西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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05/02/28(月)

[]ルール 09:35 ルール - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ルール - 西川純のメモ ルール - 西川純のメモ のブックマークコメント

先日の日曜日にKさんの博士候補認定試験というのを上越で行いました。博士候補認定試験というのは、「博士論文を書くに値する能力がある」と認定するための試験です。そのためには、一定量以上の業績が必要なのはもちろんですが、試験官になるれる有資格者のの前で口頭発表をしなければなりません。昨日はそれがありました。その中で特に面白かったのは、ルールの発生です。

 Kさんが例示している場面は、コイルを工夫することによって磁力がどう変わるかを実験している場面です。子どもたちは牧数を増やすなどによって磁力を強めようとします。その磁力の力をはかる方法として、クリップ等をくっつける量で量っています。しかし、「くっついた」という条件や、どのような状態のクリップを使うかという条件が、各班ごとによってまちまちです。しばらくすると、その事に由来して、班毎に結果のブレが生じ、その事によって班毎に議論が始まります。その議論が終わった後に、ある子が「公式ルール」なるものを提案します。そこでは、どのようなときに「くっついた」と判断するかに関して、明確な規準です。それをクラス全員に可視化します。そのとたんに、先の議論に参加していない他の班も公式ルールを使い始めます。直ぐに、公式ルールがルールとして位置付き、それを前提として議論がなされるようになりました。

 ふと思いました。やはり、教師が方法レベルのルールを設定しない方がいいな~、と。問題を問題として認識させ、それを解決する方法を求める方がいいと。

[]愛 09:35 愛 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 愛 - 西川純のメモ 愛 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、息子と家内は風邪とインフルエンザです。頭がパンクしそうになるほど、忙しい。それにもかかわらず、色々なことが起こる。そんな中で、ふと考えました。

 人はパンのみに生きるにあらず、と言います。でも、パンがなければ生きていけません。もし、飢え死にしても心の平安がれば、という教えならば私はついていけません。逆に、思いっきりパンが食べられれば、心の平安が無くても良い、という教えも私もついていけません。心の平安とはなんでしょうか、私は他者との関係のように思えます。修道院で他者との関係を絶つことによって得られる平安は不自然です。もし、そんなことで平安を得られるならば、きっと、「神様」は人間をそのようにつくられたように、私は思います。

 我々は個人としての欲望があります。同時に、他者との関係も必要とするようにホモサピエンスはプログラムされます。ところが、一方が暴走すると、他方に矛盾が生じます。いままでの道徳論が強調する個人の欲望の暴走と同様に、他者との関係の暴走も問題です。個人の欲望を永続的に満たすためにも、他者との関係を永続的に満たすためにも、両者の暴走を押しとどめ、両者の関係を維持する英知が必要に思います。それが「愛」だと思います。愛を滅私奉公や、完全自己犠牲のようにとらえるのはおかしいと思います。そんなことが永続的に続くわけはない。

 教室でも同じです。個々の学習者の欲望が暴走する姿とはどんな姿でしょう。例えば、己の合格のみを考えている集団で構成されている予備校の教室かも知れません。たしかに短期間なら成り立つでしょう。でも、そんな教室が1年、2年と続くわけはない。少なくとも、それに耐えられる人は、多くはないと思います。逆に、他者のことばかり思いやっている予備校の姿(ありえませんが)も短期間なら成り立つでしょうか永続的に成り立つとは思えません。

 多くの学習者(もちろん私も)は、己の欲望には敏感です。しかし、他者との関係を忘れがちです。また、他者を極めて狭い範囲内に捉えがちです。教師としては、短期間で評価すると両者が矛盾するように思えたとしても、長期間では矛盾しないことをしつこく語るべきだと思いました。

 本日、ある人(ゼミ生以外)と話しました。その人は、自分の悩みを語り、私は、「その人」の視点で提案をしました。でも、自分の提案に明るい展望を感じられません。自分自身が納得できない提案しかできないことに不満を感じましたが、何故なのかが分かりませんでした。しかし、今、思い返すと、分かります。その人の視点は「自分」の視点にとどまっており、自分の幸せ、自分の研究、自分の事情しかなく、自分と周りの人の視点が欠けていました。結局、周りの人の援助が期待できないのです。私の出来ることは限られており、結果として、その人個人が「一人」で立ち向かわなければならないことが分かっているので、私自身が「納得」できなかったんです。

 上記に矛盾するかも知れませんが、私の狭い群れであるゼミ生に対して、個人と集団との矛盾関係をバランスをとりながら維持することが、結局、永続的な幸せに繋がることを、しつこく、なが~く、そして自分に言い聞かせるように、愛を持って語りたいと思います。このことは親子の関係、友人の関係、師弟の関係、夫婦の関係・・・・、全部同じだと思います。

05/02/24(木)

[]よかった 09:37 よかった - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - よかった - 西川純のメモ よかった - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日はゼミの皆さんといっぱい話しました。その結果、今月16日のメモ「勤務に関して」で示したルールを取り下げることが出来ました。よかった。

 以前から私が課している条件は、第一に、他のメンバーと仲良くできることです。第二は、教師という仕事に憧れと誇りを持って欲しいことです。でも、本当に求めているのは、西川研究室が求めていること、そして得られることに関して「惚れて欲しい」ということにつきます。それさえ成り立ちさえすれば、第一の条件は自然と成り立ちます。第二の条件ですが、実はそれに反する学生さん、院生さんを受け入れたことはあります。教職を希望しないある学生さんが、西川研究室に入るために「教師になりたい」と嘘を言った人もいます(後から、先輩からそういわないと入れない、と言われたと言っていました)。別な学生さんは、教師にはなりたくないが、でも、どうしても入りたいと正直に言いました。いずれの学生さんも受け入れ、卒業させました。何故なら同志になれる人だと思ったからです。

