西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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06/10/07(土)

[]方便 22:02 方便 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 方便 - 西川純のメモ 方便 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 嘘と方便という言葉があります。いずれも事実とは異なることを、意図的に語ることです。しかし、両者には決定的な違いがあります。それは嘘は「おのれ」のために語るに対して、「方便」は相手のために語ることです。一般的にはお経は、何を言っているか分からない「音」です。でも、それには意味があります。世の中にはちゃんと「現代語訳」されているものもあります。しかし、そこに書かれているもの(その多くは物語)は、事実とは違うことを釈迦が意図的に語っていることです。でも、それらは、方便です。

 本日、ふと思いました。我々の考え方に立てば、教材研究無意味です。そりゃ、教師自身の楽しみとしての教材研究は残りますが、教師が思っている「子どものため」の教材研究無意味です。教材研究大事の人は、教材研究によって素晴らしい教材・指導法を編み出そうと思っています。しかし、そんなの無理です。正確に言えば、全員の子どもに対して素晴らしい教材・指導法は無理です。それらを考え出せるとしたら、ご当人(つまり子ども一人一人であり、子ども集団)だと考えるのが我々です。それでは何が教師にとっての職能かといえば「自然を愛護する気持ちを育てる」のような分かったような気になりそうで、全然分からない指導要領の目標を、「子どもに」納得させることです。そんなことと、その学問の蘊奥を極めても答えは出ません。必要なのは、学校教育とは何かという考え方です。

 と思うのですが、教材研究に命をかけた真面目な良い先生に対して、「教材研究無意味だ」というこ言葉は、その人の人生を否定する言葉のように思われてしまいます。そのことを考えながら、「方便」のことを考えました。そのような先生方には「教材研究は大事です」、「学び合いにおいても、教材研究の深さが影響します」と言うんです。もちろん、嘘です。教材研究の深さなんてたいした意味を持ちません。重要なのは、学校教育は何か、授業とは何か、子どもとは何かという考え方です。そして、その考えに基づいて、1時間(そして1年)を子どもに任せられるか否かです。でも、あえて嘘を言います。そして、「先生方の教材研究の深さは、語らずとも子どもに伝わります。いや、子どもに強制しなくても伝わるのが、本当の教材研究です。従って、教師は教材研究に邁進するべきですが、それを語るのを控えるべきです。」と語るべきなのかもしれません。そうしたら、教材研究に命の人も受け入れてくれるかもしれません。そして、子どもの姿を通して、そんなことは馬鹿馬鹿しいことに気づいてくれるかもしれません。

 子どもは有能です。教師が相当バカでも、積極的な邪魔をしなければ、相当のことをします。

追伸 我々の職能は、教材研究によって二流の国文学者、二流の歴史学者、二流の数学者、二流の科学者、二流の・・になることではありません。教材研究によってそれらで一流になれるならば、文学部理学部経済学部・・・・で研究者になればいい。しかし、我々教師の職能は、教材の背景となる学問の蘊奥を極めることでもない。また、それを、ちょちょと手を加えて教材とすることでもない。我々教師は、人として、人である子どもに学ぶことの意味を語ることが仕事です。私は問いたい!教材研究に命をかけている人に、「その日の教材、その教科の意味ではなく、学校教育意味を語れますか?」と・