西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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05/01/31(月)

[]理想の教師 09:50 理想の教師 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理想の教師 - 西川純のメモ 理想の教師 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の授業で学生さんから教師のあり方を質問されました。「教えるのが教師の仕事ではない」と我々は主張します。これがなかなか分かりづらい。しかし、「我々が目指す最高のクラスとは、最高の職場である」ということが分かる人なら、この言葉の意味が分かるはずです。我々の考える良い教師とは、良い校長なんです。

 怖くて、しょっちょう怒る校長に仕えたいと思いますか?それより、いつもニコニコしていて、冗談好きのひょうきんな親父の方が良いでしょ!よく、親しみやすい校長の例として、学校の庭の手入れをしている人がいるので、庭師のおっさんかなと思ったら、実は校長だった、という話を聞きます。でも、本当に庭師のおっさんレベルの政治力だったらどうでしょう?自分には出来ない障害があった時、頼りたいのは校長ですよね。でも、その校長が自分レベルの力しかなかったら。その人を「おっさん」レベルで親しめても、あなたの校長だったら悲劇ですよね。「冗談好きのひょうきんな親父」なのに、自分の人事を相談したり、予算を相談したりした時、自分では解決出来ないレベルのことをさらりと出来たら、いいですよね。でも、それだけのレベルの校長だったら、個々の職員はバラバラな方向を見るでしょう。職員同士の軋轢が生じるでしょうね。

 理想の校長は夢を語ります。具体的には「説教」をたれるでしょう。あまり「たれすぎると」まずいですね。でも、少々、うざったいレベルまでは語るべきでしょう。その、うざったさ、も愛すべきキャラクターと判断されるところまで行けばベストでしょう。しつこく「説教」をたれれるとは、様々な状況でどう考えるかを、自分の経験談を基に語ることを指します。うざったいですが、校長が何を目指しているかが、具体的に分かります。結果として、職員同士の間で、校長が何を目指しているかに関して、共通の理解が出来ます。その結果として、いらざる軋轢が生じません。

 やさしくて、頼りがいがある、説教じいさんであれば、テレビドラマ的にはいい人です。おそらく、職員は何かあると、「やさしくて、実力のある校長」のいる校長室に相談に行くでしょうね。でも、テレビドラマではあまり言わないもう一つの条件がいります。依存的に頼ってくる人に対して、冷たく突き放せるかです。もちろん、冗談好きのひょうきんな親父なんですから、さらりと言わなければなりません。嫌いで言っているのではなく、その人の実力を認めるから言っている、というメッセージが伝わらなければなりません。例えば、「あなただったら簡単に出来ることを、なんで、私なんぞに聞くんですか?」と言うでしょうね。そして、あなたが、ある判断をしたならば、ニコニコしながら「あなたが下した判断なら、私も正しいと信じていますよ」と語るでしょうね。もちろん、「あなた」が下した判断が間違っていたならば、それを支持した校長が尻をふいてくれるでしょう。

 まとめましょう。冗談好きのひょうきんな親父なんですけど、実は実力がある。昔話をしながら、面白おかしく自分の過去を語りながら、自分のロマンを繰り返し語る。自分を信じて任せてくれて、失敗したら尻をふいてくれる。そんな校長の学校に勤めたくありません?そんな校長の職員室はどんな雰囲気でしょうね。そして、あなたはどれだけのことを出来るでしょうか?

 ここまでは比較的簡単な比喩です。多くの教師は同意してくれると思います。問題は、子どもも同じだということを「本当」に信じられるか?それが大きな障害なんです。子ども自分と同じだけ有能であり、かつ、同じだけ無能であることを理解できることが重要なんです。これを伝えきれない自分の無能さを感じます。

[]等質な集団 09:50 等質な集団 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 等質な集団 - 西川純のメモ 等質な集団 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 異質な人と交わることは大変です。そのため、等質な人と集団をつくりがちです。さらに、それが進むと家族のみと関わります。実はこれはサルにもある我々の本能に由来するものです。それでは何故異質な人と交わるのでしょうか?逆に言えば、異質な人と交わることを避け、等質な人と集団をつくるのは何故でしょうか?

