西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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06/09/30(土)

[]誇り 22:17 誇り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誇り - 西川純のメモ 誇り - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は、文部科学省の事業に関わる報告会です。そのため。この授業に協力いただいたY小学校先生が来ていただきました。その報告会で、参加した方々の前で、胸を張って言ったことがあります。

 今まで、色々なところで講演し、その前日、また、その日の夜に講演会の世話をした方と飲み会をしたことは「よく」あります。しかし、Y小学校校長先生とは、そのような何かのついでではなく、飲んで語るために飲めるようになれました(私と飲むためだけのために、数百キロをおいでいただいたことがあります)。私の教え子(私は27歳で30代後半の現職院生の「先生?」になれました)で校長・県教育次長とは、そのように飲めます。でも、それは大学院での同じ釜の飯を食ったものの関係です。Y小学校校長先生(そして教頭)とそのようなおつきあいが出来ることを誇りに思います。

 報告会が終わって、遠方から来ていただいたY小学校先生と手を握り合って、「学校を変えましょう!」と言いました。そして、私の気持ちはその方々の気持ちだと確信しました。そのような口幅ったいことを、その人の目を見て語れる関係を持てたことを誇りに思います。

 学校を変える研修に関わることが出来、その学校の方々と「誇り」を感じられる関係を結べることを誇りに思います。そして、そのような関係を結べる、我々の「研究」を誇りに思います。

06/09/28(木)

[]ガラパゴス諸島 22:19 ガラパゴス諸島 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ガラパゴス諸島 - 西川純のメモ ガラパゴス諸島 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 私は大学生物を学びました、生物学で最も重要概念と言えば、進化論遺伝子です。その一つである進化論が生まれたのがガラパゴス諸島です。生物学、いや科学聖地といえます。私には長い間、謎だったことがあります。なんで小さい島で、あれほど多様な生物が生まれたのだろう・・・

 我が家では、風呂に入っているとき息子が見るために、風呂場には色々なものが貼られています。その中に、世界地図があります。息子は、地図にある国の名前や国旗を覚えて嬉々としています。私もボケーッとしながらそれを見ています。ある時、気づきました。ガラパゴス諸島世界地図で、形のレベルまで見えるんです。最初見て、「え!?」と驚きました。私の知っている、小笠原諸島沖縄列島などは形なんか分からない「点」です。不思議に思って調べてみると、ガラパゴス諸島の全面積は7500平行キロメータでした。これは、宮城県より広いんです。最も大きいイザベラ島は4600平行キロメータ京都府とほぼ同じ大きさです。これほどの大きさがあれば、あれほど多様な生物が生まれても不思議がありません。日本に住んでいる私は、「諸島」という言葉を誤って理解していました。

 子育てをすることによって、学ぶことが多い。と思いました。

06/09/27(水)

[]戦略核兵器 22:22 戦略核兵器 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 戦略核兵器 - 西川純のメモ 戦略核兵器 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 昨日、あることを思いついてしまいました。思いついて、そして自分ながら恐ろしくなりました。それは、原爆の開発をルーズベルトに進言したアインシュタインのような気持ちです。

 世の中には、「指導無きところ進歩無し」という確信のもとに、、支援という名の指導をされている方が少なくありません。そして、自分が最も正しいという指導法によって、グイグイと子どもたちを指導していきます。一般的には、そのような先生は「いい先生」と分類されます。でも、経営学のリッカートによれば、そのような管理者は最も業績の低いことが明らかにされています。一方、我々のように目標を定め、方法を任せ、厳しく評価するというタイプ管理職は、一見いい加減に見えますが、最も業績が高いことを明らかにしています。では、業績が低いにかかわらず、「指導無きところ進歩無し」という管理職が多いのでしょうか?リッカートは、評価がされていないためだと看破しています。

 自分自身の指導法に絶大な自信を持っている方に、「なぜ、それが有効だと思います?それも全員に有効なんですか?」と聞きます。しかし、返ってくる反応は、無根拠に「全員に有効だ。少なくとも一番良い方法だ」と言われます。そこで、「その根拠は?」と改めて聞きますと、感情的な反応が返ってくる場合が少なくありません。また、教育行政が学校に求めるものは、「やっていますよ」と言うための証拠物件としての書類は求めますが、実績は余り求められません。例えば、学力向上フロンティア事業では、シンポジウムや報告書を求められますが、実際に上がったことは求められません。せいぜい、統計的な処理でなんとでもなるようなレベルで誤魔化せるだけの数値で許されます。事業を課している方も、「まあ、そんなに凄い結果はでないよな~」と心の中にあるので、書類が整っていれば、それで良しとしているのでしょう。

 我々は一生懸命に、「全員の学力が上がる」、「全員の人間関係が向上する」、そして両者は矛盾しない、とアピールします。とても凄いことだと思います。でも、反応がいまいちです。理由は、全員の学力が上がらなくても、全員の人間関係が向上しなくても、「しょうがないよね」という生ぬるい評価しか受けないからです。つまり、良いことであっても、しなくてもいいのですから、面倒くさいというのが本当なのかも知れません。厳しい評価が無いのが問題なんです。

 そこで、凄い恐ろしいことを考えました。

 私は日本全国各地の学校によばれ、講演をします。しかし、それらは教師相手です。しかし、保護者相手に講演をしたらどうでしょう。そこで、私の話術やプレゼン力を使って、我々の学術データを理解してもらいます。何故、学力が向上しないのか、何故人間関係が向上しないのかを、素人にも分かる論理と学術データ保護者に理解させます。そして、「全員の学力人間関係が向上出来る」ことを分からせるのです。

 その後、管理職(もしくは研修主任)が提案します。

 『言うまでもなく、学校教育目標人格であります。それらは知育、徳育、体育とよばれる全人的なものです。そこで、3ヶ月先に全校一斉の授業参観を計画したいと思います。午後の2時間を参観時間として、その後に父母の方と懇談会を各クラスで行ってください。その一斉授業参観でのテーマは「全員の学力人間関係を確実にあげる、一人一人に確実に対応した我がクラスクラス経営・授業経営」です。西川先生からは講演がありましたが、別段、「学び合い」でやらなくても結構です。しかし、参観する父母達にちゃんと「全員の学力人間関係を確実にあげる、一人一人に確実に対応した我がクラスクラス経営・授業経営」を理解してもらい、それが現れる授業を見せてください。一人一人の懇談会用のレジュメと、懇談会後の無記名の保護者からの感想は、冊子にして地区の学校の皆さんにお配りしたいと思います。構える必要はありません、日々の実践を見せ、理解して頂くだけのことです。』

 さて、教師同士の間だったら、「全員の学力人間関係を確実にあげる、一人一人に確実に対応した我がクラスクラス経営・授業経営」なんて無理だよね~、で通ります。ところが、親にそれを言える教師がいるでしょうか?保護者は、「自分の子ども『が』向上しているか否か」に厳しい評価者です。その保護者に「全員の学力人間関係を確実にあげる、一人一人に確実に対応した我がクラスクラス経営・授業経営」が出来ることを私が教えてしまうのです。

 私の話を聞いた後の保護者の前で、「ぐんぐん勉強するグループ」、「しっかり勉強するグループ」という名の習熟度別の授業を見せることが出来るでしょうか?

 ご当人(教師)は自信を持っている教材・指導法が、授業参観の時に自分(つまり保護者)が分からないのは、自分が勉強不足なのではなく、教師の側の学習者理解が不足していることを、私が分からせてしまうのです。

 そして、隣のクラスに行くと、私が語ったことが現実となっているクラスを見ることになります。そうすれば、教師主導のクラスにおける子どもの目が死んでいることは明かです。

 と言うことが3ヶ月後に面と向かわなければならないことを理解したら・・・。そうしたら、覚悟が全く違います。そして、変わろうという気になりさえすれば、1週間で変われるのです。

追伸 変わりたくない方と話しても生産的ではありません。だって、自分を合理化する理由なんて山ほどあります。でも、その殆ど全ては、教師集団の身内の中で通る理屈にすぎません。私の代わりに、そのような理屈は、保護者の方に聞いて頂いた方が、生産的だと思います。

追伸2 不遜ながら、確信しています。「全員の学力人間関係を確実にあげる、一人一人に確実に対応した我がクラスクラス経営・授業経営」を実現するには、我々の学校観・授業観・子ども観に考え方を転換しない限り、絶対に無理です。

06/09/26(火)

[]成績が上がらない 22:25 成績が上がらない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 成績が上がらない - 西川純のメモ 成績が上がらない - 西川純のメモ のブックマークコメント


 最近、ある学校に行きました。その学校で、ある先生学び合いをした結果、全員が分からなくなった、とおっしゃいました。私には理解不能の言葉です。だって、授業を受ける前に知っている子が、かならず4、5人はいるはずですから。そこで、そのクラスに行きました。そこで、改めて聞くと、分かった子はやはりいたのですが、「学び合いでも、出来なかった!」と表現するためのレトリックのようです。

