、「親の七光り」と興ざめすることは想像に難くない。

 ゲド戦記ジブリ作品の中で突出した駄作である。しかし、その責任宮崎吾朗監督にあるというより、彼を抜擢したジブリ幹部に第一の責任がある。宮崎駿監督は、最初は反対したと聞いている。しかし、最後はそれを飲んだ。アニメ作品が集団作品であることを熟知しており、そして、宮崎吾朗氏の監督就任を拒否できた数少ない人である宮崎駿監督に第二の責任がある。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20060807

[]の~んびり 16:35 の~んびり - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - の~んびり - 西川純のメモ の~んびり - 西川純のメモ のブックマークコメント

 平成16年8月4日の朝から、ず~っと頭を使い続けていた仕事が、6月27日に一段落しました。実に3年間をかけた仕事です。後は「お上」のご判断を仰ぐだけのことです。さらに、6月3日~7月25日の間は、遠方への出張もありません。それ故、今週末は本当にのんびり出来ます。

 が、頭の中は既に次の戦いのための戦闘モードに入っています。

MizuochiMizuochi2007/07/01 22:24最近、何度も1982年に高畑勲監督(オープロダクション)が作った「セロ弾きのゴ-シュ」を観ました。ゲドよりも新しく感じました。子供たちも生まれる前の作品と知って驚いていました。ご家族で「の~んびり」のときにお勧めです。

jun24kawajun24kawa2007/07/01 22:30多謝!
映画は知っている人の口コミが一番信頼できる。