 等質な人と集団をつくる理由は二つあると思います。第一に、異質な集団をつくらなくても解決できるレベルの課題であることです。それほど創造性を必要としないような、ルーティーンな作業で済むような課題の場合、異質な人と関わることなく出来ます(本も読まなくなります)。この場合は、等質なメンバーから構成される複数の集団が形成されます。第二の理由は、目標が一致しない場合です。この場合は、目標において等質ですが、その他の面に関しては異質なメンバーから構成される複数の集団が形成されます。

 もし前者ならば、一見、創造的な活動をしているようで、実は、低レベルの課題をやっていることを意味しています。自分の本当の実力に対して、実は低いレベルの目標を課している(そして課されている)ことを意味しています。我々は子ども達に、彼らの実力の極限が問われる課題を与えているからこそ、より異質な集団を形成しているんです。 もし、子どもが遊び仲間と同じグループで学び合っていたら、いや、もっと進んで自分一人だけで課題をこなし、相談するのは家族が主だったら。そうであったら教師が誤った目標や、低すぎる課題を与えているのでしょう。さて、私はどうだろうか?

05/01/27(木)

[]出張 09:51 出張 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出張 - 西川純のメモ 出張 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教育研究を始めて20年以上になります。毎年毎年、学会の全国大会に参加します。それも、複数の学会の全国大会に。また、この10年弱からは全国各地に講演に行くようになりました。ということで、都道府県の殆ど入ったことがあります。例外は4つしかありません。和歌山県、高知県、佐賀県、沖縄県です。2月には高知大学の附属小学校によばれるので3つに減ります。

 2月は出張が何故か集中しました。高知、兵庫、新潟(上越ではなく下越)、埼玉、東京で9日間も出張になります。各地の真面目な方と会い、教育に関して熱く語り合うのは、大好きです。でも、家族エネルギーが切れると、目の下にクマを作ります。予定表を見ながら、ちょっと心配になり始めました。

[]自己分析 09:51 自己分析 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自己分析 - 西川純のメモ 自己分析 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学の4年生の時です。海外に行きたいと思っていた私はR大学附属高校のロンドン校の教師になりたいと思いました。そのため履歴書を書き、その推薦状を指導教官だったI先生にお願いしました。ところがI先生は、「君が推薦状を書きなさい」と言いました。正直、ビックリしました。だって、自分の推薦状を書けといわれたんですから。I先生にその意味を聞きました。I先生によれば、自分自身の良いところをアピールすることは、大事なことであり、それをしなければならない、とのことでした。そして、I先生も、I先生の先生からそのように言われたそうです。なるほどと思って、私も書き始めました。ところが、自分が自分の良いところを書くというのは、なかなか恥ずかしいことです。ましてや、色々と迷惑をかけており、私の欠点をよ~くしっているI先生に「私はここが良い」なんていう文章をはずかしくって見せられません。そこで、しばらくしてI先生に、「ダメです」と言いました。そうしたらI先生から、「君は、君という人間を客観的に書くことが出来なければいけないよ。君には欠点があることは私も知っているし、君も知っている。その欠点を嘘をついてダメだよ。でも、欠点は書かなければいいんだよ。良いところをちゃんと書けば良いんだから。」と言われました。なるほどと考え、恥ずかしさを抑えて書いてみました。とても勉強になりました。ということで、過去、私が推薦状を頼まれた場合、例外なく、I先生と同じように書かせました。

 卒業する4年生を送る会において、指導教官がビデオレターで語るという企画があるそうです。そこで、4年生に、何を書いて欲しいかを書きなさいと指示しました。ところが、いつもは素直な4年生が、頑張って反対しました。理由は、「それではビデオレターに驚きが無い」との理由でした。そこで、I先生が語ったように、自分で自分を分析する意味を説明しました。そして、書かれた内容を棒読みするわけではないことを説明しました。やっと理解してもらいました。

 私は彼らが何を書くかが楽しみです。それを基に語りあいたいと思います。その話し合いが一番大事なんです。

05/01/25(火)

[]評価 09:52 評価 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 評価 - 西川純のメモ 評価 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日、本屋に行ったらベストセラーの棚に「内側から見た富士通「成果主義」の崩壊」という本がありました。私は基本的に成果主義者です。ところが、富士通の成果主義が失敗だったという記事を見たことがあるので、「何故かな~」と疑問がありました。そんなことがあったので本を買って読みました。2時間程度で読めました。読んでみると、成果主義を否定するのではなく、成果主義が どのように形骸化するかを示す内容でした。つまり、成果主義自体を否定しておりません。そして、成果主義を成功するポイントを上げています。

1.最終的な「成果」で決めればいい。

2.評価者は少数にする。

3.管理職は全職員の1割程度におさえる。

4.従業員への大幅な権限の委譲。

5.裁量労働制(つまり、いつ来て、いつ帰ってもいい、でも、残業手当は無し)に統一する。

6.評価を公開する。

7.降格制度を導入する。

 2、3は教室において評価者は教師だけなんですから問題はありません。1と4と5は「何やってもいいんだよ~、結果さえ出せればね」という西川研究室の基本方針と同じです。6は教師の手の内をさらすという方針にあっています。問題は7です。これは学校においては「落第」が相当するものです。しかし、厳しい西川研究室にはいろうという人に対しては基本的には不要と考えています。それより、集団の力で降格の必要がある人を作り出さないことが先決です(でも、考えないといけないかな~)。