 そのクラスを見ると、直ぐに不思議に思いました。それは子どもが殆ど動かないのです。そこで、その先生に「このクラスで成績の良い子どもは誰ですか?」と聞きました。その子を見ていると、殆ど教えておらず、なんか作業をしています。そこで何で教えていないのか?を聞くと、ビックリしました。そのクラスでは、膨大なドリルを与えているそうです。そして、出来る子はそのドリルをこなすので精一杯なそうです。聞きながら、「そりゃ、そんなら学び合いは起こらず、分からない子が生じても無理ないは・・」と思いました。その先生は、授業時間に「3人に教えてください」と指示を与えます。そうすると、子ども達が教えていますが、「ノルマ」が終わると、ドリルに戻ります。その先生は「ドリル」の重要性と、自分自身の指導方法で子どもを分からせた実績を私に語ります。まるで、「塾」のような授業です。

 塾のような指導を完全否定しません。しかし、かならず、問題が二つ生じます。第一に、塾のような指導が合う子どもは、全員ではない、ということです。残念ながら、このことが意識されないようです。第二に、そのような授業では心の成長が「脇」に置かれています。

 こう書くと、その先生を否定しているようですが、その先生の実力はわかります。一言で言えば、「いい先生」です。自分の実践力に自信があり、また、おそらく、その自信を裏打ちするような実績もあるでしょう。でも、その先生と話しながら、実は修士2年のKanさんを思い出しました。Kanさんは実力もあり、自信もあります。おそらく、大学院入学前に、Kanさんの学校に私が行って「学び合い」を話したならば、おそらく同じ反応をしたでしょう。いや、Kanさんだった、大学教師の言いぐさを、バカにしてうまいぐわいにあしらうでしょう。そして、うまい具合におだてて、いい気になっている私を、あとで笑うでしょう。でも、Kanさんに限らず、我が同志各位は同じでしょう。その先生は自分指導法に関して自信がおありになるようです。そして実績もあるのだと思います。でも、私だって、子どもが分かる気の利いた教材・指導法だったら、人に売るほどある!でも、我々同士は、それでは全員分からせられないという、自分の限界も気づいている。

 さてさて、どうするべきなのか・・・

[]同志 22:25 同志 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 同志 - 西川純のメモ 同志 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 最近、ある学校先生から「悩み」のメールを頂きました。私自身はある応えがあったのですが、「悩み」のレベル学校レベルだったので、そのことに経験のありそうな同志にメールをしました。その方々は、日本各地数千Km離れている方々です。数年合っていない人もです。その方々は、面と合える状態ではないですから、メールを受けてから応えるまでに相互に相談したとは思えません。

 本日(早朝から)、ばらばらと返信を受けました。最初のメール、次のメールを読みながら、自分の「応え」と同じ内容だったので安心しました。その後、どんどん返信をうけながら、ジワジワと別な思いが生まれました。それは、見事に同じなんです。もちろん表現は違っていますが、書いていることが同じなんです。まるで、つるんで、調整して書いたとしか思えないほど一致しているんです。偶然では、絶対に起こりえないことです。夕方頃に来たメールに対しては、ボロボロ涙を流しながら読みました。なぜか・・。日本各地数千Km離れ、数年合わなくても、考えることは同じなんだと言うことです。我々と私は書いています。でも、これほど「我々」であることに、私自身が驚いています。

 色々、落ち込むことは多いですが、「私は一人でない」ということを感じました。

06/09/22(金)

スカイプ 22:28 スカイプ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - スカイプ - 西川純のメモ スカイプ - 西川純のメモ のブックマークコメント


 現在大阪にいます。明日、連合博士課程10周年の記念事業があり、そこで講演するためきました。今回、家と宿泊先をスカイプで結びました。実に快調です。家内や息子と顔を見ながら話せて、とってもよかった。今後も使おうと思います。

追伸 個人ゼミスカイプでやりました。研究室飲み会の調整もスカイプでやりました。すごく便利です。ゼミをやっていると、後ろのほうから、「これって怖いよね」という誰かさんの声が聞こえました。そうですよね。私がどんなに遠くに出張しても、「期待しているよ」の網から逃れられないということが、強~く、実感できるんですから。

[]数学が出来るべきか 22:28 数学が出来るべきか - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 数学が出来るべきか - 西川純のメモ 数学が出来るべきか - 西川純のメモ のブックマークコメント


 ある数学先生からメールとのやりとりをしています。その中で、大事なことなのでメモりたいと思います。

 メールのやり取りの中で、教科の内容理解に注目するのではなく、学校教育はなぜあるのかを考えてほしい、と語りました。そして、「分かるからといって偉ぶることなく、分からないといって卑屈になる必要はなく、そのことを学校教育で学ぶことの方が、数学で分かるか分からないかより、遙かに意味のあること」と語りました。

 その先生から『学び合いを進められる雰囲気になっても、数学においては、分からない人の存在を消せないということでしょうか。分かるからといって偉ぶることなく、分からないといって卑屈になる必要はなく、そのことを学校教育で学ぶことの方が、数学で分かるか分からないかより、遙かに意味のあることだというのも納得できますが、やっぱり数学も分かってもらいたいのですが、そのように考えるのは駄目なのでしょうか。』と返信がありました。

 そこで、『理解できますが、我々の考え方の根本ですので、あえて聞きます。何故、数学を分かる必要があるのですか?』と私が聞きました。

 それに対して『すべての生徒が数学を分からなければいけない、とは思いません。もし、解法だけを覚えって分かった気になり偉ぶるのなら、数学ができる人もできない人もいる、一つの問題についても、いろんな考え方がある、などもっと学んでもらいたいと思うところはあります。ただ、数学が分からない、と思い込んでいるよりも、「分かった」と思える瞬間が少しでもあった方が、数学の時間が苦痛でなくなるのではないか、と思います。だから、私は、数学の内容も分かってもらいたいのですが。そう考えたとき、私が一生懸命に話すより、いろんな生徒の説明に触れる学び合いを通すと、「分かった」と思える瞬間が増えるのではないか、と思いました。』という返信をいただきました。

 そこで以下のメールを送りました。

私の言いたいことは、その先生の心に反映した子どもの行動が起こると言うことです。

例えば、ある先生の場合、アスペルガーの子どもイライラした反応をしたとします。

そうすると、その先生がアスペルガーの子に言っているように、やっているように子どもはその子に対応します。

結果として、叱責をするようになるんです。

何故なら、教師の行動は「善」なのですから、その子を叱責することは「善」なのですから。

ところが、我々のOBが担任になると、そのようなことはしません。

結果として、クラス子どもの行動は変わります。

数学が出来る」を求めても成り立たない子が出ます。

そのときの教師の気持ちは、行動に表れ、子どもがそれをまねするんです。

これは、どんなに教師が演技しても、子ども達に見破られます。

数学が出来無い子より、頻度は桁1桁以上少ないものの「学び合いが出来ない子」が出ます。

もし、「学び合う」ことをその子どもに求めれば、同じことが起こります。

大事なのは、教師は子ども一人一人と繋がるのではなく、集団と繋がることが大事なんです。

学び合い結果は、集団としては数学が出来ます。

これは100%保証できます。

学び合い結果は、集団としては学び合うことが出来ます。

これは120%保証できます。

その集団の中での、個々の子どもが出来るか、出来ないかは、子ども達集団の中で決まるものです。

その腹ができるか、否かが大事です。

追伸 我々は一人も見捨てたくない。でも、それを実現するには、教師が一人ひとりに繋がろうとしてはだめだと考えます。教師が繋がるべきは、子ども集団です。一人一人は、他の子どもに繋がることによって救われます。教師の力なんぞ、たかが知れています。下手にかかわれば、じゃまなんです。教師は子どもを救う力はないですが、他の子どもが救うのを邪魔する力はあるんです。

06/09/21(木)

[]マーケティング 22:30 マーケティング - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - マーケティング - 西川純のメモ マーケティング - 西川純のメモ のブックマークコメント


 我々の考え方を広げるにはどうしたらいいか、考えました。そのためには、我々の考え方の長所短所を分析しなければなりません。長所は、以下の通りです(順不同です)。

 1)学力が上がる。学ぶ姿にもハッキリ出来ますが、テストの点数にもハッキリ出ます。

 2)子ども同士の人間関係が良くなる。仲良しこよしではなく同僚になります。人間関係のゴタゴタが激減します。

 3)親の評判がよくなる。だって、子どもが家に帰って、嬉しそうに学校のことを話すようになるのですから。

 4)教師が楽しくなる。同じ仕事をしても辛くなくなりますし、子どもの様子をワクワクして楽しめます。

 5)直ぐに出来るようになる。1週間程度で出来るようになります。考え方を変えればいいだけで、新たな知識・技能を必要としませんから。

 と、120点満点です。では、欠点はといえば・・・

 おそらく、たった一つです。それは、考え方を変え、実際に実践することが難しい、ということのみです。理由としては、以下のようなものが挙げられます。

 1)今までの教育界での常識と全く異なるので、授業をイメージしずらい。

 2)結果として、実践に踏み切れない。または、従前の常識で我々の考え方をねじ曲げて理解するので、実践に失敗する。

 3)授業をイメージか出来ても、失敗したら、と不安になり実践に踏み切れない。

 3)に関しては、補足があります。我がゼミの4年生に、「採用された初年度に「学び合い」をするか?」と聞きました。ゼミ生達はニヤニヤ笑って首を振りました。彼らは、我々の授業のイメージに関しては理解しています。でも、その彼らもやらないと応えます。理由を聞きました。彼らによれば、「もし、失敗したら・・」ということです。

