西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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05/03/30(水)

[]タイプ分け 08:51 タイプ分け - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - タイプ分け - 西川純のメモ タイプ分け - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先のメモにタイプ分けを否定的に書きました。しかし、それを全面否定をするつもりはありません。現象を一般化するためには有効な手段です。我々もやっています。でも、我々の場合は、基本的に個人をタイプ分けするのではなく、集団をタイプ分けします。それも、短期的にではなく最低でも一つの授業全体での様子をもとに分類しますし、数週間から数ヶ月のスパンで分類します。その理由は二つです。

 第一に、集団の中・長期の行動のタイプは、個人のタイプ分けより遙かに安定です。あたかも、一つの水分子の動きを予想することは不可能であっても、水分子の集団である水の動きを予想することは可能で、それも簡単です。第二は、先のメモに書いたように、個人のタイプは集団の中では埋没します。集団の中で表出する個人の行動は、その個人の特性ではなく、集団の特性に決定されます。集団の特性は、それを構成する個人の合算とは異なります。そして、我々が興味を持っている対象は、 家庭教師ではなく学校教育なんです。

 さすがに、行動主義的な機械論の人は絶滅しているでしょう。また、個人構成主義的な人も、社会構成主義的な立場があることを理解していると思います。しかし、構造論「的」(構造論だとは言いません)に教育を見られる人って少ないんですよね。

05/03/29(火)

[]読書感想 08:52 読書感想 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 読書感想 - 西川純のメモ 読書感想 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が大学院の時代、最低でも本を1冊読み切ることをノルマとしました。そのために一日の殆どを机にかじりつきました。振り返って今は、そんなことはありません。「忙しい」という免罪符を乱用し、勉強しません。理由は、馬鹿になったと白状します。どう考えても20代より馬鹿になりましたし、30代より馬鹿になりました。それでも、本当に勉強している人から本を紹介された場合、それを読むようにしています。ためになります。

 最近、出張があり電車で何時間も過ごすことになったので、ある方から紹介のあったI先生の本を読みました。その本は動機付けに関する本です。残念ながら外れでした。でも、それが外れだと意識する過程で、我々の特徴を再認識できたことで、「大当たり」でした。その先生は動機付けを2元論ではなく、2次元の平面的に分析しております。でも、その考え方には新鮮味はありませんでした。というのは、本学のある先生の博士論文を読んだときに、基本的にそのアイディアがありました。だから、あ~、あの亜流だなと見極められました。でも、亜流だからといって否定するつもりはありません。学問というのは、他の人の成果の上に「一歩」進める営みなんですから。私が「あ~」と思ったのは、もともとの原典と同じ限界を持っているからです。

 多くの心理学分析では、人をあるタイプに分類します。一般に知られているタイプとしては、「A型人間」、「B型人間」、「O型人間」、「AB型人間」という血液型によるタイプ分けです。世俗的にはよく当たると言われます。でも、その当たる理由はなんでしょうか?

 私は血液型性格論のある本を読んだことがあります。私の血液型の部分を読んで驚きました。ものすごく当たっているんです。でも、しばらくして気づきました。私が自分に当たっているという感じたことを書いてある部分は、自分の血液型と違った型の部分だったんです。私がページを間違えて読んでいたんです。びっくりしました。そう気づいて、全ての血液型の部分を読んでみると、自分に当たっていると読もうと思えば読めるんです。というのは、「あなたはAだ」と書いていると同時に「あなたは非Aだ」と書いているんです。もちろん「あなたは楽観的だ」と書き、次の行に「あなたは悲観的だ」と書いてあれば、馬鹿でもその種はわかります。でも、「あなたは、未来の可能性を探る努力を怠らない」と書き、次の行に「あなたは、未来の危険性を予測できることが出来る」と書いてあったとき、そうじゃないといえる人ってどれだけいるでしょうか?人間というのは、多様な側面を持っています。そして、いろいろな情報が混在しているとき、否定的な情報を無視することは心理学的に知られていることです。だから、血液型をはじめとして多くのタイプ分けを信じる人が多いのだと思います。でも、本当は違います。

 私はタイプ分けで理科的な観察が異なるかを調査したことがあります。それなりの研究成果を出し、論文にしました。でも、論文には書かなかったことがあります。それは、圧倒的多数の人は、特定のタイプではなく、タイプに分類できない中間型なんです。

 また、こんなこともありました。ある先生のタイプ分けが興味深かったので、それを調べてみました。その先生が書いたとおりに、あるタイプの人のアンケート調査の結果は一定の傾向が見られました。そこで、その人の行動をビデオ等で分析しました。その結果、その人がアンケートに書いていることと、その人の行動には相関係数が無いことがわかりました。つまり、その人が「そうありたい、そうする」と書いたとしても、世のしがらみの中で行っていることは、そのひとの考えとは別だということがわかりました。このことは面白い結果なのですが、特定の人の研究を否定することなので、まだ論文にしていません(おそらく、最後まで書かないでしょう)。

 また、教師経験から、学習者を2タイプぐらいに分類するなら、実際の授業でタイプに沿った指導が出来るが(すごい努力が必要ですが)、それが3,4,5・・タイプだった場合、不可能だということを知っています。

 そんなことを知っている私の結論は、

 1.人の特性は多種多様。それも一人の特性でさえ、時々刻々と変わる。

 2.1の帰結として、それに対応するには、その人の時々刻々かわる特性を理解しなければ学習指導(支援)は出来ない。

 3.2の帰結として、そんなことは一人の教師(TTで二人だったとしても)は不可能。

 というものです。だから、今の研究があるんです。

 なんで、こんなことが分からないのだろう?と思いました。

 私は教師として、教室の中の一人の子どもも捨てたくない、切りたくないと願います(100%を願った場合、それが不可能なことは十分に分かっています)。もし、7割の子どもが救われるという志なら、タイプ分け論でもある程度対応できます。また、圧倒的大多数を捨てて、特定の「かわいそうな」子どもを救いたいという志でも、タイプ分け論でもある程度対応できます。でも、教室の中の一人の子どもも捨てたくない、切りたくないと願うならば、タイプ分け論で対応できない現実にぶち当たります。

 タイプ分け論で満足している人は、数割程度の子どもを捨ててもいいと意識的・無意識的に思っているのではないでしょうか?また、全ての子どもを救いたいと思っている人も、どうやっていいか悶々としていると思います。私もそうでした。でも、解決できない理由は、自分一人でやろうと思っているからだということ。そして、その原因は学習者を馬鹿にしているからだということ。私はそう思います。

追伸 Wさんへ。本は読みやすく、内容もいいものでした。だから、すっと読めました。本を読み終わって、上記のようなことを感じました。次はDの本を読みます。最初の部分だけですが読みました。でも、この本も期待できる本だと思います。何故なら、本当によい教師の感性を持った研究者の本(逆に言えば、本当により研究者の感性を持った教師の本)だからです。私は外人さんを話すのはごめんこうむりたいタイプですが、この人とは「通訳の人」がいたなら話したいと感じています。

05/03/25(金)

[]贈る言葉 08:53 贈る言葉 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 贈る言葉 - 西川純のメモ 贈る言葉 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私はよくウルウルします。それらは、学生さん、院生さんの研究に感動し、子どもたちの姿に感動するからです。映画でもテレビでも、良い人が幸せになると、ボロボロと大泣きします。自分では涙もろいと思います。でも、一方、私はいままで怒りや悔しさで泣いたことはありません。そんなときは、どうやって復讐してやるか、それも、誰から も非難されなくて、それでいて効果的な方法を考えることで頭がいっぱいになります。以前のメモにも書いたように、研究者は本質的には攻撃的な人間です。また、悲しくて泣いたことありますが、ごく僅かです。いずれも親しい人が死んだときです。変なこだわりですが、悲しくて泣くのはいけないことだという刷り込みがあるようです。

 本日、戸北・西川研究室のゼミ室に行きました。卒業生・修了生の机は綺麗に片づけられているか、引っ越しで梱包された箱が積み上げられています。私はもうすぐ家に帰ります。日曜日から3月いっぱいは出張で上越にいません。彼らをゼミ生として見る機会はもうありません。そんなことを考えている内にウルウルしてしまいました。そのとたん「何で泣いたんだろう」と不思議に感じました。先に書いたように、「死」以外に私は悲しくて泣くことはないからです。でも、直ぐに分かりました。嬉しかったんです。こんな風に、卒業・修了して送り出すのが残念だな~と感じる出会いがあったことを嬉しく思い、感謝する気持ちになったからウルウルしたのだと思います。

 23日の追い出しコンパの最後に「お言葉」を、と会の企画者に以前から言われていました。何を言おうか迷いました。語りたいことはいっぱいある、でも、限られた時間で語れるのは少しです。直前まで決まりませんでしたが、指名されて、その時決まり、語りました。

 『私は比較的早く父を亡くしました。その際、「父を忘れることが供養だよ」と言われました。その事があったので数年前の追い出しコンパで、「私たちを忘れて下さい」と言いました。今年もその言葉を贈ります。でも、私の本心は「忘れて欲しくない」と思っています。でも、迷い無く「忘れて欲しい」と言えます。何故なら、絶対に忘れられないものを、戸北・西川研究室の集団は卒業生・修了生に伝えられたと思っているからです。

 教師は最終的には、その教師の望む姿に到達することが出来ます。一つの理由は、到達できる姿を自分の望む姿にすることによって合理化してしまうからです。でも、安易に合理化せず、真摯に向き合う教師であるならば、教師として志した姿に達することが出来ます。でも、どのような「志」を持つかで大きく異なります。例えば、「志」を教材におく教師がいます。即ち、教材としている数学、自然科学、社会科学、人文科学、芸術に価値を見出し、それを正しく伝えることが教師の理想の姿である、という志もあるでしょう。また、教材ではなく子どもに目を向ける教師の中には、子どもを自由自在に動かせる能力を指導力と捉える人もいるでしょう。おそらく、テレビ番組的、また、世の教師像としては、上記の方が一般的だと思います。私も、そのような教師を目指したことがあり、教材や指導法に目を向けていました。しかし、今は違います。では、何故変われたのか?それは、多くの学生さん、院生さんの研究から教えて貰ったことによって変われたのはもちろんのことです。でも、私が学生さん、院生さんの研究の中に、光ものを感じることが出来たのは、私自身に原体験があるからだと思います。私自身が好きだった先生、私を高校教師として育ててくれた職場での子どもや同僚との経験があるから、学生さん、院生さんの研究から「あ~、あれのことだな~」と感じることが出来たのだと思います。

 卒業・修了するメンバーは戸北・西川研究室という集団の中に浸ることによって、我々が「良し」としていることを原体験出来たと思います。そのことは、どんなに忘れようと思っても忘れられません。だから、迷い無く「忘れて欲しい」と言えます。』

 同時に、残るメンバーにも語りました。

 『今、我々が「良し」としているものは、今の段階での「良し」としているものです。その「良し」の先にある、もっと素晴らしい「良し」があるはずです。それを今から見てみようじゃないですか!その「良し」の先にある、もっと素晴らしい「良し」を生み出し続け、OB・OGに 発信し続けられるならば、我々は常に繋がっているんです。』

 そんなことを話しました。照れ性の私は、どうも卒業生・修了生としんみりと長く話すのは苦手です。長く話すと皆さんの目の前でウルウルしそうなので、素っ気なく対応してしまいます。そのため、皆さんが挨拶してくれたときも、ちゃんとした挨拶が出来なくて済みません。

 多くのことを学ばせてくれて有り難う!いっぱい楽しい思い出を与えてくれて有り難う!今、私は研究室で一人で、感謝の気持ちがいっぱいで泣いています。ありがとう。

 皆さん、行ってらっしゃい!期待していますよ!