 それでは何故、今回、馬鹿げたルールを設けたか?それは、戸北・西川研究室から西川研究室になることによって、所帯が小さくなりました。その結果として、多種多様なメンバーを受け入れるためには、メンバー全員が今以上に他のメンバーを思いやる必要性が高まったからです。私自身は、その変化に気づいたのは昨年です。そして、それをはっきり思い知らされたのは昨年の11月後半からです。それ以来、やんわりと目標の再設定をしつづけました(過去のメモをみれば、それが分かると思いますよ)。なぜ「やんわり」とやり続けたかと言えば、「叱れない」というメモに書いたことを予想したからです。私自身が求めたことは、「他のメンバーを思いやる必要性」、「いないことによって生じる不都合」です。しかし、やんわりとでは「無邪気に問題がないと思っている」状態を改善できませんでした。私はあらゆる場面で「学習者を信じること」の重要性を述べていながら、信じ切れなかったからはっきりと言えませんでした。しかし、はっきりと分かってもらわなければならないと思い、傷つく人がいることを理解し、それによって私が失う物が大きいことを覚悟し、あえて馬鹿げたルールを設定し、真剣に考えてもらいたいと思いました。本日、M1、来年M1になる4年生、3年生を集めて、ちゃんと話しました。つまり、「多様なメンバーを受け入れるためには、一人一人が西川研究室の目標でに照らした行動をしなければならない。具体的には、高い志を維持し、集団の意味を考え、他のメンバーを思いやり、自分が居ないことによって生じる不都合を意識して欲しい。それをどうやるかを考えて欲しい」ということです。そして、「それが出来なければ、馬鹿げたルールを課し、「来る者は拒まず、去る者は追わず」という路線を維持できない。どちらにするかを判断して欲しい。」と判断を求めました。その結果として、馬鹿げたルールを取り下げることが出来ました。

 西川研究室は自由な研究室です。でも、それは「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」という目標に共感できる人に対してのみに成り立つことです。「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」という目標に共感できる人ならば、多様なメンバーが多様な関わり方で他のメンバーと繋がることが出来ます。それが出来れば、全員が高い達成度に至ることが出来ます。そうであるならば、研究の場である大学・大学院は、それ以外の世界では考えられない自由が与えられます。でも、逆に言えば、それが許されるのは高い達成度を維持できた場合であり、それが成り立つためには、集団の力が必要です。本当の自己実現をするためには、個ではなりたちません。個が自己実現のために、個の自由意志によって、集団を形成する、それが我々の考える「学び合い」です。

 西川研究室は自由な研究室です。しかし、「自分の心に響き、自らを高める」ことを目的とする人には不自由な研究室だと思います。ましてや修了・卒業することを目的とする人には理不尽な研究室だと思います。たしかに私も含めて、「自分の心に響き、自らを高める」のレベルが正直なレベルでしょう。でも、それで達成できるレベルはたかが知れています。そのことは過去の実績が証明するところです。「勤務に関して」で示した馬鹿げたルールは取り下げるとしても、「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」という目標は変わりなく掲げます。

追伸 上記の目標の再設定は、おそらく、今日が最後ではなく、今日からだと思っています。特に、色々な背景を伝えきれなかった3年生と、本日いなかった2年生には何度もやる必要性があると思っています。

[]叱られたこと 09:37 叱られたこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 叱られたこと - 西川純のメモ 叱られたこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 メンバーと話し合った時、色々な人からお叱りをうけました。第一は、今回のことのような波及効果が大きいことに関して、いきなりメモで不特定多数に可視化する前に、メンバーにちゃんと話して欲しい、と言われました。私は、「だって、それをしたくたって、みんないないんだもん」と反論しましたが、本当は皆さんの言っていることは正しいことは分かっているんです。みんないなけれりゃ、本日やったようにちゃんと「集合」 の号令をかければ良いだけのことです。そして、その場で全員にちゃんと語ればいいことです。昨年一年で、心に刻みつけたのは「目標の設定は、出来るだけ多くのメンバーを前にして、ちゃんと語るべきだ」という、西川研究室としてはとてつもない当たり前のことです。

 二番目に言われたことは、目標の設定が終わった後、メンバーが話し合う場面にいて欲しい、ということです。私がいないほうが良い理由として、「私がいると話づらい」ことを述べました。しかし、皆さんが「私がいても大丈夫だ、いて欲しい」と言われたので居ました。でも、本当はもう一つ理由があるんです。それは、教師が分かりすぎると、ろくなことがない、ということです。教師になりたいという人は、我々が教師に求めるような間合い以上に近づきたがる傾向があります。そして、関わりたいと願います。でも、関わっても本質的な解決にならず、結局、学習者集団がその気になって、学習者集団が解決しない限り問題は解決しません。ところが、間合いが近すぎると、知ってしまい、そして、自分で解決しようとしてしまうんです。私も教師になりたいと願った人間です。知れば介入してしまいます。もちろん、私が方法レベルに介入しても、それを無視できるぐらいまで皆さんが成熟できているなら、 安心して介入できるんです。でも、それはまだではないでしょうか?だから、インプットとアウトプットが見える抑えるにとどめ、その過程はブラックボックスぐらいが、いいのではと思います。しかし、それが間違っていれば、それを指摘してくださいね。

[]疑問に応えて 09:37 疑問に応えて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 疑問に応えて - 西川純のメモ 疑問に応えて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある方の疑問に応えました(答えましたではありません)。大事だと思うので、可視化します。 

