西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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06/11/30(木)

[]怒(その3) 17:23 怒(その3) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怒(その3) - 西川純のメモ 怒(その3) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 最近校長に会うと、等しく「大変だ~」と言います。お上からのイジメ対策に追われています。でも、その対策って意味あるでしょうか?例えば、イジメアンケートなんて、殆ど意味ないと思っています。

 例えば、「あなたのクラスイジメはあるでしょうか?」とアンケートします。たしかに、それで発見する場合もあるでしょう。でも、「イジメはありません」と子どもたちが回答したら、安心していいのでしょうか?先のメモと同じで、子どもたちの中にある「イジメ」の定義は何でしょうか?もし、「自殺者が生じる段階」というレベルだったら、大抵のクラスは「問題なし」という結果になってしまいます。

 もし、教師がきめ細かにクラスの実態を知ろうとして一人ひとりに聞き取り調査をしたらどうでしょうか?アンケートよりはかなり的確に把握することは可能です。でも、私は薦めません。だって、イジメる子が誰で、どんなことをしているか、を知ってしまえば、その子を「悪い子」と思うし、嫌いなるのが人情です。イジメ問題は構造的なものであることを知っている私だって、そう思います。そんな気持ちであることは、子どもにすぐに分かります。そんな人の言葉に耳を傾けるでしょうか?クラスの問題を解決できるのは子どもたちです。教師が出来るのは、子どもたちに目標を与え、解決できる場を提供することです。細かなことを知っていいことなんて余りありません。

 さらに、アンケートをした後の処理です。イジメがあることが分かったら、どのような処理をするのでしょうか。全校集会で「イジメはやめよう」と校長が語るべきなのでしょうか?まあ、それぐらい程度のこと以上は考えていないようです。でも、イジメが悪いことは子どもだって分かっています。その子に「イジメはやめよう」と 言うことの効果は、タバコを吸っている人に「タバコ健康に悪いから、やめよう」と言うこと以上の効果はないと思います。タバコを吸っている人は、そんなことは十分分かって吸っているんですから。

 では、どうするか。実は、そのクラスイジメがあろうと、なかろうと、同じ対応をすべきなんです。それは、学校とは何を学び取るところかをはっきりと語り、その自分が語ったことと矛盾のない教科指導をすればいいんです。

 私は力がないから、それを広く伝えられない。自分に「怒」。

[]怒(その4) 17:23 怒(その4) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怒(その4) - 西川純のメモ 怒(その4) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日テレビによれば、私が危惧した「加害者の出席停止」は見送られたようです。でも、ビックリしたのは、その案を最初に提案し、主張した人に、自身が不良だった経験を持つ教師がいたということです。朝のテレビで、その方は、影響力の強い子どもの場合、その子がいる状態では指導できない、ということを言っていました。最底辺の学校で教えた経験から言えば、すごく納得できます。同時に、自身が、そのような影響力のある「不良」であるご自身の省みての発言だと思います。でも、私の経験から言えば、どんな不良も子どもです。いや、正確に言えば全員ではないかもしれません。でも、圧倒的大多数は、さびしがり屋で甘えん坊の子どもです。ただ、虚勢の衣をまとっているだけのことです。

 もし、懲戒としての出席停止が有効だったとします。では、どの段階から出席停止になるのでしょうか?イジメ自殺者が出てからでは遅いですよね。でも、「お前なんか嫌いだ~」と一言言ったとたんに、出席停止になったら、クラス全員が出席停止になってしまう。 馬鹿馬鹿しい。{影響力のある子どももいる状態で指導しなければならない」という前提で議論しなければ、上記のような矛盾がすぐに生じてしまう。どうも、このことは雲上人の会議では気づいていないように思います。もちろん、興奮した状態の子ども隔離しなければならないことは、よく分かります。でも、それは一時的なものであり、それは現行制度の枠内でも可能です。現行でも可能なのに、ことさら出席停止が提言されたら、どんどん暴走してしまいそうで恐ろしい。

 私の勤めた高校でも、職員室謹慎というのがありました。職員室の横の部屋で反省文を書かせるんです。空き時間の先生が、お茶を飲みながら、その子を「見張って(笑)」います。私は、「お前のせいで、休めなくなっただろう~。困っちゃうんだよな~」と笑いながら言い、世間話をします。その中で、ちょっとづつ説教をかませます。おそらく、次の時間の先生も、その次の時間の先生も同じような対応をしたと思います。それが数日続くんです。職員集団がまとまっていれば、そんな対応は十分可能です。そんな対応で、大多数の緊急避難的な隔離は可能です。でも、本質的な解決方法は、先のメモに書いたように、その子を含めた全員の前で、学校教育は何のためにあるかをちゃんと語ることだと思います。

追伸 言うまでもなく、上記は教育レベルの話です。犯罪レベルになったら、それは学校教育の管轄ではありません。司法担当すべきものです。その場合の、少年院等への送致は当然あるべきと考えています。 もし、犯罪レベルのことを学校教育が管轄したら、出来ることは「隠す」ことぐらいです。ただし、司法の管轄から、学校の管轄に移行したら、速やかに受け入れられる集団を作って待っているのは学校の責務です。

 以前のメモに書いたように、厳しい罰に教育意味はあるとは思えません。罰が有効なのは、罰を与える側が罰を受ける側と同じように痛みを感じる場合です。そして、罰を受ける側が、罰を与える側に繋がりたいと願う場合です。そして、そのような関係があれば、 厳しい罰は必要はなく、儀礼的な罰で十分です。そうでない場合は、教育的配慮としての罰ではなく、社会的制裁としての罰に過ぎません。どんなに、教育的配慮の衣をまとっても。

 社会的制裁としての罰だったら、学校にやらせるのではなく、少年法等を改訂して司法に任せるべきです。私は社会的制裁の意義はあると思いますし、それは未成年でも同じです。ただ、担当する司(つかさ)が違うと思います。

役人 17:23 お役人 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - お役人 - 西川純のメモ お役人 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は、大学の陳情のために、文部科学省に行きました。お二方が対応していただきました。私も青臭い説明をいたしました。文部科学省で「お役人」と話すと、いつも思うのは、「偉いな~」と思います。なんというか、「おとな」と感じます。彼らの指摘は、実に「まとも」です。「え!?」という新規性より、「なるほど、そうだよな~」と思います。これは本学の事務の人にも感じますけど、教育に関して意義を感じている、教師以外の一般人の考えというのは、大体、妥当です。本省の役人となると、その常識の上に、蓄積された知識が裏打ちされている。はっきりいって、大好きです。考えてみれば、私が大学院でほれ込んで、なんどもたのみこんで指導を受けた指導教官は、文部省役人でした。

 でも、謎です。指導教官小林先生から教えてもらいました。本省の役人は、プライベートが無く、滅私奉公です。いい人が、滅私奉公でやっているのが文部科学省役人の実態です。でも、なんで、イジメ対策で、あの程度の結果しかしないでしょう。先輩教員から教えてもらいました。なっとくしました。組織というのは難しいことです・・・

追伸 国から、県、市、学校にながれるごとに、「偉いな~」というこ感じが薄れ、「しょうがないな~」の割合が多くなる。これも、しょうがいない・・・

06/11/29(水)

[]怒(その1) 17:24 怒(その1) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怒(その1) - 西川純のメモ 怒(その1) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は、頭に来るニュースがありました。報道によれば、政府教育再生会議は、いじめを苦にした児童・生徒の自殺が相次ぐ事態を憂慮し、再発防止のための緊急提言の取りまとめに向けて調整に入ったそうです。提言によればいじめをした児童・生徒を出席停止とするあります。怒ると同時に、力が抜ける脱力感を感じます。

 蟻を観察すると真面目に働いている蟻がいる一方、遊んでいる蟻もいます。その割合は一定です。そこで、真面目に働いている蟻を集めると、前と同じ割合で遊ぶ蟻が生じます。逆に、遊んでいる蟻を集めると、前と同じ割合で真面目に働く蟻が生じます。つまり、我々は「真面目な蟻」、「遊ぶ蟻」がいるように考えてしまいますが、そのような個(蟻)特性はなく、あくまでも集団の構造の中で両者が生じます。

 私自身も同じような実験をしました。理科実験での子どもを観察すると真面目に実験している子どもがいる一方、遊んでいる子どももいます。その割合は一定です。そこで、真面目に実験している子どもを集めると、前と同じ割合で遊ぶ子どもが生じます。逆に、遊んでいる子どもを集めると、前と同じ割合で真面目に実験する子どもが生じます。つまり、我々は「真面目な子ども」、「遊ぶ子ども」がいるように考えてしまいますが、そのような個人特性はなく、あくまでも集団の構造の中で両者が生じます。だから、集団の構造を変えずに、集団の構成を変えても意味がありません。

 我々はどうやって解決したか、実に単純なことです。「みんな実験せよ」ということを求めたのです。いや正確に言えば、「みんな実験して欲しい」と教師が望んだのです。それだけでみんな実験するようになりました。その詳細は、「学び合いの仕組みと不思議」(東洋出版社)に書きましたし、その学術データは教科教育学会と臨床教科教育学会に発表しました。

 どうも教育再生会議は、「いじめる子」、「いじめられる子」という個人特性があると仮定しているようです。ところが、実際は、そんなのありません。いじめが生じる構造があるのです。だから、「いじめる子」を出席停止にしても、構造が同じであれば、残った子の中に別のいじめる子が生じるはずです。本当の解決策は、いじめ原因となる教師の中にある心を変えねばなりません。

 私はいじめ原因は、教師が「みんな」という意識の欠如だと思います。もう少し説明すれば、以前のメモに書いたように、協同的ではなく競争的な環境子どもを置くからです。全員の多様性を認めず、成績という一つの基準で序列化し、あたかも、それが人間の価値に関係すると考える心がいじめを生みます。例えば、「かけっこ」で全員で手を繋いでゴールするという配慮などは典型です。何故、全員で手を繋いでゴールする必要があるのでしょうか?早い子がいたって、遅い子がいたって、いいじゃないですか。我々の顔にあるホクロの数は違います。それだから、子どもの顔に墨の点を書いて、「みんな同じ数にしよう」なんていう教師はいないでしょう。でも、ゴールを一緒にするという教師は、心の中に「早い子は偉い、遅い子は駄目」と暗黙にあります。その心があるので、それを打ち消すために、手を繋いでゴールする配慮をします。そんな配慮をしたとしても、子どもは早い子はだれで、遅い子は誰であるかを知っています。教師が偉い/駄目と心にあれば、それは子どもに伝染します。

 みんなは違っていい。そして、一人一人が違ったスタート点と到達点がある。ただ、その方向はみんな一緒。みんなで、いっしょに頑張ろう。そんなことを本気で教師が信じられれば、イジメはなくなります。そして、それを信じ、子どもに語ることが教師の仕事であると我々は信じています。

