西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

05/05/29(日)

[]散歩 12:53 散歩 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 散歩 - 西川純のメモ 散歩 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日は息子の自転車の練習の意味で、1時間半かけて地域を散歩しました。ペダルをこいている息子を先導しながら歩いていると、附属小学校の運動会です。息子が興味有りそうなので、ちょっとだけのぞいてみました。ちょうど、1年生の競技です。「昨年まで年長さんだったんだな~」と思いながら見ました。それを見ている息子は、グラウンドに入ろうとしているので押さえました。そうすると応援している中学年に興味が移りました。いきなり、そちらに走り出したので押さえました。曰く「応援する」だそうです。グラウンドの周りには保護者が座って応援しています。あと2年で、こんな運動会に参加できるんだろうな~、と思いながら附属小学校を出ました。

05/05/28(土)

[]春の味第四弾 12:54 春の味第四弾 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 春の味第四弾 - 西川純のメモ 春の味第四弾 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日はワラビ取りに行きました。家から15分ぐらいのポイントです。ワラビ取りは、ツツジが咲く頃がベストです。ところが、今年はそれを逃してしまいました。でも、だめならしょうがない、という気持ちで行きました。ところが、大漁でした。よく見ると、取られた後が、ここ彼処にあります。おそらく、1番ワラビ、2番ワラビの後の、残りワラビだと思います。重曹で軽くゆで、一晩水でさらして、明日食べます。家族3人で取ったワラビ、美味しくないわけありません!

追伸 第五弾はネマガリダケですが、これは、それまでの山菜と違って、覚悟を決めなくては採れない山菜です。今年も無理かな~

05/05/27(金)

[]失敗したら 12:55 失敗したら - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 失敗したら - 西川純のメモ 失敗したら - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今回の講演で、印象深い質問を受けました。

 講演が終わってから、司会者から「質問は?」と促された後、若い先生が勇気を持って手を挙げられました。その先生から、「大変失礼な質問ですが、失敗したことはないんでしょうか?」と聞かれました。本当に率直な質問です。だって、我々の実践は、教師は何もしなくても(少なくとも外野からはそう見えます)、成績は上がり、人間関係が良くなります。「そんなバカな~」と思われるのも当然かも知れません。その率直な疑問を、率直に私にぶつけて頂けたことを嬉しく思いました。私は、「我々が実践して失敗したことはありません!でも・・、我々が他の先生にお願いしてやっていただいたとき、我々から見て失敗したことはあります」と答えました。何度も何度も書いたことですが、方法ではなく、考え方が重要です。でも、方法は伝えやすいのですが、考え方は伝えにくいものです。例えば、桜を見せることは出来ますが、何故、日本人が桜を特別に思いがあるかは伝えにくいものです。考え方は、複雑に絡み合ったものによって構成されています。伝えようとしても、それらの、ごくごく一部しか伝えることは出来ません。ところが、ノウハウ本が大好きな先生の場合は、考え方ではなく、方法をなぞろうとしがちです。それでは失敗します。しかし、それだけの答えでは不十分だったと、今、反省しています。なぜなら、我々が他の先生にお願いして成功した事例は、失敗した事例より、ずっと多いということを伝えるべきでした。

 我々は決してとてつもないことを発見したと主張していません。我々が見出したことは、心ある教師であれば、多かれ少なかれ経験したことだと思います。その結果として、我々の考えに近い考えをお持ちの先生は少なくありません。でも、そのことがとても重要で、教育一般に関係することだと言うことに気づいていない 先生がいます。例えば、○○という教科は出来るが、○○という教科は教師がしっかり教えなければならない、とか。小学校は出来るが、中学校は出来ない(また、その逆)とか。クラブ指導は出来るが、教科学習は出来ない、とか。さらに、○○という単元は出来るが、○○という単元は出来ない、とか・・・。そのような先生の場合は、ほんのちょっとのきっかけで、理解して貰うことが出来ます。さらに、それさえも不要な先生がいます。そのような先生の場合、「あ~、あれね」で分かって貰えます。

 我々は子どもが有能だと信じると同時に、教師も有能だと信じています。多くの教師が、ほんのちょっとで変われると信じています。そのためには、我々の本を、「どうやってやればいいのか」と考えながら読むのではなく、「子どもは有能 とは、どういうこと?学校教育の目標って何?」というレベルで読んで頂きたいと願っています。

[]プレゼン 12:55 プレゼン - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - プレゼン - 西川純のメモ プレゼン - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学校の研究会のパターンとしては、公開授業と体育館における全体会があります。その全体会のプレゼンに関して、福島大学附属中学校のプレゼンはピカイチでした。大抵の研究会の全体会におけるプレゼンは、文字が多すぎます。とても読み切れません。更に図が複雑です。やたら、分かるようでちんぷんかんぷんな単語が画面いっぱいに書かれています。さらに、それらが相互に矢印で結ばれています。よく見ると、全部が結びついています。そんな図だったら、図示する必要は全くありません。全ての単語を並べて、相互に関係がある、と書いた方がずっと分かりやすい。福島大学附属中学校のプレゼンは、そのようなことが全くありませんでした。「研究仮説の背景」、「仮説」、「実践」、「成果」、「今後の課題と次なる仮説」という内容が、コンパクトにまとめられています。1年間の全学校の研究を、あれだけに厳選した過程には、多くの時間を掛けたのだと思います。 数学者としても有名なパスカルが恋人にあてた手紙に「今日は時間がなかったので、長い手紙になってしまいました」と書いたそうです。相手を思うならば、推敲が行われ、言葉が吟味されるはずです。もう一つ付け加えるならば、校長挨拶が短かった。これまた、短いながらも(いや短いからこそなお一層)良かった。

 全体を通して、シンプルにして、意が伝わるプレゼンでした。すごく気持ちが良かった。

05/05/26(木)

[]帰ってきました 12:56 帰ってきました - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 帰ってきました - 西川純のメモ 帰ってきました - 西川純のメモ のブックマークコメント

 福島から、やっとこさ帰ってきました。

 講演会ではIさんの最新情報を〆に使い、1時間30分を語りました。主催者から3時15分に終わって欲しいといわれたので、30秒ぐらいの誤差で終了しました(エヘン!)。でも、今回は笑いがあまりとれませんでした。原因は分かっています。今回も多くを語りたいと思ったためです。そのため、いつもだったら20分は取る、最初の馬鹿話をほとんどカットしてしまいました。そのため、笑いやすい雰囲気がなかったのではないかと思われます。反省。

 時間通りに附属中学を出発できたので、8時には自宅に到着できるはずでした。そこで遅めの夕食を家族と食べられるはずです。しかし、上野と大宮の間で新幹線の故障があり、そのためダイヤが大幅に遅れました。そのため息子はすでに寝ています。でも本日中に 自宅に到着できたので、今、家内のつくったココアを飲みながらテレビを見ることが出来ます。

 今回の出張で、息子の成長を感じました。出張先で息子に電話すると、話し終わると「じゃあね」で突然切ります。そのため、家内と話すためにもう一度かけ直さなければなりません。ところが今回は、「じゃあね。お母さん、電話」と電話を家内に渡します。ちょっとしたことかもしれませんが、私にとっては大きな成長に思えます。

05/05/23(月)

[]ブログ 12:57 ブログ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ブログ - 西川純のメモ ブログ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ブログ関係のノウハウ本を買いました。そこにはRSSリーダーというものがあります。ためしにインストールしたらすこぶる快調です。このソフトを使うと、気になるブログが更新されたかが一目瞭然です。今まで、20カ所近くを開いたりしていましたが、そのロスが無くなりました。しかし、RSSという 規格にあっていないブログの場合、それが使えないのが残念です。具体的には、H、Mさんのワイン日記、Kさんの高校教師日記の三つが対応していません。(残念)

 みんなに情報発信をするよう促しましたが、みんなはブログという手段を選択したようです。色々なブログを読みながら、私もメモをブログに移行しようかな~、と考え始めました。しかし、私が移行に踏ん切れない最大の理由は、怖いんです。過去のメモに書いたように、私は他人からの心ない言葉に過剰反応する傾向があります。見知った人たち、そして、発信を明らかにした人(具体的にはメール)の場合は、抑制がきいた表現になります。しかし、ブログのコメントの場合、それから外れる人からのレスがある危険性は少なくありません。特に、本や雑誌という媒体を通して世間と繋がっている場合、その危険性は高くなります。本当は、その手のメールを無視できならば問題ないんですが、私の場合、下手すると殻に閉じこもってしまう場合が少なくありません。それが怖くてブログに移行できません。しかし、我々の研究に共感してもらえる人とより多く繋がれるという可能性は捨てがたいものがあります。う~ん。