 企業における人事評価の本を読みながら、改めてクラスと同じだな~と感じました。

[]年賀状 09:52 年賀状 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 年賀状 - 西川純のメモ 年賀状 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教師(それ以外の仕事も同じですが)をやっていると自然と世間は広くなります。世間の広さは年賀状の枚数に現れます。最近、ある先生と話した時、その先生は毎年700枚年賀状を送っているそうです。私も少なくない方だと思うのですが、すごいな~と感心しました。何も考えず、義理と人情で年賀状を書けば際限ありません。そこで、私なりのルールがあります(基本ルールであって、逸脱はあります)。第一に、送られれば返信を書く。第二に、私が送ったが、返信が無ければ来年は送らない。第三に、「第二のルール」に従って返信を送らなかったのに関わらず、その次の年に送った場合は返信を送る。非常に単純なルールですが、私はこのルールに従って何百枚の年賀状を管理しています。

 先に教科書会社との関係をメモりました。何で教科書の末尾に名前を書くことをお断りしたか、それを補足します。

 私は全国区で活動しています。色々なところに講演しますし、色々なところに教え子(私より年長も含めて)がいます。講演に関して言えば、A県で講演したことが、B県で講演することの障害にはなりません。ところが、A社の教科書会社の仕事をすると、B社の仕事は出来なくなります。これが教科書に関わる仕事の特異性です。県レベルの活動が主な人なら、その県で例年採用している教科書の仕事をする限りは問題になりません。ところが、私は全国区の仕事をしていますし、新潟県だけをとっても 複数の教科書会社がしのぎを削っています。このことを心配してT先生に、「私が○社の仕事をすれば、他の会社とおつきあいできなくなりますね」と聞きました。T先生は「○社が他社が出来る以上のサポートをしてくれるから心配ないよ」と言われたので踏ん切りがつきました。

 私の教え子の多くは教科書に関わっています。関われるぐらいのレベルだからこそ、うちの大学院に派遣されるのだと思います。その方から、「先生は○社の仕事をしていますが、●社の教科書の仕事をしています」という手紙やメールを頂くことがあります。その際は、「それぞれが良い教科書を作れば、日本の教科書は良くなるんだから」と返事を出します。そ れらOBの関係から、複数の他社から年賀状を頂きます。私が○社に関わっているにも関わらず、それを承知で毎年ご挨拶を頂いております。ところが、○社の場合は、私が年賀状を送っても返事をいただけません。結果として、年賀状を送ることをやめました。ところが、今年に限って年賀状が再開されました。「どうしたんだろう」といぶかっていると、白表紙の校閲の話が来たので、なるほどと思いました。正直、「底が浅いな~」と思いました。

追伸 黙っていれば、教科書の末尾に名前が載るかも知れないのに、あえて断った理由を不思議と思われたOBの方に説明するために、このメモを書きました。私は10年以上つきあえない方と思った瞬間から、その方との継続的なおつきあいはやめるようにしています。

05/01/24(月)

[]エコナ 09:54 エコナ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - エコナ - 西川純のメモ エコナ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 遠方からのお客様からおみやげにお菓子を頂くことがあります。でも、それらの殆どは、私や家族が食べることはなく、そのまま学生・院生控え室に直行です。だって、体重を気にしている私と家内、そして4歳の息子が一箱のお菓子を食べられるわけありません。でも、頂くお菓子は吟味をしたお菓子が多く、誘惑に負けて一つ食べてしま うことがあります。それが美味しいと、もう一つとなってしまいます。おいしいとなると、また・・・・。あっというまに半分以上食べてしまったと言うこともあります。この誘惑で家内を迷わせたくないので 家には持って帰りません。この美味しいお菓子の悩みを、私と同じく体重を気にしているYzさんに話したことがあります。

 本日、Yzさんから頂き物をしました。いつも通りに、「この箱の中には札束がつまっているのかな?」なんて憎まれ口を言いながら、ありがたくちょうだいしました。その際、Yzさんは考えるところがあるらしく、「乞うご期待」という笑顔で中身を語りません。お菓子ではなさそうなので、家に帰って袋から出すと脂肪が付きにくい油の詰め合わせでした。家内と私は大笑いして、同じ悩みを持つ同志の心遣いを感謝しました。