 我々の考え方は、かなり革命的です。一度も自分では実戦した経験がない人は、やってみなければ分からないというのが正直なところでしょう。かなり自分の授業力に自信を持っている人であれば、「失敗したって、あとで何とでもなる」と腹をくくれるでしょう。もしくは、「失敗したって、きっとだれかに助けてもらえる」という当てがある人なら腹をくくれるでしょう。ところが、自分に自信が無く、職場の人に対して信じることが出来なければ、腹をくくれません。ゼミ生は「みんなと同じことやって、うまくできなかったとしても、そんなに責められないけど、みんなと違ったことをして、うまくできなかったら、周りの人から言われる。それに、みんなと同じことやって、うまくできなかったとしても、どうやればいいか聞ける人がいる。でも、みんなと違ったことをやって、うまくできなかったとき、相談する人がいない。」と言っていました。さもありなんと思います。

 つまり、我々のしなければならないのは、二つです。第一は、授業の姿を見せることです。第二は、何かあったらサポートする体制を整えることです。第一に関しては、既に「2泊3日の上越研修」というものがあります。我が研究室に来て、2泊3日、シャワーのように我々の実践を見ます。ただ、これは敷居が高い。遠方の方が、いながらで実践を見られるようにしたい。でも、そのためには肖像権個人情報の配慮が強く求められます。でも、これは計画中です。第二のサポートですが、私はメールを受ければ、誠意ある対応をしています。でも、これをネットワークで解決するシステムを構築したいと思っています。

06/09/17(日)

[]ぶれない(その2) 22:31 ぶれない(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ぶれない(その2) - 西川純のメモ ぶれない(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 愛知教育大学シンポジウムに参加し、本日、帰ってきました。

 シンポジウムでのテーマは、授業力をどうやって次の世代に伝えるか、ということです。そこで語っている私のスタンスは、平常の授業と同じ立場、同じ論理で語りました。まず、第一に、我々は教科学習を一番大事にします。だって、学校教育の殆どを占めているんですから。我々は教科学習と生徒指導は表裏一体であると主張しています。そして、生徒指導は教科指導でしなくて、どこでするんだ!と主張します。教師の職能形成も同じです。教師の職能形成の場は様々です。官製の研修、また、様々な地元サークル、そして、全国規模の研修会があります。でも、本当に大事なのは、毎日毎日です。

 教師の授業力アップの最大の教師は誰でしょうか?校長でもありません、教務主任でもありません、学年主任でもありません。ましてや、たまにくる指導主事、初任者研修退職校長でもありません。それは子どもです。子どもは実に厳しい指導者です。私の場合、特に、厳しかった。私の初任者での教え子は、「分かったふり」、「聞いたふり」を出来ない子ども達です。少しでも手を抜けば、授業が成り立ちません。よく、コメディアンが、一番の修行の場は「ストリップ劇場」だと言います。よく分かります。私の子ども達と同様に、少しも容赦がありません。もし、1日6時間の授業をすると言うことは、6時間の子どもの指導を受けることです。そんな厳しい指導を受けたら、復習は大事です。そして、それをふまえた予習は必須です。だって、それをしなかったら、翌日は悲惨な状態になります。どうやって、予習・復習したらいいでしょうか?もちろん、子ども達は帰宅しています。では、学校研修会、官製研修サークルがその場になるでしょうか?絶対に否です。だって、そんな会は、どれだけの頻度で開催されますか?毎日、毎日の授業の予習・復習が月の何のかの研修でやれるわけ無い。今日の復習は今日やらねば、明日の予習は今日やらねばならないのです。では、私の場合はどうしたか、基本は自分です。でも、その自分の毎日の予習・復習を支えてくれたのは何か、それは、職員室の脇の御茶飲み場です。そこで雑談の中で、愚痴を言い、元気をもらい、そして、アイディアをもらいました。それでも解決できない場合、先輩から「西川今日は飲みに行くぞ!」と引っ張られました。今でも思い出します。私が20代後半の時、30代中盤の先生が、早めに職員室から私を連れ出して飲みに行くときのことです。その先生は、教頭先生に「○○(その先生の名前)一等兵、西川二等兵の指導のため、いち早く○○(学校近くの飲み屋)に研修を深めに行きます!」と言って、ニコニコして行きました。教頭はニコニコして「ご苦労様です!」と言っていました。今考えれば、あれが私を育てた職場です。だから、私はどんな研修会よりも、職場が大事だと信じて疑いません。

 では、そんな職場は何故なりたつのでしょうか?その先輩のキャラクターに帰すこともできます。でも、違うと思います。どんな職場にいる先生も、りっぱであり、愚かであります。滅私奉公であり、利己的です。その割合、その度合いは、古今東西変わりありません。教室も同じです。子どもキャラクターによって、そのクラスにおける学習の正否を理由づけることも可能です。でも、どんな教室にいる子どもも、有能であり、愚かであります。よい子もいれば悪い子もいます。その割合、その度合いは、古今東西変わりありません。問題は、彼らのどの面を表出させ、表出させないかの違いです。それが出来るのは、教室では教師であり、職場では管理職です。

 私は、単なる教材論を下らんと思います。同様に、教師の職能形成を、単なる職能論で論ずるのは意味がないと思います。その集団のあり方、そして、その場の管理者で理解すべきだと思います。我々は、クラス子どもを語ります。でも、全く同じ論理で、職場・教師を論じることが出来ます。

追伸 そのシンポジウムの参観者からメールを頂きました。少なくとも、お一人の心に、私の願いが伝わったと信じています。

06/09/15(金)

[]しゃべりすぎ 22:33 しゃべりすぎ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - しゃべりすぎ - 西川純のメモ しゃべりすぎ - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日名古屋にいます。名古屋の同志と飲めることを楽しみにしていました。しかし、名古屋の同志の仲間の方と話すので時間いっぱいです。名古屋の同志の方は、意識して一歩引いています。意識して、自分たちではなく、自分たちの仲間と私との場を、意識的に設定しているようです。ということですので、その場に、どっぷりつかりました。し、か、し。名古屋の方が、紳士的なのか・・・、私にしゃべらせるようにうまく誘引しているのか、とにかく、私はしゃべりっぱなしです。27秒でYuに指導されるのですから、今日だったら、おしりペンペンの刑です。

 同志のために、そして、同志の同僚、同志の同僚の子どものために、何が出来るだろう、と思います。やらねば・・

[]ぶれない 22:32 ぶれない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ぶれない - 西川純のメモ ぶれない - 西川純のメモ のブックマークコメント


 名古屋の同志の仲間の方と、いろいろ話しました。その方から「西川先生は、どんなことを言われても、ぶれませんね」と言われました。最大級の賛辞です。大抵の教育研究者の場合、ジャンルを定めた会話をします。例えば、教科教育の人は、その教科の指導を聞かれ、答えます。一方、教育学の人は、学校教育目的を聞かれ、答えます。教科教育の人は学校教育目標は聞かれません(おそらく、きいてもしょうがないとおもわれているのでしょう。)。学校教育の人は、教科教育のことを聞かれません(おそらく、きいてもしょうがないとおもわれているのでしょう。)。不遜ながら言います。我々は学校教育のことも、教科教育のことも聞かれますし、答えます。何故なら、我々にとって、それらはコインの裏表ですから。学校教育は教科教育の裏支えがある。教科教育は、学校教育目標に根ざしている。と、我々は思っています。どんなことを言われても、結局、「教育とは何か」といえる我々は強いと思います。

06/09/14(木)

[]判別法 22:39 判別法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 判別法 - 西川純のメモ 判別法 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日、Sakさんと個人ゼミをしました。その中で、学び合いが分かっている人と、いない人を判別するポイントはどこか、ということです。学び合いが分かっているか否かは、話してみれば直ぐに分かります。でも、総合的だし、多面的なので、ハッキリ分かるんですが、どこがどうと言えずらいところがあります。煎じ詰めれば、学校教育・授業・子どもをどう考えているかという考えに帰結するんです。でも、誤解を恐れずにいくつかのことをSakさんに語りました。順不同です。

○自分のやったことを誇るのではなく、子どものやった凄いことを誇る。

 これって、自慢話なんです。でも、自分がやったことではなく、その結果として生じる子どもの姿を通して、自分を自慢するんです。当たり前のようですが、そうでない方は少なくありません。例えば、研究授業で自分が開発した教材を自慢するとき、自分がどうやって教材を開発したかを長々語る一方、その教材によって子どもがどのように活動したかが相対的に短い方が殆どです(私の経験上)。特に、理科教育学における教材開発研究などは端的で、教材開発に関わる理論的・実験的なデータを記載しているのですが、それを実際に実践したデータが皆無なんです。つまり、これだけ苦労してつくったんだから、子どもたちはその通り動くはずだ、と考えるのでしょうね。そのような先生だから、「教師は最善の教え手ではない」などと言われると、怒ってしまうんです。

○その授業の目標を端的に言える。

 学び合いが分かっていない方に、「教の授業の目的は何ですか?」と聞けば、長々と語ります。良く聞くと、それは目的ではなく、作業なんです。つまり、目的と作業を取り違えてしまっています。その結果として、授業を見ると、「この先生は、ここで何を説明しているのですか?」とか、「この場面で使っているプリントは、どんなプリントなんですか」ということが気になります。ところが学び合いが分かった方なら、端的に目標を語ることが出来ます。そして、授業を見る場合、どのような課題と目標を与えているかに着目します。