[]怒(その2) 17:24 怒(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怒(その2) - 西川純のメモ 怒(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 ある同志から、ある新聞記事を教えてもらいました。某大学研究チームが三千人以上の子どもを対象にアンケート調査と試験を行い、学校の授業方法、学級規模、家庭環境等と学力関係を調査しました。その結果、「早食いは、肥満になりやすい」という馬鹿馬鹿しいほど当たり前の結果を明らかにしました。そのような結果の中で目を引く結果がありました。それは、中学校の調査結果によれば、教師と生徒間で「質疑応答のある授業」、「プリントドリルを使った授業」を受けている生徒の学力は高く、「話し合う授業」は学力にはマイナスである、との結果です。これまた、怒ると同時に力が抜けます。私は、この種のアンケート調査で、最も多くの学術論文を書いた一人だと思います。それ故、この種の調査の限界がよく分かります。でも、わからん素人が読むと誤解するな~、と思います。

 調査には「精密」と「正確」という二つの指標があります。精密とは、測定値分布の分散が小さいことをいいます。平たい言葉で言えば、何度やっても似たような結果を得られるということです。もう一方の、正確とは、測定値の平均値が真の値に近いことをいいます。平たい言葉で言えば、正しい結果ということです。授業に対する興味関心を測定する例で説明してみましょう。

 授業に対する興味関心は極めて総合的なものです。それらをズバッと測定する方法なんてありません。そこで、教師が一人一人の子どもを観察し、1~10の値で評価します。でも、この種の評価にはばらつきが生じます。つまり、前に見た子どもが、もの凄く興味関心が高いと、次の子の評価は厳しくなるかもしれません。また、評価者の体調によっても違います。結果として、同じ子どもを写したビデオ画像を評価しても、その値は、ある程度バラバラになります。しかし、多くのデータの平均を取れば、我々の直感としている興味関心に近いものが出ます。なんとなれば、我々の直感を使って評価しているのですから。この場合は、正確だが精密でない測定です。

 しかし、別な方法で評価したとしましょう。授業中に頭をかいた回数で興味関心を測定したとしましょう。この場合は、同じ子どもを別な人が評価しても、結果は同じになります。従って、精密です。ところが頭の書いた回数で興味関心を測定できないのは当然です。従って、正確ではないわけです。

 数千人のアンケート調査は、精密さを高めることは出来ますが、正確さは低下します。例えば、「話し合う授業」って、どんな授業なんでしょうか?我々のような授業もあり得るでしょう。一方、「は~い」と挙手をして、教師が一人一人を当てて発言させるような授業もあるでしょう。以前のメモで紹介したように、教師自身は学び合わせていると思っているが、実は、教師が学び合いを阻害している授業もあります。実は、「話し合わせる」という状況がいかなるものなのかが不明確なんです。本当に正確に分からせるためには、長々と説明しなければなりません。アンケート調査の場合は、長い説明によって状況を正確に伝えなければなりません。ところが、そうなるとアンケート調査の調査用紙が長くなります。調査用紙が長くなると、よほどの責務がある人以外は、いい加減に回答します。そのため、アンケート調査では極めて短い単語で表現することになります。その結果、その回答の意味するものが曖昧になり、不正確になります。平均値の分布の分散は測定数の平方根に比例して精密になります(統計学上、そうなっているんです)。 従って、三千人のアンケートはかなり精密な結果を出すことは出来ます。でも、正確さは別なんです。

 実際のクラスでの姿を参照していないアンケート調査というのは、意味無いんです。でも、一つ意味があります。重回帰分析とか、バリマックス回転とか、林の数量化理論の第三類とか、で飾り立てると、学術論文っぽくなります。そして、事実、その種の研究は学術論文に掲載されやすいんです。学者社会で生き抜くには、論文の数は必要です。つまり、実際のクラスでの姿を参照していないアンケート調査というのは、学者学者社会で生き抜くためには必要なんです。そのことの意味を十分分かっており、それの利点を最大限生かしたものの一人が私なんですから・・・ 。だから馬鹿馬鹿しさも人一倍分かります。

 現場先生へ。学者アンケートに騙されちゃいけませんよ。

06/11/28(火)

[]予防接種 17:27 予防接種 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 予防接種 - 西川純のメモ 予防接種 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 今から14年前にインフルエンザにかかり、えらい苦労をしました。ほぼ1ヶ月間臥せっていました。子どもが生まれてから、子どもインフルエンザ予防接種と同時に、私と家内も接種しています。おかげで、安心して流行期間を過ごすことが出来ます。

 昨日は、その予防接種の日です。朝から「今日は、調子が悪いから~、注射はやめようか」などと言い出します。しかし、体温は平熱で、食欲旺盛なので、無視、です。待合室では、むさぼるように本を読んでいます。診察室からよばれて息子をつれていきます。素直に移動したのですが、お医者さんを見たとたんに激変です。「いや~」と泣き叫びます。「先生嫌い~、お母さん嫌い~」と泣き叫びます。その顔は、赤ちゃんの時の顔です。それが、とっても可愛かったので、「ビデオを持ってくれば良かった」とぼそっと言ったら、家内およびお医者様・看護婦さんに呆れられました。暴れる息子の体を私が押さえつけ、注射針をはねのけようとする右手を家内が押さえ、看護婦さんが左手を押さえて、お医者様が左手注射します。「いたい~」と大声を上げる息子に対して、「まだ、注射していない」というお医者様の絶妙な間は、洗練された漫才のようです。その後、ひときわ大きい、息子の鳴き声が響き渡り、予防注射は終了です。

 注射後、泣き叫ぶ息子を別室に家内が連れて行った後、私の注射です。さすが小児科の看護婦さんです。私に、「痛くないですからね~」と猫なで声で声をかけます。馬鹿馬鹿しかったので、「先生嫌い~、とでも泣きましょうかね?」と私が言うと、看護婦さんは爆笑です。すると「お父さんでも泣く人がいるんですよ」とお医者様がぼそっと言います。え!っと思って、「本当ですか?」と私が聞くと、また、絶妙な間で「嘘です」とお医者様。今度は私が爆笑しました。

 子育てでは、予防注射楽しい思い出になります。

[]一人っ子 17:27 一人っ子 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一人っ子 - 西川純のメモ 一人っ子 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 学び合いでは、大多数の子どもは直ぐに学び合いの輪に入ります。と、こ、ろ、が。そうでない子もごく少数います。他の子どもがワイワイと楽しく学んでいるのに、その輪に入らないのは、実に異様です。以前のメモ(「悪気無い配慮」)に書いたように、多くの教師は自分の力で何とかします。ところが我々はそうしません。

 我々も凄く気にします。でも、安易に自分で何とかしようとはしません。その子と、周りの子どもの平常はどうなのか気にします。遊び時間は、その子と周りの子どもはどういう関係かを観察します。また、周りの子どもが、ひとりぼっちの子どもをどのように捉えているかを気にします。例えば、それとなく「いっしょにやろうよ」と誘っているか、否かを気にします。もし、誘っていて、それで、その子が拒否しているなら、それでいいんです。それは、その子にとって、一人でいることがいいんだと選択しているんですから。そう分かっていても、いっしょになりたいな、と子ども集団が考えている限り健全です。そして、待ちます。

 我々は「正解」は教師が出せるとは思っていません。それが、我々の考え方です。正解を出せるとしたら、それは本人だし、周りの子どもです。我々は、正解を教えるのではなく、正解を出したいと本人、そして周りの子どもが考えるようにすることが教師の仕事と考えます。

 我が同志のSさんの授業にもそのような子どもがいます。その子も含めて、Sさんの子ども達は最大限の達成度を実現しています。でも、教師の性です。一人っ子が気になります。私も気になっていました。本日、Sさんのから以下のメールを頂きました。

 『今日は感激した一日でした。と,言うのは,先生もご存じの「一人で学習していた子」です。なんと,いよいよ周りの子供たちが動きました。感動感謝と感激でした。みていたら,思わずジーンとなってしまいました。不覚にも。でも,やっと周りの子が意識したこと,そして何よりも「一人の子」がうっすら微笑んで(そう見えたのですが)学習していたこと,教師っていいなあ。「学び合い」っていいなあとつくずく子供に教えてもらいました。』

 その子にとって、一人っ子は、自分で選択した、その子にとって最善の学習方法です。でも、本日、その子は別な学習方法が有効であると、自らの選択で気づきました。その選択を子どもたちは喜び、教師は喜びます。「悪気無い配慮」をする教師と大きな違いです。そして、それを教えてもらった私は以下の返信をしました。ボロボロと涙を流しながら。答えは教師は出せません。出せるのは当人、そして、周りの子ども達です。教師が出来ることは、答えを教えることではなく、当人、そして周りの子どもが答えを出したいと思わせることです。でも、それは凄いことです。

ありがとうございます。

あなたも、そうですけど、

わたしも、人の幸せを喜んでいます。

なんと、安上がりな、そして、最上幸せなんでしょう。

人が喜んでいることを、喜べるなんて。

一人っ子」の喜び、周りの子の喜び、それを喜ぶあなたの喜び、

それを喜べる私の喜び。

ありがとうございました。』

追伸 Sさんの授業を1月中に公開予定です。希望する方は、私にメールしてください。詳しい日時をお教えします。一人でも、Sさんの喜び、私の感激を感じて欲しいと願います。Sさんの授業は学びの殿堂に公開中です。

06/11/27(月)

[]新たな伝統 17:38 新たな伝統 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新たな伝統 - 西川純のメモ 新たな伝統 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 控え室の横のお茶研でコーヒーを飲もうとしたら、4年生が院生さんと議論していました。自分自身のプレゼンの内容検討です。さんざんからかいました、が、レベルは高いものです。十分に学会発表に耐える内容です。ふと思いました。彼らは、何故、臨床教科教育学会だけに発表して、教科教育学会で発表しないのだろう・・・・。答えは、発表申し込みをしなかっただけのことです。と、い、う、ことは、事前に発表申し込みするだけのことです。

 今年の3年「も」優秀な集団です。その彼らが、今年度の2月から1ヶ月以上現場に入って、研究する機会を得ることが出来ました。学校全体で受け入れて頂けることになり、感謝感激、雨あられです。優秀な彼らが、現場データを得て、教員採用試験が終わってから分析に集中出来るのですから、万に一つも間違いはありません。

 ということを言ったら、3年の一人が「そうか~、それなら出来る」と言いました。また、某大学では学部生が夏休み学会発表していることを教えたら、「負けたくないですね」と言いました。第一、「学会発表よりゼミ発表の方が厳しい」は歴代のOBが等しく言うことです。それを既に彼らはこなしています。

 全国の皆さんに、我が3年生5人の研究テーマを、ここに公開します。

学習者は、学び合いを最適な学習方法と考えているか?

○学時における集団形成の要因について-授業時間と自由時間、教科間の比較を通して-

子どもたちがつくる「道徳の時間」

学び合いにおける子ども情報源に関する研究

○授業以外の時間に見られる「学び合いの授業の影響」についての研究給食掃除の時間に着目して-

 ね、面白そうでしょ!

06/11/26(日)

[]一本 17:39 一本 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一本 - 西川純のメモ 一本 - 西川純のメモ のブックマークコメント


同志のお一人が「なんで?」に関連した以下の記事をHPにアップしました。読んで、笑い転げ、「一本!」と思いました。私は背負い投げで、たたきつけられました!

