西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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05/04/30(土)

[]世間は狭い 15:39 世間は狭い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 世間は狭い - 西川純のメモ 世間は狭い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 世間は狭いと感じることがあります。新M1のOさんが我が研究室を考えたのは、自分の中学校の恩師からの推薦されたからだそうです。その恩師の先生というのは地元の大校長で、私と専門が近いという関係で10年以上前からお世話になっています。さらに話を聞くと、なんとD1のMさん夫妻はOさんのPTAで知り合いであることが判明しました。ここまででも狭い世界です。でも続きがあります。Oさんが西川研究室の過去の研究を調べる過程で、他にも西川研究室に知り合いがいることが判明しました。第一は10年前に学部を卒業したMちゃん(この子の卒研は日本理科教育学会の学会誌に載りました)が新規採用された学校にOさんはつとめていたそうです。第二は、現在の学び合い研究を一緒に始めた院生のKさんとは家が近くで、お子さん同士が同級生だったそうです。つくづく不義理は出来ないな~、と思いました。

[]家族旅行 15:39 家族旅行 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 家族旅行 - 西川純のメモ 家族旅行 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 28日に家族旅行に急に行こうと思い立ちました。そう思った理由は、新聞のチラシです。それによれば、北陸限定のサービスですが、ゴールデンウイーク中にもかかわらず、格安のプランが提案されています。まあ、絶対に無理だろうな~とあきらめていたのですが、前日になってダメモトだと思って連絡したところ空きがあるそうです。直ちに予約を入れました。

 予約した後になると不安になります。なんで、ゴールデンウイーク中にも関わらず格安なんだろう・・・、と不安になりました。立地条件から考えて、北陸地方からのアクセスは良いですが、東京からのアクセスは良くありません。基本的にスキー客相手のホテルのようで、ゴールデンウイークといってもオフシーズンなのかな~とも考えました。しかし、もしかしたら、写真の部屋とは実態が異なり、飴色に汚れた畳の部屋なんだろうか、なんて考えました。また、料理がひどいんじゃないか、とも考えました。ドキドキでしたが、そんなことはありませんでした。風呂は温泉ではありませんが、清潔で広い風呂場でした。部屋はきれいで広さも手頃でした。食事はバイキングでしたが、私にとっては大満足です。意地汚い私は、親の敵(かたき)のようにカニとステーキを食べまくりました。そして、ワインを何杯もお代わりしました。最後には私が行くと、何も言わずにワインを出すようになってくれました。

 以上のような食べ放題、飲み放題のコースで、親子3人で3万円でおつり(かなりのおつり)が戻ってきました。

05/04/28(木)

[]個人指導 22:03 個人指導 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 個人指導 - 西川純のメモ 個人指導 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 基本的に教師が学習者に個別対応をすることはだめなことだと我々は主張しています。理由は、教師が指導することによって、学習者同士のネットワークの形成に障害を生ずるからです。また、そんなことに時間を費やせば、本来すべき集団をモニターすることがおろそかになるからです。個別対応する教師は、自分が学習者集団より有能だという誤解を持っていることを意味します。また、集団をモニターすることの重要性を理解せず、学習者が主体的なったら「暇になる」と誤解していることを意味しています。

 でも、我がゼミにおいては、全体ゼミ、学年ゼミ(正確には大学院ゼミ・学部ゼミ)とともに個人ゼミは柱の一つです。一見、我々の主張と矛盾するようですが、必要であることに確信があります。現在のところ、個別対応が必要な場合と、やってはいけない場合の判断基準に関して、シンプルな基準はありません。でも、「学習者は有能である」という我々の基本の中にそれがあることだけは確かです。ただし、現在においても私なりの基準があります。まず、自分で十分に考えていない場合(考えた結果として結論を出せなかったとしても)、また、他のメンバーと議論していない場合は、冷たく門前払いをします。その理由は、自分で考えてほしい、そして、多くの人の知恵を得てほしいという願いと、それが出来るという確信があるからです。下手に受け入れると、私が学習者の自分で考えること、多くの人の知恵を得ることの障害になることを知っているからです。

 自分で考え、多くのメンバーと議論しているならば、議論します。でも、議論の仕方も2種類あります。もし、私の言っていることが「正解」と考えている様子がある場合(たいていの場合、自分の一言一言に対する私の表情をうかがう傾向が見られます)、私には正解を持っていないことを伝え、私の考えを出来るだけぼやかすようにしています。だって、私のカーボンコピーではつまりません。一方、自分なりの考えた末の、そして明確な根拠・データに基づく主張があり、私の言っていることを、「一つの考え」と捉え、無視できるとなれば、熱く語ります。私としては「無視」されないよう一生懸命です。私は、そんな学習者によって自分を高めたいと願っています。

追伸 上記に関わらず、「だめだ~」という場合は受け入れます。不遜ながら、メンバーの悩みを軽減できる蓄積はあるつもりです。少なくとも研究の「だめだ~」の先には、今までのパラダイムを越える発見があり、ウルウルがあることを経験上知っています。