05/03/23(水)

[]世代交代 08:54 世代交代 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 世代交代 - 西川純のメモ 世代交代 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は卒業式・修了式です。夜は戸北・西川研究室の追い出しコンパがありました。その会で感慨がひとしおです。戸北研究室の最後の最後なんですから。

 色々なことがあって(これは省略します)広島大学の大学院を修了され、新潟大学高田分校に戸北先生は赴任されました。その後、分校が廃止される過程で組合の最前線に立ったため、心労のあまり胃潰瘍になって胃を切除するはめになりました。その後、高田分校が上越教育大学になるときに、高田に残った3人の先生の一人です。約30年間、高田の地で、ずっと大学教師でした。その間、ずっと大学教師として学生を愛し、愛されてきました。その先生が、本人の希望ではなく、大学の希望として大学の管理職にならざるをえませんでした。その結果として、教師としての人生を断ちました。本日の追い出しコンパで、最後の最後です。追い出しコンパが終わり次第、管理職の仕事のため海外に出発です。

 戸北先生は今でも大学教師としての力量は十二分です。その先生が、教師として一段落です。その姿を、コンパ中、ちらちらと盗み見をしました。

 教師としてのステージは何段階もあると思います。新任、若手、中堅、ベテラン・・。我が儘な私は、どんなことがあっても、戸北先生のような管理職には絶対になりたくはありません(まあ、幸いに 、人徳のない私は無理ですが)。でも、それであっても私なりに次のステージのことを考えなくてはなりません。

 研究者としての能力は年齢に伴い、急速に衰えます。明らかに、私の研究者としての能力は落ちています。年間に十弱のレフリー付き論文を、自分のアイディアだけで生産していた30代とは違います。でも、30代の後半から、自分がやる、から、サポートするという方向にシフトしました。私の業績を見れば明らかなように、30代後半から単著は少なくなり、共著が多くなりました。幸い、優れた人と一緒に研究する機会を得ることによって、それ以前に勝るとも劣らぬ生産力を維持しています。そして、今後しばらくはその生産力を維持できると思います。でも、戸北先生の姿を見ながら、次のステージの準備をしなければと思い始めました。もちろん、私が考えている次のステージは管理職ではありません。そして、次のステージにシフトするのは数年先ではなく、10年ぐらいの展望のレベルです。でも、考えなければな~と改めて思いました。

 具体的には、私が今やっているように優れた人と一緒に研究する人をサポートするステージにシフトしたいと思います。研究の成果を本の形で現場実践に還元してくれる人を育てたいと思います。もちろん、研究は無しで本のみではありません。我々の特徴は、研究に裏打ちされた実践です。さらに言えば、それを自分の力で切り開ける人です。私は39歳で最初の本を出しました。その際、戸北先生が出版社を紹介してくれました。しかし、その後の出版社との交渉は私がやりました。出版に伴うリスクは私が担いました。とにかく出版に伴う諸々は私がやりました。私が育てたい人はそういう人です。私は、学術研究を実践に還元する意義と夢を語ります。それを自分の夢と感じてほしいと願います。

 出版を通して、学術研究を実践に還元する方向性が見えたように思います。私が試みたことは、たった6年間ですが、私が当初予想する以上の広がりがありました。しかし、我々が確信していることを多くの人に分かってもらうには私の力は、あまりにも微力です。その私の力のなさの自覚と、我々の確信していることに対する自信の大きさのギャップの大きさに、とまどっているこのごろです。来年、再来年のレベルではないかもしれませんが、ちゃんと考えるべきだと思います。

 戸北先生が、先生にとって重要な今日という日をさりげなく過ごせるように私が出来るよう、私は次のステージをちゃんと考えるべきだな、と思いました。

05/03/22(火)

[]マジック 08:58 マジック - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - マジック - 西川純のメモ マジック - 西川純のメモ のブックマークコメント

 毎年、春先になるとマジックを見ます。

 2月中の雪を見ると、「5月連休までは溶けないのでは」と思います。3月中も雪の山はそのままです。ところが、3月の中旬になると状況は一変します。晴れた日が三日も続くと、あれだけあった雪が、あれよあれよというまに消えます。天気予報を見ると「なだれ注意報」が目につくようになりますが、その日は暖かい日だといういう意味です。上越地方のすべての地面に数メートルの雪が積もっています。その量はすごいもんです。それが数日のうちに平地の部分のほとんどで無くなるのですから、すごいマジックです。

 一方、家から見える妙高山の雪は、真夏の直前まで残ります。これまたマジックのようです。

[]アスレチック 08:58 アスレチック - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - アスレチック - 西川純のメモ アスレチック - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この前の休日に能生(のう)の道の駅に行きました。そこには子ども用のアスレチックがあります。息子は高いところが苦手なのですが、果敢にトライします。私の肩当たりの高さの段に登ると、怖くて立てません。そこで、一生懸命に声をかけたり、手を貸したりしながら、コースを乗り切りました。び~び~泣きながら回ったので、コースを終わったらやめると思っていました。ところが、すぐにまたコースにトライします。「え?!」と思いましたが、やはり同じところで、び~び~泣きます。そこで、同じように一生懸命に声をかけたり、手を貸しました。でも、さっきよりは、ちょっとだけ手を貸さなくても乗り切れるようになりました。終わったら、先ほどと同じようにコースの最初に走りながら行きます。しかし、同じところで、び~び~泣きます・・・。この繰り返しです。ところが、5回目ぐらいになると、泣かなくなり、手を貸さなくてもよくなりました。最後は、にこにこして回るようになりました。我が子ながら、変化の大きさに目を見張りました。

[]学部生の研究 08:58 学部生の研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学部生の研究 - 西川純のメモ 学部生の研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 西川研究室の特徴である、子どもを徹底的に見るという研究は、2年間フルに現職教員が院生として研究できるという上越教育大学の特質に立脚していることは言うまでもありません。しかし、私は学部生の研究を高く評価しています。事実、我々の考え方の根本のいくつかは、学部生の研究によって明らかにされたものです。

 例えば、「学び合いは教えるものではなく、生得的のものである。子どもが自らよりよい方法を見つけるものだ!」という考え方は、EmちゃんのN先生を徹底的に見た研究がきっかけです。また、方法が大事なのではなく、考え方が大事なんだ、ということを教えてくれたのはYの研究です。Yの研究では、我々が有効だと信じていた自己モニターをある先生に実施してもらいました。ところが、効果が全くありません。そこで、その先生の授業をつぶさに分析した結果、自己モニターをやりつつも、それに反する行動をしていることが明らかになりました。そのことから、方法をまねてもだめで、考え方が伴わないと無効だということが分かりました。その後、自己モニターをしなくても、自己モニターと同じような効果が現れることを示す研究の蓄積があり、現在では、教育観の問題だということがはっきりしました。しかし、それを明らかにするきっかけになったのは、Yの研究です。

 現職院生さんは力があります。だから、我々の考え方の不備があったとしても、その先生の力によって、押さえることが出来ます。力がある先生ですので、あまりに自然にそうしてしまうため、本人でさえ不備があったことに気づかない場合があります。ところが、学部生の研究の場合、我々の考えの不備が、もろに表出します。その問題を吟味することによって、大きな飛躍があります。

 本日、2年生(数週間後には3年生)の卒業研究のアイディアを彼らから聞きました。とても、大胆なテーマばかりです。その研究が、予想の方向で発展したら、すごいことが分かります。でも、その予想が外れたとしたら、その先には大きな飛躍があるはずです。いずれにしてもワクワクします。

[]一度だけ 08:58 一度だけ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一度だけ - 西川純のメモ 一度だけ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日のゼミで、教師の何気ない一言で子どもたちが変化する事例をあつかった卒業研究を2年生が紹介していました。それを聞いていたYが「一度だけ~?」と驚いていました。そこで、何故、一度だけの発言で子どもたちが変化したかを補足しました。

 我々の研究には、今まですごく時間・手間がかかったことが、意図もたやすく実現することを明らかにしています。さらに、そのたやすい方法で、今まで以上の達成度を実現できます。おそらく、それを話しても「嘘だろう~」とか、「たまたま、その場合だけのことだろう」とか思う人もいるでしょう。たしかに、そう思う気持ちも分からんでもありません。でも、そうなる理由があります。その大きなものは二つです。

 第一に、我々がやっているのは、子どもたちが知らない・理解できないことを、教え・理解させているわけではありません。我々がやっているのは、子どもたちが知っている・理解できることを、表出させるだけのことです。我々は教室に問題があるのは、何かが足りないのではなく、不必要なものが多いためだと思います。例えば、多くの実践書では「学び合い」を教えようとします。しかし、我々はそんなことしなくても学び合うこと知っています。子どもたちが学び合わないのは、学び合い方を知らないのではなく、学び合うことを教師がじゃましているためであることを知っています。新たなことを理解させるのではないので、至極簡単なことです。

 簡単にできる二つめの理由は、方法ではなく考え方だからです。本や論文では、典型的な教師の言動をピックアップします。しかし、子どもは、その言動だけを見て教師を判断しているわけではありません。視線の動き、言葉の間、表情・・・、すべての動きを総合的に見ています。教師の一言は一度だけかもしれませんが、それらの動きは四六時中教師が発し続けています。そのため、教師の細かい動きを詳細に分析する研究もあります。しかし、我々はそういうことはしません。だって、視線の動き、言葉の間、表情・・、それを意識してコントロールできるわけありません。でも、簡単な方法があります。それは、考え方を理解することです。考え方を理解すれば、枝葉末節のことがらは自ずと出来ます。

