西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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05/09/21(水)

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 経営学の中で初期ミシガンの研究は非常に参考になります。初期ミシガンの研究はリッカートが中心になって行った一連の研究の総称です。彼らの研究の特徴は、業績のあげている部署の管理者の特徴と、業績を上げていない部署の管理者の特徴を、実証的に調査した点が特徴です。研究としては当たり前のことをしたが、実際にそのような研究をした事例は驚くほど少ないと思います。想像して下さい。良い教師と悪い教師の比較研究をすることがいかに困難なことか。特に、問題を起こした教師を大量に調査対象として集め、それらのデータを集めることは、ほぼ不可能でしょう。会社のデータでも同じです。その意味で、彼らの研究は極めて興味深いものです。

 彼らの研究によれば管理者は「独善的専制型」、「博愛的(温情的)専制型」、「相談型」、「集団参画型」に分かれます。そして、「集団参画型」の管理職が最も業績を上げており、以下、「相談型」、「博愛的専制型」が続きます。そして、「独善的専制型」が最も業績の低い管理職です。

 最近、独善的専制型の極端なプロトタイプの女性教師のドラマがありました。ドラマ終了後に、直ちに、続編の話が出るほどの人気でした。おそらく、独善的専制型を良い教師と思う父兄は多いだろうと思います。いや、教師の中にも、良い教師だと思った人は少なくないと思います。しかし、リッカートが述べているように、よい管理職ではありません。これは、リッカートを引き出さなくても、自分に置き換えれば簡単です。

 独善的専制型校長の学校に自分が勤めている状態を想像して下さい。息が詰まるような職場でしょう。もし、その校長が愚かで、校長の専制的な指示によってはっきりとした効果が見られなければ、早晩、職員から見放されるでしょう。そして、「やったふり」をするか、職員総反発(教室に置きかえれば学級崩壊)となります。ところが、その校長がある程度以上の能力があり、その指示通りのことをすれば目に見える効果が上がったとします。例えば、地域共通テストでその学校の成績がトップに躍り出たとします。そうすれば、おそらく職員は「さすが凄い校長だ」という評価が定まり、その校長から過酷な要求をいくらされても、そうすれば良いんだ、となります。さて、その結果、さらに成績が上がります。さらに、要求がなされる・・。さて、この状態は、ある一定期間ならばハッピーエンドに見えます。しかし、この状態が1年、2年続いた状態を想像して下さい。全ての職員はカリスマ校長を向いて仕事をして、職員同士は向き合っていません。結果として息が詰まる職場になります。職員は競うように夜遅くまで仕事をして、誰も帰らない、いや帰れません。結果として、みんなみんな疲れてしまいます。ひどい場合は、本当に病気になってしまいます。さて、この状態が良い状態でしょうか?ところが、この状態がさらに悪化する以前に校長は転任したとします。やがて職場は元の状態に戻ります。そして、「前の校長は指導力があったよな~」と懐かしむ声が残るかもしれません。これは、ある意味でハッピーエンドかもしれません。しかし、本当に上記がよい管理職といえるでしょうか?

 ちなみに「集団参画型」の管理職の職場においても、職員が夜遅くまで仕事をして、業績を上げることはあります。しかし、中身が違います。職員同士が向き合って支え合っているので、気持ちの疲れ方が「独善的専制型」とは格段に違います。また、お互いの得意な分野を補い合っているので仕事の効率が格段に違います。互いに理解し合っているので、家庭にどんな事情があっても帰れないということもありません。そして、アイディアの多様性、質の高さは圧倒的に違います。「独善的専制型」管理職の職場ではアイディアを出すのは管理職のみであるので、限界があります。ところが集団参画型の職場では職員全員が出します。リッカートが述べているように、決まり切った仕事の場合は「独善的専制型」管理職でも業績を上げることが出来るが、創造的な仕事では不可能です。そのことは学術研究を仕事としている筆者の実感です。もし、筆者一人がアイディアを出していたならば、とても現在のような論文生産量を維持できるわけはありません。テレビドラマの主人公も、反復学習でOKレベルのことをやっていたから馬脚を出さずに済んだのだろうと思います。

 独善的専制型教師のプロトタイプばかりではありません。実は、テレビや漫画に登場する「全て」 の教師は独善的専制型教師(十歩さがっても博愛的(温情的)専制型)といえます。両者の違いは独善的専制型教師プロトタイプが罰や暴言を乱発するのに対して、その数が少ないか、教育愛(?)にオブラードされているか否かの違いにすぎません。嘘だと思うならば、主人公が方法のレベルのことに関して「どうやったらいいだろうか?」と子どもたちに相談している場面をどれだけ思い出せるか考えて下さい。さらに、子どもたちに言い負かされる場面がどれだけ多いか思い出してください。テレビや漫画の教師の主人公は、どうやったらいいか断固として語り、子どもたちが感激する構図ばかりです。実は、それが独善的専制型の特徴の一つなんです。