05/04/27(水)

[]楽しかった 08:17 楽しかった - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 楽しかった - 西川純のメモ 楽しかった - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先日は授業作りネットワークのKさん(ワークショップ・授業ゲーム等々の第一人者で、私より桁一つ多い本を執筆しているスーパーマン)が取材に来ました。私と数時間話すために一日つぶして上越まで来ていただきました。それに応えるためにも、熱く・熱く語りました。それに対してIさんも熱く語っていただきました。我々の本をよく読んでいるようで、鋭い質問があり、内心たじたじになってしまいました。でも、それによって火がつき、もっともっと熱くなってしまいました。3時間があっと言うまでした。

[]便りの無いのも一つの頼り 08:17 便りの無いのも一つの頼り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 便りの無いのも一つの頼り - 西川純のメモ 便りの無いのも一つの頼り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、転任通知が届くようになりました。それを見ると「あ~、あの人は一段落したんだろうな~」とほっとします。

 毎日、関係者のブログを見ています。少なくとも、私にブログ存在を教えてくれている人のブログは見ています。最近ブログ更新のない方が何人かいます。その更新のないブログを見るたびに、その方の忙しさが分かります。あなたのことを心にとめて、見守り、期待している者が少なくとも一人はいることを忘れないでくださいね。そして、それは私だけでないことを知っていますよね。忙しいのが当たり前です。でも、連休明けぐらいには、ちょっとは余裕を持てたらいいですね。

05/04/22(金)

[]なんか嬉しい 08:17 なんか嬉しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - なんか嬉しい - 西川純のメモ なんか嬉しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 新たな集団の中に入るのは勇気がいります。でも、新たなメンバーを受け入れる側もドキドキです。

 どう表現して良いのか分からないけど、なんか良い感じ。

 互いをむさぼるように求め合う必要はありません。ドキドキで、おっかなビックリで良いんです。徐々に分かるはずです。己を実現するには何が必要かを。求めてください。ふつうの人なら、求めるためには何をすべきかを分かるはずです。私が願っていることは、何をしてほしいかではありません。まず、何を望んでいるかを考えてほしい、そして、それを強く望んでほしい。何をすべきかを考えるのはその後で十分です。いや、おそらく、考える必要はないでしょう。自然に現れるはずです。我々が求めているのは、我々の中に深く刻み込まれていることなんです。高い、高い志を持ってください。皆さんは、それを実現できます。

 状態ではなく、その方向性を感じます。教師として、なんか嬉しい。

05/04/21(木)

[]大学における研究指導の協力関係 08:18 大学における研究指導の協力関係 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大学における研究指導の協力関係 - 西川純のメモ 大学における研究指導の協力関係 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学でも「協力体制」ということが求められます。その結果として、講義や研究指導を多くの人が分担担当するということがなされます。私は一貫して、それに反対しています(顔見せ興行的な講義は別にして)。指導要領やそれに基づく教科書というものがある小中高ならいざ知らず、大学の講義や研究指導はキャラの濃いものです。そんなキャラの濃い人たちがよってたかって講義や研究指導をやったら授業したり、研究指導を受ける学生さんが混乱します。それを避けるために、キャラを抑えたら大学の講義や研究指導ではなくなります。それではどうしたらいいか?それに関しては私のボスのT先生との18年間の関係がモデルになります。

 T先生とは毎日毎日いろいろな話をします。昼食も一緒です。でも、研究指導の細々としたものは全く別です。例えば、私はT研究室の学生さんの研究指導は基本的にしません。逆に、T先生は西川研究室の学生さんの研究指導を基本的にしません。おそらく学内の他の先生には意外だと思いますが、そういう関係です。でも、一方、T先生と私が昼食を食べるときには両方の学生さんが一緒に同席しますし、馬鹿話をいっぱいし合います。飲み会もいっしょ。学会ツアーもいっしょ。しかし、先に行ったように研究指導は別々なんです。でも、両方の研究室は似通った方向性を持ちました。何故なら、同じ控え室に学生さんがいるからだと思います。西川研究室の学生さんは私の考えに影響された研究を進めます。それをT研究室の学生さんと話し合うことによって間接的に伝えます。T研究室の学生さんはT先生の考えに影響された研究を進めます。それを西川研究室の学生さんと話し合うことによって間接的に伝えます。もし、T先生にせよ私にせよ、相手の学生さんに指導したら、その学生さんはそれを取捨選択することが困難です。ところが、学生さん同士ならば取捨選択することが可能です。その結果として、両研究室の学生さんは共通した方向性を確立し、それが私やT先生に影響を与えます。

 大学における教師の研究指導における協力関係は分担ではなく、互いに認め合うことだと思います。そして、学習者を相互に交流し得る環境を保証することだと思います。

05/04/19(火)

