西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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06/02/25(土)

[]教師評価 16:27 教師評価 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師評価 - 西川純のメモ 教師評価 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日長岡で講演しました。講演会場に大浴場があるので、講演前に入りました。とても気持ちがいい。その気持ちの良さで、おもいっきり語りました。

 講演の後の質問に、教師評価のことが話題に出ました。簡単に言えば、教師を評価するのに、「話がよく分かるか」、「板書はよく見えるか」・・等々の細かい項目に分けて評価を受け、それを加算した点数で評価する方法です。一見分析的に評価してるようで、科学的のように見えますが、全く非科学的です。

 この手の評価が意味があるのには、一定の条件が成り立たなければなりません。例えば、良い教師とは、A、B、C・・・という特性によって構成されていることが明らかになってなければなりません。しかし、私の知る限り、そのような構造で一般的に認められた決定版なんて存在しません。せいぜい、素人考えの思いつきで、あれも大事だ、これも大事だを書き綴ったものにすぎません。

 まあ、それが成り立ったとしましょう(かなり無理のある仮説です)。でも、まだ不十分です。A、B、Cの間に強い交互作用があってはなりません。つまり、Aが多くなることは良い教師であるということが、BやCなどに依存しないものであらねばなりません。これはほぼ無理です。かなり以前のメモである「教師にむいている・むいていない」というメモに私自身のエピソードを書きました。

 私が高校教師だったとき、自分自身が「教師に向いていないんじゃないか」と悩みました。大学院指導教官だった小林先生に、「○○先生は、これこれですごい先生なんです。△△先生は、これこれで良い先生なんです。私には一生かかっても、あんな先生にはなれません。」と愚痴ったことがある。小林先生文部科学省の教科調査官を務められた方で、全国の多くの先生方に会われた方です。その小林先生は、「職業柄、たくさんの良い先生にあいましたけど、話のうまい良い先生もいますし、話の下手な良い先生もいます。明るい良い先生もいますし、暗い良い先生もいます。君は○○先生や、△△先生のようにならなくても、君は君のままで良い先生になれるよ。」と教えてくれました。

 ある教師の場合はAという特性が重要であっても、別な教師にとってはAは殆ど意味が無く、Bが重要な場合もあります。いや、Aが多いとことが負に働く場合さえあります。つまり、交互作用が強いということです。

 さらに、それらを加算して評価するためには、さらに条件が成り立たなければなりません。A、B、C・・のそれぞれの重み付けを適切にしなければなりません。つまり、Aが1と同じ意味を持つBはいくつかを定めなければなりません。これも全く不可能なことです。

 つまり教師を「話がよく分かるか」、「板書はよく見えるか」・・等々の細かい項目に分けて評価するということは、非科学的です。さらに、それを加算した点数で評価する方法は馬鹿げた方法です。では、どのように評価したらいいでしょうか?実は、子どもに対する評価と同じなんです。途中経過を事細かに評価すれば、「ふり」ができます。ところが最終結果は「ふり」が出来ません。

 例えば、その学校受験を評価基準にするならば、教えている子ども偏差値受験実績で評価すればいいんです。それさえ良い評価であれば、話が分からなくても、板書がよく見えなくてもOKなんです。まあ、一般の学校でそれほど単純な評価観点はしないでしょう。そうなると、「来年、その先生に教えてもらいたいか?」という質問で評価すればいいんです。そして、書いたとおりの先生に教えてもらえるようすればいいんです。

 教育のように複雑な現象を科学的に分析するということの意味を本当に分かっておらず、単純な現象を扱う物理の手法を安易に使うという、こぐありふれた失敗と同じです。1流の物理学者は、教育現象と同じぐらい複雑で曖昧物理現象を扱っているので、この種の誤りはしません。既に1流の科学者、2流の科学者によって整理されたものしか扱わない3流の科学者が、この種の誤りをよくやります。