 『幼稚園児が父親に「長野県はなんで日本にあるの?」「大韓民国はなんで、日本の隣にあるの?」と質問した際、なんと答えられるか?という話です。

 この問題を「情報の3階層」(専門家-半専門家素人)で考えると幼稚園児は素人ということになり、専門家は答えられないという理屈が成立します。

 しかし、こんな見方はできないでしょうか?

 質問した幼稚園児は、父親が知り得ない情報を知り、質問した。こうなると、先の専門家素人の構図が逆転します。つまり、一般的に専門家とされる人物には気付かないようなことに幼稚園児が気付いている。この方が、ロマンがあるように思います。

 小学生を相手にするする中で、「コイツ、絶対に俺を越えている。」と思うことがあります。だから、答えられない質問をされたら、その意図をドキドキしながら質問するんです。目から鱗の答えが返ってくるかもしれません。小学校の教師の醍醐味はそこにあるのかもしれません。』

追伸 自分の愚かさを教えてもらい、それが楽しい!これは、教える教育では絶対に得られない喜びです!教えるのではなく、求め、厳しく評価する教育醍醐味です!

追伸2 言うまでもないですが、このように自分の愚かさを指摘されることを可視化することが、我々の自慢の一つの作法です

06/11/25(土)

[]なんで? 17:41 なんで? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - なんで? - 西川純のメモ なんで? - 西川純のメモ のブックマークコメント


 我々の考え方の出発点は、認知心理学です。そこで学んだことは、分かった人は、分からない人を教えられない、という多くの教師が分かっていないことです。このことは子育てした親なら分かるはずなんですが、な、ぜ、か、多くの教師は分かっていません。

 息子から、毎日、「おとうさん、なんで~○○なの?」という質問を受けます。大抵の質問には、それなりに答えられますが、答えられない質問があります。その質問の代表的なものに、お風呂に一緒に入っているとき、お風呂場に貼った地図を見ながら息子から聞かれます。その質問とは、「なんで、だいかんみんこくは、にほんのとなりにあるの?」という質問です。また、「ながのけんは、なんで~、にほんにあるの?」です。この質問にどう答えたらいいのでしょうか?考えてみても「そうなんだから、そうなんだ」とか「神様が決めたんだ」とかいう答えしか言えません。

 本日大学院の入学試験です。ということで朝から夕方まで出勤です。本学には、日本地理教育に関しても、最も信頼できる方が同僚にいます。その方に、上記の質問をしました。その結果、「大韓民国の隣に日本があるからだ」、「外国長野県があったら、長野という名前にはならない」という答えでした。承って、「なるほどな~」と思いました。でも、息子は納得しないだろうな、ということは分かります。

 前のメモに書いたことです。「首都とは何?」と聞かれたとき、どのように説明するべきでしょうか?ちなみにgoo辞書によれば「一国の中央政府のある都市」とありました。ヤフー辞書では「その国の中央政府のある都市」です。エキサイト辞書では「一国の中央政府のある都市」とほぼ同じです。では、エキサイト辞書で「中央政府」を引くと、「国家行政の中心機関。内閣の行政官庁や、連邦制国家における連邦政府をさす。」とあり、謎が謎を呼びます。こんな説明では駄目です。

 息子は「国の大事な話をするところ」と私に教えてくれました。私にはgoo辞書より、息子の説明の方が素晴らしいと思います。

もし、幼稚園年長の息子と、小学校1年、2年、3年の子ども達を集めて、「何で、大韓民国は、日本の隣にあるの?」、「長野県は、何で~、日本にあるの?」上記の質問をしたら、どんな説明を小学生のお兄ちゃん・お姉ちゃんはするのでしょうか?ワクワクするほど面白い!教育博士の学位を持ち、学会から学会賞をいただいた私も分からず、教育行政の中枢にいた同僚も説明できないことを、子ども達がどんなふうに説明できるでしょうか?

[]年期のある自慢 17:41 年期のある自慢 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 年期のある自慢 - 西川純のメモ 年期のある自慢 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 我々は自分が何にもしないのに、学習者が全てをすることを自慢します。多くの教師が、自分のやったことを自慢するのと大きな違いです(研究授業などでよく見受けられます)。この 種の自慢を私が本に書いた最も古いのは、「学び合う教室」(東洋出版社)の補遺「事件」です。平成11年の前期の出来事です。我が同志がHPで以下を書いていました。これを自慢として、ここにメモります。あ~、教師冥利だ。

本日職朝で打ち合わせが長引いた。

HRのため、教室へ向かったのはSHRチャイムが鳴った後だった。

廊下を歩いているとうちのクラスの生徒が逆方向に歩いてくる。

トイレに行くんだな?と思って

「始まるよ~。」と言うと

「もう終わりましたよ。」と返された。

ええっ!?

HRは週番がチャイムと同時に初め、連絡もなかったんだろう、

さっさと終わっていた。

さすが我がクラス。教師の到着なんて待っていない。

ちょうど扁桃腺が腫れて、声を出したくない日だったから好都合。

10年前の私だったら「なにぃ!」と思って、

トイレに行った生徒を呼び返して、また私が仕切ったんだろうけど、

今の私は「そうかぁ。」と思って自慢にしています。

(実際は10年前だったら勝手に初めて勝手に終わることは無かったろうけど。)

先生ゼミに遅れていっても、とっくに始まっているというのを

誇らしげにメモしている気持ちがわかりました。

また、ちょっと寂しく思っている気持ちもわかりました。』

追伸 平成11年の時は、このようなことにどんな意味があるかなんて、その場では分かりませんでした。その時は、体中の血の気が引きました。それから7年たち、我々も進歩しました。

06/11/23(木)

[]頭隠して 17:44 頭隠して - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 頭隠して - 西川純のメモ 頭隠して - 西川純のメモ のブックマークコメント


 食事の後、息子と一緒に歯を磨きます。それが終わってから台所を通って居間に行きます。台所は、家内が食事の片付けをしています。毎回のことですが、歯磨きを終わった後、息子は私のジャージ(部屋着)の中に隠れようとします。私のジャージの中に隠れている息子をだっこして、台所を通ります。もちろん、私の腹は「赤ずきんちゃん」のオオカミのように大きくなっています。なにより、はみ出した足がぶらんとしています。しかし、家内はわざと「あれ!?○○ちゃんはどこにいったのかな?~」と声をかけます。息子は、ケタケタと私の腹で笑います。それが毎日続きます。

 本日も、歯磨きの後の息子は私のジャージの中に隠れようとします。ただし、「足も・・」といって足も隠そうとします。へんだな~と思いましたが、息子の好きなようにしました。結果として、一層、大きな腹の私が台所の家内の前を通ることをしました。その後の展開は、いつも通りです。何故、足も隠そうとしたのか??と考えました。しばらくして、分かりました。本日、息子が「頭隠して尻隠さず」ということわざの意味を聞きました。そこで、教えました。おそらく、息子はそれに影響を受けて足を隠そうと思ったのだと思います。しかし、自分が父親のジャージの上着の中に隠れたら、父親の腹がどんなにふくれるか・・、ということまで知恵は回らないようです。

[]照れ性(その2) 17:44 照れ性(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 照れ性(その2) - 西川純のメモ 照れ性(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 昨日の夕食の終わりに、息子がいきなり「お父さん、いつもぼくたちのために、いっしょうけんめいはたらいてくれて、ありがとう」と真面目に言い出しました。私としては、照れて、どうしていいのか分からず「どういたしまして」と言うのが精一杯です。感激とか、嬉しいとか、ではなく、ただたんに、どうしていいのか分からなくなって固まってしまいました。あとで家内が「あした、勤労感謝の日だからだよ」と教えてもらって、やっと分かりました。

 本日の夕食の終わりに、息子が家内に目配せをして、そして、「お父さん、いつもぼくたちのために、いっしょうけんめいはたらいてくれて、ありがとう」と家内と一緒に真面目に言い出しました。昨日があるので、私もオロオロしなくてすみました。言われた後に、息子に、「家でいっしょうけんめい仕事をしてくれるお母さんにお礼を言おう、特に、美味しいごはんありがとう、と言おう」と言いました。そして、声を合わせて、「おかあさん、いつも、おいしいごはんつくってくれて、ありがとう」と言いました。その後、家内と一緒に「いつも、元気でいてくれて、ありがとう」と息子に言いました。そのとたんに、息子は両手で顔を隠して、「照れるぜ」と言いました。私と同じに、照れ性です。

[]インターネット 17:44 インターネット - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - インターネット - 西川純のメモ インターネット - 西川純のメモ のブックマークコメント


 私はゼミみんなブログを作れ、と求めます。何故なら、西川研究室のような大所帯で共通理解を得るには必須だからです。そして、そのブログの中には、卒業・修了後も続いる人が多いです。RSSリーダーを使えば、その更新は直ぐに分かります。ホームページ形式の場合はRSSリーダーでは分かりませんが、その場合は、こまめに覗きます。いずれも、山と谷をくり返します。それを見ながら、喜び、心配します。もちろん、忙しさからブログ更新のない人もいます。しかし、それらの人たちも、よりよき子ども達の姿を知っているのだから間違いはない、と確信しています。HPインターネットを介して心配しながら、感激しています。

06/11/21(火)

[]新刊本 17:45 新刊本 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新刊本 - 西川純のメモ 新刊本 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 やっと『「勉強しなさい!」を言わない授業』(東洋出版社)が出版しました。副題は「クラス全員の成績を上げ続けるなんて簡単だ!」です。そして帯には、「少人数・習熟度別ではクラスの成績はたいして上がりません」(たいしての部分は赤字)です。 ほとんど喧嘩を売っているような本です。出版社の案内は、『この数年、学習指導要領がねらいとする「確かな学力」の向上の実現を目指す方法として、「理解や習熟の程度に応じた少人数指導」が日本各地でさかんに行われている。しかし、本当に少人数指導で子どもたちの学力は向上するのだろうか。教師が唯一最良の教え手であるという概念を取り除き、子どもたちが互いに学び合えば、クラス全員の成績を上げ続けることができるのではないだろうか。言われてみれば「納得」の画期的提案、第4弾!』です。

 絶対に面白いし、ためになる、と著者は自信を持っています。アマゾンでも予約販売出来るようになったのでご案内致します。

06/11/20(月)

[]点数 17:48 点数 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 点数 - 西川純のメモ 点数 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 最近、私は講演会で成績が上がる、点数が上がることを強調しています。また、メモでも意識して書いています。それに対して、我が同志より『授業の評価を単にテストの平均点の上昇で語るのはちょっと違う気がします。』というメールを頂きました。同志であればこその気持ちであり、この方以外にも感じてられる方も多いと思うのでメモります。