[]春の味第三弾 08:19 春の味第三弾 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 春の味第三弾 - 西川純のメモ 春の味第三弾 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日のお昼、学内の林の中をウロウロしました。目当てはコシアブラです。まだ早く、若葉はまだつぼみの中です。しかし、すこし藪の中に入り、小一時間探すと袋いっぱい集まりました。独特の香りが食欲をそそります。油で揚げれば、タラの芽より数段美味しい。昼休みに学内で山菜採りが出来るという点が、上越教育大学のいいところの一つです。

05/04/18(月)

[]熱き心と冷静な頭 08:20 熱き心と冷静な頭 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 熱き心と冷静な頭 - 西川純のメモ 熱き心と冷静な頭 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 西川研究室に決定した修士1年の方と最初の個人ゼミをしました。その一人の方と学び合いに入れない子どもをどうしたらいいかということが話題に出ました。学び合いをさせようとしても、その学び合いに「入れない子ども」はいるものです。それをどうしたらいいか、ということは多くの教師にとって心配な点です。多くの教師の場合、その子を何とかしようとします。例えば、その子がグループに入れるようなグループ編成を教師が主導します。また、あぶれた子どもを「入れるよう」周りの子どもにお願いします。また、その子どもを個人的に勇気づけます。でも、そんな方法は有効ではありません。だって、そんな解決策ならば、常に教師がいなければならなくなります。教師のいない場面では、何にも変わりありません。また、ある子どもにべったりするということは、それ以外の圧倒的大多数の子どもを捨てていることに他なりません。何よりも、教師がしゃしゃり出れば、その子が本当につながるべき他の子どもとつながることの障害になります。教師は個々の子どもの問題を解決するのが仕事ではありません。個々の子どもの問題を解決できるのは子ども集団でしかありません。教師の仕事は、そのような子ども集団を形成するために、子ども集団の問題を解決することが仕事です。このあたりのことを話しました。我々の研究室の本を読破している方なので、直ぐに了解していただきました。次に、そのような子ども集団を形成するためにどうしたらいいかを語りました。私が問いかけたのは、「その子が集団に入れないことによって、何が問題なの?」という問いかけです。この問いかけに対して、「その子が可哀想」というようなレベルにとどまっているならば、子ども集団を育てることはできません。集団に入れない子どもがいるということが、集団全体にとってどんな悪影響を及ぼすかを語れなければなりません。逆に言えば、全てのメンバーが集団を有効な手段と見なすとき、集団全体がどのような凄い力を持つかを語れなければなりません。なぜなら、「その子が可哀想」のレベルでは、集団全体を説得できないからです。

 一人の子どもも捨てたくない、という熱い心が我々の研究の出発点です。だから、「その子が可哀想」というウエットな気持ちを忘れません。でも、それにとどまっては「一人の子どもも捨てたくない」という本当の目的を達することは出来ません。認知心理学研究を含めた我々の過去の研究の結果から、それを実現するためには個々の子どもに繋がることをあきらめるという、ある意味で冷たい教師になる決断をしなければなりません。しかし、もし「一人の子どもも捨てたくない」という気持ちを持たなければ、きっと集団の心に響かないと思います。昔から熱き心と冷静な頭を持つべきだといわれます。微妙なバランスを保たなければなりませんが、それは重要だと思います。

 教師は個々の子どもたちに目を向けなければなりません。しかし、どんなに目を向けても、見切れないことを知らなければなりません。また、仮に見切れたとしても、絶対に対応しきれないことを知らなければなりません。でも、個々の子どもを気にかける気持ちを失えば、集団を見ることすら出来なくなります。個々の子どもを目を向ければ、見たくもないことに気づき、何かをしなければという気持ちが起こります。でも、それに負けてはいけません。知っているの気づかぬふり、なかなかつらいもんです。

05/04/17(日)

[]良い言葉 08:22 良い言葉 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 良い言葉 - 西川純のメモ 良い言葉 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「心の教科指導」(東洋館出版社) の第1章に「教科指導のできない教師に生徒指導はできない」、「生徒指導のできない教師に教科指導はできない」という一般に言われる言葉の問題点を書きました。しかし、ここの部分を表現するもっと良い表現があるような気が、書いた当時から感じました。本日、ふと思いつきました。「教科指導の伴わない生徒指導では生徒指導はできない」、「生徒指導の伴わない教科指導では教科指導はできない」の方が良いように思います。「教科指導のできない教師に生徒指導はできない」では、教科指導は教科の時間、生徒指導はホームルームのように時間・空間が別です。ところが、「教科指導の伴わない生徒指導では生徒指導はできない」、「生徒指導の伴わない教科指導では教科指導はできない」では時間・空間が同じです。このことがとてつもな重要ですが、このことが言葉遊びではないことをどう伝えたら良いんだろう・・・。このことが伝えられたら、学力と心を分けて考えることのバカバカしさが分かります。そして、教師の仕事のほとんどを占めている教科指導の意味を分かってもらえます。でも、難しいのだと思います。「心の教科指導」は西川研究室の本の中で、一つだけ売れ方が寂しい本です。でも執筆した当初は、私としては一番売れる本だと思って企画しました。このギャップは何故なんだろう・・・・?と思います。う~む・・・