[]もう一歩 12:57 もう一歩 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - もう一歩 - 西川純のメモ もう一歩 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 マリッジブルーという言葉があります。婚約後、結婚後に、「私の決断は正しかったんだろうか・・」と悩み続けることです。既婚者だったら、大なり小なり経験していることなのかもしれません。でも、多くの既婚者は、それをズルズルといつまでも引きづりません。「私の決断は正しかったんだろうか・・」と悩むより、「私の決断は正しかったんだ」と確信できるよう、日々の結婚生活を過ごすことが生産的だと気づくからだと思います。学生さんたちに、「結婚相手に当たりはずれが考えるのは間違いで、当たりにするのはあなた自身だよ。研究テーマも同じだよ。どこかに当たりの研究テーマがあり、はずれの研究テーマがあるというのは間違いだよ。どんな研究テーマでも素晴らしい研究に育てることは出来るし、どんな研究テーマでもくだらない研究にすることは出来るよ。適度に納得できる研究テーマだったら、悩むより、それを信じて、素晴らしい研究に育てることだよ。」と語ります。

 まず、もう一歩進めることが大事です。不安かもしれません。でも考えてください。「じゃあ、やめます?」と自分に問いかけてください。もし、その答えが必ずしも「No」ではなくとも、少なくとも「Yes」でないなら、次に「先延ばしにした方がいいですか?」と問いかけてください。その答えも必ずしも「No」でなくとも、少なくとも「Yes」でないなら、とりあえずやりましょう。

05/05/21(土)

[]よくある質問 12:58 よくある質問 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - よくある質問 - 西川純のメモ よくある質問 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先週の個人ゼミで「子どもたちの学び合いをさせようとしても、もし、誰も知らなかったらどうするのか?」という疑問が出ました。本に書いていたつもりなんですが、もしかしたらはっきりと書いてなかったのかもしれません。少なくとも、学び合いと学力向上に関する本にははっきり書かねばならないことです。改めて、ここで書きたいと思います。

 その学生さんの質問は、過去に何度も聞かれた疑問です。相手は、学生さん、現職院生さん、現場の先生、大学の研究者・・、様々な人たちから同じような疑問を受けました。そこで、「じゃあ、具体的にどんな教科、どんな学校段階、どんな学年でもいいから、クラス中の子どもが知らない、という状況を言ってよ」と言いました。その学生さんは、小学校中学年の算数の単元を例に挙げました。そこで、隣の部屋に黙って連れて行きました。その部屋には小学校の現職院生さん二人おられます。そこで、「○○を勉強する前に、すでに知っている子ってどれだけいる?」と質問しました。院生さんは、40人弱のクラスの場合、田舎で3,4人程度、公文式等が盛んな都市部では7,8人はいると応えました。その学生さんは、「誰も知らない」ということにかなりの自信を持っていたので、かなりビックリしました。

 そこで彼に語りました。

 「4人いたら十分だよね。だって、4人が教えるのと、一人の教師が教えるのと、どちらが個人対応できる?さらに、子どもの方が、子どもの持つ誤解を共感的に理解できることは本(「何故理科は難しいと言われるのか?」)に書いたとおりだよ。その4人が8人の子どもに教えたら、あっという間に12人の教師になることが出来る。」

 さらに付け加えました。

 「ただし、「誰も知らない」という状況が希ではあっても、全く無いとは言い難いね。でも、思い出して。日本の指導要領は、日本人全てがすべからく学ばなければならないこと、学べることの基準なんだよ。建前上、境界児も学べる基準なんだよ。つまり、それほど極端に高い基準ではない。だとしたら、教科書や、それにかわる教材を与えれば、教師が何もしなくても、それを読み解いて理解できる子はクラスに何人もいるはずだよ。」


[]シャルウイーダンス 12:59 シャルウイーダンス - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - シャルウイーダンス - 西川純のメモ シャルウイーダンス - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、家内とデートしました。家内と「シャルウイーダンス」を見ました。本当だったら、手をつなぎながら見たかったんですが、近くに座っている人もいるので遠慮しました。この映画は、ご存じの通り、日本の映画賞を総なめにした映画です。私たちも見ましたし、感激しました。それが米国でリメークされたということで、再度、みたいと思いました。ただし、日本版がよかったので米国版もそこそこだろうな、という程度の期待です。前半は、日本版の方が上です。ダンス教室の仲間のキャラクターの表現、それにともなう面白さは、断然、日本版のほうが上です。しかし、夫婦の関係は米国版の方が、断然上です。後半になって、夫の行動にとまどう妻の葛藤、それにともなう夫の葛藤の表現は凄かった。本当に愛し合っているんだな~っと感じさせます。隣に家内がいるんですが、鼻をずるずるさせながら、袖で何度も涙を拭きました。後半は、ほとんど泣きっぱなしです。特に、感激したのは主人公(リチャードギア)の妻が、探偵に調査終了を言い渡す前の言葉です。ぼろぼろと泣きました。そして、なによりも良いのは、ハッピーエンドだからです。日本版と米国版のどちらも良い映画です。でも、もう一度見るとしたら、どちらを選ぶとしたなら、米国版を選びます。

 不遜ながら思います。あの映画は、恋人同士や新婚より、結婚経験の長い人にお勧めです。10年後、20年後に再び見たい映画です。

05/05/19(木)

[]気づかない 15:17 気づかない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 気づかない - 西川純のメモ 気づかない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、Yと個人ゼミをしました。その際、Yから「どうしても西川研究室の学び合いが信じられない」と言われました。彼は様々な先行研究を学んでいます。そこで、「学び合いに関する実証データは知っているでしょ?」と言いましたが、彼曰く、「それは分かっているんだけど、でも、信じられない」と言いました。「何故?」と聞くと、「今まで経験したことがないから」と言いました。これを聞いて、笑い転げたくなりました。我々の「学び合い」が何か特別なことであると誤解している人は多いと思います。Yもその誤解に陥っていたんです。

 そこで、「君たちは経験しているよ」と言いました。Yはきょとんとしていました。「昨年の年末に経験しているじゃない」と言いましたが、まだYはきょとんとしていました。そこで、「君らは、その時期、西川研究室の本を7冊も読んで、熱心に議論しあったよね」と言いました。「おそらく、大学に入学して、最も集中して勉強したんじゃない?あれが学び合いなんだよ」と言って「あ!」という顔をし始めました。Yにとってあの経験は、あまりにも自然な話し合いであり、そのため彼の中にある「授業・講義」という範疇に入っていなかったんだと思います。今日、KちゃんとRに、その話をしましたが、概ねYと同じような反応をしました。

 Yにも、KちゃんとRにも、同様の話をしました。

 『あのときの俺を思い出してみな。何をした?何もしなかったでしょ。第一に、君らが熱心に議論していた時、ほとんどいなかったでしょ。でも、君らは熱心に学び合ったじゃない。何でだと思う。教師がやるべきことは、ごちゃごちゃ教えることではないんだよ。一番大事なのは「学ぼう!」と思わせることなんだ。しかし、君らはその段階は終わっていた。だから、西川研究室に所属したんだよ。次にやるべきことは、学ぶに足る目標を与えることだよ。あの期間における目標は、「西川研究室の過去の蓄積を学ぶ」というものだった。これが学ぶに足る目標だったから、熱心に学んだと思う。次に教師にやることは、学ぶ手段を与えることだよ。具体的には西川研究室の7種の本だよ。そして、なにより有効な教材である他者を与えた。つまり、ゼミの時間を設定し、集まる機会を与えた。学ぶにたる目標を与えずに、子どもたちに任せるれば、子どもたちは遊び出す。学ぶに値する目標を与えたが、学ぶ手段を与えなければ、子どもたちが混乱する。目標と手段を与えれば、教師がごちゃごちゃしなくても子どもは学び合う。でもね。子どもたちだけでやってしまうと、時に、誤る場合がある。だから、教師は評価をしなければならない。思い出して、1時間半のゼミの時間、最後の15分間程度だけ私は戻って、君たちと議論したよね。あれによって君らがどれだけ進んだかを理解し、君らが誤っている場合は、正すにたる情報を与えたんだ。だから、私の出番は短い時間だけで良いんだよ。な~んも、難しいことはない。当たり前のことを、当たり前にすれば、子どもたちは学び合い、教師がごちゃごちゃ教える以上の成果を上げるんだよ。我々が明らかにしている、学び合いというのはそんなことなんだ。』