 以前にも書きましたが、貰ってありがたいものは「現金・金券」、「保存の利く、普通の料理に使える食品」、「食べきれる量の高級食材」の三つです。前二者の共通点は保存が利くということで、最後は保存 の必要がないというものです。40歳を過ぎた私は、これにもう一つ付け加えるべきだと感じました。それは「健康に良いもの」です。

[]教科書 09:54 教科書 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教科書 - 西川純のメモ 教科書 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ある教科書会社より教科書の完成直前本(いわゆる白表紙)の校閲を頼まれました。しかし、丁重にお断りをして、その教科書の最後に私の名前を書くのは勘弁して欲しいとお願いし、了承してもらいました。

 教科書の作成に関わることは教科教育に携わるもののステータスみたいなものがあります。若い頃の私にとっては憧れであり、目標の一つでした。でも、携わって分かったことがあります。結局、本当に教科書のコンセプトづくりに携わっているのは一部で、多くの人はルーティーンの作業に関わっています。そして、私レベルの研究者は何度か会議に呼ばれ、編集の人が「ご意見」を拝聴するレベルで「お飾り」です。でも、しょうがないことも理解しています。だって、内容的には指導要領の縛りがあります。そして、多くの教科書は100年の歴史を持っており、その蓄積を動かすことは出来ません。私の場合は、この4、5年で数回会議に出席しました。でも、この2年間は会議すらよばれません。

 大学の教師だったら「お飾り」の仕事の一つや二つはあります。でも教科書の仕事の場合、「お飾り」の数時間の会合のために数日を潰さなければなりません。それでいて民間の仕事なんですが、謝金は学校レベルの研修会より少ない。それでいて、感謝されているように感じませんし、誠意も感じません。おそらく、「教育研究者なんだから教科書に携われるんだから光栄だろう」という思いがあるのではないかと、悪意に解釈したくなります。つまり「やる意義を感じない」、「時間の拘束が多い」、「収入に繋がらない」、「感謝されない」と四重苦なんです。

 良い勉強になりました。教科書と研究者の関係は、私がかって思っていたものとは違うようです。せめて、四重苦のうち2つぐらいは除外されない限り、関わるのはやめようと思いました。

追伸 色々書きましたが、教科書に携わっている編集の方の能力と熱意には、ただただ敬服します。出身の学部と関連のない教科の教科書の編集している人もいます。でも、それを専門とする私が脱帽するほど、よく勉強しています。そして、教科書づくりに熱意と誇りを持っています。すごいな~と尊敬します。

05/01/18(火)

[]誕生日のにおい 09:54 誕生日のにおい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誕生日のにおい - 西川純のメモ 誕生日のにおい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 家に帰ると、家内が面白いことを教えてくれました。家内が食事の用意をしていると、息子が「おかあさん、たんじょうびのにおいって、どんなにおい?」と聞いたそうです。みなさんはどんな臭いだと思います?家内も分かりませんでした(私もです)。

 家内が分からないと言うと、「ケーキのろうそくを消すにおい」とニコニコして言いました。とても良い言葉です。家内がびっくりして「何かに書いてあったの?」と聞くと、本にあった表現だったようで、書いてあった本の題目を言ったそうです。ということで「ケーキのろうそくを消すにおい」という表現は、残念ながら息子のオリジナルではありません。でも、「ケーキのろうそくを消すにおい」という表現がとても良いと感じる心を持っていることは確かです。それを嬉しく思います。

05/01/17(月)

[]理科教師の誘惑の罠 09:55 理科教師の誘惑の罠 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理科教師の誘惑の罠 - 西川純のメモ 理科教師の誘惑の罠 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日は2年生の学年ゼミです。本日は「実証的教育研究の技法」が題材です。学生さんの間で議論が進み、私は面白く聞かせていただきました。

 さて、ゼミが終わった後に、学生さんの一人が前回のゼミで話題になった理科に関する質問をしました。前回は「なぜ理科は難しいと言われるのか?」という本がゼミの材料となっていましたが、それとの関係で温度と電気抵抗との関係が話題となり、私は分子論的に説明しました。その際に、絶対0度を分子論的に説明しました。温度が分子の動きで説明できることにビックリしたようです。今回の質問は、低い温度に限界があるが、高い温度に限界はあるかという内容です。その学生さんが、好奇心に満ちた顔で私に質問する姿に、正直、嬉しくなりました。