[]幸せ 08:22 幸せ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 幸せ - 西川純のメモ 幸せ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 人間の欲望は、その根源には3つのレベルがあります。第一のレベルはDNAのレベルです。このレベルは変わるとしたら何十世代がかかり、数万年のレベルの時間がかかります。個人のレベルでは不可能ですし、いや、その時代の全ての人間の力でも無理でしょう。第二のレベルは社会のレベルです。一定の集団の中の規範に根ざしたものです。このレベルが変わるとしたら数世代、百年以上の時間がかかります。でも、日本の明治維新の時代のように数十年のレベルで変わります。第三のレベルは個人のレベルです。これは数年、いや、数日で変わります。第三の個人のレベルの欲望が多くの人に共有されたならば、第二のレベルの社会に記憶される欲望のレベルになります。その社会のレベルの欲望が、より多くの集団に、かつ、長い時間維持されるとき、適者生存の原理に基づいてDNAに記憶されます。私が何を書きたいかと言えば、多くの人の欲望は、多くの人に共通する欲望であり、その追求の結果が現在の欲望を規定するということです。

 最近、息子はそれなりに一貫した理屈を言うようになりました。それを聞いていると、息子は天才ではないか?と思いたくなります。そうなると、リーマン予想を解決したりガンの特効薬を開発し、フィールズ賞・ノーベル賞をとったらいいな~と、一瞬思いました。でも、すぐに、そんなことより孫を与えてほしいと思いました。そして、そのためにも、健康で長生きしてほしいと願い、なによりも、わたしより、健康で長生きしてほしいと願いました。フィールズ賞・ノーベル賞の息子をもてる人は世界中に何人いるでしょうか?かなり少ないことは確かです。それよりも孫を与えてくれる息子の数は桁6桁から7桁は多くなるはずです。そして、親より健康で長生きする息子は、さらに多くなるはずです。フィールズ賞・ノーベル賞が望ましいと思うのは、個人の欲望のレベルであり、せいぜい社会のレベルの欲望です。それに比べて、私より健康で長生きしてほしいという方が、よりDNAのレベルに近いように思います。

 我々の本当の欲望は、多くの人が共通に持ち、そして、多くの人が達成できるものだと思います。と考えると神(仏)を感謝する気持ちと願う気持ちがわきます。

[]本日 08:22 本日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本日 - 西川純のメモ 本日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日はOさんがT大学附属小学校のS先生と、T県の大校長先生と連れだって大学に来られました。要件は初等理科研究会という全国レベルの教員研修団体の雑誌のインタビューです。私と話すために上越に来ていただき恐縮します。3時間半も話し合ってしまいました。楽しかった。Oさんは相変わらずのOさんです。本日はインタビューの記録係という役割のため控えめでした。でも、現場に戻ってさらにパワーアップしているようです。我々が共有していることを、自分の学校の先生に広めているようです。かなりの手応えを感じているようで、うれしく思います。明らかに、私なんぞには想像もできないレベルに達しています。

05/04/16(土)

[]春の味第二弾 08:23 春の味第二弾 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 春の味第二弾 - 西川純のメモ 春の味第二弾 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 フキノトウの時期はもうすぐ終わりそうです。例年だとコシアブラの時期ですが、まだ早いようです。そこで、少し田舎に入ってカタクリを探しに行きました。道沿いからはカタクリの花が満開です。ということは、食べるには遅すぎです。がっかりしました。しかし、あきらめず、ちょっと藪の中に入ってみました。すると、局地的に食べ頃のカタクリの花が群生しています。つまり、土の中かちょろりと顔を出している状態で、花は堅く蕾のままです。周りの位置関係から想像するに、ちょうど雪だまりになっていたところのようです。そのため、その部分だけは花の生長が遅くなっていたためと想像します。 ほんの20分間ほどで、大きな袋いっぱいのカタクリがとれました。

 上越に春の味は、フキノトウ、カタクリ、コシアブラです。平野でツツジの花が咲く頃には、ワラビとタラの芽が出ます。しばらくは楽しめます。

[]挨拶 08:23 挨拶 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 挨拶 - 西川純のメモ 挨拶 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今月の14日は、上越教育大学が所属している兵庫教育大学連合博士課程の入学式が兵庫教育大学で行われました。今年はMさん(夫)が西川研究室の博士課程1年として入学します。13日には本学学長と副学長であるT先生が入学式に出席するため出張です。T先生からは、「入学式の後には指導教官のオリエンテーションがあるんだから出るんだよな」と言われましたが、「Mさんに合って、いまさらオリエンテーションも馬鹿馬鹿しいでしょ。上越で忙しいんですから、昨年同様パスしました。」と言いました。そこで、「じゃあMさんへの伝言は?」と聞かれたので、にこっと笑って「「期待しているよ」と言ってください」と申しました。