 以上を言った後、「こんなことを1時間半ぐらい講演会で話せば、講演料をもらえるんだよ。今日は10分ぐらいだから、格安にしようかな~」と馬鹿話をして、話を閉めました。でも、分かっていたことですが、おもしろく思いました。我々が言っている学び合いは、普通の生活でいつもいつも起こっていることです。それ故に、3年の彼らは授業・講義とは捉えられず、いつも通りに同級生同士でわいわい話しているぐらいに捉えていたのだと思います。しかし、その「わいわい話している」というのがきわめて達成度の高い活動であり、それ故、教科学習においても有効だというのが我々の考えなんです。

追伸 ただし、今日の経験は面白かった。でもね。この面白さは、学習者が教師の術中に陥ったことを喜ぶ「しめしめ」というレベルです。本当の教師の醍醐味は、その先にあります。学習者が教師を術中に陥らせるぐらいに成長することが私の望みです。だって、「しめしめ」レベルでは、私は成長することは出来ません。せいぜい、今の自分のレベルを再確認する程度です。でも、学習者が教師を術中に陥らせるぐらいに成長したならば、私は成長することが出来ます。学習者から教えられることによって、「俺は、なんて馬鹿だったんだ~」と感じられる瞬間が、教師の本当の醍醐味です。期待しているよ。

05/05/18(水)

[]すごくて恐ろしいこと 15:18 すごくて恐ろしいこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - すごくて恐ろしいこと - 西川純のメモ すごくて恐ろしいこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は平成17年5月18日です。本日、すごくて恐ろしいことを学びました。

 来週に福島大学附属中学校で講演します。そこでは学力向上に学び合いしかない、ということを実証的データで語りたいと思います。そのことに関しては確信はありますし、それを示すデータの蓄積があります。でも、最新のデータでも語りたいと願いました。そこ○さんにお願いし、最新データを教えてもらいました○さんのデータによって学び合いが本当の個別学習を保証し、学力を向上させることを、分かりやすく伝えることが出来ると思います。でも、そのデータで信じられない結果を学び ました。

 ○さんの実践によって学力が向上したことは明らかです。その結果は、多くの教師にインパクトを与えるでしょう。そこで、○さんに学力の高い子、中ぐらいの子、低い子の成績のデータを出してくれるようお願いしました。その結果、成績上位、中位の子どもがほぼ百点を出している結果を出しています。しかし、ビックリするのは 成績下位の子どもたちです。○さんが学び合いを実践したクラスは、5分の1は学習障害がある子どもによって占められています。二人は境界児であり、一人はそれが疑われる子どもです。その子たちが、全国平均が80点ぐらいの 算数テストで90点や100点を取るんです。学び合いの凄さを分かっている私もビックリすると同時に、信じられません。私が教えた高校は、境界児の生徒がいるような高校でした。私は境界児に「F=mα」や化学記号を教えた経験があります。それ故、境界児というのはどんな子どもか知っています。どう考えても、そのような子どもが算数で100点を取ることが理解できません。だから、○さんに、データの間違いではないかと思い、確認しました。しかし、100点を取ったのは事実です。

 学び合いは凄い力があります。授業に全く参加できず、限りなく0点に近い点数を取るような境界児が30点、40点、ことによったら60点を取ることが出来ることに関して、驚きはありません。でも、全国平均が80点のテストで 、境界児が100点とることだけの力があるとは、私の経験から言ってとても信じられませんでした。でも、データは100点を取っているんです・・・。理解できません。みなさんは、どう思うでしょうか? どう考えても理解できません。どう考えても境界児は100点を取れるはずありません。と、いうことは、その子たちは、境界児ではないんです!そのことが分かって、ぞ~っとしました。

 私も子どもの親です。想像しました。もし、小学校の先生から「あなたの子どもは境界児です。」と言われたら・・・。想像するだけで、ホラー小説よりも恐ろしい!もし、全国平均で80点の算数のテストで100点を取る 子どもを境界児と教師が認定し、その親に語っているとしたら・・・。恐ろしい罪です! しょうがないでしょうね。学び合わない限り、その子は授業には参加せず、算数のテストの点数は0点ばかり何ですから。でも、しばらしくて、もっと、ぞ~っとなりました。

 私は小学校高学年の時、担任の先生から「そっと」私の知能指数を教えてもらったことがあります。東大生の平均(121)を上回る値です (今は100を下回るのではと感じるときがありますが・・)。しかし、その私は、小学校低・中学年の時、 頭の悪い子(今の言葉で言えば、ADHD・境界児)に教師から分類されていました。昔を思い出すと、母親が急に勉強を教えはじめ、毎日、九九と漢字の練習を自宅でするようになりました。その当時は、何故、そうなったか分かりません。でも、大人になってから理由を聞きました。当時の担任が、私が九九や漢字を覚えないため 頭の悪い子であると母親に言ったそうです。母親はそれにショックを受け、一生懸命教え始めました。幸い九九は覚えましたし、漢字も覚えました(いまでも漢字は不得意ですが)。私の立場から言えば、私の学習の やり方が、担任のやり方と一致しておらず、教師が自分のやり方を私に強要しただけのことだと思います。そのことを思い出しました。幸い、私は「頭の悪い子」という教師のラベリングをはぎ取ることが出来ました。でも、○さんのクラスの子どもは、そのラベルを貼られたままなのかもしれません。ぞ~っとします。

 私の息子は、私に似ています。親の欲目からかもしれませんが、かなり賢い息子と思います。ただし、平均的な子どもと同じ指向性・行動をしているとは言い難いものがあります。私の母親が 、私に手を焼いたエピソードを聞くと、 よく似ています。我が子だと思います。息子は○さんのような先生に出会うことが出来るでしょうか?出会って欲しいと、心から願います。いや切望します。そうでなかったら恐ろしい!日本のどのこの地域の先生が変わるより、我が息子の学区の先生が○さんのように変わって欲しいと、心から、心から願います。そして、そのために何が出来るか考えました。しかし、くら~くなります。残念ながら、私がいる地域の先生方は「教材」に対する興味はありますが、「子ども」に対する指向性が低いように思います。少なくとも、我が研究室をやりたいと思う人は、新潟県の私のいる地域より離れた地域に比べて、圧倒的に少ない。学び合い研究を始めてから、新潟県から8人の先生が西川研究室に所属しています。ところが、私のいる地域の先生は一人だけです。少数例ですが、もしランダムサンプリングであると考えるならば、統計的に有意のレベルです。

 我が息子のために願います。「同志」の皆さん、どうしたらいいのでしょうか?助けてください!このことを、まずは福島で語ろうと思います。

05/05/16(月)

[]嘘 15:19 嘘 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 嘘 - 西川純のメモ 嘘 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 Obさんと話しました。Obさんからは到達度別指導の是非に関する疑問が私にぶつけられました。私は、今までの本に書いたように、認知研究にもとづく問題点(つまづきの多様性、自動化)、学び合い研究に基づく問題点(学習の上下に拘らない子どもが作り上げる学びの集団、学習達成度と心不分離・・)を語りました。Knさんは、「また言っている」と感じながらニコニコしています。また、Tさんは、混ざりたいような、重すぎるような・・という感じで避難してしまいました。でも、二人がいなくなってから、大事なことを語りました。

 到達度別指導には色々な問題点があります。私が今まで語ったこと、また、Obさんが好きなSM先生の主張・・、いろいろあります。でも、最も重要な問題点は、教師が本当の目標を語れないということです。到達度別指導をやっている学校の先生は、子どもたちに対して、到達度別指導をやるとき、何と語っているでしょうか?おそらく、嘘を言っているはずです。だって、到達度別指導をちゃんと説明すれば、「出来ない子どもは出来る子どもの勉強の邪魔」、「出来る子どもは出来ない子どもの勉強の邪魔」ということになります。そんなことを教師は口が裂けても言えないはずです。もしそうであったら、到達度別指導の時間以外 も、同級生は邪魔ということになるわけですから。だから、教師の方は、子どもや親に、口当たりの良い言葉でごまかします。でもね。そんな言葉を信じている子どもや親っているのでしょうか?いないでしょうね。そんな状態で、子どもは「やるぞ!」と思うでしょうか?無理でしょうね。「やるぞ!」と子どもが思わなくて、どれだけの成果を上げられるでしょうか?無理でしょうね。そして、そんな状態の子どもは適当に教師をあしらいます。例えば、「自分のペースでやれるんだよ」と到達度別指導を口当たりの良い言葉で誤魔化せば、子どもはその言葉を信じません。でも、適当に勉強して「自分のペースでやったんだ」と言い訳をします。