 言うまでもなく、我々の目的人格の完成であり、テストの点数ではありません。しかし、それでもテストの点数を強調するのは理由があります。第一に、教師とともに子どもに対して分かりやすいこからです。教師に学習の成果を語るとき、点数が最も分かりやすいものの一つであることは論を待たないでしょう。それ以外の様々な成果を上げても、「でも、成績はどうなの?」と聞く教師は多いと思います。でも、それだけではありません。学び合いが成立するか否かで最も重要なのは課題であることは同志の方は了解していると思います。でも、どんな課題であるべきなのでしょうか?絶対に重要なのは、子どもに分かることでなければなりません。子どもに分からんことを課題に与えても、何をすべきなのか分からず、結果として学び合いが生じません。その意味で「点数」というのは非常に分かりやすい。ただし、受験オンリーの塾・予備校と違うのは、「みんな」の点数ということを求める点です。その1点で大きな違いが生じます。

 そして、最後に自分に分かりやすいという特徴があります。適切な課題を与えて、子どもたちが学び合えば、教科学習においては点数に必ず現れます。このように断言出来ることは、本当に学び合っている子どもの姿を知っている同志の方であれば分かるはずです。己の実践を反省し、改善する指標として、点数は分かりやすく、それゆえ言い訳出来ない指標です。

 人格の完成に比べれば、点数は一つの指標にすぎません。でも、同時に「会話数」、「会話時間」、「会話の質」、「グループ構成」等々、我々が様々に捉えてきた全ての指標も、人格の完成に比べれば一つの指標にすぎません。それらはえり好みせずに、有効に利用したいと思っています。

[]ネーミング 17:48 ネーミング - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ネーミング - 西川純のメモ ネーミング - 西川純のメモ のブックマークコメント


 最近、我々の考えに触れた方より、「学び合い」という言葉は適切ではないというアドバイスを頂きました。学び合いという言葉は手あかにまみれて、様々に使われています。「学び合い」という言葉によってイメージするものと、我々の姿が全然います。そのことを指摘されました。さらに、「教育」と「技術」というありふれた言葉を組み合わせ、「教育技術」という造語を作り上げた先見性も指摘されました。我々にも、そのようなネーミングを考えるべきだとアドバイス頂きました。

 「学び合い」という言葉に関して、適切ではないことは私自身も十分に理解しています。そして、このメモでも何度も取り上げてみました。先のアドバイスを受け色々考えてみました。昨日、ふと思いつきました。学び合いでも、その他の過去の案でも、いずれも「何をやっているか」ということに基づくネーミングです。そうではなく、我々が目指すことでネーミング出来ないか考えました。我々の目指すことは、とてつもなく当たり前のことですが、考えてみれば、そんなことを大まじめにやっている人ってそんなにありません。今、考えているのは「人格完成三全学習」です。

 学校教育目的人格の完成です。これは、現在教育基本法においても、審議途中の教育基本法においても同じです。しかし、では人格の完成とは何でしょう。多くの方が様々に述べています。しかし、私にはしっくりいきません。特に、実際に授業をするときに、明確な指標となるものに出会えませんでした。私は人格の完成とは、大人になることだと思います。大人になることとは、他の人といっしょになって課題を達成して生活することです。その課題は、家庭生活であり、社会生活です。さらに、その他の人とは、小さくは家族ですが、大人になることはより多くの人と関わり合わなければなりません。つまり、人格の完成とは、「より多くの人といっしょになって課題を達成して生活出来ること」と考えます。このように人格の完成を捉えると、毎日、毎日の授業の構成を具体的にイメージすることが出来ます。

 また、我々は多くの教育論において無視していることを願います。

 第一は、「全」ての子どもを救うことです。従って、小学校○年生の教育、特別支援の子ども教育、非行に走る子ども教育・・のように子どもを分類して、それに特化しようはしません。少なくとも、自分が授業をしている時間に関しては、限りなく全ての子どもを救うことを目指します。

 第二は、「全」ての場面で実践することです。国語の時間、社会の時間、特活の時間、部活の時間・・・のように場面を分類して、それに特化しようとしません。

 第三は、「全」ての期間で実践することです。受験勉強のように限られた期間に特化しようと思えば、かなりいびつなことも出来ます。しかし、我々が目指すのは、学校教育の全てに一貫して適用出来るものです。

 この三つの「全」に対して、人格の完成を保証する、子どもたちの学習を担保するのが「人格完成三全学習」です。それを子どもたちが具体化した姿が「学び合い」です。

 どうかな~・・。ちょっと長いかな・・・。

[]ついに 17:48 ついに - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ついに - 西川純のメモ ついに - 西川純のメモ のブックマークコメント


 大学での学部の講義学び合いをせねばと心に決めました。そこで、本日講義の最後に、そのことを話そうと決めました。本日は、K閣下の「じゃれ合い」がお題です。本日も、気持ちよく講義が出来ました。笑いも取れたし、一人一人への発問も楽しかった。そうなると、心の中で「もう少し、このままで良いんじゃないか」という気持ちがむくむく湧いてきます。しかし、「学び合いの時間が長く取れれば、幾何級数的に効果も上がる。もう、講演会みたいな授業で十分に楽しんだから、やめよう」とも考えます。両者の間で悩みましたが、初志貫徹です。

 講義の後半で「今まで何度も話したとおり、我々が目指す授業では、教師は「やれ」の一言だけなんだよ」と語りました。学生さんはニコニコしています。「でも、今の授業はどう?私が徹頭徹尾引っ張っているよね。おかしくない?」と言うと、学生さんの表情が「ピッ」となります。もう、これを言ってしまったら後には戻れません。そこから、一気呵成に課題と、その意味を語りました。彼ら与えた課題は以下の通りです。

 西川研究室の本(具体的には7種を選びました)を読んで、それらをみんなが理解すること。そして、その上で、本の記載を改善するにはどうしたらいいかというレポートを全員で提出すること。今後の授業では私は授業をしない。君らがやっているのをニコニコして見ているだけ。もちろん、分からないことを質問されれば応えます。しかし、まず君らで解決して欲しい。評価は、最終的に提出したレポートによって出す。レポートで得られた評価が、君たちの最高の評価である。即ち、レポート評価がBであれば、Aの評価を得る人は誰もいない。レポート評価では、私の予想を超えるものがなければB評価である。少なくとも、君らの人数分以上は、私の予想を超えるものがあることを期待している。個人毎の評価は、みんなが出して、みんなでまとめて提出すること。その方法は、「レポート評価と同じ」、「レポート評価より一段低い」、「レポート評価より二段低い」、「D評価」の中から選ぶこと。その際は、その評価を付けた理由を、各人毎に200字以上付すこと。

 最後に、この課題の成果は、最終的に心ある先生に伝わり、それが子どもを救うことを強調し、「期待しているよ」でまとめました。学生さんを帰した教室で、「あ~・・、私が楽しめる語りの授業は今年は終わりなんだな~」と思いました。でも、同時に、あの学生さんはどんなことで驚かしてくれるのか、それが楽しみです。

[]ネーミング(その2) 17:48 ネーミング(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ネーミング(その2) - 西川純のメモ ネーミング(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 ある同志から「人格完成三全学習」の趣旨は分かるが、戦前の堅苦しい教育論のようだと言われました。その方からは、センスの良い学生さんに英語にしてもらって、頭文字を使ってネーミングしたらと、アイディアをもらいました。なるほどと思いました。

06/11/18(土)

[]3個のいなり寿司 17:50 3個のいなり寿司 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 3個のいなり寿司 - 西川純のメモ 3個のいなり寿司 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 諸般の事情により、昨日の夕食は遅くなりました。とりあえず息子に何かを食べさせようと、たまたまあったいなり寿司3個を彼の前に置き食べさせました。ところが1個しか食べません。不思議に思い「何故食べないの?」と聞くと、「お父さん、お母さんの分」と言います。一杯のかけ蕎麦ならぬ、3個のいなり寿司のような話です。そこで、「お父さん、お母さんのご飯はあるからいいよ」と言うと、バクバク食べ始めました。

 彼は分かち合うことを知っています。

06/11/17(金)

[]評価 17:53 評価 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 評価 - 西川純のメモ 評価 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は学部4年生の研究成果の発表を見ました。金曜日のあの時間には、大抵、会議や偉い人からお呼びがあり腰が据わりません。しかし、本日はしっかり聞かせていただきました。ただし、最後の最後になって、お呼びがあり、あたふたと本部に行って帰ってきたところ終わっていました。あわてて学部生を集めて本日の評価をしました。そこで語ったことを、院生の方々にも共有してもらうため、ここにメモります。

 まず、4年生の発表レベルは極めて高いと評価します。おそらく本学で、今の時点で今日レベルに達しているのは彼らだけと「断言」します。多くの方からつっこまれて未熟を晒した場合もありましたが、未熟は、それが目指しているものレベルの高さ故と判断します。一踏ん張りすれば、すんごいもんが出ます。私としては細々とした指導をするつもりはありません。何故なら、私が指導すべきと思っていることは、既に「名著」に書いてあることであり、メンバーの一部はそれを理解していることです。従って、私が指導しなくても、我々がすべきことをすれば皆さんが乗り越えられることです。

 前年度より、1ヶ月以上早く、4年生には成果をまとめることを求めました。今の4年は、それを出来ると私の断言しました。そして、彼らはそれを果たしました。今の段階での彼らに点数を与えるならば100点です。しかし、私は涙を流しません。何故なら、彼らの100点は、既に折り込み詰みの点数です。100点を予想している私にたいして、150点、いや1000点をたたきつけ、私をねじ伏せたとき、私は自分の愚かさに気づき涙します。

 皆さんには高い志を持って欲しい。研究は、何のためにあるか。それは人のためです。自分だけのためのものは研究ではありません。皆さんの研究教育を変えて欲しいし、それを願って欲しい。まずは皆さんの同級生、後輩を変えて欲しい。それが出来る皆さんだと期待しています。変えたか、変えないかは12月9日、そして、年明けの発表会で明確にされることを理解しているはずです。人に感動を与えれば、そのオーラは皆さんに伝わります。そして、私も分かります。

 一つ気になることがあります。それは5人の完成度(レベルではありません)に開きがあることです。異なったテーマであるのですから、ある意味で当然です。でも、それでいいのでしょうか?我々は「みんな」ということの意味を理解している集団だと思います。ある人の発表の完成度が高く、ある人の発表の完成度が相対的に低い場合、両者を見た人はどう思うでしょう。おそらく前者の人の研究は素晴らしいと理解するでしょう。でも、我々の目指すもの凄さを伝えることは出来ません。我々が伝えるべきは、個々のメッセージではなく、我々の考え方です。このことを是非考えて欲しい。12月9日に何が伝わるか期待しています。そして、今度こそ感激の涙を流せると期待しています。

 言うまでもなく、上記は4年生に向けてではなく、全員に対する評価です。

[]評価2 17:53 評価2 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 評価2 - 西川純のメモ 評価2 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 今日まで、洗脳旅行でNさんがいらっしゃいました。その方も本日発表会に参加します。それに関して、Ryuがとても嬉しいことを言ってくれました。彼曰く、「僕たちの研究を見てもらいたいけど、それ以上に、僕たちを見てもらいたい」と。つまり、平常の自分たちの様子を見て欲しいと語っていました。Nさんはビデオ室で実践記録を視聴することに時間に多く割き、現職院生さん、学卒院生さん、学部学生さんが、ごちゃごちゃと学び合っているお茶研、控え室にはあまりいませんでした。それをRyuは気にしているのだと思います。私は「大丈夫だよ、おまえが心配しなくても、あの人はちゃんと見取っているよ」と言いました。全て終わってNさんを直江津に送る途中でそのことを言ったら、「いやちゃんと見ていましたよ」と言っていました。

