西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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06/11/29(水)

[]怒(その1) 17:24 怒(その1) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怒(その1) - 西川純のメモ 怒(その1) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は、頭に来るニュースがありました。報道によれば、政府教育再生会議は、いじめを苦にした児童・生徒の自殺が相次ぐ事態を憂慮し、再発防止のための緊急提言の取りまとめに向けて調整に入ったそうです。提言によればいじめをした児童・生徒を出席停止とするあります。怒ると同時に、力が抜ける脱力感を感じます。

 蟻を観察すると真面目に働いている蟻がいる一方、遊んでいる蟻もいます。その割合は一定です。そこで、真面目に働いている蟻を集めると、前と同じ割合で遊ぶ蟻が生じます。逆に、遊んでいる蟻を集めると、前と同じ割合で真面目に働く蟻が生じます。つまり、我々は「真面目な蟻」、「遊ぶ蟻」がいるように考えてしまいますが、そのような個(蟻)特性はなく、あくまでも集団の構造の中で両者が生じます。

 私自身も同じような実験をしました。理科実験での子どもを観察すると真面目に実験している子どもがいる一方、遊んでいる子どももいます。その割合は一定です。そこで、真面目に実験している子どもを集めると、前と同じ割合で遊ぶ子どもが生じます。逆に、遊んでいる子どもを集めると、前と同じ割合で真面目に実験する子どもが生じます。つまり、我々は「真面目な子ども」、「遊ぶ子ども」がいるように考えてしまいますが、そのような個人特性はなく、あくまでも集団の構造の中で両者が生じます。だから、集団の構造を変えずに、集団の構成を変えても意味がありません。

 我々はどうやって解決したか、実に単純なことです。「みんな実験せよ」ということを求めたのです。いや正確に言えば、「みんな実験して欲しい」と教師が望んだのです。それだけでみんな実験するようになりました。その詳細は、「学び合いの仕組みと不思議」(東洋出版社)に書きましたし、その学術データは教科教育学会と臨床教科教育学会に発表しました。

 どうも教育再生会議は、「いじめる子」、「いじめられる子」という個人特性があると仮定しているようです。ところが、実際は、そんなのありません。いじめが生じる構造があるのです。だから、「いじめる子」を出席停止にしても、構造が同じであれば、残った子の中に別のいじめる子が生じるはずです。本当の解決策は、いじめ原因となる教師の中にある心を変えねばなりません。

 私はいじめ原因は、教師が「みんな」という意識の欠如だと思います。もう少し説明すれば、以前のメモに書いたように、協同的ではなく競争的な環境子どもを置くからです。全員の多様性を認めず、成績という一つの基準で序列化し、あたかも、それが人間の価値に関係すると考える心がいじめを生みます。例えば、「かけっこ」で全員で手を繋いでゴールするという配慮などは典型です。何故、全員で手を繋いでゴールする必要があるのでしょうか?早い子がいたって、遅い子がいたって、いいじゃないですか。我々の顔にあるホクロの数は違います。それだから、子どもの顔に墨の点を書いて、「みんな同じ数にしよう」なんていう教師はいないでしょう。でも、ゴールを一緒にするという教師は、心の中に「早い子は偉い、遅い子は駄目」と暗黙にあります。その心があるので、それを打ち消すために、手を繋いでゴールする配慮をします。そんな配慮をしたとしても、子どもは早い子はだれで、遅い子は誰であるかを知っています。教師が偉い/駄目と心にあれば、それは子どもに伝染します。

 みんなは違っていい。そして、一人一人が違ったスタート点と到達点がある。ただ、その方向はみんな一緒。みんなで、いっしょに頑張ろう。そんなことを本気で教師が信じられれば、イジメはなくなります。そして、それを信じ、子どもに語ることが教師の仕事であると我々は信じています。

