西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

07/06/03(日)

[]『学び合い』で学ぶもの 09:42 『学び合い』で学ぶもの - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』で学ぶもの - 西川純のメモ 『学び合い』で学ぶもの - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ある方から『学び合い』を経験すると何が成長しますか?という質問を受けた。例えば、小学校4年生で『学び合い』を学んだ子どもは、それを経験していない子どもと比べて、小学校5年生、中学生高校生、大人で違いが出るか?という質問です。

 私は「ありません」と応えました。我々の『学び合い』は「歩く」とか「しゃべる」というレベルほど人間DNAに深く根ざしたものだと考えています。それ故、何もしなくても基本は備わっていると考えています。だから、たかが1年間、『学び合い』を経験したからと言って、劇的に変化するわけではありません。そういうと、質問された方は、残念そうな顔になっていました。たしかに気持ちは分かります。そこで、続けて説明しました。しかし、そうだとしても『学び合い』を導入すれば、その子の一生の間に1年間、ホッと出来る時間を保証できます。これは凄いことです。また、『学び合い』は学習で成長できないほど人間の基本的能力だと考えると、逆に言えば、それまで、ずっと『学び合い』を許されていない学校教育を受けた子どもでも、教師がそれを許せば、直ぐに『学び合い』ます。従って、そういう意味では希望は持てます。

 さて、上記の質問の方は、「説明の仕方・聞き方」の能力が向上するかというレベルの質問だったので、上記のように応えました。多くのグループ学習では、そのような能力は教えなければならないと考えています。その考えに染まった方だと、上記のような質問をされるのは当然です。それ故、私は「ありません」と応えました。しかし、本当はあります。

 人とのコミュニケーション能力DNAの中に組み込まれたものです。しかし、コミュニケーションの対象とするのは誰かということは、教育の賜です。動物で言えば、自分の群れの仲間は誰かという認識です。例えば、我々の多くは日本人オリンピック表彰台に登れば、嬉しくなります。これは日本人という認識があるからです。逆に、アジアの人が表彰台に登っても、特段の感慨はないのは、アジア人という認識がないからです。そして、幕藩体制の時代以前では、一般庶民が日本人という認識を持っていたか、はなはだ疑問です。日本人という認識は、教育の賜です。

 クラスにおいて、クラスメートという意識がどれほどあるでしょうか?たしかに同じ部屋で勉強しています。しかし、勉強で班を構成させれば、特定の狭いグループが形成されていて、それは、休み時間のグループと同一です。そして、グループ間の交流は少ない(いや皆無)。そんなクラスが多いのではないでしょうか?『学び合い』は「クラス」という認識を持たせます。『「忙しい!」を誰も言わない学校』で紹介した異学年交流をすれば「学校」という認識が生まれます。「クラス」、「学校」という認識は、たかが運動会遠足などのイベント的なもので育つわけではありません。日々の教科学習の中でこそ育ちます。

 以上のことを、私は身をもって感じています。以前のメモの書いたように私は、小学校中学校で友達はいませんでした。いじめられた記憶はありませんが、私はみんなになじまず、みんなも私になじみませんでした。学級委員には選ばれることはありますが、だからといって、遊びの輪の中に誘われることはありませんでした。高校で一人の友人を得ました。そして、大学で数人の友人を得ました。そんな私です。

 学校において議論をすると、私をサポートする意見は出ません。他の子の場合は、誰かが「私もそう思う」という助け船を出してくれますが、私にはありません。それ故、私一人が議論を展開し続けることになります。おかげで、議論には強くなりした。が、議論において、他者は反対者と中立者であるという前提が刷り込まれています。学内政治において、私は性悪説立場で出発します。これは、ボスのT先生や、同僚となったKさんと議論すると、嫌と言うほど感じます。お二人は、「そんなに心配しなくても、大丈夫、良い結果になるよ」と言います。ところが私は、「こういう攻撃もあり得る。こういうふうに決まったら・・」と主張します。話し合いながら、だんだん、自分が偏狭で腹黒い人間だと自己嫌悪します。残念ながら、学校教育の大多数で経験したものに根ざしているので、変えようがありません。もし、私が『学び合い』の教育に恵まれていたら、人付き合いに関して壊滅的に障害を持つ私でも、T先生やKさんのような前提で考えられたのだと思います。

 多くの教師が考える面では、『学び合い』は、その人の本質を変えることは出来ません。しかし、多くの教師が軽く見ている面では、『学び合い』は、その人の本質を変えることが出来ます。

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 エンロンは良かった。非常に面白い構成の映画です。企業事件の当事者インタビューと記録映像で、人間エゴを表しています。お勧めです。

 エラゴンは、映像キレイだったので最後まで見ました。が、笑っちゃうほど、他の映画の「パクリ」が多かった。まるでパロディです。どこが悪いというのではないのですが、水戸黄門のように最後まで予想でき、そして、予想が外れないという映画です。ふ~