西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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06/05/31(水)

[]カラオケ 11:14 カラオケ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - カラオケ - 西川純のメモ カラオケ - 西川純のメモ のブックマークコメント


 昨日は14回目の結婚記念日です。息子は聞き間違えて「建国記念日なの~?」と聞き返しました。最近は、実に落ち着いて食べられます。これも息子の成長の結果だと思います。息子から、色々の突拍子もないことを聞かれます。昨日のヒットは、「なんで、カラオケはおおきなこえでうたうの~?」と聞かれました。私はカラオケ趣味はありません。息子をカラオケに連れて行ったこともありません。それなのに、何故か質問します。そこで、「何でカラオケは大きな声で歌わないといけないと思う?」と逆に聞きました。息子曰く、「カラオケをおおきなこえでうたわないと、ばかばかしいから~」と答えました。なるほど、小声で歌っても意味がないと思いました。しかし、私の質問に対して間髪入れずに、絶妙にして馬鹿馬鹿しい回答を出たので、思わず大笑いしました。

追伸 私の記憶では、「ばかばかしい」という言葉を息子が使ったのは初めてです。なんで、そんな言葉を覚えたんだろう。なんで、その言葉を、その時、使ったんだろう・・・謎です。ある方から、息子は天然ボケではなく、ウケを狙っているのではないか、との指摘を受けました。3歳と4ヶ月にして駄洒落をかました息子ですので、その可能性を否定出来ません。でも、文面で表しづらいのですが、あの間、あの声で「カラオケをおおきなこえでうたわないと、ばかばかしいから~」を「演じられる」としたら、恐ろしい。

06/05/27(土)

[]おめでとう 11:16 おめでとう - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - おめでとう - 西川純のメモ おめでとう - 西川純のメモ のブックマークコメント


 心理学には瞳孔分析というのがあります。人間の興味関心は瞳孔の広がり方で分かるのです。例えば、男性女性ヌード写真を見ると瞳孔が広がり、男性ヌード写真では広がりません。女性の場合は、その逆です。面白いのは、赤ちゃんです。女性の場合は赤ちゃん写真を見ると、瞳孔が広がります。ところが、男性は広がりません。ところが、ところが、自分の子どもがいる男性は瞳孔が広がります。これは、実感します。出張で家を離れたとき、息子と同じような子どもを見ると、「かわいいな~」と思い見とれてしまいます。私は息子が生まれる前から子ども好きの方でしたが、生まれてからは子どもを見ると我が息子を見るようです。

 昨年、あるゼミ生から、子どもが授かったということをゼミの最後に報告を受けました。当人は、そうとう照れていました。私は、その言葉を聞いたとたん、うれしくて、うれしくて、涙がボロボロでました。そのゼミ生は、独身大学院に現職派遣で入学し、在学中に結婚し、そして、在学中に懐妊しました。なぜ、ボロボロとうれし涙が出たかといえば、その方の気持ちを想像したからです。私の場合、33歳で結婚しました。でも、なかなか子どもを授かりませんでした。ありとあらゆる神仏に拝みました。あきらめかけた6年目の9月に、子どもを授かったことを知りました。うれしくて、うれしくて、腰を抜かし、ボロボロと泣きました。その時の気持ちは、今でも忘れません。我々の夫婦と同様に、決して若くはない懐妊です。待ちに待ったお子さんだと思います。だから、そのゼミ生の方から子どもを授かったと聞いたとき、うれしくて、うれしくて泣きました。

 以前、ある結婚式に招かれたとき、「人の幸せを喜ぶためには、自分が幸せにならねばならない。だから、人のためにも、幸せにならなければならない。」と祝辞を述べました。昨日、Kさんはお子さんを出産されました。親ばか出産直後のお子さんの写真を送っていただきました。メールタイトルは「生まれました~!!」です。メールでは「じじくさい」と書かれていましたが、添付された写真には、驚くほどキレイ赤ちゃんが写っていました。私は、Kさんを心より祝福します。お子さんの出産はもちろんですが、人が懐妊したこと、人が出産したことを心より喜べる人になれたことを祝福します。

 我がゼミ生に告げます。Kさんがお子さんを出産し、母子共に健康です!

追伸 家内に教えたら、家内も大喜びです。しかし、現実的な女性です。「これから大変なのよね~」と言いました。そうです。産院の1週間は、いたれりつくせりの夢の1週間です。でも、家に帰れば、現実世界です。これから、幼稚園保育園に行くまでの時間は、大変な~、時代です。本当に不思議な時です。だって「地獄天国」を感じるなんて、あの時代以外あり得ないと思います。ふれ~、ふれ~・・

追伸2 息子と同じ5月生まれです。5月生まれの子どもは、美しく、賢く、そして、なにより優しい子になります!

06/05/25(木)

[]科学の芽生え 11:16 科学の芽生え - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 科学の芽生え - 西川純のメモ 科学の芽生え - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日出張から家に帰りました。1日ぶりに見る息子は「美しい」と思います。直ちに、一緒に風呂入り、夕食。二日ぶりのまともな食事を食べました。

 昨日は、家内と息子は風呂入りました。いつもは私と一緒に入ります。家内によれば、息子は「ど~して、おとうさんとふろにはいると、おゆがあふれるのに、おかあさんだと、そうならないの?」と質問されたそうです。もと理科人としては、「科学の芽生えだ!」と感じてしまいます。体積に気づき、密度に気づき浮力気づき、そして、「ユーレカ」と叫んで風呂場から走り出したら、息子はアルキメデスです。なんちゃってね(最近の息子の口癖です)。

06/05/24(水)

[]次のステージ 11:18 次のステージ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 次のステージ - 西川純のメモ 次のステージ - 西川純のメモ のブックマークコメント