 Mさんのホームページやメールによれば、充実した式だったそうです。特に、式における挨拶は良かったと言うことです。Mさん曰く、長たるものは感激に値する挨拶が出来なければならないそうです。幸か不幸か、照れ性の私は挨拶が苦手ですので、長には向かないようです。式の後はT先生といっぱいやるというおまけ付きだったとのこと、よかったよかった。指導教官がいなくても、ちゃんと、何事もなく出来ると言うところが我が研究室的です。

追伸 上越教育大学の博士課程の全学生は19名だそうです。西川研究室は3名ですからダントツです。D3のKさんは博士修了の基礎資格はすでに得ています。D2のTさんはあと1報で基礎資格を得ることが出来ます。二人とも順調に進んでいます。この調子でMさんも進んでほしいと期待しています。もちろん、Tさんもね。

05/04/13(水)

[]反省 08:24 反省 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 反省 - 西川純のメモ 反省 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は久しぶりの講義です。口先三寸で1時間以上語りました。私自身は人前で話すのが苦手で不安で不安でしょうがないのですが、講義・講演が始まると一気呵成に語ります。初回ですので、20分ぐらい早めに終わろうと予定していました。しかし、結果として10分間もオーバーして定時の10分前に終わりました。つまり、予定としては70分で終わる予定だったのにもかかわらず80分もしゃべってしまいました。講演でも学会発表でも10%以上の時間オーバーをするということは、自己モニター力が無いことを示すものです。そして、そのようなものに内容があったためしがありません。ここに反省します。

05/04/12(火)

[]入学式 08:25 入学式 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 入学式 - 西川純のメモ 入学式 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今をさること約30年弱前のことです。大学の入学式に参加するため、家族と一緒に大学に行きました。東京の自宅から4時間の長旅です。受験会場は東京でしたので、大学の敷地に行くのは初めてでした。その日は入寮の日でもあります。全ての手続きが終わり、家族が帰りました。「じゃあね」とです。帰ってから呆然としました。それまで家族と離れた生活をしたのは、せいぜい修学旅行ぐらいです。どうして良いのか分かりません。

 すぐに講義が始まりました。左右を見回しても、だ~れも知りません。みんな自分と違って賢そうに見えます。下手に話しかけると馬鹿にされそうで不安です。でも、その不安の裏返しで、心の中では人とつながりたくて必死です。実は私だけではなく、みんなみんな同じだったんですね。きっかけがあると、くっつき合います。 例えば、学生宿舎から大学に行く様子にも見られます。1ヶ月も経てば、一人で歩いたり、せいぜい二人で話しながら歩いている学生さんが主です。ところが、この時期に限っては、特段ぺちゃくちゃ話しているわけではないにもかかわらず、10人弱の集団が固まって歩いています。顔を見ると明らかに学部1年生です。だれとだれという関係がなく、ぼや~と集まっているんです。期待と不安で頭がぱんぱんになっていたあのころ、懐かしいけど、決して戻りたいとは思いません。戻りたいとしたら、入学式の後、1ヶ月たった頃でしょうね。

 昨日は入学式です。大学の学食は新入院生・学生さんでいっぱいです。その人たちの目、行動を見ると、昔の自分を思い出して心がキュンとなります。でも、それもそんなに長いもんではありません。1ヶ月もたたないうちに、その人なりにやらねばならないことが決まります。そのやらねばならないことと同じようなやらねばならないことを持つ人と、巧まずしてもつながることが出来ます。それによって、その人なりの日々の生活パターンが成立します。そうなれば大丈夫です。でも、その人なりの生活パターンによって、その人の卒業・修了の姿が定まることを気づく人は少ないでしょうね。今は、ただただ自分の居場所探しで頭がいっぱいなのだと思います。全ては自己判断・自己責任です。ただ、自分の選択した生活パターンによって決まる、卒業・修了の姿が、その人の望むものであることを願います。

05/04/10(日)

[]始まったんだな~ 08:26 始まったんだな~ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 始まったんだな~ - 西川純のメモ 始まったんだな~ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 新年度になって、はっと気づくと、来週の月曜日には入学式があり、それから連休までは怒濤の日々が始まります。私の場合は同じ職場ですから、去年やったことをなぞることが出来ます。でも、卒業・修了したひとは、4月1日より怒濤の日々だったんでしょうね。特に、新規採用者にとってはすごい日々です。Hなんか1週間後にホームページが更新されましたが、驚異的です。私が高校に新規採用したとき(もう20年前です)は、連休までは何が何だか分からない状態でした。

 私も10日遅れで怒濤の日々が始まります。明日まではのんびりしたいと思います。

追伸 転居通知を受け取ると、「あ~、一息ついたんだな~」と思います。まあ、連休明けまでは無いだろうな~

05/04/04(月)

[]天才 08:44 天才 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 天才 - 西川純のメモ 天才 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある人のホームページに以下の文章が載っていました。