一年スパン子どもの成長を、授業と関連させて具体的に語ることが出来る。

 先に述べたように、学び合いを分かっていない方の場合、1時間であっても複雑です。その結果として、1年間は、超~複雑です。結果として、理念的・抽象的なものとなり、ありがた~いお題目程度の意味しかありません。ところが、学び合いが分かった先生の場合は、そもそも学校教育とは何かということから出発するので、ちゃんと語ることが出来ます。

 他にも山のようにありますが、よくあるパターンとしては以上のものがあります。

[]自慢話合戦 22:39 自慢話合戦 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自慢話合戦 - 西川純のメモ 自慢話合戦 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日、ある方からメールを頂きました。最近「自慢話」というメモを書きましたが、その方が上越に3泊4日で来られたとき、同時に、全く違う学校から3泊4日で泊まりに来た方がいます。我々は異質な人が関わる方が良いと考えています。それ故、夏休み勉強に来たいという方が複数来たので、調整して一緒の日に来るようにしてもらいました。結果は大成功です。互いに学び合って、多くを得て帰りました。その方が、「自慢話」のメモを読まれて、メールをくれました。以下の通りです。

 『西川先生

 ○○@○○市立○○小です。

 長くなりますが読んでください。Sakさん(西川研究室院生さん)にも同じメールを送っています。先生の書かれているメモにあった「自慢話」を書かれたのは○○さんでは・・・。私も自慢があります。(でも西川先生のおかげげすが・・・)(中略)各クラス(4~6年生7クラス)の授業を5時間ほど行いました。まず変化として以下の点が上げられます。

子どもが教室に入るなり「今日は何を解決するの?」「今日は○○についてかんがえるんだよね」と真っ先に言うようになり,すでに教科書今日の内容を予習している。

〓導入で何も言わなくても静かに目だけでなく心も集中していることが伝わってくるようになった。

〓「さあ,どうぞ!」といえば,待ってましたとばかりに動き始めるようになった。

〓私が感動できるようになった!(※)

 ※本当に小学生レベルの内容以上のことを問題にし,議論しながら説明できるようになろうとしている。また,他の人に対して「それってでも○○なんじゃない?」とこちらも気づかないような事を突っ込んでいる。したがって,わたしは,「うわ~すっげ~」と思って私の出番が多くなるのではと思うのだが自分たちで道具などを使って解決するのでさらに「すっげ~」と思ってしまう。

事例1:5年生理科「花から実へ」

花粉がつくことで実ができることを証明する実験を考えていたとき

A「どうして紙の袋じゃないといけないの」

B「紙だと水や空気を通すから」

A「でも花粉も通すんじゃない?」

B「・・・・・」

C「じゃあ顕微鏡で紙を見て花粉の大きさと比べてみたら?」

B「先生顕微鏡かりてもいいですか」

・・・・・・・・

B「紙は300倍でも穴が見えないよ」

A「わかっただから紙のほうがいいのか~」

  (うお~すっげ~この子達などと私は心の中でウルウルきています。)

といったことが毎日のように起こっています。

〓「どうせ先生に聞いても,何のためにとかその理由はとか,どうしてって聞くんだよなあ」とつぶやく子どもがいる。

〓黒板で解説をする子どもが出てきた。(※2)

 ※2 今のところ最後に2名ほど説明してもらうようにしているのだが,他の子が書いた 解説の図を使って別な子が説明するようになった。また,どうしたら伝わりやすいかを考える子どもが増えてきた。

〓私自身が授業教材研究をするのが楽しくなってきた。

などなどです。

問題点としては まだ,全員がわかるようにということが十分伝わっていないのかどうしていいかわからないままウンウンうなっている子や他の子にどう関わっていいかわからずに戸惑っている子もいるということぐらいです。しかしながら,Kanさん(西川研究室院生さん)がおっしゃっていた最終的にはまとめもいらなくなるというのが

なんとなく分かる気がします。今の調子で行くと本当に私の出番は最初だけでいいような気もします。

〓で教材研究が楽しくなってきたと書きましたが,やはりそれはあくまでも教材研究をしたから子どもが分かる授業ができるわけではなく子どもを信じて,活動させたときに子どもが考えている世界が私自身どのようにつながっているのか先が知りたくなり,教材研究をしたいと思っているという感じです。教材研究をそんなにしなくても本時や単元の目標にある終着点に子どもたちは自分たちで着陸できると思いますよ。(夏休み上越にいたときはそのように信じきれなかったけど・・・)ただ,教材研究をして子どもを信じた(?)授業をすれば,もっと高い内容を習得することができる目標を設定できるし子どもたちもその目標に基づいた問題を自分たちで解決できると思います。はじめに教材研究ありきだと子どもたちがひいてしまう授業になる気がするし,私はこれまでそんな授業をしていたのだと思います。今だからよ~~~~くわかります。昨年,子どもたちがすごいところまでたどり着いたと思っていた授業があったんですが,そのあとに「これでよかったのか?」と感じていました。それはやはり,一部分の子が引っ張っていた授業であり,他の子達は難しくて,あまりおもしろくなく,ちょっと疲れた授業だったのだろうとおもいます。今,その単元の授業をすれば全然違う形になると思います。今週は改めて西川研のみなさんに感謝する一週間でした。ありがとうございました。担任のほうがやりやすいと感じているのは今もかわりませんが,専科でも私の授業・教育についての文化が伝わり,その時間に浸透していればできます。

 長~~いメールを読んでいただきありがとうございました。』

追伸 私の返信は『おそらく、もう2週間たつと、もっと感激するようなことを教えてくれますよ。期待しています。』です。今、問題を抱えていますが、何も言わなくてもご自身で解決できるでしょうから。本日も、ウルウルさせていただきました。感謝

[]愚痴 22:39 愚痴 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 愚痴 - 西川純のメモ 愚痴 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 先のメモを書きながら考えました。たった3泊4日のつきあいで、こんなに感激を与えてくれる。

 正直言えば、今の大学は本当に忙しい。毎日、毎日、殆ど意味がない書類づくりのために時間を使われる。そして、嫌いで無い人(いや、尊敬できる人)と怒鳴りあいの議論をしなければならない。そんなことをしていないで、じっくりと読んでみたいと文献が山ほどあります。数十人のゼミ生がいれば、もの凄く気を遣う(周りの人はそう思っていませんが、私は、もの凄く小心者です)。それが、数年のレベルで続き、さらに言えば、今後も数年も続く(いや、一生続くだろう)。そう考えると、給料の良い私立大学にうつって、面白くて分かりやすい授業をしているだけの方が良いように思います。でも、直ぐに思います。たった3泊4日のつきあいで多くを得ることが出来るのは、数十人のゼミ生のおかげだし、それは数百人のOBOGのおかげです。そして、彼らの環境を整えられるのは、「殆ど意味がない書類づくり」と「嫌いでない人との怒鳴りあいの議論」の成果です。例えば、今の環境は、平成11年の終わり頃から、平成15年に続く政治闘争の成果です。だからしょうがない。

 でも、これが最後の闘争で、今後は安穏とした20年間を過ごしたいと願います。でも、無理でしょう。でも、出来れば代わりに闘争してくれる人の陰に隠れたい。例えば、我が教え子で同僚のKuさんに次の闘争は任せたいと願いました。でも、直ぐに考えます。そうなると、私が闘争しているときのT先生の役割に私がならなければならない。それは辛い。どちらかと言えば、私は現在の方が自分に合っている。ということで、二人必要です。私の代わりに闘争してくれる人と、T先生の役割にならずにすむように代わりになれる人と。私は、その二人の影に隠れたい。そして、いっぱい感激を味わいたい。

 でも、無理ですね。愚痴です。

追伸 本日は47回目の私の誕生日です。息子からは私の顔の絵をもらいました。1年前の絵に比べて、格段の進歩です。来年誕生日には、今回のごたごたの山は越えて欲しいと、本当に願います。今回のごたごたは、既に2年以上も、ず~っと続いています。その間に書いた書類を全て積み上げれば、私の身長以上になるはずです。

[]自分へのエール 22:39 自分へのエール - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自分へのエール - 西川純のメモ 自分へのエール - 西川純のメモ のブックマークコメント


 我が同志が、失敗したことをブログに書いていました。結局、目標の設定が悪かったと分析していました。その失敗の過程が、実に、嫌になるほど、分かります。私も、よくやるから、よく分かります。そう思ったので、エールを送りました。でも、メールを送り終わって、そのメールは自分自身へのエールでもあることを気がつきました。そこでメモします。自分が失敗したときに、自分が書いたことを思いだそうと思います。その渦中にあると、忘れがちだから・・・

学び合いがいくら出来ても悩みはつきません。

でも、問題が起こったとき、

だから、教材研究が必要だ、と思うのではなく、目標を語り直そう、と考えられるから我々は強い!