 「結果の責任は教師と学習者のいずれにあるか」という疑問です。私は、「教師は子どもの人生に関して責任は取れない、だから子どもの自己判断・自己責任を重視すべきだ」と色々なところに書きました。それゆえ、「結果の責任は学習者 に第一義的にある」と捉えられるかも知れません。しかし、違います。教師も子どもも責任を負っているんですが、その責任は異質であり、足したり引いたりできないものだと思います。だから、とっちが責任が重いなんてナンセンスなことだと思います。だって、 両者は異質故に比較できないんですから。例えば、学習の結果として子どもの人生が望ましくない方向に行ったとして、その子の人生はその子しか背負えません。それを自覚して、人任せにならず判断することが子どもには必要なんです。逆に、どんなに凄い学級であっても、どんなに凄いキャラクターの子どもが居たとしても、そのクラスを結果は教師は背負わなくてはなりません。「だって、あのクラスは・・」と言い訳できません。教師も子どもも、それぞれ異質な責任を、それぞれが全て担っているんです。だから、「全て責任は教師」とも言えますし、「全て責任は子ども」とも言えます。そして、「責任は教師と子ども の両方」とも言えます。しかし、同じような種類の責任を分担していると考えると、どっちがどれだけ、というような低レベルの議論になるように思います。それぞれが全てを担っていると覚悟を持つことが大事だと思います。だから、教師が子どもに対して「全ては君の責任だよ」ということは大事なことだと思います。でも、だからといって、教師の責任が無くなるのではなく、子どもが担えない責任を全て担わなければならないのが教師です。だから、給料をもらっているんだと思います。

 もう一つの疑問は、「指導者の決定に逆らうことは出来ない」ということです。たしかに、そうでしょう。目標の設定は、教師が担わなければならない責任です。しかし、学習者は指導者の決定を変えることは出来ることを忘れてはいけません。指導者は完全無垢な人間ではなく、愚かな人間です。もし、指導者がそれを自覚していれば、愚かな決定を覆すことを喜んでするはずです。しかし、学習者の意見を聞いた後に最終的な判断は指導者が行います。それは小学校でも、中学校でも、高校でも、大学でも同じです。しかし、その後でさえ、学習者には選択肢があります。それは、その判断を納得するか、しないかという選択肢です。それは、指導者の最終判断に積極的に参加するか、消極的に参加するかという選択肢です。さらに学習臨床コースでは、指導者を選ぶ権利を学習者は留保しています。実は、学習者と指導者はともに権利を持っています。指導者は目標の最終決定をする権利、学習者は指導者を選択する権利です。同時に、義務を持っています、指導者は学習者に納得させる義務、学習者は指導者を選ぶ(途中で変える)ことに生じる結果を受ける義務です。この緊張感があるからこそ、異質ではあっても同等の人権を維持し、良い関係を維持出来るのだと信じています。だから、私は学内政治で常に、学習者の選択の権利を維持する側に立ちます。なぜなら、それが私にとって望ましい環境を維持する条件だからです。

05/02/23(水)

[]教師の幸せ 09:38 教師の幸せ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の幸せ - 西川純のメモ 教師の幸せ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教師が幸せを感じるときはどんなときなんでしょう?今から18年前、私が高校教師だった頃は、私が笑わせたいと思うところで笑わせ、泣かせたいところで泣かせ、しーんとならせたいときにしーんとさせることが出来た時でした。成績では最底辺で、暴走族も多数含む子ども集団を自由自在に操れる自分の姿を、テレビの教師ドラマの主人公に重ね合わせた時もあります。理科教師だった私は、過去の文献を読みながら一般には知られていない面白実験を探し出し、それを実験しました。子ども達には大受けです。そんなことを喜んでいました。でも今は違います。

 そんなことで喜んでいても、そんなことの底の浅さを嫌と言うほど知らされています。私が笑わせ、泣かせ、しーんとさせた子ども集団の中には、私には計り知れないどろどろしたものがよどんでいることを知っています。そして、何よりも、もっと、もっと幸せを感じる瞬間を知っています。それは、子ども達が自分を越えた力を持つことを感じ、彼らに任せられると確信を持てる瞬間です。つまり、「先生!バカなこと言わんでくれ!俺たちがやる!」と言ってくれる時です。そして、自分の予想を遙かに越える成果を、ごく自然の営みの中で上げてくれることを穏やかに感じる時です。つまり、彼らによって笑わせられ、彼らによって泣かせられ、彼らによってしーんとさせられ、彼らによって自分の愚かさを気づかされる時です。この喜びを知った後では、私の高校教師時代だったときの喜びなんてくだらんものです。

05/02/21(月)

[]何で聞くの? 09:39 何で聞くの? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 何で聞くの? - 西川純のメモ 何で聞くの? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は2年生のゼミです。学生さん同士の話し合いは事前にすませており、ポイントとなる疑問に応えるのみだったので短時間で終わりました。昨年末から始まった学年ゼミですが、2ヶ月かけて7冊の西川研究室の本を読破しました。これで一昨年までの 西川研究室の研究成果のレベルに達しました(それ以降は次の本になって出ます)。彼らの議論の質、質問の質から察するに、かなりのレベルに達していることを確信します。ほぼ毎年1冊づつ増えているので、10年後の西川研究室のゼミ生は17冊を読まなければならなくなるのかも知れません。大変ですが、今までの研究成果を組織的に学ぶためには必要なプロセスです。次の課題は、西川研究室の修士論文・卒業論文を一人一人が独自に選び、各自が読み、それを発表することです。この課題の目標 は二つあることを語りました。第一は、本の中で「多くなりました」とか「変化しました」とさらりと一言で書いていることの裏に、どれだけの膨大なデータがあるかを知ってもらうためです。本では、一般の人が読むことを想定しているため、その学術的な理論背景や、詳細な研究方法論、また、データ分析の詳細は省略しています。しかし、そのような学術の裏付けがある実践的な研究であることが、我々の特質です。第二の目標は、人に伝える、ということです。今までは、同じ本を読み、それを議論するものでした。従って、語り合うことに関して、基本的には全員が知っていることです。ところが、それぞれが別々な論文を選んでいるので、互いが読むものが違います。従って、自分の語ることを伝えるのは一層困難となります。伝えるには、それなりの配慮と努力がいります。それを学ぶことを目標としました。それを伝えた後、忙しいので自分の研究室に戻りました。しばらく立ってRが来て、「先生、みんなからの質問ですが、ゼミ一回ごとに別々な論文を題材にすべきでしょうか?それとも、同じ論文を複数のゼミで扱うべきでしょうか?もう一つは、今まで読んだ本に引用してあった論文だけを読むべきなんでしょうか?それとも、それ以外の論文を読んでも良いのでしょうか?」と質問しました。そこで、Rと一緒にあとの学生さんがいる控え室に 戻り、5人を座らせました。そして、大きく息を吸ってから「なんで、そんなこと聞くの?」と言いました。そして、再度、次回のゼミの目標は「さらりと一言で書いていることの裏に、どれだけの膨大なデータがあることを知る」、「人に伝える」の二つであることを述べました。そして、「その目標を達するならば、どうするかは君たちが考えればいい」と伝えました。そして、「もしかしたら、君らが決めたことを私が否定するかも知れない。でも、君たちがちゃんと考えた末に出した結論であれば、それをちゃんと言えばいい。大抵は、「君たちがそう考えたならば、分かった」と言うと思うよ。しかし、君たちが目標に反する方法を考えていたならば議論となる。でも、一番悪いのは、私が否定したとたんにヘナヘナになるのが一番悪い。それは、何も考えていないということだから。」と言いました。彼らが本日手に持っていた本にも「何故そんなこと聞くの?」という言葉は何度も書いています。私は私の手の内をさらすことは大事だと思っているので、ことある毎に書いています。でも、文字で書かれていることを、改めて言われた時に、本当に「何故そんなこと聞くの?」の意味が本当に分かると思います。

