西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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06/04/08(土)

[]万能の処方箋 13:08 万能の処方箋 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 万能の処方箋 - 西川純のメモ 万能の処方箋 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 ある方よりメールを頂きました。内容は「万能の処方箋は無いはず」というものです。

 我々は、子どもたちが主体的になること、その具体的な姿として「学び合い」を提案しています。そして、それは、小学校でも中学校でも高校でも、国語でも社会でも数学でも、有効だと主張します。学力は向上し、人間関係は良くなり、教師は気が楽になると主張します。普通の教師だったら、「バカな!」と思うでしょうね。その方も同じような思いだと思います。その方から、教育の状況は様々で「万能の処方箋は無いはず」と書かれてあります。それを読みながら、「ありがちな誤解だよな~」と思いました。

 「万能の処方箋は無い」と言っている方ですが、でも、「小学校国語の万能の処方箋」、「高校理科の○○の万能の処方箋」・・・・があると思っているのではないでしょうか?十歩さがっても、「50%以上の児童について、小学校国語の万能の処方箋」、「50%以上の生徒について、高校理科の○○の万能の処方箋」があると思っているように感じます。でも、そんなことってあるでしょうか?私は理科が得意でした。そのため、試験前に同級生から理科に関して教えて欲しいと頼まれました。同級生が納得するには大変です。○○という説明をして、それに対して○○という疑問がぶつけられ、それに対して○○という補足の説明をしへ・・、という連綿があって分かってもらいました。さらに言えば、それでも分かってもらえませんでした。それなのに、教師が○○と説明するなり、発問すると、クラスの50%以上が分かるなんてリアリティありません。このことは、認知研究をやった我々が、学術的にも保証できます。ところが、多くの教師は「50%以上の児童について、小学校国語の万能の処方箋」、「50%以上の生徒について、高校理科の○○の万能の処方箋」のような良き指導法を求めています。馬鹿馬鹿しいと思います。はっきり言います。そんなのありません。実際は、学年、教科、単元どころではなく、その日、その子ごとに最善の指導はあるんです。

 我々の研究の出発点は、「最善の指導法は何か?」ではありません。そんなのあるわけありません。我々の研究の出発点は、「最善の指導法を考えられるのは誰か?」です。それは「当人」なんです。そして、「当人が自分自身に対する最善の指導法を考えられ、実現するにはどうしたらいいか?」ということなんです。我々は、日本人口1億がおり、それがそれぞれの状況という無数の最善の指導法を知りたいと思いません。そんなの数限りなくあります。でも、人が自分の最善を目指し、実現する状況は同じだと思っています。それは、ホモサピエンスという、群れる生物言語という手段を持つ生物に由来します

 でも、旧来の囚われに縛られる限り、以上のことは禅問答のように思われるかもしれません。でも、これが分かれば、全ての状況において、学力は向上し、人間関係は良くなり、教師は気が楽になります。それは実績で、保証します。

[]視点 13:08 視点 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 視点 - 西川純のメモ 視点 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 先だって、我が研究室OB学校に行きました。その校長先生を合うことが出来ました。とっても嬉しかった。十数年前に、ある教師に「校長先生はどんな人ですか?」と聞いたとき「我々職員の担任の先生です」と答えてくれました。高校教師経験者としては、正直、唖然としました。でも、その時合った校長先生は、そんな感じです。「きっといい先生だったんだよな~」と感じます。そして、四十後半の私も子どもになれそうな方でした。

 その校長先生から、色々な面白い話を聞きました。まさに目から鱗です。その中でビックリしたのは。出口論争の中心の子どもです。出口論争は教育を職とするものにとって有名な論争です。でも、その論争の出発点となった授業で、その出発点となった発言をする子どもを写した写真があることを、その校長から聞きました。びっくりしまし。その子どもの表情は素晴らしいものです。

 私の視点は以下のように変わりました。おそらく1分以内の変化です。

 「このような表情を生み出す授業者は凄いな~」→「この発言をする子ども写真を撮った写真家は凄いな~」

 でも、次の段階があります。

 我々は、教授者以上に学習者が重要だと思います。つまり、教授者が凡庸であっても、学習者が素晴らしければ、素晴らしい学びがあると考えます。それ故、「出口論争」という呪縛から逃れられれば、次には「この子は凄いな~」と思いました。でも、つぎは、「この子が特別なのではないな~」と思い始めました。その場面に、特別な子どもが参加していた、と考えるより、その子は特別ではないと考える方が自然です。実は、普通子どもは、とてつもない学びを、そこら中で起こしているんです。教育史に残るような授業者のクラスでなくとも、普通の教師のクラスにおいても、「出口論争」に匹敵する(いやそれ以上の)発言がなされているんだと思います。ただ、それを教師が気づいていないのだと思います。宝は、今、ここにある。我々のやっている、数台のビデオ、数十台のICレコーダーで記録するという方法論は、そのようなダイヤを、凡夫たる我々が見いだす素晴らしい方法だと確信しました。

追伸 「文:斎藤喜博、撮影:川島浩、写真集 斎藤喜博の仕事、国土社、1976」、「文:斎藤喜博、撮影:川島浩、写真集 未来誕生、一莖書房、1986」

[]テスト 13:08 テスト - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - テスト - 西川純のメモ テスト - 西川純のメモ のブックマークコメント


 先だって、我が研究室OBの担任クラスの授業を見ました。我々の授業の姿である、ゴチャゴチャしているクラスです。うるさいクラスです。でも、そのOBが一言語ると、見事にシーンとなるクラスです。

 そのOBからテストを受けました。内容は、そのクラスにいるADHDの子は誰か?、というものです。クラス子どもをいくら見ても分かりません。クラスの全員は学び合い、関わり合いながら高め合っています。その例外になりそうな子はいるかを捜しました。でも、いません。課題に集中していない子どもを捜しました。でも、いません。そこで、降参して、教えてもらいました。でも、その子を改めて見ても、分かりません。そのOBはその子を昨年受け持ちました。落ち着きが無く、クラスにいられません。そのため、教育委員会から、その子のための介助員がつけられました。その子が、教室から出たとたんに追いかける人のために、数百万円の人件費をかけているんです。ところが、その片鱗はいまは全くありません。

 我々の考え方で、特別支援が全く変わることに関して、確信があります。でも、それを現実として見ることが出来ました。私は、そのOBテストに落第したことを喜び、誇りに思います。嬉しかった~