『「アマデウス」という映画の中に登場する作曲家サリエリはモーツアルトとの出会いについて次のように語ります。

 彼のような音楽を作ることはできずに、彼の音楽の素晴らしさだけはがわかるという不幸な能力を、なぜ、私はもって生まれてきたのだろうか・・・』

 私もその映画を見ました。モーツアルトの素晴らしさは、サリエリでなくとも、音楽の成績が常に2であった私でも分かります。世の天才の作品は、多くの人に認められているからこそ、天才という評価がなされています。天才とは多くの人に評価されるものを生み出す人です。もし、誰にも評価されない作品しか生み出せない人は、天才ではなく、変わり者にすぎません。

 味わえるのは多くの人が出来るのに、それを生み出す人はごく少数です。それ故、作り出す能力と味わう能力は別なのでしょうか?私は必ずしもそう思いません。天才に関して広く流布されている誤解があるのではないかと思います。

 天才は凡夫をなしえない論理の飛躍をなしえると思われています。しかし、ノーベル賞学者が語り合う番組を見たとき、ある受賞者は「ひらめきとは論理の連綿をたどれない状態を言う」と言っていました。つまり、飛躍に見えたとしても、実は一つ一つの論理が積み重なった結果にすぎないのです。ただ、一つ一つの論理の積み重なりが読み取りにくいだけのことです。これは私にとって納得できます。例えば、数学の大問題で数百年間未解決であった問題が、ほぼ同時に複数の人によって解決されることがあります。人は、その人達を天才と呼びます。でも、本当に飛躍であるならば、ほぼ同時に解決されるという偶然は起こらないはずです。実は、解決に至る必然があり、それが成立したためほぼ同時の解決が起こったと考えるべきです。また、それほどの飛躍でなくとも、身近な研究者が私にはとうてい思いつかないことを思いついたとき、「なんで思いついたの?」と聞くことがあります。それらをちゃんと聞くと、大抵は「な~るほど」と納得できます。もし、それらの話を聞いていなかったら、私はその人を自分とは違う天才と思うでしょうね。

 また、天才は寡作というイメージは多いように思います。確かに中間子論でノーベル賞を受賞した湯川博士は代表例です。こつこつ積み上げる凡人のイメージとは異なる天才のイメージには合っています。しかし、寡作な天才より多作の天才の方が一般的です。例えばモーツアルトなどは代表例でしょう。また、ゲーテも多作で有名です。そして、モーツアルトにせよゲーテも駄作 「も」多く作り出しています。

 一方、味わう能力は万人等しく持っているでしょうか?例えば、なんでもかんでもマヨネーズをかけて食べるヒトがいます。また、音楽で言えばバッハのパイプオルガンの曲は一般受けしますが、無伴奏はそれほど一般的ではありません。それは教育学研究も同じだと思います。どれほどの教育学研究者が学校現場の教師が持つ感覚を持てずに、 現場教師の共感を持ち得ない教育学研究のためにエネルギーを費やしているでしょうか?

 私の結論です。味わう能力を持ち得ることを大いに誇るべきです。逆に、プロトタイプ化された天才との違いを嘆く必要もありません。万人等しく得ることが可能な「味わう能力」を基に、こつこつと成果を積み上げることが、凡人の出来ることです。もしかしたら、その成果の積み上げが一定量を超えたならば、天才と見間違われるかもしれません。であるとしたならば、天才と凡夫の違いは、積み上げ続ける能力であり、それは志だと思います。ということで期待していますよ。

05/04/02(土)

[]自己判断・自己責任 08:46 自己判断・自己責任 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自己判断・自己責任 - 西川純のメモ 自己判断・自己責任 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 デシは自律を重視し、統制(報酬、強要、脅し、監視、競争、評価)に反対しています。しかし、あくまでも「原則的に反対する」として、単純に「反対する」という言葉をさけています。それは、統制にも有効に働く場合があり得ることを知っているからだと思います。両者を明確に分け得ないことを知っているのだと思います。前者に関しては、当人は意識していますが、後者に関しては無意識にさけているような印象を持ちました。

 確かに彼が示す統制的な事例は、典型的な統制です。ところが、実際にはそれほどの統制以外に、自律をも取り入れた中間型の統制があります。また、ある時は自律性を援助しているが、ある時は統制的であるという方が、一貫して統制的であるというより一般的です。さらに、それが統制となるか、否かは、結局、受け取る側が決めます。同じ条件であっても、それをもっともなことだと納得する場合もあるし、随意的で不当だと思う場合もあります。彼は実験室条件で、ある結論を出しています。しかし、それを実際の現実に適用するとき、適用できるのは「自律性を援助するのはいいことが多いよ」というレベルの方向性ぐらいだと思います。と、思うのですが、実験心理学者である彼は、分析的に研究を進めているようです。

