西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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06/10/27(金)

[]はじめの感動 18:30 はじめの感動 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - はじめの感動 - 西川純のメモ はじめの感動 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 「感化力」のメモの補足をします。昨日見たのは跳び箱・マット運動です。これを普通の授業でやったらどうやるでしょう。まず、教師が跳び箱の飛び方を実演し、そのポイントを説明するでしょう。それが10分程度続きます。次に、跳び箱の脇に教師が立ち、「ピッ」と笛を鳴らす毎に子どもが飛びます。そして、飛べない子には補助をし、そして、ワンポイントアドバイスをします。それが終わってから笛を鳴らし、次の子が飛びます。さて、このような方法だと45分の授業の中で、子どもは何回、跳び箱を跳べるでしょう。授業前後の跳び箱の用意と片づけを勘案したならば、まあ5回も飛べたら凄いですね。3回だけだってありえます。これで飛べない子が飛べるようになったら、ビックリですね。そして、1時間は跳び箱だけで終わってしまうでしょう。

 さて、今回の学び合いの授業ではどうだったでしょうか?まず、整列をして準備体操をします。そして、教師が「様々な技を出来るようになること」と語って開始です。みんなで協力して準備していたので、授業開始から5分間で学び合いが始まります。体育館には、様々な高さの跳び箱が5台並べられています。同時にマット運動が出来るエリアも用意していました。子どもたちは高さを変えたり、踏切板との距離を変えていました。そのような並列で飛べる状態で、ドンドン飛ぶのですから、それだけでも7倍以上の数が飛べます。子どもたち同志でアドバイスをしたり、補助をしています。さらに、出来ない子どもが嫌がらずに、ドンドン飛びます。教師が演説するようなことは紙に書いてあり、体育館の壁に貼っています。一部の子どもがそれを見て、跳び箱に戻って練習したり、アドバイスをしています。とにかく、本当にドンドン飛んで、ドンドンうまくなっているのが分かるのです。そのことの「ほんの一部」をメモに書きました。そうしたら、それを研究したKさんから「ドキッ!」という以下のメールを頂きました。

 『Kです。メモ読ませていただきました。ドキッとしました。技能向上の要因として、話しあいが増えても活動時間は減らない、むしろ増えるって一生懸命伝えてたはずなんですが…。なーんて、じゃなんで、データで出さなかったんだって話になっちゃいますね。私は技能が向上する要因より、技能向上と見なす評価基準作りとその結果データ化することに捕われていました。そしてもうひとつ、技術認識の深まりを証明したかったんです。だから話し合い、アドバイス内容にこだわりました。でも、正直、授業をしてみると、跳び箱やら鉄棒トライする回数がこれまでのやり方より増えることは、はじめは感動しますが、当たり前のような感覚になってしまうんです。しかし、はじめの感動データ化すれば多くの人が感動しますよね。子供鉄棒の回数やらそうなんですね、離れてみると、技能が向上する根拠となるデータは、一度の実践で山ほど取れることに気付くんですよね。そのようなデータをたくさん出せば技能向上の根拠としてもっと説得力ありますよね。うすうす気付いていても、データ化する過程(労力)が怖かったりして…。きっとまた、新しい院生さんたちが説得力あるデータを出してくれることと期待してます、なんちゃって。』

 これを読んで、はじめの感動は大事だな~と思いました。

[]みえちゃう 18:30 みえちゃう - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - みえちゃう - 西川純のメモ みえちゃう - 西川純のメモ のブックマークコメント


 昨日の授業参観では、私と一緒に全く別の学校先生方が参観しました。その方と授業者との会話を聞きながら、ビックリしました。その先生方はその学校は初めてで、子どもたちも初めてです。ところが、一人一人の子どもを的確に把握されていました。「あ~、子どもの見取り」というのはこんな能力を指すんだな~、とプロの小学校教師の能力に感激しました。が、一方、「子どもたちの見取り」だったら、多少は私の方が優れていると感じることがありました。もちろん、私は小学校教師の経験はありません。その私が見取りが優れているというのは、とてつもなく不遜だと思います。でも、理由があります。それは一人一人の子どもが見えすぎるため、子ども集団を見ることを邪魔してしまっているんだと思います。本気で子ども集団を見取ろうとしたら、当然、私なんぞは足元にも及ばないほどの見取りが出来るはずです。ところが、一人一人の子どもが見えてしまうので、その子どもを何とかしなければ、ということで頭がいっぱいになってしまう傾向が見られます。ところが私は一人一人の子どもが見えないので、子どもたちの見取りに集中出来ます。