 何か分からなかったら、人に聞くという行為は、ホモサピエンスの本能に根ざしたものだと思います。それが成り立つためには、逆に、聞かれた方は、それを教えたくなるという気持ちになること「も」本能に根ざしたものだと思います。教師になりたいという人は、なおさらです。だから私も、聞かれたこと以上に語りたいという気持ちに負けます。ここで、どんな話をすれば喜ぶだろうかは知っています。そして、その先に、どんな「ちょっとした」実験をすれば大喜びすることも知っています。そして、「先生、理科って面白いんだね」と言わせるには、どうしたらいいかも分かっています。不遜ながら言います。勉強自体が大嫌いなオール1の子どもを引きつける修羅場を乗り越えたものにとって、学びたいと思っている真面目な学生さんの興味をわかすことなど「ちょろい」もんです。別に私の力ではありません、そのためのノウハウは多くの教師の努力によって形成されています。現在のノウハウより、1970年代のカリキュラム改革の時代に書かれた本には、極めて良質のノウハウがあります。私の大学院では、そのようなノウハウの存在を教えてもらえました。そのため、教師時代はそれを利用させていただきました。

 学生さんのきらきらした好奇心に満ちた質問を受けると、どこまでも語りたい欲望を感じます。そして、「先生、理科って面白いんだね」という声を聞きたいと思います。でもぐっとこらえました(でも、抑えながらも語ってしまいましたが)。何故抑えたかと言えば、そんなことをしても、理科を語れても学校教育を語れないからです。理科のノウハウを駆使して出来るのは、教育を語るための導入に過ぎません。本当に重要なのは、その先にあります。質問した学生さんに対して、昨年の4月の段階では理科の面白さを使いました。それを導入に教育の面白さを語りました。それに感じて、理科以外の学生さんである彼は私の研究室に所属しました。だから、彼は理科の面白さでの段階は卒業です。

 これは理科だけではないと思います。そして、大学教師だけでもないと思います。その教科で面白くすることは可能です。そして、手を変え品を変え、面白い教材をぶつけて、面白い話をぶつけて、ぐいぐい引きつけることは出来ます。でも、それで何が起こるでしょう。きっと多くの学習者からは「良い先生」と思ってもらえるでしょう。でも、限りなく全員の子ども達を引きつけることは不可能です。そして、理科の面白さは伝えられても、学校教育の本当の目的である(と私は信じています)人と繋がることの面白さを学ぶ機会を奪うことになります。だから、我慢すべきです。

 でも、先に述べたように、教えたがりというのは人の本能だと思います。そして、その気持ちが強い人が教師です。よほどの覚悟がないと、その罠に陥ります。私は「いっつも」陥ってしまいます。

05/01/14(金)

[]目標 09:56 目標 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 目標 - 西川純のメモ 目標 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨年1年色々なことが起こりました。T先生が副学長にでられるという、我々にとっては激変の年でした。それに伴って、我々の研究室の「場」が変わったことを私は意識していたつもりだったのですが、気づかない点も多く、「抜」がありました。その結果として歪みが生じ、色々な面で再調整をしなければならないと感じます。もしかしたら、多くのメンバーは、その歪みを感じておらず、再調整の必要性がないと感じられているのかも知れません。しかし、歪みはたしかにあり、それが多くのメンバーに意識化されていないことに最大の問題点があるように思います。そこで、西川研究室の歴史的経緯をふまえ、我々が何を目指し、何をしているかを、ちゃんと説明する必要があると思います。本日、ホームページに「西川研究室の目標」を作成しました。メンバー各位は熟読してください。近日中に、時間を取って、皆さんの前で、熱く、強く、しつこく目標を語りたいと思います。今後、これらを成長させ、研究方法論に関しての「実証的教育研究の技法」に対応するような古典に成長させたいと思います。

 数人のOBに下読みして頂きました。その一人の方から、「簡単ですが、すべて読めば西川先生の考えが入っています。あとは、研究室のみんながそれこそ話し合いで自分のものにしていくしかないでしょう。」というレスを頂きました。研究は「資料を読み」、「自ら考え」、「人と語り合う」ことによって成り立ちます。これは資料に過ぎません。自ら考え、人と語り合うことによって魂が吹き込まれます。考え、語り合ってください。もう一つあります。ここで書いているのは目標です。一部は方法も含んでいますが、出来るだけ方法を制限することを避けるようにしました。下記で示される目標を実現するために、どのようにすべきかは皆さんが考えてください。

 ここに書いたものには、全て過去の経緯があり、その経験に基づく「願い」があります。従って、さりげなく書いているところにも意味があります。その意味を読み取って頂きたいと思います。そして過去の経緯ではなく、これからに関して積極的に話し合って欲しいと思います。私は皆さん全員の有能性を信じ、期待しています。

