西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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06/02/07(火)

[]心に響く言葉 16:38 心に響く言葉 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 心に響く言葉 - 西川純のメモ 心に響く言葉 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 最近メモ更新が滞りがちです。本当だったら、書くべきことはいっぱいあります。例えば、この前の金・土曜日には大阪出張し、Kuさんの博士口述試験がありました。一人の学位を出すために、3つの大学の5人の教員が、宿泊を含めて遠方から集まるというのですから、博士という学位は凄いものです。

 さて、そんな状態ですが、とても心に響いた言葉があったので、メモることにしました。

 本日修士論文発表会がありました。前回の口述試験以上にリラックスして聞けました。発表している院生さんもリラックスです。それもそうでしょう。今までに何度もあった、学会発表、そして全体ゼミ発表に比べればチャンチャラ楽です。指導教官バカですが、プレゼンの方法、もちろん内容のレベルの高さは格段です。終わった後、Kanさんと二人で発表について話しました。その中でOさんの研究が話題になりました。

 学び合いの有効性を語るとき、学力低位の子どもにとって意味あることは分かりやすいのですが、学力上位の子どもにとって意味あるかが議論になるときがあります。下手すると、学力上位の子どもは、学力低位の子のお世話に時間を取られ、時間のロスになりかねません。学び合いを推進する教師は、「教えることによって、学びが深まる」という理由で反論します。しかし、Oさんの研究は、そのような議論に新たな地平を開くものです。それは、子どもたちは学力によらず、教え手にもなり、学び手にもなることを明らかにしました。このことに関しては、我々の予備的な調査では明かですが、それを実証的なデータでしっかり採ったという点でOさんの研究意味深いと思います。

 学力上位の子ども学力低位の子どもから学ぶ場面を、Oさんの研究では実証的データで示しています。分かるものから分からぬ人に教えるという、単純な構図ではそのような現象は理解出来ません。その事に関して、Oさんは「結局、頭の良い子というのは、どんなことからも学び取れる能力がある。逆に言えば、そのような能力があるからこそ、成績が高い」と看破されました。まさに、その通りです。そのようなことをKanさんと話し合いました。そのとき、Kanさんが「学びにとって重要なのは、教え手ではなく、学び手なんですね。学び手さえしっかりしていれば、学びは成立するんですね」とポツリと言われました。その言葉、すごく心に響きました。

 考えてみれば当たり前です。リンゴニュートンに教えようと思って木から落ちたのではありません。リンゴは何にも考えていません。ところが、ニュートンはそこから万有引力の法則を学び取りました。学力上位の子どもは、学力低位の子どもが意図していない発言でも学び取ることが出来ます。そのため、両者に負担が無く、学び合いが成立するのだと思います。「学びにとって重要なのは、教え手ではなく、学び手なんですね。学び手さえしっかりしていれば、学びは成立するんですね」というのは、教育の発想の一大転換だと思います。だって、今までの教育では、教師がどのように教えるかが議論の中心となっていたんですから。

 分かってみれば、とてつもなく当たり前のこと。それでいて、囚われている頭では気づかないこと。そして学ぶことによって、自分の愚かさを知ること。このような快感を今年も多く得ることが出来ました。あと、10年間、20年間で、私はどれだけ、自分の愚かさを学ぶことが出来るのかワクワクします。