 学者バカも、たまにはいいことがあるもんだと思いました。

[]戦略生物兵器用意 18:30 戦略生物兵器用意 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 戦略生物兵器用意 - 西川純のメモ 戦略生物兵器用意 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日、講演依頼がありました。依頼者は、私の大学に異動して最初にお世話した院生さんで、現在校長先生です。その方から講演依頼を受けたとき、思わず「よっしゃ~」と電話を前にして叫んでしまいました。講演の相手は、その地区のPTAなんです。待ちに待った戦略核兵器の発射がセットされました。でも、正確には核兵器と言うより、生物兵器のようなものです。打ち込まれた当初は、それは目立ちません。しかし、潜伏期間の後に、発症します。発症すれば、不治の病です。

 何回かメモで紹介しましたが、人が考え方を変えるには何が必要かは、ポズナーらの概念変容のモデルが参考になります。彼らのモデル科学概念が変容するにはどのような条件が必要かを示すモデルですが、その他にも有効です。彼らによれば、我々が概念変容するためには、以下の4つ条件が成り立つことが必要です。

・先行概念への不満が生じなければならない。

・理解可能な新しい考えが、利用可能なものでなければならない。

・新しい考え方は、もっともらしくなければならない。

・新しい考え方は、先行概念より生産的でなくてはならない。

 では、教師と親を比較したらどうでしょう?

 ●自分の授業に不満を持っている教師と、自分の子どもの担任の授業に不満を持っている親、どちらが多いでしょうか?

 ●「学び合い」を自分でしなければならない教師と、「学び合い」をしてもらう親と、どちらが「学び合い」を難しいと考えるでしょうか?

 ●教師の話が分らない経験をした人は、「学び合い」の考えはもっともらしく感じられるはずです。教師集団と親集団、どちらに教師の話が分からない経験をした人は多いでしょうか?言うまでもなく、大学に進学 し、教職免許を取り、教員採用試験合格する方は、日本人の平均より現状の教育フィットしているはずです。

 ●今まで積み上げたものを捨てなければならない教師と、教師が積み上げたものを捨ててもらう親と、どちらが「学び合い」を生産的だと考えるでしょうか?

 もちろん、自分の授業に不満を持ち、「学び合い」を自分でも出来ると考え、「学び合い」をもっともらしいと感じ、「学び合い」が生産的であると考える教師は少なくありません。そのような方が同志になっていただいています。 残念ながら、そのような方が教師集団の中で辛い思いをしている場合は少なくありません。その方を守る、その方の同志を育てなければなりません。我々は教師の同志のみならず、親の同志も必要だと思います。

[]成績が上がらない(その2) 18:30 成績が上がらない(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 成績が上がらない(その2) - 西川純のメモ 成績が上がらない(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 以前のメモである「成績が上がらない!」を再度、取り上げようと思います。ある学校で、ある先生から学び合いをすると成績が下がると言われました。そこで、そのクラスを見ると、直ぐに不思議に思いました。それは子どもが殆ど動かないのです。そこで、その先生に「このクラスで成績の良い子どもは誰ですか?」と聞きました。その子を見ていると、殆ど教えておらず、なんか作業をしています。そこで何で教えていないのか?を聞くと、ビックリしました。そのクラスでは、膨大なドリルを与えているそうです。そして、出来る子はそのドリルをこなすので精一杯なそうです。聞きながら、「そりゃ、そんなら学び合いは起こらず、分からない子が生じても無理ないは・・」と思いました。その先生は、授業時間に「3人に教えてください」と指示を与えます。そうすると、子ども達が教えていますが、「ノルマ」が終わると、ドリルに戻ります。 つまり、成績が上がらないのは、学び合いの せいではなく、学び合いが成立していないためです。その状態で、教師が「教えない」ということをするのですから、そりゃ成績が下がるのは当たり前です。だって、教える人が誰もいないのですから。

 その先生が誤解しているのは、成績の良い子も、膨大なドリルをした方が良いと思いこんでいるようです。でも考えてください。「1+1=2」や「-1×-1=+1」と分かっている人が、そのことを千回唱えることによって得るものがあるでしょうか?ナンセンスです。そのような人が伸びるためには「1+1は何故2なの?」とか、「-1×-1は何故+1なの?」という疑問をぶつけられることです。それによって「ペアノの公理」や「 ガロア理論」に発展する可能性があります。