追伸 本メモが1000件目のメモです。

05/01/11(火)

[]叱れない 09:57 叱れない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 叱れない - 西川純のメモ 叱れない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 かなり以前の全体ゼミで学部学生さんが、ボランティアに参加した会の子ども達が騒いだことを「叱れない」ことを悩んでいる学生さんが多いことを報告しました。正直、「え!?」と思いました。私の反応は、「なんで叱る必要があるのか?」と思いました。私の経験上、叱る必要があること何て殆どありません。その学生さんが報告している状況は、その子ども達はしかられることは十分に理解していることです。だから、わざわざ叱らなくても、「それはいいことかな?」と語るだけで十分です。なんで学生さんが叱れないということを悩むのか皆目検討つきませんでした。でも分かりました。分かってみれば、とてつもなく当たり前のことだったんです。彼らが悩んでいたのは、叱ることによって子ども達が自分たちから離れるのではないかと恐れたのだと思います。そして、恐れた結果として、しかるに叱れない自分の弱さを悩んでいたんです。その当たり前のことを理解できなかったかと言えば、学生さんが悩んでいた状況は本当には悩まなくてもよい状況だったからです。

 日本語の場合は、「罪」と「犯罪」の違いがはっきりしません。しかし、英語の場合は、両者ははっきりと違います。前者は良心に反することであり、後者は人の作った法律に反したことです。例えば、学生さん達がボランティアで参加した会で、騒ぐことは「罪」ではなく「犯罪」です。だって、そこで静かにすべきか、否かは、会の主催者が決めたルールに反したか否かです。そこで騒いだとしても、だれが傷つくわけでもありません。それに、それが叱られるであろうことは本人が十分承知しています。だから、それを教師にせよ、学生さんにせよ、叱ったとしてもビックリしません。そして「犯罪」なんですから、そのルール自体がナンセンスと割り切れば、その子ども達は傷つきません。従って、学生さんは悩む必要はありません。対処の方法は比較的簡単です。何故、そのようなルールが必要なのかを事務的に説明すれば理解してもらえます。もし、本当にそのルールに必然性があるならば、子どもは理解してくれます。まあ理解されなかったとして、それほど状況は悪化しません。少なくとも、私の教師としての経験上自信があります。だから、何故、そんなバカバカしいことを悩んでいるのか分かりませんでした。

 しかし、学生さんの状況とは違って、「罪」であり、本人が意識していない状況だと話は別です。「犯罪」ではなく「罪」である場合、具体的には誰かが傷ついたというような場合、「そのルールが悪い」という逃げ道がありません。そういう場合でも、自分が悪いことしているな~、とか、まずいな~、という場合は、だれかにそれを指摘された場合でも、大抵は納得してくれます。ところが、そういう自覚が無い場合、私の教えた定時制高校の生徒の直後の反応として、むやみに反論し・攻撃するという反応をします。私の教えた暴走族の子どもの反論・攻撃は相当の迫力でした。でも、そのような反応をするのは暴走族の子どもばかりではありません。他ならない私自身でもです。

 ある先生から「罪」に関する、私の意識していないことを言われると、とにかくカッとします。それから、それに反論するための百の理屈をパット思いつきます。だって、私は悪気はないし、そういう行動する理由はちゃんとあるんですから。でも、だれに対してもそういう反論するわけではありません。例えば、T先生(そして家内)から言われた時はそうではありません。確かに全くカッしないかといえば、そうではありません。でも、直ぐに悲しくなります。そして、考えます。何故、その違いが生じるかと言えば、言われる人の善意を信じられるからです。だから、カッした瞬間の次に、考え直せるのです。

 つまり、自分の善意を信じてもらえると確信を持てるならば、たとえば「罪」に関することで相手が意識していないことでも語ることが出来ます。ところが、善意を信じてもらえない場合は語ることが出来ません。つまり、出来ないと考える理由は、自分の善意を信じてもらえないと自分が思っているからです。そう思っている自分が情けなくなります。この情けなさを学生さんが感じているのだと分かりました。

 私が高校教師になった直後、「もし、町を歩いていて知らない高校生がタバコを吸っていた場合、高校教師である私はそれを注意すべきか」を悩みました。しかし、自分が担当した子どもと人間関係を結すべた後は、そのようなことを悩んだことはありません。「私がタバコを吸っているのを注意するのは、それは高校教師の職責ではない。私が大事に本気で思っている子どもだから注意するんだ。それに、そんな気持ちになれない子どもに注意したとしても、せせら笑われるぐらいだ」と私は思いました。そして、高校時代に関係を結んだ子ども達の場合、信じてもらえると思っていましたし、誤解しても、それを理解してもらえるだけの機会をもてると信じていました。