 では、私はどう考えるか。まず、生物の歴史の中で生き残ったものには、それなりの価値があると思います。そうでなければ、生存競争の中で生き残れるわけ無いです。少なくとも群れをなすほ乳類においては、統制は一般的です。であれば、一概に「悪」と考えるのは妥当ではないと思います。ただ、統制は必ずしも暴走はしません。猿の群れでもボスが暴走した場合、雌集団から嫌われボスの座から追われます。また、強要・脅しが暴走した人が、正常の社会のメンバーとは見なされません。そのため多くのメンバーは、たとえそれが可能であったとしても、自制を働かせます。我々はデシの研究成果を学ばなくても、どのあたりでバランスをとればいいか分かります。何故なら、相手方が「いやそ~」な反応をしてくれるからです。それを見取って、接し方の方向転換をすることが出来ます。彼が悪しき統制の例として例示した事例は、全て自制を必要と感じないような関係ばかりです。そして「いやそ~」な反応が出来ない関係ばかりです。

 デシは様々な実験条件で、望ましい接し方を出しています。しかし、私はそれは不必要だと考えます。大事なのは、指導者(私の場合は教師)と被指導者との関係が異質であっても人権において対等な関係であることです。それが保証される方策は、被指導者が嫌だと思ったら指導者を変えることが出来ることです。デシが例示した悪しき統制の事例は、指導者を選ぶことが不可能かきわめて困難な事例です(病的な状態になった人の事例は除きます)。対等な関係が成立すれば、指導者が悪しきレベルまで統制を暴走することはないはずです。それのかなり以前に「no!」を突きつけられるはずですから。私は現在学校教育が抱えている問題の根っこに、学校教育が制度化される過程で、学習者が選択する権利を奪われたためだと考えています。

 また、デシは学習者は有能だとは、あまり考えていないようです。文章の中には「してあげる」、「やらせてあげる」というような上から下を見るような雰囲気を感じます。その結果として、問題の解決を教師・学校が担うべきだとは考えているようですが、子どもが主体的に解決するとは考えていないようです。しかし、私はそう思いません。教師、子ども(子ども集団)が一定の緊張関係の中でバランスをとり、互いの知恵を出し合い、互いにウマがあった相手と協力しながら解決する結果が、もっともよい結果になると思います。そして、そのような集団に、入る・入らない、また、どの集団に入るかを選ぶ権利を、全ての個人に与えるべきだと考えています。

[]4月の意味 08:46 4月の意味 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 4月の意味 - 西川純のメモ 4月の意味 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 このメモは、3年、4年、および3トップへのメモです。みんな~何やっている?

 皆さんは、私の「期待しているよ~」から逃れてほっとしていると思います。しかし、手元の「実証的教育研究の技法」の最後にある「はやくしろ!には理由がある」を是非再読してください。皆さんの置かれている状況は決して安穏とした状態ではありません。4年および3トップは教員採用試験があり、3年は超過密な講義があります。皆さんは、それをこなせる人だと確信しています。しかし、思い出してください。ただ卒業したい、ただ就職したい、だったら西川研究室所属していないはずです。4年の9月頃に始まって、2、3ヶ月でちょこちょこっと卒研をやるレベルだったら他の研究室を選んだはずです。西川研究室がどんな研究室であるかは、いろいろな人から聞いているはずですし、私もちゃんと説明したはずです。それでも西川研究室を選んだのは、「志」があり、その志を達し得る研究室であることを先輩から聞いたからだと思います。その志を、卒業や就職と矛盾無くこなすのみならず、相乗効果を持たせるためには、安穏と時間を過ごしては成り立ちません。「はやくしろ!には理由がある」を読めば4月という時間の意味が分かるはずです。

 私は「何をやってもいいよ、結果がよければね」と言います。その理由は、皆さんが「やったふりをする」という非生産的なところにエネルギーを費やす危険性をさけるためです。そして、過程を見なくても結果を見れば十分分かるからです。研究でも就職でも、結局かけた時間に比例します。一部の天才は別にして、我々凡夫は時間と手間をかけるしかありません。もちろん、誤差はあります。100の時間をかけた人と、105の時間をかけた人との差は、それほどないかもしれません。しかし、150の時間をかけた人との差は大きいことは確かです。人に与えられた時間は等しく24時間です。100の人も150の人も24時間です。その違いは選択の差です。あれも、これもという生活をするか、シンプルな生活パターンにするかという選択の差です。もちろん、一生涯、聖人や大哲学者のようなシンプルな生活を すべきだとは申しません。しかし、今のあなた方は高校3年の1年以上に、重大な岐路に立っていると思います。

 皆さんも分かっているように、私は怒りませんし、叱りません。ただただ馬鹿話をいっぱいします。それに、私は講義でも研究指導においても、どんなにひどい成績・態度であっても、学則に照らして単位を出し得ないという状況でないならば単位は出します。つまり、私は皆さんを「脅す」武器を持っていません。私はそれ故に 、一般の学生さん・院生さんを対象とする講義においては、分かりやすい授業、面白い授業という、古典的な方法で講義をします。何故なら、それしか私の武器はないんです。でも、西川研究室を選んだ皆さんには武器があります。何故なら、皆さんには「志」があるということを知っているからです。