どんなときでも、仕切り直しが出来ます。

だって、子ども達自身にとって、その方がいいんですから。

追伸 明日は、いっぱい、自慢話のエネルギーをもらいに出張します。

06/09/13(水)

[]自慢話 08:14 自慢話 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自慢話 - 西川純のメモ 自慢話 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 毎年、某市より研修に来られる方がいます。今年もいました。その方は夏休み中に3泊4日かけて我々と徹底的に議論し、我々の研究室が持つ膨大な実践ビデオを視聴しました。その方と話して、我々の考え方を会得した、いや正確には、その方の中に既にある我々の考え方を自分で見いだした、と感じました。夏休み明けの2学期に実践すると宣言してお帰りになりました。その結果を聞きたいな~、と思っていました。そんな時、9月16日愛知教育大学で行われるシンポジウムによばれることが決まりました。無理したら日帰りも可能です(かなり無理がありますが・・)。出張嫌いの私としては、そうしようと思いました。しかし、某市は愛知教育大学の直ぐ近くです。そこで、その方に「今度行くから、時間が取れたら合いません?そして自慢話をいっぱい聞かせてください」とお願いしました。快諾いただけました。その方の声がけもあり、懐かしい方、初めての方も一緒に15日の夜に飲めることになりました。ワクワクします。本日、その方より以下のメールを頂きました。

『○○市立○○小学校 ○○です。お世話になります。

 15日の会に○○さんがらみであと3人参加します。西川先生を含め計10名の会になりました。楽しみです。○○市を代表するつもりで,9名がお待ちしております。

 ということで,きっと当日は西川先生を独り占めすることも難しそうなので,2学期の自慢を少しだけ先に。ただ,具体的場面は多すぎるので,全体的な話で。

 クラスが順調すぎるくらい順調です。子どもたちのどんな姿が見られるのかが楽しい日々です。楽しいからでしょうか,よく学び合いの授業をされる先生が語っていらっしゃるように,自分にゆとりがあるのを感じます。「楽」というのとはちょっと違って,「楽しい」です。もともと私のクラスはよく相談をします。授業の何気ない時にも,すぐ相談です。それが1学期は私が促すことで行われていたものが,最近はとても自然です。すでに,「相談」ではなく「学ぶ」感じ。「相談のための相談」ではなく,「学ぶための意思表示と問いかけ」といった感じがします。1学期との違いは2つ。何のために学ぶのかを私が常に語ること,と感謝感激。「目標の設定と評価」を実感してます。

 長くなるんですが,1つだけ。

 算数の授業で「単位量あたり」の学習をしました。畳の枚数とそこにいる人数の違う2つの部屋について,「2つの部屋の混み具合の比べ方をみんなが分かる」,を伝えたら,ちゃーんと21人の学習者(含む私)ができました。ここの授業をすると,よく畳1枚あたり,とか,1人あたり,の考え方ではなく,あまった畳の枚数で判断しようとする子がいます。6年生を受けもつのは8回目,という今までの経験の中では,「あまった畳の枚数で判断する」がうまい方法ではないことを私はよく伝えられなかったのですが,子どもは実によく語る。

「人数が違うからややこしいんだって」

「は?そろえるってこと?」

「なんで,こんなの1人分で比べればいいじゃん」「ああ,そうか」

「こっちの方がいつでも使えるでしょ」

 なるほどなあ,それを伝えるのに今まで結構苦労したのになあ,と思いながら私は子どもたちを見てました。結局,私は立式の方法すら伝えませんでした。それでも,「混み具合の比べ方」を子どもに問うとみんなが説明しました。それでも,授業の最後に気になって,似たような問題をさせました。たいていいつもは1枚あたりや1人あたりで混乱して,計算はするもののそれが何を意味しているかわからず間違える子がいます。問題を解かせて,「全員が分かったか確かめる」と伝え,顔を伏せてもらい,挙手で正解を問いました。そしたら,3人を除いて正解でした。知りたかったのは,「できた,できない」ではありません。「分かったか」です。で,彼らは「分かった」と確信してます。だって,間違えた3人はいつも「よくできる子」で,「よくできない(と思ってた)子」がみんな完璧でしたもん。正解に上がる「いつも間違える子」の手に,ぞっ,とする感覚を味わわせてもらいました。うれしい気持ちをぐっとこらえて,「うーん,みんな同じじゃないみたい」と子どもたちに言うと,「間違えたよくできる子」が「あれ,あれ,あーっ」と気付いてました。授業が終わって給食になっても,間違えた3人がああだこうだと話している姿がほほ笑ましかったです。

 子どもに任せて授業をしていると,中には友達に「教えよう」とする子もいます。でも,そういう時ってうまくいかないですよね。一方通行だから。で,私は,ついみんなに聞こえるように「教えようとするから分かんないんじゃない」って言いました。そしたら子どもはやり方を変えました。

 社会楽しい。「おまえ資料集なんて開いたことなかったじゃん」みたいな子が必死で資料集を見つめてます。国語楽しいパネルディスカッションが成立してました。ただ,理科がまだ十分な手ごたえがない。原因はわかってるんです。私のせい。もちろん,子どもは大活躍してます。ただ,「今まで」を子どもも私も引きずっているだけ。もっとも,理科はまだ2回しかしてないので,次は変わるでしょう。きっと。それでも3回目ですけどね。

やっぱり長くなりました。お会いできるのが楽しみです。

長文失礼しました。』

 私の返信は以下の通りです。

こんにちは上越教育大学西川です。

 でも、『うれしい気持ちをぐっとこらえて,「うーん,みんな同じじゃないみたい」』とよく言えましたね。我々は「みんな」ということを大事にします。「みんなのためのみんなではなく、自分のためのみんなであり、その間合いを自分が決めることが出来る」ことを大事にします。もう、あなたに伝えることは何もない。あとは、いっぱい自慢話を聞かせてください。

 ありがとう!私は、今、ウルウルしています。というより、ボロボロ泣いています。ありがとう

 人の自慢話が、なんで、こんなに自分を幸せにしてくれるのだろう!もっともっと、これからも自慢話を聞かしてくださいね。そして、後は、自分のクラスだけではなく、これを広げることに力を注いでください。そうすれば、今の私のような感激を得ることが出来ます。15日はその一歩になればいいな~

追伸 この方の専門は「理科」なんです。だから「引きずる」ものも多いためだと思います。でも、直ぐにそれを乗り越えられるでしょう。ワクワク

追伸2 明日までに仕上げなければならない仕事のため、深夜まで書類書きに追われました。しかし、寝る前に上記のメールを頂き、幸せな気分で眠れます。感謝

06/09/12(火)

[]学び合いが出来る教師の条件 08:17 学び合いが出来る教師の条件 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学び合いが出来る教師の条件 - 西川純のメモ 学び合いが出来る教師の条件 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 我が同志のYzさんのブログに『学びあいのある授業をつくれるのは、教えることができる技術のある教師でなければできません。(言い切れる確信を持っています)』とありました。この言葉の表現は、正しくもあり、かつ、誤っていると思います。確かに、学び合いを実証し活動している、同志と私が思っている方々は、例外なく「教えることが出来る技術のある教師」です。それも、最上レベルに達した方々です。しかし、この言葉を正確に理解するにはYzさんレベルの理解が必要です。そのレベルに達していない人がこの言葉を聞けば危険だと思います。なぜなら、「だから、まずは教材の技術を高めて、指導の技術を高めて、・・」となり、結局、元の木阿弥になってしまいます。「そんなことはないんだ。まず、子どもたちを信じる、それが最初だ」と、最高の技術がある方々が主張しなければなりません。

 私は断言します。学級崩壊を繰り返すようなレベルなら確かに無理でしょう。でも、日本の圧倒的大多数の教師のレベルならば、学び合いは出来ます。これを理解するには、前提として、学び合いにおける教師の役割を考えなければなりません。学び合いクラスにおいては、教師は管理職であって、教師ではなくなります。それでは誰が教師になるかといえば、クラス子どもたち全員なんです。もし、教師がいつまでも子どもたちと同次元にいて、先輩教師として、子どもたちに「教え方」を伝えるならば、教師は教える能力が必要です。しかし、管理職となればそのような能力はいりません。

 リッカートという経営学者は、管理職としての業績と、その業種の現場における専門能力との相関を測定しました。その結果、極めて弱い相関しかないんです。つまり、平社員、主任、係長レベルならば、その現場における専門能力が重要です。ところが、課長、次長、部長、さらに取締役となるに従って、そのような専門能力は意味を持たなくなります。いや、「自分の時はこうだった」という悪しき囚われの押しつけが起こります(教科専門に強い人が、その人の考え方を子どもたちに押しつけるのと同じ)。では、管理職としての業績に最も影響を与える資質は何なのでしょうか?リッカートによれば、その会社がどのような社会的な意味を持っているかを、そして、どんな発展が望めるかを語れる能力です。我々の同志が、何故、教える技術が高く、そして、学び合いの出来る教師になったのか、それは、教える技術が高いからではありません。それは、教育に対して高い志を持っているからです。その志が高い故に、教材や教える技術を高めるために汗し、結果として技術は高まりました。それは結果であって、原因ではありません。

 確かに、社長でも一流の社長もいれば、三流の社長もいます。教師の中には、一流の管理職になれる人もあり、三流の管理職にしかなれない人もいるかもしれません。でも、考えて下さい。スーパ教師がたった一人の学校と、そこそこの教師30人 (つまり子ども。実際は我々教師以上の力を持っています)と、そこそこの校長(つまり普通の教師)の学校と、どちらが長期間にわたって安定して業績を上げ続けられるでしょう。私は後者だと考えています。