 このことは本にも何度も書いたことで、それを全部、精読している2年生ですが、上記の部分はなかなか分からない部分なのだと思います。しょうがありません。考え方なんですから。これから2年間かけて、我々の中に浸ることによって理解してくれるでしょう。

[]シャイ 08:58 シャイ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - シャイ - 西川純のメモ シャイ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 幼稚園等では、息子はマイペースな子どもです。その息子を気にかけて、クラスメートの輪の中に引き戻す、世話女房のような同級生がいます。マイペースな息子ですから、いやだと思っているかと思うと、そうでもありません。息子の話の中に、その女の子の名前がちょろちょろ出ます。そして、「○○ちゃん、好き」と聞くと、「にや~」と笑って「好き」と言います。ところが、幼稚園では、その片鱗も見せません。シャイなのだと思います。

 小さいときは、いきなり抱き寄せチュ~をして、女の子をビックリさせていましたが、大人になったようです。

[]最後の学年ゼミ 08:58 最後の学年ゼミ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最後の学年ゼミ - 西川純のメモ 最後の学年ゼミ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先週の金曜日にM2が「急ですが、最後の学年ゼミをお願いします」と行ってきました。私は「え!?」と思いましたが、「最後の」という言葉を聞くと、「ぐっ」ときます。

 今年の場合は、「もう終わりなんだな~」という気持ちが起こりません。いつもだったら起こる、ピーターパンの気持ちが起こりません。理由は明らかです。今年は忙しすぎます。例年でしたら、修了の段階で、その年の院生さんの研究を投稿論文にまとめ、それをもとにした本の原稿を書き上げています。今年は、後者はまだです。そのため3人の方には「皆さんの研究を世に還元する部分は僕に任せてね、ゲラが出来たら間違いはないかチャックしてもらうから」と言いました。それに、Ymさんはすべてのデータをまとめていません(Ymさん見ている~)。ということで、まだ終わっていないんです。

 3人には「ここでの研究はこれで終わりじゃないよね。これからだよね。地元で結果を出してね」といって、プレッシャーを肩に載せました。と言うことによって、「ぐっ」とした気持ちを抑えました。明日は卒業式・修了式です。寂しいな~

05/03/19(土)

[]ソリ 08:59 ソリ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ソリ - 西川純のメモ ソリ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、日本におけるスキー発祥の地である上越市の金谷山でソリ遊びをしました。本年度3回目のソリ遊びです。今回の驚きは、一人でソリ遊びが出来るようになったことです。ビックリしました。

[]善処 08:59 善処 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 善処 - 西川純のメモ 善処 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は休日ですが、ふらりと控え室に行きました。「だれもいないかな~」と思いましたがH君がいました。そこで、先行研究の吟味に関して色々話しましたが、充実した話をしました(といっても、実証的教育研究に書いてあることですが・・)。最後に、「じゃあ、問題は解決だよね。問題ないよね?」と言うと、H君は「問題は、図書館が休館で、先行研究を集められない点だけです」と言いました。

 私が、「大人社会は結果が重要なんだから、問題があったら、そりゃ君に問題があるよ」と言いました。それにそれに対して、H君は「善処したんです」と言いました。そこで、以下のように言いました。

 『うちの大学が土日に休館であることは、本学開闢以来初めてというわけではないよね。君が十分承知していることだよね。でも、それが問題だというならば、それは、そういう状況がどんな結果を引き起こすかを君が考えていないということだよ。本当に研究に対して主体的になったならば、君は、あらゆる状況を想定し、シミュレーションをしているはずだよ。君がしていないとしたならば、君がシミュレーションをしていないことを意味するよ。』

 H君は、その通りであることが分かっているので、黙っていました。そこで、以下を付け加えました。

 『今言ったことを理解するに、スミスだマイケルだというような外国文献を知っている必要はないし、高等数学も不必要、ヘーゲルやカントを理解する必要もない。ごくごく常識的なことを言っているよね。君がちゃんと考えていれば、自ずと導き出される結論だよね』

追伸 メンバーによく言っているように、私が求めているのは、自分でちゃんと考え、私を論破することです。

追伸2 ふらりと現れたときにH君が研究しているのを私は見ました。単なる偶然とは思ってはいません。

05/03/18(金)

[]新しい呼び方 09:01 新しい呼び方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新しい呼び方 - 西川純のメモ 新しい呼び方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 うちの研究室の場合、呼び方にはルールがあります。給料取りの院生さんの場合は○○さんと呼びます。多くは苗字ですが、鈴木・佐藤の場合、同一学年に複数の同姓の方がおられる場合があります。その場合は、名前+「さん」となります。学卒院生の場合は、苗字の呼び捨てです(例えば「近藤!」、「篠原!」)。学部学生の場合は、男子の場合は名前の呼び捨てで、女子の場合は名前+「ちゃん」です。

 このルールは、今までの歴史的経緯から自然発生的に生まれたものです。その経緯を説明すると長くなりますので省略しますが、トロヤの遺跡のように、徐々に作り上げられたルールです。そのことに、問題意識を感じませんでした。しかし、今年、私の授業を受けた学部学生(西川研究室のメンバーではありません)さんから、「先生の呼び方は、先生の主張にあっていないのでは」と指摘されました。その話を要約すると、以下の通りです。

 異学年学習を失敗させる原因の一つに、教師が学年毎の役割を強いることがあります。簡単に言えば、「お兄ちゃん、お姉ちゃんであれ」、「妹、弟であれ」と強いることです。そうすると、上級生は強制的になり、それでいて負担感を感じます。一方、下級生は依存的になり、圧迫感を感じます。一方、我々が異学年学習を行う場合は、学年毎の役割を強いません。教師が強いなくても、自ずから役割が発生します。その自ずから発生した役割が、「その」子どもたちにはちょうどいい役割なんです。さて、先の学部学生さんの指摘は、先に述べた私の呼び方は、暗黙に学年による役割を強いていることにならないか?ということです。正直、どきりとしましたし、たじたじになりました。その場は、それなりの説明をしましたが、あれから3,4ヶ月立ちましたが、どう考えても、あの学生さんの言っていることは正しいと思います。となると、全てのメンバーを「○○さん」で呼ぶべきなのでしょうが、ちょっと踏ん切りがつかない。私自身の中にある、囚われがどうしても切れません。そこで、とりあえずは4月1日より、院生さんに関しては、学卒であろうと、現職であろうと「○○さん」に統一することにしました。

 一度踏ん切りがつくと、これに関しては落ち着きがいいように思います。この呼び方の変化によって、何かが変わるような気がします。まず、変わるのは私の意識であり、それによって学習者集団が変わると思います。

追伸 このことをTちゃんに言いましたら、苗字が好きでないということなので、KさんではなくTさんと呼ぶことにします。また、2年間、呼び捨てだったH(この3月に修了)に「Hさんと呼ぼうか?」と聞きましたら、嫌がりました。

[]100円の贅沢 09:01 100円の贅沢 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 100円の贅沢 - 西川純のメモ 100円の贅沢 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 人様が何と言おうと、安くても良いものがあります。例えば、学生さん・院生さんの全員は携帯電話を使っています。しかし、私はPHSを使っています。だって、電話も、メールも使えて、基本料金が圧倒的に安いんですから。ちなみに、何故、PHSを使い始めたかといえば、携帯電話・PHSを扱っている業者につとめている知人の薦めによるものです。

 我が家のワインは1本300円程度のBというワインです。安いワインですが、飲みやすいですし、癖がありません。ワイン好きのT先生からは馬鹿にされますが、私の気持ちは揺るぎません。私は「本当においしい酒は水に近くなる」という確信があります。つまり、「おいし~」と積極的に思う酒より、水を飲むようにさらりと飲める酒が良い酒だと思います。「これこれの味」というのではなく、特徴が無くなる酒が好きです。そのため、日本酒でも吟醸酒・本醸造は好きではなく、純米酒が好きです。その私が「好き」なんですから、そして安いんですから、良いに決まっています。

 最近、100円高いワインに変えました。飲みやすさはBと同じなのですが、「無添加」というのがポイントです。ワイン好きの家内ですが、結婚当初だったら、1本400円のワインは贅沢だと遠慮すると思います。私の飲む日本酒に対しては何も言わない家内ですが、自分も飲むワインに関しては、贅沢はしない主義です。しかし、最近は「それぐらいの贅沢もいいかな」と思い始めるようになったようです。結婚後11年、100円高いワインを飲めるだけ年収も上がったのだと思います。

[]息子の成長 09:01 息子の成長 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 息子の成長 - 西川純のメモ 息子の成長 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子が3歳ごろ、どうにも動いてしょうがありません。手を引いても、その手を振り払って、思いもよらない方向に走り出します。危ないので、目が離せません。買い物では、カートに乗せて買い物をします。そうでもしないと、どこに行くかわからないからです。その頃、息子より大きな男の子が、親と静かに連れ立っている姿をするのを見ると、「息子もそんなことが出来るようになるかな~」と思いました。ところが、最近は、息子は落ち着いたようです。買い物の際、息子を自由に歩かせても、我々の近くを離れません。安心して買い物が出来るようになりました。成長です。

 以前は息子は肉は好きですが、刺身は嫌いでした。子育てサークルにいっしょだったお母さんによれば、刺身が大好きだと、聞きます。それを聞いて、「小さい子どもが生魚を好きになるものかな~」と不思議でした。ところが最近(まあ、半年以上ですが)は刺身が息子の大好物です。何故、そうなったかと言えば、かっぱ寿司という全品100円の店のおかげです。そこに行った当初は、息子は刺身は嫌いでした。でも、夫婦が食べる寿司の上にある刺身の切れ端を、少しずつ食べさせたところ、そのおいしさが分かるようになったようです。

 家内によれば、今日の買い物で、「何を食べたい?」と聞くと、「刺身が食べたい」と言ったそうです。そして、どんな刺身が食べたいと聞くと「マグロ」と答えました。そして、赤身を選んでワゴンの中に入れました。なかなか渋い選択です。

追伸 ちょっと前のメモと同じですが、いろんな人が何を言っても、全品100円のカッパ寿司はコストパーフォーマンスからいって良い店だと思います。

05/03/16(水)

[]映画日記 09:03 映画日記 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 映画日記 - 西川純のメモ 映画日記 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ふと新たなことやり始めようと思いました。それは、ホームページに映画日記というコーナーを設けようとするものです。