 何を語り、何を語らないか、それは自分自身の心が決めることです。つまり、自分が自分そして教え子をどれだけ信じられるかです。

05/01/07(金)

[][]忙しい 09:58 忙しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 忙しい - 西川純のメモ 忙しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が高校の時です。先生が「いそがしい、いそがしい」と言っているのを聞きました。それを聞いた私は腹の中で、「先生は空き時間があるじゃないか!俺たちは朝から晩までずっと授業を受けているんだぞ!」と思いました。そして、それは大学学部の時代もそう信じていました。でも、実際に高校教師になって、「あ~、先生たちが忙しいと言っていたのは、これだったんだな~」と分かりました。

 大学院に行くことによって何が良かったかというと、大学研究者も「おっさん、おばさん」であることが分かることです。それまで講義という建前の世界でしか触れ合えなかった大学の教師が、本音の世界で触れ合えることが出来ます。そうなると、「大学の先生って暇なんだな~」と思い始めました。だって、小中高の教師に比べて格段に授業のコマ数は少なくなります。大抵は自分の研究室にいます。教師の仕事が教えると考える限り、小中高の教師より「暇」です。でも、その教師達は口々に「忙しい」を連発します。

 自分が大学の教師になって感じるのは、大学の教師は「忙しい」を連発しますが、本当に忙しい教師と、本当は暇な教師がいるということが分かりました。小中高の教師の場合も、相対的に暇な教師がいますが、本当に暇な教師というのはいません。だって、なんやかや言っても、担当しなければならない授業があります。ところが大学教師の場合は、担当しなければならない授業の時間数は少ないです。結果として、授業を担当する以外の時間に、やらねばならないことが無い人はとてつもなく「暇」です。もちろん、その人も「忙しい」を連発するのですが、何故か、その人は毎日4、5時間程度は茶話室に入り浸り、学生・大学管理職・学会の悪口を言い合うのに時間を費やしています。大学の教師の特徴は、忙しい人と、忙しくない人の格差が天と地ほどの差がある点です。二種類の大学教師の違いを見分けるのは学生には分かりづらいと思います。でも、見分ける方法があります。「結果」なんです。何故かと言えば、人の能力の差なんてたいしたことはありません。でも大学人だと直ぐ分かるんですが、学生さんには分からないですよね。

 本日「も」忙しかったです。定時制高校でオール1の子ども達を相手にしていた高校教師時代jはとてつもなく忙しいかった。でも、2年目以降の忙しさと比べれば、今の方が忙しい。何故忙しいかと言えば、私個人以外の人の仕事に関わる仕事があるからです。逆に、暇な人は何故暇なのかといえば、本人の仕事だけをやっているからです。でも、私以外の仕事をやることによって、多くの人の力を得ることが出来ます。それが結果につながります。それ故、暇な人を羨ましいとは思いません。でも、忙しい。

 多くの人の仕事をやることによって、多くの人の力を得ることが出来る。だから、もっと多くの人の仕事をやることができる、結果として、もっと多くの人の力を得ることが出来る。だから・・・・。冷静に考えれば呆然となります。でも、本日「も」忙しかった。でも、同時に多くの人の力を頂いているんだと言うことを感じることが出来た日でした。であれば、その力を多くの人に還元しなければならないという責任感を感じます。結果として、もっと忙しくなる。あ~

 本日は忙しさの原因はネットワークに関連することを感じ、その大変さと、ありがたさを感じる日でした。

05/01/05(水)

[]覚悟 09:59 覚悟 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 覚悟 - 西川純のメモ 覚悟 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教師が信じて任せたら、とにかく最後まで任せるべきです。どんなに不安になっても、とにかく最後まで任せるべきです。少なくとも最終段階になったら、その段階で如何なる介入もすべきではありません。特に、ミニティーチャーを利用して乗り切ろうとするのは、下の下です。仮に失敗したとしても、人が死ぬわけではありません。怪我をするわけでもありません。失敗したら、教師は自分の出来る限りの後始末をすればいいだけです。失敗によって学ぶことも多いでしょう。少なくとも教師は学ぶはずです。

 失敗する原因は、目標が共有されていなかったこと、集団が未成熟であったことに由来するものです。教師の責任です。従って、失敗を甘んじて受けるべきです。

 最後の段階で無様に介入する理由は明かです。最終段階になって、色々な情報が耳に入ってくるからです。

 とにかく信じましょう。多くの場合、取り越し苦労です。学習者集団は教師が思う以上にしたたかで、有能です。失敗しても上記の通りです。覚悟しましょう。せめて、学習者集団には背負うには難儀なリスクを軽減する算段をしましょう。