 明日の午前は連合博士課程のため大阪会議です。そのため、本日は前泊のため上越を出発しました。しかし、予定を大幅に変更し、朝の6時半に起きて、東京に行きました。理由は、東京のある学校校長先生から是非来て頂きたいというメールが来たからです。今回の大阪出張を絡めれば、外泊が増えないので、この日に日を設定して頂きました。

 校長先生に、あってお話ししましたが、本当に我々の研究をよく勉強している方です。また、学校経営方針(東京都の場合は必須です)を読ませて頂きましたが、全編、我々の考え方に裏打ちされています。そのうちの目指す学校像などは、我々の研究室の本から引用されているのが約1ページがあり、面はゆく感じました。通り一遍の「大学先生様おいで下さい」とは、別次元の方だと分かりました。

 以前のメモにも書いたように、自分の授業レベル改善は、もう終わっています。我々の次の課題は、授業作りではなく、学校作りです。でも、それには校長が変わってもらわなければ実現できません。私は、我々のOB校長になるまで待たねばならないかな~と、若干、悲観的に見積もっていました。でも、違いました。変わろうとする校長はいるんです。少なくとも、この日本中に二つの学校は、変わろうと本気で考えています。そのため、予算も含めて、身を切ってでもやろうと考えている校長がいます。そして、それを近隣の学校に広げようと声がけをしてくれます。心強いことです。

 私が「何故理科は難しいと言われるか」を書いたのは1999年です。次の年の2000年に、学び合いの最初の本として「学び合う教室」をだしました。それから、たった6、7年しかたっていません。田舎大学若造教師が、教育研究を実践の方々に問い、そこから自らの教育研究フィードバックしようとする志を立てて、たったそれだけの時間しかたっていません。でも、ここまでの段階に進みました。私はあと18年間、大学教師をやれます。それまでの、すごいことが出来そうな気がしてきました。今の自分が望んでいないようなことを望み、その実現を感じることが出来るような気がしました。 

 ワクワク!

追伸 現在大阪ビジネスホテルで、寂しげにこれをメモっています。

[]三代目 11:18 三代目 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 三代目 - 西川純のメモ 三代目 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 我が息子は、クラスメートからは人気があるようです。向けねらいをしていないですが、一言、一言がクラスメートに大受けです。つまり「天然ボケ」のようです。でも、友達とじゃれ合って遊ぶタイプではないようです。多くの時間は、幼稚園にある本を読むのが大好きで、それに時間を費やします。そのため、私は「幼稚園は何のために行っているの?それは、大人になるためなんだよ。大人になるのに何が大事だと思う。それはお友達と遊ぶことだよ。」と注意します。そして、勢いがつくと、「何でお友達と遊ばないの?」と問いただします。でも、自分の過去を思い出して嫌 な思いです。

 私も友達を作らなかったタイプです。本当の友達を作ったのは高校の時です。それもたった一人。中学校の時は、友達と言える人はいませんでした。母親記憶では、友達らしき人が出来たのは小学校中学年ぐらいです。そのため、小学校低学年時代(おぼろげな記憶)に、母親から「何でおまえは友達が出来ないの?」と問いただされたことが何度もあります。その度に、「何でお前は空が飛べないの?」と同じぐらい無理なことを言われている思いでした。私の母親も、妹も社交家で、友達が多かったと思います。妹などは、友達と遊ぶために家に殆どいませんでした。一方、私は家で本を読んでいるか、テレビ映画を見ることが大好きでした。

 今でもはっきり覚えています。母親が「何でおまえは友達が出来ないの?」と問いただしたとき、たまたまいた父親(殆ど仕事で家にいません)が、「自分も友達はいなかった。高校ぐらいで友達が出来た」と私に慰めてくれたのが印象深かったです。私の知っている父親は、社交家で、いつも家にいない人だったので、実に意外でした。それが謎でした。

 今になって分かります。私の場合は、自分が興味を持っていいることに、興味を持っている人が誰もいなかったんです。大学に入って、とたんに、自分が興味を持っていること(でも、 小中高校時代の周りの人が興味を持たないこと)を、興味を持っている人が多いことに気づいたんです。大学にはいるまでは、三国志を面白いと思う人はいなかった。亀井勝一郎アンリ・ボナール、今西錦司、コンラートローレンツヴェルレーヌが好きな人が世の中にいるとは知らなかった。カサブランカのハンフリーボガード、十二人の怒れる人のヘンリーフォンダを好きな人が世の中にいるとは知らなかった。「日出処の天子」・山岸凉子、。「ポーの一族」・萩尾望都先生綿の国星大島弓子を好きな人が世の中にいるとは知らなかった。もっと言えば、上記のことを私以上に知っている人がいるとは想像しませんでした。ところが、大学に入ったら、そういう人がウジャウジャいることにびっくりしました。そうなると、話したくて、話したくて、となります。

 息子を見ながら謎が解けました。つまり、息子も、そして私も、そして私の父親も、きっと自分の興味があることと、周りとのギャップを感じていたのだと思います。普通だったら、周りの興味に引き付けられ、それが自分の興味になるはずですが、自分が興味があることにこだわりがあったんだと思います。ということで、いつか、息子と同じ 様に、友達と出会えるのだと、思います。

 それにしても不思議です。三代も同じ傾向が続けば、DNA関係するのではと考えます。しかし、もしDNAの問題だとすると、私は父親のDNAを50%受け継いでいます。そして、息子は25%です。息子のDNAの75%は 、私の母親と妻のDNAで構成されています。わが母、わが妻とも、私のような障害ありません。ということは、なんなんだろう・・・・・・・

 新たな謎です

06/05/23(火)