 Nさんから今、『学生さんは忙しそうなので遠慮していましたが、それならもっと話せばよかったなあ。それ以外は実に楽しい時間でした。機会を与えていただき本当にありがとうございました。』というメールを頂きました。

追伸 Ryuの一言が、私が「評価」で求めていることです。その一言の後、ちょっと、ウルっとなりました。

[]教師用指導書(その2) 17:53 教師用指導書(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師用指導書(その2) - 西川純のメモ 教師用指導書(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 ある小学校教師の同志より、以下のメールを頂きました。

 『西川先生メモ(奥様の小3の頃の話)を見て,そういえば今やってる国語楽しい話と失敗話を。

 説明文の学習で,子どもたちに,赤刷りの教師用教科書教科書指導書,ワークシート集,その他教師用資料すべてを公開して,「ねえ,授業して みない?」と子どもたちに言いました。「ここ,7時間でやる予定なんだけど,どう?」って。そしたら,のってきました。「まず,内容を分からないとできないから分かるために時間がほしい」ということだったので,「じゃあ,どうぞ」と2時間任せました。「単元の目標はそこに書いてあるからね」と。

 一緒に授業を受けることになった「○○くん」(その同志の名前)を想定して子どもたちは授業を考えました。それぞれ担当箇所を決めて数名ずつで授業をしてくれることになりました。担当以外の子どもは私と一緒に授業を受けます。私はワクワクで,自分用の国語ノート作って,待ちました。

 失敗したなあ,と後から思ったのは,課題として私が子どもに「授業をして」と言ったことです。「学び合えるようにして」と言えばよかった。それから,あたえた資料がまずかった。○○させる,等の「方法」がいっぱい書いてある。おかげで,どうなったと思います?授業の1時間目は見事にいわゆる「授業」でした。解説,というのかな。初任の先生がやりそうな「授業」。びっくりした。子どもたちの中にいわゆる「授業」というのはこういうものという刷り込みがあったのでしょうか?やはり,私の出した課題がまずかったのだと思います。ただ,逆にいうと初任者くらいの授業は子どもでもできるということが分かりました。

 どうしていいか分からずに「聞く」説明文の「解説」は苦痛ですね。子どもになってみてよく分かりました。授業する方も辛かったろうなあ,悪いことをした,と反省しました。それで「先生,これでは分からない」と伝えたら,次は少し改善されました。「ここからここにこう書いてあるけど,筆者が言いたいことは何か分かるようにしてください,どうぞ」と次の先生は言いました。「そんなの書いてある通りだし…」という声はあったものの,いつもの姿に戻りました。明日は3時間目です。そうこうしているうちに,内容理解はできてきてると思います。しかし,学び合いの楽しさに,私はちょっと調子に乗りすぎたか?と反省してます。楽しむべきは子どもたちみんなで,自分だけが楽しんでどうする,という感じです。

 そういえば忘れてましたが,理科の話。

 気体が溶けた水溶液の存在を私が用意しておいたBTB溶液を無視して石灰水で証明し,アルミニウム塩酸に溶けて別のものになることを,蒸発させ,粉末アルミニウムをよこせと要求し,比較し,白い粉(塩化アルミニウム)と粉末アルミニウムを水にも塩酸にも溶かし,ほら違うと示した子どもたちには脱帽でした。実践後「友達と一緒に学習したいと思うのはどうしてですか?」の質問に「楽しいから」「不安だから」よりも「よく分かるから」と彼らは答えました。M先生(我々の同志のお一方)のブログを読んで,気になって聞いた授業で役に立つ順位は,やはり1位「友達」2位「教科書最下位先生」でした。ただ,「先生」を最下位にしなかった子に「何で?」と後で聞いたら,「先生にもいろいろいるから」と言われ,?となり,怖くなってそれ以上聞けなくなりました。

 ?役に立つ方がいいのか?立たない方がいいのか?自分はどっちの先生だ?

 と思いました。まあ,子どもが分かってくれればそれでいいのですが。』

 私は、このメールを読みながら、涙を流してゲタゲタ笑い続けました。特に、『「先生にもいろいろいるから」と言われ,?となり,怖くなってそれ以上聞けなくなりました。』の部分は、20秒間ぐらい笑い続けました。私はなんて幸せなんだろうと思います。だって、新潟地方都市職場で、こんな楽しいメールを読んで笑い転げ、それに返事をすることが仕事の一つなんて・・・。

06/11/15(水)

[]教師用指導書 17:55 教師用指導書 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師用指導書 - 西川純のメモ 教師用指導書 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 私は家に帰って大学での話を殆どしません。従って、私の家内は私が大学の教師であることは認識していますが、私がどんなことを研究しているかは殆ど知りません。その家内から、昨日、面白いことを教えて貰いました。

 家内小学校3年生の時です。教室の前の方には、担任の先生の机があります。その机の上には本が並べられています。あるとき、家内はその本をみたら、教科書のことが詳しく書かれていたそうです。おそらく教師用指導書だと思われます。そこには、これこれの時にはこのように発問しなさい、また、これこれの宿題を出しなさい、と書かれていました。それを見て、「な~んだ、これさえあれば私だって先生やれる」と思ったそうです。その後、それを手に入れて勉強したそうです。

 我々は教師のが持っている情報を全て子どもに公開すべきだと思います。そうせずに、情報を教師が独占し、そして、その情報小出しに出すことによって子どもコントロールするというのは姑息だと思います。小学校3年の子どもにさえ、それを見切れる能力があります。公開した後に、教師の職能として残るのはなんでしょうか?それは、教師用指導書にも書いてない、高度な知識と考える方も少なくありません。でも、そのような知識が実際の授業に生かせる場面はどれだけあるのでしょうか?そのような方は、そのような背景があることが平常の授業に生かせると言います。でも、それは素人的な考えであり、実際には誤りです。実際は、高度な情報が有ればあるほど、教えられなくなることが認知心理学によって明らかにされています。

 我々は教師用指導書に書かれているものは子どもが知るべきことであり、教師が占有するというのは姑息だし、ナンセンスだと考えます。その教師用指導書を子どもに与えた後に教師に残る職能とは、集団の管理者であると我々は考えます。

[]校長来る 17:55 校長来る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 校長来る - 西川純のメモ 校長来る - 西川純のメモ のブックマークコメント


 我々は2泊3日(出来れば3泊4日)の西川研究室ツアーを、多くの方に勧めています。我々はそれを洗脳旅行と呼んでいます。我々の研究室に来られた方は、西川研究室に保存されている膨大な量の授業実践記録をシャワーのように視聴します。そして、それを見て疑問に思ったことを、徹底的に西川研究室メンバーと議論します。それらを通して、テクニック的に理解することの馬鹿馬鹿しさを感じ、我々の考え方が具体的に授業のどの面に現れるかを理解します。今までにも多くの方がいらっしゃいました。本日もいらっしゃいました。なんとある私立小学校の「校長」です。校長が我々の考え方を理解するために、3泊4日の洗脳旅行に来られました。来て最初に、「心して洗脳しますよ」と言いました。「既に洗脳されています」とニコリと笑って応じられました。

 我が研究室は、確実に、次のステージに進んでいることを感じました。

追伸 その校長は、どうみても校長に見えない方です。でも、年は40代で、40代の前半に校長に抜擢された方です。ただ者ではありません。

06/11/14(火)

[]成績 17:56 成績 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 成績 - 西川純のメモ 成績 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 平成14年にIzさんが、学び合いによって成績向上することを証明する研究をやろうと全体ゼミ発表したときの状態を思い出します。メンバー全員で、大反対です。趣旨としては「我々はテストの点数なんて、ちんけなものを目指しているわけではない」というものです。そして私自身も共感しました。あれから4年たちました。そして、あの頃の自分自身の愚かさを笑えます。

 結局、成績と心を分離していたんです。しかし、それらは分離出来ないものです。だって、居心地のいい集団にいた方が、成績が上がるのは理の当然です。また、クラスという人工的な集団が、勉強という軸を無くして凝縮力を持つはずはありません。コインの裏表と同じで、単独で存在するわけはない。もちろん、心を分離した成績向上はありえます。例えば、受験に極端に特化した予備校・塾、そして「女王の教室」などの状況です。ただし、これに長期的にフィットするのは、ごく一部の子どもです。一定以上の時間が経過すれば脱落者が生じるはずです。また、成績向上を分離した心の成長もありえます。大部分青春ドラマがそれです。でも、これに長期的にフィットするのは、ごく一部の子どもです。一定以上の時間が経過すれば脱落者が生じるはずです。想像してください。ずっと夏休みが続く学校を。そんな学校に勤めて、同僚が同志となれるでしょうか?無理です。

 心の成長は点数にするのは大変です。ところが成績は簡単です。成績の向上のみを目指すのはバカらしい。教師として求めるべきは「人格の完成」です。それが成り立てば、おのずと点数に現れます。ただし、単純な平均点では駄目です。全てのメンバーが点数が向上し、それに満足していなければなりません。それを忘れてしまえば、あっというまに予備校・塾になってしまいます。

06/11/13(月)

[]授業の見方(その2) 17:58 授業の見方(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 授業の見方(その2) - 西川純のメモ 授業の見方(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日講義をしました。典型的な、学び合いをテクニックとして使う授業です。面白いぐらいに、思うとおりに学生さんを動かせました。1時間半飽きさせずに授業に集中させ、キラキラした視線が私に注がれます。正に「快感」です。が、そこにあるのは、自分の話術などの力量に関する再確認と自己陶酔です。そして、学生さんから学ぶことはありません。冷静になれば、自己嫌悪します。

 やるべきことは見えています。既に我々の研究室での成果は意味あることであることは納得させているはずです。少なくとも、受講生の大部分は納得していると思います。そして私がそれを求めることが出来る管理者であるとも納得させています。良質なテキストである我が研究室の本があります。一つ難点として、集団としての凝縮力に欠けています。しかし、それは課題を達成する過程で成長するはずです。従って、ゼミ生に最初に与える課題をやれば良いだけです。それは、我々研究室の本を課題として与え、「それをみんなで理解せよ」と求めることです。しかし、それはパンドラの箱です。それをしてしまうと、我がゼミ許容範囲以上の学生さんを我がゼミに引き込んでしまいます。どうしよう・・・

[]同志各位へ 17:58 同志各位へ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 同志各位へ - 西川純のメモ 同志各位へ - 西川純のメモ のブックマークコメント


