西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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05/03/29(火)

[]読書感想 08:52 読書感想 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 読書感想 - 西川純のメモ 読書感想 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が大学院の時代、最低でも本を1冊読み切ることをノルマとしました。そのために一日の殆どを机にかじりつきました。振り返って今は、そんなことはありません。「忙しい」という免罪符を乱用し、勉強しません。理由は、馬鹿になったと白状します。どう考えても20代より馬鹿になりましたし、30代より馬鹿になりました。それでも、本当に勉強している人から本を紹介された場合、それを読むようにしています。ためになります。

 最近、出張があり電車で何時間も過ごすことになったので、ある方から紹介のあったI先生の本を読みました。その本は動機付けに関する本です。残念ながら外れでした。でも、それが外れだと意識する過程で、我々の特徴を再認識できたことで、「大当たり」でした。その先生は動機付けを2元論ではなく、2次元の平面的に分析しております。でも、その考え方には新鮮味はありませんでした。というのは、本学のある先生の博士論文を読んだときに、基本的にそのアイディアがありました。だから、あ~、あの亜流だなと見極められました。でも、亜流だからといって否定するつもりはありません。学問というのは、他の人の成果の上に「一歩」進める営みなんですから。私が「あ~」と思ったのは、もともとの原典と同じ限界を持っているからです。

 多くの心理学分析では、人をあるタイプに分類します。一般に知られているタイプとしては、「A型人間」、「B型人間」、「O型人間」、「AB型人間」という血液型によるタイプ分けです。世俗的にはよく当たると言われます。でも、その当たる理由はなんでしょうか?

 私は血液型性格論のある本を読んだことがあります。私の血液型の部分を読んで驚きました。ものすごく当たっているんです。でも、しばらくして気づきました。私が自分に当たっているという感じたことを書いてある部分は、自分の血液型と違った型の部分だったんです。私がページを間違えて読んでいたんです。びっくりしました。そう気づいて、全ての血液型の部分を読んでみると、自分に当たっていると読もうと思えば読めるんです。というのは、「あなたはAだ」と書いていると同時に「あなたは非Aだ」と書いているんです。もちろん「あなたは楽観的だ」と書き、次の行に「あなたは悲観的だ」と書いてあれば、馬鹿でもその種はわかります。でも、「あなたは、未来の可能性を探る努力を怠らない」と書き、次の行に「あなたは、未来の危険性を予測できることが出来る」と書いてあったとき、そうじゃないといえる人ってどれだけいるでしょうか?人間というのは、多様な側面を持っています。そして、いろいろな情報が混在しているとき、否定的な情報を無視することは心理学的に知られていることです。だから、血液型をはじめとして多くのタイプ分けを信じる人が多いのだと思います。でも、本当は違います。

 私はタイプ分けで理科的な観察が異なるかを調査したことがあります。それなりの研究成果を出し、論文にしました。でも、論文には書かなかったことがあります。それは、圧倒的多数の人は、特定のタイプではなく、タイプに分類できない中間型なんです。

 また、こんなこともありました。ある先生のタイプ分けが興味深かったので、それを調べてみました。その先生が書いたとおりに、あるタイプの人のアンケート調査の結果は一定の傾向が見られました。そこで、その人の行動をビデオ等で分析しました。その結果、その人がアンケートに書いていることと、その人の行動には相関係数が無いことがわかりました。つまり、その人が「そうありたい、そうする」と書いたとしても、世のしがらみの中で行っていることは、そのひとの考えとは別だということがわかりました。このことは面白い結果なのですが、特定の人の研究を否定することなので、まだ論文にしていません(おそらく、最後まで書かないでしょう)。

 また、教師経験から、学習者を2タイプぐらいに分類するなら、実際の授業でタイプに沿った指導が出来るが(すごい努力が必要ですが)、それが3,4,5・・タイプだった場合、不可能だということを知っています。

 そんなことを知っている私の結論は、

 1.人の特性は多種多様。それも一人の特性でさえ、時々刻々と変わる。

 2.1の帰結として、それに対応するには、その人の時々刻々かわる特性を理解しなければ学習指導(支援)は出来ない。

 3.2の帰結として、そんなことは一人の教師(TTで二人だったとしても)は不可能。

 というものです。だから、今の研究があるんです。

 なんで、こんなことが分からないのだろう?と思いました。

 私は教師として、教室の中の一人の子どもも捨てたくない、切りたくないと願います(100%を願った場合、それが不可能なことは十分に分かっています)。もし、7割の子どもが救われるという志なら、タイプ分け論でもある程度対応できます。また、圧倒的大多数を捨てて、特定の「かわいそうな」子どもを救いたいという志でも、タイプ分け論でもある程度対応できます。でも、教室の中の一人の子どもも捨てたくない、切りたくないと願うならば、タイプ分け論で対応できない現実にぶち当たります。

 タイプ分け論で満足している人は、数割程度の子どもを捨ててもいいと意識的・無意識的に思っているのではないでしょうか?また、全ての子どもを救いたいと思っている人も、どうやっていいか悶々としていると思います。私もそうでした。でも、解決できない理由は、自分一人でやろうと思っているからだということ。そして、その原因は学習者を馬鹿にしているからだということ。私はそう思います。

追伸 Wさんへ。本は読みやすく、内容もいいものでした。だから、すっと読めました。本を読み終わって、上記のようなことを感じました。次はDの本を読みます。最初の部分だけですが読みました。でも、この本も期待できる本だと思います。何故なら、本当によい教師の感性を持った研究者の本(逆に言えば、本当により研究者の感性を持った教師の本)だからです。私は外人さんを話すのはごめんこうむりたいタイプですが、この人とは「通訳の人」がいたなら話したいと感じています。