 私は、子どもに教師たれと求めます。同時に、教師に校長たれと求めます。それ故に、「教える」ことを捨てろ、と主張します。

[]学び合いが出来る教師の条件(その2) 08:17 学び合いが出来る教師の条件(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学び合いが出来る教師の条件(その2) - 西川純のメモ 学び合いが出来る教師の条件(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 先のメモを書き終わって、大事なことを思い出しました。 平成12年度に健ちゃんという学生卒業しました。彼の研究は「理科における好きな先生に関する研究」です。何をやったかと言えば、好きな先生はどんな先生ですか?、と聞きまくった研究です。タイトルでは「理科」となっていますが、結果として理科に 限られず、好かれる先生を明らかにする研究となりました。

 当時の私は、まだ、現在のような考え方になっていません。学び合い研究していましたが、まだ、一つの方法論のレベルとして捉えていました。そのため、健ちゃん研究は、学び合いと別に分けていました。彼との議論では、『「面白い授業」、「分かりやすい授業」が好かれる先生の特長である』という前提で議論しました。ところが、結果はそうなりません。「面白いが嫌い」、「分かりやすいが嫌い」、「つまらないが好き」、「分からないが好き」という回答が出てきました。そして、その数は決して誤差のレベルではなかったんです。「面白い授業」、「分かりやすい授業」に誇りを持ち、不遜ながら「全学で一番だ」と思いこんでいた私には、なかなか納得しがたい結果でした。でも、今では納得出来ます。今だから分かります。「面白い授業」や「分かりやすい授業」が好かれるというのは誤ったプロトタイプにすぎません。自分の過去を思い出せば当然です。私が子どもだったとき、教師を厳しい指導主事のような目で見ていたわけではありません。結局、人として評価していました。だから、とても教え方がうまかったが、自分たち(つまり高校生)を好きではないな~、と判断した高校数学先生は大嫌いでした。逆に、授業の中に自分自身の思い出話が多く、自分一人で浸りきっている先生なのですが(結果として、何を言っているのか分からない先生)、「いい人だな~」と感じられる先生に対して、我々は「(アイドルマスコット)÷2」のように好きでした。

 言うまでもないことですが、人間的に嫌われる先生には学び合う場をつくることは出来ません。逆に、人間的に好きな先生には出来ます。 何故なら、嫌われる上司は命令することは出来ても、納得させることは不可能です。ロバを水辺に引っ張ることは出来ても、飲ませることは出来ないのと同じです。

追伸 方法論から「考え方」に脱皮させてくれたのは、次の年に卒業した「雄丞」の研究です。ただし、彼の卒論にはそれは書いてありません。何故なら、表に出せない結果に基づくからです。我々は山ほどの論文と本を出しています。でも、それ以上に、まだ出していない研究成果が山ほどあります。

06/09/09(土)

[]魔法言葉 08:18 魔法の言葉 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 魔法の言葉 - 西川純のメモ 魔法の言葉 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 学び合いが成立するためには、そのクラスの一番かしこい子どもにとっても難しい課題でなければなりません。これって、我々以外には全く理解できないことだと思います。我々の目指す学び合いとは、一人一人が「なんとかしたい」と願う結果として起こるんです。最初にそれをするのは、そのクラスで一番かしこい子です。本当だったら、そのクラスで一番援助を必要とする子がそうすべきなのですが、そのような子は一番最後に動き出します。だって、そんなことを出来るぐらいの子だった、とうの昔に勉強が出来るはずです。

 教師は、習い性で、課題を「中の下」に合わします。ところが、そんなレベルに合わすと、そのクラスで一番かしこい子は学び合いをしません。だって、「中の下」にあわせた課題だったら、自分一人で、5分間程度で解決できます。そうなると、その子どもは「どうすればいいの!」と教師を責めることになります。ところが、我々は「上の上の」子どもにとっても、学び合わない限り解決できないような課題を与えます。その結果、その子は学び合いをします。たいていの場合は、その子が自分で考えた答えが正しいか確認します。その聞き役を求めます。その結果、その聞き役の子が分かります。そして、学び合いの有効性を学びます。このような連鎖の結果、徐々に学び合いが広がります(ただし、ほぼ、1時間の内に終わります。そして、学び合いは、出来る子から出来ない子へという単純な形ではありませんが・・・)。従って、課題が難しければ、難しいほど、いいんです。でも、でも、その課題が、成績中、成績下の子どもにとっても意味ある課題である必要性があります。

 普通の教師だったら、「無理」でしょうね。成績上の子どもにとっても難しい課題、でも、成績中、成績下の子どもにとっても意味ある課題なんて、無理でしょうね。ところが、我々には魔法言葉があります。それは「みんなが分かる」という課題です。この難しさは教師だったら分かるでしょう。一番分かる子どもより、分かる教師にとっても難しい課題です。でも、その意味は全員が分かります。そして、「みんな」を求めることは学校教育意味に繋がります。そして、我々が授業の最初に語ることに繋がります。

 我々は学校観(つまり何で学校教育があるのか)、子ども観(つまり子どもはどんな存在か)、そして授業観(つまり教師は何をすべきか)が、本当に予定調和的にすっきりしています。「そんなうまい話は無い!」と思うのが普通でしょうね。でも、そんなうまい話はあるんです。なぜ、そんなに予定調和的にうまくいくのかと言えば、我々の考え方は、ホモサピエンスの基本戦略に根ざしているからです。その基本戦略は数百万年の生存競争の中で、洗練されています。

 Kさんのブログ(「わからぬ」)を読んで書きます。

06/09/08(金)

[]慌てて 08:20 慌てて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 慌てて - 西川純のメモ 慌てて - 西川純のメモ のブックマークコメント


 直近のメモを見て心配したOBよりメールがありました。そこで、慌ててメモします。ご安心を!現在は良好です。

 毎年、年末あたりに表面化する問題があります。OBの方だったらお分かりのことと思います。それが生じる原因となる兆候が見られるようになりました。今年は、問題が起こる前に「説教」することにしました。現メンバー「も」皆さんと同じに、極めて優秀です。今年も、年度末に多くの成果を誇れると思います。

[]全体ゼミ 08:20 全体ゼミ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 全体ゼミ - 西川純のメモ 全体ゼミ - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は、夏休み明け最初の全体ゼミです。ゼミでの議論を聞きながら、つくづく思います。我がゼミの質の高さはダントツです。思わず、27秒以上もしゃべってしまいました。それも、細かいところを。でも、補足すれば、集団がある一定のレベルを超えたならば、教師は方法のレベルのことをダラダラしゃべっても良いんです。そのレベルとは、教師が方法のレベルを語ったとき、「先生、つまらない」とか「先生、うるさい」と言われて、教師以上の議論が出来るぐらいのレベルです。

 教師が押さえるべきは、目標です。方法のレベルは、学習者に蹴倒された方がいいんです!もうそろそろ、学部3年生もそのレベルに達しそうな感じがします。

06/09/07(木)

[]胸に手を当てて 08:22 胸に手を当てて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 胸に手を当てて - 西川純のメモ 胸に手を当てて - 西川純のメモ のブックマークコメント


 人間、自分が忙しいと、他の人が見えなくなります。かなり以前、Kanさんの授業実践のビデオを見させて頂きました。その中で、「一人を見捨てる集団は、次の一人も、その次の一人を見捨てる集団になる。次は、あなたが見捨てられる番になるかも知れません。」とありました。見捨てられなくても、その様な集団では、高い達成度は絶対に成り立ちません。我々は、子どもたちに、クラス全員が分かることを求めます。私も皆さんに求めます。

 教師はクラス集団に繋がるべきで、子ども個人に繋がるべきではないと我々は主張します。従って、問題のある子がいた場合、その子に対応すべきは、教師ではなく、子どもだと主張します。そのため私は、色々な方から、「子どもたちが、その子を見捨てたらどうしますか?」と聞かれます。私は、「子ども集団が最善を尽くして、それでも見捨てたとしたら、しょうがありません。教師があがいても、子ども集団以上のことは出来ません。仮に、あがけば、その子は救えることは出来ても、その他の子どもに問題が生じます。でも、教師の力なんてたかがしれています。大抵の場合は、その子も救えず、その他の子どもに問題が生じるという結果になります。」と語ります。次に、「子どもたちが最善を尽くしたか、尽くしていないかはどこで判断するんですか?」と聞かれます。私は、「その子が見捨てられた状態が確定されたとき、それが分かります。もし、集団が最善を尽くしたと納得していたら、その集団は集団として維持されます。しかし、もし、最善を尽くさず見捨てたならば、見捨てられ た状態が確定されたとき、その集団は崩壊します。何故なら、次に見捨てられるのは自分ではないか、と疑心暗鬼が生じるからです。」と語ります。

 私は、定時制高校クラスの半数を「退学」させました。個人的には可愛いし、彼らの置かれた事情を知れば同情します。しかし、教師は評価者で「も」あらねばなりません。それ故、断腸の思いで退学させました。私が今教えている皆さんの中に、私が定時制高校で退学させた子どもたち以上に、同情すべき状況があったとは断じて思いません。

 私は集団を見捨てません。でも、個々人のメンバーを見捨てるか否かを決めるのは、私ではなく皆さんです。これから年度の後半になるにつれ、前半のツケが各人に重くのしかかるはずです。一人一人が、自分のこととして、 胸に手を当てて下さい。