 現在イジメ自殺が大きく報じられています。教師の一人として、心が痛みます。イジメ自殺に対応する最も安定した対策が、学び合いであることは同志各位は分かっていると思います。皆さんの教室においては不安はないと思います。しかし、思い出してください。学び合いは我々のDNAの中に組み込まれたものであり、教師がどんなに頑張っても増やすことも減らすことも出来ません。教師が出来るのは、それを出すか、隠すかのいずれでしかありません。同志各位は、それを出すことの重要性を知っています。でも、次の年の担任、いや、中学校高校であれば次の時間の教科担任が隠せば、子ども達の行動は劇変します。十数分前には、互いに高め合った子ども達が、別な 教科担任の授業では「なんで、そんなこと出来ないんだ」とクラスメートを非難します。同じメンバーで構成されたグループなのにもかかわらずです。まるでジキルとハイドのような劇変ぶりです。

 我々は自分の教室では、自分の教え子を守ることが出来ます。しかし、別な教師のクラスにおける教え子を守ることは出来ません。そして、子ども達自身も自分自身を守ることが出来ません。彼らに出来る方法は学級崩壊ぐらいしかありません。我々の教え子を次に受け取ってくれる教師が、自分の教え子を守ることの出来る教師にすることに力をすつくべきです。

 我が同志の教え子の、悲しい知らせに接し、決意を新たにしました。

追伸 私の息子は来年小学校に進学します。我が息子を守れる学級集団を作れる教師が、我が息子の担任になることを、我がこととして願います。

06/11/12(日)

[]授業の見方 17:59 授業の見方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 授業の見方 - 西川純のメモ 授業の見方 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 こんど公開した学びの殿堂には、「授業の見方」というものを付けました。そこには我々の授業の特徴を書いています。ただ、それは入門用ですので、テクニック的な記載です。我々の考えが分かった方用も書くべきだと考えました。我々の考えは「考え」であって「テクニック」ではありません。したがって、本当に重要なのは自分の心の中です。おかれた状況によって、教師が主導する時間が長い場合もあるでしょう。また、「方法」を長々語らなければならない場合もあるでしょう。でも、そのときの自分の心のありようが問題です。

 一つは、「そうせざるを得ない事情がありえる。そして、そこでの教師主導こそが教師の力量だ」と考えることもできます。もう一つは、「自分が無能だから、そんなことをしているんだ」と考えることもできます。後者が我々の考えで、前者が旧来の教師の考え方です。前者の考えになる気持ちは私は十二分に分かります。でも、冷静に考えてください。自分の考えを、自分の管理職に置き換えてください。もし、勤務校の校長が、教諭に具体的な作業工程と、個々の作業を指定したらどうでしょうか?そして、そのような指示ができることが校長の力量だと思ったら。そして、自分たち教員集団は、そのような指示をうけないと満足に仕事ができないと認識していたら。そのときの、自分は幸せでしょうか?もし、それが幸福だと思うならば、とてつもなく不幸なことではないでしょうか?ちなみに、子どもと自分たちは違うと合理化しているならば、それは我々ではない。学び合いをテクニックに使っているに過ぎません。

 我々が願います。子ども達が自らの考えで、自分が思う以上の高みに達することを。そして、自分の愚かさを笑うことを。そのような子ども集団をつくりあげるために、何をすべきかを納得させるのが自身の職能と考え、何をすべきかを語ることを恥じます。

 力量のない教師が学び合いをテクニックとして使えば、惨憺たる結果になります。ところが力量のある教師の場合、学び合いをテクニックとして使うこともできます。その人の総合的な判断力、絶妙の対人能力によって問題なく運営することができます。しかし、力量のある教師であっても学び合いをテクニックとして使っている限り、絶対に味わえないものがあります。それは自分の愚かさを子どもたちに教えてもらえ、そして感激・感謝することです。学び合いをテクニックとして使っている限り、得られる最高のものは、自分の「教える力量」に対する「再確認」です。

06/11/10(金)

[]学びの殿堂オープン 18:03 学びの殿堂オープン - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学びの殿堂オープン - 西川純のメモ 学びの殿堂オープン - 西川純のメモ のブックマークコメント


 以前から、学び合いの授業を見せて欲しいという要望が寄せられていました。今までは、西川研究室に来て頂いて、3泊4日、我々の研究室に保存されている膨大な映像記録をシャワーのように浴びて頂くしか有りませんでした(我々は洗脳旅行と呼んでいます)。というのは、個人情報保護の観点から、我々の所に保存されている映像は、我々の管理下でしか見せることが出来なかったからです。しかし、洗脳旅行には、学校の全面的な協力と、かなりの出費が必要です。毎年、5、6人の方が来られますが、その予備軍は多いと思います。そこで、その裾野を広げ、多くの方に、学び合いイメージを持って頂くために、HPで公開することとしました。もちろん、全てではありません。保護者等の許諾を正式に受けたもののみです。

 これを開設出来たのは、授業者はもちろんのこと、学校先生、何よりも児童・生徒と保護者の方のご理解を頂けたおかげです。また、技術的な部分は、院生のKT君とSakさんのご協力を得ました。謹んで感謝致します。

 個人情報の配慮のため、画質・音質をかなり落としております。このことはご理解下さい。その前提の上で、バージョンアップすべき点のご意見を賜れば幸いです。また、同志各位にお願いします。皆さんのご協力をせつに願います。

追伸 言うまでもなく、このHP入り口にすぎません。我々の研究室には、ここで公開した数百倍の授業実践記録の蓄積があります(子ども音声を含めれば数万倍)。さらに、授業の様々な側面に関して議論出来る仲間がいます。是非、洗脳旅行をお誘いします。それが叶わない場合は、メールスカイプ等で議論しましょう。我々は同志を求めています。

[]発見 18:03 発見 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 発見 - 西川純のメモ 発見 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 最近、息子は家内の手伝いで料理をしたがります。本日、家に帰ると、「おとうさん。なんで塩水だとお鍋の中のものは浮くの?」と聞かれました。え!?とビックリしました。凄い発見です。さて浮力の原理は分かっていますが、それが解析学を使った物理レベルです。息子に説明することは出来ません。「もっと大きくなったら分かるよ」という間抜けた説明しかできませんでした。

[]悪気無い配慮 18:03 悪気無い配慮 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 悪気無い配慮 - 西川純のメモ 悪気無い配慮 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 理科実験想像してください。特定の子どもが器具運びばかりをしています。そして、実験操作は殆ど関わっていません。あなたは可哀想と思い、その子が実験操作を出来るようなルール作りをします。これは調べ学習における発表者と補助者に置き換えても良いと思います。また、野球におけるピッチャーと外野に置き換えてもいいです。教師として当然の配慮ですよね。でも、そうかな?

 学級崩壊しているクラスイジメは起こりません。荒れた学校では、不登校は生じません。いずれも現職の先生から教えてもらった格言です。これはイジメも、不登校も結局、教師に権力があるとき起こることを示します。つまり、イジメ不登校も教師が原因です。でも、イジメを生じたクラス不登校を生じたクラスのいずれにおいても、教師は大抵は善意の人です。その善意の人のクラスイジメ不登校が生じます。それは善意が原因となっているからだと思います。例えば、上記の例の場合、暗黙のうちに「実験操作=偉い」、「器具運び=偉くない」と考えています。そのような前提の元の配慮なのですから、子どもにもそれが伝わります。つまり、「実験操作=偉い」、「器具運び=偉くない」と子ども達も考え始めます。教師がルール作りをしたとしても、結局、 特定の子どもが器具運びをすることになるかもしれません。そうすれば、「その子どもは=偉くない」ということになります。そのようなことになれば、イジメの温床となることは容易に想像できます。結果として、不登校になるかもしれません。逆に、その子が反発して不良になるかもしれません。ではどうしたらいいのでしょうか?

 学校教育目的は、人と人とが関わり合うことを経験する場を提供することです。実験操作であれ、器具運びであれ、そのグループでの実験での共同作業の一つであると考えれば、優劣はありません。そう信じれば、子どもに伝わります。その上で、みんながともに高まることを求めれば、そのグループの中で適切な役割分担(その中にはローテーションも含まれます)が生じます。その最適な形態はグループ毎に違います。それを教師が判断することは出来ません。出来るのは、子ども達だけなんです。

 私は、イジメにせよ、不登校にせよ、その原因の大部分は、学校教育の時間の大部分を占めている教科学習の時間であると確信しています。そして、その解決策は小手先のテクニックではなく、学校教育とは何かという考えなんです。

[]脱帽 18:03 脱帽 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 脱帽 - 西川純のメモ 脱帽 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 最近メモである「やっぱりライブ」の後日談です。この授業では、第二次大戦の単元です。その単元の教科書を理解し、与えたドリルの該当する部分を解くことを6時間で解決することをS先生は求めました。6時間をどう使うかは自由です。この前、参観したのは11月7日で6時間の4時間目に当たります。佐藤先生の最初の話は1分間であとは子ども達の活動で占められています。その様子は「やっぱりライブ」に書いたとおりです。本日ニュースが入ってきました。5時間目の時に、子ども達からS先生に、「もう十分だからテストをして欲しい」という声があったそうです。みなさん、このような小学生想像できます!?そして、彼らのテストの平均点は100点満点の97点なんです。クラスの大部分は100点満点で、最低点が90点です。言うまでもなく、そのクラスにおいても「気になる子」はいるんです。学び合いの凄さをよく知っている私も脱帽です。でも「やっぱりライブ」で書いたとおり、大学生と思うような議論を深めている子ども達に、小学校テストをやったんですから、上記の結果も当然とも言えます。

 彼らはテストの点数を上げる勉強をしたのではありません。彼らは、みんなで理解することを求めたのです。その姿は、学力の向上と心の成長が融合した姿です。すごい、すごい。その姿は「学びの殿堂」に公開しています。

追伸 http://blog.goo.ne.jp/makine44/e/4fa97501eda16b595e8d7a77dd65b662 も見てくださいね。

06/11/09(木)

[]やっぱりライブ 18:05 やっぱりライブ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - やっぱりライブ - 西川純のメモ やっぱりライブ - 西川純のメモ のブックマークコメント


 埼玉のS先生の授業に行きました。やっぱりライブは凄いと思いました。私が偉そうに言っている「学び合い」を優れた教師が料理すると、こうなるか、とうことがよく分かります。学校として学び合いを取り入れようとしている、G県のY小学校東京都M市のN小学校、そして東京の私立のJ学園の3つの学校に声をかけたところ、参観に参加してくれました。

 授業を見ました。おそらく標準の授業に見慣れている先生にとっては、学級崩壊クラスでしょう。でも、一度、子どもたちの声に耳を傾けると、大学生と見まがう高度な話題を、一時間とぎれずにしている子どもであることに気づきます。その子どもが、自分たちにあった学習方法を多様に選択しています。それでいて、実に落ち着いています。自分たちの学び合いの文化を、空気のように感じていることがよく分かります。その集団の中で一番幸せそうなのがS先生です。子どもたちの間をニコニコして回ります。子どもたちの脇に座り、子どもたちの会話に耳を澄ませ、何かしらメモをしています。でも、そのようなことを気にする子どもはいません。彼らは自分たちの課題に集中しているからです。ときに、子どもたちに質問し、からかい、驚きながら、そして、なによりも幸せそうに教師をしているS先生がいます。ちなみに、S先生が授業中にクラス全員に語った時間は、総計で1分もないと思います。

 授業後、参観者からS先生に質問が来ました。率直な質問ばかりです。それに対して、S先生やKinさん(それとしゃべりたがりの私も)が説明してくれました。参観者は分かってくれたと思います。ある先生から以下のようなメールを頂きました。

 『昨日は本当に良い勉強になりました。子供が学ぶ姿が見られてうれしい思いがしました。何であんな普通のことがなかなか出来ないんだろう、と不思議です。あの姿をテレビで放送してくれたら、ワッと火がつくでしょうね。そんな話は無いのですか。ノーマルなことが少なくなっているのかもしれません。ノーマルな(子供の姿が)授業でした。』

追伸 私にとっては笑い話です。上記のような授業をしているS先生から、帰る間際に「私は学び合いができているのでしょうか?」と小声で聞かれたとき、思わず笑ってしまいました。学び合いが何かの流派のように、私の専有物のように誤解されているようです。学び合い西川研究室の専有物ではありません。百年前からやっている人はいたと思います。したがって、学び合いを出来ているかを判断するのは私ではなく、子どもたちであり、ご本人です。学び合いが成立していれば、全ての子が仲間となり、成績が上がります。そして、教師が幸せになります。学び合いを理解し、それを一人でも多くの方に伝えようと言う人は、それはどんな年齢であっても、どんな地位であっても、どんなに距離が離れていても、同志です!

