西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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05/08/31(水)

[]何故学び合いが主流にならないか? 10:32 何故学び合いが主流にならないか? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 何故学び合いが主流にならないか? - 西川純のメモ 何故学び合いが主流にならないか? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「何故学び合いが主流にならないのか?」と、学び合いフォーラムに参加されたYさんより質問を受けました。ごちゃごちゃとした説明を大幅に省き、今のところの私の考えを述べます。

 産業革命とともに、教育の大量生産が求められました。その中で作り上げられたのが、現在の学校教育の制度です。作られた現在より100年ほど前の時代は、情報は限られた人に握られ高価でした。従って、それを持っている教師が一斉に指導するという一斉学習の指導が発生しました。確かに、親方と少数の弟子のような徒弟制や、高等教育における場においては、学び合いは当然存在していました。しかし、 大量生産の学校教育を実現するためには、その当時はそれ以外の選択肢は無かったのだと思います。

 ところが、時代は変わりました。情報は安価になり、多くの人が得られるようになります。学校で学ぶことを知っているのは、教師ばかりではなく、学ぶ以前から子どもが知っている状況は一般的になりました。このような状況では教師が一斉指導するより、子どもたちが学びあった方が効果的です。しかし、それが一般的にならなかった最も根本的な原因は、親(その中には親である教師も)、そして、その集合体である社会が学校に求めているのは、家庭の代わり(つまり託児所)なんです。そして、教師に求めているのは、親の代わりなんです。それ故、一人一人の子どもに寄り添って、と教師に求めます。そして、教師自身もそうすべきだと思いこんでいるので、それを自らに強います。

 何度も書いているように、教育において正しいことは、多くの人が既に気づいているものだと思います。我々が主張していることが、天地開闢以来初めてだと主張するつもりはありません。多くの心ある先生が気づいているはずです。しかし、その多くの先生方も、「本当は親のように、一人一人に寄り添うべきなんだよな~」という気持ちを持っていたため、全面的に学び合いにすることを躊躇われたのではないでしょうか?それでは、何故、そのような気持ちを捨てきれなかったのでしょうか?私は、その原因は、ちゃんとした実践の場に即したデータがなかったためだと思います。

 私は教育の実証的研究で最も多くの論文を書いた研究者の一人だと自負しています。その私は、「教育において実践の場に関する実証的データはほとんど無い(もしくは、全く不十分だ)」と断言できます。だって、考えても見て下さい。40人の子どもを一人の教師が「一人一人寄り添う」なんて出来ると思います?45分、50分の授業を40人で割れば1分強です。それで何が出来ます。さらに、一斉授業で授業時間の殆どを教師の演説で占められている現状を考えれば、一人の子どもに10秒程度しか対応できないはずです。事実、私が高校教師だったとき、全ての子どもに授業中に一声かけようとしたとき、かなり無理しなければ出来ないことを、はっきり覚えています。

 今の状態では10秒程度しか個別対応できません。こんな小学生でも分かる算数が、何故、多くの教育関係者が分からないのか、私には理解できません。30人の少人数学級にしたら、10秒が12秒になります。それを2名のTTでやれば24秒になるかも知れません。でも、50歩100歩にすぎません。でしょ?皆さん。一人一人に寄り添うことを軽く見過ぎています。本当は、1時間の授業を、1時間かけて個別対応しなければなりません。従って、少人数、到達度別学習で研究指定を受けた学校が、それに見合った効果を確認できないのは理の当然です。そして、ピグマリオン効果、ハロー効果で出た結果を、少人数、到達度別学習の成果としているに過ぎません(かなりの、疑いを当事者が持ちつつ)。

 残念ながら、小学校算数でも分かる誤りを正すに足るデータは現在ありません。おそらく、少人数、習熟度別を否定することは比較的容易いでしょう。でも、求められているのは、それに代わりうるものです。子どもも教師も親も納得できる代わりうるものです。

 Yさんへ。その事を実現するために、我々は研究しています。そして、その成果を広く還元したいと思っています。我々は同志を求めています。宜しくお願いします。