 映画は、私が小学生時代からの趣味です。私の年代の方(そして関東圏)だったらおわかりと思うのですが、私が小さい頃は2時のロードショウといって、小学生が学校から帰った頃に映画がテレビで流れていました。して、月曜日から日曜日のほとんどの日に、映画の番組がありました。私はそれを全部見ていました。大学受験のためにテレビを断った高校3年まで、10年以上毎日映画を見ていました。大学時代は映画付きの友人と見に行きました。次に断ったのは大学院生時代です。でも、高校教師になってからは映画は楽しみです。子どもが生まれてからは、なかなか映画館に夫婦で行けませんが、出張の際は、移動の電車でみることが楽しみです(移動時間が5時間以上になると、そうでもしないと時間がつぶせません)。

 自分がおじ~さんになったとき、家に映画ルームを作って家内と一緒に楽しみたいと思っています。そのとき、当たりはずれのある映画ではなく、確かに楽しめる映画を見たいと思います。ということで、その際、見る映画のリストを今のうちから作りたいと、本日、ふと思いました。

 これから長い時間をかけて積み上げるのですから、続けられないものではいけません。そこで方針を立てました。大分類は3つです。「今後見ない」、「見る価値があった」、「何度もみたい」の三つです。ストーリーや映像で一度は十分おもしろく感ずる映画はあります。しかし、一度わかってしまうと、もう一度と思わない映画があります。それが「見る価値がある」です。それだったら、「何度もみたい」とそれ以外(「今後見ない」と「見る価値があった」)に二つに分けるのも一つの方法です。でも、あえて、「今後見ない」と「見る価値があった」を分けました。理由は二つです。第一は、知っている人に一度は見る価値があるか否かを判断する情報を提供するのは意味があると思います。もう一つは、おじ~さん、のころになれば、今の記憶は無くなると思われます。となれば、そのころには、また、「見る価値があった」となるように思います。それ故、自分自身のために分けたいともいました。

 私の好きな映画は、いい人が幸せになる映画です。水戸黄門的な単純な勧善懲悪ではつまらない。でも、カフカ的な不条理な映画は疲れます。また、小さい子どもや、いい人が、長い期間苦しむ映画は耐えられません。主人公が前向きに人生に立ち向かい、最終的にはその結果に納得する。そんな映画が「何度もみたい」に分類されます(こういう映画の場合、ぼろぼろと泣きます)。「見る価値があった」は映像や、ストーリーに配慮とエネルギーと予算をかけており、自分の時間を見るために費やす価値があった映画です。

 もちろん、あくまでも自分自身のための記録であり、独断と偏見に満ちています。でも、私のような映画が好きなタイプの人には共感してもらえると思います。近日、公開予定。

[]防衛策 09:03 防衛策 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 防衛策 - 西川純のメモ 防衛策 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 フィッシング詐欺に遭い、自己防衛を真剣に考えました。

 私のところにくる、フィッシング詐欺、スパムメールのいずれも、大学のメールアドレスです。そのメールは私は使っていませんが、過去のメールですので、それを使ってメールする人がいますので残しています。でも、なんでそのメールアドレスが、外国のスパマー(スパムメールを送りつける人)が知るようになったか不思議でした。調べていると、そのような人は機械を使ってホームページを検索し「@」を手がかりにメールアドレスを収集しているそうです。現在使っているメールアドレスを、そのような収集から守る必要性があると思い、以前から、本ホームページにおける私のメールアドレスはテキストではなく画像にしています。しかし、関係する組織の中には、私のメールアドレスを掲載しているページがあります。現在、それらの管理者にメールアドレスの削除か、画像化をたのんでいます。

 グーグル等で自分メールアドレスを検索してはいかがでしょうか?完全な防衛は不可能ですが。可能な限りの防衛は考える必要があると思います。

05/03/15(火)

[]27禁(再び) 09:07 27禁(再び) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 27禁(再び) - 西川純のメモ 27禁(再び) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 現在、修士1年のIさんは若い先生の成長を見ています。若い先生と関わりながら、我々の考え方を理解して貰う過程を観察しています。そのIさんからのホームページに、その先生は初期段階で「私からボスの著作の数々を借り受けて読み、実践したようですがうまくいかなかったようです。」という書かれていました。著者としては気になるので、早速、問い合わせのメールをしました。その結果、その若い先生は、本に書かれていたプロトコルをなぞるようにしたそうです。なるほど、と思いました。

 本にも何度も書いたように、テクニックが重要なのではなく、考え方が重要なんです。考え方が分かれば、表出するテクニックはその人によって様々であっても子どもは応えてくれます。ところが、考え方が無しで、テクニックをなぞっても子どもは応えてくれません。なぜなら、子どもはテクニックを見ているのではなく、教師の考え方を見ているんですから。つまり、子どもはそれだけのことが出来ることが分からないと駄目なんです。でも、多くの熱意ある若い教師はテクニック漬けになっているように思います。

 とりあえず使える雑誌のプリントをコピーし、目を引く特別な指導法に頼り・・。私はそのようなことを全面否定するつもりはありません。私だって新規採用当初の自分が、どんなに教材づくりに追われて、アップアップしていたか分かります。先輩の教師をコピーしたこともあります。子どもがわっと喜んでくれる、面白実験本に頼ったこともあります。でも、その頃の私は、子どもを私の意のままに動く存在であると思っていましたし、教師の仕事は子どもを意のままに動かすことだと思っていました。もし、その頃の私が今の私の本を読んだら、子どもを意のままに動かすテクニックの一つとして理解していたでしょう。ところが、自分ではテクニックを脱したと思うでしょう。だって、たしかに面白実験本やプリントを使うよりは、非テクニック的ですから。

 我々の研究室の本で、様々な生の事例を紹介しています。しかしそれは、我々が感激した経験を追体験して貰い、考え方を伝えたいと思うからです。本の事例を単純になぞるのは、あたかも恋人にどうやって告白したらいいか悩んだ人が「ロミオとジュリエット」を読 み、そのまんまの行動をするようなものです。馬鹿げています。本当は、本を読むことによって学べるのは、方法ではなく、彼らの経験を追体験し、そのことによって彼らの気持ち・考え方を理解することです。そして、他人様におんぶにダッコではなく、その考えの基に、自らの頭を使って行動を定めることが必要です。

 幸い、Iさんが観察した先生は、その段階を脱しました。今、どのような過程で脱したかをIさんは分析しています。Iさんは、その先生にインタビューしました。Iさんのホームページには「インタビューには教師が変容していった様子のエキスが詰まっていて聞いていて胸が詰まってしまいました。きっと、とっても立派な先生になるのでしょうね!このインタビューの内容についてはまた紹介します。」と書かれています。そこで、「すご~く 期待しています。 なかなか教えてくれないので、 「は~やく!」という意味でめーるしゃちゃいました。こちらの方は、感激する用意は万端です!」とメールしました。Iさんからは、「バケツの用意をしておいてください。なんて、そんなに凄いことがあるわけではありませんのでいつもの調子で待っててくださいね!」とありました。しかし、本心は「バケツの用意をしておいてください。」だと思います。その後の部分は、レトリック(修辞学)に過ぎないと思います。すご~く、期待しています。バケツを用意して・・

[]小林学研究室のゼミ 09:07 小林学研究室のゼミ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 小林学研究室のゼミ - 西川純のメモ 小林学研究室のゼミ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今では大学教師をやっていますが、かっては私も院生でした。院生控え室での院生同士の会話は如何なるものか、私も知っています。中には、指導教官に対する罵詈雑言も聞きました。特に、個人ゼミの後は激しかった。しかし、私及び私と同じ研究室のメンバーは、それらを冷ややかに見ていました。 表向きは同情していましたが、腹の中では「そんな先生を指導教官に選んだのはお前だろ。そんなに嫌がっているんだった、移ればいいじゃん。」と思っていました。何故そう思っていたかと言えば、指導教官の小林学先生にそのようなことは一度もありませんでした。我々にとっては、ゼミは我々が求めているものであって、強いられるものではなかったからです。

 小林先生は東京の筑波大学学校教育部にお勤めです。そのため平常は東京におられます。しかし、週に1度、木曜日に筑波に来られ、そこで講義と研究指導をしていただきました。小林先生と話す時間は貴重でした。メンバーの間で奪い合いです。前日までに時間割を決めて、先生をお待ちしました。終わった後は、充実感を感じることが出来ました。このような違いが出たのは、ゼミに対しての姿勢の違いだと思われます。指導教官の悪口を言っている人の殆どは、研究に関して主体性がありません。指導教官が言うようにやっています。せめて、言われたことを自分なりに理解しようとして、指導教官と議論すればいいのに、それすらしません。結局、指導教官が何を考えて言っているのかではなく、やれと言われたことを分けも分からず、そのまんまやっています。考え方もわからずやっているのですから、言われたことをやったにもかかわらず考え方に反することをします。例えば、テレビ番組で「ココアが健康にいい」と放送したとたんに、毎日、年がら年中ココアだけを飲むような人がいます。そんなことしたら不健康なことは常識的に分かるはずなのですが、「テレビでいいと言った」と言い張るような人と同じです。当然、指導教官はそれを指摘します。指導教官の前で、「先生、前回おっしゃったことと違います」とちゃんといえば、その「考え方」を説明してもらえるはずなのですが、その意気地もない。そうすると、「先生が言ったのに!」と院生室で愚痴ることになります。一方、小林研究室のメンバーは、自分で自分の研究を考えていた。それを一生懸命に小林先生に訴えていたのが小林研究室における個人ゼミの姿でした。先生からの指導を受けるときも、鵜呑みにするのではなく理解しようとしていた。だから、上記のような齟齬がありませんでした。

 振り返って、そのようなことが出来たのは、小林先生の力だと思います(正確には場の力)。ゼミは強いられるものではなく、自分が自分のために(そして、自分たちが自分たちのために)あるものだとメンバーに捉えて欲しいと願っています。そして、それが成り立っていると信じています。信じていいよね!

[]シンプルな生活 09:07 シンプルな生活 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - シンプルな生活 - 西川純のメモ シンプルな生活 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学院での生活は学部の生活とは異なります。一言で言えばシンプルなんです。

 学部(特に3年生まで)は講義が山のようにあります。それをこなしているだけで、毎日の多くが決まります。つまり、人様が決めたスケジュールにそって動くことになります。ところが大学院では講義の数は限られ、多くの時間を自分の判断で決められます。もちろん、遊びほうけることも可能です。そして、そこそこの論文で修了することも可能です。でも、本当に学ぼうとしたらどうしたらいいでしょうか?