[]玉砕 11:19 玉砕 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 玉砕 - 西川純のメモ 玉砕 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日、Kさんのホームグラウンドである高校で、高校生相手に講演をしました。結果は、当初から有る程度予想出来たのですが、玉砕しました。だって、200人の高校生相手に、語りだけで1時間半持たせろというのが、無理な相談です。1時間5分で、へたばってしまいました。あとは、なんとかKさんがフォローしてくれました。

 講演の後、Kさんの担任のクラスに行きました。子ども一人一人が自己紹介してくれました。私からの注文で、Kさんの授業について話して欲しいとお願いしました。一人一人から、かなり辛辣コメントが来ました。でも、そのようなコメントが教師の目の前で出せるのは健全です。特に、注目したのは、ある子が「K先生は嫌いです」と言ったときです。そのとたんに、クラスに笑いが起こりました。一巡した後、来年の最後にもう一度、同じ事を聞きましょう、楽しみにしています、とKさんが言っていました。

 我々は、教師に対する賛辞がわき起こる状態は望ましいものではないと考えています。教師がフェードアウトし、クラスメートが前面に出るクラスが望ましいと考えています。従って、1年後は、「K先生の授業は、どうっていうことないけど、でも、みんな勉強出来て楽しかった」という応えが多く出るといいと思います。

 さて、最後に「K先生は嫌いです」と言った子に対して、Kさんは「俺は○○君は好きだよ」と言いました。それを聞いたとたん、私の高校教師の時代を思い出しました。そして、それを言われたときに○○君の照れて嬉しそうな顔見て、またまた高校教師の時代を思い出しました。「ものすご~くかわいい」、ダッコして撫で撫でしたくなる。そして、耳元で「変化球を投げなくてもいいんだよ。直球を投げれば、受けてあげるよ。」と言いたい気持ちが起こります。でも、我々の考えから言うと、それは我慢、我慢。私の見立てでは、まだ、クラス作りが完了していないように感じます。それ故、教師に対してのスタンスによって、クラス集団の中の、自分のポジションを定めているように思います。クラス作りが完了すれば、教師に対して虚勢を張る必要はありません。

 このような講演が玉砕の場合、落ち込むのが通例ですが、何故かさわやかです。

06/05/19(金)

[]ご案内 11:20 ご案内 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ご案内 - 西川純のメモ ご案内 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 今度、6月23日に高崎市八幡小学校講演会を開きます。八幡小学校の近隣の小中学校企画した講演会ですが、群馬県内・他県の方もウエルカムだそうです。時間は15時から16時半だそうです。事前の申し込みはいらないとのことですが、駐車場はどこだとか等のこと情報を流すので、事前に八幡小学校の教頭先生電話した方がいいかもしれません。

 今回の講演では、いつもとちょっと違わせようかな、と思っています。今ままでのパターンですと、面白話とパワーで一気に1時間半~2時間を語りきる、というものでした。しかし、今回は、実際の学び合いの姿をビデオ等で見せながら話す部分も取り入れたいと思っています。それ故に、 ある程度の予備知識が必要かも知れません。でも、我々の研究室の本をお読みの方でしたら、大丈夫です。

06/05/18(木)

[]教師の仕事 11:21 教師の仕事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の仕事 - 西川純のメモ 教師の仕事 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 医者仕事は何でしょうか?聴診器心音を聞くことでしょうか?注射をすることでしょうか?薬を処方することでしょうか?違います。医者仕事病気を治すことです。聴診器注射も薬も、病気を治すという仕事のために、必要なときに選択される手段にすぎません。

 本日M1のOさん、Sさんと一緒に、地元小学校に行きました。目的は、その学校で「学び合い」を取り入れる際、疑問に思っていることを実践者の人から聞きたいという希望を叶えるためです。従って、イントロダクション部分は私が語りましたが、後はお二人にお任せです。

 帰りの車の中で、「どんな質問が応えるのに難しかった?」と聞きました。典型的な疑問が多かったようですが、印象深い質問が二つありました。第一は、「教えるのが教師の仕事だから、それをやるなと言われても納得できない」です。第二は、「教材研究が教師の専門性であるので、それが無かったら、教師の専門性は何だろうか?」です。色々な応え方がありますが、聞かれた前後の意味を勘案して、それに対する「私だったら」の応えをメモります。

 第一の質問に対しては、以下の通りです。

 教えるのが教師の仕事ではありません。教師の仕事人格の完成です(教育基本法の第1条にあります)。さて、人格の完成とは何でしょう?それは、人と関わりながら教材を学び、それを分かり、心を成長させ、それによって人と関わり合いながら社会の一員となれる人を育てることです。我々は、「分かり」、「心を成長させ」、「社会の一員となる」は不分離と考えています。話を簡単にするために、教師の仕事は「分からせる」ことだとしましょう。これは、多くの教師が納得してくれるでしょう。

 であれば、「先生が教えることが、分からせるに最も優れたものなら、教えてください」と言います。少なくとも、「先生が教えることが、分からせることに最も優れたことが多いなら、どうぞ、教えてください」と言います。同時に、「でも、その根拠を教えてください?」と言うでしょう。考えてください。子どもは一人一人多様です。どんな教師でも、クラスには「出来る子」と「出来ない子」がいることは知っています。また、「図を書いて理解するタイプ」、「言葉で理解するタイプ」がいるでしょう。「帰納的に考えるタイプ」、「演繹的に考えるタイプ」がいるでしょう。その他、様々なタイプの子がいます。そのような子どもがいっぺんに分かるような説明ってあると思います?あり得ません!