[]怒(その2) 17:24 怒(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怒(その2) - 西川純のメモ 怒(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 ある同志から、ある新聞記事を教えてもらいました。某大学研究チームが三千人以上の子どもを対象にアンケート調査と試験を行い、学校の授業方法、学級規模、家庭環境等と学力関係を調査しました。その結果、「早食いは、肥満になりやすい」という馬鹿馬鹿しいほど当たり前の結果を明らかにしました。そのような結果の中で目を引く結果がありました。それは、中学校の調査結果によれば、教師と生徒間で「質疑応答のある授業」、「プリントドリルを使った授業」を受けている生徒の学力は高く、「話し合う授業」は学力にはマイナスである、との結果です。これまた、怒ると同時に力が抜けます。私は、この種のアンケート調査で、最も多くの学術論文を書いた一人だと思います。それ故、この種の調査の限界がよく分かります。でも、わからん素人が読むと誤解するな~、と思います。

 調査には「精密」と「正確」という二つの指標があります。精密とは、測定値分布の分散が小さいことをいいます。平たい言葉で言えば、何度やっても似たような結果を得られるということです。もう一方の、正確とは、測定値の平均値が真の値に近いことをいいます。平たい言葉で言えば、正しい結果ということです。授業に対する興味関心を測定する例で説明してみましょう。

 授業に対する興味関心は極めて総合的なものです。それらをズバッと測定する方法なんてありません。そこで、教師が一人一人の子どもを観察し、1~10の値で評価します。でも、この種の評価にはばらつきが生じます。つまり、前に見た子どもが、もの凄く興味関心が高いと、次の子の評価は厳しくなるかもしれません。また、評価者の体調によっても違います。結果として、同じ子どもを写したビデオ画像を評価しても、その値は、ある程度バラバラになります。しかし、多くのデータの平均を取れば、我々の直感としている興味関心に近いものが出ます。なんとなれば、我々の直感を使って評価しているのですから。この場合は、正確だが精密でない測定です。

 しかし、別な方法で評価したとしましょう。授業中に頭をかいた回数で興味関心を測定したとしましょう。この場合は、同じ子どもを別な人が評価しても、結果は同じになります。従って、精密です。ところが頭の書いた回数で興味関心を測定できないのは当然です。従って、正確ではないわけです。

 数千人のアンケート調査は、精密さを高めることは出来ますが、正確さは低下します。例えば、「話し合う授業」って、どんな授業なんでしょうか?我々のような授業もあり得るでしょう。一方、「は~い」と挙手をして、教師が一人一人を当てて発言させるような授業もあるでしょう。以前のメモで紹介したように、教師自身は学び合わせていると思っているが、実は、教師が学び合いを阻害している授業もあります。実は、「話し合わせる」という状況がいかなるものなのかが不明確なんです。本当に正確に分からせるためには、長々と説明しなければなりません。アンケート調査の場合は、長い説明によって状況を正確に伝えなければなりません。ところが、そうなるとアンケート調査の調査用紙が長くなります。調査用紙が長くなると、よほどの責務がある人以外は、いい加減に回答します。そのため、アンケート調査では極めて短い単語で表現することになります。その結果、その回答の意味するものが曖昧になり、不正確になります。平均値の分布の分散は測定数の平方根に比例して精密になります(統計学上、そうなっているんです)。 従って、三千人のアンケートはかなり精密な結果を出すことは出来ます。でも、正確さは別なんです。

 実際のクラスでの姿を参照していないアンケート調査というのは、意味無いんです。でも、一つ意味があります。重回帰分析とか、バリマックス回転とか、林の数量化理論の第三類とか、で飾り立てると、学術論文っぽくなります。そして、事実、その種の研究は学術論文に掲載されやすいんです。学者社会で生き抜くには、論文の数は必要です。つまり、実際のクラスでの姿を参照していないアンケート調査というのは、学者学者社会で生き抜くためには必要なんです。そのことの意味を十分分かっており、それの利点を最大限生かしたものの一人が私なんですから・・・ 。だから馬鹿馬鹿しさも人一倍分かります。

 現場先生へ。学者アンケートに騙されちゃいけませんよ。