西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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06/06/22(木)

[]学び合いへの遠い道のり 09:43 学び合いへの遠い道のり - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学び合いへの遠い道のり - 西川純のメモ 学び合いへの遠い道のり - 西川純のメモ のブックマークコメント


 最近、ある方から「学び合いへの遠い道のり」という以下のメールを頂いた来ました。「いかにも」と思える内容です。なお、個人特定が出来ないように、一部、加筆・修正しています。でも、同志の何人かは、だれだか想像出来ると思います。

 『メールタイトルですが、今日研修会がありました。その研修テーマは、「高め合う子どもを育てる」です。授業ではあまり活発な話し合いがなかったため、「発問に問題があったのではないか」「話し合いができるような学習問題ではなかった」というような意見が大勢を占めました。どうも、つながっていくオフィシャル発言や意見の応酬がなかったことに、先生方は問題を感じているようでした。私は、この傾向に違和感を感じましたので、「高め合うといっても、どんどん発言がつながっていくばかりではないでしょう。つぶやきや、隣、前後同士での私語が発生していたし、極端な話、人の話を聞いて自分の頭の中で考えを変えたり巡らせたりすることだってあり得る。そういう変容も高め合いの一つの姿ではないですか。」という趣旨で発言をしました。その後、賛同してくださる先生も居たのですが、研修会の最後に指導者立場先生から真っ向から否定されてしまいました。やはり、どんどん言わなくてはダメだというのです。意見の応酬があれば、それはそれですごいのですが、その姿だけを「高め合い」とするのは私にはどうしても理解できなかったのです。教頭の考えからすれば、そうすることができなかった子供は学びがなかったということなってしまうからです。その話は「ご指導」ですので、今研修会の「結論」として位置づけられます。こういう中で、ぼくは秋に生活科で全体授業を行います。子どもたち各々が自分の持ち味を生かした学びを目指していますが、どのようなすがたをみせれば、今回、研修会の中で言ったようなことを理解してもらえるのか、模索しているところです。

 今、自分のクラス(1年)の生活科では、ぼくはほとんど指示をしません。種蒔き、苗植え、観察であってもです。それらについての知識、技術情報などを持っている子どもが必ず居るからです(事前に調査を入れてありますので)。そのこたちに「みんなに教えてやりな」とも言いません。いいたい子は言うし、言えない子は行動でやって見せてくれるからです。種蒔きなどは、懇切丁寧に「次はこれ、次はこれ」などと、指示、確認しなければ気が済まない先生も居ますが、別にそのようなことをしなくても、子どもたちはちゃんとやれます。きかん坊の子が「おれ、どうやってやるのか、わからん。」といっていても、友だちのやる様子を見て、真似してやりました。それどころか、「おれ、教えてやる。まかせて」と、他の子供に(偉そうに)教えに行く姿も見られました。結果として、発芽しなかった子、枯れた子など、失敗した子はゼロでした。双葉などと教えなくても、子どもたちがちゃんと「ちょうちょの葉」「はーとの葉」と名付けてくれました。それで話がクラス全体に通用するのですから、問題は全くありません。そういう子どもたちを見て、日々ゾクゾクしています。

 こういう姿を見て、どう思われるかも心配ではあります。もっとちゃんと指示しなくてはダメだ、教えるべき事を教師が押さえて・・・とか言われてしまうのでしょうか。

 昨日は、研修会で心配にもなってしまったのですが、クラスの子には元気づけられました。清掃の分担は日ごとに私がしていたのですが、一昨日、少し遅れていったところ、(正直、やってないだろうな、遊んでるかもな、と思っていきました)自分たちで係分担を決めて、分担場所に散ってそうじをしていました。これにもゾクゾクしました。

 入学して2ヶ月の子供がこれだけやるんだからすごいな、と思います。決して1年生を何もわからない赤ん坊扱いしてはいけないのですよね。

長々と書いてしまいましたが、目下の課題はこういう子どもたちの凄さを、どのように伝えたらよいかです。下手をすると、「○○さんは何もしてないじゃないか」と言われそうですし。

 そういう時の「学び合い」ですので、KuさんやMさん達にお知恵を借りに行きます。

 失礼しました。』

 最近、「学び合う」とか「高め合う」という研究主題の学校が少なくありません。でも、その意味は「教師が学び合わせる」、「教師が高め合わせる」という意味を、暗黙に与えています。おそらく、そう考える人にとっては、空気のように当然なんでしょう。でも、我々の場合は、「子ども達が学び合う」、「子ども達が高め合う」ことを目指しています。この考え方を理解して貰うためには、子ども達にはその能力があることを理解して貰わなければなりません。同志、各位の奮闘を期待しています。

追伸 「座りなさいを言わない授業」のOさんの研究から示されるように、「何を目指して俺たちは活動しているのか?」というような目標に関することだったら、クラス全体で話し合いが生じるのは自然です。しかし、「何をしたらいいのか」のような方法のレベルの会話はクラス全体で起こるのは不自然です。もし、それがクラス全体で話し合われており、上記の指導者先生が望むような意見とぶつかり合いが生じていたとしたら、それは陳腐な劇を演じているにすぎません。