 研究をしようするなら、生活をシンプルにしなければなりません。私は、朝起きて身支度をしたら、直ぐに大学に行き、とりあえず机に向かいました。そして、夜の10時、11時まで机にかじりつき、それから飲みに行き、2時ぐらいまで飲みました。そこでの話題は研究でした。それがず~と続きました。研究以外の刺激は極力避けました。というより、正確にはそれらを受け取る余裕はありませんでした。大学院の時代、テレビは殆ど見ませんでした。それまで読んでいた難しい本は読まなくなりました。だって、半日近く研究に関わる難しい文献を読んでいるんですから、難しい本を読む余裕なんてありません。このような生活をしていると、研究以外の情報が遮断されるのですから、誘惑にさらされることが無くなります。その結果、さらにシンプルな生活に浸り続けることになります。そうなると、感覚が鋭敏になるようです。例えば、幼児・児童用の絵本がとても面白く読めるようになります。大人がそれらを面白く感じないのは、過剰な刺激にさらされ感覚が鈍感になっているためだと思います。そのような生活をしていると、研究に関して、ある境地に達することが出来ます。おそらく、半年も経てば、遊びほうけているような大学教師のレベルは軽く越えることが出来ます。

 もちろん、私のような生活が万人向きだとは思えません。実は、私自身も現在は、そんな生活をしているわけではありません。でも、「あれも楽しみたい。これもやりたい。」では、それぞれのことで達せられることは限られています。人生の中で、数年でも、そのような生活をすることは意味あることだと思います。もし、そんなことをしないで「あれも楽しみたい。これもやりたい。」だったら、2年間という時間と100万円の学費(その他諸々を入れるともっと凄い金額)を費やすだけの意味があるとは思えません。

 その人なりに考え、その人なりにシンプルな生活をするべきだと思います。その人によって、毎日やることのレパートリーは違うと思います。でも、いずれにせよ、そのレパートリーを毎日、毎日、繰り返すことが大事です。毎日毎日、「あれも楽しみたい。これもやりたい。」では駄目です。

[]フィッシング詐欺 09:07 フィッシング詐欺 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - フィッシング詐欺 - 西川純のメモ フィッシング詐欺 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の所にもフィッシング詐欺が来ました。関係者各位に警鐘を鳴らすため、メモることにしました。フィッシング詐欺とは身元を偽ったメールを送りつけ、偽ったホームページにアクセスさせます。そこにはキャッシュカードの番号を入力させる項目があります。それを入力すると、その情報を使ってキャッシュカードを使いまくるという詐欺です。私の所に来たメールは以下の通りです。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

Untitled Document

UFJ銀行ご利用のお客様へ

UFJ銀行のご利用ありがとうございます。

このお知らせは、UFJ銀行をご利用のお客様に発送しております。

この度、UFJ銀行のセキュリティーの向上に伴いまして、

オンライン上でのご本人確認が必要となります。

この手続きを怠ると今後のオンライン上での操作に支障をきたす恐れがありますので、一刻も素早いお手続きをお願いします。

(ここにホームページのアドレスがあります)

また、今回のアップデートには多数のお客様からのアクセスが予想されサーバーに負荷がかかるため、下記のミラーサイトを用意しております。上記のリンクが一時期不可能になっている場合は、

下記をご利用ください。

(ここにミラーサイトのホームページのアドレスがあります)

お客様のご協力とご理解をお願いいたします。

UFJ銀行

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 そこで、記載されているアドレスにlにアクセスすると、フィッシング詐欺のホームページが現れます。フィッシング詐欺のホームページに「UFJ銀行を偽装した電子メール詐欺が発生していますのでご注意ください。」とあるのが笑えます。おそらく、フィッシング詐欺には多種多様なパターンが生じると思います。でもポイントは、キャッシュカードの番号やパスワードの入力求めるところです。一般的にキャッシュカードの番号をインターネットで求める場合は少ないのが常識です。求められたら、とりあえず疑い、電話等(もちろんそのホームページに書いてある番号では駄目です)で確かめることをお勧めします。

 メールの「この手続きを怠ると今後のオンライン上での操作に支障をきたす恐れがありますので、一刻も素早いお手続きをお願いします。」という言葉にどきりとして、アクセスしました。ところがキャッシュカード番号を求めていることに、「あれ??」と思い、そこでテレビで見たフィッシング詐欺の特集を思い出した次第です。そう考えてみると、UFJには私の銀行口座がないという、とてつもなく馬鹿馬鹿しいことに気づきました。でも、「この手続きを怠ると今後のオンライン上での操作に支障をきたす恐れがありますので、一刻も素早いお手続きをお願いします。」という言葉を読んだ際は、それに気づきませんでした。詐欺に遭う人の気持ちが分かります。

 皆さんへ、「インターネットでキャッシュカードの番号を求められたら、怪しい!」と思って下さいね。

05/03/14(月)

[]出版計画 09:09 出版計画 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出版計画 - 西川純のメモ 出版計画 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先週、Ymさんの研究がまとまり、やっと異学年学習を中心とした本の原稿がまとまりました。平成13年に修了されたKさん、平成14年に修了されたKさん、Mさん、Yさんの研究と併せて「学び合う学校」という題で出版するつもりです。本来だったら、平成15年に出版する予定だったのですが、その年に入学されたYmさんが異学年学習を計画し、それがすごく面白い内容だったので、それの完成を待とうと思い今年まで延ばしました。結果として、平成15年に修了された皆さんの研究をまとめた「座りなさいを言わない授業」の方が先行して出版することになりました。しかし、待っただけのことはありました。Ymさんの研究は多学年で構成される異学年学習の姿を明らかにしています。Kさんから始まった異学年学習の研究は、一区切りがつきました(もちろん、今後も発展させますが)。Yさんのジェンダーはちょっと異質ですが、より広い学び合いを展開するということに関しては一致します。しかし、なによりも、Yさんの研究を現場に還元するのを、これ以上、送らせることに良心の呵責を感じます。ジェンダーは重要なテーマです。そのことに気づいて、西川研究室でやろう、と思ってくれる人のためにも一緒に出すことにしました。

 なお、現在計画中の出版計画は以下の通りです。まず、今年修了されるYzさん、H、Ymさん、それと来年修了されるIさんの研究を中心に、教職員同士の学び合いをテーマにした本をまとめたいと思います(仮題 学び合う職員室)。もう一つは、来年修了される、Iさん、Kさん、Gさん、それと過去のOBの研究を中心として、学力を保証する学び合い、という題の本を出そうと思います。そこでは、学力向上には個別学習が必要(ここまではフロンティア事業と同じ)、しかし、それを実現するためには教師主導では不可能、子どもが自主的に学び合う環境が学力を保証する、という内容をまとめようと思います。これらに関しては、平成18年度中には出版したいな~と思います。

 その他に二つ、暖めていて、原稿を書き留めている本があります。一つは、「なぜ理科を学ぶのか:自信を持って教えるために」という本です。この本では、一般に議論されている「理科の学ぶ意味」が間違っていることを明らかにし、私の考える理科を学ぶ意味を語りたいと思います。一言で言えば「人格の完成を目指した理科とは何か」を、抽象論やお題目ではなく、具体的に示したいと思います。題材としては理科を題材としていますが、「なぜ理科は難しいと言われるのか」と同様に、他教科の先生も読めるし、そのほうが共感的に読める内容になると思います。

 もう一つは、「いい先生」です。そこでは、多くの人が持っている「いい先生」のプロトタイプを壊し、本当のいい先生の姿を明らかにしたいと思います。多くの先生は、テレビドラマで作られた誤った「いい先生」に囚われて、無理矢理それに合わせようと努力し、それが無理だと気づくと、「いい先生」になることを放棄しているように思います。しかし、本当の「いい先生」の姿は多様で、だれでもなれることを示したいと思います。以前のメモ(教師にむいている・むいていない)にも書きましたが、私自身も、高校教師だったとき、自分自身が「教師に向いていないんじゃないか」と悩みました。大学院の指導教官だった小林先生に、「○○先生は、これこれですごい先生なんです。△△先生は、これこれで良い先生なんです。私には一生かかっても、あんな先生にはなれません。」と愚痴ったことがあります。そのとき、小林先生は、「職業柄、たくさんの良い先生にあいましたけど、話のうまい良い先生もいますし、話の下手な良い先生もいます。明るい良い先生もいますし、暗い良い先生もいます。君は○○先生や、△△先生のようにならなくても、君は君のままで良い先生になれるよ。」と教えてくれました。えらく感動しました。最近、小林先生の言葉の本当の意味が分かったように思います。つまり、多くの先生は、「○○をする(○○をしてくれる)」や、「○○という特徴がある」のように外面に表出するレベルで「いい先生」を捉えているようです。まあ、テレビドラマ的にはそうでなきゃ描くのが大変ですから。でも、本当は心の中にある子ども観・授業観・学校観が大事なんです。同じ子ども観・授業観・学校観であっても、その表出の仕方は様々です。しかし、そして、子どもや周りの人も、それを感じて「いい先生」だと思うんです。そのことを書きたいと思います。後者二つは、出来るだけ早くまとめたいと思います。ただし、これをまとめるのは集中できる時間が必要です。でも、今年、それを確保できるか不安です。

[]15年で初めて 09:09 15年で初めて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 15年で初めて - 西川純のメモ 15年で初めて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 中越では18年ぶりの大雪だそうです。幸い、上越はそれほどではありません。しかし、今年、私にとって15年で初めての経験があります。それは・・・。

 なんと、「義理チョコ」を一人の学部学生からもバレンタインデーにもらえませんでした!平成2年に学部学生をゼミ生として受け入れて以来、いつも女子学生がゼミに所属していました。その方々より「義理チョコ」をいつも貰っていました。しかし、今年はそれがありません(お~い、OGの皆さん~、先生は今年は貰えなかったよ~)。あんまり寂しかったので、 二、三人の女子ゼミ生に「ぐれてやる~。指導教官がぐれると、すごいぞ~」と愚痴りましたが、ニヤニヤされるぐらいで軽くいなされました。しかし、二人の女性の院生さんから「義理チョコ 」をいただきました。その方の机に、ホワイトデーのおかえしを置きました。ご賞味下さい。

[]ゼミ運営に関して 09:09 ゼミ運営に関して - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ゼミ運営に関して - 西川純のメモ ゼミ運営に関して - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ運営に関して、全員に語ります。