 教師が願い持つなら、それをちゃんと子どもに語れなければなりません。それが語れないならば、自分の学校教育の目標が定まっていないことを示します。100の問題点より、この嘘の罪が重いと思います。

[]放任と任せる 15:19 放任と任せる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 放任と任せる - 西川純のメモ 放任と任せる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々の主張する「任せる」と「放任」の違いは、分からない人にとっては微妙ですし、誤解しがちです。でも、現M1の方、3年生の方には分かって欲しいと思います。おそらく、皆さんとの2年間のおつきあいの中で、この半年が一番重要です。関わる頻度は一番多いと思います。何故なら、目標の設定の時期だからです。目標の設定とは、教師が関わらなくても学習者が方法を自主的に判断できるようになるための過程です。つまり、「どうしたらいいか?」を悩まずにすむ過程です。「どのようにしたらいいか?」を悩んでいる間は、教師は関わるべきです。それをしないで「任せる」のは「放任」です。でも、いつまでも「関わる」としていならば、教師の指導力が問われます。いつまでも教師に頼っているならば、それは教師の力がないことを示します。

 最初に関わることは必要ですが、関わり方は吟味する必要があります。私は皆さんと関わるのは1週間に1回程度です。何故なら、研究には「資料を読む」、「自分で考える」、「人(私以外)と語り合う」時間が必要だからです。毎日毎日関わっては、それらが出来ません。教師が語る必要があることは実はそれほど多くありません。ちゃんとしたテキストを用意すれば、それを読むだけです。教師が語っていることの多くは、「定型的」なものが多いものです。その定型的なものはテキストにしやすいものです。それを学習者に提供すれば、わざわざ演説する必要はありません。我々の研究室の場合は7冊の本がそれにあたります。

05/05/14(土)

[]我々 15:21 我々 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 我々 - 西川純のメモ 我々 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 このメモでは「我々」という表現を「私」より多く使います。何故かと言いうと、書かれている内容は私と言うより我々のだからです。私は学生さん・院生さんに「偉そうに」色々なことを語ります。 講演会でも自信たっぷりに語ります。このメモでも「偉そうに・自信たっぷり」に書きます。でも、偉そうに・自信たっぷりに語れるのは、多くのOBの実績があるからです。多くの現場教師のOBが「正しい!」、「使える!」と言ってくれるから、多くの学生のOBが「分かる」と言ってくれるからです。そして、語っていることは、多くの現場教師・学生さんが積み上げたことだからです。だから、「私」と言うことがおこがましいと感じられるからです。

 しかし、後援会・本では「私」、「筆者」という表現を使います。何故かと言えば、メモに比べて後援会・本は公開性は高いからです。基本的な考え方はOBが積み上げたものですが、その表現は私のものです。私はかなり挑戦的な書き方をしますし、言い方もします。OBが積み上げてくれたのは事実(データ)です。その事実を解釈したものを書き、語ります。私の挑戦的な解釈に対する反応は、私が受けなければなりません。従って、「私」、「筆者」という表現を使います。

 しかし、私はこのメモで語りたいのは「我々」の考え方です。そして、私が本や後援会で表現したいと思っているのも「我々」の考えです。私は小学校、中学校の教師の経験はありません。高校教師としての経験も2年にすぎません。私が指導する現職院生さんに比べれば「ひよっこ」です。また、これから小学校、中学校の教師として一生をかけようとする学生さんに及ばないかもしれません。でも、その方々に、自信を持って偉そうに語れるのは、そのような尊敬すべき方々の蓄積を、私は語っているからなんです。私はいっぱい誤るかもしれません。でも、私の知っている尊敬すべき教師(そしてその卵)の英知の結集である、「我々」の考えの正しさを疑う迷いは爪のあかほどもありません。

 仮に、私が不遜に思えたなら、私ではなく、私の後ろにいる多くの尊敬すべき教師(その卵)の考えを稚拙な表現で伝えていることを理解してください。

追伸 現院生・学生さんへ 皆さんと議論している「私」は、百人以上の「我々」なんです。皆さんには様々な経験があり、データがあるでしょう。でもね。私には、様々な経験とデータを持ったOBと一緒になって研究し・議論した経験があります。それが私の強みです。繰り返しますが、皆さんと同様の強みを持った人たちの集合体の強みを借りてきているのが「私」なんですよ。

[]オリジナリティ 15:21 オリジナリティ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - オリジナリティ - 西川純のメモ オリジナリティ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 各学会には、名物みたいな人がいます。物理関係の学会で「永久機関を発見した」と発表する人がいます。明らかな誤りなんですが、自説を曲げません。もちろん、過去の科学の歴史において、パラダイムの変更を引き起こした大発見はあります。でも、そのような名物のような人の発表は、他人の意見を全く聞いていないんです。相手の意見をちゃんと聞いて、その意味を理解しつつ反論していないんです。徹頭徹尾、「私はそう思った」の連続にすぎません。

 学問の世界ではオリジナリティは絶対です。でも、オリジナリティとは、過去の蓄積を理解しつつ、それより一歩進めたことを指します。過去の蓄積を理解もせず、自分はオリジナリティだと主張するのは、愚かか怠惰のいずれかです。

 実証的教育研究の技法に、「アトムの子ら」というSFに登場する天才少女達の会話を紹介しました。彼女らは、『「あまりものを知らない人や、たいして本を読んでいない人だけよ、自分が独創的だと思うのは」とエルシーが言った。「そうね、可能なことはほとんど全部、何千年も前に試みられたし、考えられてしまったんだわ」とステラが賛成した。』と語っています。

 我々が主張する考え方は、多くの心ある教師が分かっていることだと思っています。我々がやっていることは、それを学術の書式で定式化していることです。そして、それをより多くの教師に伝えるために本をはじめとして各種の方法を模索しています。それが我々のオリジナリティだと思っています。そして、私のオリジナリティは、その方向に向けた多くのOBの英知を定式化することを手伝うことです。

 私は、学生さん、院生さんから教えてもらうことを誇りに思っています。その気持ちを持てる限り、成長し続けます。それ故、誇ります。自慢します。学ぶこととオリジナリティとが矛盾すると誤解するならば、名物みたいな人になります。

05/05/12(木)

[]どうすればいいの?(その2) 15:23 どうすればいいの?(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - どうすればいいの?(その2) - 西川純のメモ どうすればいいの?(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、M1のKnさんと議論しました。その際、とても大事なことが分かったような気がします。(まだ未整理ですが)

 我々の本を読んで、「どうすればいいの?」と問いかけられる方の中には、我々から見ると、ど~でも良いレベルのことにこだわっている一方、本当にこだわるべき事を無視する方がいます。どうしてなんだろう、また、どう説明すべきなんだろう~と悩みました。しかし、昨日の議論の中で気がつきました。結局、「何のために自分は教師として教えているのか」、逆に言えば、「何のために子どもたちは学んでいるのか 」という本質的な問いかけをしているか、していないかの差のように思います。

 問いかけをしない人の気持ちも分かります。「何のために自分は教師として教えているのか」、逆に言えば、「何のために子どもたちは学んでいるのか」という問いかけは若い教師ならば、必ず自分に問いかけるはずです。でも、しっくりとするような答えはありません。いろいろな本を読んで、心惹かれることもあるでしょう。でも、それらは、今日の指導をどのようにすべきかという事に関して、具体的な指針を与えません。せいぜい「教育は愛だ!」というレベルの精神論に過ぎません。詩や小説を読んで楽しめるレベルなら良いんですが、現実の激務の中で「現実的、抽象論」と見切ってしまいます。結局、今日の指導をどのようにすべきかを「事細かに(つまり、あまり自分の頭を使わなくてもいい)」指示してくれるノウハウものに惹かれ、それらを多く知っていることが教師の職能であると考え始めます。そして、「何のために自分は教師として教えているのか」、逆に言えば、「何のために子どもたちは学んでいるのか」という問いかけは、無意味であると心の中に封印します。長い教師人生で「何のために自分は教師として教えているのか」、逆に言えば、「何のために子どもたちは学んでいるのか」という問いかけがむくむくと起きあがるときがあります。でも、「でも、しょうがない」と考え、その疑問を押し殺します。そのようなことが続く内に、ノウハウもの的な思考パターンに陥ってしまいます。