 もし、それぞれの子どもにとって、それぞれ最善の説明があることが理解してもらったとしましょう。クラス子どもたち、一人一人のタイプがどんなタイプか把握している教師なんているのでしょうか?また、それぞれに対応した最善の説明の仕方を考えられる教師なんているのでしょうか?1万歩(百歩ではありません)譲って、それらを出来るとして、どうやって数十人の子どもに語るのでしょうか?そんなの不可能です。再度、問います。「先生が教えることが、分からせるに最も優れたものなら、教えてください」と言います。少なくとも、「先生が教えることが、分からせることに最も優れたことが多いなら、どうぞ、教えてください」と言います。同時に、「でも、その根拠を教えてください?」と言うでしょう。教師の仕事は「教えること」ではなく、「分からせること」なんです。

 教材研究も同じです。「先生が教材研究をすることが、分からせるに最も優れたものなら、教材研究してください」と言うでしょう。そして、「その根拠を教えてください?」と言うでしょう。何故、教師は深い教材研究が必要なんでしょう。大抵の教師の考える教材研究の効能は、一人一人の子どもの質問に対して、即妙の反応が出来るため、と考えています。しかし、それがナンセンスなのは上記の通りです。

 我々は目標の設定が大事だと考えています。であるので、教材研究目標設定に大事だ、と言えるかもしれません。でも、そんなことしなければ目標設定が出来ないとしたら、1年間の授業の中で、何時間分、それの恩恵に浴せるのでしょうか?そして、それ以外の授業は、どうやってやるのでしょうか? さらに言えば、認知心理学によれば教材研究をしっかりすると、分からない子どもの気持ちと理解が理解出来なくなります。

 教師の仕事は、「全ての子ども」に「1年中」分からせることが仕事です。それが「教えること」、「深い教材研究」で出来るのでしたら、どうぞ。私には出来ません。

 教えることに熱意を持ち、教材研究に時間を費やす方は、既に素晴らしい授業をされているのでしょう。でも、そのような力のある先生ならば、子ども達とともに授業を作り上げたなら、ものすごいことが出来るんです。

[]教師の仕事(その2) 11:21 教師の仕事(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の仕事(その2) - 西川純のメモ 教師の仕事(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 ある現職ゼミ生の方から、一流の部活指導者に関して、先輩教師からその方が言われたことを聞きました。その先輩教師によれば、「一流の部活メンバーは、それをやろうと熱意を持っているやつらだ。だから、それらを統率できなくて、クラス経営が出来るか!」というものです。そのゼミ生さんは「我々の研究室メンバーも、やろうと思って入っているのですから、相当なことを要求されても大丈夫なんですよ」と、悪戯っぽい目で私を見ました。そこで、「ほ~、そうか!相当なことを要求しても大丈夫なんだね?」と言いましたら、あわてて首を振りました。

 たしかにそうです。「宇宙一厳しい」と私自身が連呼し、他のゼミの人からも脅かされまくったのにも関わらず、我がゼミに所属するのですから確信犯です。従って、そのような確信犯を統率するのはたやすいはずです。でも、それだけで終わりでしょうか?考えてください。ある指導者が異動した学校が、いつの間にか、その部の一流校になる例は少なくありません。一度、一流校になれば、そこには確信犯は集うはずです。そうなれば、その指導者が別の学校に異動しても、その学校は一流校のままのはずです。ところが、そうはなりません。異動したとたんに、その部はもとの状態になります。そして、異動先の学校が、その部の一流校になります。何故でしょう?

 その先輩教師も、教師の仕事は「教えること」と誤解しているようです。私の例で説明しましょう。「宇宙一厳しい」と私自身が連呼し、他のゼミの人からも脅かされまくったのにも関わらず、我がゼミ入りたいという確信犯を、毎年確保するのが私の仕事の第一です。そのために本を書き、講演をします。それが私の職能の一つです。さらに、その確信犯が願う研究を出来るように、予算等を確保するのが、私の職能です。それが出来なければ、それだけの熱意のある方々の要求を満足できるでしょうか?それが出来なくて、なんで毎年毎年、確信犯ゼミにはいるのでしょうか? 想像してください。甲子園全国大会に行こうと、その学校に進学したのに、その指導者が校内での発言力が弱いために、グランド使用は週の内2日だけ、それも1時間半だけしか割り当てがなかったら・・・。予算がないために、器具の更新が出来ず、十分の練習が出来なかったら・・・・。

 教師の仕事、また、部活指導者仕事は、一般に「仕事」だと誤解されている部分の前に多くが終わっています。そして、一般の教師や指導者が力を注いでいない環境の整備が仕事なんです。

 わかった○さん?

06/05/16(火)

[]軍団 11:22 軍団 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 軍団 - 西川純のメモ 軍団 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日、我々の新歓コンパがあました。楽しかった!そこで思い出しました。我々のメンバー学会に出席するため旅行した際のことです。そこでの飲み会に他大学の偉い先生が参加して、我々を評して軍団と言いま した。

 近代兵制では軍団とは3万人以上の集団で、師団は1万、旅団は5千人、連隊は2千人、大隊は千人、中隊は百人、小隊は50人、分隊は10人です。

 本日、我々の仲間の新歓コンパがありました。我々の総数は、博士が3人、M2が5人、M1が9人、4年が5人、3年が5人、そして教員が2名の29人です。来年はもっと増えるでしょう。これは一つのコースに対応する勢力です。この多様性、この人数は本学一です。でも、「軍団」と評されたのは 人数ではなく、そのメンバー生産した成果の凄さです。メンバーを見回せば、志の高さは分かります。

 このメンバーの力を正当に出せるならば、「軍団」と言われるだけの成果は出せます。K先生と一緒に、それをやらねば、と心に期しました。

追伸 院生さんと話が盛り上がったところで、K先生から「タクシーですよ」と言われました。おかげで、バカ飲みする前に家に帰れました。感謝l! ただし、その時点で、生中1、酒6合を飲んでいました。でも、朝は気持ちよく起きられました。

