西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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05/04/18(月)

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 西川研究室に決定した修士1年の方と最初の個人ゼミをしました。その一人の方と学び合いに入れない子どもをどうしたらいいかということが話題に出ました。学び合いをさせようとしても、その学び合いに「入れない子ども」はいるものです。それをどうしたらいいか、ということは多くの教師にとって心配な点です。多くの教師の場合、その子を何とかしようとします。例えば、その子がグループに入れるようなグループ編成を教師が主導します。また、あぶれた子どもを「入れるよう」周りの子どもにお願いします。また、その子どもを個人的に勇気づけます。でも、そんな方法は有効ではありません。だって、そんな解決策ならば、常に教師がいなければならなくなります。教師のいない場面では、何にも変わりありません。また、ある子どもにべったりするということは、それ以外の圧倒的大多数の子どもを捨てていることに他なりません。何よりも、教師がしゃしゃり出れば、その子が本当につながるべき他の子どもとつながることの障害になります。教師は個々の子どもの問題を解決するのが仕事ではありません。個々の子どもの問題を解決できるのは子ども集団でしかありません。教師の仕事は、そのような子ども集団を形成するために、子ども集団の問題を解決することが仕事です。このあたりのことを話しました。我々の研究室の本を読破している方なので、直ぐに了解していただきました。次に、そのような子ども集団を形成するためにどうしたらいいかを語りました。私が問いかけたのは、「その子が集団に入れないことによって、何が問題なの?」という問いかけです。この問いかけに対して、「その子が可哀想」というようなレベルにとどまっているならば、子ども集団を育てることはできません。集団に入れない子どもがいるということが、集団全体にとってどんな悪影響を及ぼすかを語れなければなりません。逆に言えば、全てのメンバーが集団を有効な手段と見なすとき、集団全体がどのような凄い力を持つかを語れなければなりません。なぜなら、「その子が可哀想」のレベルでは、集団全体を説得できないからです。

 一人の子どもも捨てたくない、という熱い心が我々の研究の出発点です。だから、「その子が可哀想」というウエットな気持ちを忘れません。でも、それにとどまっては「一人の子どもも捨てたくない」という本当の目的を達することは出来ません。認知心理学研究を含めた我々の過去の研究の結果から、それを実現するためには個々の子どもに繋がることをあきらめるという、ある意味で冷たい教師になる決断をしなければなりません。しかし、もし「一人の子どもも捨てたくない」という気持ちを持たなければ、きっと集団の心に響かないと思います。昔から熱き心と冷静な頭を持つべきだといわれます。微妙なバランスを保たなければなりませんが、それは重要だと思います。

 教師は個々の子どもたちに目を向けなければなりません。しかし、どんなに目を向けても、見切れないことを知らなければなりません。また、仮に見切れたとしても、絶対に対応しきれないことを知らなければなりません。でも、個々の子どもを気にかける気持ちを失えば、集団を見ることすら出来なくなります。個々の子どもを目を向ければ、見たくもないことに気づき、何かをしなければという気持ちが起こります。でも、それに負けてはいけません。知っているの気づかぬふり、なかなかつらいもんです。