 しかし、私は自信を持って主張できます。我々のもつ、「何のために自分は教師として教えているのか」、逆に言えば、「何のために子どもたちは学んでいるのか」という問いかけに対する回答は、今日の指導をどのようにすべきかと言うことに関して、具体的な指針を与えます。たしかに、それは指針です。だから、「事細かに(つまり、あまり自分の頭を使わなくてもいい)」指示ではありません。でも、その指針と自分の頭があれば、今日の指導をどのようにすべきかを具体的に決定することが出来ます!もちろん、それがうまくいかないことがあるでしょう。でも、そうだとしても、どのように考えて解決するか、立ち戻るべき地点を持っています。それが我々の強みであり、誇りです。

 私が立ち向かうべきモンスターへの武器は、彼らの前提としている仮定が、実証的に正しくないことを示し、それに代わりうる素晴らしいヴィジョンを提示することです。しかし、もう一つの武器は、「何のために自分は教師として教えているのか」、逆に言えば、「何のために子どもたちは学んでいるのか」と問いかけることだと確信しました。

 かって「悩んでいるOBへ」(04.6.14)というメモで、修了したOBが我々の研究室の考えに語っていることを再度読んでいただきたいと思います。そこで書かれている目的地とは、「何のために自分は教師として教えているのか」、逆に言えば、「何のために子どもたちは学んでいるのか」に対する明確な確信に他なりません。その確信が有りさえすれば、今日という日、今月という月、今年という年、自分の一生を自信を持って、自分の頭で判断することが出来ます。

[]ようこそ 15:23 ようこそ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ようこそ - 西川純のメモ ようこそ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ようこそ西川研究室へ。皆さんの参加によって、学部3年5名、学部4年4名、修士1年7名、修士2年4名、博士1年1名、博士2年1名、博士3年1名の23人の同志による研究室になることが出来ました。かつて、他大学の先生が我々を評して「軍団」とおっしゃっていました。人数のみならず、それ以上に有機的に繋がったネットワーク、それによる学術・実践における圧倒的業績によって、最強の軍団であると自負しています。

 顔見せの時のかなり前は、「今年は宇宙一厳しい」とビビらせずに、ニコニコして来る者は拒まないようにしようかな?と思います。でも、顔見せの時期が近くなるに従って、私の我が儘と恐怖感から、「宇宙一厳しい」と連呼してしまいます。でも、そんなにビビらせても、多くの方に共感を持って頂けることに感謝しています。みなさんと一緒に、「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」という目標に向かって「結果」をだしましょう。少なくとも、昨日の歓迎コンパで確信しました。1年間、楽しい飲み会になりそうだと言うことだけは確かです!

 ようこそ西川研究室へ。管理人として歓迎致します。

[]怒る 15:23 怒る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怒る - 西川純のメモ 怒る - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上越教育大学は全国から優秀な中堅教師を院生として受け入れている特異な大学です。それを受け入れる大学教師にも様々な人がいます。ある大学教師は言いました。

 『現職院生なんて、学術的な教育研究の経験はない。そんな現職教師にまともに教育研究のなんたるかをまともに分かるわけはない。適当にあしらって、教育研究のまねごとをさせればいいんだ。』

 さて、これを聞いた現職院生の方はどう思うでしょうか?憤慨するでしょうね。現職教員は学術研究としての教育研究の経験がない人が大多数でしょう。しかし、自分たちには20年弱の教師としての生々しい教師としての経験があり、いま正にその中に生きています。そのような自分たちと共同しないで、どれほどの教育研究が出来ると思っているのか!教師を馬鹿にする教育研究者にどれほどの教育研究が出来ると思うのか!と思うのではないでしょうか。私もそう思うし、怒ります。でも、幸いなことにこの話はフィクションです。

 最近、ある現職院生さんが、学卒院生であることを理由に、学卒院生の人たちを馬鹿にする発言をしたと間接的に聞きました。正直、「てめ~は、何様のつもりだ!」と最初は怒り、そして、情けなくなりました。

 その院生さんの発言を学卒院生の方が聞いたらどう思うでしょうか?憤慨するでしょうね。学卒院生は教師としての経験がありません。しかし、自分たちには20年弱の学習者としての生々しい経験があり、いま正にその中に生きています。そのような自分たちと共同しないで、どれほどの教育研究が出来ると思っているのか!学習者を馬鹿にする教師にどれほどの教育研究が出来ると思うのか!と思うのではないでしょうか。

 私は学習者を馬鹿にする教師は嫌いです。私の職場においては、自身の学習者である学生・院生を馬鹿にする大学教師は嫌いです。私と異なった指向性を持ち、私が期待する達成度に達し得ない学生・院生がいることは了解しています。しかし、それだとしても一人の個人としては、私と同等の人権を持つ存在であることを疑いえません。学生・院生を馬鹿にする大学教師を見ると、「てめ~は、何様のつもりだ!」とむくむくと怒る気持ちがわきます。同様に、 上記のように学卒院生を馬鹿にする現職院生は嫌いです。もちろん、現職院生と学卒院生には違いが大きいのも確かです。でも、同等の人権を持つ存在で、 学卒院生であるということで馬鹿にする筋合いのものではありません。異質な人と協力することの意味が分からない人は、少なくとも、そんな人に我々が目指すような教育研究は出来ません。

 建前上、教師は全ての学習者を好きになることを期待されます。しかし、実際は嫌いな学習者はいるものです。でも、それが自分の担任のクラスにいるならば、それはつらいものがあります。幸い、上記を言った人は、西川研究室の人ではありません。まあ、そんな人は我が研究室に所属したいと思わないのでしょうね。

追伸 正確に言います。 日頃の言動を元にして、ある学部学生さんを、現職院生さんが馬鹿にしたり、嫌うことことがあっても当然だと思います。私が気にしているのは、実際の言動ではなく、「学卒」であるということを理由に馬鹿にした点です。さらに、私は学卒院生を馬鹿にする現職院生を馬鹿にしているのではありません。同等の人権を持つ存在として、「嫌い」なんです。

[]メ12記念日 15:23 メ12記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - メ12記念日 - 西川純のメモ メ12記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日、家を出るときに、「お父さんが道が分からなくなったらどうなるの?」と言い出しました。そして、「迷わないようにメモを書いてあげるね」と言いました。

 家に帰ると、「メモを書いておいたよ」と言いました。何だろうと思うと、メモと書かれた紙を渡します。そこには地図らしきものが書かれ、数字の1、2とおぼしき文字が書かれています。家内によれば、メモの「メ」と「1」、「2」は息子が書いたようです。そこで、メ12記念日としました。

05/05/11(水)

[]どうすればいいの? 15:24 どうすればいいの? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - どうすればいいの? - 西川純のメモ どうすればいいの? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々が提案している授業は、心ある教師にとっては理想の姿です。だって、教師はニコニコ見まもっているだけで、子どもが主体的に勉強に取り組み、成績が上がる。そして人間関係も良好になり、問題児童が問題児童でなくなる。全方位でハッピーエンドです。そうなると次に発せられる問いは「どうすればいいの?」というものです。まあ、5分程度の話し合いを授業毎に入れるようにして、徐々にその時間を長くし、「学び合う教室」で紹介した自己モニターを導入するというのが、入門編としては安全でしょう。また、ある程度ベテランの先生ならば、「「静かに!」を言わない授業」の第3章に書かれているK閣下の実践あたりを参考にするのがいいと思います。でも、「どうすればいいの?」聞く人がイメージする「どう」の内容が問題です。「どう」ということが、「どのように話し(ひどいときには、どのような声の抑揚で語り)」、「どのような教材をどのような順序で与え」のレベルの場合、失敗する可能性があります。「どう」ということが、「どのように考えているの?」のレベルだったら成功するでしょう。我々の事例を読みながら、「あ~あれに近いのかな~」とか、「結局、子どもを信じるって事ね」と考える人ならまず安心です。

 方法をなぞっても、その方法が生み出だした考えを理解しない場合、無効になることを多く経験しました。逆に、その方法を生み出した考えを理解しているならば、その方法を使わなくても有効だということを経験しました。考え方が重要なんです。我々が詳細な事例、数量的なデータで伝えたいのは、方法ではありません。その方法を通して、その方法を生み出した考え方を伝えたいと願っています。その考え方というのは、実は簡単なんです(でも、難しいのですが)。簡単に言えば、子どもは自分と同じぐらい有能、子どもたちは自分以上に有能という確信なんです。