追伸2 朝、ゼミ生の控え室に行ったら、酒が残り気味とKiさんがいました。それによると、2次会は控え室でやって、2時ごろまで盛り上がっていたそうです。

06/05/14(日)

[]運命 11:23 運命 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 運命 - 西川純のメモ 運命 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日、息子が「お父さん、お母さんと結婚したきっかけは?」と聞かれました。簡単に説明することが出来ないので、「運命」と一言いいました。そのとたんに、息子は「じゃ、じゃ、じゃ、じゃ~ん」と言って、しばらく鼻歌を言いました。我々は、彼が何をしているか分からず、キョトンとしていました。しかし、彼の鼻歌が、ベートーベン交響曲5番の「運命」であることに気づき、夫婦で爆笑しました。あまりにも、絶妙の「間」です。

06/05/12(金)

[]ありがとう 11:24 ありがとう - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ありがとう - 西川純のメモ ありがとう - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日、K閣下フィールドで会がありました。とても尊敬すべき教師の会でした。そこで語り合う姿を接することが出来ました。授業ビデオを分析していましたが、正直、私は何にも気づけなかったのですが、集まった先生方は深い読みをしていました。脱帽。

 行き帰りは、K助教授の車の横に座って移動しました。片道、3時間です。家内に往復、全てK助教授の運転であったことを言いましたら、呆れられ、そして叱られました。でも、本日、3時間の移動であっても、他人様の運転だと苦労がないということにビックリしました。これだったら、何度でもokだなと、不埒に思いました。帰りは、K閣下、およびKさんから結婚式の引き出物と思わせるようなおみやげを頂きました。お二人とも、家内と息子に対する、行き届いた配慮に恐縮します。両方に引き出物(?)を抱えて帰宅した私に、家族は驚き、感謝しました。

 関係者、一同に対して、深く感謝しました。

[]幸せ 11:24 幸せ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 幸せ - 西川純のメモ 幸せ - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日、息子を寝かしつけているとき、とても大事なことを気づいたと思ったのでメモりました。

 私は、指導教官小林先生を選びました。何故なら、私のなりたい教師のイメージに最も近い先生だからです。どんな偉そうなことを言ってる人であっても、その人の授業が私の受けたくない授業であったならば、私のモデルとはなりえないと思います。だって、その人の言っていることの具現化したものが、今のその人なんですから。

 私が気づいたのは、教師は幸せになるべきだと言うことです。もちろん、人に優れて収入を得ることを意味していません(まあ、教師は無理でしょう)。人の幸せは、「家族仲良く健康」であること以上のものはありません。家族仲良くなるためには、ごく普通の、家族の時間が必要です。でも、今の教師はそれを実現できているでしょうか?土日も無く、毎日、毎日、教え子のために時間を過ごします。そのため、子どもと土日を過ごす時間はありません。極端な例では、子ども不祥事を起こしたとき、テレビの前で頭を下げるのは、親ではなく、先生です。これっておかしい!学校の行き帰りまで、学校責任なんておかしい!だって、考えてみてください。ラーメンを食べて、食中毒をしたら、ラーメン屋責任を問われるのは当然です。でも、ラーメンを食べに行く途中で交通事故にあったとき、それをラーメン屋の主人が 謝る必要性はあるでしょうか?

 なぜ、教師は、それを主張しないのでしょうか?昔だったら、給料的に優遇がありました。でも、今、それがあるでしょうか?昔は夏休みがありました。でも、今、それがあるでしょうか?親御さんに文句を言われるかもしれません。でも、自分も親であることを説明すべきです。そして、ちゃんと語るべきです。我々教師は、子どもたちに、こうすべきだ、と語ります。そして、それが駄目なら、大人としては駄目だと語ります。でも、それが子どもたちに説得力を持つのは、教師が彼らがなりたい大人である場合です。教師は聖職ではありません。子どもたちにとって、一人の普通の大人のモデルになるべきです。

 聖職になることは、私には出来ません。少なくとも、そんなふりを1年、続けることは出来ません。続けても、直ぐに化けの皮がはがれます。でも、「家族仲良く健康」を願う大人、ただし、そのことを子どもや、その親や、同僚に対して、胸を張って語ることが出来ます。そして、子どもたちに「選択」される自信があります。(不遜ながら)

06/05/09(火)

[]何故 11:26 何故 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 何故 - 西川純のメモ 何故 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 先日の趣意書に対してある方よりメールを頂きました。

 結論、今現場の指導は、とにかく子どもありきではなく、指導方法なんです。子どもたち同士の活動で素晴らしいことがたくさん生まれることを知っていながら。

 よって、私は次の文に心を打たれました。

 「我々は決してスーパーマン教師ではないですし、一生かかってもスーパーマン教師にはなれないかもしれません。でも、それでいいじゃないですか!普通の教師、でも、「子どもたちの姿を通して学ぼうとする教師」が集い、それらの教師が見た子どもたちの姿を共有することによって、一人のスーパーマン教師より多くの喜びを教師人生で得られる教師に成長出来ます!その喜びを、多くの年長の教師、若い教師、様々な教師と、ともに感じ、誇りある教師人生を実現しませんか?