 きっと彼らは「何故そんなこと聞くの?」と言われるような質問をしなくなると思います。自分たちでちゃんと考えず質問するとどうなるかは分かったと思います。そして、そうする理由は、みんなに主体的になって欲しいし、それが出来る学習者だと信じている、ということが伝わったと信じています。(5人ともちゃんとこのメモ読んでいるかな~?)

05/02/19(土)

[]忙しい 09:40 忙しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 忙しい - 西川純のメモ 忙しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の講演を終えて、しばらくは講演がありません。ほっとして、今月及び来月までにやらなければならないことをリストアップして愕然としました。本日は、日曜日ですが、やれる仕事をこなしました。でも、まだまだあります。大きな仕事としては、以下の通りです。

 学部担当者としては、「卒業論文を投稿論文にするためのチェック」、「2年、及び、3年の研究テーマの設定」があります。修士課程担当者としては、「修士論文を投稿論文にするためのチェック」、「修士論文の成果を書籍として出版する準備(予算処理を含む)」、「現M1の皆さんの来年度の研究計画の確定」、「戸北西川研究室の学部生に対する修士論文のテーマ設定」があります。博士課程担当者としての仕事としては、「博士課程のプロジェクトに関わる論文の作成・投稿」、「課程博士の人の博士認定試験」、「来年度に論文博士を取得したい人のための準備」、「博士課程の院生に対して、投稿論文を書け、という督促」,、「ある先生を博士課程担当教員とするための準備」があります。そして、研究室主催者としては、「西川研究室全体の研究テーマの検討」、「研究室経営(目標設定及び予算獲得;これが一番ストレスになる)」があります。大学職員としては、「専門職大学院に対しての検討」、「光通信を活用したネットワーク構築」、「中期計画(教務の部分)の評価の報告書作成」、そして、とてもここには書けない仕事があります。学外の仕事としては、「ある学会の編集委員会事務局の仕事(予算処理を含む)」、「ある教師用雑誌の依頼原稿」、「臨床教科教育学会に関わる予算及び渉外」があります。私的なこととしては、「確定申告」、「医者に薬をもらうこと(これだけで半日潰れます)」ことがあります。これだけのことを40日間でやらなければなりません。もちろん、上記以外に平常の細々した仕事があることは言うまでもありません。上記の内、私的なこと以外は、全て西川研究室が成立するために必要なことです。

 西川研究室の皆さんへお願いです。大学職員としての仕事、私的なこと、そして、「ある学会の編集委員会事務局の仕事(予算処理を含む)」、「ある教師用雑誌の依頼原稿」は私がやりますし、私しかできません。でも、それ以外は、皆さんが出来ることですし、否、皆さんに是非やっていただきたいことです。助けてください。具体的には、少なくとも自分がやるべきことは、私の督促無しにやってください。そして、自分が出来るであろうことは、私に頼らず、出来るだけ自主的に行って下さい。お、ね、が、い。期待してます(切実な思いで)。

追伸 今年の博士課程の試験で、Mさん(♂)が合格されました。目出度い!心配している人のために可視化します。同時にMさんも上記を心にとめて動いてね!

05/02/18(金)

[]好きな先生 09:40 好きな先生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 好きな先生 - 西川純のメモ 好きな先生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私には尊敬している先生がいます。その先生は全国に知られた現場実践者の第一人者です。昨日の講演の後、新幹線で隣に座った先生が、教師用雑誌を読んでいました。横目で見るとその先生の書かれた文章です。その先生の文章は頻繁に載っています。私なんぞより、ずっと著名な先生です。それにもかかわらず本日は、私ごときの若輩者にも関わらず、わざわざ「西川先生」と丁重なご挨拶をしていた だきました。色々忙しいにも関わらずです。本当でしたら、「西川さん」でも自然なのにも関わらず・・

 私が座っていながら、その先生の様子をチラチラ見ます。会の途中で先生が中座しました。あれ?と思ったら、先生が重いストーブを運んできました。小柄なその先生が、年長者で偉そうに座っていようとすれば出来るのに、誰かに頼めばいいのに、先生が大きなストーブを運んでいる姿に違和感を感じました。きっと、会場のみんなのことを心遣かっているんですね。

 先生の語る言葉は、本でも、電子メールでも感じるとおり、詩です。しかし、それにおぼれることなく自制がきいています。自分の語る言葉に自己モニターが聞かなくなると、時間を守れなくなります。会で先生は語る言葉は詩です。ところが、先生は詩を語りながらも、会全体をモニターしています。ちゃんと時間を守って語りました。

 私の研究室に来る院生さんに、先生のファンは少なくありません。その人から、先生の授業の印象を聞くと、「あの先生はすごい教科の力がある、でも、それを感じさせずさらりと授業をする」と異口同音に言います。