 今まで通り、全体ゼミ、学年ゼミ、個人ゼミの3本立てでやります。ゼミの活動の一部は、必修科目である「研究セミナー(学部・大学院)」、「実践場面分析演習(大学院)」、「実践セミナー(学部)」に連動しています。ちなみに、上記の講義は全曜日の4、5時限に位置づけられています。現状の学部生の過密講義のスケジュールから言って、学部・大学院の合同のゼミはその時間以外に設定は不可能と思われます。そこで以下のようにしたいと思います。

 金曜日の4限に全体ゼミを行います。金帰月来(金曜日に帰り、月曜日に戻るというパターン)の家族持ちの院生さんには申し訳ないのですが、学部と大学院が一緒になってゼミ活動をするという我がゼミ特有の運営をするためには、そのような設定をせざるを得ません。ご理解下さい。

 金曜日の5限は学部3年、4年合同の学年ゼミを行います。来年度の大学院生さんの学年ゼミの運用に関しては、来年度の新メンバー(新M1)と来年度になって合同で決めて下さい。具体的には、M1とM2を一緒にやるか否か、また、何曜日の何時限にやるか等です。ただし、年度当初の運営に関しては現M1(来年のM2)とスリートップが考えて下さいね。

 金曜日の5限は、月に一回はゼミ会議に振り当てます。学部生の学年ゼミは、そこでの活動を学年ゼミとします。そこでは、ゼミ全体に関わる事に関して、相談したいと思います。

 いずれにせよ金曜日の5限には学部生の学年ゼミかゼミ会議があります。そのため、全体ゼミは4限で必ず終わらなければなりません。そのことを注意して下さい。

 必修課目である、「研究セミナー(学部・大学院)」、「実践場面分析演習(大学院)」、「実践セミナー(学部)」は、全体ゼミ及び学年ゼミでの活動で評価します。少なくとも、規定の授業日における出席はちゃんと取りますし、そこでの活動を評価します。といってびびる事はありません。多くのメンバーにとっては、今まで通りのことをやっていればA以外の評価は出るわけありませんから。ただし、言うまでも無いことですが、他のゼミはいざ知らず、「ちゃんと研究する」ということが我がゼミの特徴であることは、皆さん、ご存じのことと思いますよね。評価対象は規定日ですが、その日以外には無いということではありません。ゼミは皆さんのためにあるのであって、私のためにあるわけではないことを忘れないで下さいね。我々が何を目指しており、そのためにどのようなことをやっているかを心にとめて下さいね。

 本来でしたら、ゼミ会議でアナウンスすべきですが、そのシステムが「まだ」ないので、メモにてアナウンスします。

 全員に問いかけます。以上の運営に関して質問はないか?不都合はないか?何か変更・加筆の希望はないか?また、各ゼミ(全体ゼミ、学年ゼミ)の具体的な運営方法(例えば、時間内に全体ゼミを終わらせ、5時限に食い込まないためにはどうするか等)も考えて下さい。ただし、個人個人でバラバラと私に意見するのではなく、皆さんで意見集約をして私にぶつけて下さいね。皆さんの私を凌駕するアイディア、期待していますよ。

05/03/13(日)

[]ごちそうさまでした 09:11 ごちそうさまでした - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ごちそうさまでした - 西川純のメモ ごちそうさまでした - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の夕食のメインメニューの決定過程は以下の通りです。

 院生の方よりいただいたキノコナメコをおいしいうちに食べきろうということで、うどん系がいいということになりました。家には、最近西川研究室卒業・修了旅行静岡方面に行った院生さんよりおみやげでいただいた「ほうとう」があることを思い出しました。ということで「ほうとう」に決定。ナメコほうとうを煮れば、とろみがでます。家内実家仙台には「おくづがけ」という 、あんかけのとろみのある汁があります。私は大好きで、仙台帰省するとお姑さんに作ってもらいます。そこでの味のポイントは油麩 (お麩を油で揚げたもので、香ばしいお麩)です。それを入れることにしました。さらに、本日は魚を食べていないことに気づきました。そこで、先月に高知大学附属小学校によばれたとき、おみやげでもらった生節の真空パックが登場です。そこに、カボチャ等の野菜を入れて煮込みました。「ほうとう」を煮ると大きくなります。そのため、私はドンブリで3杯も食べてしまいました。しかし、おいしく、するりと食べられました。

 ということで、本日は、関係各位のご厚意によって夕食が出来上がりました。御礼申し上げます。

[]OBの実践 09:11 OBの実践 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - OBの実践 - 西川純のメモ OBの実践 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 OBから、こんなメールが来ました。

 『先日、学級で「自分達の」調理実習を行いました。作りたいものが同じ者同士でグループをつくりました。一人で黙々と作る子もいれば、男女一緒にクッキーケーキを作るグループ、男同士でのもんじゃ焼き女の子同士でのパフェー、などなど。生ゴミ・燃えるゴミ係、流し場・コンロ・食器・床チェック係等、始めから終わりまでの役割分担も自分達で決めてあります。ゴミ袋の周りが汚れることもありません。ゴミが落ちていると各人が拾います。後始末もスムーズで、家庭科室が使い始めよりも綺麗になって終了しました。当然、それぞれの作り方や道具の置き場所を私に聞きに来る子は、一人もいません。会計報告を既に出しているグループが半数以上でした。(これまでにはないことでした。)

 「先生、暇そうですね!」「うん、皆楽しそうですね。」「はい!」教室の隅に座っている私に、時々話しかけてくれます。またしばらくすると「先生差し入れです。」それぞれが試食用に完成品を持ってきます。「旨いもんじゃ!(もんじゃ焼き)」「パティシエもびっくり!」等と、作品名と評価を黒板に書いていきます。そして途中で、「先生のお腹、閉店!」と書きました。当日私がしたことは、「ガスの元栓を開ける、包丁の入っている箱を開ける、座っている、食べる、雑談をする、最後に元栓・鍵を閉める」これだけでした。約110分間の実習でしたが、100分は、座って食べていました。これで全体の把握はできました。しかし、1学期はこうではありませんでした。トラブル続出で、皆と問題を整理していきました。頭の中が混乱している子がいると、トラブルが生じることが多いように感じます。そして子ども同士だとなかなか混乱した頭の中を整理することはできませんでした。此処が教師出番の1つでした。ただし1対1対応ではなく、全体の問題として整理していきました。次第に、子ども同士でも整理し合うことができるようになり、教師がしゃしゃり出ることは既にありません。

 こんなことを振り返りながら、子ども達の様子を楽しく観ていました。』

 来年大学院に入学予定の人と、計画している研究があります。それは、西川研究室OBを中心とした人の授業を丹念に分析することによって、我々の考える授業の姿を明らかにしたいと思っています。おそらく、一見、バラバラに見えるかも知れませんが、その中には一本背骨が入っていると思います。 それは、子どもの有能性を信るという背骨です。その背骨から、その人その人の個性にあった多様な授業が生まれます。先のメールを送ってくれたOBの授業も分析し、そのOBの実践のエッセンスを明らかにしたいと思います。

05/03/12(土)

[]ADSL 09:13 ADSL - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ADSL - 西川純のメモ ADSL - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今月の10日より我が家にADSLが入りました。いわゆるブロードバンド導入としては、私の周りの人の中では早い部類ではありません。なにしろ、10年前はコンピュータ音痴(正確には無知)だった、あのT先生も1年前ほどに導入したのですから。光通信も考えたのですが、私は官舎の集合住宅に住んでいるため、おそらく工事をするとなると、お役所仕事の壁にぶち当たるだろうことは予想がつきます。とりあえずはということでADSLにしました(ちなみに収容局より1.4kmです)。導入してからびっくりです。たしかに速度が速い。ひどいときには1時間弱かかるウイルス対策ソフトの更新ソフトが数十秒でダウンロードできます。それに常時接続なので、料金を気にせずに使えるのが精神衛生上うれしい。次の課題はIP電話とメッセンジャーを使ったテレビ電話です。現在、研究中です。

[]二日酔いにならない方法 09:13 二日酔いにならない方法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 二日酔いにならない方法 - 西川純のメモ 二日酔いにならない方法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は30歳で急性アルコール性肝障害になったほどの酒好きです。20歳ぐらいから、日に7合は1年365日飲み、多いときは1升半は飲んでいました。そのため、酒を飲んでからの馬鹿話を書いたら、本が数冊は書けます。しかし、この数年、二日酔いにならない「いい方法だ」と思っていて実践している方法があります。

 第一は、急いで飲まない。これは、学生時代から実践したことです。おそらく、私の飲むスピードはかなり早いほうだと思います。ここで言う「急いで」とは、「一気」をやらないということです。人それぞれにはペースがあります。そのペースを守っていると、自分の適量を超えると、酒がまずくなります。それゆで飲み過ぎがなくなります。ちなみに、これが守れなくなるのは、学生さんから「先生飲んでください」と私酔わそうと急いで飲まそうとするときです。西川研究室OBならご存じの通り、私の対応は断ります。しかし、それでも強要すると「いいよ、君と同じだけは飲むよ」と言います。結局、その結果はどうなるかOBはわかりますよね。現メンバーは、西川に酒を強要してはいけません。ちなみに、私は酒を勧めることはありますが、断られた場合、強要することはありません。

 第二のポイントが最近わかったことです。それは、水をいっぱい飲むことです。飲んでいる途中でも、飲んだ後も水を多く飲むと、トイレに行ってション便が多くなります。その成果、翌日はさっぱりと起きられます。いい方法です。本日も、いっぱい飲みました。

05/03/08(火)

[]金魚の飼い方 09:17 金魚の飼い方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 金魚の飼い方 - 西川純のメモ 金魚の飼い方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は2年生の学年ゼミです。その最後に、色々な話をして、最後に「他のメンバーのことを心にとめて欲しい。そのためには、研究室にいて欲しい」と語りました。ただし、そこでとめておくと、「研究室にいる」という方法のレベルに止まり、「どれだけいればいいか」という低レベルな発想に繋がるので、以下のような話をしました。

 私の指導教官は小林学先生です。かっては文部科学省(当時は文部省)の教科調査官で、私が中高で学んだ理科のカリキュラムを作成する際、中心的な役割を果たした方です。教科調査官という仕事柄、日本全国の色々な学校に行く機会を持ちました。小林先生によれば、どんな学校に行っても、その学校の理科室に行き、そこに生き物(特に水槽で飼っている水生生物)を飼っているかどうかを見るそうです。それを見ると、その学校の理科の先生の力が直ぐに分かるそうです。理科室の様子の殆どは、直前になんとかすれば何とか出来るものです。文部省の教科調査官が来るということで、あわてて整理整頓する人もいます。でも、生き物は別です。あわてて整理整頓する人だと、水槽にまで気が回りません。また、気が回っても、水槽の水草・コケの様子をみれば、やっつけ仕事か否かはすぐに分かります。小林先生は、その話をされたあと、私にどうやったら「金魚を殺さずに飼えるか?」と質問されました。皆さんは金魚の飼い方のポイントは何か、ご存じですか?