 一人の子どもは、時に、無力で愚かかもしれません。しかし、子どもたちは強力で賢明です。何故なら、彼らにとっての学校の時間は、人生の重大事です。つまり、人ごとではなく、自分の人生を賭けた人間が集っているのですから 協力にもなり、賢明にもなります。同じように、一人の教師は、時に、無力で愚かかもしれません。しかし、教師たちは強力で賢明です。 なぜなら、我々は教師という職を一生の職と選び、それによって誇り有る人生を実現しようとしているからです。つまり、人ごとではなく、自分の人生を賭けた人間が集っているのですから 協力にもなり、賢明にもなります。その教師たちが「子どもたちの姿」を基礎におくならば、誤り無く成長できます。我々は多くの教師に提案します。子どもたちの姿によって成長しませんか? 」

 現場で一番感じるのは、「指導力のある先生=すばらしい指導方法を実践している先生」という認識がとても高いということです。とにかく指導方法です。では、その先生がやった指導方法を真似ればみんなが指導力のある先生になれるのか。そうではないはず。教師→子どもの図式であり、教師←→子どもの図式が描けない。

 先日、○○の理科研究授業を拝見してきました。子どもを生かすことも主眼においています。来年度から理科センに入る力のある方の授業です。教科書の流れをアレンジし、自分で教材開発をし、一般的にはすばらしいと感じる授業でした。しかし、その授業のヒーローは教師でした。授業後の協議会でも言っていました。「自分が開発した教材で子どもをあっと言わせたい」と自信ありげに。私は、理科センに入るのだったら、誰でもできるような授業を提案してほしいなと思いましたが。あれだけ主導権を教師が握っていたら…

 例えば、音楽の公開授業で、ピアノをすばらしく上手にひき、複雑な指導方法で授業を行った場合、「すごいな~、私なんかに音楽は指導できないな~」と思ってしまいます。

 同じように、一部の先生は、理科を嫌っています。あんな難しい内容を指導できないと言っています。そのような先生でも「理科の授業って簡単なんだよ。」と教えるのが理科センの大切な仕事の一つだと思うのですがね。

 教務室で担任の先生雑談を聞く場面がたくさんあります。ほとんど子どもに対する愚痴(自分の思い通りにならない)ですが、たま子どもを褒めることがあります。きまって、子どもたち同士で活動を行う場面での出来事です。先生方は子どもの有能性は知っているんです。ではなぜ、授業中になるべく子どもたち同士で行う活動を入れないのか?不思議です。

 思いのまま文をつづったので、めちゃくちゃだと思いますが、とりあえず今ところはこんな感じです。「指導力のある先生というのは、子どもを活かしながら、結果を出す先生なんだよ。(子どもを活かす=結果がでる、を理解する先生も少ないかもしれませんが)そんな先生になろうよ。特別な指導力なんていらない、誰でも指導力のある先生になれるんだ。」というメッセージが伝われば十分だと思います。一人でも多くの先生の目を覚まさせたいです

 私の返信は、「ありがとう同志」です。それにしても、「先生方は子どもの有能性は知っているんです。ではなぜ、授業中になるべく子どもたち同士で行う活動を入れないのか?不思議です。」は、本当に、不思議です。

06/05/08(月)

[]趣意書(暫定版) 11:58 趣意書(暫定版) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 趣意書(暫定版) - 西川純のメモ 趣意書(暫定版) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 今年の夏休みも我々の仲間で、我々の考えを伝える会を新潟市で行うべく企画しています。現在、そのために我々の仲間が準備をしているところです。その会を主催するのは何かということに関して、従来と違う形が必要ではないか、という意見が出ました。私もそう思います。そこで、以前、考えたことを基に「子どもに学ぶ教師の会」を提案しているところです。以下が趣意書(暫定版)です。是非、ご意見を頂きたく願います。

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 我々教師は子どもたちに対して、「このように勉強しなさい」と自信たっぷりに指示します。しかし、子どもたちに対して、それを指示できるほど「勉強すること」が分かっているのでしょうか?

 別の問いかけで考えてみましょう。我々教師が、子どもに「このように勉強しなさい」と言えるほど「勉強」が分かったのはいつでしょうか?中学生の頃でしょうか?つまり中学生ぐらいになれば「勉強すること」が分かるのでしょうか。そうだったら、中学生は我々教師と同等に「勉強」が分かっているのですから、我々教師は中学生に偉そうに指示できません。高校生の頃でしょうか?そうだったら高校生はもう十分に勉強できるはずなのですから、我々教師が高校生に偉そうに指示できません。では大学生の頃でしょうか?それだったら小学生中学生高校生に対して偉そうに指示できます。しかし、大学でそんなことを学んだのでしょうか?大学講義の中の「○○原理」、「○○概論」を学んだから、「勉強が分かった」のでしょうか?大学講義はそのような講義内容だったでしょうか?多くの教師は「否」と言うのではないでしょうか?多くの教師は、今の自分にしてくれたのは子どもであると感じていると思います。教師が「これはいい勉強」と思いこんでも、子どもは「それは違うよ」と教えてくれます。なによりも、子どもが聞いてくれません。聞いてくれたとしても、目が死んでおり、聞いているふりをする子どもの姿で、ロボットのような子どもの姿で、自分が誤っていることを教えてくれます。さらに、どんな管理職より厳しい鉄槌を下します。もちろん、子どもの姿を見ていなければ気づかないかもしれません。しかし、子どもが聞いたふりをして、ロボットのようになっても、それを喜んでいるとしたら、それは管理職の鉄槌よりも、恐ろしいことではないでしょうか?