05/01/02(日)

[]新年にあたって(予告編) 10:01 新年にあたって(予告編) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新年にあたって(予告編) - 西川純のメモ 新年にあたって(予告編) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。今年やろうとしていることを書きます。

 まず、現場に対する研究成果の還元ですが、今後も一生懸命やります。雑誌記事・講演の依頼は出来るだけ応えて、研究室の成果を学校現場へ還元したいと思います。本に関しては、延び延びになった異学年学習の成果をまとめた本を出したいと思います。

 研究に関しては、現在進行している研究室の研究成果は、「学校職員における学び合い」、「学力と心の成長を保証した学び合い」をキーワードとしてまとめられると思います。ただし、「学び合い」というキーワードは今後再検討する必要性を感じています。つまり、我々は「学び合い」自体を目標にしているということに躊躇いを感じています。本当に重要なのは、「学習者の凄さ」であり「学び合い」は結果と考えているからです。さらに、「学び合い」を仮に目標と考えたとしても、「学び合い」を手段やテクニックの一つと考えている教育論と、分かりやすく一線を引く必要性を感じています。ただし、これにかんしては数年間のスパンで検討する必要があると考えているので、一応、「学び合い」というキーワードは使おうと思っています。

 最後に、教員養成および教員再教育です。それらの中心である西川研究室のゼミに関しては、目標の再設定をする必要性を感じています。簡単に言えば、西川研究室が何を目指しているか、そして、それは何故なのかを、ちゃんとまとめ、それを伝える必要があると考えています。それを休み中に書き始めたら、現在のところ、二万八千字(A4版で28頁)です(学部4年生の皆さん、卒論はこれ以上は書いているよね~?)。書き始めた時は、そんなに大量になるとは思っていませんでした。私としてはコンパクトにまとめたいと思い、2,3日でまとめられると思っていました。しかし、書き始めると、そんなレベルでは収まらないことが直ぐに分かりました。何故なら、西川研究室の様々な活動は、それぞれ上位目標、下位目標という関係で密接に関連づけられています。そして、それぞれの活動で行っていることには歴史があり、固有の意味があります。そのため、必要最小限の説明を個々にすると同時に、それぞれの間が無矛盾であるということを分かりやすく説明する必要があります。最終的には、どれだけになるか分かりません。ただし、これ以上に膨大になるのは出来るだけ避け、推敲に勤めたいと思っています。

 書いてみて分かりました。これだけ膨大な歴史と意味を、学習者集団の文化の伝承に任せていたのは本当に不親切だったと思います。そして、それは「放任」に繋がることだと思いました。だからといって、二万八千字(現状)の内容を、教師主導で講義するつもりはありません。教師としてはテキストブックを作り、学習者集団に提供し、学習者集団との関係で育てたいと思っています。

 現在書いているものは、ルールブックであり、契約書です。心して書いています。

[]新年にあたって(意味不明編) 10:01 新年にあたって(意味不明編) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新年にあたって(意味不明編) - 西川純のメモ 新年にあたって(意味不明編) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今年は変化の年になるかも知れません。勤めてから19年間、ずっと何とかしようと思い、願っていたことが実を結ぶかも知れません。これが実現されれば、学生さん、院生さんが不当な扱いを受けなくなるでしょうし、教育現場に密着した教育研究が迫害されることはなくなると思います。結果として、大学の全メンバーが権利と義務において同じスタートラインに立つことが出来ます。しかし、それが実を結んだとしても、その意味するところを正確にメンバーが理解するのには時間がかかると思います。大きな変化を感じない人も多いでしょう。でも、数年の内にシステムが変わることになります。それを思うと胃が痛くなります。しかし、勝算はあります、なぜなら変化の原因は個人レベルのファクターはあるものの、基本的には上越教育大学という、新興で県庁所在地に所在しない小さな国立大学が法人化した変化に由来するものだからです。

 以前のメモに書いたように、その変化によって、現在は上越教育大学と関係ないと思っている人、関係があるがそれほどでもないと思っている人の人生を大きく変えるかも知れません。そのようなことが今年から十年以上にわたって継続的に変化に由来する結果は現れるはずです。これに関しては本当に恐ろしくなります。でも、これに関しても最終的には自己判断・自己責任であって、上越教育大学の責任ではなく、ましてや私の責任でもないと考えればホッとします。

 以上、私以外には全く分からないメモです。だって、私自身でさえ、このメモの意味を本当に理解できるのは、もしかしたら十年先かもしれません。