西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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05/03/08(火)

[]研究者 09:17 研究者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究者 - 西川純のメモ 研究者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は絶対に学卒の学生を博士課程の学生として受け入れるつもりはありません。その理由は、ホームページに明記しているように、その人の将来に責任を負えないからです。でも、それだけではなく、そのような学生さんを好きになれる自信がないからです。そのような学生さんに「あなたは教師になりたいと思わないの?」と聞きたい。もし、その学生さんが否定したならば、「だったら、そんなあなたが教師になりたいという学生さんに何を語るの?」と聞きたい。教育と教育学は違います。それは犯罪と犯罪学に違いがあるようなものです。犯罪学の研究者になるために犯罪をしなければならないわけではなりません。犯罪者になるための基礎として犯罪学があるのでもありません。しかし、私は教育者に資するための教育学を目指しており、教育という現象を学問とした教育学を目指しているのではありません。だから、私の研究室において「教師になりたいと思わない」人を博士課程に迎えたいとは思いません。

 私は大学院(修士課程)の指導教官に小林先生を選びました。小林先生からは断られました。でも、断られても、断られてもお願いしました。最後に、小林先生は色々な条件を課した上で、やっと研究室に受け入れてくれました。別な先生からは、是非 自分の研究室に入るように勧められていたのにも関わらず、絶対に小林先生につきたいと思った理由は、小林先生の講義が「良い授業」だったからです。どんな学識も、どんな肩書きがあったとしても、自分が教師となった時のモデルにならない講義をする人の研究室には入りたくなかった。私は教育学とは、良い教師、良い授業のための学問であると、「単純」に信じていました。

 大学院を修了する時、研究者の道と教師の道を悩みました。研究の面白さも分かっていました。不遜ながら言います。私は大学院在学中に、私を教えていた大学教師の何人かより多くの研究業績を上げていました。それ故、「あんな人が研究者として生きられるなら、自分だって出来るはずだ」と思いました。でも、小林先生のイメージがありました。小林先生は学校現場の経験がありました。先生の講義には、その香りがそこかしこに感じました。私は単純に小林先生のような教師になりたいと思いました。そして、学校現場を経験しないで研究者となった場合、私としては納得できない研究者になるのでは、と感じました。もともと教師になりたいと思っていた私は、「教師になろう!もし、私が研究者の道があっているならば、巧まずにも自然になるはずだ。将来の姿は自ずと定まる」と思いました。

 高校教師になって、最初は大変でした。給料をもらうのが、こんなに大変なことかと思いました。いっぱい失敗しましたし、やけ酒を浸る日々を過ごしました。でも、次第に心に中で教師の人生の魅力が大きくなってきました。「凄く大変だけど、このような教師の人生で一生を 暮らすのはいいな~」と心を決めました。そんな時に研究者の話が来ました。私としては「何が何でもなりたい」という気持ちは「全く」ありません。間に入ってくれた小林先生には「お世話になった先生方に不義理するぐらいなら、この話は進めたくない」と言いました。私としては、ご縁があれば自然とそうなる、と思いました。結果として、関係者の一同が円満な形で異動することが出来ました。研究者になってからは、数年は泣きました。夜になって酒を飲むたびに、なんで研究者になったんだ、と泣きました。しかし、結局、自分には教師で居続ける能力はなかったと自覚し、諦めました。

 私は小中高の教師を尊敬し、あこがれています。その気持ちで大学の先生をやっています。その気持ちで研究をやっています。だから、教師になりたいと思わない人を研究室のメンバーに受け入れたくありません。