 我々がある教材を教えようとする場合、その教材をごちゃごちゃいじりません。教科書にある取りの教材で十分です。大事にするのは、子どもたち全員が「学ぼう」と思うような目標を考えることです。そのポイントは、「みんな」という意識です。他者と関わり合えるような目標を設定します。そして、普段の教師はここの子どもと繋がろうとすることを抑え、子ども集団に繋がろうとします。そして、自分が、自分が、とは思わず、俺よりも子どもの方が凄いと信じ、その確信に基づいて、その場その場の行動を考えれば自ずと答えは出ます。

 それが「どうすればいいの?」に対する答えなんです。このことって禅問答に近いように聞こえるんだろうな~

05/05/10(火)

[]理系 15:25 理系 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理系 - 西川純のメモ 理系 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 理系、文系、実技系というおおざっぱな分け方があります。そして、理系はある種の敬意と同時に、「変なやつ」という偏見があるように思います。でも、理系とおおざっぱに分類されますが、明らかに二つに分かれます。それは、数学、理論物理学、理論化学、理論生物学、理論地学と、実験物理学、実験化学、実験生物学、実験地学に分けられます。実験生物学、理論地学というのは一般的ではありませんね。明らかに生物学、地学のほとんどは実験生物学、実験地学だし、理論地学はほとんど理論物理学です。だから、数学、理論物理学、理論化学(以下Aタイプ)とそれ以外の科学(以下Bタイプ)と分けられるでしょう。

 文系の人からは、大づかみ理系と言われます。確かに、扱う道具立て(例えば数学や記号)は共通している部分があります。でも、両者の人種は全く違います。端的に表れるのが、実験に対しての好悪です。Aタイプの人は実験は嫌いです。Bタイプの人は実験は好きです。おそらく、Aタイプの人は文系の人より実験は嫌いです。理系の人はシンプルな法則が好きです。ただし、Aタイプはシンプルな法則の世界の中で浸るのが好きで、ごちゃごちゃは嫌いです。Bタイプの人はごちゃごちゃした中からシンプルな法則が生み出されるものが好きです。

 私のもともとの出身分野である理科教育学での経験によれば、理論物理学と最も近いの文献研究です。文献研究は文系の典型のように思われがちですが、実は理論物理学に最も近いようです。事実、理論物理学で学位を取った方 が、その後、理科教育学にシフトした場合、それらの方の多くは文献研究をする場合が多いように思います。私は修士課程の一時期、文献研究に浸ったことがあり、かつ、学部に数学に浸ったことがあります。両者には、煩わしさから離れて、狭い自分の空間の中で完結し、頭の中で研究が進む共通点があります。ある一定を越えると非常に快感に感じます。一方、Bタイプは、絶えず外部との交渉が必要です。煩わしく思えることも少なくありません。でも、逆に、外部からの情報の援助を得ることが出来ます。それが楽しい。

 おそらく、理系、文系の分け方よりも、理論系、実験系の分け方の方が実際的に思えます。

追伸 ちなみに私は理論系の楽しさを理解できるものの、私の頭の中だけで満足する結果を得られる才能はありません。他からの情報を収集しながら、自分で納得する方が性に合っているのだと思います

05/05/09(月)

[]出来ることをする 15:26 出来ることをする - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出来ることをする - 西川純のメモ 出来ることをする - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が大学院に入ってやりたかった研究は、発展途上国(マレーシア)における科学教育振興と工業発展の関連を明らかにする文献研究でした。ところが、それに関する文献を集めることが出来ず、途中断念しました。そして、色々な過程を経て、自分が出来る研究として電気概念理解を工業高等学校と普通科高等学校で数量的に比較するという研究をしました。二つの研究は教育研究に関しては対極に位置するようですが、私の中には一本の筋が流れています。

 これから数ヶ月かけて新3年生と新修士1年は研究テーマを定めます。おそらく、やりたいと思っていることが必ずしも出来るわけではありません。教育の実証的研究は相手があって出来ることです。でも、やりたいと思っていることだけが、本当にやりたいことであるとは限りません。実はやりたいことを実現する道はいくつもあります。それゆえ、私は「やりたいことではなく、出来ることの中でやりたいことを探してください」と言うようにしています。実は、出来ることをやることによって、それがやりたいことになることに気づくでしょう。私は皆さんの研究が素晴らしい研究になることにかんして、爪の先ほどの不安を持っていません。だって、子ども・教師をちゃんと見れば、絶対に素晴らしいものが見えるはずです。もしかしたら、それは陳腐に見えるかもしれません。でも、それが素晴らしいことであることに気づくよう、私は手助けをします。いや、実はすでに皆さんは素晴らしいものを見ているはずです。だって、学部の皆さんは幼稚園・小学校・中学校・大学で20年弱の学校生活の経験があります。それ故、いやと言うほど見ているはずです。ましてや現職の方であれば、プラスん十年長く見ています。その見ているものの中に素晴らしいものがあります。

 思い出してください。今まで我々の研究室で明らかにしたことは、全て、分かってみれば「そうだよな~」ということでしょ。素晴らしい研究は、ものすごく遠くにあるのではないんです。ごくごく近くにあるんです。ごくごく近くにあるのに、今までの囚われで見えないものを見えるように出来るならば、そのことは直ぐに実践に生かせることなんです。出来ることの中に、素晴らしい研究の卵はいっぱいあります。その卵を育て羽ばたかせてくださいね。

05/05/08(日)

[]願いは叶う(その2) 15:28 願いは叶う(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 願いは叶う(その2) - 西川純のメモ 願いは叶う(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今からだいぶ前のメモ(願いは叶う(01.3.27))を書きました。そこには、以下のように書きました。

 『青臭いかもしれませんが、私は「願いは叶う」と信じています。何故かなうのかといえば、本気で願うならば、「その願いを実現する方法は何か?」という情報の収集をおこないます。本気で願うならば、「その方法」を継続的におこないます。本気で願うならば、その願いが実現可能な願いなのかを自己評価します。また、その「願いが」が本当の自分の願いなのかを考えます。その結果、新たな「願い」を見いだすことになります。

 人は「願う」ものです。「願い」に向かって進むと同時に、「願い」自体を進化させる必要があります。そのパワーの源泉は「本気で願う」ことです。だから、「願いは叶います」、「本気で願ってください」と話します。 』

 再度書きます。「願いは叶う」ものです。ポイントは、「本当に願う」ことです。本当に願うならば、その願いを実現するために、「今すること」、「今日すること」、「今週すること」、「今月すること」、「この年にすること」・・を考えるはずです。案外、それがおざなりにされて「願っている」場合は少なくありません。それは、本当に願っていないからです。もちろん、願っているのに、どうしたらいいのか分からない場合があります。でもね。本当に願っているならば、もがくはずです。そして、情報収集するはずです。情報が無くて、願っても実現する道筋は見えません。しかし、本当に願い、情報を収集するならば、「おぼろげ」ながらも方向性が見えるはずです。さらに情報収集をするならば、「今すること」、「今日すること」、「今週すること」、「今月すること」、「この年にすること」・・が分かるはずです。そして、本当に願うならば、それを今も、今日も、今週も、今月も、この年も続けることが出来ます。願っているのにも関わらず、継続できないならば本当ではないのだと思います。当然、自分が思っている「今すること」、「今日すること」、「今週すること」、「今月すること」、「この年にすること」・・が、その通りに実現するなんてありえません。でも、自分の願いにあわせて情報収集と実行を積み上げます。でも、それでも出来ない場合は、自分が願うことの方向性に合わせて、「今すること」、「今日すること」、「今週すること」、「今月すること」、「この年にすること」・・を再構成します。再構成することはつらいもんですが、最終的(もしかしたら自分の臨終でも終わらない未来)な実現に向けて再構成します。だって願っているんですから。

 もう一つ、付け加えます。本当に、自分の願いと現実との間で調整し続ければ、自ずと自分の現実にあった願いに換わるはずです。でも、現実と願いをイコールにしてはいけないと思います。つまり、今のままで良いんだ、ではいけません。最終的な願いは堅持しつつ、「今すること」、「今日すること」、「今週すること」、「今月すること」、「この年にすること」・・は現実的にすべきだと思います。

 私の好きな言葉に「志は高く、現実には柔軟に」というこ言葉があります。ある意味で、安易な言葉にとられがちです。でも、現実に柔軟であり、かつ、志を高く維持しつつけることは、本当の意志の力が試されます。