 そのクラスにいる成績の良い子は、その先生が教える前から分かっているんです。だって、その先生から話を良く聞くと、成績が下がっているのは成績の中と下なんです。つまり、成績が上の子は成績は下がっていないのです。つまり、その先生が教えなくても成績が下がらない、ということは、その先生によってそのような子は何も得ていないということです。そのような子が無意味ドリルを繰り返し、そして、他の子どもと関わる機会を奪われています。そして、同時に、成績中・下の子どもは、他の子どもから学ぶ機会を奪われています。

追伸 その先生は何を目的として、教師になったんだろう?と思います。「二桁の計算が出来ること」、「漢字を一つでも多く覚えること」なのでしょうか?その先生クラスづくりを大事にするとても熱意のある方だと、その先生の同僚の方から教えてもらいました。たしかに、「良い先生」の香りが凄くする方です。しかし、教科学習の時間、即ち学校教育の殆どの時間は、「二桁の計算が出来ること」、「漢字を一つでも多く覚えること」のためにあり、クラスづくりの時間ではないと考えているようです。そして、そのとてつもない矛盾に気づかれていない。残念です。そのような方が、教科学習でクラスづくりが出来ることに気づかれたら、どんなことが起こるのだろう・・・

[]成績が上がらない(その3) 18:30 成績が上がらない(その3) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 成績が上がらない(その3) - 西川純のメモ 成績が上がらない(その3) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 クラスには多様な子がいます。その子達が分からないことを調べ上げ、それが分かるようなドリルを作ったとします。残念ながら、この種の教育研究・実践研究は山ほどあります。1時間の学習内容に対応して、そのようなドリルを作ったら、1時間ではとても終了できないような分量になるでしょう。さすがに、これは馬鹿馬鹿しいことは誰でも分かります。では、何故、この種の教育研究・実践研究が絶えないかと言えば、子ども達の多様性を「甘く」見て、典型的な代表例を1、2だけ取り上げ、粗雑な説明をしている程度だから、1時間程度の中に収まるドリルになります。そして、分からない子ども気持ちが分からない教師は、それで十分対応できたと安心しています。そして、それでも分からない子どもがいた場合、それは、その子がそのドリルを真面目にやっていないからと解釈します。

 それでは我々はどうするか。それは、その時間で成り立った時に初めて解ける問題、つまり、その時間の最終的な目標に対応した課題を数題与えます。出来る子は、直ぐに、自分が分かることを確認できるでしょう。分からない子どもは、分からないことを確認できます。後は、分かる子どもからの情報で問題を解決します。

追伸 どうしてもドリルが大事だと思う方は、どうぞ、子ども達に与えてください。ただし、使えと課さないでください。そして、じっと見守ってください。「学び合いが成立すれば」(成立しなければ駄目ですよ)、子ども達は、そのドリルを殆ど使わないはずです。そして、成績が上がることに気づきます。これに関しては、120%の確信があります。だって、人間以上にパターン認識と判断力を備えた「ドリル」なんてあり得ませんから。我々は子どもの多様性をバカにしません。それらに対応できるのは教師でもなく、ドリルでもなく、子ども「たち」です。

[]わからない 18:30 わからない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - わからない - 西川純のメモ わからない - 西川純のメモ のブックマークコメント


 学び合いを説明しているときに、なかなか分かってもらえないときがあります。その時、「子ども達の説明より、あなたの説明の方が分かりやすいと思いますか?」と聞きます。分かってもらえない先生は、当然のごとく、「そうだ」と応えます。そこで、「まったく分からない子どもも、成績最優秀の子どもも、先生の説明が最善ですか?」と聞きます。ところが、それに対しても迷いなく「そうだ」と応えます。正直、ビックリします。まあ、我々の主張によれば、そういう先生もいるだけ先生も多様なのですから、しょうがありません。でも、相手の立場になって考えると複雑です。だって、私だって万人向きの最善の授業があると思っていました。いや、今でも講演会ではそれをやっています。講演会での私、また、授業での私、そして研究指導の私、結局、私自身の中に、私が呆れる教師がいる。

 我々の研究は、常に自分に返ってくる。自分に返ることが出来るほどの研究だ!と思い誇りに思い、反省しました。