西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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05/06/28(火)

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 ある学生さんが、「何故(授業は)楽しくあらねばならない必要があるのか」、『「楽しい」ことは、ゴールへ辿り着くための、単なる動機付けでしかないはず。』と問題提起をしました。素晴らしいと思いました。そうしたら、私が何で素晴らしい、と感激したのは「なんでやねん」と問われましたので、謹んで「応えます」。ただし、その学生さんは『きっと、答なんてないだろうけど、「探す」行為が大切なのであって……。』と書いてあるとおり、答えはありません。ただ、今の段階の私の「応え」なんです。

 私が感激したのは、その問いかけが、単純でありながら、応えるのが難しい問いかけだからです。例えば、ここ数年考えているのですが、まだ、答えが出ない「学び合いを目的とすべきか」という問いもそのような問いです。問いかけを簡単で、短い 言葉で表現出来るということは、それがその領域で本質的な問いかけであることを意味します。難しげな言葉で長々書かねばならない問いかけというのは、枝葉末節な問いかけであることを意味します。そのような本質的な問題であるにもかかわらず、応えるのが難しということは追求するに足るものです。ある数学者から聞いたことですが、数学者の才能は、良い問題を見出し得る人であるそうです。その意味で、この学生さんは優れた才能を持っていると感じます。ただし、良い問題を見出し得る人だけでは一流の数学者には不十分です。その問題を解決して、はじめて才能が完結します。

 私なりの応えを書きます。

 多くの教師が思っている「楽しい」とはどんなイメージなんでしょう。例えば、面白実験本に書かれている「楽しい実験」の「楽しい」に端的に表れています。そこには教師が特定の「楽しい」を与えようとしています。しかし、万人が楽しいと思うような特定のことってあるのでしょうか?おそらく、教師が「楽しい」と思って与えても、それを「楽しくない」と感じる子どもはいるはずです。そして、そのような子どもは、「楽しくさせてあげている」という教師の高慢な臭いをかぎ取るのだと思います。この学生さんは、そのような臭いを感じたことがあるので、先に挙げたような本質的な問いかけをしたのだと思います。

 私は万人が楽しい特定のものは無いと思います。それにもっとも近いものは「人と関わる」事だと思います。これはホモサピエンスの本能に由来するものであり、もっとも一般的なものだと思います。もしも人と関わり合う手段ならば、どんな陳腐なものであっても「楽しく」なります。我々は小さい頃、親にはゴミとしか思えないものを必死になって集めた経験があるはずです。なぜ、それを必死に集めたかと言えば、自分たちの仲間がそれを大事と思い、その仲間と関わり合う手段となっていたからに他なりません。これは大人も同じ事です。ダイヤにせよ金にせよ、それ自体に価値があるのではなく、人間集団との関わりで価値を生じているに過ぎません。

 私の応えです。「何故(授業は)楽しくあらねばならない必要があるのか」を「教師が楽しくさせる必要があるのか」という意味であるならば、それは否です。そんな、させなくとも、子どもは楽しくしてしまいます。ただし、子どもが自ら楽しくなる手段を奪わなければ、という限定付きです。つまり、具体的には人と関わり合える環境を保証することです。もっと具体的に言えば、「静かにせよ!」、「座りなさい!」を言わなければです。ただし、カリキュラムが指定する学習内容に矛盾のない目標を与えなければなりません。教師は楽しいか否かかを考えるより、カリキュラムが指定する学習内容に矛盾のない目標を与え、人と関わり合える環境を保証すればいいんです。