 先生は、本当のプライドがある人だと思います。本当のプライドがあるから、若輩者にも礼をつくし、長幼の序にかかわらず仕事をする、ロマンを語りながらも自制が出来る、教科の力があるにも関わらずそれを武器としない。先生の姿は教師の理想の姿です。でも、先生のようなレベルに達する人はどれだけいるでしょうか?少なくとも、私には先生のような気品は持てないと思います。

 私は熱心な仏教信者ではありません。せいぜい葬式の時にお世話になるぐらいです。その程度の私ですが、本願他力という言葉を知っています。悟りに至る道には、自力本願のように自らの力で達するご宗旨もあります。先生はそれが出来る方と感じます。先生であれば、先生の語りを通して、個々の子どもの引きつけ、その主体性を引き出すことが出来ます。でも、そんな方はごく少数ではないでしょうか?能力もない、そして、それをやれるだけの時間をついやせるような家庭環境にない、という人が少なくないと思います。そういう大多数の教師は、先生を目指しても無理のように思います。

 私は、自分の能力の自覚し、それ故、別な方向で頑張ろうと思っています。その道とは、子どもに頼ろう、そのために自分を出来るだけ引こうという道です。本日は限られた時間ですが、それを語りました。子どもが、そして、教師が幸せになる道は一つではなく、いくつもあります。私は凡夫の教師が永続的に救われる道を模索しています。

追伸 本日の出張で、しばらくは講演のための出張がありません。家族エネルギーの充電をしようと思います。

05/02/17(木)

[]運転手 09:41 運転手 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 運転手 - 西川純のメモ 運転手 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は埼玉県の伊奈町で講演のため出張です。電車の関係で、だいぶ余裕を持たせて出発しました。そのため大宮をぶらぶらすることが出来ました。息子になにかお土産はないかな~と探し回りました。息子は電車が大好きです。そのため、地方に行った時は、その地方の電車のプラレールかNゲージをお土産にすることが多いです。しかし、埼玉ですと既にE1系の新幹線はあります。また、プラレールが箱いっぱいになっています。そのため、何か他に良いものはないかな~と探しました。そこで思いついたのが運転手の帽子です。最近、息子はプラレール運転手というオモチャにはまっています。そのオモチャはオモチャのブレーキとマスコンを動かすと、テレビの電車が動くというオモチャです。運転している息子は「なりきりたい」ので、運転手の帽子をほしがっていました。そこで、3つの駅前のデパートを巡り、子供服売り場に行き、店員さんに事情を話して、帽子を探しました。店員さんは一生懸命探してくれるのですが、ありません。だめかな~と思った時、あるデパートに学生服を売っている店があることが分かりました。4歳児がかぶれるような学帽があるとは思えなかったのですが、ダメでもともと、で聞いてみました。その結果、息子がかぶれそうな大きさの学帽があることが分かりました。

 家に帰ると、お土産の手提げが息子は気になってしょうがありません。ご飯を食べてから渡すと、大喜びです。少々大きめですが、深くかぶれば、様になっています。本日は、枕元に、その帽子をおいて寝ました。

追伸 明日は筑波大学附属小学校に呼ばれています。ぶらぶらする時間はないので、お土産は無しだと思います。

05/02/16(水)

[]勤務に関して 09:43 勤務に関して - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 勤務に関して - 西川純のメモ 勤務に関して - 西川純のメモ のブックマークコメント

 某大学に勤務する教員のおはなしです。その教員は官舎に住んでいました。台所の窓から駐車場が見えます。あるとき奥さんが「あなたは、なんで毎日、大学に行くの?」と聞いたそうです。「え!????」と思っていると、「だって、○○さんの車も、○○さんの車も、○○さんの車も・・・、一日中、おきっぱなしよ」と言われました。大学の教員は自由がききます。具体的には、裁量勤務制というルールに基づいています。裁量勤務制とは、①勤務時間は1週当たり40時間とするが、割振りは行わず、この時間を勤務したものとみなす、②実際に勤務する時間帯の選択は基本的に本人の判断にゆだねられ、出退勤の管理は行わない、という制度です。だから、大学の教員が10時出勤しても、4時に帰っても法的には全く問題ないんです。でも、それを拡大解釈して、一日中、家にいることが許されるはずありません。ひどい人になると、大学からずっと離れた帰省先に週の殆ど過ごしている人もいます。それらの人は、自分の講義のあるときだけ大学に来るだけです。言うまでもありませんが、裁量勤務制だとしても、自由なのは出退勤の時間の管理であって、出勤しなければならないのは当然です。仮に、必要があって勤務校を離れて勤務するとき(私の場合、講演で出張するなどがあたります)、その所在・理由を勤務先が把握していなければなりません。どう考えても、定常的に週の3、4日、自宅にいること、さらには遠方の帰省先にいることを正当化できる理由なんてあり得ません。従って、上記の例の場合は、明らかに違法です。違法ということはご当人はよ~く分かっていると思います。だからこそ、勤務先に報告していません。