 同じように、2年生に質問しました。矢面に立ったYは「水槽をきれいにしたり、餌をこまめにやったり」というような返答をしました(私もそのように答えたように思います)。そこで、Yに以下のように言いました。

 そんなこと続けられるの?それに、そんなこと頻繁にやったらどうなる。例えば、毎日毎日、Yの頭を撫でてたり抱擁したりして、「頑張ろうね!」て言ったら?毎日毎日、Yがどれだけ研究をやっているかをテストして、それに対応した指導をことこまかにやったら?それでいいと思う?

 Yはほほえみと共に、否定しました。

 小林先生がおっしゃったのは「毎日、水槽をのぞく」ということです。

 水槽の生き物を飼った人なら分かると思いますが、毎日毎日、餌をやったらば、水槽の水は濁ります。本当は、餌をやらなくても成り立つようなシステムを成立させることが大事です。それが成り立てば、餌をやる必要は殆どありません。金魚が出す糞は分解され、それを栄養として水草やコケが生えます。そのコケを金魚が食べるため、水槽はコケで濁ることはありません。結果として、水槽を掃除することは殆どありません。水槽の環境が悪化するのは、過剰に餌をやったり、過剰に日を当てたりするためです。それでは 金魚を飼っている人は何をすればいいかといえば、「毎日、水槽をのぞく」ということです。毎日水槽をのぞけば、水槽の変化に気づきます。その変化を見れば、別に特別の学習をしなくても、どうやればいいかは常識の範囲内で解決できることばかりです。つまり、金魚の飼い方は、とてつもなく簡単なんです。ところが、多くの学校では、それが出来ません。何故かと言えば「毎日」水槽をのぞいていないからです。そのため、毎日のぞけば気づく変化を見逃し、問題が大きくなり、結果として水槽全体の生き物を殺すことになります。では、何で水槽を毎日のぞけないのでしょうか?その理由は、水槽の中の生き物を心にとめていないからです。

 私が西川研究室のメンバーに求めるのは、他のメンバーのことを心にとめて欲しい」というこです。その理由は、それがなければ自分自身の自己実現はあり得ないからです。もし、他のメンバーのことを心にとめるならば、「どうなっているかな~」と思うはずです。そう思っていれば、それを見に行き、話したいと思うはずです。結果として、各人の無理のない範囲で「毎日」モニターしたいと思うはずです。それが「毎日」であるか否かは重要ではありません。また、それが1分であるか、1時間であるか、半日であるかも重要ではありません。「どうなっているかな~」という心が大事なんです。それがありさえすれば、あとは各人の状況の中で妥当な線が出されるはずです。

 以上のように2年生に語りました。

[]英語 09:17 英語 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 英語 - 西川純のメモ 英語 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 家には英語の絵本があります。その本は英語で書かれており、CDがついていて朗読するものです。今日の夜、息子がそれをじっと見ていました。そこで、英語を読み聞かせてみました。息子はじっと聞いて、真面目に絵本の英語に集中しています。親ばかの私は、「こりゃ、私が苦労した英語に興味を持つかも知れない」と思いました。でも直ぐに、「もし、英語が得意になって国際的に活躍し、日本にいなくなったらどうしよう・・」と思いました。ある先生が田舎の学校で勤めている時、父母から「先生、そんなに勉強教えなくてもいい。勉強が出来ると、都会に行ってしまう。勉強を教えないで欲しい」と言われたそうです。でも、その気持ちが分かります。

 東大に入学すれば幸せになるでしょうか?医学部に入学して幸せになるでしょうか?国際的に活躍すれば幸せになるでしょうか?ナンセンスです。本当の幸せは、ごくごく普通の生活が出来ることです。具体的には「家族仲良く、健康で」に集約されます。

 学校教育は公教育であり、社会が求める人材を養成することを目的としています。そのため、一定のモデルを子ども達に植え付けます。でも、そのモデルに本人、および、親が踊る必要性はないように思います。

 生物の進化には「超正常」というものがあります。具体的にはサーベルタイガーの牙があります。肉食動物にとっては牙は武器です。しかし、それが行き過ぎれば、本来の目的にハズレ不利に働きます。本来の進化が正常に働けば、妥当なレベルの牙の大きさに収まります。しかし、生存競争の正常な圧力以外の力が 異常に働くと、生存競争に反する進化が起こります。勉強が出来ることは本人の有利に働きます。でも、それが行き過ぎれば、本人の幸せに繋がりません。私の近くにもそんな事例は少なくありません。中卒より高卒の方が有利に働き、高卒より大卒の方が有利に働き(本当かな~・・)という考えの基に、単純に大学院に進みます。修士レベルならば有利に働く部分もありますが、博士レベルの場合、それが有利に働く場合も、不利も働く場合もあります。それを見極めずに単純に高学歴を突き進み、それによって悲惨な状態になった人を いっぱい知っています。

 息子は自分の未来を考えられるように育って欲しいと思います。そのためには、親が何が幸せか、ということに関してプロトタイプに縛られないようにしなければと思います。

[]研究者 09:17 研究者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究者 - 西川純のメモ 研究者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は絶対に学卒の学生を博士課程の学生として受け入れるつもりはありません。その理由は、ホームページに明記しているように、その人の将来に責任を負えないからです。でも、それだけではなく、そのような学生さんを好きになれる自信がないからです。そのような学生さんに「あなたは教師になりたいと思わないの?」と聞きたい。もし、その学生さんが否定したならば、「だったら、そんなあなたが教師になりたいという学生さんに何を語るの?」と聞きたい。教育と教育学は違います。それは犯罪と犯罪学に違いがあるようなものです。犯罪学の研究者になるために犯罪をしなければならないわけではなりません。犯罪者になるための基礎として犯罪学があるのでもありません。しかし、私は教育者に資するための教育学を目指しており、教育という現象を学問とした教育学を目指しているのではありません。だから、私の研究室において「教師になりたいと思わない」人を博士課程に迎えたいとは思いません。

 私は大学院(修士課程)の指導教官に小林先生を選びました。小林先生からは断られました。でも、断られても、断られてもお願いしました。最後に、小林先生は色々な条件を課した上で、やっと研究室に受け入れてくれました。別な先生からは、是非 自分の研究室に入るように勧められていたのにも関わらず、絶対に小林先生につきたいと思った理由は、小林先生の講義が「良い授業」だったからです。どんな学識も、どんな肩書きがあったとしても、自分が教師となった時のモデルにならない講義をする人の研究室には入りたくなかった。私は教育学とは、良い教師、良い授業のための学問であると、「単純」に信じていました。

 大学院を修了する時、研究者の道と教師の道を悩みました。研究の面白さも分かっていました。不遜ながら言います。私は大学院在学中に、私を教えていた大学教師の何人かより多くの研究業績を上げていました。それ故、「あんな人が研究者として生きられるなら、自分だって出来るはずだ」と思いました。でも、小林先生のイメージがありました。小林先生は学校現場の経験がありました。先生の講義には、その香りがそこかしこに感じました。私は単純に小林先生のような教師になりたいと思いました。そして、学校現場を経験しないで研究者となった場合、私としては納得できない研究者になるのでは、と感じました。もともと教師になりたいと思っていた私は、「教師になろう!もし、私が研究者の道があっているならば、巧まずにも自然になるはずだ。将来の姿は自ずと定まる」と思いました。

 高校教師になって、最初は大変でした。給料をもらうのが、こんなに大変なことかと思いました。いっぱい失敗しましたし、やけ酒を浸る日々を過ごしました。でも、次第に心に中で教師の人生の魅力が大きくなってきました。「凄く大変だけど、このような教師の人生で一生を 暮らすのはいいな~」と心を決めました。そんな時に研究者の話が来ました。私としては「何が何でもなりたい」という気持ちは「全く」ありません。間に入ってくれた小林先生には「お世話になった先生方に不義理するぐらいなら、この話は進めたくない」と言いました。私としては、ご縁があれば自然とそうなる、と思いました。結果として、関係者の一同が円満な形で異動することが出来ました。研究者になってからは、数年は泣きました。夜になって酒を飲むたびに、なんで研究者になったんだ、と泣きました。しかし、結局、自分には教師で居続ける能力はなかったと自覚し、諦めました。

 私は小中高の教師を尊敬し、あこがれています。その気持ちで大学の先生をやっています。その気持ちで研究をやっています。だから、教師になりたいと思わない人を研究室のメンバーに受け入れたくありません。

05/03/07(月)

[]嬉しかった 09:30 嬉しかった - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 嬉しかった - 西川純のメモ 嬉しかった - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の夜、ある教育雑誌から特集号におけるインタビューの申し込みが電子メールでありました。企画書を読むと、まさに「静かにを言わない授業」、「座りなさいを言わない授業」そのものです。ありがたいお申し出ですので、即、Okを出しました。嬉しかったのは、その特集号を出すきっかけとなり、その特集号の企画書の中に書かれていた、amazonにある「座りなさいを言わない授業」の読者の感想です。そこには、以下のようにありました。

「ほとんどの教育書は、技術ややり方を重視する記述が多いと思います。実際の子供たちを前にしたときについやってみたくなるものばかりです。しかし、子供たちの反応は単発ではいいのですが、継続させることはなかなか難しいのではないでしょうか?この本を読むとクラスでの子供の動きや教師の子供をうけとめる感覚の大切さを改めて感じます。教師になってはじめて教壇に立った時に見つめようとした、そして、最近忘れかけている子供の良さ・有能さを信じることの大切さを読み取ることができます。お薦め目の本です。」

 それを読み、「あの本が心に響いた人がいたんだ~」と思い、思わずウルウルしました。どこのどなたか知りませんが、有り難うございます。あなたのレビューがきっかけで、一つの機会を頂きました。なにより、あなたのレビューのおかけで、私は昨日は嬉しく床につくことが出来ました。