[]笑う 15:28 笑う - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 笑う - 西川純のメモ 笑う - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以下で書くことに関しては、善意の多くの教師から嫌われるであろうことを十分に承知した上で、書くべきだと判断して書きます。

 私が定時制高校に勤めたときの話です。定時制高校の子どもたちの中には家庭環境は悲惨な子どもは少なくありません。担任として、見るに見かねて給食費や修学旅行費を立て替える先生は少なくありません。でも、そのような先輩の先生方から、立て替えるべきではない、と教えられました。それらの先生によれば、概ねハッピーエンドではなく、恩を仇で返す場合が多いというこです 。そうでない場合は無いとは言い切れませんが、分の悪い博打です。少なくとも、私はそんな博打はしません。従って、恩を仇で返されたとしたとしても、納得できなければ立て替えるべきではない、と教えられました。教師は親でもなければ、親戚でもない、赤の他人なんです。それに、一人の子どもにそれだけのめり込んでしまえば、他の子どもを捨てる部分が多くなります。なによりも、本当に守るべき自分の家族を捨てていることになります。

 最近、大学においてもそんな先生がいるということを聞きました。それを聞いたとき、思わず大笑いしてしましました。おそらく、テレビ番組的には美談なのでしょう。でも、定時制高校の修羅場を経験した私にとっては、甘ちゃんすぎて大笑いです。その一線を越えて、どれだけのことをする覚悟があるのでしょう。馬鹿げています。突発的な事情(例えば、親が死んだとか、災害にあった)があるならばいざ知らず、そうでない場合に、そのような援助を求めるという場合、際限もなく求められることを覚悟しなければなりません。自分の家族のために使える大金を、捨てることが美談とは思えません。

 教師の仕事は、仕事なんです。自分の家族を犠牲にすることは本末転倒です。でも、自分の家庭の幸せと矛盾無いことで、教師としてやれることは大きいと思います。その素晴らしさを確信し、実行している自負があるため、良心の呵責無く、テレビ番組的美談を大笑いできます。

05/05/07(土)

[]失敗 15:29 失敗 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 失敗 - 西川純のメモ 失敗 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が卒研でついた先生は厳しい先生でしたが、隣の研究室の女性教官も厳しい先生でした。その先生の言葉で今でも忘れられない言葉があります。曰く、「子どもは何度失敗しても許される。大人も一度は許される。しかし、同じ失敗を2回繰り返すとは許されない。君らは二十歳をこえた大人です。」と我々学生に静かに語りました(かなりの迫力がありました)。向こう見ずのやつが、「もし2回繰り返すとどうなるのですか?」と聞きました。その先生は「死になさい」と静かに語りました(かなり不気味な迫力でした)。その場にいた学生は「し~~~~~・・」となりました。

 社会人になって、色々な失敗をしました。そして同じ失敗を繰り返すこともありました。さすがに「死ななくてよい」ことを知りました(よかった)。でも、あの先生のいわんとすることも分かるようになりました。

 人は失敗するものです。ましてや経験の少ない若い人は失敗をするものです。その失敗が許される場合と、許されない場合があります。そして、許されない場合は、その集団の中では死ななければなりません。許されるか否かは二つの条件によって決まると思います。第一は頻度です。ある失敗をして10年たって同じ失敗をしたとしたならば、犯罪レベルでなければ許されるはずです。第二は貢献度です。ある集団の中で、かなりの貢献(別な言い方をすれば成功)を積み上げていれば、かなりの失敗は許されます。あくまでもバランスで決まります。ということで、大人の社会で守るべきことは二つです。大きな失敗をしたならば、その失敗を繰り返さないよう、ある程度の期間は「びくびく」する必要があります。もう一つは、失敗を補うだけ、いや上回る貢献をしましょう。

追伸 Sへ。物事をポジティブに見られるって凄いことだよ。君のそういうところって好きだよ。でもね、「死ね」とは言いませんが、大人の社会の厳しさを身につけることは君にとって良いことだと思うよ。今後に「期待しています」よ。おっと思い出した。Yちゃんへ「期待しているよ」が怖い理由は、以前のメモに書いたように、私が怖いんではなくて、君が君自身の行動を「良し」としていないからだよ。

05/05/06(金)

[]モンスター 15:31 モンスター - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - モンスター - 西川純のメモ モンスター - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前のことです。あるスパム対策ソフトを最新版に更新したところ、不具合が生じました。数日、すったもんだした結果、原因はそのソフトが機能拡張をしたため、私が使っているウイルス対策ソフトにぶつかったためです。そこで、スパム対策ソフトの作者の方に連絡を取ったのですが、ウイルス対策ソフトを換えることを勧められました。あえてメールしませんでしたが、心の中で「順序が違うだろ」と思いました。ソフトの中でも階層性があります。その最上位にOSがあると思います。その下に、ワープロとかメールソフトのように、仕事に直結したソフトが来ます。その下に、ウイルス対策ソフトがきます。このあたりが基本です。スパム対策ソフトはその下です。もし、ウイルス対策ソフトとワープロがぶつかったら、ウイルス対策ソフトを換えるでしょう。ワープロとOSがぶつかったらワープロを換えるでしょうね。でも、そんなことは起こらないはずです。それぞれのソフトが自分の相対的な位置を理解して、上位に矛盾のないようにしているはずですから。私が経験したケースはごく希なケースと思われます。結局、そのスパム対策ソフトは無視されて終わりです。

 私が教育学研究の世界に入ってから、何度も巨大な壁にぶつかりました。最初の壁は教育学の壁です。私が教育学研究に入った20年前は教育学研究は完全に人文系でした(いまでもそのような分野は残っていますが・・)。そのため、ある結論を引き出す根拠に数量的なデータを用いる際、その手法は稚拙で随意的でした。例えば、あるクラス40人ぐらいに実施した結果に基づいて、日本のカリキュラムを云々するような馬鹿馬鹿しいことが大手を振ってまかり通っていました。

 また、教育研究に心理学の手法を取り入れた子ども理解を導入することにも大きな抵抗がありました。教育学と心理学は教育学部では組織上一緒にされることが多いと思いますが、基本的に対立的なものです。論文の中にちょっとでも心理的な手法を取り入れると、「心理学ではない」と拒否感をあらわにする教育研究種は少なくありません。

 また、十年弱前から質的データを積極的に取り入れる研究をし始めました。皮肉にも私が20年以上前に導入した数量化からの反発がありました。現在、それに対して戦っている最中です。でも、不安はありません。過去の戦いにも勝ちましたし、今度の戦いも、戦い方は分かるつもりです。時間はかかりますが、最後には勝てると思います。でも・・もう一つの戦いに関しては、ちょっと弱気です。

 現在、一生懸命になって「テクニックではなく考え方が大事だ」と、現場の先生方に伝えようとしています。しかし、なかなか伝わりません。どんなに書いても、言ってもテクニックのレベルで解釈されてしまいます。何故だろうと考えている内に最初のエピソードを思い出しました。我々の本を手に取る先生方には、学び合いのテクニックを手っ取り早く知りたいと思っている人は少なくないと思います。そういう人の場合、私が「テクニックではなく考え方が大事」といくら書いても、本に書かれている「こと」をなぞろうとし、その「こと」がどのような考えから導き出されたかは気づかないのだと思います。そして、あまりしつこく「テクニックではなく考え方が大事」と言い過ぎると、「ウイルス対策ソフトを換えろ」と言うスパム対策ソフトの作者のように見えるのだともいます。そして、「そんなつもりで読んでいるんしゃない」と言われそうです。このような壁はいままでの、どんな壁よりも強力です。まるでモンスターのようです。

[]誕生日 15:31 誕生日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誕生日 - 西川純のメモ 誕生日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 自分が誕生日を祝われる時には、自分のために誕生日パーティがあるのだと思っていました。親は自分が喜ぶだろうと思って祝ってくれるのだと思いましした。でも、今は違います。今日は息子の誕生日です。よくぞ生まれてくれたと思います。「神様、仏様、ご先祖様、ありがとうございます」と感謝しました。誕生日とは、その人が生まれてくれたことを感謝し、自分が喜ぶ日だと知りました。このことを学ばせてくれたことを、息子に感謝します。

[]美味しいもの 15:31 美味しいもの - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 美味しいもの - 西川純のメモ 美味しいもの - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は息子の誕生日でステーキとケーキを食べました。ステーキは奮発して国産で、さしが一杯は入っているのを買いました。赤身のところも、噛めばかむほど油の味がします。ケーキのクリームはふわふわで最高です。ふと思います。人がおいしいと思うものは、油と砂糖が関係しているように思います。焼き肉のユッケも梨の甘みがポイントです。きっと猿の時代からのDNAに刻みつけられたものです。なんで罪なものを好きにしたんだろう~、神様も罪なお方だ、と思いました。