追伸2 11月15日に次の本が出ます。そして11月中に関係者一同のご協力の結果、授業の様子をHP配信出来ると思います。乞うご期待。

追伸3 今回は授業をオープンにせず、少数の方にニュースを流しましたが、もっと広く見て頂く仕組みを考えねばと思いました。

06/11/07(火)

[]学び合う・学び合わせる 18:09 学び合う・学び合わせる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学び合う・学び合わせる - 西川純のメモ 学び合う・学び合わせる - 西川純のメモ のブックマークコメント


 ある方から、以下のメールが来ました。非常に鋭い視点です。

 『先生の著書やメモを見ると、教師の持つ学習観の変化は「わからない→わかろうとする→わかる(同志)」の変化で捉えられている反面、学習者の変化は、もともとあるものが「出る←→出ない」の関係で捉えられている。それでいいのかなあ?ということです。

 先生の著書やメモを読むと、例えば研究生の皆さんは例えそれまでに先生の著書を読んでいたとしても、先生や先輩に触れることで、自身がそれまで持っていた学習観、授業観、学習者観、教師観などが大きく揺さぶられている様子が伺えます。例えば私がその場にいれば、戸惑い、悩み、もしかすると(提示されている確信と自分が持っている確信の衝突が起こり)先生に対し怒りを感じるかもしれません。でも、そのうちに自らが気付き、そして変わっていく。(先生言葉を借りると「お弟子さん→同志」への脱皮?)きっと先生はそんなお弟子さんをたくさん見てきたので、いつも自分を信じニコニコとしていられるのだろうと思います。そして先生のもとで「お弟子さん→同志」へと変貌をとげた方たちは、もう「わからない」に戻ることはない。だから難しくても、場が保障されていなくても、もがき、人的ネットワークを駆使して、自らの回りの場を変えていこうとする。そういうことも読み取れます。

 一方、子供たちの変化については、教師の持つ学習観と子供達の学習観の衝突があるとか、反発があったとか、そこに注目した記述が(あまり)強調されていません。(もしかするとそれはあたりまえすぎて省かれているのかもしれませんし、私が感じているだけで衝突なんてものがないのかもしれませんが)どちらかというと、それまでどれだけ場が保障されず学びあいが見えなかった子供たちでも、場が保障されれば(自身の学習観がゆさぶられることなく)すっと出てくる。そんな感じです。でも、それだと場が保障されなかったときにとても無力なような気がしていまいます。だから、学習者の変化を教師の変化と同じ視点で記述すれば、更に有力な姿が見えるのではないか、そんな気がしたわけです。』

 以下が私の「応え」です。

 先ず第一に、「教師の持つ学習観と子供達の学習観」が衝突したら絶対に学び合いは生じません。教師の考え方が変わらない限り、子どもは変われない、というか、正確に言えば表出しません。そして、学び合い際には、 上記のメールで心配されているような子どもの中で衝突は起こりません。それには理由があります。

 今度の本(11月下旬発行)には詳しく書きましたが、我々がDNAの中に組み込んでいるのは、「学び合う能力」であって、「学び合わせる能力」ではありません。もちろん、厳密に言えば、後者DNAに組み込まれているとは思いますが、前者に比べると圧倒的に弱い。人間の中に組み込まれているのは、肉親のような近しい小さい集団の中で、学び合う能力です。肉親以外のメンバーを自分の集団と認識するのは、学習によるものです。さらに、肉親以外のメンバーを学び合わせる能力も、学習によるものです。

 我々の学び合いで、まず最初に求められるのは、自分の近しいメンバーで学び合うことです(我々はメンバーの選択も自由にするのが基本ですから)。これには何の障害もなく発生します。なんとなれば我々の中に組み込まれているものですから。しかし、自分の近しいメンバーを、クラス集団であると認識させるときには軋轢が生じます。その際には、教師は「みんなで」という魔法言葉を、自身の学校観を背景として語らねばなりません。ところがこの過程は、連続的なので、それほど目立ちません。

 ところが、教師の場合は、自分の中に組み込まれていない「学び合わせる」ことを求められているんです。以前のメモに書いたように、情報が極めて高価で、そのため教師が情報を占有した時代に形成された「学び合わせる」方法を、今も引きずっているのが現状です。あたかも、フォークとナイフしか使ってなかった人に、箸を使わせるようなものです。フォークとナイフで食べられる人に、箸を習わせるのは困難です。

 繰り返しますが、子どもたちに学び合う際には、教師が学び合わせることを会得するような衝突・軋轢はありません。だから、本や論文に多くのページを費やしていないんです。そして、教師であっても、教師同士が学び合う際には、子どもたちが学び合う際と同様に衝突・軋轢はありません。衝突・軋轢があるのは、学び合わせることを会得する際に起こります。

06/11/03(金)

[]やっぱりね(その4) 18:17 やっぱりね(その4) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - やっぱりね(その4) - 西川純のメモ やっぱりね(その4) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 (その3)を読まれた、我がゼミの方から以下のようなメールが来ました。その方は、若い後輩教師(Aさん)が学び合いを理解する過程での成長を、ICレコーダーに記録されるAさんの声を聞きながら分析中です。

 『メモを読んで、最近A君の音を聞きながら何となく思っていたことを書きます。メモの中に以前は「怖い」先生だったという言葉がありました。学び合いを成立させる先生に必要というか、あった方が楽なのは「こわさ」のような気がします。『怖さ』ではなく『畏さ』の方ですが。

 西川ゼミがこれほどまでに先生抜きでもハイレベルゼミ運営を可能にしているのは、西川先生に対する畏れが我々にあるからです。西川先生は、適当なことをやっていては、ごまかしのきかない相手であることを我々は知っています。でも、通常の会話では先生をちゃかしたりからかったりするような発言もします。冗談が通じる相手であることも知っています。

 教師と子ども距離感も同様です。先生がいつもおっしゃるように子供は教師の腹を見透かします。教師の人となりも見透かします。この人の言うことなら一応やってみるかと思わせられるだけの力のある先生なら学び合いが軌道にのるまでの時間は、そうでない先生より圧倒的に早くなるのは間違いのないところでしょう。そのあたりが「○○さんだからできるんでしょ。」発言につながるのでしょう。管理者としての能力と置き換えられるのかも知れません。ただ、学び合いを支える根本は「勉強の面白さ」「関わることのおもしろさ」だと私は思います。何となく思っていたことをよくまとまらないままメールしました。最近のあなたは忙しくってゆっくり話すヒマもないから。ウフフ。』

 このメールを読んで、なるほど、と思いました。と同時に、このままだと誤解される可能性があるので、補足します。たしかに『畏さ』があった方が、いいかもしれません。でも、それは必須ではありません。必須なのは、学び合いをテクニックと捉える のではなく、考え方と捉えることが出来るかだと思います。 それによって成立する学び合いによって子どもが感じる、「勉強の面白さ」「関わることのおもしろさ」が学び合いを維持・向上させます。

 学校教育は何のためにあるのか、子どもとはどんな存在なのか、そして自分(教師)は何をなすべきか、という考え方が必須です。それさえあれば、結局、子どもたは学び合い、全方位で高いレベルを達成します。おそらく『畏さ』があれば早いでしょう。でも、『畏さ』が無くても、『おもしろさ』でも十分です。『人の良さそうな雰囲気』でもOKです。ようは「とりあえずやってみよう」ということが出来さえすればです。さらに、それらが無くても、考えさえあれば2ヶ月で出来ます。それだけのものにすぎません。

 私も定時制高校暴走族子どもを教えたときは、虚飾の怖さを身にまとったときが短時間有ります。でも、直ぐ脱ぎました。だって、どう考えても彼らの怖さの方が数段上ですから。そして、彼らの怖さも、結局、自分が身にまとおうとした虚飾の怖さであることに気づき、その下には小学生のような可愛い坊やとお嬢ちゃんがいることをしれば、どんなに怖いカッコしても、撫で撫でできます。虚飾の怖さはナンセンスだし、無意味です。 従順そうに見える子たちを教えている人は、そのナンセンスさに気づかず、虚飾の怖さを身にまといます。でも、子どもたちの本当の怖さは、暴走族の怖さではありません。クラス子ども集団の賢い子どもが、「正当な理由」で教師を拒絶し、それがクラス全体に広まったときです。その時は、子どもだけではなく、親も、そして同僚も敵になります。

 ちなみに、私の『畏さ』の根源は、「単位で脅すこと」によって立つわけではありません。それは虚飾の怖さにすぎません。それによって立つ教師は少なくないですが、そんなの子どもたちに正当に責められたらアウトです。私の私の『畏さ』の根源は、めちゃめちゃ高い要求をするからです。そして、その要求は、その人にとっても、また、その人が属する集団においても正当であり、意味があることを子ども集団が理解しているからです。教師がすべきなのは虚飾の怖さを身にまとうのではなく、課題の意味をちゃんと説明することだと思います。そうすれば、子ども集団は理解し、理解してもらえない子ども子ども集団が説得してくれます。

追伸 我がゼミの現メンバーOBOGだと、理解してくれると思うのですが、その他の方が誤解する人がいるかも知れませんので蛇足で説明します。先に紹介したメールの発信人は、三十代後半の授業力の凄くある男性教師です。馬鹿馬鹿しい ですが、さらに付け加えると、私もその人も「そのての趣味」はありません。我がゼミは、超真面目な話を、超馬鹿話の中に埋め込んで話す習慣が成り立っている集団なのです。蛇足ながら。

[]脅す言葉 18:17 脅す言葉 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 脅す言葉 - 西川純のメモ 脅す言葉 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 息子が悪いことをして、それの自覚がない場合、「寝ない子誰だ(有名な幼児絵本タイトル)が来るぞ~」と脅していました。相当、びびります。最近、別な言葉で脅しています。

