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05/08/09(火)
■ [大事なこと]プロの力

研究室のメンバーのTさんのブログに、以下の記事がありました。
『今年の6月、ある中学校の教育実践を見に行った。そこの中学校には、プロの詩人、音楽家がやってきて、生徒はプロに直接指導を受けているようだ。私は、N研究室の考え方同様・・プロは知ってしまったから、教えるのがうまくないのでは・・じゃあ、プロが来ることに、なんの意味があるのだろうか?と思っていた。確かに、すごい人ってことで子どもの興味、関心はひけるのだろうけど・・今日、その長年?の疑問に光が見えた。
今日は、お茶の日。今日はめったに見ることができない、先生のお手前を拝見することができた。プロ、先生のお手前は実に美しかった。無駄がない。動作にキレがある。一つひとつに心を感じる。「やっぱりプロだ、すごい」と思った。自分は、まだまだ足元にもおよばないなぁと思った。プロに教わること。それはやっぱり、目標を口でなく表現で伝えられることだと思った。「私も先生のようになりたい」わたしがそう思ったように・・そう子どもが思うこと、それが子どもの原動力へと変えられること。それがプロに教わる利点じゃないかと思った。』
Tさんへ。以下が私のコメントです。
『我々はプロが特別に教え方が下手だとか、プロの教育的価値が全然無いと主張したことはありません。我々が主張しているのは、どんな教師であっても、全ての子どもに対して良い教え手とはなり得ない、と主張しています。レベルの高い子を教えられるのは、レベルの高い教師しか出来ないことです(ただし、追伸参照)。しかし、レベルの低い子を教えられるのは、むしろ、その教科が得意ではない教師の方が良い場合があります。さらに、よりベストの教え 手は子どもたちの中にいる可能性は大です。ただ、世の多くの人は、プロであればプロであるほど、良い教師だという素人的な暗黙の仮説に浸っているために、それを否定する場面が多く、そのためプロのみを否定しているように感じられるのかもしれません。
プロの世界では、プロが教えることに何の問題もありません。プロの凄さを感じられる人だけがプロになれるのであり、そうでない人を、どんどん「切って」いくことが可能です。考えてください。Tさんが感じた「やっぱりプロだ、すごい」という気持ちを、万人すべからず感じられるでしょうか?私はそうは思いません。ところが、そう感じられる人は、万人すべからず感じられると信じ切っています。だから、多くの教師(即ち、その教科のエキスパート)は、自分にとって良かったことを、全ての子どもに強いることをします。
私は、プロの教師の教えを、選択肢の一つとして使うことを否定しません。おそらく、それが有効である子どもは少なくないと思います。しかし、それを全ての子どもに、それを強いた場合、益するより害の方が多いように思います(まあ、年に一回、二回程度使う分には良いかもしれませんが)。
我々が否定しているのは、プロではありません。選択権を認めず、一つの方法を強いることなんです。一人の教え手を強いることは、それがプロであろうと無かろうと、良いことではありません。』
追伸 なお、「レベルの高い子を教えられるのは、レベルの高い教師しか出来ないことです。」ということさえも、現在、Oさんはデータで打ち壊しつつあります。我々は、素人的な暗黙の前提を、実証的データで乗り越えています。