05/05/05(木)

[]ジュニアシート 15:34 ジュニアシート - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ジュニアシート - 西川純のメモ ジュニアシート - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明日は息子の誕生日です。それを区切りに、大きくなった息子には窮屈になったチャイルドシートをジュニアシートに変えました。息子が産婦人科から家に帰るときからお世話になったジュニアシートです。また、息子が大きくなったことを感じる一区切りです。夜は菖蒲湯に入り、菖蒲の葉を息子の頭に巻きました。息子が食べたいと言った寿司を食べました。いままでは蒸しエビが好きだと思っていた息子は、実はそれ以上にいくらが好きであることを発見しました。

追伸 今、気づきました。今日は、5年5月5日のゴーゴーゴーの日なんですね。

05/05/04(水)

[]なぞなぞ記念日 15:34 なぞなぞ記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - なぞなぞ記念日 - 西川純のメモ なぞなぞ記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は富山市に遊びに行きました。動物園と遊園地を合体した場所です。小さい動物園ですが、息子にはちょうど良い動物園です。キリンやダチョウを見て喜んだり。虎を見て怖がったり。ウサギ・ヤギ・ヒツジ・カエル・カメを怖々触ったり。充実していました。気温もちょうど良く、園内を一周するのは、息子にはちょうど良い運動です。途中の広場のベンチに座り、お茶を飲みながらひなたぼっこしました。そうすると突然、息子が興奮しました。ふと見ると、息子はシャボン玉に興奮しているようです。近くのベンチに座っている2歳ぐらいの女の子がシャボン玉を吹いていました。そのシャボン玉が風に乗って息子の方にやってきました。それを息子は追いかけていました。しばらくして、また園内を散策し、敷設されている遊園地に行きました。ゴールデンウイークのため乗り物の前には行列が出来ています。その中で一番長い行列の汽車の列に並びました。十数分待って息子と家内が乗り込みましした。私の方は、ヴィデオとカメラを構え汽車に乗る息子と家内を写しました。それが終わってから車に乗り込み、高速で1時間半で上越に戻ってきました。車の中で、「何が楽しかった?」と聞くと、息子は迷わず「汽車」と答えました。

 本日は熱かったので、夕食は冷やし中華とおみやげで買った富山名物のぶり寿司です。ますの寿司は全国的には有名ですが、富山の友人によればぶり寿司の方がおいしいとのことです。それを食べている途中、息子が「さわると消える玉はな~んだ?」となぞなぞを言いました。皆さんは分かります?私は分かりませんでした。しばらくすると得意満面の顔で「シャボン玉」と息子は言いました。おそらく本日のシャボン玉を追い回したことを思い出して、なぞなぞをつくったのでしょう。息子はなぞなぞ・クイズが大好きです。でも、それを自作したのは本日が最初です。と、いうことで本日はなぞなぞ記念日です。

05/05/03(火)

[]湯船記念日 15:37 湯船記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 湯船記念日 - 西川純のメモ 湯船記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子と風呂に入りました。息子が湯船から洗い場に出ようとしています。いつもだったら「無理だ」ということで、息子をだっこして出します。今日は、やらしてみようと思いました。案の定、足が届かないのに無理に出ようとしているので、金○(我が子は男です)が湯船の縁に当たりながら一生懸命に出ました。しかし、出ました。これからは息子が出たいというときは自分で出そうと思いました。

 生まれてからしばらくは、新生児用の桶を台所に置き洗いました。しばらくし、首の据わらぬ首を手で押さえながら風呂に入れました。ちょっとで壊れそうでドキドキでした。5年弱がたち、 かなり「雑」に扱っても大丈夫になりました。そして、今日、また一つ進歩しました。生まれてから息子を風呂に入れるのは私の仕事です。毎日の仕事です。考えれば二千弱回お風呂に入れたことになります。ふと思いました。私の記憶にある父・母と一緒に入った記憶は母親と1回だけだと思います。そして、その記憶は小学校低学年(おそらく1年生)だと思います。それ以降は一人で入っていました。ということは今までの二千回の私と一緒に入った記憶は、息子に残らないのだろうな~と思いました。でも、私の記憶には、死ぬ瞬間まで残ることは確かです。

[]プレステ復活 15:37 プレステ復活 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - プレステ復活 - 西川純のメモ プレステ復活 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子が生まれる前は、テレビゲームにはまっていました。「クラッシュバンディッグー」とか「サルゲッチュ」なんか大好きでした。自宅に帰ってからは、暇な時間はそれをやっていたように思います。冷静に考えれば、そのゲームをクリアーできるか出来ないかは、私の人生に意味がないことはよ~く分かっていました。でも、それにもかかわらず、はまっている自分を自己分析しながら、学習意欲の意味を考え、当時の教師用雑誌に書いたように思います。ところが、息子が生まれて、そんな暇はありません。プレステを封印しました。その時思ったのは、プレステのバージョンアップしたプレステ2がバージョンアップしたプレステ3が発売するころになれば息子は小学生中学年ぐらいになり、そのころになったらゲームも出来るかな~、と思いました。

 息子の誕生日プレゼントを何をしようか色々考えました。息子は「プラレールピコ」が欲しいといいます。でも、それでは一人っきりでのめり込みそうです。出来れば、他の子どもと一緒に出来そうなものは無いかな~と思いました。夫婦で考えたのは、プレステ2のソフトでたたくソフトです。そこで、本日、3万円弱のワンセットを買いました。実は、私も家内もそのソフトをやりたいな~という気持ちもありました。意外にも早くプレステ復活です。早くやりたい気持ちがありますが、息子の誕生日まで封印です。息子と一緒にやるときに復活です。

[]学習臨床 15:37 学習臨床 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学習臨床 - 西川純のメモ 学習臨床 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上越教育大学の改革のキーワードは臨床です。全学で臨床を目指すときに学習臨床の意味が問われました。

 従来の教科領域が臨床にシフトして教科臨床になるとき学習臨床の独自性は何かを教科領域の人たちから問われました。当時、学内政治の場でそれを応える立場だった私は、「教科臨床は特定の教科を学ぶ子どもや教師をじっくり見る研究を進める。それに対して、学習臨床は教科を横断した教科学習を学ぶ子どもや教師をじっくり見る研究を進める。」と説明しました。

 実は私は残念に思っていることがあります。学習臨床に入学する院生さんの中に、「教科臨床」のレベルにとどまっている方が少なくないように思います。心の中では、「そんなんだったら教科領域に入学すればいいのに」と思います。 もちろん一つの教科を対象に研究したから教科臨床だというわけではありません。その教科を研究対象としても、そこから引き出そうと思うものが教科学習に普遍的なものをねらっていたならば学習臨床です。一方、その教科特有、さらに言えばある単元特有のものを引き出そうとするならば教科臨床です。一方、教科学習を全く意識していないならば、既存の教育学・心理学と異なりません。でも、学校教育の圧倒的大多数は教科学習なんです。教科を横断した教科学習の研究があり得るという考え方が学習臨床の基本だと私は思っています。少なくともそう考えないと、学習臨床コースの独自性は無いはずです。

 一方、学習臨床の学部学生さんの方は逆の状況です。学生さんは教科に拘らないことを求める学生さんが多いように思います。なんでそんな違いが生じたのか考えました。学部学生さんは教科領域ではなく学習臨床を選びました。教科に拘るならば教科領域いくべきだなのに、学習臨床を選びました。学部学生さんは何となくコースを選ぶということはありません。熾烈な競争の中でそれを選びました。 失礼ながら、学部学生さんの真剣さでコース選びをした人がどれだけいるでしょうか?院生さんにはそれがないように思います。なんとなく学習臨床を選んだのではないのかな~。誤解かな~。

追伸 まあ、気持ちは分かります。私だって、理科コースから学習臨床コースに移動した当時はドキドキでした。そして、理科を専門としない学生さん、院生さんを研究室に受け入れるときは不安でした。でも、しばらくすれば教科の障壁なんて「へ」みたいもんだということも分かりましたし、それを越えるものが、いかにすばらしものかも分かりました。ルビコン川は小川ですが、それを越える越えないかは大きな違いです。越えられたからシーザーは数千年の歴史を越えて記憶されたんです。