 私の「期待しているよ~」はゼミ生に恐れられています。決して怖い顔をでいっているのではなく、ニコニコしながら、そして馬鹿話をしながら「期待しているよ」という言葉が恐れられているのは何故でしょう?それは皆さん自身の中に、無意識に押し殺ろそうとしている「そうしなければならないんだよな~」とか、「そうしたら志を達せられるよな~」ということを、ほじくり返し、直面せざるを得ない状況になるからだと思います。それ故に志のない人には無力であっても、志のある人には強力な武器となります。皆さんは、今、久しぶりに「期待しているよ~」から離れています。しかし、皆さんが超えなければならないのは私ではなく、現状の皆さんであり、これは逃れようがありません。皆さんを評価しているのは、私であるより、ゼミの仲間であるし、何よりも自分なんです。

 休み明けに皆さんと会ったときに、私はにこりと笑って「で?」と聞くでしょう。その意味は「それで、しばらくあえなかった期間にあなたがやった、あなたの志に照らして自慢できることを語ってください」という意味です。期待していますよ。

追伸 このメモが自分たちの方向に「も」向いていることは、1年も私とつきあっているM2の人は分かっているよね。 ましてや私とのつきあいが4年以上の博士課程の3人の方には・・・

05/04/01(金)

[]新年度にあたって 08:51 新年度にあたって - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新年度にあたって - 西川純のメモ 新年度にあたって - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本年度は、この数年、静かに準備していたことが日の目を見ることになります。百里の道は九十九里をもって半ばとなせと言われます。最後の最後まで知恵と手間をかけなければなりません。それらの多くは、日の目を見たとしても、その重大さが認識されるには数年かかるものだし、私が関わったと言うことは最後まで分からないと思います。しかし、そのいくつかは、日の目を見たとたんに、その意味が分かるし、それに私が関わっていることが明白になるはずです。それが怖い。今までは、偉い先生の陰に隠れていればよかった。しかし、来年度からはそうもいかなくなります。それが怖い。しかし、己の欲に根ざすのではなく、正しいと信ずる道、私が守りたい人のためだという確信があります。なんとしても踏ん張らなければならない。

 武田信玄が「勝負は、六分七分の勝は十分の勝也、八分の勝は危うし、九分十分の勝は味方大負けの下作り」と言っています。しかし、信玄は甲州一国の国主の世継ぎとして生を受けたという圧倒的な有利な出発点にもかかわらず、一生の間に得た国は駿河と信濃半国にすぎません。九分十分の 勝ちを目指して、かつ、大負けの危険性をさける努力を怠らなければ、七分八分以上の勝ちを得ることは出来ないのだと思います。まだまだ、攻撃的に、かつ、どん欲にいたいと思います。 だって、今年度に日の目を見ることなんて、それ以降に日の目を見ることに比べれば序章にすぎませんから。

[]デシ 08:51 デシ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - デシ - 西川純のメモ デシ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある方から教えられて、デシという研究者の「人を伸ばす力」というものを読みました。感激しました。心理学で感激したのは、大学院の時代にピアジェ・ブルーナー・オーズベル ・ガニエに感激し、大学に就職してから認知心理学に感激し、アドラー心理学に感激したのに続くものです。前半部分はページをめくるのがもどかしく感じるほどでした。我々の主張ときわめて近いものがあります。デシの研究は、ある先生の博士論文を読む過程で知り、面白かったので読んだことがあります。しかし、それらは研究書の性格が強いため、彼のフィロソフィーを読み取ることに失敗したようです。今度の本はフィロソフィーが前面に出ていました。また、彼が研究者であると同時に、すぐれた教師であるということを感じ、好きになりました。そして、彼の明らかにしたデータが、我々の主張の正しさを示すデータになりうることを知り、心強く感じました。

 しかし、後半部分から、我々との違いがはっきりするようになりました。それはアドラー心理学を学んだときに感じたことと全く同じです。一言で言うと、人を有能な存在とは信じ切っていない点が違います。そのため、やることが細かいんです。テクニックを否定しているんですが、私から見るとテクニックの段階にいるようです。そのため、実際の教育に適用するには、無理があります。また、多くの心理学と同じに、個人に重心が置かれています。集団の重要性を指摘しつつも、そこに例示される事例は、一人の指導者と個人との関係を述べるものが主です。一人の指導者と集団との関係、また、集団と個人との関係は、相対的に弱いようです。しかし、それらを割り引いても、優れた研究者であり、研究成果であることを感激しました。

 彼の研究をどのように取り込んでいくかは、しばらく時間がかかると思います。とりあえずは、我々の「自己判断・自己責任」の原則との関係を明らかにしたいと思います。また、我々は人(正確にはホモサピエンス)の能力を最大限に信じます。おそらく、我々以外のヒトからは予定調和的にすぎると批判されるような考え方を持っています。そのことをもう一度考えたいと思います。

追伸 Wさんへ。勉強もしない愚かな大学教師に知恵を授けていただき、感謝します。