西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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05/11/24(木)

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 次の本は12月に印刷が終わり、12月中旬には市場に流通することが決まりました。次の本は、学び合い学力との関係です。本とタイトルは『「勉強しなさい!」を言わない授業』です。そこでは、まず、学力向上を少人数指導で行うことのナンセンスさと、罪を語ります。次に、今までの研究紹介しながら、学び合い学力向上の関係を示します。そして、Iさん、Kさんの研究を紹介し、学び合いによって学力は向上し、それが、馬鹿馬鹿しいほど当たり前であることを示します。そして、Oさんの研究を紹介して、学び合い学力低位の子どもだけに有利で、学力上位者には利益がないという馬鹿げた誤解を打破します。ざっと、こんな構成です。でも、その中に、学力と心の成長を分けている現状の学力論を批判したいと思います。

 現状の受験戦争を理由に、とにもかくにも勉強勉強という先生もいます(ちょっと前にあったテレビ番組「女王の・・」の教師)。心がすさむような教室で、学力は向上するでしょうか?明らかにナンセンスです。教師同士が足をひっぱいあっている学校が、どんな学校になるかを考えれば理の当然でしょう。逆に、学力なんてくそ食らえ、学校勉強することに意味はない、学校は人と人とが出会う場だ、という先生がいます。テレビ番組の「よい教師」の殆どはそれです。だって、その先生が真面目に授業している時間って放送時間の何パーセントを占めています?でも、明らかにナンセンスです。私も学校で学ぶことが、人が全て学び取らねばならないことだなんて思いません。いや、殆どを学ばなくても、幸せな家庭人・社会人として生きられると確信しています。ここまではテレビ番組の「よい教師」と同じです。しかし、私は、それでも学習する必要は絶対にあると考えています。何故なら、学習という軸を失って、クラス(または班)が凝縮力を持てるわけありません。学習という軸を失えば、子どもたちは一人一人がバラバラの軸で集まり、クラスは成立しません。そのような凝縮力のないクラスで人と人とが出会う場になるでしょうか?ナンセンスです。

 私が高校教師だったときの夏休みのことです。職員室の横のお茶飲み場で、色々な先生といっぱい話をしました。そして、私が教師として学ぶべきことを学んだのはそのような場です。夏休みですので、どの先生ものんびりしています。その際、みんな「授業がなければ学校ってパラダイスだよね」と言って大笑いしました。でも、本当に学校に授業が無くなったら、そもそも職員室に集まるでしょうか?また、集まって授業に関することを語るでしょうか?そして、その様な場で、教師として学ぶべきことを学べるでしょうか?無理です。授業という仕事を軸としているから、職員が職員集団としてまとまれ、それによって学ぶ場が形成されています。

 それでも、「塾・予備校のような授業は学力を確実に伸ばせることが出来る」とか、「○○学習法で成績が上がった」という理由で、心を分離した学力指導があるように主張する人がいます。たしかに、その様な人の示すデータの中には実証的なデータも含まれます。でも、そのようなデータに惑わされてはいけません。リンカーンは、「多数の人を少しの間騙すことはできる。 少数の人を長い間騙すこともできる。 しかし、多数の人を長い間騙すことはできない。」と述べました。その言葉を借りれば、「多数の人を少しの間、心を分離した学習指導によって成績を上げることはできる。 少数の人を長い間、心を分離した学習指導によって成績を上げることもできる。 しかし、多数の人を長い間、心を分離した学習指導によって成績を上げることはできない。」と言いたい。今までに流布している、心を分離した学力向上法、また、学力向上を分離した生徒指導法を詳細に見れば、ごく特殊な対象・期間に限っているものが多いように思います。しかし、我々教師が求められているのは、クラス全員を3年(もしくは6年間)、継続して成長することを求められています。このあたりを、次の本で熱く(暑苦しく)語りたいと思います。