  一方、たとえ自分が意識しなくても、正しいことをすれば、子どもは「それ凄く、いいよ」と教えてくれます。生き生きした子どもの姿、自分の予想を遙かに超えた姿で、教育の素晴らしさを教えてくれます。 子ども達は、どんな管理職より素晴らしいご褒美をくれます。我々教師はそのような教師人生の中で成長します。そして、教師の教師は「子どものたちの姿」であると自覚します。

 目標の設定も同じです。何を学ぶべきか、その社会が定めるものです。しかし、それを子どもたちに納得させ、共感させるのは教師の仕事です。そのためには、教師自らが「何を学ぶべきか」をしっかりと理解しなければなりません。「何を学ぶべきか」は、教育に関する諸法、また、指導要領に示されています。しかし、それを子どもたちに説明しようとするとき、その意味を理解することが難しいことに気づきます。では、何をもとに理解したらいいでしょうか?それは「勉強」の仕方、即ち、教え方を学ぶように、生の子どもたちに語り、それに対する「子どもたちの姿」から学ぶしかありません。

 そのため、我々は出来るだけ子どもたちの姿を謙虚に見たいと願います。「出来るだけ」は、置かれた環境によって様々です。しかし、教卓よりは子どもたちのすぐ脇で見たいと願います。アンケート用紙の選択肢の○よりは、子どもたちの文章、さらには子どもたちの生の声を聞きたいと願います。一人の子どもの声より、二人、三人、さらに十人、二十人の声を聞きたいと願います。 また、一回ではなく、二回、三回、いや、ずっと継続的に声を聞きたいと願います。

 その子どもたちの姿によって、我々は自信を持って何を学ぶべきかを語れる、また、どのように学ぶべきかを語れる教師に成長したいと願います。しかし、一人の教師が出来ることは限られています。一人の教師が経験できる「子どもたちの姿」も限られています。思い出してください。自分が「子どもたちの姿」を通して学ぼうとして、挫折したとき。いや、「子どもたちの姿」を見ずに授業をやっていたとき。その時、自分を支えてくれたのは何でしょうか?それは「人」であるはずです。そして、その人はどんな人であったでしょうか?それは歴史に名を残すような教師ではなく、普通の教師かもしれません。しかし、絶対に子どもが悪いと否定はせず、日々の実践での子どもたちの姿を通して喜んでいる教師ではなかったでしょうか。そのような教師によって、我々は挫折を乗り越え、教師としての喜びを見いだしています。しかし、我々が助けられた、その教師も、実は、未熟な自分が喜ぶことによって、教師としての確信を得ていたはずです。

 我々は決してスーパーマン教師ではないですし、一生かかってもスーパーマン教師にはなれないかもしれません。でも、それでいいじゃないですか!普通の教師、でも、「子どもたちの姿を通して学ぼうとする教師」が集い、それらの教師が見た子どもたちの姿を共有することによって、一人のスーパーマン教師より多くの喜びを教師人生で得られる教師に成長出来ます!その喜びを、多くの年長の教師、若い教師、様々な教師と、ともに感じ、誇りある教師人生を実現しませんか?

 一人の子どもは、時に、無力で愚かかもしれません。しかし、子どもたちは強力で賢明です。何故なら、彼らにとっての学校の時間は、人生の重大事です。つまり、人ごとではなく、自分の人生を賭けた人間が集っているのですから 強力にもなり、賢明にもなります。同じように、一人の教師は、時に、無力で愚かかもしれません。しかし、教師たちは強力で賢明です。 なぜなら、我々は教師という職を一生の職と選び、それによって誇り有る人生を実現しようとしているからです。つまり、人ごとではなく、自分の人生を賭けた人間が集っているのですから 強力にもなり、賢明にもなります。その教師たちが「子どもたちの姿」を基礎におくならば、誤り無く成長できます。我々は多くの教師に提案します。子どもたちの姿によって成長しませんか?

 我々は同志を求めています。

06/05/07(日)

少子化対策 12:52 少子化対策 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 少子化対策 - 西川純のメモ 少子化対策 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 今日テレビを見ていたら、少子化対策の特集がありました。議論は、女性社会進出とそれに対応した子育て支援が中心だったように思います。しかし、その支援策に対して、私はちょっと違うように感じます。

 私は仕事柄、様々な教師の方とおつきあいがあります。教師は最も古くから女性社会進出していた職業の一つだと思います。そのため共稼ぎも多いように思います。共稼ぎで子育てしている方に、子育てのことを聞くと、両方の両親に協力してもらっていることが分かります。もちろん基本部分は夫婦が協力して子育てし、保育所等を活用しているんですが、一部を両親に頼っています。例えば、両方とも仕事で手を抜けない場合、とか、両方とも病気になる場合など、年に数回です。でも、その数回はどうしても肉親しか頼めない(頼みにくい)ものです。

 私は、本当の女性社会進出に対応した子育て支援が出来るのは、肉親だと思います。それ故、両親と同居したり、近くに住めるようにすることが必要のように思います。そのためには、地元で職を得られるような社会になる必要性があると思います。少々、飛躍しているかもしれません。私の手元に、確固たる根拠となるデータはありません。でも、そのように思います。

06/05/06(土)

[]三分の一 12:52 三分の一 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 三分の一 - 西川純のメモ 三分の一 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 6年前の4時半に息子は生まれました。本日は、息子の誕生日です。家での誕生日パーティの前に、息子と風呂入りました。風呂に入って思いました。子育ての先輩からは、中学生になると、家族旅行を嫌がるようになるよ。また、大きくなると憎たらしくなるよ。と。息子が憎たらしくなり始めるのは中学生だとしたならば、後、6年間あります。また、子育てが終わり巣立つ年が高校卒業となれば、さらに6年間あります。

 次に思ったのは、「憎たらしくなって欲しくないな~」と思いました。でも、その思いはホモサピエンスの親全てが思っていたことだと思います。しかし、その方法はなかったから、私も憎たらしい息子になりました。そして、その憎たらしい息子が親になるという連綿の積み重ねがホモサピエンス歴史なんだとしたら、憎たらしい子ども存在は正しいのかもしれません。そのようなことを風呂の時間に感じました。まあ、私には、可愛い息子の時代が6年年間残されています。また、憎たらしくも、私のそばで育ってくれる息子が、さらに6年間あります。それが終わる頃には、私は十分に、じいさんになっています。