 法的なレベルの問題だけではありません。そんな勤務をしている人の仕事のレベルもたかがしれています。だって、勤務先より自宅の方が仕事が出来る人なんてどれだけいるんでしょうか?例えば、ちゃんと した机があり、インターネット環境が自宅にある人ってどれだけあるでしょうか?自宅に、勤務先の図書館以上の資料をそろえている人ってどれだけあるでしょうか?同僚と相談しないでどれだけの仕事が出来るのでしょうか?さらに、家にいれば家庭の仕事が入ってきます。家にいるにもかかわらず、その仕事をしなくていいという環境の家庭なんてあるでしょうか?結局、そのレベルで「良し」としている志しかないんです。ちなみに、私は自宅に仕事を持ち込みません。理由は、持って帰っても出来ないからです。それが分かっているので、大学で大学の仕事を「ちゃんと」します。第二に、仮に、その人の仕事は完璧に果たせたとして(まあ、その人の志が高かったら達成できるレベルに達するのは無理でしょうが)、集団の仕事を担えるでしょうか?勤務先に出てこない人が職場にいると、周りの人がえらい迷惑をします。いないため、ちょっとした相談・お願いが出来なくなります。結果として、それらは他の人がやらなければなりません。ところが本人は「いない」ので、そんな迷惑をかけていることを気づきません。さらに、公的な会議を設定するのが非常に困難になります。ご当人は当然、自分の都合に基づいて会議の日時を設定します。そんな人が2,3人いると、会議の日時を設定することは全く不可能となります。そんな人が自分が自宅にいる日に会議が設定されると、「家庭の仕事がある」というとてつもない理由をあげ、会議設定者をなじります。本務に不都合がないとき自宅にいるのではなく、自宅にいなくてもいいときに本務を設定するという本末転倒のことを当然の権利として考えているようです。ご当人は、「やることはやっている」とか、当然の権利だ、と主張するでしょう。でも、客観的にそれを支持する第三者(一般社会人)がいると思いますか?

 さて、このような人を管理する学長はどのようにすべきでしょうか?自分の課題に対して、もっと高い志を持つべきだと語るべきでしょう。また、自分だけではなく集団の中の意味を語るべきでしょう?でも、「勤務先に勤務する」という社会人として当然すぎるルールのレベルだったら、それが法の規定だということをちゃんと明示することがまず最初だと思います。

 さて、話を現職院生さんに転じます。派遣院生さんの場合は、勤務地は上越です。大学院が勤務先です(大学敷地内にあっても世帯棟・単身棟ではだめです)。さらに大学の教員のような裁量勤務制はありません。だから、法の規定によれば県の勤務時間に合わせて 大学院にいなければなりません。しかし、このことを厳格に適用するべきだとは私は思いません。そんながちがちでは研究なんかは出来るわけありません。大学の教員も、研究は自由な時間が必要なため、裁量勤務制が認められています。だから、大学院生さんもそれは必要です。そのため、車をおきっぱなしの大学教員と同じ勤務形態の人がいたとしても、結果がOKならばとやかく言いませんでした。しかし、その人の場合は結果がOKだったからです。それらの人は、毎日いなかったとしても、週に1回でいいなんて思っていませんでした。また、いたときに意識的・集中的に集団の仕事を果たしました。残念ながら、裁量勤務制は際限なく拡大解釈 する危険性があります。もう一つ理由があります。学年が十数人でその殆どが平常の勤務の人であった場合、ある人がいなくても、その事に関する負担を周りの人が分担することが出来ます。ところが、所帯が小さくなり、いない人の割合が高くなったとき、その歪みは多くなります。

 最近、来年度に西川研究室を希望する人からの問い合わせがあります。その人にちゃんと上記を明示する必要性を感じています。従って、以下のようにします。平成17年度以降の入学者に対しては、「 その人の教育委員会に報告できないような勤務形式を定常的にしない方を受け入れます。」とします。 法の規定は無いものの、本研究室の目標にてらして、非有職者(具体的には学卒院生)の方の場合も、上記に準じます。当然ですが。 こんなことを改めて書かなきゃならないことを情けなく思います。

 以上は方法レベルです。改めて全メンバーに求めます。出来るだけ高い志(つまり、最大限を費やしたとき、どのレベルのことが自分には可能で、今の自分はどれだけのレベルなのかを自問すること)を持つことを願うのと、 毎日いないということは、相当のことをしない限り周りに歪みが生じることをを恐れて下さい(つまり、人の我が儘を感じたとき、自分の我が儘を自問してください)。 本当の問いかけは、「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」ということは、そんな片手間に出来ることじゃない、ということです。もちろん、私は家庭を犠牲にして研究せよ、なんて馬鹿げたことは求めません。でも、せめて勤務校の同僚にとやかく言われない程度のことを、年間を通してやらなければ、絶対に「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」は出来ません。それだとしても、現在の勤務より遙かに楽なはずだと思います。

 そして、「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」は一人では出来るわけありません。全員がそれを達成できたときに、自分も出来ます。私は「一人の子どもを変えることは出来ないが、全員を変えることは出来る」と思います。我々自身が、集団に目を向けず、また、気にしていないならば、我々が主張していることは何なんでしょうか?

追伸 以上を西川研究室のルールに加えます。このことに関しては1ヶ月以上考えました。18年間の私の大学教員生活の中で必要の無かった、こんなレベルのことをルールとして掲げること自体、私の力量不足なのかも知れません。私が上越教育大学にいる理由は二つだけです。第一に、信頼できるボスがいることです。しかし、これはあと5年もたてば解消されます。第二は、二年間フルに派遣される現職院生さんがいることです。十四条適用の現職院生さんの研究で満足できるなら、私は雪の少ない大都市の大学に直ぐにでも異動します。

 現状の我が研究室は、他研究室に比べれば圧倒的に高いレベルを維持していると感じています。そして、個々人のメンバーが頑張っており、高い達成度を維持していることも疑っていません。我々の研究と同様に、私は犯人捜しをするつもりはありません。問題は場です。その場の変化(具体的にはT先生が副学長に出られた結果として、所帯が小さくなった)の結果として、かっては問題なかったことが問題となり、結果として、かって維持したレベルより低くなっている部分があり、さらに低くなる兆候が見られます。距離をおいている私にも上記のゆがみが目立ちすぎるように感じます。私の大学人としての志は、高く持ち たいと思っています。だから、上越教育大学が大好きです。

[]教師のエネルギー 09:43 教師のエネルギー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師のエネルギー - 西川純のメモ 教師のエネルギー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、新たなメンバー(学部2年生)の歓迎コンパです。学部3年生が汗をかいて、一生懸命準備をしました。大学の中で、3年生の準備した鍋を囲んでワイワイやりました。ごちゃごちゃ・わいわいしている彼らを見ていると元気になります。