[]釘 08:22 釘 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 釘 - 西川純のメモ 釘 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 私が独身だった頃のことです。つまり、30代前半の頃です。院生さんは、いずれも私の年上です。当時は助手です。N教授にお仕えしていました。ある時、N研究室研究室合宿がありました。その後、その年度の最年長の人が、私に、「我々は家庭生活をかけ、高い学費を払っているんですよ」と懇々と言われました。簡単に言えば、それだけのことをしているんだから、何で研究室の活動につきあわされるのか、という内容でした。思いっきり、腹を立てましたが、押さえました。若年者である私に、正論(その人にとって)を言うことによって、納得できない気持ちを整理しているのでしょう。

 おそらく、その人に誤解があるようです。たしかに、その人は家庭生活をかけ、高い学費を払っているのでしょう。でも、それで正当に得られる対価は、約20単位の授業と、個別指導です。ところが、個別指導に関して、その質・内容で規定されているのは、なんもありません。そして、理解して欲しいのは、大学の教員は、個別指導をする厳格な規定はないんです。これは小学校中学校高校の教師との決定的な 違いです。 そして、個別指導をしても、「一銭」も給料には反映されません。表現は悪いですが、現在の給与制度では、ボランティアと言っていいものです。20年間、修士論文指導を全くしない先生が、何の指弾を受けないで、大いばりで生きられる世界です。さらに言えば、現在でも修士2年、修士1年、学部4年生、学部3年生の総計が年間6名以上あれば、まったく問題ありません(西川研究室博士を含めて22名)。予算的に言えば、院生一人に配分される予算は5万円(免許プログラムはそれよりも少ない)、学部は2万円だけです。 スペース的に言えば、大学院生さんに割り当てられいるのは、大部屋にある机一つです。学部生には、それすらもありません。

 つまり、十数年前のその院生さんが、正当にN教授に要求できるようなことは何にもありません。だから、言いませんでしたが、腹の中で思っていたのは、「おざなりの指導で、修士をもらえるところに行って、二年間骨休めすればいいのに、なんでうちに来るの!」でした。それから十数年たっています。だから私は、 院生さんにも卒研生さんにも、来て欲しいと頼んだことは絶対にありません。得るものは多い、しかし、大変な研究室であることを、ちゃんと説明しています。 そして、それは詳細に説明していますし、HPに公開しています。そして、HPに公開しているとおり、私がメンバーに求める第一のものは、「他のメンバーと仲良くできる」です。

 他者を見捨てる、ということは、決して積極的に見捨てることを意味していません。何もしない、それ自体が見捨てることです。以前のメモの書きましたが、だからといって、いつもいつも積極的に他者と繋がらなければならない、と言うわけではない。 一定期間に見ていないと言うこと自体が問題です(「金魚の飼い方」というメモを見てください)。例えば、このメモを1週間たっても気づかないならば問題です。もちろん、私のメモを1週間見ていなくても、多のメンバの動向を見ているなら結構です。同様に、自分の動向を他者に可視化していないのも問題です。ブログ可視化しろと方法のレベルまで指定はしませんが、多のメンバーが自分を気にしていることを前提として、可視化していることを求めます。

 つまり、私は他のメンバーを気にかけることを、最低限求めます。具体的に、その行動があるべきです。かつ、他のメンバーが、自分を気にかけているということを前提にして、行動して欲しい。それが出来ないならば、「我々」ではない。現状で享受している全ては、過去「我々」の蓄積に基づくものです。私は、来年「我々」に対しても、今以上の「場」を与える責務があります。各位は「それぞれの事情」があるでしょう。でも、それは「あなた」の問題であって、「我々」の問題ではない。「我々」の「場」を享受する権利は、「我々」の責務を果たして得られるものです。学習臨床の全メンバーは、常に、「我々」から離脱する権利は留保しています。

 毎年、10月、11月に「ひずみ」が生じます。今年は、その前に釘を刺します。

追伸 結局、結果として問題が起きなければ、OKなんです。逆に、問題が起きれば、各人がそれぞれの正当な理由をいくら言いはっても、それは駄目なんです。問題が起きれば、私も含めて、全員が駄目なんです。このルールは、我々が子どもに要求すると同時に、我々自身にも当てはめられます。

06/09/04(月)

[]好き 08:23 好き - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 好き - 西川純のメモ 好き - 西川純のメモ のブックマークコメント


 何かが好き、というのは複雑なものです。例えば、納豆が好きな人が、何故好きかと聞かれれば、何と答えればいいのでしょうか?「おいしいから、おいしい」とでも言うほかありません。でも、納豆好きな人に、どんなにして食べたら美味しいか、と問えば、おそらく同じ反応が返ってくると思います。「好き」というのはハッキリとした判断が出来る一方、本質的にはそれは説明できません。でも、それが好きな人は、何が好きかは共有できます。それでは、どうやったら、その複雑な美味しさを伝えることが出来るでしょうか?言葉で伝えることは無理です!一番良い方法は、食べてもらうことです。そうすれば、どこが美味しいのかということを、言葉に伝えられなくても事実として伝えられます。私は小学校に行くまで納豆が大嫌いでした。しかし、母親水戸納豆を食べさせてくれて、美味しいと感じました。今では、毎日、食べています。

 学び合いも同じです。その素晴らしさは、単純ではありません。でも、一度、味わったものにはハッキリ分かります。高校での学び合い小学校での学び合い国語での学び合い美術での学び合い・・・、全部同じです。納豆が嫌いな人が、納豆を好きなふりをしても、直ぐに分かります。逆に、納豆が好きな人は、食べる様子を見れば直ぐに分かります。

 我が同志のYzさんのHPを読みながら上記を感じました。それにしても、好きというのは複雑なものです。そして、それを伝えることは、簡単でもあり、難しくもあります。一番良い方法は、美味しいものを食べてもらうしかありません。でも、それを食べてくれない人に伝えるのは、至難の業です。せいぜい、料理番組レポーターのように、美味しい表情で食べるしかありません。

[]大事な日 08:23 大事な日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大事な日 - 西川純のメモ 大事な日 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は、我が家にとっては大事な日です。それは、結婚記念日家族誕生日に準じるか、もしかしたら、それ以上の日です。7年前のこの日、妊娠検査薬によって、息子が家内の体の中に息づいていることを知った日です。嬉しくて、腰をぬかした日です。生まれる前の、この日から、我々に喜びを与えてくれた日です。

06/09/03(日)

[]やっぱりね(その2) 08:29 やっぱりね(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - やっぱりね(その2) - 西川純のメモ やっぱりね(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 「やっぱりね」で紹介した方からメールが来ました。私の返信を載せます。イタリック(斜体)が私の返信です。

 前回は○年1組の授業の報告をいたしました。今日は○年2組の報告をします。このクラスこそ、前回お話した学級です(学び合いを試みたけど失敗したと感じたクラス)。夏休みを挟んだとはいえ、やはり生徒の雰囲気は決して良い感じではありませんでした。そこで、今回は意図的に明るくふるまい、気持ちのなかで「もう一回チャレンジさせてね。」という心構えで取り組むことにしました。前回同様、「コミュニケーション能力ものづくりに必要な能力である。」と板書し、その根拠について説明しました。今回は、特に、「全員で同じ目標に向かうことの意義」「一人だけ完成しても意味がない。助け合って完成させる事の必然性」を実例を出して説明しました。いわゆる体育会の「連帯責任」とは違うということを強調したかったからです。

我々は、教材や指導法をあれこれ考えることは重要ではないと考える一方、ここでどう語るか(即ち、自分が学校教育をどのようにとらえるか)が重要だと考えています。

 さて、結論を言えば、今回も成功したと言えると思います。授業終了後にアンケートを取りました。 「あなたはどれだけ授業に集中して取り組めましたか?

 という問いで、三択させたところ

ア、100%集中してとりめた・・・24人

イ、80%集中して取り組めた・・・10人(たま脱線したが、仲間と声掛け合ってすぐに授業に集中した)

ウ、50%しか集中できなかった。・・0人

となりました。

 今日新たに発見した点を箇条書きにまとめます。

1,授業効率がとても良くなる。

 ア、半田付けで失敗した時、半田を吸い取ってやり直すための「半田吸い取り器の使い方」

 イ、完成した作品を検査するための回路計の使いかた

 ウ、樹脂製品を接合するホットボンド

 エ、可変抵抗ダイヤルを組み込むための穴の開け方。

 オ、感電防止のための樹脂板を取り付けるための仮固定のしかた。

 カ、アクリル板をヒーターで曲げる方法

 キ、木片を切断するための糸のこ盤の使い方

 これら全て、生徒に作業させながら、たった2時間で上記項目を全て学習させることができました。今までは、全て授業前に教師が一斉授業で教えていた内容です。作業させずに4時間講義をしなければならない学習内容です。具体的に何をやったかというと、ア~キの道具を用意し、それぞれヒントをだしながら生徒に使用方法を考えさせたのです。今までは「教えなければできない」という固定観念にとらわれていました。それを、「ヒントさえ出せば、子供は自力で問題解決できる」という発想に切り替えました。順番にヒントをだしながらそれぞれ代表というか最初に「教えて下さい。」と言ってきた生徒にヒントを出しながら順番に声がけしていきました。もちろん他の生徒は黙々と自分の作品製作に取りかかっています。生徒はすごいですね。ヒントだけで全て使用方法を身につけていきました。以後は簡単でした。ア~キの同じ質問が出れば、最初に課題をクリアした生徒に聞くように指示すればいいだけです。すると不思議なことに人間関係が成立してなさそうな者同士でも聞かれればきちんと教えてあげるんですね。男女の境なく、教えあっていました。

講演会学び合いでは3分の2の時間で出来る、うまくいけば半分の時間になるという、私の言ったことを実感されたでしょ!