[]移行中 09:30 移行中 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 移行中 - 西川純のメモ 移行中 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 気が変になるほど忙しいのにもかかわらず、メールソフトの移行を行っています。本日、私のメインのコンピュータである大学の研究室のコンピュータにあるメールソフトの移行を終了しました。全ての作業が終わり、メールソフト関係の全てのファイルを削除する際、感慨にふけりました。おそらく、私がずっと使い続けたソフトとしては最長記録だと思います。インターネットが全く分からない状態で、最初に使ったのがメールソフトでした(ネットスケープやIEより前に使っていました)。ご苦労様でした。

 現在、密かに進行しているのが自宅と大学のブロードバンド化です。自宅のノートパソコンでインターネットをやりとりしている時は、電話回線でやりとりしています。その速度は、なんと45kbbsです。過去に、ある院生さんから絵入りの一太郎の文書ファイルを送られた時には、30分間動きませんでした。それ以来、夕方から翌日の朝までは大きなファイルは送らないようお願いしました。ところが、最近はウイルス対策ソフトが問題です。日々刻々現れる、ウイルスに対応するため、頻繁にアップデートの必要があります。その度に巨大なファイルをダウンロードしなければならず、1時間も繋げなければなりません。そのため、電話代がかかります。それがバカバカしくなりました。真面目に調べてみると、ブロードバンドの価格がかなり安くなっていることが分かりました。

 大学のネット環境も悲惨です。大学全体が外部と繋がっている線の太さはいくらぐらいだと思います?なんと3Mなんです。近々、線を太くする予定ですが、それでも100Mなんです。その線に200人以上の職員がぶら下がっているんです。そのため、動画で外部と繋がることは不可能です。私は地元で実践研究を続けている院生さんと動画で繋がりたいと願っています。また、電子メールで繋がっているOBや学外の人とも動画で繋がりたいと思っています。そのために、何とかブロードバンドの契約をしたいと思っています。

追伸 数人の院生さんに動画で繋がる計画を語りましたが、なかなか話に乗ってくれません。電子メールで「期待しているよ」より、私の表情と声で「期待しているよ」と言われる方が、ずっとプレッシャーがかかるためなんでしょうね。でも、それも動画の利点の一つです。

05/03/06(日)

[]基本が大事 09:32 基本が大事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 基本が大事 - 西川純のメモ 基本が大事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 色々研究していますけど、結局、「子どもは有能」という言葉に集約される我々の考え方の周りをぐるぐる回っているようです。どんな研究をしても、結局、そこに戻ります。単純に考えれば、「だったら、やるいみないじゃん」というところですが、そうでもありません。同じ言葉を言ったとしても、その言葉の意味することが違います。5年前に「子どもは有能だ」と我々が言ったことと、今、我々が「子どもが有能だ」と言う言葉は違うし、そして、10年後に我々が「子どもが有能だ」と言う言葉は違うでしょう。そのために今も研究しているのだと思います。

 今年、心に刻んだのは、「目標は大事」、「目標は集団全体に語るべき」、「問題を解決するのは子ども集団」という、西川研究室としてはとてつもなく当たり前のことです。そんなことが出来なかった自分を恥じると同時に、何故、それが出来なかったかが分かります。そのことによって、我々の主張を受け入れられない人の気持ちが分かります。教師が日々悩むこと、それはなんでしょう?それを解決するには、結局、我々の基本に戻らなければ解決できません。ところが、我々の基本に対して、「それでは解決できない」と否定する人がいます。その理由が分かりました、だって、自分もそうでしたから。

 理由の第一は、問題の原因を「個人」に帰している。つまり、「あの子がいるからダメなんだ~」という理由付けです。我々が「その子をなんとかするのは、教師は無理。それを解決する集団をつくらねば」と言っても、「その子はどうにもならない!」と否定します。たしかに、その子はどうにもならないかもしれません。でも、そう考えて何が起こるでしょう。冷静に「その子はどうにもならない!」という言葉を分析すれば、自己憐憫に過ぎません。結局、「だから、私はやれるだけのことをやった」と自分で納得したいだけに過ぎません。だから、それを解決する別な方法がある、という我々の提案は、「もう十分だ、私は休みたい」という気持ちに反するので、拒絶します。ちなみに、「社会の問題だから!」という理由付けも、同じです。結局、ふんばって何とかしよう、ということを放棄しているに過ぎません。

 善意の教師は、踏ん張って「個人」に立ち向かっていきます。テレビ番組の「良い」教師の場合は、それで解決できます。でも、実際は無理です。結局、体と心と家庭をボロボロにしてしまいます。でも、多くの教師は、無意識のうちに上記のように合理化してしまうのだと思います。解決するすべがないなら、上記の合理化は、健全です。でも、もう一つの解決方法があります。たしかに、解決できないかもしれない。でも、自分一人で解決するのではなく、子ども達の力で解決できる。そう信じられるのは、「子どもは有能だ」という確信です。それが出来ないとしたら、それは「子どもは有能だ」という言葉の底の浅さを示すものです。同時に、「私はやれるだけのことはやった。もう十分だ、私は休みたい」という自己憐憫に安らぎを見出したい弱い自分に根ざすものです。

 私は、幸せになりたい。自分の人生を納得したい。そのためには、家族との幸せと、教師としての仕事を共に成り立たせたい。だから、どんなに自己憐憫にひたりたくとも、「子どもが有能だ」と信じることによって、踏ん張りたい、と思い、基本に戻りました。こんなこと、メモにも書きましたし、本にも書きました。でも、その言葉の意味の深さを知るこのごろです。そして、「やはり我々の考えは正しい」と再確認しました。

[]親孝行 09:32 親孝行 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 親孝行 - 西川純のメモ 親孝行 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 子どもが生まれた時、「生まれてから3年間で一生分の親孝行をしてくれる。」と聞きました。この言葉の主旨は、 「子どもは3歳までに喜びをいっぱい与えてくれて、その親孝行で残りの子育ての時の苦労を乗り越えられる」という内容です。でも、私は嘘だと思います。現在、息子は4歳で、もうしばらくすると5歳です。でも、今でも親孝行です。

 1、2歳の時の息子のかわいさは、凄いものです。でも、今分析すれば、ホモサピエンスの本能に根ざすものが多いように思います。つまり、「息子」というキャラクターに根ざすと言うより、「ホモサピエンス」がもっている小さい子どもが親に母性・父性本能を触発するためにプログラムされたものが多かったように思います。でも、年齢が進むにつれて、「彼」のキャラクターが多くなっているようです。本来だったら、「可愛い」と判断されるようなものでもなく、一般的な子どもの反応とは違った、彼独自の言動が心を動かします。その度に、「生まれてくれて有り難う」と感謝します。

 このペースで行くと、小憎らしくなる小学校高学年、中憎らしくなる高校生、大憎らしくなる大人になっても親孝行をしてくれそうです。

追伸 本日はスキー場の横のキッズスペースでソリ滑りで家族で遊びました。楽しかった。

05/03/05(土)

[]メールソフト 09:33 メールソフト - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - メールソフト - 西川純のメモ メールソフト - 西川純のメモ のブックマークコメント

 死にそうに忙しい中ですが、よりによって「この時期」にメールソフトを換えました。私が最初に電子メールを使い始めたのは1994年の11月16日です。その当時一緒に科学研究費の仕事をやっていた友人から、「電子メールをやってもらわないと仕事にならない!」と脅され、いやいやながら始めました。その当時は、「急ぎだったら電話でいいじゃない。そうでなかったら郵便でいいじゃない。しゃべれば直ぐに終わることを、なんでキーボードで打たねばならないんだ!」と反論しました。未だに電子メールを嫌がっている人と同じような理由付けで、抵抗したのですが、押し切られて使い始めました。しかし、使い始めると直ぐに、その便利さが分かります。その最大のものは、自分の仕事のペースも、相手の仕事のペースも乱さずに、連絡を速やかに取る方法として最適だということです。また、電話ーの連絡の場合、「お天気」の話を含まれ、本題の話以外に時間を取られます。しかし、電子メールですと、本題に直ぐに入ります。そのため、電話で話すより、キーボードに打ち込む方が実際は短く用件を済ませます。ファイルの転送も可能です。記録が残ります。等々の利点があり、今では使いまくっています。今では、電話は1日不通になっても仕事に支障はないが、電子メールが1日不通になると仕事になりません。

 今まで使っていたメールソフトはその時から使っているので、10年以上使っていることになります。保存されたメールの総数は35万件です。おおよそ、1日当たり100件ぐらい、保存するに足るメールがあったということです。実感としてあっています。しかし、それだけの量になってくると、現状のソフトでは限界が来ました。そこで、思い切って移行することとしました。使い始めてみると、新しいソフトは「実にいい~」という感じです。ユーザーの先輩であるKさんのご指導の基、なんとか動かしています。しかし、35万件のメールを移行するのは大変です。

05/03/01(火)

[]握手 09:34 握手 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 握手 - 西川純のメモ 握手 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、大学の売店で本を立ち読みしていたら学部1年生(超猛者(04.10.20)参照)がニコニコして来ました。開口一番、「先生、学習過程臨床に入れます。」と言ってきました。「良かったね」と私は握手しました。

 上越教育大学では2年に進級する際に、コース・分野の配属が決まります。国語・算数・理科等の高校までに学んだ教科の名前を冠したコース、また、心理学のように一般に知られている学問の名前を冠したコースと異なり、学習過程臨床コースは入学当初の学生さんには分かりません。そのため、入学当初のアンケートでの人気は最下位レベルです。そのままでは、最下位レベルのままで、その結果として、別なコースを希望したが入れず、そのため入るコースになります(そしてなっていました)。しかし、私はちゃんと説明すれば、希望する学生さんは激増すると確信を持っています。そして、去年においてそれを実証しました(官軍3(03.11.14)参照)。

 今年度からコース・分野の受け入れ上限の制限が軽減されたため、人気のないコースは希望者無しとなり、そのため学生さんが一人も居ないということになります。どう考えても、コース・分野にとって望ましいことではありません。そこで、今年も自らかって出てコース説明会の説明役をかって出ました。不遜ながら 、かっては暴走族やオール1の子どもたちを教え授業を成立させ、現在は全国各地から講演を頼まれている私にとって、マイクを使ってぼそぼそ講義をするような大学教員は敵ではありません。今年も希望者は激増しました。その結果として超猛者の学生さんは不安を持つようになりました。でも、1年生の時代から、学びたいことをはっきり持っている彼女は、必ず入るだろうと私自身は確信していました。西川研究室は確信犯によって成り立っている研究室です。確信犯の望みが叶ったということは西川研究室にとっても喜ばしいことです。

 という理由もありますが。とにかく、望みが叶った人と、そのことで握手することは教師の喜びです。