 本日はある先生から以下のようなメールを頂きました。残念ながら研究室のメンバーには、まだ技術・家庭科の先生は一人もいません。でも、メールを読んで、我々の主張してることは全ての教科で一致することだと感じました。明日は埼玉で講演で、明後日は筑波大学附属で講演です。自信を持って出張にいけそうです。今日はみんなから元気をもらいました。

 『私は,技術・家庭科の教師ですが,ものづくりの授業における子供たちの姿は,まさに,西川先生がお話しされているとおりです。教師が特別,子どもに働きかけることなどしなくても,子供たちは主体的にかかわっています。いや,主体的にかかわらないと,子ども自身が先に進めないといった方が正しいかもしれません。それは,何故か。私の授業のものづくりでは,一人一人がつくるものが違います。大きさはもちろん,形や使っている材料など様々です。なぜなら,設計から材料選びまで,子供たち自身でやるからです。そのため,いったんものづくりが始まると,ほとんど,全体で共通に説明できることがありません。また,そうかといって,40人の子ども一人一人に個別に教師がかかわっていたのでは,1時間の中でせいぜい私が個別に指導できる生徒は10人前後です。だから,ほとんどの生徒は,自分たちの力でやるしかありません。さらに,ものづくりをどんどん進められる子と進められない子の決定的な違いは,分からなかったり迷ったりした時に,友達に聞くことができるかどうかの違いです。先に進めない子は,ずっと自分で悩んで,いつまでたってもそこで立ち止まってしまいます。そのため,困った時にどこにいけばどういう情報を得ることができるのか,子供たちには伝えておきます。パソコン,ビデオ,ポストイット,繰り返し練習できる場など・・・。あとは,子供たちが勝手に必要があればそこに行くわけです。そして,ものづくりですから,席なんてものもありません。子どもは自由に移動します。そして,当然,子どもは私にどうすればいいか聞こうとしても,順番待ちになってしまうので,子どもは子どもに聞くしかありません。ものづくりですから,工作機械や刃物も使うので,教師は特に安全面で配慮が必要なところに集中的にかかわっていきます。ですから,子どもは,手を抜こうと思えば,いくらでも手を抜くことができます。授業研究でも,全体で話をしたのは,最初の5分だけです。その後は,子供たちが好き勝手にものづくりに取り組んでいました。でも,何故,子どもは手を抜くことをしないのか。それは,一人一人の子どもが目的意識をもっているからです。自分の願いをもとにつくるものを自分で設計し,自分で材料を選んで,自分で1時間ごとの計画を立てて取り組んでいる。ここが,子供たちのものをつくることの意味や価値を支えている大きな部分です。主体性というのは,学ぶということの最も土台となる部分だと思います。私は,これまで先生の著書「学び合いの・・・」「静かに・・・」「座りなさい・・・」の3冊を拝読させていただきました。そして,その度ごとに,これはまさに,技術・家庭科のものづくりの授業そのものだなと強く実感しておりました。そして,私自身も普段の授業で求めている授業でした。』

05/02/15(火)

[]やっと帰ってきました 09:44 やっと帰ってきました - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - やっと帰ってきました - 西川純のメモ やっと帰ってきました - 西川純のメモ のブックマークコメント

 11日から出張からやっと帰ってきました。まとめて書きます。

 12日はT研究室のOBであるIさん、Oさんの博士の学位試験があり、その場でニコッと判子を押すために前日から兵庫に行きました。二人ともつつがなく進行し、目出度し目出度しです。その次の日は、2年間、修士課程で宇宙で一番厳しい西川研究室で過ごしたのに、さらに3年間も「期待しているよ」攻撃を受けたいという人を受け入れるための試験がありました。合格したらば、西川研究室は博士3年、2年、1年、修士2年、1年、学部4年、3年を擁する完全研究室になることになります。面接では色々な先生から厳しい質問を受けていました。でも、実に落ち着いて適切に応えていました。快く、聞いていました。

 今回の出張は辛かった。いつもの講演会の出張と違って、連合博士課程に関わる先生方が一堂に会する会です。偉い先生ばかりですので、気を遣いました(そう見えなかったと思いますが)。家内からのメールで、「お父さんは今日も帰ってこない」と息子が泣いた書いていました。ホームシックになります。また、帰る当日は、15分ごとに「お父さん、いつ帰る?」と家内に聞いたそうです。人身事故のためにダイヤが大幅に遅れ、帰りは深夜です。寝ずに待ってくれていた家内に「ただいま」を言って、風呂に入って、家族そろって寝ました。ぐっすりと。

 翌日(つまり先日)は新潟市の鳥屋野中学校に行きました。今回はいつもと違います。普通だったら、1時間半とか2時間という時間を与えられ、私が講演するという内容です。ところが、今回は2時間半の時間の殆どはシナリオがありません。鳥屋野中学校の先生、また、近隣の先生方から質問を受け、それに対して応えるという方式です。充実した時間を過ごすことが出来ました。その時感じました。我々の課題は、我々の授業の様子をリアルに見せることだと思います。「座りなさい・・」では一部試みましたが。もっと、それを中心とした本を書かねばと思いました。異学年学習を中心とした学校の学び合いの本の次は、それを書きたいなと思いました。

 もう一つ感じました。我々の研究室のキーワードである「学び合い」はやはり適切でないように感じました。我々は「学び合い」を目指しているのではなく、子どもたちが主体的になることを目指しています。その結果として、彼らが選択する方法が学び合いなんです。おそらく、我々の授業を普通の先生方にイメージさせるとしたら、熱心に自習している子どもたちの姿のように思います。でも、「自習学習」じゃあかっこ悪いですよね。「主体学習」もいいかな~と思いますが、既に誰かが別な意味で使っていそうだよな~と感じます。何か良い呼び方が思いついたら教えてください。