2,生徒は自力で課題を解決する。

 上記の「イ、完成した作品を検査するための回路計の使いかた」いままできちんと教えられなくて困っていました。 検査には回路計を使います。内部に電源があって、回路に電気を流すことができるので、電圧、電流の測定の他に、

  ア、断線検査

  イ、絶縁検査

  ウ、ショート検査

  エ、導通検査

 という優れものの装置です。 ただ、優れているが故に、教えるべき事が多すぎで、一斉授業では時間がかかり過ぎてしまい、その機能全てをきちんと教えることができませんでした。 今回、すでに作品が完成した生徒が10名ほどいました。その内の4名が回路計を持っていきました。一年生の時に簡略的に教えてはいました。それは「メーターが動いたら電気が流れている。(アの項目)だけでした。今回は、ア、ウ、エ、の3つの検査をやらなければなりません。「メーターが動いたら」だけでは説明できないレベルです。2人の生徒がチャレンジしました。過去の評価で言えば、5段階の2~3の能力の生徒です。最初は無理かなと思いました。しかし、彼らは教科書を読み(過去にはそんな事しなかったぞ!)2人で相談し、3つの検査をきちんとやり遂げたのです。その時の嬉しそうな顔!本気で「おまえ達すごいぞ!」と褒めました。

 「お前達すごいぞ!」という時の気持ちは、褒めた、とは違うものだったと思います。きっと感激・感謝だったはずです。感激感謝は、子どもたちに勇気を与えてくれます。

 あとは簡単。2人の名前を板書しておくだけです。「検査の仕方が判らない。」という生徒がでたら、「この2人に聞け!」で終わりでした。この2人はとても丁寧に教えていました。

3,授業が楽しい

 とにかく心にゆとりができます。なので、教師がリラックスして授業に望めるので、あたたかく生徒に接することができるのです。 授業開始して間もない頃、ある女の子が「オ、感電防止のための樹脂板を取り付けるための仮固定のしかた。」を見つけました。正直いえば、「教えても教えなくてもいいけど、知っていた方がいい」内容でした。早速大きな声で褒めました。「すごい!!よく発見したね。」するとグループみんなが一斉に拍手をしました。このグループこそ、前回、学び合いでは真面目に出来ないと判断したグループでした。以後、このグループはずっと集中して授業に取り組んでいました。

考察

 1 この理論は教師と生徒の信頼関係を高める。

  夏休み講義(私の講演)を聴いて、ある先生が「テレビショッピングみたいだね」といいました。私も思いました。「こんな簡単に良いことばかりではないと。」この授業に取り組むに当たって大きな不安が一つありました。それは「生徒との信頼関係が無ければこの授業は成立しないのではないか?」 ということでした。でも、それは逆でした。「この授業を実践すれば、生徒との信頼関係を高めることができる。」だったのです。こんな話を聞いたことがあります。開高健氏のエッセーで、「ニューヨークストリートギャングに襲われたら、嘘でもいいから自分がどこへ行きたいのか道順を聞きなさい。」という論でした。「全ての人は、頼りにされれば悪い気持ちにはならない」ということでした。ニューヨークギャングでさえも「期待を裏切れない」ですから、ましてや日本の善良な子供達は効果抜群のはずです。これは自分に自信のない、成績の下位者こそ効果があると思います。それこそが、今の教育問題根本を解決する一つの道標となる可能性があるのではないでしょうか?

 でしょ、でしょ

 私も、講演のあとに聞かれる典型的な質問の一つに、「ひどいクラスだったら出来ないのでは?」という質問です。私は「おそらく出来るでしょう。でも、本当に出来るか、出来ないかは分かりません。でも、そのひどいクラスをどうするつもりですか?そのひどいクラスを何とかするには、学び合いしかありません」と語ります。この気持ち、今は分かるでしょ!

2,新採用やキャリアのない先生がこの授業を実践できるのか?今回うまくいった前提として、「ヒントの与え方」があったかなと思います。この、ヒントの与え方は申し訳ないけど、今まで四苦八苦してきたキャリアがあって初めて出せると思います。経験のない先生が、この授業に取り組むとどうなるのでしょうか?非常に興味深いテーマです。というのは、もし、私が数学英語など、過去に経験のない授業をやるとなったら、やはり同じように授業が成功するのかなあ?とおもったからです。

 出来ますよ。

 もう少し子どもを信じられたら、ヒントを与えずに、待ってられます。そうすれば、ヒント無しでも子どもたちが課題を解決する姿を発見するでしょう。でも、心配だったら、ヒントを書いておいて子どもたちに渡すんです。そうすれば、出来る子どもは、それを見ます。その後の行動を見るんです。そのヒントが有効だったら使います。無効だったら捨てます。

 我々は過去に、何度もそのようなことを繰り返しました。結果として、そんなヒント無しで素晴らしいことを達成する子どもたちに感激・感謝します。そして、そんな無用なヒントに拘っていた自分を笑います。これって、実に爽快ですよ!

3,作品が早く終わった生徒の問題が解決できます。

  遅い生徒よりも、実は早く終わった生徒の指導の方が大変でした。今までは、さらに応用的な課題を与えてはいたのですが、生徒の素直な心情として「早くおわったのに、何でそんな面倒なことを。がんばり損じゃないか?」といった実態がありました。でも、「互いに教え合うことが当たり前」となれば、早く完成した生徒は、「指導者となれる」優位感を持つことができます。以前も早く完成した生徒に「指導者」のバッチを渡して、教え合うような授業をしたことがあったのですが、互いに遠慮しあうことが多く、それほど効果をあげることができませんでした。今回は「教えることが当たり前」となっているので、互いに構えることなく教え合うことができると思います。

 よい方向に進んでいますね!これに関連して一つ書きます。『あとは簡単。2人の名前を板書しておくだけです。「検査の仕方が判らない。」という生徒がでたら、「この2人に聞け!」で終わりでした。この2人はとても丁寧に教えていました。』と書かれていますが、これは良いことではありません。どうすればいいか、それは「お前ら凄いな~」と大げさに褒めれば良いんです。もしくは「お前らは、俺より良い先生だ、俺は失業だよ・・・アハハハハ」とやりゃいいんです。それは心から感激・感謝すればいいんです。

 大事な考えです、よく理解してください。我々は方法を決めません。方法は当人が選択すべきだと考えます。それ故、ヒントは紙に書いて渡します。このことによって、各人は使うか使わないかを選択出来ます。同様に、だれに教えて貰うかは、当人が選択すべきだと思います。それ故、「この二人に聞け」と指定することは良いことだとは思いません。この二人は良い教え手だよ、という情報を広げることは良いことです。

 たった1時間で、こんなに感激・感謝させてくれたんですから、これからとても楽しみですよね!これからもっと感激・感謝してください。そのためには、もっと子どもを信じて、もっと子どもに高い課題を求めるんです。教師の仕事は方法を伝えることではありません。子どもレベルの高い課題を与え、それをやる気にさせ、やる気になった子どもが出来る環境を整え、そして、厳しく評価することです。もっともっと自慢話を私にメールしてくださいね。また、気になることがあったら、気軽にメールしてください。

 なお、「テレビショッピングみたいだね」と仰った先生に伝えるのは、とっても面白いですよ。だって、今、私はドキドキ・ワクワクして感激・感謝しています。子どもに感激・感謝しますが、それ以上に、学び合いの凄さを知って、さらに強力にしてくれる先生(つまり○○さん)に私は感激・感謝しています。

 すんごく期待しています!

追伸 こんなメールをいただけるから、真面目な先生からのメールは、絶対、ちゃんと返信しています。

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 ご夫婦とも、我が同志の方がいます。いつも感激・感謝しています。本日も、ウルウル泣かせていただきました。加工無く、そのまま引用させていただきます。検索をかければ、どのブログにあるか分かるはずです。私と同じに気に入っていただければ、「お気に入り」に入れてください。

夏休みが終わり、学校には笑い声と笑顔が戻ってきました。

やはり学校には彼らが似合います。

紛れもなく学びの場の主は彼らであると感じます。

1年生の担任する妻からこんな話を聞きました。

 朝学活でね・・・

 (子供たちにに対する)「話し方が今までと変わるよ。」って言ったんだよ。

 例えば・・・

 「廊下では一言も喋らずに図書室に行きましょう。」という話し方から

 「他の教室で勉強しているお友達に迷惑にならないように行きましょう。」

 という話し方にね。それで・・・

 「迷惑にならないように行くにはどうしたらいいかな?」と聞くと

 「喋らない」の他に「足音を立てない」とか「走らない」など、

 もっともなアイデアが出てね・・・

これは、子供たちに、方法を語るのか目標を語るのかという視点であり

「いいね~!」と思って聴いていると、続きの話が感動的でした。

 そうしたら、なんだか子供たちは嬉しそうでね・・・

 あれこれ考えながら、静かに図書室まで行くのが楽しそうだった。

これを聴いて、「ほう!」と唸って

「1年生も自分で考えて動く方が嬉しいんだね!」と応えました。

ついでに・・・

「なんで、1年生が喜んでるってわかったの?」と聞くと

「なんでだろう?嬉しそうだったんだもん。」という答えでした。』