 ということで、天の采配に感謝しつつ、風呂から上がりました。

06/05/01(月)

[]チャーチル 12:53 チャーチル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - チャーチル - 西川純のメモ チャーチル - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は、久しぶりにボジティブな気分です。

 英国首相チャーチルは目前の判断を誤ることは多い一方、先見性に富んでいることが知られています。このことはT先生も同じです。個々の会議の発言に誤りがあることがありますが、全体的な流れの判断が誤ったためしはありません。私の場合、学内政治に関して、その能力はありません。でも、研究の方向性に関してはかなりある方だと自負があります。私の研究生活は22歳の大学院入学以来、25年間です。その間に100のレフリー付き学術論文に関わっています。この業績は驚異的です。その業績をなさしめていたのは、協働力ですが、もう一つ、先見性があったと思います。

 みんなが大事だと思っていること、みんながやろうと思っていること、で業績を上げるのは優秀であらねばなりません。また、優秀であっても、なかなか業績を上げられるものではありません。ところが、みんなが大事だと思っていないこと、みんながやろうと思っていることでないこと、でも、大事なことで、やりたいな~、と思っていることを見いだせれば、凡庸な人間でもかなりの業績を上げることが出来ます。

 私の研究生活の転換点はいくつもありました。最初は、大学院1年の11月頃だと思います。それまでマレーシア理科教育研究テーマとしようと思っていましたが、それが行き詰まり、概念研究移行した期間です。あの頃はつらかった。天井を見つめて、「あ~、あれが大きな石で、おっこってくれれば楽になれるのに」と何度も思いました。とにかくもがきにもがいて、電気概念研究を始めました。もがいている中で、それまでの教科教育研究の方法論が稚拙で、統計的な処理を殆ど行っていないことに驚きました。少なくとも理科教育学に関して言えば、実態調査の結果統計的に本格的に記載したは私の論文だと思います。統計武器に、実態調査研究論文を稼ぎまくりました。それまで学会誌に掲載されている論文の十倍近い調査対象を得て、その結果統計的に分析しました。調査対象が多い方がいいこと、統計的に分析する方がいいことは万人認めていました。が、だれもやってなかったし、やれませんでした。それ故、雨あられと論文学会誌に掲載することが出来ました。

 でも、やがてそれがつまらなくなりました。実態調査研究は、駄目なことを明らかにすることは出来ますが、何故、駄目かを明らかにすることは出来ません。その打開策を認知心理学に見つけました。認知心理学には、直ぐにでも教科教育研究に適用できる、研究成果・方法論が野積みされていました。私は、それを使えばいいだけでした。その後は、それを武器論文を書きまくりました。

 しかし、それにも、つまらなくなりました。そんなとき、「学び合う教室」の第1章で紹介している研究に出会ったのが、次の転換点です。それがきっかけとなり、やがて個人の頭の中から、人と人との関係に着目するようになりました。そこでの転換点は、平成9年の10月~12月頃のある日にありました。恵美ちゃんの研究を検討する中で、「教えて学び合いをさせる」という考えから、「教育観が変われば、何もしなくても学び合う」ということに気づいた時です。

 今年の4月17日に転換点があったと思います。その日の夜、なかなか寝付けません。理由は、5年ぐらいのスパンで考えたとき、どのように研究を発展したらいいのかということが分からなくなったからです。不遜ながら、現在、多くの教師が悩んでいることに対して、自信を持って指針を示せるだけの研究の蓄積があると断言できます。もちろん、教育の問題は千差万別、その場その場で教師は頭を使わなければなりません。そこには万能の処方箋はありません。しかし、少なくとも、教師が頭を使うときに基本とするべきことはハッキリ分かっています。現在、まだ不十分なものは3つのテーマだけのように思います。

 第一は、目標と評価に関してです。教育が成立するか否かは、教え方ではなく、目標の設定にかかっています。そして、目標の設定は評価と一対となっています。第二は、学び合いを受け入れられない学習者がいるという一般の思いこみを打破することです。第三は、どうやって我々の研究を教師に分かってもらえるかというテーマです。おそらく、第一、第二は、最長でもあと3年で終わると思います。もちろん、その後も研究するテーマはあると思います。しかし、3年後に、今までのように心がふるえるようなテーマが残っているか疑問です。おそらく、今のM2の方、そして今年のM1の方は、第一、第二のテーマは、結局、第三のテーマに繋がることを明らかにするでしょう。十歩下がっても、それを共感されると思います。

 今でも実態調査の研究は行われています。今でも認知心理学に基づく研究は行われています。不遜ながら、それに関して最も多くの論文を書いたのは私だという自負があります。その私は、それをもう一度やりたいとは思いません。同じようなことが、おこるのではないかと予感しています。残されてるテーマは教師を変えるというテーマのみです。これは難物です。分かりたくない人を説得するのは難儀です。でも、その方法は子どもたちと同じであると、今更ながら17日に思いました。それは「一人の子どもを変えるより、クラス全員を変える方がたやすい」と同様に、「一人の教師を変えるより、学校全員の教師を変える方がたやすい」は真だと思います。

 数年前から、それを考えていました。現在院生さんの中でそれを行い始めています。今年、博士課程に入学したK閣下の場合は、もろ、それがテーマなんです。それが大事であることは分かっていました。でも、それを推進するためには、方法論の大幅な変更が必要となります。それが不安で、なんとなく先延ばしにしていました。でも、17日に、それが逃げられない必然であると覚悟しました。それが4月17日にあったことを記録するため、これをメモります。