 本日は、卒論発表会です。卒研生は、私と関係なく自主的に練習していました。私は、彼らを信じて、期待しています。

追伸 ある先生から先生の本が書店やネットで注文できない、と言われました。え!?と思い確認しましたが、出版社には在庫はあります。ネットでも

注文できます。ただ、amazonは、いつもながら情報が古く、注文不可という本がありました。amazon以外のネットだったら注文できます。書店でも注文できます。もし、注文できないとしたら、それは書店の情報が古いと言うことです。なお、東洋館の本に関しては東洋館に注文するのが一番確実です(数百円の郵送費は必要ですが)。ネットに関しては本の紹介の所にリンクを張っています。

05/02/10(木)

[]宇宙一厳しい 09:46 宇宙一厳しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 宇宙一厳しい - 西川純のメモ 宇宙一厳しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 OBからメールを頂きました。我々の研究室の特徴が表現されているので、アップします。

 『知り合いの先生の中で、大学院を考えているA先生がいます。以前から、迷っていたようなので、西川研のHPを紹介していました。いよいよ、真剣に考えだしたとみえ、あれこれ、質問されました。中でも次の点が気になっていたようで、「宇宙一厳しい研究室」という表現についてこんな会話がありました。

Aさん:すごい厳しいの?

OB:怒られたことは一度もないよ。西川先生は、いつもニコニコ、ゲラゲラさ。

Aさん:ほ~っっ。。。

OB:とにかく、自由ってこと。結果を出したい自分が常に自分を見ている状況で、自由ってことです。夏休みの宿題をやっていない8月20日頃の気分に似ているかもしれないね!今日、絶対にこれをやらないといけないってことはないんだけど、「やっぱ・・・やるべきだよな~やったほうがいいよな~・・・」ってな、日々が、続くの。

Aさん:なるほど~!それは、苦しいね!

OB:でもさ~。自分で、考えてスケジュール考えられるって、現場では、あり得ないでしょ?俺は、人生が変わるくらい良かったと思ってるよ!』

 このOBが「人生が変わるぐらい」と言っています。でも、それは当たり前だとも言えます。8月20日の状態がず~と続いたら、人間はものすごいことが出来ます。いい例が、大学入試や教員採用試験です。私は高校2年生の3学期の際、英語の偏差値は27でした(こんな偏差値があること知っていました?)。英単語は「a」、「the」を含めて100も覚えていなかったと思います。ところが1年間の受験勉強のおかげで、筑波大学に入学できましたし、曲がりなりにも英語の原書を読めるようになりました。教員採用試験によって、試験問題集を丸暗記しました。少なくとも受験した「生物」に関しては、チャートという分厚い参考書の隅から隅まで暗記しました。でも、そうやった勉強が常に残るわけではありません。大学入試で学んだ英語はその後も残りましたが、教員採用試験で覚えた教職教養は終わってから2週間で全く忘れました。結局、必然性がないものは残らないですよね。では、西川研究室で8月20日の状態がず~と続いて学べるものは何でしょうか?それは、「どんなに愚かに思える子どもであっても、8月20日の状態がず~と続くならば、とてつもないことが出来る」という子ども観、「教師の仕事は、子どもを8月20日の状態にすること」という授業観です。そして、それが成り立つためには、個では解決できず、子ども同士の相互作用が大事で、学校教育とはそれを経験する場だという学校観です。テクニックと違って、このような子ども観、授業観、学校観はその後ず~っと残ります。

 2年間かけて、教師(つまり私)がニコニコ、ゲラゲラなのに、どのようにして自分が8月20日の状態になるのかを経験することによって、上記を学ぶことが出来るのが宇宙一厳しい西川研究室です。

追伸 あすから兵庫に3日間出張です。今年も博士課程で宇宙一厳しい西川研究室で、3年間も8月20日状態を続けたいという人のための試験に立ち会うため出かけます。

[]契約成立 09:46 契約成立 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 契約成立 - 西川純のメモ 契約成立 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、最初のゼミ会議です。最初に、私の考えるゼミの方針を確認し、承諾できるかを聞きました。皆さん、受けていただき契約成立です。あとは、私は退席し、運用を議論してもらいました。私の退席したあと、何が話されたかは分かりません。でも、私は信じています。少なくとも、このようなゼミ会議を繰り返すなかで、自ずといいものになると信じて疑いません。私がやるべきものは二つです。今回は、初回と言うことで控え気味だった目標に関する「お説教」をもう少し長くしたいと思います。そして、結果として現れる、一人一人の達成度、全体ゼミ、学年ゼミに現れる、集団の達成度を厳しく評価することです。私は、期待しています。5年後になると、本日はとても大事な日だったと分かるかも知れません。

05/02/03(木)

{報告]豪雪 09:48 {報告]豪雪 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - {報告]豪雪 - 西川純のメモ {報告]豪雪 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 地震のあった中越地方は19年ぶりの豪雪だそうです。上越地方も「豪雪になるぞ~」と散々脅かされましたが、たいしたことありませんでした。しかし、連日降ったので腰ぐらいまでは積もりました。でも、雪慣れしている地域ですので、淡々と日常が過ぎます。でも、困りました。中越地方が雪のために、いつも使っている東京方面の電車が不安です。また、長野経由の経路は雪のため木が倒れ普通になっています。ということで、明日から出張する高知への経路は飛行機ではなく、富山周りで8時間以上かけて行きます。

 こっちも大変ですが、お世話頂く高知大学附属小学校の先生には申し訳なく思います。理科分科会の方々に40分間はなすことが私のノルマです。それだけのために、大枚の予算を使って頂き、色々なご配慮をいただいております。かけた予算と時間に見合った働きが出来るか不安です。でも、がんばります。

[]節分 09:48 節分 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 節分 - 西川純のメモ 節分 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は節分です。家族で節分をしました。その中で息子の成長を感じます。順不同です。

 鬼を怖がりました。テレビで豆まきの様子を映したシーンで鬼が出ると真剣に怖がりました。

 ちゃんと「鬼は外、福は内」と言って、積極的に豆をまきました。

 恵方巻を大人の半分、恵方を見て黙って(ちょっとは話しましたが)。

 全て終わってから、「節分はよかったね」と言いました。