 息子が気にしている女の子が3人います。一人は年下の女の子で、息子は、その子が可愛くて可愛くてしょうがありません。一人は、息子と同級生です。息子に優しく、ややしくしてくれる子です。最後の一人も同級生です。しっかりタイプで、クラスの遊びを仕切ります。息子をしっかり世話してくれます。最近は、「○○ちゃん(息子の名前)がこんなことをする子だなんて、○○ちゃん(先の3人の女の子)に教えちゃおうかな~。」と言います。と、「言わないで、言わないで、ごめんなさい」と直ぐに必死に誤ります。考えると、3人の女の子の特徴は、男性女性に求める三つの側面を代表しています。本当に、男性女性には頭が上がらない。

[]作品展 18:17 作品展 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 作品展 - 西川純のメモ 作品展 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は、息子の幼稚園の作品展です。出張が迫っているので、駆け足で見ました。成長を感じます。年長の息子の作品を見た後、年中、年少の子供の作品を見ると、「あ~、そうだったんだよな~」と思い出します。来年小学校です。ドキドキします。

[]研究テーマ 18:17 研究テーマ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究テーマ - 西川純のメモ 研究テーマ - 西川純のメモ のブックマークコメント


 研究テーマタイトルを見れば、その研究レベルが分かります。わけの分からんタイトル研究は、論文の中身もわけも分からんに決まっています。だって、論文の内容を筆者自身が理解していれば、タイトルに現れるからです。さらに、タイトルを短く表現できるとき、その研究は一流です。

 小学校1年生の学び合い研究していたFさんが久しぶりに大学に戻ってきました。そして、個人ゼミをしました。とても素晴らしい研究になりそうです。Fさんの研究テーマを短く表現すれば、「学び合いをすれば、大人になる」というものです。学び合いを分かっている方だったら、直ぐに何を言っているか分かると思います。これからFさんは、教師が感じる「子どもの幼さ・未熟さ」と「子どもの成長・成熟」の実態は何かを明らかにしてくれるはずです。う~ん、絶対に良い研究になる!

[]ブログ 18:17 ブログ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ブログ - 西川純のメモ ブログ - 西川純のメモ のブックマークコメント


 ゼミ生のKinさんは、ニヤニヤしながら「これ言うと、先生泣いちゃうから」と言いながら、学び合いにおける子ども達の素晴らしさを示すエピソードを語ります。そして、見事に術中に陥り、ボロボロと感激の涙を流します。

 私はゼミ生にブログを強く進めます。西川研究室は大所帯です。そして、年齢も幅広いです。そして、常にだれかは実践研究に入っているため、全員がそろうことは限られています。その集団の中で情報を共有するには、インターネットが有効で、特にブログは有効だと思います。情報共有によって、互いの目標を確認します。だれが、大変であるかが分かれば、問題が大きくなるまでにサポートし合うことが出来ます。

 また、ライブは素晴らしい効果があることを今年実感しました。学び合い実践をしている渦中にゼミ生が入ることによって、書籍や話では伝えられない様々なものが伝えられます。ところがKinさんと、S先生はそれとブログを組み合わせました。

 ライブに行った学生は、感激します。子ども達がどんなに凄いかを、ブログに書きます。私はそれを読んで感激します。そのブログをKinさんとS先生は、ライブにおいて学び合いをしている子どもに見せたのです。それによって何が起こったかは、言葉を必要としません。そのことをKinさんのブログで読んだとき、背筋が「ぞ~」として、そしてボロボロと泣き出しました。「なんて、自分は愚かだったんだろう。なんで、このことに気づかなかったんだろう。本当に自分は大馬鹿者だ」とうれし涙を流しました。

 ゼミ生がライブに出来るだけ多く行けるように、私は場を設けよう。そして、そのゼミ生の感激を公開し、ライブの場である学校教育還元しよう。それこそが望ましい、教育研究であり、教員養成であり、教員再教育の姿です。そして、それは、学校の理解を得れば、とてつもなく簡単に実現できます。

[]最後のテーマ 18:17 最後のテーマ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最後のテーマ - 西川純のメモ 最後のテーマ - 西川純のメモ のブックマークコメント


 『もちろん教育研究テーマはまだありますが、現在得ている考え方以上に汎用性の高く、効果が絶大で、教育根本に迫るものを、私の人生において見い出せるとは思えません。』と最近メモの書きました。何故、そのように思っているかと言えば、我々の考えがとてつもなくあたりまえだからです。そして、それを実行している人が少ないからです。たとえ話をしましょう。

 ある国では、薬品健康補助食品が満ちあふれています。そして、その薬品健康補助食品の研究は盛んで、毎年、新薬が開発され続けています。ところが、その国の人々は若年・中年にガンや脳卒中心筋梗塞で死んでしまう ため平均寿命は短いのです。何故でしょう。理由は、その国の人の喫煙率は高く、本数も多いためです。塩分・脂肪の多い食事を大量に食べるのが、その国の食生活です。そして、運動は殆どしません。その国の人たちも、タバコをやめ、塩分・脂肪を控え、適度の運動が体に良いことは分かっています。でも、そうはせずに、薬品健康補助食品に頼ることによって健康を維持しています。

 その国の医者は何をすべきでしょう。「薬品健康補助食品に頼るのではなく、タバコをやめ、塩分・脂肪を控え、適度の運動が必要である」ということを国民に伝え、納得させることが第一です。ところが、「薬品健康補助食品に頼るな」と言ったとたんに、「薬品健康補助食品は体に良いんだ!何故やめるんだ!」という反発が起こります。今の我々はそういう状態に置かれているように思います。

 おそらく、薬品健康補助食品の開発研究は今後も続くでしょう。でも、そんなものに意義を見いだすことは出来ません。

 我々が伝えるべきものは多いと思います。例えば、心地よいクラスが成立するときに勉強が出来、心地よいクラスが成立するには勉強という共通の課題が必要である。また、教師一人が全てを担うより、子ども全員が必死になってやったほうが高い成果を達成できる。とてつもなく当たり前です。ところが、「成績を上げるには、とりあえず集団づくりは横に置いて、とにかく勉強した方が良い」、「仲良くなるためには、勉強に縛られる必要はない」、「教師だけが勉強を分かっている」という考え方が横行しています。

06/11/02(木)

[]やっぱりね(その3) 18:20 やっぱりね(その3) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - やっぱりね(その3) - 西川純のメモ やっぱりね(その3) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は、今年の9月でメモした方の授業をライブで見ました。何よりも、授業を楽しんでいることを感じます。また、子ども達がその授業を楽しんでいることを感じます。なんとも、教師を楽しんでいることを感じます。授業後に、その先生と話しましたが、私自身が圧倒されるほど、今の子ども達が学び合う授業に対する思いを語っていただきました。過去の自分を冷静に分析し、これからのことをワクワクして語ってもらいました。

 その先生曰く、以前は子ども達から怖いと思われたそうです。でも、本日の授業を見る限り、信じられません。その先生が「こっちに集まって」といったとたんの子ども達の反応は、ワクワクしながら集まっていました。授業中は、ニコニコして授業をしていました。その先生曰く、「以前は 引き算の指導ばかりで、生徒の駄目なところを探し、叱ってばかりいました。でも、今は子どもの良いところを発見して、それを言っています。」とニコニコして語ってくれました。

 本当に不思議です。その先生に対する我々のサポートは、本当に、微々たるものです。それで変われます。そして、本日の授業に関して、かなり厳しいコメントを言いました。ところが、そのコメントを自分の成長のためと理解して、私の言葉以上に意味づけています。本当に若々しい向上心を持っています。おそらく、私よりは若い方とは思いますが、 決して若手ではありません。中堅からベテラン移行しそうかな?という年齢です。自分があの頃の時代に、あれだけの若々しい向上心をもっていたか考えます。おそらく、無かった。

 本日は、その先生の他に、若い先生の授業を見ました。授業後に、学び合いをテクニックではなく、学校教育レベルで理解して欲しいことをかたりました。私にはKanさんの力はありません。でも、あの方々にも、伝わって欲しいと願います。

06/11/01(水)

[]年に一度の病気 18:21 年に一度の病気 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 年に一度の病気 - 西川純のメモ 年に一度の病気 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 昨年の7月にそしてその2004年3月に「上越教育大学」をアップしました。そして、2005年7月に「上越教育大学(その2)、(その3)、(その4)」をアップしました。その度に、私は何故、上越教育大学に居続けたいのかを問い直しています。

 繰り返しになりますが、私が上越教育大学に20年も居続けている第一の理由は、上司にめちゃくちゃ恵まれているためです。信じられないほど恵まれています。第二の理由は、現職院生さんと共に研究するという現在研究スタイルを維持発展できる大学は全国的にも3大学しかありません。そして、東日本にただ一つある大学上越教育大学だからです。

 しかし、第一の理由に関しては、最大で2年でタイムリミットです。第二の理由に関しては、教職大学院が本格的に始動し始めたら、選択肢の幅が広がります。私が責任を持つべき方も、優秀ですので最大5年以内にいっぽんどっこでやれるはずです。ということでおおよそ最大5年先には、積極的に上越教育大学に居続けなければならない条件は消失します。

 逆に異動したいという条件は大きくなります。生活面で言えば、子どもが大きくなり進学を考えるようになり、また、年を取ってくれば除雪がしんどくなります。

 研究面で言えば、既に山は越えたと不遜ながら感じます。だって、あれほどの難関と思っていた教師集団を変えるという課題でさえ、既に端緒は見えました。今年のM1M2の方々がある方向性を出してくれるでしょう。そして、現実にそれを受け入れてくれる学校も現れるでしょう。もう既に、教室レベルの課題を解決したと不遜に思っている私にとって、それ以上の課題があるとは考えられません。もちろん教育研究テーマはまだありますが、現在得ている考え方以上に汎用性の高く、効果が絶大で、教育根本に迫るものを、私の人生において見い出せるとは思えません。

 全国的にはニーズがあり出張が続く私ですが、不徳のためか地元上越でのニーズは殆どありません。片道4時間かけて学校サポートに行く車中で、何で、片道20分の学校からは声がかからないのだろうと思います。私の講演や学校サポートのことを考えると、上越教育大学は最悪の地理的条件です。新幹線の駅(ただし各駅停車のみ止まる駅は除外)の近くの大学のほうがずっと便利です。そしてサポートしている学校の近くで勤務することが、私のやりたい学部の教員養成、現職再教育を実現する条件です。それが実現できれば、現在構想している大学院より、よい教育が出来る可能性があります。

 まあ、そんなことを書きながらも、退職まで上越教育大学にお世話になると言うのが、最も可能性が高いと思いますが・・。年1回再発する病気みたいなもんです。

追伸 この手の病気は、大学で「バカ野郎~」と叫びたくなることがあり、その怒りが収まり、冷静に分析できるようになるとなります 。だって、怒っているうちは攻撃することで頭がいっぱいですが、冷静になれば退却する利点も見えますから。でも、よきボスがいるうちは、この思いは収まります。しかし、その方が退職された後は、どうなることやら。